―――**―――
「たっ、隊長ーーーっ!!」
その声に呼ばれた隊長、イオリは肩ほどまでの黒髪を揺らす。
無機質に物が並んだ執務室。イオリの黒髪を留める小さな飾りのついたヘアピンが、この部屋唯一の華やかさだった。
黒い眼を手元の分厚い資料から正面に向ければ、重厚な木製のドアが、外からの駆け足に呼応して震えている。
また、彼女か。
そう確信を持って結論付けると、すっかり慣れてしまっている自分に苦笑し、再び手元の資料に目を落とす。
そこには、各地方の事件の見出しがリストアップされている。
ここのところ忙しく、一か月ほどで溜め込んでしまったそのニュースは、ここ、北の大陸モルオールだけのものに留まらず、全世界の大きな事件が取り上げられている。
一応は毎日読んでいるローカルニュースは読み飛ばし、特に南の大陸、シリスティアのニュースに入念に目を通し、肩を落とす。
“あの事件”は、未だ解決できていないらしい。
何十年、何百年も前からときおり起こる失踪事件。
依然、手がかりは不明。
最早伝説になっているこの事件には、魔族が介入していると考えられている。
一刻も早く解決しなければならない、痛ましい事件だ。
まだ、か。
小さく呟き、あとはざっと目を通す。
軍事国家の政治の動きや商業都市の活気。
未だに何の話をしているか分からない企業の新商品の情報を一目で不要と判断し、ファイルをめくると、イオリの手が止まった。
アイルークの主要都市の一つ、ヘヴンズゲートでの事件。
神の一撃が民を救ったらしい。
見出しの番号を確認し、本文の資料をもう一つの分厚いファイルから検索した。
神が力を見せたという話は、口づて程度にはに聞いていたがまさかアイルークの事件だったとは。
「……!」
見つけた本文には、赫の大群が町を襲った、とある。
その事件は、一週間前。
たった、一週間前の事件、だ。
イオリは僅かに目を細め、再び見出しに目を通す。
今度は、東の大陸、アイルークを重点的に。
今から一か月前にさかのぼって目を流し、そして見つけた、一か月前。
クロンクランの事件。
サーカスに紛れ込んでいた魔物が暴れたらしい。
そういえば数週間前、大きな荷物を運ぶ旅団を見つけたら、入念に検査をしろ、と、イオリ率いる魔術師隊の管轄する地方に国からの伝達があった。
そしてそれは、謎のオレンジの閃光によって町が救われた、とある。
イオリの心が、僅かに高揚していく。
まさか、これは、
「隊長!? いるんですか!?」
「……ああ」
外からの騒がしい足音がピタリと止まったかと思えば、ガンガンとドアが叩かれる。
小さく声を返せば、勢いそのままに開け放たれるそのドアは、またも壁に痛烈にぶつかり、ドアノブの形を確固たるものにしていく。
この部屋を仕事用にあてがわれたときには無かったはずのその傷は、目の前の少女によってのみつけられたものだ。
「隊長……、いるならいるで出てきて下さいよ!」
「サラ。今日僕は休暇だろう?」
イオリの視線の先、金の長い髪を隊員の礼装に仕舞い込んだ少女、サラは両膝に手を当て、息を弾ませている。
彼女との付き合いは、もう二年近くになる。
くるりと大きい瞳をジト目にし、座ったままのイオリに眉を寄せた顔を向けてきた。
「そう言われても、呼べって言われたんですよ! カリス副隊長に!」
「はあ……、」
せっかく休暇を取って溜まり込んだ情報を整理しようとしてみればこれだ。
休暇を圧迫されるのがこの世界の国仕えの宿命か。
それとも、万全な策を採りたがるカリス副隊長の性格からだろうか。
ともあれ、今日の休暇は流れそうだ。
「礼装は必要そうだったかな?」
「ああ、そうっぽいです!」
イオリは再びため息一つ吐き、部屋の隅のラックにかかっているローブに近づいた。
黒を基盤としたローブは、イオリが今着ているワイシャツと紺のスカートをすっぽり隠すほど大きい、裾から身体を通すもの。
腰のあたりをベルトで止めれば、イオリの身体にぴたりと張りつき、実に動きやすくなる。
だが、それにイオリは緩慢な動作で近づくと、再びため息を吐いた。
「隊長、そう面倒そうな顔しないでくださいよ!」
「サラが敬語を止めてくれれば、僕もやる気を出すさ」
「……、また、“僕”ですか……」
サラは、さっとローブを羽織ったイオリに怪訝な顔を向ける。
目の前のイオリ。
まるで未来を見透かすかのように聡明な隊長の、その少女は、自分と歳はそう変わらない。
落ち着いた物腰。
理知的な表情。
この町に現れたときは、“酷かったにもかかわらず”、今ではサラより聡明で、世情に詳しい。
魔力もケタ外れだ。
国の魔術師隊に入ってから一年を僅かに超す程度で、この地方に新設された魔術師隊の長、すなわち魔道士を務めているほどに。
「なんで、自分のこと“僕”って言い出してんですか?」
「いや、別に深い意味はないよ。前にふざけて使ってみたら、“好評”だったみたいだからね」
「……?」
聡明に見えるイオリは、このように、途端妙なことを言い出す。
総てにおいて完璧すぎる結果を出しているイオリなのだが、その奇妙な態度によってさらに近づきがたく、唯一近づくサラも、それには怪訝な顔しかできない。
イオリが我を取り戻してからだろうか。“私”は“僕”に変わっている。
そして、この少ない隊員たちからも僅かに距離を置き、どこか遠くを眺めるようにして戦場においても一人で立つ。
それも、彼女の奇妙さを際立たせていた。
「人はいつか変わるものさ。サラも変わったろう? その敬語とか」
「……、そりゃ、イオリが隊長様ともなれば、」
「まあ、慌ただしさは変わっていないけどね」
姿身で服装を簡単に正し、イオリは僅かに表情を緩める。
彼女の作る壁を乗り越え、ここまで迫った者にしか見えないその親しみやすい微笑に、しかしサラは不満な顔を返した。
「うるさい、って言いたいんですか?」
「なあに。君より騒がしい人はきっといるよ」
そう言って、イオリはサラを追い越し、執務室を出る。
向かう先は、カリス副隊長のいるであろう会議室。
大した用事でなければ、文句の一つも言ってやろう。
「隊長、もっと急いで下さいよ!」
「サラが敬語を止めたら、ね」
「隊長が一人称を改めたら、善処します」
「それは個人の自由だろう?」
「ならこっちもそうですよ」
この町にはいささか大きすぎる造りの魔術師隊の宿舎の廊下を、二人の少女が歩幅も小さく歩き続ける。
その光景が、口調こそ違えどサラには懐かしく感じた。
しかし、イオリもすっかり“回復し”、今では胸で風を切る一個小隊の隊長だ。
思い起こせば二年前のこと。
森で魔術の鍛錬をしていたサラは、気を失っていたイオリと出会った。
ワイシャツにリボン、紺のスカートと、モルオールの気候にしては奇妙な出で立ちをした少女。
そのイオリが目を覚ましたときの悲鳴は、未だに脳裏に刻まれている。
全身から発汗し、目には涙。
怯えきったその表情でサラを見つけると、あらん限りの力で抱きついてきた。
まるで、悪い夢から覚めたばかりの赤子のように。
出会ったばかりの少女にいきなり抱き付かれ、サラは戸惑ったが、流石に震える少女を引き剥がすこともできず、なす術なくその場に座り込んだ。
魔物に襲われたのだと判断し、その縁で、サラの家で保護することになったイオリは、当時、“酷かった”。
食事も喉を通らず、気が触れてしまったかのように夜には泣き出し、身体の震えは一向に収まらない。
サラの両親はイオリを同情的に受け止め、保護を続けたが、もしイオリが我を取り戻すのがあと少し遅かったら、国に任せることになっていたであろう。
そんな彼女は、今は、別人のように国を守っている。
隊員として、親友として、サラはイオリが誇らしい。
「それで、カリスは何て?」
「え、ああ、魔物が襲ってきたらしいですよ」
「……またか」
イオリの足が、僅かに早まった。
背丈が変わらないのにもかかわらず、足の長さの差か、サラは競歩のような動きになる。
そういうところは、誇らしいというよりも嫉妬の対象だ。
「対処できそうにないのか?」
「え、ええ。カリスさんは、イオ……、隊長を呼べ、と」
カリスの言葉をそのまま口に出そうとし、サラは口をつぐんだ。
いきなり現れたような少女に従うことになり、隊員たちには不満を持つ者もいる。
その最たる例のカリスは、やはりイオリの前でなければ“隊長”とは呼ばないらしい。
イオリはサラの気遣いを不要だとでも言うように苦笑すると、しかし、またも目を細めた。
あの男が、あの、イオリを認めたがらない男が、魔物が襲ってきたという理由でイオリを呼ぶ、というのは妙だ。
イオリの足がさらに早まる。
「そんなに危ないのかな?」
「い、いや、副隊長は神経質なんですよ」
「……、」
カリスの実力を、イオリは誰よりも認めている。
仕事においては、私事を挟まない。
本当に必要だから、イオリを呼ぶのだろう。
「ちなみに……、魔物はどこを襲っているのかな?」
「えっと、確か、ウォルファールです。ほら、港町の、」
「……?」
そこで、イオリは足を止めた。
勢い余って転びそうになりながら、サラは何とか踏み留まると、何事かとイオリの表情を見やる。
「……?」
そこには、いつものように静かに思考を進めるイオリはおらず、ただただ眉を寄せ、事態を理解できないような少女が立っていた。
こんな顔は、最初に会ったとき以来見ていない。
「隊長……?」
「……、急ごう」
最後にそう呟き、イオリはとうとう駆け出した。
――――――
おんりーらぶ!?
――――――
「お疲れ様です、副隊長! それに、た、隊長も!?」
「状況を報告しろ」
「はっ」
“自己手段”で到着したイオリ、馬で町に到着したカリス、サラの三人を、同じローブを羽織った小柄な男が出迎えた。
わざわざ敬礼したその男は、馬から飛び降りたカリスの鋭い瞳に身体を強張らせる。
潮の匂いが届く、ここ、ウォルファールに魔物が現れたとカリスが聞いたのはつい半刻ほど前。
僅かにも乱れるのを避けるべく、ぴっちりと固めたオールバックの髪形の下、度の強い眼鏡を指で押し上げ、カリスは町を見渡す。
確かに魔物が現れているようだが、聞いていたよりもずっと少ない。
「現在魔物の主要部隊は壊滅しているようです。残党処理も、順調かと」
「なに?」
カリスの目つきがさらに鋭くなった。
自分が報告を受けたときは、大群が押し寄せ、当直の者たちでは対処しきれないと言っていたはずだ。
港、という、水路の移動を司る町の重要性を考え、わざわざ隊長にまで連絡したというのに、目の前の男にはすでに緊張感もない。
前線を放棄し、町の外から眺めるだけ。
「隊長、申し訳ありません。休暇中に、」
流石にこれは自分の落ち度なのだろう。
背後でサラと町を眺めるイオリに振り返る。
面白くないと言ってしまえばそうだが、この場合、止むを得ない。
「……? 隊長?」
嫌味の一つでも飛んでくると腹をくくっていたカリスに、いつものように遠くを見るような瞳を携えたイオリが無言を返した。
その瞳のまま、彼女は町を眺めている。
その姿は、例え目の上のたんこぶであったとしても、カリスがイオリを隊長と認めている由縁の一つ。
以前、皮肉の意味も込めてイオリに何故そうも先を見透かすような表情ができるのか、と聞いたことがあった。
帰ってきたのは、イオリの苦笑交じりの台詞。
彼女は、“未来を視た”などと言い出した。
普段理路整然としているイオリが言い出したそれを、何を馬鹿なと思っていたのもいつのことだったか。
彼女は本当に、大局を読み切っている。
属性は違うのに、あたかも、話に聞く月輪属性の実力者のような予知能力。
しかも、ほぼ正確な。
それが、自分と十ほども離れた年下の少女を隊長と認めざるを得ない理由だ。
それを言い出したとき、イオリは、今のような表情を浮かべていた。
凛とし、それでいて儚げな、こんな表情を。
「……っ、」
「……?」
しかしイオリの表情が、僅かに曇った。
何事かとその視線を追えば、町に入り込まんとする魔物、そして、それと戦っている数名の隊員。
「……?」
だが、その隊員の向こう、一瞬、銀の閃光が走った。
おかしい。
自分たちの隊には、こんな片田舎の地方を警護する隊には、月輪属性などという希少種はいなかったはずだ。
「……!?」
とりあえずは仕事だ、と、カリスは町に進もうとし、しかし止まった。
必要ない。
あの魔物の群れの討伐に、自分たちは出る幕がなかった。
「あ、れ、あの人たちは……?」
サラも馬から降り、カリスに並ぶ。
そして同じく足を止めた。
二人が並んで見るその先、すでに雌雄は決している。
紅い着物を羽織った女性が一瞬で魔物との距離を詰めたかと思えば、イエローの一閃が走り、対象に死を与える。
身体の大きな魔物がいきり立ち、腕を振り上げたかと思えばその腹部に拳激がスカーレットに爆ぜる。
スカイブルーがどこからともなく撃ち込まれ、遠方で魔術を唱えようとしていた魔物が吹き飛ぶ。
仲間の次々の爆発に、筋力にあかせて暴れ回った魔物たちは、近くにいた女性に殴られ蹴られ、その腕につかまった魔物はライトグリーンの光を漏らして小規模な爆発を起こす。
その事態に逃げ出そうとした魔物は、鋭いシルバーの閃光に貫かれ、逃亡さえ許されない。
そして、その奥。
唯一の男が、動きの鈍った魔物を切り裂けば、曇り空の下にオレンジが爆ぜる。
「……っ、」
あの魔力を使える者は、この隊にはいないはずだ。
いや、それどころか、この国にはいない。
オレンジの、日輪属性の魔力を宿す者など。
「勇……者、様……?」
「ああ、そうらしい」
隣のサラが漏らした言葉を、カリスは重々しく頷いて肯定した。
日輪属性。
それは、勇者であるのとほぼ同義だ。
そして仲間もいる。
彼らはもしかしたら、ヨーテンガースに乗り込むつもりでこの港町を訪れたのかもしれない。
「……、」
だが、流石に、強い。
カリスは彼らの動きに喉を鳴らした。
雑多に種類が入り乱れる魔物の群れの中、相性に影響を受けない日輪属性の勇者の一撃は、効率がいい。攻撃範囲の敵を、選ばずに攻撃することができている。
そして、近距離で戦っている火曜属性と金曜属性の少女。彼女らも、動きは熟練者だ。
遠距離で戦っている水曜属性の少女はまずまず、と言ったところだが、それでも適時に魔力を飛ばして魔物を屠っている。
ただ、そんな中。
カリ。
そんな音が隣から聞こえていた。
「……!」
音の発生源では、イオリが、親指の爪を強く噛み、眉を寄せていた。
そして視線は、カリスと同じ二人に向いている。
「隊長、あの二人、どう思われますか……?」
恐らく自分と同じ評価をしているであろうイオリに、カリスは短くそれを問うた。
視線の先には、まるで災害にでもあっているように無抵抗に爆発していく魔物たち。
そして、それを演出している、“特に二人の女性”。
「あれ……、すご……、」
またもサラから声が漏れた。
ただ静かに戦闘を眺めるイオリの手前、うろたえたくはないがカリスもサラがいなければ同じことを口にしていたかもしれない。
日輪属性の者がそこにいて、それ以外に目が行く経験などそうはないだろう。
だがそれほどに、完成しきっている、月輪属性と木曜属性の二人。
あの二人の顔を、見たこともない。
あれは、異常だ。
戦歴のない者がその光景を見れば、ただ勇者たちが魔物を倒しているようにしか見えないだろう。
だが、経験を積んだ者、例えば魔術師隊にいるような者が見れば、その異様さが分かる。
あの二人だけが、突出して強い。
それこそ、どちらか一人でもいれば村の平和が永久に約束されると思えるほどに。
もしかしたら、いや、間違いなく。
カリスは確信を持って隣のイオリを盗み見た。
認めたいかどうかはさておき、単純に戦闘力だけを考えれば、カリスよりイオリの方が上だ。
だが、そのイオリと、この地方を管轄する魔術師隊の長と比べても、あの二人は、
「……隊長?」
「……、いや、なんでもない」
カリスはイオリを嘲るような瞳を向けた。
大方、この地方の最強を自負するイオリは、目の前の二人との実力差を感じ茫然自失しているのだろう。
イオリは、カリスのそんな視線を受け、その意味も理解し、しかし呆然とすることを止めなかった。
何故、
「何であんな人たちが……、何で今まで、」
イオリが浮かべた疑問に似た言葉を、サラが吐き出した。
確かに考えられない。
あのレベルの実力者が、もぐりで存在しているなどということは。
「“わけあり”……、なのだろう」
カリスは小さく笑うと、のそのそと町に近づいていく。
仕事に対しては実直な男にしては珍しい緩慢な動き。
だが、それでも十分だ。
すでに魔物は全て滅してしまっているのだから。
―――**―――
「いやいやいやっ―――むぐっ!?」
「エレねー、最近早いっすよね、それ」
「私は国家の安静に協力しているだけよ」
エレナは隣のティアの口を塞いだ手に力を込めたまま、冷ややかな瞳を奥の事務机に座る女性に向けた。
女性は目を瞑り、指を組んで沈黙している。
港町に到着するなり魔物の群れの強襲を受けた“勇者様御一行”は、その討伐が終わった直後に駆けつけてきた魔術師隊に案内され、ウォルファールに設置されたセーフハウスに通されていた。
膝ほどの高さの机を囲んだ横に長いソファー。
そこに三人ずつに分かれて座り、面々は部屋に視線を泳がせている。
お世辞にも華やかとは言えない質素な作りのその部屋に、アンティーク類はほとんど置かれていない。
せいぜい、奥の事務机の両脇に観葉植物が、せめてと置かれているくらいだ。
奥の机には沈黙を守る少女が目を瞑り、その対面のドアの両脇には眼鏡の男性と金髪の女性が姿勢を正して直立している。
「なあ……、俺たち、良いことしたんだよな?」
「え、ええ、そのはずだけど……、」
重苦しい雰囲気に、アキラは声を漏らした。
隣に座るエリーから返答がくるも、どうしてもこの沈黙が身体中にのしかかる。
対面のエレナやマリスの表情は、流石と言うべきか変わらないが、称えられるのかと意気揚々とここに訪れたアキラの顔は不安げに落ち込み始めていた。
九人もの人間が密集するこの部屋の空気は、どこか、重い。
彼らは、国仕えの魔術師隊なのだ。
アキラにとって、軍隊などというものは初めて会う存在。
頭が固いなどと言われ、規律が厳しいと受け取っていただけあって、冗談の一つも言えないのではという印象がどうしても脳裏にちらつく。
「そろそろ話を始めてもらいたいのだが、」
そんなアキラの様子を見て取ったサクが、鋭い目つきのまま奥に座る女性を見やった。
ドアの両脇に立つ男女とはここに通される際、僅かな言葉を交わしたが、奥の女性、恐らく隊長と思われる者は何一つ言葉を発さない。
ただ目を瞑り、何かを考え続けているようだった。
しかし、それにしても、若い。
「た、隊長……、」
「あ、ああ、すまない」
ドアの脇に立った、サラというらしい女性が不安げに隊長に声をかける。
彼女もまた、どうやらこの重苦しい雰囲気に耐えかねたようだった。
「ようこそモルオールへ……、と言った方がいいかな?」
この重苦しい雰囲気の元凶、事務机に座った隊長がようやく目を開いた。
だが、やはりどこか儚げな目を向けてくる。
それでいて、アキラたちの反応を見定めるように。
だが、それきりまた口を閉ざしてしまった。
「隊長、ご気分が悪いようでしたら、私が」
とうとう我慢できず、カリスは一歩前に踏み出した。
勇者様たちの視線が、自分一人に全て向く。
井の中の蛙が大海を知ったのであろう。
やはり、あの歳で隊長など無理だったのだ。
ようやくイオリが見せた隙に、そんな嘲るような視線を向け、カリスは得意げな表情を浮かべる。
「改めまして、私はモルオール第十九魔術師隊、副隊長のカリス=ウォールマンです。町の危機を救っていただき、“隊を代表し”、お礼申し上げます」
そのしっかりとした口調に勇者たちは居住まいを正し、隣のサラは不満げな顔を向ける。
だが今、イオリは何の頼りにもなっていないのは、サラとて分かっているのだろう。
カリスは下げた頭の下、小さく笑い、表情を引き締め、勇者を直視した。
「勇者様とお見受けしますが、お名前を覗ってよろしいでしょうか」
「あ、えっと、」
口々に自己紹介をする勇者一行の名前を正確に記憶しながら、カリスはちらりとイオリを見た。
聞いているのかいないのか、イオリは未だ、指を組んで目を瞑っている。
「……、ヒダマリ=アキラです」
アキラは、自分の番が済み、他の者が自己紹介をしている間、事務机で思考を進めている少女を眺めていた。
眉を寄せ、ひたすらに思考を進めているようだ。
どこか固い印象を受けるその少女は、若い。
魔術師隊の隊長は魔道士。
アキラは以前、そう聞いた。
ゆえに、あの少女に違和感を覚えることは自然だ。
だが、それ以前に、何か、妙な感覚を起こしていた。
顔は、見たこともないはずだ。
リビリスアークから大分離れた場所を管轄する魔術師隊長など、知るはずもない。
それなのに、何か親近感のようなものを覚える。
その原因を模索しようにも、アキラの頭に答えは一向に浮かんでこなかった。
「そうなのですか、しかし……、サラ」
「はっ、はい!」
同じように眉を寄せていたアキラの思考は、サラと呼ばれた女性のはっきりとした口調に遮られた。
「ええとですね、港はしばらく閉鎖するそうです。魔物の被害が、思ったよりも酷かったらしくて、」
「う……、わわわっ!!?」
サラの言葉に、ティアは身をすくめた。
エレナが魔物の掃討をするときに、ティアに『今から使う港だけは死守しなさい!!』と叫んでいたのをアキラは覚えている。
どうやら今は、自分たちが中央の大陸を目指しているという話をしているらしい。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「エレねーのせいでノイローゼになりかけてるじゃないっすか……、」
「でも……、“魔術師隊の副隊長ともあろう方”なら何とかできるんじゃありませんか? 私たち……、その、とても急いでるんです」
そんなティアを完全に無視し、エレナはカリスに媚びるような視線を向けていた。
小さく身体を竦ませ、整った指をその胸の前で可愛らしく組ませる。
もしエレナが立っていれば、カリスにしな垂れかかっていたかもしれない。
ピンポイントでカリスが喜ぶような台詞を口に出し、その副隊長の表情が僅かに動いたのだから、効果はあるようだ。
だが、久しぶりに見た気がするエレナのその仕草も、アキラはどこか遠く見ていた。
やはりどうしても、あの少女が気になる。
あの少女は、色気を醸し出すエレナや、隣に座るエリーとすら比べても、決定的に何かが違う。
一体、
「……すまないが、」
アキラが視線を向けていた少女が、途端立ち上がった。
そしてアキラと視線がぶつかると、神妙な顔をして目を細める。
「アキラ。君と話がしたい」
「へ?」
「隊長!! 言葉を、」
“勇者様”を途端呼び捨てにしたイオリを、カリスは地位を忘れ睨みつけた。
自己紹介は聞いていたらしいが、あまりに礼儀がなっていないのだから当然だと言わんばかりのカリスの視線。
しかしイオリは、そんな視線も意に介さず、アキラだけを見やる。
「えっと、俺?」
「ああ。二人だけで、だ」
アキラに返ってきたのは、重みのある口調。
何やら雰囲気が尋常ではない。
年頃の少女に話しかけられ、喜べなかったのは初めてかもしれない。
「カリス、サラ。すまないが、少しの間こちらの方々の相手をしていてくれないか? 向こうの部屋を使わせてもらう」
「……、ええ、どうぞ」
睨むばかりで言葉を返さなかったカリスの代わりにサラが声を出す。
サラも初めて感じるイオリの雰囲気にのまれ、おぼつかない足取りで道を開けた。
「アキラ。来てくれ」
「あ、ああ……、」
「ちょっと、大丈夫なの?」
「多分、な」
立ち上がろうとしたところで声をかけてきたエリーに頷き返し、アキラはドアを開けて待つ少女の元へ向かった。
大丈夫かどうかの保証はないが、自分の覚えている違和感もある。
とりあえずは、行ってみなければ。
―――**―――
「とりあえず、座ってくれ」
先の部屋よりさらに小さい応接間に通され、アキラは指された椅子に座った。
ソファーの感触とはほど遠い、冷たく硬い木の椅子は、粗雑に扱われているのか腰を下ろしただけで軋みを上げる。
小さなテーブルを挟んだ反対側、同じように腰を下ろした少女はただただ冷静な瞳をアキラに向けてきた。
最早個室と表現できるその部屋で、二人の視線が交差する。
もしかしたらここは、応接室というより、面接室か何かであるのかもしれない。
「向こうのこともある。手短に用件だけ伝えよう。先に……、いや、そうだな、」
「……?」
アキラを前に、言い淀む少女は何度も首を振った。
こういう表情をする人間は、どういう種類の人間がアキラは知っている。
この世界に来たばかりの自分と同じく、自分の持つ情報を整理できていない人間だ。
「えっと、まず、名前を、」
「…………、そう、か」
再び目をつむり、少女はゆっくりとそれを開いた。
ようやく、情報を整理できたようだ。
「……いや、今まで重苦しく接していてすまなかった。君たちの戦いを見て、深く感銘を受けていてね」
表情を緩め、少女は微笑んだ。
「ぼ……、僕はモルオール第十九魔術師隊、隊長のホンジョウ=イオリだ」
「……!」
今まで混乱に満ちていた表情から一変し、イオリはまっすぐな視線をアキラに向けてきた。
だが、少し言い淀んで。
ただその一人称に、アキラの身体はピクリと動く。
「“僕”……?」
「あ、ああ……、おかしいと思うかな?」
「すごく、いいと思います」
予想通りのアキラの反応に、イオリは小さくため息を吐いていた。
女性がこの一人称を使うだけで、喜ぶ人は大勢いる。
アキラも当然、その一人だった。
「えっと、イオリ、さん?」
「イオリで構わないさ。君は勇者だろう」
「お、おお、」
イオリの静かな返答に、アキラはようやく体が温まってきた。
もしかしたら重い空気というのは自分の考え過ぎで、これは勇者スキルが発動しているのではないだろうか。
「それより、」
「?」
「他に、気づくことはないかな?」
「他?」
「そう、他に」
アキラが考えることを放棄するような表情を浮かべたのを見て、イオリはまたも、盛大にため息を吐いた。
そして、机の上のペンと紙を手元に引き寄せる。
「アキラ。君の名前をここに書いてみてくれるか」
「……? あ、ああ、いいけど、」
その儀式に何の意味があるのだろう。
アキラはペンの感触を久しぶりに感じながら名前を綴る。
「……うん、ありがとう」
イオリはアキラからペンを受け取ると、紙に何かを書き込み始めた。
「勿体つけていても仕方ない。アキラ。僕の名前を言ってみてくれないか?」
「え、いや、イオリ、なんだろ?」
「フルネームで、さ」
「……?」
アキラが先の会話を頭で反芻させる間もなく、イオリは何かを書きつづった紙をアキラ側に向けた。
そこには、
「“本城伊織”。これが、僕の名前だ」
「……、え、」
この異世界に来て、アキラはご都合主義そのままに、言葉を話せ、字が読めていた。
文字の作りが違うのに、目を通しただけで“意味”が頭の中に入ってくる。
ここは、そんな異世界来訪者に優しい世界。
だが、今目の前にあるものを読むのに、そんな補正は必要なかった。
“日溜明”の隣にある、その、名前。
「君も、“そう”なんだろう?」
イオリの言うそれが、“ここを異世界と捉えているもの”だとアキラが理解するのに時間は必要なかった。
―――**―――
「あれ?」
「私ならここにいますっ!!」
「うん、見えてるわよ」
応接間に戻ってきたエリーは、ソファーから元気よく立ち上がったティアにさらりと一言返した。
結局、エレナが粘ってみても港の使用は物理的に不可能だった。
面々は、港復活までこのセーフハウスを無償で提供されることになり、今は当てがわれた部屋に荷物を置いてきた帰り。
エリーはてっきりみんなここに集まっていると思っていたのだが、待っていたのは恐らく言伝を頼まれたティアのみだった。
「みんなは?」
「はっ!! エレお姉さまは買い物に、マリにゃんとサッキュンは買い出しに行っております!!」
びしっと敬礼し、役目を果たしたと満足げな表情を浮かべるティア。
向かう先は同じはずの二組を分けて表現したのは、間違いなく、エレナは遊びに出歩いているからなのだろう。
ついでに言うなら、自分が買い出しに誘われなかったのは騒がしいティアの面倒を任されたとしか思えない。
だが、エリーが最も知りたかった人間の行方を、ティアは口にしなかった。
「えっと、あいつは?」
「ああ、アッキーならイオリンの所に行きましたっ!!」
よくもまあ出会ったばかりの人間に愛称をつけられるものだ。しかも、魔道士に。
部屋に反響するようなティアの言葉に、エリーは呆れ半分に感心するも、眉をひそめた。
一体、何の話をしているというのだろう。
「そだっ、エリにゃん! ヒマならあっしと依頼受けに行きましょう!」
「暇って……、ちょっ!?」
ようやく任を終え、開放されたティアは駆け出さんばかりの勢いでエリーの手を引く。
旅にティアが加わってからは、いつもこうなっていた。
依頼を受けて仕事する、というのが物珍しいのか、疲れを知らないように酒場と現場を往復している。
時間が許す限り、アキラ、エリー、サクの班と、マリス、エレナの班の両方に参加しているのだからかなりのものだ。
“七曜の魔術師”で魔王を倒すなどという胡散臭い話。
本当に、お決まりすぎる話に、アキラですら怪訝な表情を浮かべたというのに、ティアは使命に燃えまくっていた。
「ま……、いっか」
確かにそういう話は、“お約束”だ。
お約束過ぎて、疑念は浮かぶも、ある種の納得感がある。
エリーは手を引くティアに身を任せ、宿舎の廊下を走っていった。
―――**―――
「二年も前からかよ!?」
「ああ。森で倒れていたところを、あのサラに救われてね」
イオリは変わらず冷静な口調を携え、手元のカップを啜った。
その様子に、ようやくアキラは自分が覚えていた違和感の原因をかぎ取ることができた。
イオリは、同じなのだ。
その容姿、その雰囲気が、アキラの元の世界の女性と同じ。エリーやエレナとは、微妙に違うのだ。
強いて言うなればサクが近いが、やはり元の世界の独特さ、というものがある。
それにアキラは、やはり親近感というものを覚えてしまう。
それこそ、荷を置いてすぐ、にここに駆け込むほどに。
「?」
「い、いや、なんでも、」
イオリにまっすぐ向けていた視線を、アキラは外へ逃がす。
改めて通されたのは、このセーフハウスの司令室のようだった。
神経質さを感じさせるこの部屋には、シンメトリーを意識しているのか完全な中央に机が置かれ、それを挟んでアキラとイオリは椅子に座っている。
部屋の両脇に置かれた本棚にも、完全に種分けされて本が並んでいた。
奥の事務机の上も整頓され、曇り空が見える窓の淵にも埃一つないようだ。
かなりの潔癖症ならば、こういう部屋になるだろう。
「……、誤解しているかもしれないが、ここは僕の部屋ではないよ」
「……! あ、ああ、そうなのか?」
あまりにきょろきょろ視線を泳がせていたアキラに、イオリは眉を寄せた。
「このセーフハウスに僕の部屋はなくてね。ここは副隊長のカリスにほとんど任せてあるんだ」
先ほどイオリが使用の許可を求めていた男を思い出す。
あの神経質そうなカリスは、僅かに眉を寄せていた。
しかし、イオリの、隊長の命には従うのだ。
「でもさ、すごくないか? 魔道士、なんだろ?」
「そうでもないさ。どうやらこの世界は優しくてね……。僕は魔力がかなりあったらしい」
謙遜だ。
何てことのないように出てきたイオリの一言に、アキラは胸の奥に一滴のしずくが落ち、その波紋が広がった。
旅の道中、エリーやマリスから魔道士というものがどういうものかを聞いた。
まず、魔術師試験。
それは、記述式の試験から実戦の試験までと範囲が広く、そして深い。
その合格者は魔術師隊に配属され、多くの経験を積むことになる。
そして魔術師たちは、その魔術師隊で多くの経験を積み、魔道士を目指すのだが、この魔道士がかなりのネックになるのだ。
魔術師試験よりも範囲が広く、より実務的な内容も組み込まれることになる、魔道士試験。
しかも、知識だけでどのようになるものでもなく、魔術師隊での実績も問われることとなる。
そうした多くの経験と実績を携えることで、ようやく到達できるのが魔道士だ。
最短ルート上最も厄介な実績は世界の優しさが零した魔力の高さとやらでパスしたとしても、試験の方はどうしようもない。
来訪者からしてみれば未知の学問に挑まなくてはならないのだから、そちらの方はこちらの世界の住人の方に大きく優位が傾くこととなる。
通常の者ならば、全課程を終わらせるのに、十年かそれ以上。
目の前のイオリは、それをたった二年でパスしたことになる。
「やっぱすごいだろ、それ」
「そうでもないさ。……世界に必死に順応しようとした結果だからね。……運も、良かった」
優雅ささえ感じられる動作で、再びイオリはカップに口を付けた。
優等生の余裕がにじみ出ているような気さえする。
また、アキラの中で波紋が広がった。
「それより、君の話を聞かせてくれないか?」
来た。
「俺は別に……、だよ」
「それこそ、だろう? 君は勇者で、こうしてここにいるんだから」
イオリは、ずい、と身を乗り出し、アキラに顔を近づけてきた。
どうもその瞳は、好奇心一色で染まっているようだ。
この、好奇心。
探求力とも言い換えられるもの。
それが、彼女がこの世界で、魔道士まで上り詰めた力かもしれない。
それをアキラは持ち合わせておらず、そしてそれに応えられるものも持っていなかった。
「俺は……、」
そんなアキラは、開いた口を、閉じただけだった。
イオリがこの世界に訪れて、二年。
対してアキラは一か月を超えるほど。
しかし、その月日だけを“言い訳”にできないほど、アキラとイオリには差があった。
アキラは、この世界を旅している。
旅の道中、仲間を得て。
それこそ、RPGのように。
だがそれは、本当に、自分の力だろうか。
ごり押しで、強引に魔王を倒しに向かっている。
その行為自体、意味はあるのだろう。
ヘヴンズゲートで見た、あの大衆を救う旅なのだから。
だが、世界の優しさが零したしずくだけを寄りどころに、アキラは漫然と日々を生きてきた。
ご都合主義の世界。
そこは優しく、キラキラと輝いている。
だが、そうだとするのなら、アキラの価値は何なのだろう。
仲間の全員が向いているのは、アキラではなく、アキラの力なのだ。
そうであるなら、あの力は、一体、
「っ……、」
「?」
駄目だ。
アキラは頭に浮かんだ考えを打ち消した。
この考え方は、物語に陰りを落とす。
「頼むよ。どうしても、聞きたいんだ」
「……?」
そこで。
アキラはイオリの表情がいつしか必死になっているのを感じた。
その表情が、優しい世界を暴こうとする侵略者に見え、アキラはそんな妄想を打ち消す。
彼女は、一人称が“僕”の、新たな登場人物。
今までだって、そうやって考えてきたのだ。
裏など、ない。
「頼む、アキラ。君の辿った軌跡を、僕は知りたい」
「……?」
だが、彼女が口を開くたびに、その違和感が押し寄せてきた。
彼女は、理知的で、聡明だ。
彼女に自分の物語を見てもらうと、一体どういう形をしているのか。
きっと、自分は、愚かな存在と思われるかもしれない。
それを知るのが、アキラは恐いと感じていた。
そんな、劣等感。
だが、それとは別の違和感。
彼女の持つ、好奇心。
それが、何故か今、歪に見えた。
彼女は、結論を急いでいるようにも見える。
「っ、分かった。まずは、」
これ以上彼女と話していると、自分も物語の裏を探ろうとしてしまう。
そう考えて、アキラは口を開くことで、それを解消した。
陰りなどないはずの、自分の物語。
その前提条件を、はっきりさせるために。
まず、リビリスアークでアキラは双子に出会った。
塔から落ちてきた自分は、思い出したくはないが、双子の姉と婚約することになる。
そして、マリスと屋上で出会う。
目が覚めた自分は、記憶が曖昧になっていた。
勇者の試験とやらで、巨大マーチュと戦う。
そこで、自分に力が眠っていたことに気づくというご都合主義が発動。
次は、サクだ。
長らく滞在していたリビリスアークで、サクが勇者の被害にあったといきり立ち、決闘を申し込んできた。
そこで乱入してきたアシッドナーガと戦い、再び銃の力で迎撃。
そのあとは、消し飛んだマーチュの山を越え、スライムの山も吹き飛ばし、強引ともいえるルートでクロンクランに到着。
エレナとはそのときに邂逅した。
クロンクランでの、異常事態のマザースフィアや、“知恵持ちの”オーガースと戦う。
肩の痛みと別れを告げることになったのは、このときだ。
そのあと自分は、朝の鍛錬に顔を出すようになり、エリーに魔術を、サクに剣を学ぶ。
そして、ティアと出会い、魔族のリイザスとの戦い。
最後は、ヘヴンズゲートで神との面会だ。
カリ。
「……?」
アキラが適当に要約したにすぎない物語に、イオリが起こしたリアクションは、右の親指の爪を噛む仕草。
そして、思考を進める表情。
この表情は、先ほども見た。
何かをシミュレーションしている顔だ。
頼むから、この物語に影を落とさないでくれ。
そんな祈るような表情を、アキラはイオリに向けていた。
「ご都合主義すぎる、ってか?」
「……、」
先を読んで、アキラはあえて言葉に出した。
この物語には裏がある。
彼女の口からは、“そう”聞きたくない。
「……、いや、そうではないさ」
だが、彼女から返ってきたのは、アキラの予想に反していた。
どうやら、シミュレーションは終わったらしい。
「確かに都合のいい物語だとは思うが、その推測は意味をなさない」
「?」
イオリは、さらりと言葉を吐き出した。
「君はそういう星の下に生まれた。そう考えるだけで十分だ。何せ異世界に来たんだ。それぐらいの偶然の乱立は起こり得るだろう」
まるで、答えをとっくに用意していたかのように。
だが、その答えにアキラはほっと胸を撫で下ろした。
「月輪属性の者が“時”を司るのに対し、日輪属性は“刻”を司る。そういうことなんだよ」
「? ……同じじゃねーか」
「言葉が難しいな……、日輪属性が刻むのは、時間の“時”ではなく、“刻”だ」
一度自分の物語が肯定されて、気分が楽になったアキラは、途端妙なことを口に出したイオリに顔を向ける。
「君が巻き込まれた騒動や、君と仲間たちの出会い。それらは、君がその場所に行った“時間”に起こったことじゃない。“君がそこに行くことを条件”に、起こったこと。僕はそう考えている」
イオリの見解。
それは、あらゆる伏線は、必然的にアキラと出会うことになっていた、というものだ。
アキラはそう理解した。
それは、非現実的だ。
例えば自分がクロンクランに行かなければ、エレナはあの場におらず、サーカスの騒ぎも起こらなかった、と考えることになる。
だが、そう考える方が、物語は成立し得る。
物語の主人公が、仲間と出会うことは運命づけられていく、と。
肯定されていくご都合主義。
アキラは、身体が僅かに震えるのを感じた。
だが、何故か手放しで喜べない。
イオリの口調が、あまりに軽かった。
それこそ、どうでもいい、とでも言いたいように。
「例えば君は、ここでも“刻”を刻んでいる。君たちが探している“最後のピース”。土曜属性の魔術師が、今目の前にいるんだからね」
「……!」
やはりあっさりと、イオリは告げた。
イオリが、土曜属性の魔術師。
「お前さ、そういうことよく分かるな」
「調べただけさ。それより、」
ほら、まただ。
イオリは、何か、急いている。
「マリサス、そして、エレナ。彼女たちのことを、詳しく聞かせてもらえないかな?」
「……、どうしてだよ?」
「純粋な興味、だよ。あのレベルの者がここにいる、と純粋に受け止めるには、僕はこの世界に染まりすぎている」
それが本題か。
アキラは胸の波紋がまた広がったのを感じた。
イオリの言葉は上っ面のものだけだ。
本当の狙いは、他にある。
何故かアキラにはそう思えた。
「なんなら、“俺の力”も、か?」
「っ、」
アキラが試しに口に出した、“同じジャンルの話題”に、イオリは正直に反応した。
そして再び目を閉じる。
どうやら、予期せぬ事態が起こると彼女はシミュレーションをしなければならないらしい。
だがそれで、今度こそ。
自分の力と、あの超人二人が同じ枠でくくられた。
「……、」
イオリはまだ、目を瞑っている。
一体何なのだろう。
彼女の、この、“間”は。
「……ああ、そうだね。君が言うように、この物語が形を成しているのなら、その三つは不自然だ」
口を開いたイオリは、再び冷静さを取り戻していた。
だが、彼女が置き去りにした“焦り”は、アキラの心に残ってしまう。
避けようとしていたのに、避け続けていたのに。
アキラは、この物語を深く追い始めてしまった。
自分の銃、マリス、そして、エレナ。
この三つは、確かに不自然だ。
最強カードが三枚も、物語の序盤から登場しているのだから。
この物語が、アキラが育ち、勇者によって魔王が討たれるものだとする。
そうだとするのなら、展開は早すぎだ。
あの力たちは、旅を楽にしているが、成長を阻害している。
以前、エリーも指摘していたことだ。
そして、決定的に奇妙さが目立ったのは。
「……、」
ティアという少女との出会い。
アキラは“陰り”に侵入していった。
言い方は悪いが、現段階で戦力的に不安な彼女が仲間になる意味が分からない。
確かに彼女は、成長している。
だが、今自分たちは、まっすぐに魔王の牙城を目指しているのだ。
回復役が増えたのは、意味があることなのだろう。
だが、マリスがいる時点で、その必要性がない。
仲間とは、今の自分たちと同等か、それ以上の力を持っているべきなのだろうから。
マリスとエレナがいる時点で、自分たちは戦力補給しなくともいいのだ。
必要性。
それは、アキラが“刻”を刻んでいるというのなら、存在していなければならない。
物語としては、完結しても、歪な形をしている。
駄目だ。
アキラはまた、思考から這いずり出た。
物語がないとするのならご都合主義が陰り、物語があるとするのならティアの存在が陰る。
どちらを立てればいいのだろう。
「アキラ?」
「っ、いや、何でも、」
自分は死にそうな顔でもしていたのだろうか。
目の前のイオリは、眉を寄せ、ため息一つを残して席を立った。
どうやら、カップが空になったらしい。
「まあ、あまり深く考えない方がいいかもね。正直なところ、僕も“総てが分かっているわけじゃない”」
「……?」
部屋の角に設置された給湯場に立つイオリの表情は、見えない。
だが、彼女の言い回しが、アキラは今まで以上に気になった。
彼女は、何かを知っているのではないだろうか。
「さて、アキラ」
イオリはくるりと振り返り、アキラをまっすぐに見据えてきた。
「君は“刻”を刻む、日輪属性の勇者。そう考えるなら、何か、起こりそうじゃないか?」
「どういう意味だよ?」
「言った通りの意味さ。君がここを訪れたなら、何か事件が起こる。……、ああ、君を責めているわけじゃない。君が訪れなければ、それは“刻”に選ばれなかった事件として、やはり発生するんだろうからね」
「だけど、」
「ああ、ここは君に選ばれた“刻”を刻む。そう思わないかな?」
確かに、思う。
ここは今まで旅して回ってきた村とは違い、イオリという存在がいる重要な場所だ。
これを物語とするならば、ここで、何かが起きる、はず。
だが、イオリは、理路整然としているわりに、何故、こんな理論が破たんするようなことを言い出しているのだろう。
それも、確信を持って。
「さっきの、港襲撃は?」
「あれは序章に過ぎない。そう、僕は思う」
僕は思う。
そう付け足しているわりに、イオリは変わらず確信している。
何かが起こる、と。
一体なんなのだろう。
この、イオリに覚える違和感は。
アキラにとって重要そうなことをさらりと言うわりには、物語の形が歪なことには執着を見せる。
同じ世界からやってきて、何故こうも、自分と彼女の視点は違うのだろう。
それもやはり、彼女が何かを知っているから、なのだろうか。
だが、それは聞けない。
イオリの裏は、もしかしたら、アキラにとって見たくない、世界の裏側かもしれないのだから。
「……」
何となく。
彼女が信用できない。
初めてだ。
歳が近しい女性に出会って、こんな感情を抱くのは。
思春期を抜け切れていないアキラは、女性との出会いに、いつだって胸躍っていたではないか。
それなのに、彼女は、何か、恐い。
この恐さを拭うには、アキラも、世界の闇に飛び込んでいかなければならないのだろうか。
「とにかく、備えていてくれると助かる。みんなにもそう伝えてくれ」
「なあ……、」
確信に満ちたイオリの目を、まっすぐアキラは見返した。
彼女が一体何者なのか。
それだけは、知りたい。
「もし、俺が主人公なら……、お前は一体何なんだよ?」
イオリは、またも、目を伏せた。
そして再び目を開けた彼女の瞳は、どこか寂しげで、
「君に巻き込まれた登場人物。“わがまま”な、ね」
何故か、最も心に残った。
―――**―――
「っ、」
副隊長のカリスは、纏っていたローブを強引にベッドに投げつけた。
ようやく本日の当直時間を終え、今はプライベートの時間。
実直である必要はない。
「ふぅ、」
投げつけて憤りが収まったのか、カリスは丸まったローブのしわを丁寧に伸ばし、几帳面にラックにかける。
全ての物が整然かつ機能的に置かれたその部屋は、書物や仕事の資料の数にしては、異様に広く見える。
ここは勇者様が寝泊りしているウォルフォールの港町から離れた町の、隊員の宿舎。
大して広くもないあの場所に、イオリが手元に置きたがったサラを含めて計八人もの人間が寝泊りするのだから、カリスは自動的にあの場所から追い払われる形となった。
何故、自分が勇者様の元にいられないのか。
自分は勇者様のために、港の回復を急かし、一日中尽力していたというのに。
「……、」
だがそれは、言うまでもなく、カリスにとって目の上のたんこぶであるあの隊長様のせいだ。
将を射んと欲すればまず馬から、と、自分が勇者様の仲間の信頼を勝ち取っている間に、あの女はいきなり勇者様を懐柔していたのだ。
これでは、この魔術師隊で最も評価が高いのは、間違いなくイオリであろう。
マリスとエレナという存在の、異常な完成度に放心していると思って油断していれば、あっという間に輪の中に入っている。
そしてその上で、イオリが言い出したこと。
勇者様の護衛の要請で、自分も旅に出る、というのだ。
その大義名分があれば、確かに隊長という立場でもそれが可能である。
だが、大方隊長という責務に限界が来て、逃げ出したいとでも思っているのだろう。
そして、その繰り上がりで、カリスは隊長に昇格する。
その繰り上がりで、だ。
事実だけを見れば、念願叶って隊長だ。
魔道士なのにもかかわらず、副隊長という地位に甘んじてきた日々から解放される。
だが、隊長の我がままのせいで、明日から引き継ぎ事項で残業の毎日が始まるのだ。
いつだってそうだ。
自分の功績は、誰も認めない。
近くに、その功績総てを引き寄せてしまう隊長様がいるせいで。
「っ、」
カリスは乱暴にラックから酒を取り出すと、グラスを粗雑に引き寄せ溢れるのもかまわずそれを勢いよく注いだ。
丁寧すぎるほど手入れされた白いカーペットに染みができるも、酒をあおった直後にまた注ぐ。
気に入らない。
酒をあおったからか、カリスの心にその言葉が素直に浮かんできた。
あの女はいつもそうだ。
自分の僅かな隙に付け込み、手柄を立てる。
まるで、遥か高みから見下ろし、細かい隙間にピンポイントで入り込んでくるように。
『十分だ。だが、完璧ではないな。君ではその程度なのだろう』
聞いたこともないはずなのに、イオリはいつもそうカリスに語りかけているような気がしてくる。
隊員たちは駄目だ。
イオリのその聡明さに、若い女性の下で働く抵抗があるとはいえ、従順になっている。
だが、何故誰も疑問に思わないのだろう。
あんな奇妙な存在を。
イオリの経歴を調べたことがある。
だが、その一切は謎に包まれ、サラの実家、ルーティフォン家の推薦で入隊の儀も滞りなく行われたそうだ。
疑わしい。
疑わしすぎる。
別に、身元不明など、珍しいことではない。
魔物に村を滅ぼされる者も多いのだ。
そこから魔術師になった者など、溢れるほどいる。
彼女もそのクチなのだろう。
そして有能ならば、魔道士になり、国を守れる。
叩き上げで魔道士になれるのならば、大したものだ。
十分に称賛に値する。それこそ、港町の自分の部屋を提供できるくらいには。
「……、」
そう、今まで納得していた。
だが何故か今日は怒りが収まらない。
イオリと初めて出会った日は、未だに思い起こせる。
新設の隊に配属されると知って、嬉々としてこの町を訪れた。
魔道士である自分が片田舎の隊に配属されるのだ。しかも、自分の地元に。
それは当然、隊長の地位に就くことを意味している。
他の魔道士と比べ、成績が伸び悩んでいたカリスにとって、その話は目から鱗だった。
だが、それは最高の提案だった。
自分の実力が生かされるのは、前線ではなく、知力を活かした作戦を立てられる場所。
つまり、隊長だ。
しかも、隊はゼロから作り上げることができる。
潔癖なカリスには、最高の場面が用意されていた。
だが、飛びこむように訪れた隊長室。
そこにはすでに、総てを見透かしたような少女が座っていた。
親しげに含み笑いをし、カリスに役職を告げ、別の部屋を案内するイオリの背中。
それが脳裏にちらつく。
あのときは、何の冗談だと思っていたのだが、副隊長室の椅子に腰を下ろしたとき、ようやく自分の境遇を理解した。
自分は、激戦区の隊から、遠ざけられただけではないのか、と。
そこからカリスは、死に物狂いで働いた。
いつか、隊長の地位に実力で就くために。
今では魔術師隊を率いるどころか魔道士隊に入れるほどの実力があると自負している。
しかし、国は、カリスではなく、完璧な結果を残すイオリしか見ていない。
流石にまだ早いが、もう間もなくすれば魔道士隊に呼ばれる日も近かったろう。
それなのに、イオリはその地位を、カリスが欲した地位をあっさりと捨て、旅に出ると言い出した。
それが、どうしても、許せない。
「……?」
カリスはそこで、自分の思考に疑問を投げかけた。
いいではないか。
イオリは、自分の責務に耐えられず、逃げ出した。
そう考えるだけで、十分ではないか。
いつもなら、とうにそこで思考を止めている。
イオリは、気に入らないとはいえ、結果を残す。
仮定や人間性は、結果の前では無意味。
そう考えてきたではないか。
何を、自分は、
「……、」
いや、許せない。
カリスは再び酒を注ぎ、それをあおる。
足元のカーペットが汚れるが、そんなものはどうでもいい。
カリスは狂ったように酒をあおり、ついに膝が砕けてその場に座り込んだ。
イオリが去る前に、思い知らさなければならない気がする。
何でもいい。
どんな手段でもいい。
あの女に、自分が無力であることを教え込めれば。
「……、」
何度も、それが単なる作業のように、グラスに酒を注ぎ、あおり続ける。
いつしかカリスはそれも億劫になって、ビンごと口に持っていった。
「何か……、何か……、」
『そう、お辛いのね……』
「……?」
酔った頭のカリスには、その声が、溶けるように入ってきた。
「ああ……、何か、何か、」
カリスはうわ言のように呟き、顔を上げる。
だらしなく口を開き、呆けた顔で見据えた正面。
そこに、一人の女性が眉を寄せて立っていた。
顔は……、
「……?」
「ほら、楽になさって」
カリスはいつの間にか、身体が後ろに倒れ始めていた。
平衡感覚を失い、背中を打ち付けそうになったところで、女性の手がそれを止める。
「あ、ああ……?」
「あら、大丈夫ですの……?」
まるで聖母のようなその口調に、カリスは頬を緩めた。
気持ちがいい。
このまま眠ってしまいたいほどに。
「あら、駄目よ……。まだ貴方は、考えなければならない。そうでしょう?」
「……、」
そう言われて、カリスは閉じた目を開いた。
再び見えた、目の前の女性。
「っ……、」
雪のように透き通った肌。輝くように薄白い顔に金の長髪を垂らした女性は、カリスが息を呑むほど美しかった。
黒いローブを身に纏い、ふっくらとした唇から洩れる笑みは、あらゆる男性の心を奪う。
理想の女性。
カリスにはそう思えた。
そう表現するのが最も相応しい。
昼に見た、エレナよりも妖艶に微笑んでいる。
そういえば、彼女はいつ入り込んできたのだろう。
鍵は、
「ほら、お口も」
「ぅあ……?」
カリスの思考は、そこで遮られた。
目の前の女性の手が、カリスの口元についた酒を拭う。
だらしなく唾液もこぼしていたであろうに、嫌な顔一つせず。
「何か、考えつかないと……、」
「あぁ……、」
ゴロンと転がった酒瓶は、いつの間にか空になっていた。
これだけの量を、一気にあおったのだ、自分は。明日は仕事があるというのに。
だが、そんな懸念も、露のように消えていく。
今あるのは、目の前の女性への信頼。
そして、イオリを、
「貴方の方が、彼女より強ければ……、」
「そう、だ……」
その女性に促され、カリスは、頭の中に一直線が走るのを感じた。
そうだ。
イオリに無力だと思わせるには、倒すのが一番だ。
「いいえ、それでは貴方の闇は張れない……。屈服させて、無残に、」
そうだ。
倒しただけでは意味がない。
それでは永久の勝利ではない。
あの聡明な少女が、屈服し、許しを請ってきたところで、殺す。
それで、自分の欲求は満たされるのだ。
「だ……、が……、」
カリスに最後に残った理性が、それが実現不可能だと呼びかける。
そもそも、イオリは強い。
流石に、隊長だけあって、その実力は、カリスでさえも、認めざるを得ない。
だから、自分は、
「違う……、貴方の方が強いわ。やりようによっては、もっと、もっと、」
そうだ。
イオリなど、取るに足らない存在だ。
尊敬するところなど何一つない。
何を今まで自分はためらっていたのだろう。
魔力だけに限らず、仕事であっても、自分の方が有能だ。
「……、」
いや、違う。
強くない。
自分は、イオリより強くない。
この先、イオリはまだまだ強くなる。成長し続けるのだ。
対して自分は、そこまでの成長率を持っていない。
理性はそう訴えかけた。
それに、彼女は、優秀だ。
彼女の成長は、一応は先輩の自分にとって、誇らしいことのはず。
「大丈夫……、あなたはもっと、強くなれる」
そうだ。
強くなれる。
だが、どうやって、
「大丈夫……、私に協力させて……」
「……、」
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
そんな言葉が頭で何度も繰り返される。
「ぁぁ……、」
最後に、自分の口がか細くそう呟いたのを感じて。
カリスは意識を手放した。
―――**―――
ティアを加えての朝の鍛錬四人組の早起き勝負、下位二人は村一週。
サクが起こしてくれたにもかかわらず、寒くなってきた気候のせいで二度寝したのがたたり、アキラは久しぶりにペナルティを受けていた。
北に訪れたからか、それともここがそういう気候なのか。
かじかんだ手を懸命にさすりながら、アキラは白い息を弾ませていた。
昨日、元気にもあれから依頼をこなしたらしいエリーとティアの二位争奪戦は、僅差でティアが敗れ今に至る。
ティアも、朝練組。
どこから出ているのか留まることを知らない元気は、今日も好調のようだ。
ティアはアキラに何とか歩幅を合わせようと必死になって走っているが、まだ駆け出したばかり。
どこかで電池が消えそうな危なげすら感じる。
潮風が撫でる港町。
港ゆえにある程度大きいそこは、しかし廃れた木造の建物が並ぶ。
漁師の存在のお陰で、この時間に町が起き出しているのは新鮮だ。
流石に一週はできそうにない。ある程度で切り上げても問題ないだろう。
「……、」
だが、時間にしては活気ある空気の中、アキラの思考は暗く進んでいた。
昨日イオリと話していて浮かんだ疑念が、再び脳裏に浮かび上がる。
彼女との会話で、恐さが現れていた。
その闇を解くためには、アキラも、世界の優しさの裏に、手を潜り込ませなければならいのだろう。
それを振り払おうにも、アキラの頭にはそれが渦巻き、思考を止めることを遮り続ける。
「……、」
ティアは、必要性があるのだろうか。
別に、ティアのことを邪険に扱っているわけではない。
実際、彼女のモチベーションはメンバー内で役に立っている。
刺激として、ティアは重要な位置にいるのだ。
現にアキラも、エリーやサクとは違う、自分と身近な実力を持つティアに影響を受け、良い意味での対抗心を燃やしている。
これは、必要なのだ。
そして、彼女が声を出して話し続けてきた成果で、メンバーに完全に打ち解けている。
一番の懸念だと思われたエレナも、ティアの口を強引に塞いでいるとはいえ、むしろ最も親密度が高そうだ。
現にアキラにも、ある種責任感のようなものが生まれ、楽しむばかりの子供ではいられないと感じさせられている。
だが、別の懸念。
ティアは現段階で、必要な戦力だろうか。
確かに、強いことは強い。
ヘヴンズゲートからここまでの旅路で、最も成長しているのはティアだろう。
レベルの低い状態から、多くの経験を積み、一気にレベルが上がっている。
あたかも、大量の経験値を注ぎこまれて何段階も同時にレベルの上がるゲームのキャラクターのように。
前のアキラとは違い、ティアは身になる戦闘をし、伸びていく。
それは、アキラも同様だ。
そして、エリーとサクも。
だが、それは同時に、場違い、という言葉が当てはまってしまう。
ティア一人では、こんな経験は積みようもない。
当然、自分たちでさえも。
無理難題な依頼を見ても、何の抵抗もなく引き受けられる。
エリーやティアが行っていることだが、全員、“危険”を“その程度”として受け取っているのだ。
エリーも無意識に、自分たちの最強カードを前提に動いている節がある。
もしかしたら、イオリは言いたかった“歪”はそれかもしれない。
昨日の港を襲った魔物の群れ。
それも、大量だった。
あの群れとの戦いは、マリスとエレナがいなければ、港町に甚大な被害をもたらしていただろう。
下手をすれば、港どころか町が再起不能になるほどに。
未だに、昨日の疲労は取り切れていない。
メンバー内の、実力差が著しいという事実。
それを感じたのは、もうずいぶん前だ。
だが、ティアという存在に出会って、その陰りに拍車がかかっているのではないだろうか。
「……、」
優しく見えていた世界が、この曇り空のように陰っていく。
この世界に来てから、ここまでの旅路。
その優しさに、甘えるだけ甘えた。
全員が、ご都合主義的に、運命に惹かれたと表現しているこの旅。
エリーは、アキラと婚約したため、ついてきた。
マリスは、姉についてきた。
サクは、アキラを主君とし、ついてきた。
エレナは、目的が似ているから、ついてきた。
ティアは、人の役に立ちたいと、ついてきた。
イオリは、元の世界の者同士と、ついてくると言い出した。
それが、妙だ。
特に、ティア。
自分たちはたまたま森で出会い、家まで送り届けただけだ。
互いを信頼するに足る、確固たる事件が起こっていない。
その事件になりうる魔族との邂逅も、最強カードの前にもみ消された。
確かに、神の間に通されて、使命に燃えるのも、この世界の住人ならば不自然ではないのだろう。
だが、それ以前に、彼女はついてくる気満々だったようにも思える。
必要さを迫られていないのに、ティアは現れた。
これがご都合主義だとしても、いや、そうだとすると、一人一人にストーリーが無さ過ぎる。
全員に物語を求めるのは酷かもしれない。
そんなものが一々存在する仲間ばかりいる方が、むしろ不自然だ。
だが、それでも。
簡単に、旅が進み過ぎている。
それを言い出したら、きりがない。
アキラと婚約中のエリーや、同じ異世界から来たイオリはともかくとして。
まず、マリス。
彼女は自分たちを見送っても良い地位にいた。
理由は知らないが、国仕えすることを拒んでいたマリスだ。
彼女があの田舎町に留まっていた理由も分からないし、そもそもその力をふるう気は無かったのではないだろうか。
いやそもそも、あれだけの才を何故埋めていたのか。
そして、サク。
彼女も何故、決闘などというものを挑んできたのか。
自分のことを多く語らない少女のバックボーンを、アキラは見ていない。
だが、思考が飛ぶような少女には思えない。
そして、素性も知れないのだ。
彼女にそのことを聞いても、適当にはぐらかされてしまう。
その伏線をアキラはまだ回収していないのに、魔王の牙城は目の前だ。
さらに、エレナ。
彼女もまた、実力の大きく離れた存在に、何故ついてきたのか。
エレナなら、一人でもガバイドを探し出していたのではないだろうか。
路銀の工面一つとっても、団体で行動するのは、マイナスとは言わないが、プラスにもならないだろう。
いや、マイナスかもしれない。
何故ならアキラたちの実力不足に、旅の進行スピードを著しく削り取られているのだから。
仲間は同等かそれ以上。
それを定義として動くのならば、彼女にとって、自分たちは不要な存在。
それこそ、アキラの銃やマリスが存在していたからこそ成立しうる同行だ。
今までは、ああそうなんだ、と思っていた。
だが、仕掛けがあることを前提に世界を見ると、なんとも歪な形をしていることか。
それらの面々が旅をしているのが何故か、と聞かれれば、それは“運命”と答えられる。
アキラの日輪の力が働いている、といっても、とんとん拍子で進んできたこの旅は、あまりに短い。
自慢ではないが、自分がそこまでの信頼を受けられる者と、アキラは自負できないのだ。
そして、その運命の温床が何か、と聞かれれば、誰もが口を揃えて一つの結論を差し出す。
あの、銃だ。
アキラには、あまりに不釣り合いなあの力。
魔術の具現化などという、相当の魔力と高度な技術の結晶であるはずのそれが、アキラの像を歪ませている。
エレナなど、アキラの力に惹かれてついてきたくらいだ。
この強い勇者には、利用価値がある、と。
その力がないときに、クロンクランに行っていたらどうなっていたのか。
きっとエレナは、嬌声を上げずに、追ってきた劇団員にアキラを投げ飛ばせていただろう。
いや、それ以前にクロンクランに到着さえできなかったかもしれない。
やはり、綻んでいる。
問題は、大きく分けて二つ。
一つは、ご都合主義の存在。
そしてもう一つ、それを前提に考えた場合、この多すぎる“バグ”。
その、ご都合主義、いや、ご都合主義すぎる世界の裏側。
そろそろ、開けてはならないパンドラの箱の紐に、触るときがきたのだろうか。
描けていた世界。
その崩壊が、眼前に迫っているのだろうか。
「っ、」
恐い。
アキラは、思考を止める。
自分がこんな人間だったとは驚いた。
流れに身を任せ、物語は汚さず、純粋に楽しんでいたではないか。
あるいはそれは、無垢な子供の愚かさと表現できる。
だが、世界は優しいのだ。
その優しさだけ、見ていればいい。
それが一番、美しい。
そんなおり、
「……アッキー、あれって何だと思います?」
「ん?」
隣で走っていたティアが消えたと思えば、後ろで、神妙な顔をして町の外を指さしていた。
「……、」
アキラは目を凝らし、ティアの指した方角を眺める。
遠くに僅かな黒い点が見えるが、曇り空に覆われた空の下では何一つ分からなかった。
「あれ、何かたくさんあるんですけど、」
「お前目いいな……。俺には……、」
息を整えながら、ティアと並んでじっと空を眺める。
だが、ようやくアキラも、その黒い点が複数あることに気づけた。
「あれじゃん? なんか、あれ」
「アッキー、分からないなら分からないでいいんですぜぃっ」
「いや、何か浮かんでるんじゃん? 気球的な何かが、」
「ごめっ、もう答え分かったっ!!」
アキラが目を細めていたところで、ティアは叫んだ。
そこでようやくアキラも気づいた。
あれは、“群れ”、だ。
「てっ、敵襲だぁぁぁぁあああーーーっ!!!」
ペナルティは中断だ。
アキラは叫ぶティアの手を引き、一直線にセーフハウスを目指した。
―――**―――
「っ!!?」
「なっ、何!?」
エリーとサクは、壊れんばかりの勢いで開かれたセーフハウスのドアに、身体を硬直させた。
「二人とも、サラを見なかったか……!?」
「え、いや、サラさんなら、」
「どうかしたのか?」
朝の鍛錬時にいきなり乱入してきたイオリは、すでに魔術師隊のローブをまとっていた。
昨日、自分はアキラと同じ異世界から来た、と言い出し、仲間に加わるらしいイオリ。
彼女の魔道士としての戦力を勘案し、それを肯定的に受け取ったものの、やはり何か反発的な感情を持っていた。
理路整然と、それが当然のことのように口に出したイオリの涼しい顔と、同じ境遇の者を迎えることに肯定的だったアキラを思い出すと、どこか胸がもやもやとする。
だが、そんなイオリは今、昨日とは想像もできないほどの慌てた表情を浮かべていた。
「えっと、何か起こったんですか?」
「っ、その話なんだ。悪いが、サラはどこに?」
「……、あれ、隊長?」
聞き慣れた声にイオリが視線を泳がせると、建物の蔭からサラが現れた。
両手に彼女愛用の細長いロッドを持ち、身体は隊員服に包んでいる。
「サラ、一体どこに……!?」
「い、いえ、起きたら隊長がいなくなってたから……、目が覚めたついでにエリーさんやサクさんと特訓を……、……隊長?」
サラの返答に、イオリは膝に手を吐いて脱力した。
どうやら朝早く引き継ぎの整理に部屋を開けたとき、サラを起こしてしまったようだ。
良かった。
「あ、ああ、すまない。それよりさっき、伝令が、」
イオリは庭の東を睨んだ。
隊員専用通路から一直線で、イオリの元に慌てた顔をした見張り台の当直が駆けこんできたのはつい先ほど。
その事実にイオリは、今度こそ、隊長としての指示を与えなければならない。
「サラ=ルーティフォン」
「……、はっ!」
「現在東……、いや、もう見てもらった方が早い。あっちだ」
イオリの口調に、サラは緊張した面持ちで、イオリの指した方向を見上げた。
エリーも、サクと共に同じ方向を見やる。
そこで、エリーもようやく、東の空に黒の塊に気づけた。
あのときの光景と似ている。
あの、ヘヴンズゲートで見た、赫の大群と。
「これは……、」
「っ、昨日より、数が多い……!?」
段々と視認できる黒の塊。
それが、魔物の隊群であることを理解するのに、時間は全くと言っていいほど必要無かった。
「見ての通りだ。サラ、隊員たちを、」
「はっ、はい! 副隊長は、」
「あっちはもう人を向かわせている。隊員たちを、戦闘配備に就かせてくれ!! 僕は、」
サラが駆け出したのを確認して、イオリはエリーとサク。
そして、遠方から駆け寄ってくる二人の人影を見やった。
「エリサス、“サクラ”。協力を頼む!!」
イオリはそれだけをまくしたて、大群に向かって走っていった。
―――**―――
「どっ、どうなってんだよ!?」
アキラは目の前の魔物に剣を振り下ろし、戦場の中叫んだ。
アキラとティアに見えていたのは、魔物のほんの一端。
空を覆っていた魔物の群れは、それだけでなく、陸軍も存在したらしい。
急いでセーフハウスに向かう途中、駆けてきたイオリに事態を告げられ、すぐさま戦闘に参加して半時ほど。
徐々に隊員たちも姿を現してきたが、未だに出揃っていない。
もっとも、昨日の今日でこんな片田舎に警護に全力を傾けろ、というのは無理な話なのだけれど。
「っ、」
名前も知らない犬型の魔物を、オレンジの閃光で切り捨て、町を睨む。
潮風が頬を撫でる町並みは、すでに爆風と魔物の異臭に包まれていた。
一手遅れるごとに、破壊されていく港町。
果たして港は大丈夫だろうか。
「シュロート!!」
スカイブルーの閃光が、空を行く魔物を撃ち落とすのが見えた。
だがそれも、ほんの一部。
アキラはターゲットをその狙撃手に変えた魔物を見て、ティアに駆け寄る。
いつしか離れてしまっていたが、固まっていた方がいい。
「おおっ、アッキー!! マジでどうします!? これも、弔い合戦ですか!?」
「知るかぁっ!!」
上空から迫る魔物を切り上げ、即座にその場から離れた。
無理な体勢の攻撃に身体は痛むが、それでも、止まらず次のターゲットを探す。
ティアの貢献度はかなりのものだ。
遠距離攻撃が得意な彼女は、こういう乱戦で役に立つ。
できれば遠方にいて欲しい所だが、必要性のないことはない。
物語は、優しくできている。
だが、負けてはいられない。
「っ―――」
「やばっ、」
そう思ったのも束の間。
ティアの遠距離攻撃の直後、体勢を立て直す間も与えず魔物が突撃してきた。それも、数方向から。
群れの利を生かした時間差攻撃に、二人の顔は焦りに歪む。
これは―――
「―――!?」
アキラが何とか飛び退こうと身をよじった瞬間、その必要性は完全に消えた。
どこからともなく的確に飛んできたシルバーの閃光に、全ての魔物は目標に到着することもできずに爆破される。
「マリス!?」
「遅れたっす!!」
現れた半開きの眼の少女が腕を振れば、それだけで、瞬時にアキラとティアの貢献を上回った。
あらゆる魔物がマリスを警戒し、動きを鈍らせる。
「マリにゃん!! これっ、」
「話はあとっす!!」
その場の戦闘全てが、銀に包まれる。
「……、」
マリスの戦闘を、真横から見たのは、アキラにとって久々だ。
次元が違う。
マリスから見れば、アキラの成長など、塵芥。
鋭く光る銀の矢は、まるでこの町を滅ぼせる魔物の軍勢ですら、無価値な存在にする。
逆にマリスが攻めてきたら、などという無意味な空想を浮かべ、アキラは負けじと剣を振った。
答えなんて見えている。
こんな小さな町など、一瞬で消えているだろう。
「マリにゃん、エレお姉さまは!?」
「向こうで分かれたっす。エレねー一人いれば、向こうの方は安全っすからね」
片手間で魔物を倒し、マリスは小さく呟く。
そんな呟き声が聞こえるほど、魔物の数は激減していた。
マリスが現れて僅かに数分。
このエリアの安全が確保される。
それが、数千年に一人の天才がもたらした戦果だった。
「ジェルースにメトックロスト……。それに、パーウルまで……、珍しいっすね。月輪属性の魔物がいるなんて……」
どれが何で、何がどれなのか。
見える範囲の魔物が全て消えた今、アキラにはマリスの言葉さえ分からなかった。
今まで、強いとしか認識していなかったマリス。
それに背筋が寒くなったのは、昨日の会話のせいだろうか。
「っててててっ!!!? あれっ、ボスですか!?」
アキラの思考を、ティアの大声が遮った。
何事かとティアの叫びにアキラが身構え、指差された方向を見れば、遠くに建物程もあろうかという巨獣が現れている。
硬度を現わすようにゴツゴツとした、見事な鱗の肌。
以前の巨大マーチュのように鼻が突き出て、まるで四足歩行の竜種のような出で立ち。
牙は鋭く、身体を支える四肢は太く、その巨大な爪で地を掴んで身体を揺らす。
背中には身体に似合った巨大な翼が生え、その身体ほどもある太く長い尾まで棘のような立て髪が伸びていた。
あれが暴れ出せば、まるで子供が玩具の城を壊すようにこの町は潰れるであろう。
「世界……、終わったな」
「アッキーーーッ!!? マリにゃん!! あれっ、あれっ!!」
「っ、分からないっす、」
「!!?」
マリスから、まさかの不明という答えが返ってくるとは思わなかった。
その返答に、アキラはさらにあの存在に恐怖を覚える。
「でも、」
マリスの言葉には続きがあった。
建物の間から見え隠れするあの巨獣を、冷静に分析するように睨む。
「あれ、魔物倒してないっすか?」
どこまでも冷静な声に、アキラも倣ってそれを見ると、確かにあの巨獣は、太い爪や長い尾で魔物をなぎ倒していた。
「みっ、見境なく襲っているなんてことはないよな?」
「いや、でも、多分、」
マリスが分析を進めているうち、巨獣はとうとう建物の陰に姿を消した。
向かった先で爆音が聞こえてくるのは、マリスの予想通り、魔物を倒しているからだろう。
「みっ、みなさん!!?」
そんな巨獣と入れ替わりで、三人に、息を弾ませた駆け足が近付いてきた。
「あれは、」
「サラさんっすね」
「よ、良かった、無事だった!!」
町中を駆けずり回っていたのか、現れたサラは胸を押さえて立ち止まる。
「あっ、あのっ、隊長見ませんでしたか!? 見つからなくてっ!!」
「……! もしかして、」
今にも駆け出しそうなサラに、マリスが返したのはいたって冷静な言葉。
その会話に耳を傾けようとしたところで、アキラの瞳に、再びあの巨獣が映った。
「ちょちょちょっ!! あんにゃろーがっ!! 戻ってきてますぜぃっ!!!」
ティアが叫び、身構える。
大通りの向こう。
巨獣は、大地を揺らし、巨大な竜族のような顔面をまっすぐ四人に向けて駆けてくる。
目つきは鋭く、正面から見ればその威圧感から身体の神経が抜けていく。
剣や魔術でどうにかできる対象ではない。
「っ、」
止むを得ない。
アキラが反射的に剣を仕舞い、右手に力を込めた、その瞬間、
「あああっ!! ラッキー!!!」
何が、ラッキーなのか。
途端騒いだサラは、手を振りながら巨獣に駆けていく。
「じっ、自殺願望ですかっ!!?」
「しょっ、正気か!?」
「ちっ、違いますよ!! 隊長っ!! 隊長ーーーっ!!!」
ズウン、と威圧感たっぷりな擬音を奏で、巨獣は足を止めた。
「っ、サラ!!」
今まで目が行っていた巨獣の顔から視線を僅かに上に逸らすと、そこには隊長服に身を包んだイオリが立っていた。
アキラたちの姿を認めると、イオリはその高さから迷いもなく飛び降り、目の前に降り立つ。
「! サッキュンもいる!!」
巨獣に目が行きがちだったが、足元を見れば、愛刀を振り、腰に指したサクが立っていた。
どうやら行動を共にしていたらしい。
「アキラ様、それに、みんなも、」
「ああ、やっぱりこれ、召喚獣なんすか」
どこか神妙な顔つきをしていたサクの言葉を、マリスの声が遮った。
半分の眼は、大人しく動きを止めた巨獣を見上げている。
とすると、イオリは召喚術士。
かなり珍しいタイプだ。
「そっ、そうですよ!! 隊長、こんな町中でラッキーを出すなんて正気ですか!?」
「流石にこの数じゃ、加減なんてしれられない」
召喚にはかなりの労力を使うのか、イオリは上に座っていただけなのに息が切れ、額には汗が浮かんでいる。
だが、威力は絶大だ。
魔物の被害に比べればそうでもないが、巨獣が歩いた道は、耕された畑のような惨状を作っていた。
「まあ……、少しやりすぎたけどね」
そんなイオリの返答に、アキラは呆れながらラッキーと呼称された巨獣を見上げる。
這っているのに、その背丈は、二階建ての建物をゆうに超えていた。
全てを滅しそうな外見。実際、襲ってきた魔物に壊滅的なダメージを与えている。
だが、よくよく見ると、微妙に愛嬌のある顔つきをしているようにも思えた。
それも当然、味方だと認識していれば、だが。
「てか、お前馬鹿みたいに強いじゃねえかよ」
「っ、そういうことは、もう少し言葉を選んで言ってもらえれば素直に喜べるんだけどね」
イオリは呆れ顔を浮かべるが、それでもアキラの認識は変わらなかった。
召喚獣、というゲーム定番の存在にアキラは初めて出会うが、素直に受け取れるのは隣でマリスが冷静なままだからだろう。
これが魔道士、というレベルの力なのか。
魔術師隊という存在を侮っていたアキラの認識が変わる。
「そういえば、ねーさんは? 一緒だったんじゃないんすか?」
「いや、エリサスとは向こうで分かれたよ。ラッキーの近くに何人も集まっていては意味がないからね」
そのラッキーの近くに唯一残ったサクは、ただ静かにイオリを眺めていた。目つきは鋭く、ほとんど睨むようになっているサクは、口を開かない。
「それよりサラ、戦況は?」
「あ、はい。現在、魔物の勢力は大幅に縮小しています。隊員たちも尽力していますが、その、エレナさんが……、」
「エレねー、朝も機嫌悪そうだったっすからね……」
サラの返答に、アキラはその絵が容易に予測できた。
ほぼ無抵抗で殺される魔物たちは、完全に恐怖を刷り込まれていることだろう。
昨日イオリが仲間になると言い出してから、エレナはどこか機嫌が悪い。
水曜属性と土曜属性の者が無条件で嫌い。
そんなことを言っていた彼女だ。
やはり、イオリが土曜属性だからだろうか。
今見に行けば、エレナの全力の戦いが見られるかもしれない。
「そっ、それより、報告します!」
「?」
サラは思い出したように敬礼し、イオリにまっすぐ向かい合った。
「カリス副隊長に、救援の要請に向かった隊員の報告ですが……、その、不在だったようです!!」
「!?」
サラの言葉に、イオリの表情が変わった。
「カリスが?」
「え、ええ、今日は休暇じゃないはずなんですけど」
それはそうだ。
イオリが隊長の座を開けるのだから、引き継ぎ事項が溜まっているはずだ。
そのはずなのに、あの、勤務に実直な彼が不在。
それは、起こり得ない。
何もなければ。
「それが、昨夜、リオスト平原に向かったらしく、」
「……、」
カリ。
再び、イオリから爪を噛む音が聞こえてきた。
また何か、シミュレーションをしているのだろうか。
だが、確かに妙だ。
アキラも昨日、カリスと話はした。
異常にまじめそうで、あの男からは常に固い雰囲気がふんだんに漏れ出している。
そんな彼が、こんな緊急時、いないとは。
「リオスト平原って、どこにあるんですかっ?」
「あ、えっと、リオストラの……、私たちの本部がある町の、西にある平原です。岩山に囲まれてて……、魔物も多くて……、」
「……サラ」
ティアへの説明中、シミュレーションが終わったのか、イオリが重い口調で声を出した。
「その話は道中できる。僕がこれからそこへ向かおう。一応そこは危険地帯だからね。何か、嫌な予感がする」
イオリはちらりとアキラを見た。
どうやら、例の物語のルールが発動しているとでも言いたいらしい。
「ここはもう大丈夫だろう。サラ、君が指揮をとってくれ」
手短にそれだけ伝え、イオリはラッキーを見上げた。
巨獣はそれに応えるように、小さく唸り、頭を下げる。
「アキラも来てくれないか? ラッキーなら、すぐにそこへ向かえる」
「あ、ああ、いいけど、」
アキラの返答を聞き、イオリはラッキーに登っていった。
巨獣に近づくことは流石に抵抗があったが、思ったより純情そうなラッキーの瞳にそれは薄れ、イオリの手を借りてそこに昇る。
高い背かなから見た町の景色には、もう魔物は数えるほどしかいなかった。
「私も行こう」
沈黙を守っていたサクも、巨獣によじ登る。
イオリが手を伸ばすも、その手をとらず、サクは軽い身のこなしで乗り込んだ。
表情は、微妙に固い。
「魔物がいるなら、回復役はいた方がいいっすね……、」
「うおおっ、あっしのでば……、ってちょっ!!?」
マリスがティアを追い越して飛翔し、ラッキーの背にふわりと降りる。
「よし、行こう」
「ちょちょちょっ!! 私はっ!? 私はーーーっ!!?」
「悪いアルティア、これ以上乗ったら到着できそうにない」
「悪いなティア。このラッキー、四人用なんだ」
「……その翻訳に意味があったのか聞かせて欲しいところだけど、」
イオリは、くっ、と顔を天に向けた。
「ラッキー、行けるかな?」
「グルルッ!!」
ラッキーがイオリに呼応し、その翼を大きく開いた。
途端動いたその巨体の振動に、アキラの身体が大きく揺れる。
ティアとサラが思わず身体を引いたところで、ラッキーが翼をはためかせた。
「ティアーーーッ!! 町を頼むっ!!」
「おっ、おうさっ!! 私にっ、ま、か、せ、」
その言葉を、最後まで聞き取ることはできなかった。
イオリが掴まっているように指示したところで、
「っ―――」
アキラたちに、異常なまでの浮遊感が襲った。
―――**―――
「こう連戦じゃ、一々加減なんて考えてらんないわ」
エリーが到着したそこは、どちらが敵か分からないほどの惨状だった。
「っ、」
エリーは息を呑む。
一番の気がかりだった港を優先的に守るべき、と魔物を倒しながら向かった先、各所で起こる爆発が、最初、一人の人間によって形作られたとは思えなかった。
海の近くということで固く作ってある地面は抉れ、天候の悪さで暴れる波が、断続的に町に侵入してきている。
港を現わす標識も、近くにあった寂れたボロ小屋も、まるでその場所に隕石でも落とされたように破壊されつくされていた。
だがその中央に、立っている女性は、そんな異様な光景にも、興味の薄い乾いた瞳を向けるだけ。
彼女の元に行くと、いつもこんな光景が広がっている気がする。
だが、今回ばかりは、流石に酷すぎだ。
「……エレナさん」
「あら?」
声をかけたのは、何のためだったろう。
見つけた仲間へのものか、はたまたエレナが自分を魔物と誤認し、襲いかかってこないようにするためか。
「だ……、大丈夫、でしたか?」
そんなのは、あくまで言葉を紡ぐ意味しか持たない。
彼女の安否を気にかける必要などないのだから。
「冗談じゃないわよ……。ここに来たとき、また港壊そうとしてたのよ、こいつら」
こいつら、はもういない。
総て、エレナに爆発させられている。
「い、一体何を、」
「はあ……、寝起きで戦うもんじゃないわね。あんまりわんさかいるもんだから、面倒臭くて“具現化”なんてしちゃったわよ」
「……!?」
エリーの表情が変わったのに気づいているのか、エレナは大股で荒れ果てた地面を歩き、欠伸をしながら海を眺めた。
少し、荒れている。
「あら? なによ?」
「“具現化”……、できるんですか?」
「できない、なんて言ったことあったかしら?」
海を眺めるエレナから一歩引いて、その後ろ姿を、エリーは思わず睨みつけるように見ていた。
彼女は、遠すぎる。
いくらなんでも、これは。
今、自分たちがこうやって静かに会話できるのも、エレナが魔物を滅したお陰だ。
遠くで魔術師隊はまだ戦っているが、もう彼らに任せて大丈夫そうなほどに、大量の魔物は、消えた。
「強くなりたい?」
「……!」
エリーの心情を見透かすように、エレナは海を見たまま呟いた。
冷たい風が、身体を打ちすえる。
だがエレナの言葉が、甘く、エリーの身体に溶け込んでいく。
「……正直な話、私、強いでしょ」
「……ええ」
自惚れでも、不遜でもないその言葉。
エリーはあっさりと肯定する。
目の前の人物には、そんな言葉を吐き出す資格があるのだ。
「あんたの妹みたいに天才でもないのに……、何で強いと思う?」
「……、」
エレナと、こんな会話を今までしたことはなかった。
彼女の、強さの裏側。
それは、単に経験の差ではない。
自分とエレナは、そんなに歳は離れていないのだから。
「私さぁ……、シリスティアにいた頃、解決したい事件があったのよね」
彼女が故郷の話をしたのも、これが初めてだ。
エレナの言葉を、エリーは黙ったまま受け取った。
「でもさ、正直、十ちょいの女の子が何とかできる事件じゃなかったのよ」
エレナが自分よりずっと若かったときの話。
にわかには信じがたい想像を、エリーは頭で形作っていく。
「そんなとき、聞いたのよ。身体に大量の魔力を押し込んで、強引に“器”を広げる方法」
「……!」
エリーの表情が変わった。
それが、エレナの、
「まあ、下手したら死ぬんだけどね……。冗談抜きに、高確率で」
エレナの口調は、一切変わらなかった。
ただ単に、世間話でもするように。
「そんなわけよ。ぶっちゃけ私は、何年も修行して強くなる、なんてのが嫌だった。そういう人間だもの」
「……、」
無言を返したつもりだが、恐らく肯定の雰囲気をエレナは感じ取っただろう。
エレナの背中が、小さく震えた。
「努力家には、ふざけんな、って話でしょうね。あっさり強くなるなんて。でも、時間を使って強くなる方法と、命をかけて強くなる方法。どっちを選ぶかは、人それぞれでしょ」
エレナの髪をかき上げる仕草が、遠くに見える。
いつも大仰に振舞っている彼女は、とっくの昔に、それに見合うだけの対価を払っていた。
「ま、その方法にもいろいろ制約があるんだけどね。特定の場所で、特定の方法で。それに、地元じゃないとまず成功しない。風土的な問題なのかどうかは、知らないけどね」
エレナは海を見続ける。
彼女の瞳には、遥か遠くのシリスティアが映っているのだろうか。
「やりたきゃやってもいいけど、正直お勧めはしないわ。それに、今さらアイルークに戻るのも、」
「アイルークじゃないです。あたしたちの地元は」
エリーは、いつの間にかエレナに並び立っていた。
エレナが眺める空よりもっと近く。
エリーが眺めるのは、中央の大陸。
「ヨーテンガース出身なの?」
「生まれは、ですけどね」
どこか遠い目をして、エリーは故郷を思い出す。
忘却の彼方にあるそこでの思い出は、両親の表情と、その訃報を受け取った光景だけだ。
「やるの?」
エリーは言葉を返さなかった。
分からない。
その方法は、今までの努力を消してしまうだろう。
だがなんとも、その言葉は甘美に響く。
「……さ、行きましょ。ここでサボってると、風邪引きそう」
エレナはくるりと海に背を向け、喧騒の止まない町に歩いていく。
「エレナさん、」
「?」
その背に、エリーは声をかけた。
「その事件、解決できたんですか?」
「……、」
エレナは、はたと立ち止まり、すぐさま歩き出した。
「……その失踪事件は、今も続いてるわ」
その一言だけを、残して。