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No.12144の一覧
[0] おんりーらぶ!?【第一部】 【完結】[コー](2010/03/01 00:00)
[1] 第一話『ルール通りの世界なら』[コー](2011/06/19 20:53)
[2] 第二話『今必要なのに、今の今まで』[コー](2010/01/26 23:05)
[3] 第三話『天上は、遠く座す』[コー](2010/01/26 23:06)
[4] 第四話『視界はかすみ、輝きは遠く』[コー](2010/03/13 02:34)
[5] 第五話『異物たちの共演』[コー](2010/01/26 23:09)
[6] 第六話『声が届く場所』[コー](2010/04/19 01:04)
[7] 第七話『二閃』[コー](2010/01/26 23:13)
[8] 第八話『描けていた世界』[コー](2010/03/13 02:39)
[9] 第九話『迷子が迷い込んだ迷路』[コー](2010/03/13 02:41)
[10] 第十話『踊る、世界(前編)』[コー](2018/09/17 21:23)
[11] 第十一話『踊る、世界(後編)』[コー](2018/09/17 21:22)
[12] 第十二話『儚い景色(前編)』[コー](2010/01/26 23:21)
[13] 第十三話『儚い景色(中編)』[コー](2010/01/26 23:22)
[14] 第十四話『儚い景色(後編)』[コー](2010/03/01 00:00)
[15] 第十五話『煉獄を視たことはあるか』[コー](2011/06/19 20:54)
[16] 第十六話『オンリーラブ(前編)』[コー](2011/06/19 20:54)
[17] 第十七話『オンリーラブ(後編)』[コー](2012/09/07 01:06)
[18] 後書き[コー](2010/01/26 23:43)
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[12144] 第七話『二閃』
Name: コー◆34ebaf3a ID:f1d928fa 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/01/26 23:13
―――**―――

「いやいやいやっ、わたしくめはっ、昨日の光景に未だに心高鳴っておりますよっ!! あの一撃っ!! 相手は魔族ですよ!? 魔族っ!! それがドーン、ガーッ、バーンッ、ですよっ!!」
「だ、だよなっ、そうだよなっ!!?」

「……、なんであの音量に耐えられるのかしら?」
「さあ……、ねーさんで慣れてるんじゃないっすか?」
「っ、」

 森林に響く騒音に、勝手な評価をしている二人。
 その二人を横目で睨んで、エリーはため息を吐いた。

 目の前を歩くのは我らが勇者様。
 そして、青みがかった短髪と、ボーイッシュな服装をした少女、ティアだ。

 女は三人寄れば姦しい、というが、ここには女性は五人。
 それなのに、この大音量の出所をたった一人の少女が担当しているとはにわかには信じがたい。

 ティアは腕を振ったり身体を踊らせたりと、全身を使って感激を表に出している。
 表情も溢れんばかりに輝かせ、森林の眠りを消し飛ばし続けていく。
 もしもマリスやエレナがいなければ、巣でもないのに魔物が押し寄せてくるだろう。

「ほんっっっとっ、さいっっっこぉぉぉおおーーーっに燃えましたっ!! いやいやっ、流石アッキーッ!! 勇者様っ!! あっしはまたもっ、コロッときちまいましたよっ!!」
「っ、」
「……、止めなくて、いいのか?」
 跳び回るようなティアを眺めながら、サクは一言漏らした。
 隣のエリーが前の光景を見ながら拳を強く握ったのを見て、表情は僅かに緩んでいる。

 本来なら、サクはアキラに並び立つべきなのだろうが、流石に有事でもないのにあの音量に近づきたくないというのが心情だ。
 警戒は怠っていないとはいえ、珍しく後続に甘んじている。

「別にっ、いいんじゃないっ? ヘヴンズゲートまでの付き合いでしょっ?」
「……ふっ、そうではなくて、アキラ様が調子に乗らないようにすべきでは?」
「あっ、そっ、そうよっ!」
 サクの言葉に、エリーは大股で前の二人に近づいていった。

「……、音量が増えたっすね」
「って、あんたなにけしかけてんのよ?」
「……、たまには賑やかなのもいいさ」

 サクは目の前の三人の喧騒を見やる。
 エリーが怒鳴り、アキラが不満を喚き、そしてティアはからから笑ってまたも騒ぐ。

 昨日からの付き合いなのに、ティアはすっかり打ち解けている。
 これは、アキラの力だけではない。
 音量はともかくとして、ティアが積極的に話しかけているからだ。
 妙なニックネームまでもつけて。
 話しかけることや、相手を愛称で呼ぶことは、あるいは日輪属性を超えてまで、人の心を開かせるのかもしれない。

 サクも騒々しいのは好きではないはずだったのに、何故か、前の三人に惹かれるものがあった。
 その奇妙な感覚は、奇妙なのに、身体が温まる。
 共にいた時間が短いはずなのに、ティアには何か感じるものがあった。

 ただ、身体が温まるのは、やはり朝の鍛錬を、三人で行えたことが一番の要因。
 あの主君は、いや、あの男は、裏切らない。

「さてさてさてっ、みなさんっ!!」
 突如、ティアがくるりと振り返った。

「……、言っとくけど、私は無駄な話に対して異常なほど沸点低いわよ?」
「おっ、落ち着いて下さいよっ!?」
 落ち着くのはお前だ。
 殺気交じりのエレナの視線を受け、ティアは大げさに一歩下がる。
 ピクリと動いたエレナの右手から視線を外さず、僅かにアキラの背に隠れた。

「もうすぐっ、到着いたしますよっ!!」
「うん、分かってるわよ」
 ティアの宣言に、エリーは正面にそびえる険しい岩山を見上げた。
 あの山が、ヘヴンズゲート。空に浮かぶ雲を突き破り、それは座している。
 そしてその周辺には、それを囲う町が密集しているらしい。
 もっとかかると思っていたが、かなり早かった。

 地元民ならではのティアの道案内は、想像以上に高性能だったようだ。

「到着したらっ、是非っ、あっしの家に寄ってくだせぇっ!!」
「行くのは天界への門だけ。みんな、いいわね?」
「ええ、当然よ」
「エリにゃんっ、エレにゃん!? あれっ、似てる!? どっちか諦めないと―――」

 ついに、エレナが走った。
 一瞬で距離を詰め、右手をティアの口に伸ばす。

 が、

「てやっ、ふえぁっ!?」

 やらなければいいのに大げさにのけ反ったティアは、そのまま後転。
 強かに頭を木の音にぶつける。

「うっ、のぉぉぉぉおおーーっ!!!?」
 右脳。
 右側頭部を抑え転がり回るティアを見下ろしながら、アキラはそう聞き取った。

 瞬間的にティアから代わった隣。
 エレナが冷めた目でそれを見下ろしているのを見ながら、アキラは小さく唸った。

 もう少し、自分は真面目に生きてみよう。

――――――

 おんりーらぶ!?

――――――

 ヘヴンズゲート。
 不自然すぎるほど高い岩山を囲ったその町の範囲は、異様に広い。
 東西南北と大まかな区切りはあるものの、ほぼ一体となっている町並みは広大で、遥か上空から見下ろせば、まるで森林に落とされた巨大なドーナッツのような形状をしている。

 アキラたちが到着したのは、ヘヴンズゲート東の町。
 宿舎に荷を下ろし、さっそく天界への門に行こうと思った、の、だが、

「……、あれ? みんなは?」
「おおおっっ!! エリにゃんっ!!」
「っ、」
 エリーが集会所と認定しているアキラの部屋を訪れれば、そこには騒音を奏でる少女しかいなかった。
 椅子をがたつかせ、せわしなく暴れ回る身体を抑えつけている。

「……、えっと、みんなは?」
「ああっ、アッキーならっ、マリにゃん、エレお姉さまとっ、わたしくめに伝言を残しっ、買い物に行きましたっ!!」
 ビシッと敬礼し、役目を果たしたティアは満足げな笑みを浮かべる。

 分かったことは、現状と、エレナからその不名誉な愛称が譲られていたということだった。
 エレナに新たな愛称がつけられていることを、彼女は知っているのだろうか。

「じゃあ、サクさんは、」
「? エリーさん……!」
 エリーが視線を泳がした直後、サクが背後から現れた。
 声を弾ませているのは、走ってきたからだろうか。

「おおっ、サッキュン!!」
「っ、止めてくれ……、その呼び方は……、」
 彼女も犠牲者か。
 エリーは息を整え部屋に入るサクに続き、大音量に入り込んだ。

「軽く探してみたが、いなかった。まあ、すぐ帰ってくる……、だろう……? ま、まあ、ただの買いもののはず、だ」
「っ、やられた……。あたし最近エレナさん甘く見てたかも……、マリーは御目付け役で行ってくれたみたいね……、」
 到着したらミーティング。
 そう確かに伝えたはずなのに、メンバーの半数以上がここにはおらず、代わりにいるのはティアだけ。
 ここしばらく大人しかっただけに、油断していた。
 五人そろっていなければ、話し合いの意味がない。

「私ならここにいますが!?」
「うん、見えてるわよ」
「……、それより、家に帰らなくていいのか?」
 やむを得ず、エリーとサクは腰を下ろした。
 視線は、カタカタ椅子を鳴らすティア。
 その顔は無垢な表情で笑っていたが、サクの一言に徐々に顔色が変わっていった。

「……、ぬ、ぬおおおっ!? ぬかったっ!! てか私っ、やっばーーーっいっ!!」
 この少女と話すには、宿舎はあまりに不釣り合いだったかもしれない。
 人の多い外の喧騒でも通行人すべてが足を止めるような叫びは、絶対に夜には使わせるわけにはいかないだろう。

「私っ、忘れてたっ!! シーフゴブリンがっ、のぉぉぉおおーーーっ!!!」
「ちょっ、外出ましょうか?」
「あ、ああ」

 流石に人が見にくるだろう。
 エリーとサクは、絶叫するティアの身体を掴み、部屋の外に向かった。

 落ち着いたミーティングをするためには、まずこの少女を家に送り届けることが先決だろう。

―――**―――

「う~んっ、久しぶりっ、」
「うおおっ!?」
「エレねー、ストップっす」

 一瞬ライトグリーンの光が見えた気がしたマリスは、アキラにからみついたエレナを引き剥がす。
 やはり、自分もついてきて正解だった。

「なによぉ……、ねえ、アキラ君。私、最近アキラ君とのスキンシップが取れなくて、寂しい……、」
「ま、まあ……、で、でもさ、俺たちバックレてていいのかよ?」
「うもぅ……、私と一緒じゃ、い、や?」
「エレねー、まずは魔力抑えてから言った方がいいっすよ」
「っ、ちょっ、離してよっ、」

 マリスはエレナの服をぐっと掴み、眠たげな眼のままアキラとエレナの顔を見上げた。
 アキラの顔は、緩んでいる。
 男の性か、久しぶりにエレナに迫られ、喜んでいるのは明白だ。

「……まあでも確かに、にーさんと一緒にいるの久しぶりのような気がするっすね」
「あ、ああ、そりゃ、な、」
 エリーの言いつけ通り、部屋で待っていられなかった後ろめたさはあるが、マリスも頬が綻んでいた。
 最近エリーが考案したアキラ育成計画の結果、エレナの不満が爆発したこの放浪も、悪いことばかりではないかもしれない。

「あっ、あれ見てこっ、」
 アキラの腕にあった感触が消えたかと思うと、エレナが露店に駆け出して行った。
 アキラとマリスが近づけば、商品の装飾品を頭につけ、機嫌のよい笑みを浮かべる。
 店員がその美貌に釘付けなことに機嫌をさらによくし、近づいた無表情なマリスにも同じように商品を見たて、可愛らしく笑う。

 そんな様子を見ながら、アキラの口の端も上がっていった。

 いい。
 すごく。

 やはりこうでなくては。
 最近ポンッ、と忘れていたが、この世界は優しいのだ。
 そしてその優しさを、異世界漂流物の主人公たる自分は存分に受けている。

 美女に囲まれ、町を歩けば皆が振り返るような花を両手に抱える勇者様。
 これだ。
 やはりこの物語のコンセプトは、それでなくては。

 瞳を半分開け、静かでミステリアスな雰囲気を醸し出す美少女のマリス。
 色気をふんだんに有し、まるで花のような笑顔を振りまく美女のエレナ。

 宿舎に戻れば、“友達”のエリーに、自分に仕えてくれるサク。いずれも美少女。
 そして昨日知り合った、元気で頭が残念な子のティア。一応及第点。
 万全だ。
 これぞ王道。

 男性の友人キャラクターがいないのは珍しい所だが、所詮、元は立ち絵も無かったような存在。
 無理に登場する必要はないだろう。

 最近、バトル物もいいかな、と思い、朝の鍛錬を行っているがやはりこういうサービスがなければやってられない。
 戦闘の方も順調であるし、まさに順風満帆。

 これで、

「にーさんの夢、ハーレムに近づいてるって思ってたりしてるんすか?」
「おうっ!!」
 エレナが会計に行っている間に接近したマリスに、アキラの元気な声が返ってきた。
 にかっ、と笑い、もうマリスには隠そうともしてない。

「正直さ、もう魔王倒そうとしなくて良くね?」
「とんでもないこと言い出したっすね、この“勇者様”は……」
 マリスは頭痛を耐えるように額を抑えた。
 今はいないエリーのように、この男をたしなめる役は必要なのかもしれない。

「でも、にーさん。いいんすか? このままだとねーさんと、」
「…………、やっぱりネックはそこなんだよなぁ~っ、」
 途端表情を暗転させ、アキラは深く顔を鎮めた。

 不慮の事故で、現在アキラとエリーは婚約中。
 その鉄の約定を、打倒魔王の報酬で取り消すべく、自分たちは旅をしている。
 それが、大前提。

 それなのに、今までよりは、アキラの表情からその陰りは消えている。

「……、にーさん、」
「え、いやさ、なんか“しきたり”とか言われても、いつまで経っても俺ら結婚する羽目になってないじゃん? なんか、こう、な、」
「っ、」
 視線を外しながら呟くアキラに、マリスは言葉が詰まった。
 駄目だ。
 この男は、また、日常に埋もれ始めている。

「……にーさん、それは自分たちが旅をしてるからっすよ? どっかに落ち着いたら、にーさんとねーさんは、」
「え、じゃあ、旅続けてたら、」
「にーさんっ!!」
「!!?」

 途端マリスから響いた声に、アキラも、町を行く人々も動きを止めた。
 通行人は痴話喧嘩と判断し歩き出すも、アキラは、止まったままだ。

 流石に双子、というべきか。
 まるでエリーの怒号のような大声だった。

「ちょっ、ちょっと、何やってんのよ?」
 マリスの剣幕をただちに察し、エレナは二人に駆け寄った。
 向かい合いながら目を見開くアキラと、顔を伏せているマリス。
 この二人から、そういう声が聞こえるのは、異常事態だ。

「……、にーさん、ついてきて欲しい所があるんすけど、」
「あ、え?」
「こっちっす」
 マリスは小さく俯いたまま、歩き出した。
 その背中に寒気を覚えたのは、彼女が戦っているとき以外では、初めてだ。

「……、なに、やったの?」
「い、いや、多分、俺が、また、調子に乗って、」
 しどろもどろになりながら歩き出すアキラを追って、エレナもマリスについてく。
 この二人が二人でいて、そういう雰囲気になったのは初めて見る。

 その、異様な空気。

 こんなことなら、別に欲しくもない装飾品なんて買っている場合ではなかった。

―――**―――

「いやいやいやっ、ほんっっっとうに申し訳ないっ!! 不肖このわたくし―――」
「―――っ、ああもうっ、この子ったらっ!!」
 ドアを開けた直後転がりこんで深々と頭を下げたティアを、妙齢の女性が抱きしめた。
 ティアに似て青みがかった髪を束ねた女性は、溢れんばかりの力を腕に込める。

「おおっ!? 絞まるっ! 絞まるっ!! いだっ、いだだだだっ!!」
 耳元で喚かれ、ようやくその女性はティアを離した。
 だが、目には涙を浮かべている。

「……、って、あら?」
 ようやく、その女性はエリーとサクに気づいたのか、すっと立ち上がった。

「えっと、あなたたちは……、え、」
「おおおっ! 母上っ!! よくぞ気づきなさったっ!! お二人はっ、私をっ、」
「助けて下さったのですか……? ああっ、ありがとうございます!」
「い、いえ、」

 やはり彼女がティアの母親らしい。
 何度も頭を下げ、その右手でティアの頭も下げさせる。
 エリーはその様子に、所体なさげに視線を泳がせた。

 入るときに見た看板通り、ここは武具屋のようだ。
 剣のコーナーには何振りも並び、槍や斧、身体に纏うプロテクターもある。
 あまり広くはないが、木と鉄の匂いに満たされたここには、ヘヴンズゲートに構えるだけはあって、なかなか上質の武器が揃っているようだ。

「ふふふっ、驚いたかいっ、エリにゃんっ―――へうっ!?」
「失礼でしょ。まったく……、」
 母にたしなめられるように叩かれ、ティアは頭をさすった。
 随分仲の良い親子のようだ。
 騒音奏でる彼女が育ったとは信じがたいほど良識をわきまえた母のようだが、ティアは良く懐いているように感じる。

「せっかくご足労いただいて……、どうぞ、上がっていっていただけますか?」
「い、いえ、あたしたちは、」
「おうおうっ、遠慮はなしだぜっ!! 私の部屋を紹介しよう―――へうっ!?」
「……さ、どうぞ」
 ティアの母と、頭をさするその娘に誘われ、エリーとサクは小さくお邪魔しますと呟いて奥の暖簾をくぐった。
 どうやら、家と店が一体になっているらしい。

「……!」
 奥の暖簾をくぐると、まず大きなかまどが目に入った。
 煙突に抜けているそのかまども、その近くに乱雑に並ぶ器具も、用途は容易に分かる。
 ここは、

「ああ、主人の仕事場です。ここは、一応武器を造っている店なので」
「……、やはりそうなのか」
 エリーももう一度店を見渡したが、サクがそれ以上に興味深げに視線を泳がせた。
 愛刀を腰に下げているとはいえ、サクはそういうものに関心が強い。
 以前アキラの武器を見繕うときも、一番楽しそうにしていたのは彼女だったような気がする。

「とすると、失礼だがご主人は金曜属性の?」
「え、ええ。私もそうです。魔術師隊にいたときに知り合って……、」
「……!」
 その言葉を久しぶりに聞き、エリーの身体がピクリと動いた。
 そこは、自分が試験をパスしながらも入り損なった場所だ。

「おうおうおうっ、そうだったっ!! 申し訳ないっ!! わたくしはっ、シーフゴブリンめが盗っていったお二人の大切な結婚指輪をっ!!」
「あなたが書きなぐっていった置手紙にはそう書いてあったのね……、落書きかと思ってたわ」
「ひどっ!?」
 呆れたようにため息を吐くティアの母は、そう言いながらもティアの頭を優しく撫でる。
 猫のように表情を緩ませるティアを見て、エリーはなんとなく、エルラシアを思い出した。

「で、でもっ、不覚にもっ、発見できずっ!!」
「戻ってきてくれたなら、それでいいわ……、そうだ、主人に連絡しないと。ごめんなさい、この子を探しに行ってて……、ごめんなさいね。ティア、お願い」
「私にっ、ま、か、せ、と、けぇぇぇええーーーっ!!!―――へうっ!?」
 最後にパシッとティアの額を小突き、ティアの母は慌ただしく外に走っていった。
 どうやら、ティアの失踪に、父親は捜索に行っているようだ。

「さあさあさあっ、もてなしますぜぃっ!!」

 お邪魔しました。
 目の前の少女にそう言おうにも、騒音にかき消され、エリーとサクは腕を引かれた。
 自室は二階にあるのか、階段を勢いよく登っていくティアは、相変わらずからから笑っている。

 ミーティングが順調に遠ざかっていくのが走馬灯のように浮かびながらも、エリーは段差に転ばないことだけを考えた。

―――**―――

 そこは、違った。

 眼前にそびえる、高く険しい岩山。
 自然物でありながら、落石の懸念がまるで浮かんでこなかった。
 それはこの辺りの住民も同じようで、建物の距離が近い。

 一応は、距離をとっている。
 だが、その距離は、危険を感じてのものではなく、この山から感じる神聖さに気圧され、自ら一歩立ち退いているようだった。

 足場は白一色の砂が敷き詰められ、土色の巨大な岩山がまるで宙に浮いているような錯覚を起こす。
 まるでヤスリに削られたように精緻な岩肌の山は、今まで耳を満たしていた町の喧騒は吹き飛ばし、不気味なほどの静けさを持って、天を突く。

 視線を横に移すと、円錐の形状らしいのに、ただただ美しい岩肌が続いている。
 見上げても、天上は空の雲に覆われ、僅かにも見えない。

 ここが、ヘヴンズゲート。

「あれが、中への入り口」
 隣に並んだエレナが、指先でアキラの視線を誘導した。

「……!」
 そこには、白い直線が岩山に描かれていた。

 途方もないほどの長さのそれは、単純に言ってしまえば白い階段。
 世界遺産にもなりうるその階段は、建物数軒ほど横に広く、そしてそれ以上にただまっすぐに上に伸びている。
 それを、首を動かしてまで追っていくと、遠くに白く巨大な門が目に入った。

「岩をくり抜いて、中には神族が住んでいるらしいっす。それで、ドアから入って登っていくと、天界に行けるらしいっすよ」
 マリスはそう一言呟き、とぼとぼと巨大な階段に近づいていく。
 その入口には、仰々しい鳥居のような白い支柱がはめ込まれていた。
 そして、その柱の元。
 両脇に、白いローブのようなものを着た男が立ち並んでいた。
 胸のエンブレムには、太陽を模した紋章が刻まれている。

「あれが、門番っす。あそこに入ろうとすると、追い返されるんすよ。まあ、あの人たちは人間なんすけどね……。国に雇われてるんすよ」
「……、あ、ああ……、じゃっ、じゃあ、あの人たちも追い返されてるのか?」
 マリスの背の向こうに見えるのは、その岩山には不釣り合いな群衆だった。
 表情を動かさない門番の前、白い砂地の上に、薄汚いマントを羽織った人の群れが座り込んでいる。

 五十人以上はいるのではないだろうか。
 その数のそれらが一様に、その場から動こうとせず、ただ膝を付いて、自らの手を固く結んでいる。
 その異様な光景に、近づいてみて分かった。
 表情も、服装そのままに、苦悶に歪んでいる。

「あの人たちは、祈りを捧げてるんすよ。滅多に出てこない、神族たちに」
「……、祈ってるつーか、呪っているように見えるのは俺だけか?」
「……声を、聞いてみなさい」

 二人に促され、アキラは目を閉じて群衆の声を探り、

 そして、身体が震えた。

 家族を失った。
 村を滅ぼされた。
 希望を無くした。

 総てを、奪われた。

 各々理由は違えど、それらの内容は一貫し、総てが魔王を倒してくれ、というものだった。
 当時のことを思い出しているのか、涙を浮かべている者もいる。
 老若男女問わず、全員が、同じような顔を浮かべていた。

 何かに強く依存し信仰する、というのは、他人から見ればここまで異様に映るものなのか。
 彼らは総ての“業”をここで吐き出している。
 魔王を憎むことを、彼らは決して止めようとしない。

 絶望に歪む顔は、目の前の“神”に祈ることで、辛うじて“そこ”を守っているようにさえ感じた。

「信仰というものは……、多かれ少なかれ絶望から生まれるんすよ。気分、悪くなったっすか?」
「…………、ああ、ほんっっっとうに申し訳ないが、ひいた。…………なんちて、」
「……私から言わせれば、あんなの“人任せ”、だけどね」

 エレナの声が遠く聞こえ、そこで、ようやく気づけた。
 彼らは“祈っている”のではない。
 “頼っている”のだ。

 自分は、魔王の脅威というものにさらされていない。
 この世界の真実を、自分の目はまだ捉えていないのだ。
 死にそうになったことはあった。
 だが、実際に魔王に滅ぼされた村、というものを、アキラはまだ見ていない。

 昨日、サクから、マーチュに滅ぼされた村があるというのを聞いたが、やはり現実感は浮かばなかった。

 自分の知っている世界が、唐突に小さく思えてくる。

 アキラの認識では、この異世界は、優しくできていた。
 双子の美少女や、サクやエレナとの出会い。昨日だって、ティアという女性と知り合えた。
 そして、危険が起きても、何とかできる自分の力。
 例え魔族がいようとも、総てを蹂躙する力を自分は持っている。

 見渡す限りは、面白く、楽しく、幸せだった。

 だが、こう考えれば、背筋が寒くなる。
 もし、自分にあの銃の力がなければ、最初の巨大マーチュに潰されていた。
 もし、自分にあの銃の力がなければ、ゲイツにリビリスアークは滅ぼされていた。
 ブルースライムにも、マザースフィアにも、昨日の魔族にも、だ。

 銃だけではない。
 マリスがいなければ。
 エレナがいなければ。
 二人だけに限らず、エリーやサクがいなければ。
 どこかで何かを失っていた。

 考え出したらきりがない。
 自分の手の届く範囲は、常に平和が約束されている。
 だが、もしそれがなければ。

 自分もあの群衆のように、何かに祈っていたのだろうか。
 彼らには、力がなかったのだろうから。
 だから“神”に“頼る”のだ。

 魔王など、あの銃の力で楽に倒せると高をくくっていたが、自分が眠りこけている間に、世界のどこかで何かが消えていたのだろう。

 魔王討伐など必要ないと笑っていた先ほどにも、世界の裏側では何かが消えていたかもしれない。

「にーさん、勇者の旅ってのが、どういうものか分かったっすか?」
「……ああ。ま、まあ、神じゃなくて俺に祈って欲しいんだけど、な……、」
 冗談めかして呟くも、この“業”を見て、アキラの表情は僅かに変わった。

 その様子に、マリスは小さく息を漏らす。
 これで、彼は、目指してくれる。
 打倒魔王を。

「……ちっ、気分悪くなったわ。もうここ来たくないんだけど」
「あとでもう一回来るっすよ。ねーさんたち連れて」
「い、や、よ。私パス。遊んでた方がいいもん」
「今、行こう」
「!」
 アキラは惹かれるように、階段に向かって歩き出した。
 表情は、妙に冷めている。

「に、にーさん、いいすんか? ねーさんたち、」
「今、行きたい。そんな感じがする」
 アキラは自分が抑えきれなかった。
 今まで呑気に旅をしていた自分は、きっと、何も見えていなかった。

 この二人が、あの銃に肯定的だったのは、こういう意味だったのかもしれない。

 一刻も早く魔王を倒すことで、救われる者は増える。

 当然と言えば当然だが、今以上にそれを感じられるときはなかった。
 神に会うことが消化すべきイベントならば、今すぐにでも終えておきたい。

「……、ま、私はいいけどね、今で」
「……自分もっす、ね」
 ぐんぐん進むアキラに触発され、二人も階段を目指す。

 途中、群衆の一部がアキラたちに気づき、顔を上げた。
 だが、アキラは視界の隅にそれを捉えるだけで、歩を緩めない。

 これだけ祈っている人がいるのに、顔さえ見せない神への評価を落としながらも、アキラは進む。

「……!」
 門番が近づいてくるアキラたちに構えるが、関係ない。
 こっちは、“勇者様”だ。

 さあまずは、神に会わせてもらおうではないか。

―――**―――

「あっ、これ、新刊出てるのっ!?」
「おおっ、エリにゃんお目が高いっ!! なかなか過激な内容でしたよっ!!」
 思わず手に取り、軽く開いたのち、エリーは勢いよくその単行本を閉じた。
 確かに、刺激が強そうな内容だった。

 ティアの部屋に通された二人の目に最初に飛び込んできたのは、個人の部屋には多すぎる数の本棚。
 ベッドや机が一つきりの窓の下にあるものの、他の壁際は全て本棚で埋まり、中央の小さなテーブルを囲み込んでいるような圧迫感。
 もし、その本棚全てが辞典や歴史書で埋まっていれば、女性の部屋とは想像もできなかっただろう。
 だが、幸か不幸か本棚を埋め尽くしているのは全て漫画。
 そのカラーの背表紙が、ギリギリ部屋の明るさを保っていた。

「これは……、」
 サクは部屋に入ろうとするも、その光景に尻込みした。
 この面積に対して異様な数の漫画。
 その密度は、以前旅の途中、サクが立ちよった書店と比べても見劣りしない。

「へえ……、そういえば最近本とか……、あっ!!」
「おおっ、それを手に取りますかっ! 流石エリにゃん分かってますねぇっ!!」
「い、いや、あたしは、その、別に、ちょっと知ってるだけで、」
 色々と漫画を物色するエリーに、楽しそうにカラカラ笑うティア。
 音量がすっかり二倍になったこの部屋を眺めながら、サクは、何故か心が落ち着いていた。
 騒がしいのはあまり好きではないはずなのに、こうした喧騒は心地良く思えるのだ。
 あるいは、アキラとエリーの喧騒も。

 自分が、変わっているということなのだろうか。

「そういえば、サクさんは漫画とか読まないの?」
「……! いや、私はそういうものは、あまり、」
「おうおうおうっ、それならお勧めは―――」

 『これだっ!』とティアが出した漫画を見て、エリーはビシッと固まった。
 確か一度読んだ漫画。エリーでも、最後まで読めなかった。
 そしてそのチョイスは、初心者にはありえない。
 それは、もっと、その、上級者向けの、

「どうどうどうっ!?」
「……、……、」
 ティアが漫画の一ページを両手で開き、サクの顔に押しつけんばかりの勢いで近づけた。
 漫画の背表紙でサクの顔は見えないが、一言すら発しないサクの態度に、何となく、表情が分かる。

「……、下の、武器……、見る、行く、」
「うわわっ!? サッキュンどしたっ!?」
 片言でそれだけ発し、サクはふらふらと部屋を出て行った。
 顔は伏せたまま。
 やはり、刺激が強すぎたか、と、エリーはため息交じりにそれを見送る。
 確かにその本は、人に積極的に進めるものではないだろう。

「んん~? 面白かったんだけどなぁ……」
 サクを追い出した加害者のティアは眉をひそめその本をパラパラめくる。
 どうやらからかうためでなく、本気でお勧めだと思っていたようだ。

「よく……、そういう本、人に勧められるわね……」
 世間一般ではどうかは知らないが、エリーの認識ではそういうものはひっそりと自分の部屋で読むものではないのだろうか。
 なんとなく恥ずかしくて、エリーの部屋のそういう本は隠すように置かれている。

「それは、やっぱり、私のこと知ってもらいたいんでっ!」
 そして、ドンッと胸を叩き、エリーの疑問に叫ぶように返す。
 その声は、いつもの通り、僅かにも陰らず、本に囲まれた部屋に響いた。

「人の役に立つ、ってのは、立派なことじゃないですかっ! あっしのお父さんも、そういう仕事してましたしっ!」
「……、う、うん、」
 僅かにティアは顔を伏せて、しかし笑っていた。

「そのためには、人に信用されないと! 私のこと、色々知ってもらえれば、そうなるかなぁ、と、」
「そ、そうね、」
 新たな漫画を差し出しながら熱弁をふるうティアに、僅かに後退しながらも、エリーにはその発言の意味は分かった。

 この世界は、魔王の脅威にさらされている。

 魔物はあたかも通常の動物のように繁殖を繰り返し、常に存在しているが、魔王が存在するとその行動に統制力が生まれてしまうのだ。
 当然のように村を襲い、人間に危害を加える。
 その脅威にさらされた人の心には、余裕は消えていってしまう。

 総てを魔物に奪われ、人間の間でも強奪が繰り広げられることとなり、そのせいで滅んだ村もあると聞いた。
 そこでは皆、疑心暗鬼に目をぎらつかせ、他人との間に壁を作ってしまう。
 時間が経てば経つほど、その壁は強固になっていく。

 それを取り払う方法は、互いに知り合うことなのだろう。
 あるいは、アキラのように日輪の力を使って。
 あるいは、ティアのように積極的に話しかけて。

 ティアのような善意の笑顔は、人の心に届くのかもしれない。

「だからっ、エリにゃんもっ、あっしのことをっ、ティアにゃんとっ!」
「ごめんそれは無理。人として」
「あれっ!? デジャヴッ!!?」

 まあ、妙なニックネームはともかくとして、名前で呼ぶくらいはできるだろう。
 エリーは音量に耐えながら、新たな本を物色し始めた。

―――**―――

「……、ここには“それ”以上のものは置いてないぞ?」
「……いや、見ていただけだ。それに、なかなか上質だろう」
 鉄の木の匂いが満たされた店頭
 先の漫画のショックから薄れたサクに、一人の男が店のドアを開きながら話しかけてきた。
 視線はサクの腰の愛刀に向いている。

 三十、いや、四十代だろうか。
 中肉中背、とはどうしても評価できない立派な体躯に、無精ひげを蓄え、鋭い目つきをサクの愛刀に向けている。
 タンクトップのような白いシャツは汚れ、ぼさぼさとした黒い髪はどこかいい加減な印象を与えるが、それが全否定されるのはその雰囲気からだろうか。

「今日は店じまいのはずだが……、店の鍵、開いてたか?」
「……やはり、ここの主人か。すまない。私は……、私たちは、娘さんをここに連れてきただけだ」
「……? ああ、あんたらが娘を、」
 やはりティアの父で間違いないらしい。
 男は、のそのそと近づき、右手を差し出す。

「グラウス=クーデフォンだ。鍛冶屋をやっている。娘が世話になった」
「サク、だ。ファミリーネームは、ない」
 手を取って名乗ったサクに、僅かに怪訝な顔をしたグラウスだったが、すぐにその視線をサクの腰に移す。

「ずいぶん立派な長刀だな……。見せてもらっていいか?」
「……ああ。主人の留守中、家に上がった礼儀もある」
 サクは刀を鞘のまま抜き、グラウスに手渡す。
 主君以外にはありえない行動だが、この男には、職人としての覇気を感じた。

「……西のタンガタンザ製、か。お前……、サク、だったか。武家の生まれか?」
「…………その話はしたくないのだが……、分かるのか?」
「カマを掛けただけだ。だが、予想はできる。その服装にこの刀。俺もそこで腕を磨いた」
「……、」
 グラウスは長刀を光に当て、その白刃を入念に眺めた。

「……手入れは完璧だが……、随分刃こぼれがあるな」
「それは私の未熟さゆえに、だ」
「……そうか」

 静かな会話は続く。
 目の前の男が、あのティアの父とは考えられないほどに。

 いや、待て。
 そこでサクの思考に歯止めがかかった。
 この男、グラウス=クーデフォンと名乗らなかっただろうか。
 対してその娘、アルティア=ウィン=クーデフォン。

 ミドルネームを持つ者にしては小さな家に住んでいるとは思っていたが、まさか、“そういうこと”、なのだろうか。

「そうだ。ティアは?」
「上にいる。もう一人の仲間と、談笑中だ」
「そっちも、あんたみたいに強いのか?」
「……、」
 サクは言葉を返さなかった。
 一瞬、グラウスの眼が獲物を求めるようにギラリと光る。
 この男は、確か元魔術師隊だということを思い出し、その奥に当時の実力が見え隠れした。

「まあ、娘を助けてもらった礼だ。この刀、鍛え直してやろうか?」
「……できるのか?」
「ここは鍛冶屋だ。このまま旅を続けたら、この刀、折れるだろうな」
「……、」
 流石にそうなるわけにはいかない。
 サクが小さく頷くと、グラウスは鞘に刀を戻し、店の奥に歩いていく。

「奥さまとは、会わなかったのか? あなたを探しに行ったのだが」
「ん? ああ、入れ違いになったらしい。俺は伝言を聞いて、ここに戻ってきただけだ」
 炉に火を点け、よどみない動作で焚き木を投げ込むグラウスは、再びサクの愛刀を抜き、光に照らして確認を始める。
 炉が温まるまで、炉の前に座り込んでいるつもりらしい。

「……娘に会わなくていいのか?」
「あれの失踪は今に始まったことじゃない。誰かの役に立つためなら、どこまででも走っていくような奴だ」
 分かるだろ、という表情で、グラウスはサクを見返す。
 その瞳は、たった一晩共にいただけで娘のことを相手が分かっているという確信を持っていた。
 確かに、サクの耳にも、『私にっ、ま、か、せ、と、けぇぇぇえええーーーっ!!』と騒ぐ彼女の声が未だに鳴り続けている。

「変わらんよ、あれは。義兄によく似ている」
「……、やはり、か」
 金曜属性の両親を持つ、水曜属性の娘。
 その存在は、やはり、そういうことらしい。

 グラウスは転がった工具を見定め始めた。
 乱雑に転がっているように見えていたそれは、その実、中央のイスに座れば、合理的な場所に置かれていることが分かる。
 その動作も淀みない。
 やはり、相当腕の立つ職人のようだ。

「……、あんたも金曜属性か?」
「ああ。だが、私はそっちの方はからっきしだ」
「そうか。珍しい、と言うべきだろうな」
「……」
 グラウスは立ち上がり、水場にのそのそと近づいていく。
 その意図が分かったサクは道を開け、足元に転がっていたバケツを差し出した。

「大分熱くなるぞ。そこに立っているのは辛くなる」
「見るのは慣れている。心配は無用だ」
「随分執着があるみたいだな、刀に。目を離したくない、か」
「……、まあ、そうだ」
 下手にごまかすのを止め、サクは水を汲むグラウスにそう返した。
 タオルを頭にギュッと巻いて、グラウスはバケツを持って炉に近づく。
 こうした光景を、サクは昔、確かに見続けていた。
 それでも、自分は刀を鍛えることはできなかったが。

 そして戦い方も、金曜属性にしては、珍しい。

「長刀か……。造りは見事だが、受けるのには向いていない」
「受けはしない。やはり、珍しいか?」
「分かっているなら、俺が口出しすることじゃないか」
 炉にさらに焚き木を投げ込むグラウスは、それきり口を閉ざし、炉をじっと眺める。
 その後ろ姿が、サクの脳裏で過去と結びついた。

 そして、

「うぉぉぉおおーーーっ!!! 火事だぁぁぁあああーーーっ!!!?」

 仕事場に響く大声と、ドタドタと鳴る足音に、全てがかき消された。

「ティア、仕事中だ」
「おおおっ!! お父さん!!? おかえりっ、いや、ただいまっ!!」

 ティアが騒音を響かせるも、グラウスは静かに炉を眺めるだけ。
 やはり彼女の叫びは、日常茶飯事のことらしい。

「あっ、お、お邪魔してます」
「おお、あんたがティアを、」
「そだっ、そうですよぅっ!! エリにゃんたちがわたしくめをっ、」
「ティア」
「……うっ、」
 父の睨みに、ティアは大人しく黙り込む。
 そうした光景も、何故かいつものこととサクは捉えられた。

「えっと、どういう状況?」
「ああ、彼が私の刀を鍛え直してくれるらしい。ありがたいことだ」
「……、」
 神妙な顔つきを微妙に歪ませたサクを見上げ、エリーはその視線を追った。
 そこから見えるティアの父親の背は、職人特有と言うべきか、威圧感のようなものを覚える。

「エリサス=アーティです……、」
「ああ。グラウス=クーデフォン。ティアの父だ」
「……?」
 顔だけ向けたグラウスの自己紹介に、違和感を覚えるも、エリーはサクに並んで沈黙を守ることにした。
 あのティアが黙り込むだけはある空気だ。
 だが、その黙り込んだはずの娘は、やはり落ち着きなく、そわそわとしている。

「……ティア、今から仕事だ。お前に頼みたいことがある」
「おおっ!! 任せろぅっ!!」
「買い物行ってきてくれ。一番遠い店で、いつもの。ゆっくりでいいぞ」
「おうさっ!! 私にっ、ま、か、せ、と、けぇぇぇえええーーーっ!!!」
「ちょっ!?」

 竜巻のように走り出すティアから伸びてきた手を、エリーは避け切れなかった。
 サクはうまく身をよじり、その手を回避すると、再び定位置でグラウスの背中を見やる。

「ちょっ、ちょっ、」
「行こうぜっ、エリにゃん、サ……って、サッキュンがいねぇぇぇえええーーーっ!!?」
 店頭までエリーを引きずって、ようやくティアは片手が開いていることに気づいた。
 エリーが振り返れば、サクは手を振り、この場に残ることを伝える。

 ずるい。
 明らかに厄介払いが狙いの父の頼み事を、サクは難なくかわしている。
 ティアは一瞬口を尖らせたが、エリーの手を引いてずんずん進んだ。

「ちょっ、ちょっ、ちょっと!?」
「大丈夫大丈夫、ついでに町を案内―――へうっ!?」
 店を襲う暴風雨が出ようとした直後、開いたドアに盛大に頭を打ち付けた。

「……!!」
 エリーの手を離し、頭を抑えてうずくまるティアの先、見知った顔が現れた。

「エ、エレナさん……!!」
 現れたエレナの顔は、どこまでも冷えていた。
 後ろに、呆れたような顔のマリスと、顔を伏せているアキラも見える。

「三人とも、どこに、」
「あなた、確か水曜属性だったわよね?」
「んぇ?」
 エリーの声を遮って、エレナはその冷ややかな視線をうずくまるティアに向けた。
 その表情だけ見れば店を襲撃しに来たようにしか見えないエレナに、ティアはパアッと顔を明るくする。

「おうさっ!! あっしにっ、何かっ、御用―――いだっ、いだだだだっ!!?」
「これで、六人、と」
 今まさに騒ぎ出しそうになったティアの口を右手でふさぎ、エレナは軽く店内を見渡した。
 ティアの後ろで目を丸くしているエリーも、店の奥で何事かと視線を向けているサクもいる。
 やはりここに、“勇者様御一行”は全員集結しているようだ。

「エレナさん……? マリー、何かあったの?」
「それが、自分たち……、」
「さ、次は土曜属性の人、適当に見つくろうわよ」
「エ、エレねー……、それはともかく、そろそろ手、離さないと……、」
「うごぅ……、顔がっ、燃えてるぅっ!?」
 エレナに離され、うずくまるティア。
 だがエレナは、ティアに興味を失った顔で、軽く表通りを見渡す。
 その目は明らかに、次の獲物を探す狩猟動物のそれだった。

「ストップストップ!! 何!? 何が起きてるの!?」
 歩き出そうとしたエレナを引きとめ、事態を把握するべくエリーは叫ぶ。

 一体この人は、何をやっているのだろうか。

―――**―――

「門番たちの睨みも意に介さず、“勇者様一行”はヘヴンズゲートに踏み込んだ。長い階段を何とか上り、白く巨大なドアの前で振り向けば、まさに壮観。小さく見える町並みが見えると、その総てから声が聞こえてくるようだった。『魔王を倒してくれ』。そう、祈るような声が、確かに聞こえる。足元の悲痛に歪む人々の顔も僅かに明るくなった。それは、勇者の到来に、魔王への積年の恨みが晴らされる足音が聞こえてくるとでも言わんばかりの―――「ねーさん、ちょっと詰めて欲しいっす」―――「あ、ごめん、って、ああっ、本がっ、」―――「うおおっ!! すまないっ!! いやいや狭くてっ、」―――希望に満ちた顔だ。そして、重々しくも、確実に、巨大なドアが開いていく―――「それより、悪いんだけど客間とかなかったの?」―――「おおうっ!? その手があったっ!!」―――「いいわよ。今さら移動すんの面倒だし。それよりこの空間で、喚かないでくれない?」―――「アイアンクローはっ!! アイアンクローだけはーーっ!!」、…………」

 狭い部屋にも敷き詰めれば入るもの。
 鉄を打つ音が定期的に聞こえてくる下に残ったサクを除く、計五人。
 五人は、何とか各々居場所を見つけ、ティアの部屋に座り込んでいた。

「で、何があったの? 特に、エレナさん」
「どうもこうもないわよ」
「……無視は良くないな、無視は」
 妙な呪詛をぶつぶつと漏らしていたアキラを完全に視界から追い出し、エリーは、怒りをあらわにするエレナと向かい合った。

「ほんっっっとうにっ、あっったま固いつーのっ、あの門番っ!!」
 エレナは目の前の机を叩き割るほどの勢いで、目の前の小さなテーブルを叩く。
 幸いにもテーブルは壊れなかったが、もう二、三発エレナの拳を受ければ天寿を全うする前に撤去されることになるだろう。

「……、マリー、お願い」
 未だに怒りが収まりきらないエレナにこれ以上の話を聞き出すのは不可能と判断し、エリーは隣のマリスに視線を向ける。
 マリスはただただ冷静に、半分の眼で見返してきた。

「実は自分たち、流れでヘヴンズゲートに入ろうとしたんすよ」
「……みんなで行くって言わなかった?」
「お前、その情報だけ聞いて何故俺が悪いと判断した?」
 エリーの睨みを、アキラは不満げに睨み返してきた。

「ああ、自分がにーさんたちをそこに連れてったんすよ。まあ、入ろうとしたのはにーさんなんすけど」
「ほらっ!」
「お前嬉しそうだな……」
 アキラは諦めたように呟き、窓の外を見やった。
 だが、一番不満なのはエリーの評価ではないようだ。
 恐らく見ようとしたのは、先ほど行ったというヘヴンズゲート。
 位置が違うため窓の外には岩山はないが、アキラの頭には、未だにそこでの出来事が浮かんでいるらしい。

「それで、入ろうとしたら、」
「何て言ったと思う!? あの門番!!」
 エレナがマリスの声を遮り、再びテーブルをバンッと叩く。
 エレナの怒りに、ティアは震え、反射的に顔を覆った。

「『薄汚い者どもは消えろ』よ!? 信じられる!?」
「エレねー、もう少し表現はソフトだったっすよ」
「同じようなもんでしょ!!」
 エレナはまたもテーブルを叩こうと手を振り上げたが、流石に寿命を感じ取ってその手で髪をかきわけた。
 だが未だに、エレナの怒りは収まらないようだ。
 自分が怒られているわけでもないのに、エリーを始め、ここにいる全員の身体がプルプル震える。

「私はねぇ……、下っ端の癖に偉そうな奴らが、だいっっっきらいなのよっ!!」
「エレお姉さま……、その、スマイルスマイル」
「あん?」
「うわわっ!?」
 何とか会話に入ろうとしたティアを一睨みでエリーの背後に後退させ、エレナは拳を震わす。

「大体、こっちはアキラもいたのよ? な、ん、で、入れないのよっ!!?」
「あっ、あたしに聞かれても……、」
 どうやら現在、エレナが被っていた猫はその怒りに逃亡中のようだ。
 エリーは背後のティアの代わりにエレナの怒気一色の睨みを正面から受け、身体を震わす。
 流石に、恐い。

「……、それがさ、門番、何言っても『通せない』の一点張りだったんだよ」
 ときおり垣間見る程度だった“素”のエレナに、アキラも表情を強張らせている。
 だが、気持ちは同じのようだ。

「まあ……、“人間が言う勇者様”に、一々会ってられないんすよ、神も、神族も」
「?」
 その表現に、全員の顔がマリスに向いた。
 その半分の眼がアキラを一瞬捉え、マリスは僅かに眉を寄せる。

「ほら、勇者様って、何人もいるじゃないっすか」
「……ごめん、もう一回」
「だから、勇者様って、何人もいるんすよ」
 聞き返してみても、マリスからは同じ答えが返ってきた。

「また何か、妙な後付け設定が出てきた気がすんだけど……、」
 また妙なことを口走っているのはお前だ。
 エリーは小さく呟きそうになるも、確かにマリスの言葉は気になる。

「色んな地方で、勇者様が現れてるじゃないっすか。リビリスアークでも、何年に一度か二度……」
「……まあ、ね」
 マリスの言葉に、エリーは頷いた。
 リビリスアークの村長、ファリッツが、隙あらば若者を勇者と称え、送り出していたのを思い出す。
 あの小さな村ですら、エリーは何度か見た気がする。
 それを考えれば、各地からそういう旅立ち方をした“勇者様”が何人もいることになるだろう。
 だが、それでもエリーの頭に引っかかるものがあった。

「そんな“自称勇者様”が沢山いるなら、全員通している場合じゃないんすよ」
「あれ? でも待って……、“勇者様”なら、通れるんじゃないの?」
 ようやく、エリーは自分の疑問が分かった。
 “勇者様”には最大限の敬意を払わなければならない。
 その“しきたり”があるはずだ。

「それは、人間たちの“しきたり”っす。神族にしてみれば、勇者っていうのはある程度の“証”がないと、」
「だから私は、んな面倒なことしないでぶっ飛ばせって言ったのよ。アキラならあんな門番一撃でしょ。なんならあのうっざい岩山ごと」
「エレねー、そういうことする存在を、人呼んで魔王って言うんすよ」
 怒りの覚め止まらないエレナは、足を投げ出し背中を背後の本棚に乱暴に預ける。
 彼女の頭には、未だに見下しきった顔をした門番の顔が浮かぶ。
 その顔が、エレナの容姿に下劣なものになっていたことが、さらに怒りに拍車をかけていた。

「エレお姉さまの荒れ方が半端ないんですけど……、」
「自分も、止めるの苦労したっす」
 元気をエレナの怒気に削り取られ、おどおどと呟いたティアに、マリスはため息交じりに言葉を返した。
 ヘヴンズゲートの入り口で攻撃行為を取れば、本格的に追放されてしまう。

「まあ、ともかく。“証”がないとにーさんは勇者様って認められないんすよ。神族には」
「……、あれ、えっとさ、エレナさんじゃないけど、あの銃って“証”にならないの?」
 エリーの脳裏には、アキラが銃を具現化する瞬間。
 そこから漏れ出すのは、日輪属性の象徴たるオレンジの光。
 それを見せれば、十分に勇者と証明できるのではないだろうか。

 だが、マリスは、エリーの問いかけに首を振った。
 どうやらこのメンバーの中では、やはりマリスが先生役になるらしい。

「歴代の勇者を見ると……、確かにほとんど日輪属性っす。だけど、中には日輪属性じゃない人もいるんすよ。別の道を見つけて、魔王を倒した勇者様が。だから、日輪属性はほぼ勇者で間違いないんすけど、絶対じゃないんす」
「え、そうなのか?」
 流石にそう聞いては、アキラは黙っていられなかった。
 なんだそれは。
 やっぱり後付け設定か。
 やりたい放題だ。

「それならあっしも聞いたことありますぜぃっ! 神族にとっては『日輪属性=勇者』じゃなくて、『魔王を倒した者=勇者』だって」
「んなの私、聞いたことないんだけど?」
「ひぃっ、私に言われてもっ!!」
 エリーの背後から出てきたティアに睨みを効かせ再び後退させると、エレナは身体を起こした。

「とにかく、私はあの門番たちをぶっ殺さないと、」
「エレねー、違うっす。あそこを通らないと、ってさっきは言ってたじゃないっすか」
「……そうね、とりあえずあいつらを階段の上から見下さないと、収まんないわ」
「ひっ!?」
 そこで、またもエレナはギロリとティアを睨んだ。

「というわけで、ティア、だっけ? あんた私たちと一緒に来なさい」
「うへぅっ!?」
 てっきりまたも掴まれると思ったティアは身体を硬直させた。
 だが、エレナの言葉が脳まで届くと、権限な顔つきでエリーの背から這い出る。

「そ、そうよ。エレナさん、さっきも言ってたけど、何それ?」
「それが、一つの“証”とかいうのになるんだって」
 エレナはあの門番が言っていたことを口に出す。
 何とか聞き出した、あの階段を上る条件。

 それが、

「“七曜の魔術師”を集めれば、通してくれるんだってさ」
 その言葉は、アキラが紡いだ。

「……ってことは、」
「ああ―――」
 アキラはため息を吐いて集まったメンバーを順に指差す。

「日、月、火、水、木、金、」
 最後は一階のサクを指し、アキラは指を止める。

「あと土曜日だけ。な、お決まりだろ?」
「土曜“日”って……」
 エリーは呆れかえった瞳で見返してきたが、流石のアキラもこの条件にはため息しか出ない。

 だが確かに、日輪属性や月輪属性の者を探すのは事実上困難であり、七人メンバーを集められる者ならば、神族が逢うに値するのだろう。

「…………うぉぉぉおおっ!! 私の出番ですかっ!?」
「ま、あの階段登るまでの短い付き合いだけどね。あとは誰でもいいから適当にその辺から土曜属性の魔術師適当に探し出して、ぽいっ、」
「ひどっ!?」
「悪いけど私、水曜と土曜の人、その属性ってだけで嫌いなのよね」
「それ本当に悪いっすよ」
 やはりエレナの頭には、完全にインスタントであの門番を突破することしか浮かんでいないようだった。
 ただ、ネックである日輪属性と月輪属性がここにいる以上、あとそれだけで門番を突破できるのは事実だ。

 だが、

「……、」
 アキラの頭には、エレナとは違う意見が浮かんでいた。
 そうだ。
 何故それに気づかなかった。

 自分を除く、五人の女性たち。
 ティアとも、妙な縁ができている。
 ならば、残る一人、土曜属性の魔術師も、意味のある仲間であるべきではないだろうか。
 定番なら、間違いなくそうだ。
 そして、女性。
 完璧だ。
 まさかの男性キャラクターなどは要らない。
 女性、そう、女性だ。
 確信とも言える予想が、何故か強まっていく。
 彼女は、今どこにいるのだろう。

「……、何にやにや笑ってるのよ?」
「探すぞ……、最早神様とかどうでもいい……!!」

 不気味な物を見るような目を向けてくるエリーに、アキラは強くそう返した。

―――**―――

「あとは、魔術だ」
「……!」
 グラウスが、鍛え直したサクの刀に手をかざす。
 すると、イエローの光が刀身を包み、染み込んでいく。
 閃光が消えれば、芸術品を思わせる精緻な白刃。

 これで、完成のようだ。

「どうだ?」
「見事な手際だな……。流石に魔術師隊にいただけはある」
 受け取った愛刀を日の光にかざし、サクは満足げに頷いた。
 手入れは欠かさなかったものの、やはり本格的に鍛えてもらうと武器が生き返る。

「定期的に魔力で補強した方がいい。できるか?」
「ああ。それくらいなら」
 軽く振って感触を確かめ、サクは鞘に刀を戻した。
 いつしか聞かなくなってしまっていた澄んだ音に、顔は綻ぶ。

「気に入ってくれたようで良かった。お前は上で話し合いに参加しなくて良かったのか?」
「……ああ、今から行くつもりだ。本当に助かったよ。ありがとう」
「……一つ、いいか?」
 サクが背を向け、階段に足をかけたところで、グラウスに呼び止められた。

「ティアを連れていくのか?」
「……?」
 炉の中から炭になっていない焚き木をかき出すグラウスは、背を向けたまま呟いた。

「さっきお前の仲間が来たとき、そんなこと言ってたろ」
 サクは階段から足を離し、グラウスの背に身体を向けた。
 もしかしたら彼は、そういう“予感”がするのかもしれない。

「……、」
 確かに、サクも先ほどのエレナの言葉は気になっていた。
 エレナたちから事情を聴きたいところだったが、この父は、今、答えを求めている。

「もしそうだとしたら、いいのか?」
「ついていくなら、あんたみたいな人がいる方がいい。それに、それは俺の決めることじゃないし……、別に珍しいことでもないだろ」
 ガリガリと炉をいじる音が無機質に響く。

『別に珍しいことでもない』

 それは、確かにその通りだ。
 あの年で、魔術師。
 そうなれば、手に職を付けるよりも、旅をして魔物を倒すか魔術師試験を受けるのが通例だ。
 そして、見たところ、彼女は魔術師試験の勉強をしていない。
 漫画で埋もれたあの部屋がいい証拠だ。

 聞いたところによれば、彼女は治癒魔術を使えるらしい。
 そして、遠距離の攻撃魔術も。
 治癒魔術と遠距離攻撃の双方をマリスが担っている現状からすれば、確かに彼女は必要な人材だ。

「元気だけが取り柄で……、鍛冶屋を継ぐこともできそうにない。人の役に立ちたいと言ってるだけで、やりたいことも見つかっていない。たびたび町の外に駆け出して行ったと思えば、数日返って来ないのは当たり前」
「……」
 それが、ティアの行動なのだろうか。
 そんなことをされ続ければ、“親”は一体どう思うだろう。

「あいつはいつか、“やらかす”。治癒魔術が使えるから大事には至ってないが……、いつか、な」
「……」
 心配、なのだろう。
 彼女の将来も、彼女の身も。
 それこそ、店を閉めて探しに行くほどに。
 恐らく、毎回。

 現に、ティアは昨日、“やらかしかけた”。
 言ってはいないが、縦横無尽に突き進んだ結果、“魔族”に遭遇してしまっている。

 表情の見えないグラウスは、もう必要ないだろうに、炉をかき回した。

「ヘタレなのに、変な度胸だけはあってな……。理想を追うのは、別にいい。だけど、現実ってのはそう甘くない。その差ってのは、寿命が縮む。理想に届く前に、それが尽きる」
 もしかしたら、それはサクに言っているのではないかもしれない。

「あいつは本当に、義兄に似てるよ」

 最後にグラウスがそう呟いたところで、店のドアが勢い良く開いた。

「あなたっ!!」
「……!」
 入ってきたのは、ティアの母だった。
 青みがかった長い髪を振り回し、一心不乱にグラウスに駆け寄る

「良かった……、戻ってきてたのね……!!」
「どうした?」
 その剣幕に、グラウスの目つきが鋭くなる。
 ティアの母は、グラウスの手を引きながら外に連れ出す。

「……!」
「なっ、」
 それについて行ったサクの目に、信じられないものが映った。

 魔物、だ。
 ライドエイプやクンガコング。
 さらには、依頼で会う機会のなかった、赤く、野犬のような姿のレッドファングまでいる。

 外でなら、珍しいことではない。
 だが、それらが町の中、しかも、埋め尽くすように現れていては、話は別だ。
 ここはまだ町外れだが、この様子では町中に溢れているだろう。
 建物を力にあかせて殴りつけ始め、その建物から蜘蛛の子を散らすように人が逃げ出していく。
 どうやら、戦闘意欲もあるらしい。

「いっ、一体いつの間に……、っ、」
「―――、」
 一瞬。
 イエローの閃光がサクの死角から、爆ぜた。
 店から飛び出た三人に跳びかかった魔物が、グラウスの突き出した右腕に止められる。
 その手からほとばしるイエローの閃光は、金曜属性。
 その強固な盾に、魔物は身体を打ちつける。

「っ、」
 魔物がグラウスの盾に身体を打ち付けてから、その間、瞬きもできぬほど、僅か。
 サクは愛刀を抜き放った。
 魔物には、爆発するまで何が起こったか分からなかったろう。
 事態の把握ができる前に、サクの一閃によりその生命を終えていた。

「……確かに金曜属性と言えども、その速度なら受ける必要はなさそうだな」
「そうでもない。最近妙なこと続きで、なっ!」
 グラウスの評価にサクはそう返し、鍛え直してもらった愛刀を振るう。
 切れ味が増しているように感じる愛刀は、確実に魔物の命を刈り取っていく。
 事態の把握は後回しだ。

 今は、魔物を倒すのが先。

 ティアの両親もかつてとはいえ、魔術師隊にいただけはあり、この程度の魔物など瞬殺している。

 グラウスが店から商品の斧を持ち出し、ティアの母が魔物をイエローの魔術で押し潰したところで、サクは店の中に飛び込んで行った。

「グラウスさん、先ほど見させてもらったが、この剣、買わせてくれないか!?」
 サクは吟味した剣をラックから抜き放った。
 軽い細身の剣。
 これならば、扱いやすいだろう。

「? お前、」
「いや、違う。私用に、ではない!」
 怪訝な顔つきになったグラウスに、サクは声を張り上げて返した。

 サクの背後から、外の喧騒に気づいたのか、階段からドタドタと人数分の足音が聞こえてくる。

「これは私の主君用だ」

―――**―――

 ガギッ、ボギッ、グシャ。

 気持ちの悪い音を立て、原形を留めていない魔物が彼女の足元にボトボトと落ちる。
 その屍の上で、彼女は妖艶に笑い、しかし、瞳は冷めきっていた。

「次は……、誰?」
 その少女、エレナの瞳に、理性のある魔物は尻込みし、動きを鈍らせる。
 素手から魔物の血を滴り落とし、汚らわし気にそれを振り払った。
 その一挙手一投足が、その場にいる魔物の脳裏に、死の光景を届け続ける。

「よおぅっし、みんなっ、エレナから離れるなっ! ここは安全だ!!」
「あんたも戦えって!!」
 怒りの吐け口を探していたようなエレナの相手となった魔物は、すべからく悲惨な死に様を曝し、虚しくも爆ぜていった。

 その近くで安全を確保していたアキラはエリーの怒号に、サクから与えられた剣を抜いて、近くの魔物を切る。
 彼女が選んだだけはあり、かなり使い勝手が良い。

 店から飛び出た瞬間事態を把握した“勇者様御一行”は、町に散り散りに駆け、いつの間にか分散してしまった。
 今いるのは、アキラ、エリー、エレナ、そして、

「うぉぉぉおおーーーっ!! エレお姉さまメチャメチャつえぇぇぇえええーーーっ!!」
「次はあなたね」
「うわわっ、ヘルプッ!!」
 エレナから一気に離れたティアの四人だけとなっていた。

「っ、」
 戦闘に置いて未だ緊迫感のないティアの背後に迫った魔物に、アキラは切りかかった。
 見たことのない紅い野犬は、オレンジの一閃を受け、爆発する。

「うおおっ、アッキー、マジ助かったぜっ!!」
「てかお前も戦えよっ!!」
「はっ!? い、いよぅっしっ!! 任せろぉぉぉおおーーーっ!!!」
 思い出したようにスカイブルーの魔術を撃ち出したティアに背中を任せ、アキラは正面の敵と対峙する。

 それにしても、一体何故、大量に魔物が町を襲い出したのだろう。
 ヘヴンズゲートの並びということもあって、町の警護は万全だったはずだ。
 今も各所で警護団や旅の魔術師が戦っている。
 だが、一向に数が減らない。

「これはもしかしてあれですかっ!? 昨日の魔族の弔い合戦ですか!?」
「やべっ、何気にそうっぽい!!」
 後ろから響いたティアの言葉に、アキラは昨日の魔族を思い出す。
 あの銃によって一瞬で消え去った存在だったが、魔界にしてみれば異常事態なのかもしれない。
 しかも、あの魔族、リイザスは魔王直属だとか言っていた。
 それを考えれば、魔王そのものが攻め込んできてもおかしくない。

「なあっ、俺っ、悪いことしてないよな!?」
「おおうっ、あれでバッチリでしたぜぃっ!!」
「……って、ふざけてないで―――」
「っ、」
 エリーが駆け出すよりも早く、ティアの背後から迫った魔物を、アキラが両断した。
 再び騒ぐティアをたしなめ、アキラは次の魔物に襲いかかる。

「……!! ノヴァ!!」
 真面目、だ。
 エリーは目の前の魔物に拳を叩き込みながら、アキラとティアの二人を眺めた。
 あのアキラが、真面目に戦っている。
 昨日から何度見ても信じがたい光景だったのだが、今のアキラは昨日以上。
 的確に近い魔物に切りつけ、深追いはしていない。
 ティアにも要領よくフォローを入れ、順調に敵を倒している。

 もしかしたら、ティアという存在は、アキラにとって、実力以上に必要な存在なのかもしれない。
 魔力の量はともかくとしても、ティアは、曲がりなりにも依頼を見学していたアキラより経験が薄そうだ。
 そのティアが身近にいることで、アキラにとっていい刺激になっている気がする。
 ティアも守られるたび大げさに褒め称え、アキラの調子を上げていく。

「……ある意味いコンビよね」
「!?」
 後ろで魔物の叫び声が聞こえたかと思えば、エレナがレッドファングを絞め殺していた。
 瞳は、今まで以上に冷えている。
 その視線が魔物に向けばあるいは頼もしかったかもしれないが、仲間の二人に向いていては戦慄する他ない。

 ただ、エリーも、先ほどから必要もないのに詠唱しながら魔物を殴りつけていたりするのだけれど。

「まっ、今はほっときましょ。あっちと違って、陸路は大変なんだから」
「……!」
 エリーが見上げたエレナの視線を追えば、建物の間の空に、シルバーの飛行物体が通った。
 ときおり、雷のように降り注ぐ銀の閃光が見え、各地で爆音が聞こえる。
 数千年に一人の天才は、魔物の手が届かない空間で、見事にその任を果たしているらしい。

「……ちっ、いいわね、楽で」
 勢いを増したエレナの蹴りつけは、目の前の魔物を弾き飛ばす。
 エリーの武術とは違う、粗暴な攻撃。
 だが魔物はそれになす術なく、その命を終え、爆発していった。

「……」
 木曜属性は、全属性中、最も身体能力強化に長けている。
 エリーはエレナの戦いを横目で見ながら、その知識を浮かび上がらせた。
 だが、エリーの知る木曜属性の魔術師は、こんな“化物”と形容できるほどの力は持っていない。

 クロンクランでの戦いではオーガースを片手で持ち上げ、依頼の戦いではクンガコングの群れをマリスと共に蹂躙していた。
 これで、エレナの戦いを見たのは都合三度目。
 たった三度のその光景は、それだけなのに、エリーの脳裏に刻まれる。

 魔力にあかせての暴力的な戦いでも魔物は瞬殺されているのに、エレナにはまだ相手の力を吸い取る魔術、キュトリムがある。

 やはり、エレナは異常だ。
 単騎では、落ちようもない。
 こんな超人が、モグリでいたなどと考えられないほどに。

 もし、仮に。
 仮に“七曜の魔術師”を集めることになるとして、そのメンバーで打倒魔王を目指すとするなら、木曜属性はエレナ以外にあり得ない。

「っ、ノヴァッ!!」
 エリーは全力で目の前の魔物に拳を放った。
 毬のように弾き飛んだライドエイプはスカーレットの軌道を作り、遠くの群れに飛び込んで、爆ぜる。
 エレナとは違う、技術も用いての攻撃。
 それなのに、エレナの攻撃よりは遥かに劣る。
 だが、自分だって“勇者様御一行”のメンバーだ。
 負けてはいられない。

「ふっ、」
 町を走りながらの戦闘。
 裏道から、角を曲がった直後に現れたクンガコングを蹴り上げ、エリーは大通りを睨んだ。
 数多くの魔術師と、それ以上の魔物に埋め尽くされたそれは、先ほど通ったとは考えられないほどの惨状。

 一刻も早く、魔物を町から消し去らなければ、

「……?」
 魔物を蹴り、再び周囲を見渡したところで、エリーはようやく、そこにあった異様に気づけた。

 戦っている警備隊。
 戦っている旅の魔術師たち。

 それらは、別にいい。

 だが、その他の住民。
 それらが、魔物に埋め作らされた大通りで、逃げもせず、一心不乱に一つの方向に固く握った両拳を震わせている。
 目を固く閉じて。
 まるでそうすることが義務のように。

 そしてその全員の向く方向。
 それが頂点をとうに過ぎた太陽を背負う巨大な岩山だとエリーが気づくのには、時間は要らなかった。

「なっ、逃げ―――」
「ほっときなさい」
 叫ぼうとしたエリーを、エレナの冷たい声が止めた。
 息絶えた魔物を、まるで爆弾のように別の群れに投げ込み、冷たい瞳を祈る人々に向ける。

「この町の奴ら、引きこもりの神様に祈るの好きみたいね」
 皮肉も、何もなく。
 エレナは完全に興味を失ったような声を出した。

 エリーも、彼らが何をやっていたかは分かる。
 彼らは、神に、祈っているのだ。

 だが、その本質はそうではない。
 彼らは、神に、“頼っている”。
 彼らは迫りくる魔物たちから、戦えない者ができる最低限の行為、逃亡すらも行わず、ただ、神に頼っている。

 足掻きすらしていない。

 ヘヴンズゲートともなれば、信仰心の強い者もいるのだろう。
 だが、その光景は異様だ。
 現に旅の魔術師たちも、彼らの行動に戸惑っている。

「恥ずかしいとこ、見られたな」
「……!」
 飛びかかってきた魔物がイエローの閃光に爆ぜたかと思えば、その奥から無精ひげの男が斧を持って現れた。
 巡り巡ってここに来たらしいティアの父、グラウスは、何ともいえない表情で、“頼る”群衆を見やる。

「だが、あれはここだけに限らない。俺が魔術師隊にいたころ、各地を回ったが……、たびたび“こういう場所”がある」
 大斧を軽々と振り回し、グラウスはクンガコングを切り飛ばす。
 流石に元魔術師隊。
 引退しているとはいえ、この程度の魔物では疲労にすらならないらしい。

「せめて、逃げるってことだけでも、動いてくれればいいんだが、な」

 エリーはグラウスの言葉を背に聞きながら、魔物を屠る。
 確かに、戦うことまでは求めない。
 だが、自分の身を守る最低限のこと。
 それは、できなければならない。

 常に、“何かできる”と思って動かなければ、何も変わらない。
 それが、彼らには、欠如しているのだろう。

 グラウスのように、動く者もいる。
 それが、この町の一つの面なのだろう。
 だが、別の面は、エリーの背筋を冷たく撫でる。

 “しきたり”に縛られた世界。
 生まれてからずっと、見つめていた世界だ。
 不自然さは、一切感じない。

 だが、異世界から来たアキラや、“しきたり”にまるで縛られないエレナと出会って、それが徐々に、陰り始める。

 エリーは、自分の世界が狭く見えてきた。

「……! エリーさん!」
 その声に、我に返ったエリーは振り返った。
 グラウスの向こう、やはり共に行動していたのか、サクが駆け寄ってくる。
 その後ろに、ティアの母も見えた。

「エリーさん、みんなは……?」
「エレナさんならそこ、マリスは上で、残りの二人は今来るわ……!」
 手短に伝え、エリーは魔物を蹴り飛ばす。
 僅かにエレナを意識した乱暴な蹴りは、思った以上に有効打だったようだ。

「そうか、全員無事で……!!?……」
 見上げてマリスを確認しようとしたサクの表情が、固まった。
 上空に浮かぶマリスも、その方向を睨み、表情を硬くしている。

「ちょっ、あれ!!」
「―――!!」
 次いで気づいたエリーの声に、エレナも顔を上げた。

 マリスの睨む先、空から、巨大な塊が近づいてきている。
 まるで、晴天を覆う黒雲。
 東の空一色を染めるその塊は、魔物の群れだ。
 森林の空を飛び、まっすぐにヘヴンズゲートを目指してきている。

「っ、ほんとに、昨日の魔族の弔い合戦っぽいわね……!!」
「お前ら魔族を倒したのか!?」
 グラウスの緊迫感漂う声に、エリーは頷き、しかしその眼は空だけを捉える。

 巨大な獣王に翼が生えたような姿のザリオン。
 鋭く嘴を尖らせた巨大な翼竜を思わせるガブスティア。
 竜族の姿もちらほら見える。

 いずれも、今町を陸路で襲う魔物たちとは一線を画する激戦区の魔物たち。
 そしてそれらはほとんど禍々しい赫をその身に宿し、空の一角をその色に染めていた。

 常識外れだ。
 この大群は。
 町が、消える。

 容易すぎるその想像に、その大通りにいた魔術師全てが動きを止め、魔物たちですらもその大群に身体を硬直させていた。

「―――っ、流石に、これは、」
「……!」
 マリスが空から降り立ち、エリーの背後を見やる。

 エリーが振り返れば予想通り、裏道から出てきたばかりで事態を把握していないアキラが立っていた。

「あれ? みんな揃ってんじゃん」
「うおおおっ!! アッキー、上っ!! 上っ!!」
 アキラの呑気な声と、ティアの叫び声。
 アキラは一瞬眉をひそめ、そのままの顔で空の赫を見上げ、硬直した。

 自分は、とんでもない所に来てしまったのではないのだろうか。

「アキラ君、出番」
「え、あ、ああっ!!」
 勇者様の登場に、エレナはほっと息を吐き、アキラの正面を開ける。

「……、」
 右手にオレンジの光を集めながら、アキラはちらりとエリーを見た。

「……いいわ。流石に、これは、」
「だっ、だよな!!」
 エリーの許可に、アキラが集めた光をさらに収束する。
 日輪属性、武具の具現化。
 クリムゾンレッドのボディから漏れだすそれは、おびただしいほどの魔力。
 たとえどのような勢力で敵が現れようとも、それを無に帰す絶対的一撃を有した、最強の武具。

 その広場にいた誰もが、オレンジの光を漏らしたアキラに視線を向ける。

 この力を使うことに肯定的でないエリーも、その光景には気分がいいものがあった。
 神に頼りきっていた人々に、これを、見せたい。
 自分たちも頼っている。
 だが、その対象は、姿の見えない神などではなく、“仲間”、だ。

「……っし、」
 全身に魔力をほとばしらせ、アキラは身体を固定する。
 防御幕と、昨日のリイザス戦で、いつの間にかできるようになっていた身体能力強化。
 これを用いれば、もうこの力は、揺るがない。

「―――」
 アキラは銃を構える。
 狙いは、空の赫、総て。

 その光景を横から見て、エリーは、一般人にしてみれば死の淵のような事態でも、僅かに微笑んでいた。

 この男は、その力を使っても、朝、現れてくれる。
 その確信があれば、有事の際に、この力は必要だ。
 彼は、裏切らない。

「行くぜ―――」

 全員が固唾を飲んで見守る中、アキラから、巨大なオレンジの閃光が放出された。
 その神々しい光に、総てが息を呑む。

「―――……」

 総ての赫がオレンジに染まった、その瞬間―――

「―――!!?」

―――その赫に、同じオレンジの光が、空から撃ち下ろされた。

「なっ、」
 最初に声を漏らしたのは、サクだった。
 前方と上空から絶大的な一撃で狙い撃たれた赫の大群は瞬時に絶命。
 大気を揺する爆音を奏で、空を青に明け渡す。

 だが、今の攻撃は、アキラだけのものではない。
 もう一つ、同じ絶大的な一撃が、

「っ―――」
 サクは瞬時にその光線が放たれた方向を睨む。
 そこは、背後にそびえる巨大な岩山。
 その天井を隠していた雲は、巨大な輪を開けられ、不自然に漂う。
 あの穴は、間違いなく、今の光線を通したゆえのものだ。

 二閃。

 それが赫の魔物に確実な死を届けた。

「おおおっ、」
 次いで、群衆から声が漏れた。
 祈りを捧げていた者たちは、身体を震わせ、岩山に深々と頭を下げる。
 その瞳は、確信に満ちていた。
 今自分たちの窮地を救ったのは、あの岩山の上にいる存在だと。

「ちょっ、ちょっ、俺っ、俺はっ!?」
「いやいやアッキーあっしは見てましたぜすごいすごい」
「いや、お前はいいよ。しかも棒読みだし……」
「ひどっ!?」
 アキラとティアは喚き立てるが、その他は岩山を見上げていた。
 群衆は、祈りを捧げながら。
 戦っていた者は、目つきを鋭くしながら。

 これは、この場にいる誰もが、初めて経験した事態。

 神による一撃だった。

―――**―――

「んもぅっ、さっすがアキラ君!!」
「エレねー、ストップっす」
 階段を上りながらアキラにしがみつくエレナを、マリスが引きはがした。
 エレナはいつものマリスの仲裁に、わざとらしく拗ねたような顔を作るが、内心の上機嫌さは相変わらず漏れ出している。

 優越感一色の瞳を、眼下で見上げる門番たちに向けると、嘲るような表情を作り、顔を背けた。
 通れなかった階段への入り口を通過し、エレナの機嫌はようやく戻ったようだ。

「うおおっ、町ちっちゃっ!! いやいやいや、いっっちど登ってみたかったんですよっ!! この階段!!」
「何であんたもここにいんのよ。こけて転がり落ちなさい」
「エレお姉さまっ!!? 機嫌直ったんじゃないんですかっ!!?」
「冗談よ。あなたが黙り込んでさえいれば」
 エレナの睨みに、ティアは無理矢理自分の口を抑え込んでエリーの背後に隠れた。

 どうもエレナはティアを好きになれないようだが、自分を巻き込まないで欲しい。
 エリーは顔でエレナにそう返したが、エレナは気づきもせず、またもアキラの腕にからみつき、マリスに引きはがされていた。

 空から降り注いだあの一撃のあと、腑に落ちないながらも魔物の雑踏を倒していた“勇者様御一行”の元に、白いローブを着た使者が現れたのはほんの半刻ほど前。

 恐らくはアキラの攻撃を見たゆえだろうが、“神”が直々に“勇者”を呼び出したらしい。
 この異常事態に使者の中にも戸惑いに満ちた顔つきの者が多く、アキラたちも同じく戸惑ったが、エレナの一言により、ついぞここまで来てしまった。
 門番への復讐のためだけに神に会うと言った者は、もしかしたらエレナが初かもしれない。

「しかし……、神、か……」
 エリーの隣で、サクが神妙に呟いた。
 その瞳は、まだ半分ほどしか進んでいない階段の先にある、巨大な白い門。
 顔は緊張に震え、頬に一筋汗を流している。

「確かに……、あたしも、神族に会えれば、って思ってたんだけど、まさか神様とはね」
「ああ。おとぎ話でしか聞いたことのないような存在が、あの先にいるとは、な」
 エリーはようやく賛同者を得て、頬を緩めた。
 アキラ、マリス、エレナ、そしてティア。
 この四人は、緊張感がまるでない。
 どうしてこうも、普通でいられるのか。

「まあ、ぶっちゃけ神っていっても、神族の長ってだけでしょ? 国王と変わりゃしないわよ」
 相手が国王であっても緊張すべきだろう。
 そうエリーは思うが、エレナにとってそれらは一般人と同列らしい。

「エレねー、信仰心薄いっすよね……」
「私の信仰心が強かったら、人混み通ったあとに懐は潤ってないわよ」
「またやったんですか!?」
 ヘヴンズゲートでスリなどという信じられない行動を起こしていたらしいエレナは、しれっと笑う。

「勘弁して下さいよぉ~~っ、」
「あら? あなたが知らないだけで、同業者は沢山いたわよ。人が集まるってのは、そういうことでしょ」
「エレお姉さま、マジ半端ないですっ!!」
「あん?」
「ほっ、褒めたのにっ!!?」
「エレねー、ここで暴れると、ほんとに危ないっすよ」
 がやがやと騒ぐ面々。
 ティアに掴みかかろうとしたエレナを止めたマリスにも、緊張の色は見られない。
 彼女もどうやら、神様という存在に、そこまで心酔していないようだ。

 人間は力を与えられた対価として神族に従わされている、という“中立説”を良く知るだけはあって、あまり信仰心は高くないらしい。

 そして、

「いやっ、やっぱ定番だよなっ! 神様に会うってのはっ!」
 一人、緊張どころかこの展開に喜び切っている男がいた。
 恐らく神に会えば、そこでようやく緊張するのであろうが、今は定番の展開と心躍っているようだ。

「神に選ばれた“勇者様”が、ってか? やべーよ、俺たち空飛ぶ乗り物とか手に入れて、今まで行けなかった場所とか行けるようになるぜ?」
「どこからそういう発想出てきてるのよ?」
 胸躍るようにずんずん進むアキラに、エリーの声は届かなかった。
 アキラにしてみれば、せっかく赫の魔物を全滅させたのに、大衆が認めてくれなかったのが不満だったのだろう。
 その攻撃を、神が認めてくれたらしいことが嬉しいのだろうが、大衆の視線を集めたのがまさしくその神の一撃だったことは忘れているのかもしれない。

「とにかく、どうでもいいけど、失礼なことしないでよ!! 全員、分かった!?」
「おうさっ!! 私にっ、ま、か、せ、――――いだっ!? いだだだっ!!!?」

 最も不安な騒がしい少女の口をエレナの右手が捉えたところで、一行は白く巨大な門に到着した。

―――**―――

『……ああ、お前らは“そういうパターン”なのか』

 門に入った直後にそう呟きながら現れた男の案内に続き、アキラたちは宮廷のような廊下を歩いていた。
 岩山の中とは信じられない白く輝く廊下は、この場にいる全員が横並びできるほど幅も広く、天井も透けているように高い。
 壁や天井に神話のような見事な絵画が描かれているかと思えば、定期的に両脇に設置されている精巧な芸術品のアンティーク。
 人間界にあればいかなる成り金の豪邸なのか、と思うところだが、奥に待つのが神だと知れば、その豪勢さは妥当なところなのかもしれない。

 テレビの中でしか見たことのないような荘厳な廊下を、階段を上っていたときの高揚した気分はどこにいったのか、アキラは庶民特有のせせこましい表情を作りながら歩いていた。

「な、なんか、胃が痛い」
「あ、お前も……?」
 小声で横を歩くアキラに呟けば、同じようないたたまれなさを感じている者の声が返ってくる。
 エリーは自らの姿を忙しなく正し、緊張しながら視線を泳がしていた。

「そう緊張するな。その程度では主の前に立ってもいられない」

 そんなアキラたちの様子に、前を歩く男はどこか嫌味のある表情を返してきた。
 白いローブに身を包んだ男は長身で、色が薄く長い髪を、首筋で束ねている。
 よくよく見れば、耳が少し尖り、肌の色も妙に白かった。

「そういえば、さっきのどういう意味なんすか?」
 初めて見たが、彼は神族なのだろう。
 そうエリーが結論付けたところで、この廊下の雰囲気でも普段と変わらぬ気だるい声が響いた。
 相手が神族だろうが、マリスはなんら構えることなく半分の眼を前の男に向ける。

「さっきの、とは?」
「『そういうパターン』ってやつっすよ。自分たちが入ってきたとき、言ってたじゃないっすか」
 妹の態度に、感心しつつもどこか胃の痛さが増した腹部を押さえたエリーだが、確かにそのことは気になっていた。
 どこか高慢な印象を受ける前の男は、自分たちを一瞥し、そう呟いたのを覚えている。

「言った通りの意味だ。ここに招かれたお前たちは、ぞろぞろと仲間を連れた勇者一行。初代の勇者もそうだったらしいが……、“七曜の魔術師を集めるパターン”は、今までで一番多い」
「……、」
 お決まりのパターンとは、最も数が多いからそう言われるのだろう。

 あくまで態度をそのままにし、神族の男は前を向いたままそう返した。
 その様子に、一番気がかりな仲間にエリーは視線を移すと、予想通りエレナが不機嫌になっている。
 高慢な態度の目の前の男に、明らかに不満の目を向けていた。
 ちらほらと、殺気に似た空気も感じる。

 だが、目の前の神族の態度は自然なのだろう。
 人間の上に君臨する神族。
 その地位は、一般人が“勇者様”への敬意の、それ以上を向けなければならないとエリーは習った。
 自分がアキラに敬意を向けているかはさておき、目の前の神族は敬わなければならない。

「まあ、お前らは……、一人足りないようだが……、まあ、主が通せとおっしゃるのならば仕方がない」
「その主って、さっき加減も考えず上から光線撃ち落とした奴?」
「……!」
 エレナの不躾な言葉に、神族の男は足を止め、振り向きざまにギロリと睨む。
 だがエレナは、そんな男の視線を関心のないように見返した。

「ちょっ、」
 その険悪な空気にエリーは声を漏らすも、神族の男はその表情を変えないまま、再び歩き出す。

「私は見てないが……、魔物の大群が攻め寄せてきたのだろう? それを屠ったのだ。ありがたく思え」
「あら? あんなのうちの“勇者様”だけで十分だったわよ。もしアキラ君が同時に撃って相殺してなかったら、森の一角がまるまる消えてたわ」
 それは、エリーも思っていた。
 あの、空からの一撃。
 威力はアキラのそれと同等だ。
 山を消し飛ばすほどの威力の力を撃ち下ろせば、魔物たちの目下にあった森林は全焼していただろう。

 だが、変わらず続くエレナの挑発に、この場いる全員が身を硬直させる。
 この女は、気に入らない相手には、例え神族だろうと愛想をふりまかないらしい。
 エレナは得意げに嘲笑し、冷たい視線を目の前の男に送る。
 神族の男にとっては、人間などにそのような態度を向けられ、不本意だろう。
 順調に、エリーの胃は痛みを増していった。

 だが、

「相殺した、だと……?」
「うぇ、」
 次に振り返った男の睨みが向いたのは、エリーと同じく胃の痛みを患っていたアキラだった。
 神族に途端睨まれ、借りてきた猫のように大人しかったアキラの身体がさらに硬直する。

「そ。町の危機に随分もたついてた、あんたの主の攻撃とやらは、全然、全く、完璧に、要らなかったのよ」
「エレお姉さま、私、この空気耐えられないんですけど、」
「何となくついてきた罰よ。耐えなさい」
「きゅぅっ、」
 視線も向けないエレナの冷たい声に、大声の出し方を忘れてしまったようなティアがさらに小さくなる。
 この分なら、ティアも大丈夫だろう。マリスも、ある程度わきまえている。
 エリーは視線を縮こまったアキラと沈黙を守るサクに移し、二人も問題ないことを見届けると、エレナに視線を戻した。
 後生だから、せめて今から会う神の前では猫を被ってもらいたい。

「まあ、ここに入れるのだから、それくらいはできてもらわねば困ると言っておこう」
「っ、」
 エレナがさらに口を開きかけたところで、神族の男は足を止めた。

 何事かと様子を見ていれば、男は、手のひらを前に突き出し、目を瞑って何かを呟いた。

「……!!」
 すると、男が手をかざした空間、どこまでも続いて行くような廊下の中腹に、途端巨大なドアが現れた。
 ぼやけた光に包まれていた白塗りのドアは廊下の通路を閉ざし、光が収まると、まるで最初からそこにあったかのように目の前に座す。

「“お前たちには見えなかったろうが”、ここが、主が降臨される間に続くドアだ」
 最後に挑発的な言葉をアキラたちに、主としてエレナに届けると、神族の男は途端その場に跪き、ドアに向かって首を垂れる。

「ヴォルド=フィーク=サイレス。主の命により、現れた勇者一行を連れてまいりました」
 男の名は、ヴォルドというらしい。
 自己紹介さえもしなかったヴォルドは背後のアキラたちなど見向きもせず、ただドアにだけに意識を向ける。
 高慢な男のその様子が、その先にいる存在はどういうものなのかを明確に伝える。

 ドアの向こうにいるのは、間違いなく、

「そう。通しなさい」

 静かな、女性の声が聞こえた。
 しかしその静かな声は、そのはずなのに廊下中に響き、全員の身体を震わす。

 高圧的なようで、しかし逆らう気も起きないようなその美声が響き終えれば、代わりにドアが重く開く音が廊下に響く。
 光が漏れ出すように動き出したドアの前、ヴォルドは蹲ったまま。

 ちらりと視線を向けてアキラたちに同じようにすることを促すが、エリーが動く前にエレナが立ちふさがり、ヴォルドを見下す。
 駄目だ、エレナは。
 高圧的な相手に対して、全く屈するつもりがない。

「ヴォルド、ご苦労だったわね」

 開ききったドアの向こう、黄金色の王座に薄いローブ姿の女性が座っていた。
 身に唯一纏っているのは銀のローブ。
 それに隠された、雪のような白い四肢はキラキラと輝くように美しく、その容姿も同様だ。
 王座と同じ黄金の長い髪をトップで纏め、エメラルドの大きな瞳は総てを見定め受け止めるような寛容さを備えている。
 想像していたよりも、ずっと美しい。
 どれほど精緻に彼女を模そうと作品を創り上げても、決して届かぬ唯一無二の存在。
 あらゆる芸術家が、不可能と分かりながらも神を描く理由が分かる。
 その美貌を現世に繋ぎ止めておきたいと誰もが思うのだろう。
 僅かに尖った耳も、高い鼻も、総てが完璧に、“美”へのベクトルに足並みをそろえている。

 金と銀の装飾品が並ぶ巨大な王間が、赤いカーペットが一直線に向かう先の、その存在がいるだけで、霞む。

 キン、と耳鳴りがするような空間に、神は、王座のひじ掛けにもたれかかり、不遜に足を組んでいた。
 だが、それさえも、彼女が行えば、いや、彼女のみが、そうすることを許されるように人の眼を惹きつける。

 彼女が、今、天界を統べる者。

「女神……、じゃん」
 エリーの隣から、その光景に自然と漏れる声が聞こえてきた。
 その声に、エリーはようやく我を取り戻し、アキラの腰を軽く小突く。

「よく来た、勇者。入りなさい」
 目の前の女神は、アキラだけをそのエメラルドの瞳で捉え、招き入れる。
 熱に浮かされるように歩を進めたアキラに続き、全員がその間に足を踏み入れた。
 神への接近。
 それが、今、自分たちが行っていること、

「ヴォルド、ドアを」
「はい。お前たち、粗相のないようにな」
 背後からヴォルドが囁き、ドアでヴォルドの残る廊下が遮断される。
 不思議なことに、このドア以外、ここには出口が存在しなかった。

「……、従者が一人もいなくていいのかしら?」
「っ、」
「ちょっ、」
 最初に声を発したエレナの服の裾を、エリーは思わず力任せに引きよせた。
 やはりエレナは、ああいう態度の相手は例え神であろうとも、らしい。

「私は女神、アイリス=キュール=エル=クードヴェル。天界を統べる者、です。勇者、お前の名は?」
 しかし、女神、アイリスは、エレナを一瞥もせず、アキラだけをその眼に捉えた。
 表情からは何もうかがえない。
 エリーは、エレナの服を決して離さないようにしながら沈黙を守った。

「ヒダマリ=アキラ、です」
「そう」
 緊張でか細くなったアキラの声と、王間に響く静かなアイリスの美声が交差する。

 アキラだけが一歩前に出て、その神との対面を、エリーは残る四人と背後から見守った。
 こうして見ると、改めて、アキラが勇者であると認識せざるを得ない。
 あの神に、視線を向けられている。

「では聞くが……、アキラ。あのとき日輪の魔術、“プロミネンス”を放ったのはお前で間違いないな?」
「……、」
 神のプレッシャーを全身に受けながら、アキラは一瞬目を丸くした。

 プロミネンス。
 あの正体不明が放つでかい光線、と認識していた魔術に、そんな中二臭い名前が付いているとは初めて知った。

 アイリスからあっさりと告げられた新事実に、アキラはコクリと首を縦に振る。

「そう」
 アキラの応えに、アイリスはエメラルドの瞳を僅かに細め、一言だけ返した。
 思考を進めるように沈黙したアイリスに、アキラは尋問されているような気分を受け続け、一歩後ずさる。

「……、失礼ですがアイリス、さ、ま。その、日輪属性の魔術について、教えて下さります?」
 そのまま部屋に溶け込みそうだった一行を、エレナの僅かに嫌味を込めているような声が現実に引き戻した。
 エリーが腰の服を引くが、エレナは構わずアイリスに視線をぶつける。
 先ほどからアキラ以外を見ていない態度も気に食わないが、謎に包まれている日輪属性。
 その正体を知っている女神に、聞いておきたいことはある。

「…………」
「あの……?」
「…………」
「っ、」
 いくら呼びかけても反応しないアイリスに一歩詰め寄ろうとしたエレナを、エリーと、新たに加わったサクが全力で止めた。
 確かにあの態度は気に障るが、正に神をも恐れぬエレナを野放しにしておくわけにはいかない。
 一番の不安材料は、呆けたままのティアより、やはりエレナだったようだ。

「…………、その力なら、」
 ようやく、アイリスが口を開いた。
 しかしそれはやはり、アキラだけに向けて。
 エレナの額に青筋が浮かんでいるように見えるのは、エリーの気のせいだけではないかもしれない。

「すでに、十分に魔王を倒せるでしょう」
「……!」
 神の評価に、アキラの表情が変わった。
 背後に並ぶ仲間からも、同じ空気が漏れ出す。

 今まで、その予感はしていた。
 自慢げに自分は何度もその言葉を口にしていた。
 だが、神という存在に認められ、その予感は確信に変わる。

 アキラは、やはり、魔王を倒せるのだ。

「今回の魔王は英知の化身、ジゴエイル。何を企んでいるか分かりません。早急に倒す必要があります。……頼みましたよ」

 最後に。
 女神アイリスが、魔王の名と、お決まりのような台詞を口に出し。

 “勇者様御一行”の、神との邂逅は終わった。

―――**―――

「ねえ、アキラくぅん……、私、あの山が消し飛ばされるとこ、見たいなぁ……」
 流石に、『おうっ!!』とは言えなかった。

 翌朝。
 町外れの宿舎の前で、アキラはしな垂れかかるエレナを珍しくも押し返した。
 神族の王との面会に、毒気を抜かれたような面々は、会話もそこそこに眠りに就いたのだが、エレナだけは昨日からあの岩山の撤去をアキラに迫ってきている。
 余程、女神アイリスが気に入らなかったらしい。

「……、」
 だが、その感想は、アキラも抱いていた。
 昨日の面会は、一体なんだったのか。

 大した情報も与えられず、質問もできず。
 ただ、本当に、イベントのように消化された神との邂逅。

 これがゲームの世界なら、ない話ではない。
 アキラもかつて行ったいくつかのRPGでは、神様がいるんですよ、的な情報を与えるのみのどうでもいいイベントがあった。
 だが、それをやる必要性。
 それすら感じられない。

 そう考えると、今までアキラは、感想を持つ、ということを一切してこなかったように感じる。
 ただ情報を受け取るだけなら、誰にでもできる。しかし、これは重要そうだな、程度に考えるだけだ。誰もその奥を見定めようとしない。
 それが希薄になるのは、感想を持つ者が少ないからだ。

 感想。
 まるで小学校のときにやった、読書感想文のような話だ。
 アキラはその手のものが嫌いだった。
 物語は、楽しむためだけのもので、深追いしてしまえば濁ってしまう。

 物事には必ず二面性がある。
 両面見る必要がある、ということは、当たり前のようによく言われる。

 だがそれは、もしかしたら、物語のあるべき楽しみ方ではないのかもしれない。
 そう、思ってしまう。

 濁らずにいるからこそ、物語は、世界は、キラキラと輝くのだ、と。

 やっぱり駄目だ。
 深く考えるのは。
 優しい世界が表情を変えてしまう。

 アキラは、それが、恐い。

 腕にエレナの感触を受けながら、しかしアキラは、呆然と、高い岩山を見上げ続けた。

 神との会話は、ただ、魔王の名と、自分の力に名前が付く、という単なるイベント。
 そう、考えよう。

「……、エリーさん、」
「……うん、やっぱりサクさんも?」
 そんな、アキラとエレナから離れた二人は、同じように天界へ続く岩山を見上げていた。
 エレナを止めに行ったマリスを見送り、エリーはサクが自分と同じ疑問を覚えていると察する。

 昨日、一晩考えたが、やはり頭にしこりが残っていた。
 今日の朝の鍛錬を、中止にするほどに。

 静かな朝。
 二人が見上げるのは、ようやく形を取り戻しかけている、大穴の空いていた岩山を覆う雲。
 その雲を、神の放ったアキラの銃と同様の魔術、プロミネンスとやらが突き破ったのは明確に思い出せる。

「あの神は、言っていた。その力ならば十分に魔王を倒せる、と」
「そうなのよね」

 昨日の邂逅は、思い起こさずとも脳裏に刻まれていた。
 あの“神”という存在を一目見れば、その姿を生涯眼に焼き付けることになるだろう。

 だが、その言葉。

 今まで“しきたり”に無条件に従っていた二人の心に、闇を作った。

「ならば何故、“早急に倒す必要のある魔王”を、神は倒さないのだろうか」
 アキラと同じ力を持っているにもかかわらず。
 そう言葉を紡ぐ必要もない。
 二人が持っている疑問は、同じものだ。

 人間たちの義務。
 そう言ってしまえばそれまでだろうが、合理的ではないように思える。

「神ともあろう存在が、“魔族説”をとっている、なんてことは……、」
「それは、流石にね……、」

 口ではそういうものの、サクの言葉に、エリーは僅かに納得しかけた。

 “魔族説”。
 それは、人間界を魔族に明け渡すべきである、という説だ。

 もともと天界と魔界が存在し、その中間に人間界が後から発見された。
 それならば、人間界は天界と魔界で分けるべきであり、長年人間界を統べてきた神族はそろそろ、同等期間、魔族に人間界を渡すべきではないかと考えられている。

 そのあまりに強引な考え方に、神族を称える“神族説”や、冷静に歴史を視る“中立説”と比べると、支持する者は異様に少ない。

 だが、人間が魔王を倒せなくなったときをもって、魔族による支配が始まると考えるのなら、神が人間のみを魔王と戦わせている理由も分かる。

 ただ、いずれにせよ、人間界が支配されるべき場所であるという考え方は変わらない。

「どの道、私は神を好きになれそうにない」
「……、みんなそう見たい。特に、エレナさん」
 エリーも岩山を消し飛ばしたいと思うほどではないが、あのアイリスという女神に好感は持てなかった。
 神に誓いを立て、魔術師隊に入ろうとしていた自分の気持ちを、今はもう思い出せない。

 あの高慢な態度。
 案内をしたヴォルドという神族も同様だ。
 この町にいる住民は神や神族を称えているが、神族たちから見れば人間などその辺りにいる動物と変わらないのだろうか。
 もてなせ、とまでは言わないが、せっかくの勇者の来訪に、案内役のヴォルドとわざわざ呼び付けて命令のように魔王を倒せと言ったアイリス以外の神族が現れなかったのも、取るに足らない存在と思われているのだろう。

 そして、アキラのみに話していたのも気に入らない。
 神と会話したアキラは、未だに放心状態が続いているように口数が少なかった。
 大方、今になって神という存在がどういうものなのか理解し始めたのだろう。

 あの高圧的な態度に、質問もできなかった自分たちが得られた情報は、魔王の名前のみ。
 わざわざ神が自分たちを呼び寄せた理由も分からないままだった。

「てかさ、とっととこの町出ましょうよ」
 アキラで岩山を消し飛ばすことを諦めたエレナが、くるりと振り返った。
 長い髪を神族さえも見下す傲慢な動作で投げ上げる。
 その瞳には、いち早く嫌なことしか起こっていないこの町への怒りが見え隠れしていた。

「ねえ、魔王ってどこにいるの? とっとと殺してあの神の無能っぷり全世界に知らしめましょうよ」
 ヘヴンズゲートの町でよくそんな言葉を吐き出せる。
 人通りの少ない朝だから助かったものの、エレナはエリーの視線も意に介さず、私欲丸出しの顔つきでマリスを見た。

 マリスは眠たげな眼を一度閉じると、首だけ動かして空を眺めた。
 方向は、北。

「中央の大陸、ヨーテンガースに居城があるって聞いたっす。ここからなら、北の方が船着き場に近いっすね」
「んじゃ、決まりね」
 マリスの返答に、エレナは大股で歩き出す。
 あの神の態度は、エレナにとって、かえっていい刺激になったのかもしれない。

 エリーは小さくため息一つ吐き、その背を追った。
 目指すは、北の大陸だ。

「って、ちょっとぉぉぉぉおおおーーーっ!!!?」
「ちっ、」
 静かな朝に響いた大声と、エレナの舌打ちに振り返れば、そこには中ほどサイズのバッグを担いだティアが息を弾ませていた。

「待ってて下さいって言ったじゃないですかっ!!」
「ついてきてどうするのよ?」
「ほらっ、私っ、水曜属性だしっ!! この先もっ、何かあるかもっ、」
「いいわよ。本当に必要になったら現地でみつくろうから」
 冷たく見放すようなエレナの足元にしがみつき、ティアは騒ぎ続けた。

「はあ……、まあ変な縁、できちゃったしね」
「……ああ、そうだな」
 エリーの諦めたような言葉に、サクは小さく頷いた。
 サクの視線の先には、エレナに口を塞がれたティア。
 特別なことなど何もなかったのに、彼女には、何故か奇妙な親近感を覚える。

 昨日のグラウスとの会話も、このためにあったように思えるのだ。
 そして、変な縁と言うエリーも同じなのだろう。
 恐らくエリーも、サクと同じ感覚を味わっている。

 昨日、神との邂逅を通して打倒魔王の使命に燃えたティアが、両親に旅立ちの許可を取ると、今と同じ音量で騒ぎ消えていったのは、ある意味神よりも鮮明に思い出せた。

 ティアも、旅に出るなら今、と思っているのかもしれない。

「……うん、まあ、順調だ」
「……? アキラ様?」
「っ、」
 妙なことを呟き、エリーに詰め寄られたサクの主君も、彼女の参加に肯定的らしい。

 気づけば女性ばかりが集まっているこの“勇者様御一行”は、北の大陸を目指していく。
 音量を、増しながら。


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