―――**―――
「そう、そうやって、腰を落として、」
「こ、こうか?」
「そうです。集中力を切らしてはいけません」
アキラはサクに言われるまま、手元の集中力を高めていった。
「にーさん、大切なのはイメージっす。手元から離れて、それがどういう軌道を描くのか」
「……、うし」
マリスのアドバイス通り、アキラはイメージを固めた。
集中もしている。
これなら、
「い、行くぞ?」
「失敗してもいいんすから、そんなに固くならなくていいっすよ」
「ああ……、よし」
集中し、肩に力が入らないように注意し、アキラは、
「なっ、何やってんの!? あんたたちは!!」
エリーの怒号に、持っていた全てのボールを落とした。
「あ……、ああ……、ああああ~~っ……」
弾んで地面に転がっていったボールを、情けなくもアキラは追いかけて行った。
この人の賑わう町、クロンクランに到着したのはつい先ほど。
長かった影は徐々に縮小し、そろそろ太陽は頂点に昇りそうだ。
アキラたちがいるのは、リビリスアークとは比較にならないほど広大な公園だった。
周りを木々で囲まれ、涼しげな風がサラサラとそれを撫でる。
町の中にあって、まるで外のようなその癒しに、遠くのベンチで仲むつまじく寄り添い、寝息を立てている男女も視界に入る。
その、到着したばかりのクロンクランの町の公園。
三人は、先のスライム戦で壊れた武具の修理に行ったエリーを、魔術の特訓をしながら待っていたはず、なの、だが。
「いやさ、二人ともジャグリングできるとか言い出して……」
「聞いたのは、にーさんなんすけどね……」
手のひらサイズのボールを三つ拾い、アキラは不満げに口を突き出した。
今、もし、エリーの怒号がなければ、成功していただろうに。
「ジャッ、ジャグリングって……」
「ほら、このボール。そこに落ちててさ、」
アキラが指差したのは、公園のアスレチックのような遊具。
砂の地面にいくつか小さな足跡が残っているのは、そのボールで遊んでいた子供たちがいたことの証明だろう。
「俺さ、三つならできたんだ……、いやっ、嘘じゃないぞ? こうやって、ほら、……あっ、」
「あっ、じゃない!! あたしが聞いてんのは、何で遊んでんのか、ってこと」
「そこに、ボールがあったから、さ」
「ふっ、」
アキラの手からこぼれたボールを一つ拾って、エリーは大きく振りかぶった。
「ちょっ、ちょっとぅっ!?」
慌てたアキラに腕を止められたエリーは、諦めたようにボールをアキラに返した。
それだけで顔が明るくなるアキラに、子供に好かれる理由を垣間見た気がしたが、実際それは何の役にも立たないことに気づけば、出るのはため息だけ。
「勘弁してよ~~っ、あんた防御幕も張れないんだから……」
「まあ、いいじゃないっすか。ここまで歩いてきて、疲れてるだろうし……」
「確かに……、到着直後に特訓する、というのも、」
「二人とも、甘やかしちゃダメ」
アキラに肯定的な二人の意見を、エリーはばっさりと切った。
目の前で、今にもボールをこぼしかけている男は、このままではまずいのだ。
現に昨晩野宿した場所からクロンクランまでは、直線ルートなら一日で到着できるだけはあり、大した距離がない。
その程度の小さな言い訳でサボっては、再びあの悪夢の一週間が訪れてしまう。
「そんなこと言ったって……、じゃっ、じゃあお前、これできんのかよ?」
「え? できるわよ」
何てことでもないように、エリーはアキラから渡されたボールを持って構えた。
そしてボールを宙に投げ出せば、面白いようにエリーの手元でくるくるボールは回って行く。
「おおっ、」
「ほら、でき……あっ、」
数回転したのち、ボールはエリーの手元から離れ転がっていってしまった。
そして見えたのは、アキラの、なんだ、という表情。
「ちょっ、ちょっと待って、前は、ちゃんと、」
「ああ、いいぜ。何回でもやれよ。ほら、」
「うん。えーと、これがこうでしょ……、だから…………、って、ちがぁぁぁああーーーうっ!!」
――――――
おんりーらぶ!?
――――――
―――クロンクラン。
リビリスアークの北に位置するこの町は、大きさ的にはその比ではない。
活気あふれる商店街。
道を埋め尽くす人混み。その姿も、旅の者が多いのか様々だ。
そして、自然をそのまま残した公園がいくつかあるほど、この町はとにかくスケールが大きい。
辺りにいくつかある小さな村の者も、必要があれば馬車を使ってでも集まるほどで、この地方の中核をなしていた。
リビリスアークからは山脈によって遮られている陸路だが、村からほとんど出ないエリーやマリスも、山脈を馬車で大きく迂回してまでも、買い出しで何度かここを訪れたことがあったりする。
ただ、その山脈とやらも、加減のできないアキラの攻撃で、すっかり開通し、天気がいい日に高台にでも昇ればリビリスアークの巨大な塔が視界に入りそうだ。
「それで、どうだった? 直ったのか?」
「……、ええ、今日の夕方には直りそうだって」
先ほどの公園で、結局アキラの口車に乗せられ、昔の勘を取り戻すまでボールを投げ続けていたエリーだったが、戻ってきた子供たちにボールを返すように言われるという最も恥ずかしい形でその幕は閉じた。
エリーの不満は募るが、その様子をいつの間にか素知らぬ顔で遠くに立っていたアキラに怒鳴ったことで、臨界点からようやく降りてきている。
アキラと同じく、遠く離れていたマリスとサクは、二人して並んで後ろを歩いていた。
今下手にエリーに近づくのは、流石に危険と判断したのだろう。
「てかさ、武具屋だったんだから、あんたもくればよかったのに」
「いっ、いやっ、俺はさ、いらねーじゃん、な」
「……」
人混みを避けながら進むアキラは、エリーから視線を外し、町並みを見渡した。
辺りは活気にあふれ、交通整備をしている者がいるほど、人が多い。
「……ふーん、剣とかいろいろあったわよ? あんたが好きそうな」
「そ、そっか」
「……」
アキラはまだ、視線を外したままだ。
どうも、おかしい。
アキラの様子が。
今日の朝からだ。
アキラの態度がそっけなく、もしかしたら今日はアキラの目をまっすぐ見ていないかもしれない。
マリスやサクとは普通に話しているのに、何故かエリーのときだけ、わざとらしく態度を変える。
何気ない会話はしているのに、しばらくすると、突如役どころを思い出したかのように視線を外す。
というか、避けられている。
まあ、そもそも、自分たちの旅の目的は、婚約破棄。
そして、その手段たる魔王討伐だ。
最低限のコミュニケーションが取れればそれで事足りる。
別に、いいのだ。アキラが自分を避けようとも。
ただ、戦闘中に、集中し、敵を討ってくれれば文句はない。
それに、移り気の激しいアキラだ。
安定した家庭を望む自分の理想から、アキラは最も遠い。
ハーレムを目指すとか言い出す勇者様には、魔王討伐と同時に、さようなら。
それで、万々歳。
「きゃっ!?」
「あ、すみません、」
「……、何やってんだよ、ほら」
通行人にぶつかり、転びそうになっていたところでアキラの腕に起こされた。
柔和な物腰の男性は、それを認めると歩き出す。
「すいません、」
その後ろ姿にエリーが軽く頭を下げたところで、アキラはパッと手を離す。
そして再び視線を泳がせ、決してエリーと目は合わせない。
「……、妙、だな」
そんな調子で前を行く二人を見ながら、サクは隣のマリスに声を漏らした。
すっかり話し相手となったマリスは、隣で半分の眼を静かに前に向けている。
前を行くエリーの赤毛、切れ長の瞳とは違い、隣のマリスは色彩が薄い銀の髪に、とろんとした瞳。
近しくなればそれを見ずとも差が分かる、対照的な双子の妹は、難しい表情を浮かべながら器用に人混みを避けていた。
「アキラ様は……、具合でも悪いのか?」
「……さあ、体調は良いみたいなんすけどね」
返ってきたのも淡白な応え。
サクは、ふっ、と息を吐き、自らの愛刀が邪魔にならないように手を当てていた。
短く縛った黒い髪を軽く撫でながらも、和風の顔立ちをマリスのように曇らせる。
目の前の男女二人。
片方の男性は、サクと従属関係がある、勇者様ことヒダマリ=アキラ。
自分が忠誠を向けている相手だ。
そして、もう一人の女性。
エリサス=アーティは、その勇者様の婚約者。
二人は婚約を破棄すると言っているが、その実昨日までその仲は良好のように思えた。
だが、今は、どこか余所余所しい。
演出しているのは、自分の主、アキラの方だ。
二人は、いや、アキラは、一体どうしたというのだろう。
「な、なあ、なんか、マジで人、多くないか?」
ほら、まただ。
途端アキラが振り返ったかと思えば、隣のエリーを追い越しサクに顔を向ける。
エリーもそれが分かっているのか、それに応えようともしない。
「そうですね……、私がここを通ったときは、こんなに人はいなかったのですが」
「あれじゃないっすか?」
マリスがだぼだぼのマントの中から、細枝のような腕を出し、町の景色の一部を指差した。
土や木で造られた町の中に、大きな看板がつい立てられている。
そこにはでかでかと、巨大なテントと派手な衣装の人間が映っていた。
「……サーカス?」
「そ、ここは結構そういう催しやってるのよ。沢山看板あったでしょ」
エリーは隣で、今度は確かに周囲を見渡したアキラに、呆れた声を出した。
今まで周りを探るように見ていたのに、この男の目にそれは飛びこんでこなかったのだろうか。
「よし、じゃあ、それ見ようぜ! 場所は……、自然公園?」
「さっき自分たちがいた公園っす。遠くにテントあったじゃないっすか」
「そ、そうか、公共物だと思ってた」
サクの言葉や、マリスの言葉には反応する。
そう思えど、エリーは胸の中でもやもやと何か膨らんでいく、いや、萎んでいくのを感じた。
この男はきっと、マリスやサクを、ハーレムだとかぬかした自分の夢とやらに巻き込むつもりなのだろう。
そう強引に思い至って、エリーは通行人を避けるふりをしてアキラに軽く体当たりしてやった。
「でも、結構高いっすよ。前にねーさんと見たときも、かーさんは遠慮しようとしてたくらいっす」
「……マジ、か」
アキラは諦めたように、エリーの顔をようやく見た。
この旅の路銀。
一文なしのサクは元より、今メンバーの資金は、全てエリーが握っていた。
「無理。払えない」
「マ、マジか……!?」
「あたしの防具の修理代、思ったよりかかっちゃって……」
「……そ、そっか、」
「……」
てっきり何かを言うと思ったアキラは、そのまま黙り込んだ。
言われたら必要経費と怒鳴り返すつもりだっただけに、エリーは肩透かしをくらう。
今まで、アキラを怒鳴りすぎたのだろうか。
「ま、まあ、見る方法もなくはないわね」
「……?」
アキラとの会話らしい会話に、エリーはしぶしぶ、といった表情を作って切り出した。
仕方ない。
“必要経費”、だ。
―――**―――
「このくらいの町なら、魔物討伐の依頼が来ているはずよ」
エリーは、どんっ、と構えた酒場のような建物の前で止まった。
両開きの木の扉。
どこか薄汚れたようなその建物は、無法者の溜まり場のようにも、ただの倉庫のようにも見える。
「町にとって危険な魔物の撃退で報酬をもらう。サクさんも、そうやって生活してたんでしょ?」
「ああ、その通りだ」
サクがエリーに並んで頷く。
サクはもともと、流れの傭兵のようなことをしていた。
このような酒場に近づくのも、もう何度目か。
リビリスアークの孤児院にここ数日泊まっていたが、この景色に新鮮さは感じられない。
「サーカスの開園時間は夜だから、あたしたちはそれまでに必要なお金を稼げばいいわけ」
「……でも、そんな大きな依頼、来てるんすかね?」
マリスも並んで眠そうな眼を同じく建物に向けた。
この辺りは、そもそも危険なモンスターがいない。
せいぜい、昨日のスライムくらいだろうか。
あの巨大マーチュや、巨大ブルースライムは特例中の特例だろう。
今来ているのは、小さなマーチュの駆除や隣町まで搬送する荷物の護衛程度。
それでは、夜まで頑張っても、人数分チケットは購入できないように思える。
「ま、まあ、ものは試しよ。あたしも入るの初めてだし……、ちょっと興味あったのよね」
確かにマリスの言う通りだとは、エリーも思う。
だが、妙な空気で、このまま無為な時間は過ごしたくない。
戦闘になれば、気も紛れる。
そうすれば、例えサーカスを見られなくとも、まあ、あの男も元に戻るだろう。
「まあ、あんたも実戦経験積んだ方がいいしね」
ぐるっ、と振り返ってエリーは後ろの男を指差した。
「……、」
いや、指さなかった。
エリーの指が差したのは、相変わらずがやがやとした人混み。
「……って、いねぇぇぇえええーーーっ!!?」
「!? に、にーさん!?」
「―――っ、」
絶叫するエリーに、通行人数名が振り返るが、マリスもサクも体裁を気にせず目つきを鋭くして辺りを見回した。
自分たちが、気づかない間にいなくなるなどという芸当を、アキラがするとは。
いや、それ以前に、消える理由がない。
「どっ、どうしっ、っ、」
エリーが駆け出し、通行人を押しのけ、もがきながらもただ一人を探す。
それなのに。
アキラは、見つからなかった。
―――**―――
どんっ、と女性にぶつかった。
そして、いきなり口を塞がれ、どこかあどけない顔を間近で向けてきた。
甘い香りのするウェーブのかかった亜麻色の髪が鼻をくすぐった。
胸元が大きく開いたVネックの服から覗く、豊満な胸を押しつけられた。
そして、鼻と鼻が付くほどの距離で、うるんだ瞳を向けられ、耳元で、『お願い……、私と一緒に、に、げ、て?』と囁かれ、手を引かれた。
その状況で、その腕を強引に振り払える男がいるだろうか。
いや、いない。
そんなこんなで、アキラは、酒場の前で突撃してきた女性と、酒場から大分離れた路地裏に駆け込んでいた。
路地裏に設置してあった樽の影に二人して腰を下ろせば、互いに聞こえる息遣いだけがその場を満たす。
目の前の女性は、柔らかそうな頬と愛らしい表情を浮かべ、しかしどこか大人びた雰囲気も持ち、それでいて可愛らしく息を整え―――つまるところ、相当な美人だ。
超、が五つは付くほどラッキーな展開に、アキラは意識せずとも、脳が溶けるように甘い彼女の香りを吸い込んでいた。
「はぁ……、はぁ……、」
「はあ……、はあ……、あの、」
「しっ、」
と、目の前の女性は細く長い指を可愛らしくも紅いリップに当て、四肢をくねらせながら樽から人混みにぎわう表通りを覗く。
膝上より少し短いスカートが眼前に来ると、アキラはその扇情的な姿に思わず目を背けた。
「あら、もぅ、やだぁ」
「ごっ、ごめんなさいっ」
年上、だろうか。
声の調子も甘ったるいが、その発達しきった体つきは、エリーやマリスはおろか、アキラが知っている元の世界の同学年にもいなかった。
ちらり、と、スカートの中、どこか大人びた黒色が一瞬だけ視界の隅に入ったが、アキラはその記憶を直ちに脳内から抹消、
しようとして、永久保存した。
「もぅ……、あ、もう大丈夫みたい」
「は、はあ……、ぉ、ぅ、」
彼女が向き直れば、再び姿を現すVネック。
正直、常識や体裁を気にせず飛び込んでいきたいとアキラは一瞬脳裏に浮かび、最後の最後に残った小さな理性が、それをぎりぎりで押し止めた。
「ごめんなさいね、巻き込んじゃったりして」
「あ、い、いや、て、てか、」
彼女の猫なで声に、アキラはまともに呂律が回らない。
くりんと大きいその瞳は、髪と同じ甘栗色に見える。
そして、エリーと違い鋭くはなく、あくまで、目が大きいままだ。
「ヒ、ヒダマリ=アキラです」
「え? ああ、私はエレナ=ファンツェルン……。…………、えっと、アキラ君、でいい?」
「あ、はい、エ、エレナさん?」
「……、ううん、エ、レ、ナ、って呼んで?」
「~~~っ、」
まるで野に咲く花のように屈託のない笑顔は、こんな路地裏で見るのが間違いだと思えるほど。
脳髄の蕩け切ったアキラは、辛うじて身体を起こすと、あくまで紳士的にエレナに手を差し伸べた。
「ふふ、ありがと」
「い、いや、」
その手に持った彼女の身体の何と軽いこと。
ガラスの花を摘むように最善の注意を払い、エレナの身体を起こす。
「ぁ、」
「う、ぉ」
しかしエレナは起きようとして、しな垂れかかってくるのだ。
その身体を受けたアキラの胸に、エレナの胸が密着。そして、甘い香りの髪も鼻を撫でる。
一度で二度おいしいその行動に、アキラは自分でも満点をつけられた。
「ご、ごめんなさい……。私ったら……大丈夫? アキラ君」
これは勇者スキル発動か!!!
アキラの頭の中でファンファーレが鳴った。
やはり、異世界はこうでなければ。
町を歩けば、こんなおいしい出会いが、溢れかえっている。
ご都合主義、万歳だ。
「あの、さっき、どうしたんですか? エ、エレナ……さん」
「エ、レ、ナ。もっと仲良さそうに話して、ね?」
「は、あ、ああ、」
「うふふ、あ、り、が、と」
いちいちハートマークが付きそうなエレナの口調は、そのたびに甘い香りが立ち込める。
この場所が路地裏であることも忘れそうな、甘い甘い言葉。
ああ、本当に良かった。
この世界に来て。
「えっと、エレナは、どうして、あんなに急いで、」
「しっ、」
「わっ、ぎっ!?」
途端、エレナはアキラの腕を掴んで樽の中に身を隠した。
思った以上に急激な動きにアキラは舌を僅かに噛んだが、それを補って余りある役得に、そんな痛みはかき消える。
フレグランスなエレナの香りを受け入れながらエレナが向いた表通りを見ると、何やら作業着を着た男たちが数名、急ぎ足で駆けていった。
「あいつらから、その、逃げてるのか?」
「え、ええ」
エレナの頬に一筋汗が流れる。
彼女が走っていた理由は、あの男たちに追われていたということに間違いはなさそうだ。
「ど、どうして、」
「そ……、それは……、」
途端、エレナは顔を蒼白にさせ、子犬のように震え始める。
まるでそのまま倒れてしまいそうな表情を浮かべながら、瞳をうるませ、アキラに顔を近づけてきた。
「わ、私……、実は、その、き、聞いてしまって……」
「な、何を?」
「その、えっと……、あの男たちが……、その、サーカスの、金庫を襲う、って」
「へ……?」
その光景を思い浮かべているのか、エレナの身体はカタカタ震える。
アキラの頭の中で、エレナは完全に保護対象になっていった。
「そしたら、たまたま通りかかった私を……、いきなり追ってきて……、」
恐らく、計画が聞かれたと思ったのだろう。
そして口封じのために、エレナを追いかけてきた。
定番だ。
「じゃ、じゃあ、すぐにサーカスの人に知らせないと……、」
「そっ、それはダメ!!」
「わっ!?」
立ち上がろうとしたアキラの腕を、エレナが再びぐんっ、と引く。
その着地地点が彼女の胸なら、もう一度起き上ろうとしてもいいくらいだ。
だが、その胸から、高い鼓動が聞こえ、身体が芯から震えていてきては、そんなことで遊んでいる場合ではない。
「もっ、もし知らせたら……、あいつらは今度こそ、私を……、」
「……」
エレナが恐れているのは報復だ。
そして、エレナのような身体つきの女性なら、その報復内容は、欲望そのままに一直線だろう。
「じゃ、じゃあ、どうすれば、」
「だ、大丈夫……。顔は、見られなかったと思うし……」
エレナはしなやかな身体を震わせ、何度も頭の中でその瞬間を反芻しているようだ。
やがて、大丈夫だと結論付けたのか、再び表情を花のように咲かせた。
「うん、大丈夫……。だから、お願い……。私、詳しくは聞いてないし……、このまま聞かなかったことにしたいの」
「……、わ、分かった」
うるんだ瞳でそんなことを言われれば、アキラの選ぶ道は肯定のみ。
勇者としてそれはどうかとも思うが、今アキラの本能、特に煩悩だが、エレナの言う通りにしろ、と叫んでいる。
「じゃ、じゃあ、まあ、いいとして……。何で、俺を?」
「……え? あ、えと、とにかく誰かに助けて欲しくて……、その格好、どこか遠くから来たんでしょう?」
アキラの姿は、元の世界から来たままの服装だ。
確かに遠くと言えば、間違いなくどこよりも遠い。
「あ、ああ、まあ」
「やっぱり! お強いんでしょう?」
「そ、そりゃあ、」
「まあ!」
照れたように頭をかくが、実のところ、エレナが最悪の選択をしていたことをアキラは言わなかった。
あの場にいたのは、アキラ、エリー、マリス、そして、サク。
用心棒として選ぶにしては、あまりに応用の効かないアキラは、最も不向きだったりする。
「と、とりあえず、どうする?」
エレナの目が、感嘆の色一色に染まっているおり、アキラはもう一度立ち上がった。
エレナと体を密着させているのが最も幸せと分かっているのだが、これ以上は、理性の方もゴーサインを出しかねない。
その上、まずは、三人に合流しなければ。
「で、でも、ちょっと待って、」
「?」
エレナは座り込んだまま、もう一度体を震わせた。
立ち上がったことで、エレナの胸を上から覗きこむ形になったアキラは、完全に硬直し、にやける顔を必死に止める。
「わっ、私、やっぱり怖い……。ほら、私の髪、見られたかも……」
良い表情いたただきました。
悩ましげに上目使いをし、甘栗色の髪を指先でくるくる回すその仕草は、そのままファッション雑誌の表紙にでも使えそうだが、アキラはカメラを持っておらず、ついでに言うならファッション雑誌の編集長でもない。
結果、脳内の永久保存フォルダに一枚画像が増えた。
「しばらく傍にいて……、くれますか?」
「おうっ!!」
「しっ!!」
路地裏に響いたアキラの声を、途端鋭く響いたエレナの声が止めた。
「あ、ごめん……」
「……う、ううん、やっぱり私……、恐くて……」
エレナはアキラの手を借りて再び立つと、今度はよろけず足元のトートバックを拾った。
エレナを、特にその胸ばかり見ていたアキラは気づかなかったが、彼女はバッグを持っていたようだ。
「……、ごめんね、ちょっと向こう向いててくれる?」
「え、あ、ああ」
エレナは、バッグに手をかけ、上目使い。
すぐにアキラは視線を外した。
女性の荷物の中身は、見るものではない。
だが、ぱさぱさと、衣服のこぼれる音が後ろからするのだから、まるでアキラの頭は弾く直前のパチンコのようにギリギリと背後を目指す。
「えっと、これ、で」
「……?」
「えっと、いいわよ」
エレナから、よし、のサインが出ると、アキラは勢い良く振り返った。
すると、そこには、
「ど、どう? に、似合う、かな?」
「…………」
エレナはその辺りで売っていたのか、サーカスのロゴが入ったキャップの帽子をかぶっていた。
彼女の長い髪は器用にその中に仕舞われ、その代わりに姿を現したうなじの曲線が、その、なんとも。
黒のVネックはそのままだが、スカートだった下腹部は、ジーンズに変わっており、彼女の形のいいヒップの曲線が浮き出ている。
ボーイッシュな服装でありながら、何故こうも女性が引き立つのか。
それを匿う役割を果たす春物の白いロングコートを羽織っても、むしろ、その先に何があるのか、という欲情を駆り立てる。
「ちょっ、超似合う」
「あ、ありがと」
顔を赤らめて、長いまつげを俯かせれば、またもアキラの脳内フォルダに一枚画像が増えていく。
「じゃ、じゃあ、あの、私と、その、デートしてくれる?」
「おうっ!!」
「しっ!!」
「……ごめん」
互いに再び小さく笑い合って、二人は路地裏を後にした。
―――**―――
「……!」
アキラがいなくなってから二時間ほど。三人は手分けして広い街を駆け回っていた。
この世界に疎いあの男が消えたとなれば、何かの事件に巻き込まれた可能性が高い。
下手をすれば、事態は一刻を争うかもしれないのだ。
昼も採らず町を駆けずり回り、細かく探そうと入った路地裏。
そこで、
「サ、サクさん?」
人混みに塗れてくしゃくしゃとなってしまった綺麗な赤毛を必死に手で撫でつけていたエリーは、建物の陰に隠れて向こうを探っているサクの後ろ姿を見つけた。
「あ、ああ、エリーさん」
「? み、見つかった?」
「…………、そ、その、ええと、」
妙に歯切れの悪いサクが、一瞬壁の向こうに視線を動かしたのを、エリーは見逃さなかった。
「なに、いたの? あいつ、」
「ま、まあ、いたにはいたのだが、」
「いたの!?」
エリーがサクを追い越し、表通りに出ようとすると、サクが一瞬身を動かし、それを庇った。
「……なによ?」
「いや、その、私は、苦手だ。こういう状況が」
「……?」
サクに勢いを止められて、エリーは同じように路地裏から向こうを覗った。
すると目に当然賑やかな町並みが飛び込み、その向こうに白いテーブルと椅子が数組並んでいるのも見える。
どうやらあれは、オープンカフェのような場所らしい。
若いカップルから、会話に花を咲かせる女性たち、そして、買い物帰りか子供連れの親まで見えた。
「……ぇ、」
そんな、場所を視線で撫でて、エリーは止まった。
そこに、今いなかったろうか。
自分が今探している、“勇者様”とやらが。
「って、あい、つ……?」
思わず出て行こうとして、エリーは止まった。
アキラが座っているテーブルの正面に、頬杖を突くように身を乗り出している、帽子の女性がいる。
遠くてよく見えないが、二人の手元にはホットドックとジュースのようなものが見えた。
ときおり、女性がストローを口に加えると、アキラの顔がにやける。
視線がどうも胸に行っているような気がするのは、エリーの気のせいではないだろう。
そして、その、女性の横顔。
柔和のようで、どこか含みのある笑み。ふっくらとした紅い唇でストローを挟む様も、長い指の腹で、備え付けのポテトを摘む仕草も、通行人が足を止めかかるほど悩ましい。
嫌な表情だ。
「……、」
「あのような場合……、声をかけていいものだろうか……、」
「……、いいに決まってんでしょ。あたしたちの前から消えておいて、」
自分は楽しくデートしている。
そんなアキラに、先ほどあの女性に浮かんだ感情も併せて向け、エリーは身体を震わせる。
こっちは昼も食べずに照りつける太陽の元走り回っていたと言うのに、あの男はなに自分だけ遊んでいるというのだろう。
テーブルに備え付けられたパラソルで涼しげであるし、何よりもあの顔。
「サクさん……、作戦を話すわ。あたしがあの女の気を引くから、あなたはあのバカの首を力任せに強引にねじ切って」
「それは作戦とは言わないと思うが、断る。一応あれが私の主君だからな」
主君でなければサクもやっていたのだろうか。
サクも予想外な光景のショックが薄れてきたのか、頭を悩ませ始めていた。
だが、二人を見ると、主にアキラだけだが、初々しいカップルのようにも見える。
目の前の女性は年上なのか、あどけなさの中に微妙に大人の香りを見せ、その一挙手一投足に、アキラはどぎまぎと表情を変えていく。
出るタイミングもつかめず、二人はしばし、アキラたちの様子を見届けることしかできない。
そんな風に物陰から二人が見ていることも知らず、アキラはエレナと、甘いと言い切っていい時間を過ごしていた。
「や、やっぱり、エ、エレナ、俺より年上なんだ、」
「もぅ、ダメだよ? 女性の年齢の話を広げちゃ」
エレナの歳は、アキラより一つ上らしい。
わざとお姉さんぶったエレナは、あどけなく笑う。
「それで、エレナも、旅を?」
今さら変えるのも億劫で、そのままの口調を続けるアキラの拳はテーブルの下で強く握られている。
これだ、これだ、と。
今度はお姉さんキャラか。
包容力もありそうなのに、どこか放っておけない儚げな表情。
理想的な登場キャラクターに、アキラの拳は解けない。
「え、ええ……。ふふふ、と言っても、私はこっちの方は全然……戦えな~いっ」
可愛らしく力拳を作ったエレナは、おどけるように小さく舌を出した。
その仕草一つ一つに、道行く者も眼福だろう。
「? じゃ、じゃあ、路銀とかは?」
「……、え、ええ、それは、まあ、色々……。ダメだよ? 女性の秘密を一気に剥がそうとしちゃ……。一枚ずつ、ね?」
「おうっ!!」
「しっ!!」
条件反射なのか、アキラの声にエレナの声が被さった。
通行人が振り向くが、エレナの姿に目を止めたのち、幸せそうになって歩き出す。
そんな通行人に優越感を覚えながら、アキラは目の前のパンを頬張った。
「それより、アキラ君のこと聞きたいな……。出身は、どちら?」
「え、俺? 俺は、」
はて、ここで何と答えよう。
無難なところで、リビリスアーク“ス”だろうか。
だがそこで、頭の中に、待て、がかかった。
最近それを隠そうとして、自分は酷い目に遭わなかっただろうか。
「えっと、」
「……うん、言いたくないならいいの……。じゃあ、どうして旅を?」
質問の内容はさして変わっていなかった。
だが、ここで途切れれば、今度こそ会話が途切れてしまうだろう。
「えっと、せ、世界を救うために、旅を」
「……へぇ、素敵ね」
エレナの目が、少しだけジト目になり、少し含みのある笑い。
大方信じていないのだろう。
それならそれでいいと、アキラはドリンクを喉に流し込んだ。
「じゃあ、エレナは?」
「わ、私……? え、えと、だからダメだって。そんなに急いじゃ」
「え、いいじゃん、教えてくれよ」
自分のことを話したがらないエレナに、アキラは今度は食い下がった。
彼女のことを、もっと知りたい。
その欲求が、駆り立てる。
「えっと、ね、」
エレナも、流石にいくつも秘密にしているのはどうかと、微妙に視線を外して語りだした。
「私……、探しものがあるの」
「探し物?」
「う、うん、探し“もの”……」
エレナ自身、何故口が軽くなったのか分からない。
だが、目の前のアキラを見ていると、何故か勝手に口が開くのだ。
この男に言えば、何かが変わるような、奇妙な予感がする。
「へぇ~……。ちなみに、何?」
「そう、ガバイド、って奴、を、」
エレナは、さらっと言って、口を急いて閉じる。
言い過ぎた。
こんな片田舎には、なんのヒントもないはずなのに。
「―――」
だが、目の前の男は眉を寄せた。
「……、」
アキラは思考を進める。
ガバイド。
人名だろうか。最近、その言葉をどこかで聞いたような気がする。
そしてエレナは『探しもの』と言っていた。それは、探し人ではないだろうか。
「……! 知ってるの?」
アキラの反応に、エレナは鋭く目つきを変え、身を乗り出した。
ふくよかな胸が押し出され、アキラの眼前にさらされる。
「うわわぁっ、ラッキ、」
「知ってるのかいないのか、答えなさい」
思わず正直すぎる感想が口から飛び出たが、すぐにエレナの鋭い口調に遮られる。
猫撫で声はどこへ行ったのか、凛とした強い口調は、雑踏の中にあっても良く通った。
「エ、エレナ?」
「いいから、」
「いっ、いましたっ!! あの女です!!」
今度はエレナの口調が、男の声に遮られた。
乗り出したまま振り返れば、エレナの背後にはいつの間にか先ほどの作業着の男が並んでいる。
その、真ん中。
先ほど間近で見た、小太りの男がエレナを指差していた。
まずい。
彼だけには、顔を見られている。
「お……、お早いお目覚めね……」
「なあ、こいつら、さっきの、」
「仲間もいたのか!!」
アキラもエレナの胸をちらちら見ながら、五、六の男を見定める。
屈強な体格の者が多く、目つきはギラギラとして危険な香りが立ち込めた。
「まず、」
「っ、」
背に腹は代えられない。
エレナは、情報を持っているかもしれない男に向くと、再びうるうると瞳を潤ませ、
「お願い……、あの人たちを倒してっ!!」
「え、いや、俺は、」
「私を……、守ってくれる?」
「おうっ!!」
アキラのその声と同時、エレナはバッグを掴んで駆け出した。
目指すは人混みの中。
アキラが彼らを引き止めている間に、自分は逃げられるだろう。
“あの男が目を覚ました”以上、この町にはもういられない。
今日は下手をすれば、野宿になってしまうだろうが、今捕まるよりマシだ。
「……」
「……っ、」
「……!?」
後ろから聞こえた吐息に、エレナは大きな瞳をさらに見開き振り返った。
そこには、同じように必死に走っているアキラ。
「ちょっ、おまっ、何でお前まで走ってんだよっ!?」
エレナは誤算をしていた。
隣のアキラの戦闘能力は、こんな町中では、ほとんどゼロに等しい。
結果、アキラにとって、エレナを守る、とは、一緒に逃げていくことしかなかった。
「悪い、おっ、俺はっ、こんなんだっ!!」
「威張って言うなっ!! さいっ、あくっ!!」
「うあっ!?」
エレナの口調が変わっていることにも気づかず必死に走るアキラは、途端、胸倉を掴まれた。
そして、エレナの瞳に映る、追ってくる男たち。
この男には一瞬でも時間稼ぎをしてもらおう。
そう思い、自らの腕に魔力を込めた、その瞬間。
「……ひっ、ひやぁぁぁあああーーーんっっっ!!?」
雑踏の中、エレナの嬌声が響いた。
今日一番の可愛い声を上げ、足からがくがくと崩れたエレナを見下ろし、アキラはしばし唖然。
地面に張りつくように座り込んだエレナから帽子が落ちると、甘栗色のウェーブが垂れ、その中から荒い息遣いが聞こえてくる。
何の騒ぎだと全ての通行人が足を止め、アキラたちから離れて輪を作った。
「なに……、なに……、なに……、よ、」
震えたその声も、ゆっくり顔を上げて見せたうるんだ瞳も、そして先ほどの嬌声も、アキラのテンションを最高潮にまで押し上げた。
後ろからは、男たちが目をぎらつかせて追ってくる。
「っ、」
「う、あっ、んっ、」
選択を迫られたアキラは、昨日エリーにしたようにエレナを抱えると、人混みに突撃していく。
エレナの身体は、豊満な胸のわりに軽く、相変わらず甘い匂いが漂ってきた。
「……」
胸の中から聞こえるエレナの高い心音に駆り立てられる煩悩を全力で封じ、アキラは駆けた。
だが、依然として事態は不明。
一体、何が起こっているのか。
―――**―――
「そうっすか……」
「ああ、悪いね」
マリスは作業着を着た男に、半分閉じた瞳を向けて、お辞儀をした。
ここは先ほどアキラたちが魔術の特訓と称して遊んでいた広場。
大きなテントの裏口で、マリスは、ふぅ、とため息と吐いた。
「にーさん、どこいったんすかね……」
とぼとぼ公園を歩き出せば、先ほどのボールが同じ場所に落ちている。
大方、子供たちがまたも飽きて投げ出していったのだろう。
「……」
のんびりとそれに近づき、拾う。
数は、全部で五つ。
それらは面白いように、マリスの手の中で回っていく。
「……」
アキラは、サーカスを見たいと言っていた。
方々探して見つからなかったアキラが、もしかしたらここにいるのではないか、と思い至ったのはつい先ほど。
だが、結果は空振りだ。
これから先、アキラの行方の見当もつかず、自分たちはこれらのボールのように町をくるくる回るのだろう。
そして、マリスの頭の中も、くるくると、回る。
「…………」
アキラと自分の姉、エリーが“仲良さそうに言い合っている”と、何故か、困ったように眉が下がる。
しかし、今日のアキラの、エリーへの接し方を見ても、同じく、だ。
あの二人は、仲が良くていいのだと思う。そもそも婚約者だ。
そして、同じ顔の自分が思うのも何だが、姉のエリーは、十分に魅力的。
だから、今日の様子は、自然の流れに背いていた。
それなのに、どこか、それで、ほっとしているような気がする。
一体、これは、
「お、おいっ!? どっ、どうした!?」
「……?」
先ほど話を聞いた劇団員の叫び声が聞こえ、マリスの手からボールが順々にこぼれて行く。
それを追う気もなく、ただ足場に転がったボールの上、マリスの半分の瞳はテントに向いた。
「ぐ、うう、」
「いづっ、うっ、」
見ればその男に、同じような格好の男たちが近づいている。
男たちは皆一様に、腕をだらりと下げたり、足を引きずったり、人によっては誰かに寄り添いながら歩いていたり、と、重傷者が多い。
何事か、とマリスが様子をうかがっていると、その男たちの後ろから見知った二人が現れた。
「エリーさん、あれは……、」
「え?……あっ、マリー!!」
サクに言われ、エリーが駆け寄ってきた。
「ねーさん、にーさんは見つかったっすか?」
「…………、そんなのどうでもいいでしょ」
「?」
途端瞳を乾かせ、エリーは視線を外した。
そして口からぶつぶつと、呪詛のような言葉がこぼれていく。
「と、とにかく、ごめん、ちょっとあの人たちを、」
治療だろう。
その辺りの事情も聞く必要がありそうだ。
マリーは呻きを上げる劇団員たちに、ゆっくりと歩み寄っていった。
―――**―――
どわぁっ。
そんな声と共に、アキラはエレナを投げ捨てた。
路地裏に入った瞬間、アキラの短すぎる抱きかかえ時間はピークに達し、しまいには自分の足を蹴って倒れ込んだ。
「う……、わぁっ、ご、ごめん、」
「……、……、」
地面を二回転ほどしたのち、うつ伏せのまま動かないエレナに、アキラは急いで起き上って近づく。
自分はいったい何をやっているというのか。
こんなときくらい、決めたかった。
「あ、あの、大丈夫、か?」
「……」
エレナは、土まみれになった身体のまま、一向に顔を上げない。
流石にまずいと思い、アキラは、エレナの肩に、手を伸ばした。
「っ!!」
「いっ!?」
伸ばしたアキラの手が、路地裏に大きな破裂音を響かせて、弾かれた。
残像が見えるほどの速度でアキラを弾いたエレナの手の向こうには、彼女がようやく上げた顔。
その顔は恐怖に引きつり、その身体は恐怖に震え。
眉を寄せて怯えるように地を這って離れたエレナは、荒い呼吸を肩でしていた。
「あ、あの、わ……悪、い……?」
「…………、なんだってんだよ……、くそ……、くそ……、」
「エ……、エレナさーん?」
顔を背けて呟くエレナに、アキラはしばし唖然。
アキラの目に、ようやく目の前の女性の陰りが映った気がした。
「……、っ……、」
エレナは身体を回転させ、建物に身体を預け座り込む。
片膝を立てたため、形のいいヒップがジーンズに浮き彫りになったが、今度こそ、アキラはそれを素直に受け止められなかった。
「あんたには、いくつか聞かなきゃいけないことがあるわ……」
こっちのセリフだ。
アキラは口を開きかけたが、エレナの甘い顔が鋭く変わり、アキラを睨むように見上げては、その言葉は押し止められた。
目の前の女性は、本当にさっきのエレナと同一人物だろうか。
というより、エレナは“こっち”だったようだ。
包容力のあるお姉さんタイプではなく、表裏の差が激しいタイプ。
アリと言えばアリだが、目の前でやられると恐いものがある。
「あんた、何者?」
「……、え、いや、だから、えっと、ゆ、勇者?」
「…………、属性は?」
「に……、日輪?」
「何でさっきからいちいち『?』が付くんだよっ!!」
頬も紅く、どこか甘い吐息を漏らしながらも刺々しい口調のエレナは、苛立った顔立ちをアキラに向け続けた。
だが、顔はどこか不安げだ。
それを見下ろしていることに抵抗が出てきたアキラは、反対側の建物に腰を下ろし、目線を揃える。
すると、エレナの表情が少しだけ楽になった気がした。
「な、なあ、悪いんだけど、今度こそ事情話してもらえないか? さっきの男たちのこと、とか」
「っ、あんなんどうでもいいんだよ。それより、追ってきてないんでしょうね?」
エレナに言われ、ようやくアキラもこの場所がさきほどのカフェからあまり離れていないことに気づいた。
あまりに遅い状況確認だが、華やかな表通りを見ても、誰も追ってきてはいない。
どうやら、うまくまけたようだ。
「……ねえ、取引しない? あんたは知ってること全部喋る。私もそうする。嘘は、なし」
エレナはアキラを見定めながら、強い口調で提案を持ちかけた。
この男は、ダメだ。
いつもなら甘い吐息を吹きかければ、男はべらべらと知っていることを語る。
だが、アキラは、ダメだ。
エレナに、とろん、となるまでの反応は普通の男と同じだが、持っている情報を口に出さない。
恐らく、持っている情報の整理ができていないのだろう。
対等になって話すしか、ない。
とろとろくどくどやっていたら、また、あの男たちに見つかってしまう。
「あ、ああ、いいけど、」
「じゃあ、あんた、日輪属性で……“勇者”、なの?」
この男に、“得意の魔術”をかけようとした途端、身体の火照りが止まらなくなってしまった。
こんな状況は初めてだが、そうなる場合が一つだけある。
「えっと、そうらしい」
「……」
やはり、と。
エレナは熱に浮かされるように高揚しながらも、自分の推測に間違いがなかったことを理解し、小さく舌打ちした。
日輪属性。
月輪属性より希少なその属性は、全属性に影響を与える。
それも、アキラの持つそれは、“エレナが感じた一端だけでも”あまりに膨大。
全く魔力を感じなかったこの男の中にそんなモノが眠っていると知っていれば、公衆の面前であんな情けない大声を上げるなどという失態を曝さずに済んだものを。
「……じゃあ、“ガバイド”について、知ってることは?」
「ガバ……イド……?」
アキラは、豹変したエレナの睨みを正面から受け、口ごもった。
ガバイド。
恐らく人名か何かのそれを、確かに聞いたことがある気がする。
だが、異世界から来たばかりの自分が、探し続けているようなエレナより、“それ”知っているとは思えない。
では何故、自分は聞いたことがあるのだろう。
「……、…………、」
「知ってるの、知らないの?」
露骨に急かすエレナの声も聞かず、アキラは記憶を遡っていった。
自分が異世界に来たのは半月ほど前。
それ以降の記憶のはずだ。
起こった出来事。
まず、忘れもしない、エリーとの出会い。
そして、巨大マーチュ戦。
サクとの決闘。
そして、そして、そして、
「……あ、」
「……!」
記憶が昨日の巨大スライム戦まで来た頃、アキラは記憶の旅を逆走した。
そうだ、自分は知っている。
ガバイドという単語を使ったモンスターを。
「ゲッ、ゲイツだ! あいつが言ってたんだ!」
「っ、知ってるの!?」
「そうかそうか、そうだよ。いや、完全に忘れて、」
「いいから答えろって!!」
身を隠していることも忘れ、エレナは乗り出すようにアキラに迫る。
再び胸がせり出される形になったが、アキラはそれよりも、今度は眼前に迫った、睨みつけるような瞳が脳に入り込んでくるのを感じた。
「い、いや、俺も詳しくは知らないって。この前、リビリスアーク“ス”を襲ったモンスター……アシッドナーガ、だっけ? が言ってたんだよ。えっと、魔王様直属のガバイド様直属のゲイツ、って」
「…………、」
魔王直属のガバイド。
間違いない。
エレナの知っているガバイド本人だ。
「なあ、ガバイドって奴、知ってるのか?」
壁に背中を再び預け、眉間に皺を寄せたエレナに、アキラは恐る恐る声をかける。
するとエレナは、今まで以上に苦々しげに表情を歪ませ、ふっくらとした唇をゆっくりと開いた。
「……、ガバイドは、今の魔王に仕えてる、いかれた研究者よ。“魔族”の中でも指折りの変態野郎」
「……」
人間、どこまで恨みを溜め込めばこのような表情ができるのだろう。
エレナが片手だけでパキパキと鳴らした指の骨が、今すぐにでもガバイドを八つ裂きにしたいと言葉を発したように感じ、路地裏の空気を凍らせた。
「そいつを、探してるのか?」
「…………、ええ。殺すために、ね」
言わずとも分かったエレナの目的は、その声の調子だけで、アキラの背筋を震わせる。
ここまで本当の意味で『殺す』と口にできる人間に、アキラは初めて会った気がした。
エレナの憎悪は、深い。
「それより、リビリスアーク……ス? にアシッドナーガが出たって本当?」
エレナの記憶では、初代勇者が現れたのは、この辺りのリビリスアークだった気がするが、どうでもいい。
アシッドナーガほどのモンスターがこの辺りの田舎に出た、ということが最も重要だ。
しかも、ガバイド直属のモンスター、だ。
「あ、ああ、山くらいのバカみたいに巨大なマーチュがあの山にいてな、そいつも、ガバイドが育てたとかなんとか」
「……」
この辺りでそんな大問題が起こったことなど初めて聞いた。
せいぜいこの辺りで注意しなければならないのは、隣の山のスライムぐらい。
その山も昨晩崩れ去ったらしいが詳細は不明。
どうやらこの辺りは、最近妙なことが起こり続けているらしい。
「な、なあ、ガバイドって、そんな変なモンスターを創ってる、とか?」
「……、ええ。あいつの専門は生物創造。…………そのたびに、色んな生物を実験台にしてんのよ」
エレナから最後に小さく漏れた言葉で、アキラは、昨日の巨大なスライムもガバイドに連結することができた。
真ん中のサイズがいなかった、マーチュやスライム。
明らかに、この辺りで自然に到達したサイズではない。
「……、とにかく、私はガバイドを探してる。そして、目をつけてるのが、あのサーカス」
「……?」
エレナの目は、路地裏からでも見えるでかでかとした看板に向いた。
巨大なテントに、劇団員の写真。
だが、その内容は、遠目でよく見えなかった。
「あのサーカス。最大の見物は、モンスターの芸。テントの中に、モンスターがいるらしいの。最近始まった見世物らしいけど、そういう風に魔物を使役できるなんて、普通、ありえない」
魔物はそもそも魔族の使い魔。
生殖能力を持つモンスターもおり、ほとんど主のいない野生の魔物も数多く存在するため、動物のように扱えなくもないが、それでも、懸念は残る。
やはり、“主”が近くにいるのではないだろうか。
そしてそんな道楽をしそうな魔族を考えると、ガバイドの影がちらほらと見える。
「だから、私はサーカスに探りを入れてたの。こういう大きな町を襲うのは、魔族にとって有益。護衛団を欺いて魔物を入れる良い方法だもの」
「…………」
それが見つかって、エレナは追われていたのだろう。
とすると、先ほどの作業着の男たちは劇団員だろうか。
ならば、
「……ビンゴなんじゃないか? あいつら、必死に追いかけてきたじゃん」
「……、それは、別に自然よ」
エレナは何てこともないように起き上り、バッグを拾って肩にかけた。
足元は微妙にふらついているが、どうやら回復したらしい。
「自然?」
アキラも立ち上がり、エレナに並ぶ。
するとエレナは、ようやく余裕を取り戻したのか、舌をちろっ、と出して、甘い雰囲気を醸し出した。
「私の路銀、どうやって稼いでるか知りたいとか言ってたわよね?」
―――**―――
「まったく、この有様ですよ」
「すっ、すみません!」
「本当に、申し訳ないことをした」
劇団員に通された、エリーとサクは、ほとんど空になった金庫の前で深々と頭を下げた。
ここは、サーカスの劇団員の控室の小さなテント。
後ろでは、エリーとサクに痛めつけられた悲劇の劇団員が、マリスの治療を受けている。
「いや、まあ、事情を知らなければ、仕方ないこと、ですよ」
「だっ、団長、仕方ないじゃ済まされないんですよ?」
二人に頭を下げられた男の口調に、苛立った後ろの男が声を張った。
その怒りは、せっかく“盗賊の女”を捕まえられそうだったのに、力ずくで止めてきたエリーとサクに向いている。
「うちの資金、全部取られちゃって……、今日の公演の料金、どうするんですか?」
「いや、それはもう払い込んであるから……、」
「それだけじゃなくて、前売りチケットの売り上げも無いんでしょう?」
団員に責められ、団長は困ったように眉を寄せた。
団長の眉は化粧のために異様に薄いが、それでも苦悩が見て取れる。
団長とて、金品が奪われたのは痛い。
「それで、二人とも、なんでこんなことしたんすか?」
事情に取り残された一人、マリスが、劇団員にシルバーの光を当てながら、首だけ動かして眠たげな眼を向けた。
劇団員もやる気のなさそうな少女に治療されていることでの不安はあったが、身体中にできた痣が瞬時に消え去っていっては、文句の一つも出ない。
「いや、一応、主君が襲われていたら、助けなければ、と思い」
「あ、あたしはサクさんが、向かっていったから……、その、」
「わっ、私だけの責任かっ?」
二人の目には、劇団員たちがアキラたちを襲う暴漢にしか映らなかった故の行為だが、話を聞いてみれば、売り上げを取り戻さんとするために目をギラギラさせていただけであって、念のために犯行現場を確認した今となっては頭を下げることしかできない。
サクにしてみれば、昨日のスライム戦のときアキラを守り切れなかったことと、今日いつの間にかアキラがさらわれていたことの汚名返上のつもりだったのだが、その実、エリーの方が気合を入れていた気がする。
現に、サクにされた峰打ちより、エリーの怒りを吐き出したままの拳の方が、劇団員に痛烈な刺激を与えていた。
痛みにもんどり打っていた劇団員たちは、結局アキラたちを追い切れなかったのだから、恨みが深い。
「ま、まあ、過ぎたことは仕方ない……。それにお二人とも、お仲間が盗賊にかどわかされていると思えば、お辛いでしょう?」
「いえ、全然」
団長の怪訝な顔にも、エリーは乾いた瞳を返した。
浮かぶのは、あの、アキラの緩み切った顔。
きっと、あの女の盗賊に、カモフラージュのために誘われたのだろう。
普段から、頭の沸いたような奴だ。
そんなことにも気づかず今も、襲われたお姫様を守る使命に燃えているのだろう。
昨日まで、自分に差し伸べてくれていた手を向けて。
酷い振られ方とかをされればいい。
「私も、謝らなければ、」
「……、アキーム……!」
微妙な空気になった場に、小太りの男が割り込んできた。
先ほどまでマリスの治療の最後尾で待機していたアキームは、自らの怪我も忘れ、団長に深々と頭を下げる。
「私が、あの女に、その、」
「い、いや、まあ、」
アキームは表情を苦渋に歪ませ、唇を強く噛んでいた。
その時間、この金庫の見張りをしていたこの男は、サーカスの敷地内をうろついていた不審な女を発見。
しかし、その色香にかどわかされ、いつしか気を失い、気づいたときには女も金庫の中身も消えていたのだ。
「本当に、申し訳ありません」
「……まあ、お前はこのサーカスに必要な男だ。今回で注意してくれればいい」
「だ、団長……」
物腰柔らかで、人を頭ごなしに責めない団長の好意は、身内に向けば気分がいいのだろう。
夢を与える仕事をしている長とはこういうものなのか。
他の団員も、アキームへは敵意を向けていないようだ。
「それでも、あの女を探さないと……、」
「そう、だな」
続々と怪我が治っていく団員たちが、口を揃えて盗賊の追従をせがむ。
確かに、ほうって置くわけにはいかない。
だが、そろそろ開演の準備をしなければ間に合わないだろう。
「……、とりあえず、私に任せてくれ。お前たちは準備を」
「わ、分かりました……」
おまけとばかりにエリーとサクに睨みを効かせ、団員たちはテントを出て行く。
自分たちより小さな女性二人に痛めつけられた自尊心の痛みは、マリスの魔術でも癒せなかったようだ。
「とりあえず、町の警護団に連絡か……、いや、しかし、」
「……? どうしたんだ?」
エリーは関わりたくないとばかりに視線を適当に泳がせ、マリスは治療を終えて眠そうにテントの外を眺めている。
結果、残ったサクが悩める団長に一歩近づく。
すると、アキームが団長の代わりに口を開いた。
「いや、実はこのサーカス、あまりいい目で見られてないのですよ……。その、私のせいで」
「いい目、とは?」
「いい、アキーム。私が話そう。……そのままの意味です。ほら、これをご覧ください」
「?」
変わった団長が奥に積まれていたパンフレットを持ち出した。
そこには今夜のプログラムが並んでいる。
空中ブランコや綱渡り、そして団長自ら行うピエロのパフォーマンスなど定番のものが並び、最後に目立つようにモンスターの芸という項目があった。
「モンスターが、芸をするのか?」
「ええ、ええ。これが私どものメインイベントです!」
途端、商業ようの口調に変わった団長は、伸ばした腕でアキームを紹介するように指した。
「猛獣使いのアキームが行う、モンスターの芸。これが、大反響で、もうっ、」
「ああ、あれってやっぱり魔物が入ってるんすか」
盛り上がった団長を一気に冷静に戻させるような気だるい声が、マリスから発された。
マリスの視線はテントの入り口から外に向いている。
サクも確認してみると、確かに中の見えないようにシートが被せられている四角い大きな箱があった。
恐らく中は、檻のようになっているのだろう。
注意して見れば、町の騒ぎの中に、微妙に魔物の気配を察することができた。
「しかし、危なくないのか?」
「アキームがいれば、大丈夫ですよ。なあ?」
「え、ええ。私の前では、すっかり大人しくて」
アキームは少し誇らしげに胸を張った。
確かに、一般の人々にしてみれば、魔物を間近で見られるサーカスは良い体験になるだろう。
確かにアキームは、このサーカスに必要な男のようだ。
「ですが、その、やはり、」
「ええ。町の方は、それを喜ばしく思っていないようで……。公演料も、かなりふっかけられました……」
「なるほど、な」
警護団からしてみれば、魔物から必死に守っている町に、商売目的で魔物を入れられて笑ってはいられないだろう。
その売り上げが奪われたとしても、公演料が振り込まれていては、あまり有効的に捜索してくれるとも思えない。
サクは頭を悩ませた。
手の空いている自分たちも、探すのは苦労するだろう。
隣のエリーが、完全にやる気をなくしている。
「じゃあ、別の件で探してもらえばいいんじゃないっすか?」
「……? 別の件?」
マリスがのんびりと団長に歩み寄って行った。
妙な威圧感があるマリスに、団長が一歩後ずさる。
「その女の人……、にーさんをさらったんすよね?」
「……! そう、か……!」
サクはマリスが切ろうとしているカードに気づいた。
団長とアキームは、マリスとサクにどこか不穏な目を向ける。
そうだ。
自分の主君、アキラは、
「“勇者様誘拐”。これは、大罪っすよ」
残っていたのが、団長とアキームだけで助かったと、サクは思う。
テントから漏れた声は、二人だけなのに、サーカスの敷地中に響き渡った。
―――**―――
「ふっ、ふふ~~んっ、」
「な、なあ、俺たちとんでもないことしてないか?」
「え? なに?」
町外れの森の中、すっかり調子を取り戻したエレナは、上機嫌に頭に付けたリボンを直した。
甘栗色の髪に控えめな色のリボンが良く映えたが、エレナはアキラに持たせた鏡を一瞥すると、口を少し尖らせて足元の買い物袋にしまい込む。
どうやらあまり気に入らなかったらしい。
「いやさ、これ買ったのって……、」
「もぅ、アキラ君ったらぁ……。そんな些細なこと気にしてたら、女の子にモテないよ?」
エレナは甘ったるい猫撫で声を、鏡の向こうのアキラに送る。
微妙に身をかがませて、胸をせり出させるのも忘れない。
「……って、騙されるかぁっ!!」
おおっ、っと一瞬それを食い入るように見つめたアキラは、正気に戻り、森の中に声を響かせる。
もう日は大分傾いて、森から見える町は赤く染まっていた。
「何よぉ……、アキラ君……。酷いよ……」
「……う、うぉぉぉおおーーーっ!!」
瞳を潤ませ、まるで森の中にいきなり引きずり込まれた乙女のように不安げで切なげな表情を作られれば、先ほどまでのエレナが嘘のよう。
だが、森の中に引きずり込まれたのはアキラの方であれば、どっちが“素”なのかが残念ながら分かってしまう。
二人の足元には、さきほど町を離れる直前にエレナが買い込んだ大量の衣類や装飾品。
それらの財源は全て、エレナが昼に窃盗を成功させたサーカスの売り上げだった。
「う~ん、あんまり大声出さないで? 私……恐い……」
「俺も恐いよ」
「ああ、アキラ君もなんだ……。私を守ってくれる?」
アキラが恐怖を覚えているのは、サーカスの売り上げを完全に自らの欲望のままに使い込んだエレナなのだが、瞳を潤ませるエレナを見れば、そんな気持ちは流される。
だが、ここで踏み留まらなければ、これ以上の犯罪に足を染めることになりそうだ。
「私と一緒に楽しむの……、いや?」
いや、染めても良さそうだ。
アキラの脳髄は、エレナの甘い頬笑みに溶けていく。
だが、角度が変わって映った自分の緩みきった顔を見て、再びアキラは奮起する。
これは、まずい。
「な、なあ、俺たち町に戻ろうぜ? こんな時間だと、ほら、町の近くでも魔物とか出るだろうし」
「はぁっ!? 冗談じゃないわよ。今頃町中私たちを探して警護団とか走り回ってるでしょうよ」
買ってきた物の試着が終わったエレナは、再び刺々しく表情を作り、眼前に見える町を遠巻きに見渡した。
若干小高いここからなら、辛うじてサーカスのテントが見えるが、華やかしいそこに今は近づく気になれない。
「お、お前なぁ……」
「そ、れ、に。ねぇ、アキラ君……、魔物が出ても、私を守ってくれるでしょ?」
「おうっ!!」
鏡を持ったままガッツポーズをしたアキラの声は、森に響いた。
話を聞くに、アキラはアシッドナーガを倒したそうだ。
そして、自分が感じた力を持っている。
強いことは強いのだろう。
その上、直属のモンスターを倒したとあっては、ガバイドの興味が向いている可能性がある。
エレナはアキラに、まだまだ利用価値を見出していた。
「……って、違う!! とりあえず俺は戻んないとまずいって。俺と一緒に旅してた奴らが、」
「ええ~っ」
駄々っ子のように身をくねらせるエレナの姿は、なんと欲情的なことか。
アキラはゴトリと持っていた鏡を足の上に落として悶えながらも、目はエレナの姿を記憶しようと動かない。
「ね、ねぇ、そんな人たちどうでもいいじゃない……。私と一緒にいても……、楽しくないの?」
「っ、う、ぉ!?」
エレナはアキラに滲み寄り、アキラの腕にしがみついた。
間違いなくわざとだろうが、その豊満な胸が、アキラの腕に吸いつくように形を変える。
「ねえ……、アキラ君……」
「な、何?」
「私……、あいつらに、追われているの……。捕まったら……、何されるか分からない」
追われるに値するだけのことをしたのも棚に上げ、エレナは瞳を潤ませ続ける。
顔に甘い吐息がかかると、またもアキラの脳髄は、とろん、と溶けていった。
こんな展開は万歳だ。
順調に、異世界漂流物の主人公の力は発動している。
エレナの細腕など、あの男たちが粗雑に扱えば、小枝のように折れてしまうだろう。
守らなければならない。
「私と……私だけと……、逃、げ、て?」
耳元に甘い吐息を吹きかければ、すぐに『おうっ!!』と声が返ってくる。
そんな声に備えて、エレナは僅かに身をすくませた。
しかし、そんな行為に意味もなく、アキラの身体は固まったままだ。
「? アキラ君?」
「……、いや、その、」
隣に甘い香りを携えながらも、アキラの眉は微妙に寄った。
エレナだけと、逃げる。
その先に何が待つのかは知らないが、きっと、輝かしいのだろう。
何せ、こんな暗がりでも、彼女の美貌はキラキラと輝いている。
だが、“それ”を、アキラは拒んでいた。
“ただ一人”だけを見ること。
それは、駄目だ。
それは、できない。
想像するだけで、光が強すぎる。
そしてそれは、離れて行ってしまった。
視界はかすみ、輝きは遠く。
そう、思ってしまう。
「……? アキラ君、私とじゃ、いや?」
「……」
“素”を出しすぎたか。
懸念を浮かべたエレナは、少しだけ腕を離す。
そんなエレナの動きを無関心に受け止め、アキラは見えないものを見るように目を細めていった。
何故だろう。
たった一人を見ること。
その光景は、光が強すぎ、そして見えない。
“それなのに、そこに一人がいる気がする”。
今日一日、“それ”を避けるために極力冷たく接した女の子。
それが、ずっと。
「……! なに、あれ」
「……うぇ?」
腕の隣のぬくもりが、いつの間にかなくなっていた。
それを探してアキラが見つけたのは、町を指差すエレナ。
エレナのすらりと長い指は、町から上がる数本の大きく黒い煙を捉えていた。
「サーカス……か?」
「あんな禍々しい煙上げたら、誰も見に来やしないわよ」
エレナと並んで見た町は、昼と様子が完全に変わっていた。
いつの間にか辺りはすっかり暗闇に包まれ、町の明かりだけが浮かぶようにそこにある。
だが、浮かぶ黒い煙が、その光を飲み込まんとするようにもうもうと立ち込めていた。
「でも、サーカスの方から……」
「……、なんか、っ、」
エレナは言葉を飲み込み、買い物袋もそのままに駆け出す。
続くアキラは一瞬遅れて、町に向かって走り出した。
またも何かが、起こっている。
―――**―――
それは、黒い煙と共に、始まった。
そしてその煙は、“勇者様”をいやいや探していたエリーにも、ついにサボっていたエリーを見つけたマリスの目にも飛び込んできた異常事態。
方向は、サーカスのテントだ。
「ねーさん、そっち、任せたっす!!」
「ええっ!!」
一体何が起こっているのか。
エリーは暴れ回る魔物に、スカーレットに輝く拳を打ち込みながら、煙の上がるサーカスのテントを睨んだ。
きっと開演の迫ったサーカスに集まっていたのだろう。押し寄せる恐怖に歪んだ人々は、怒涛の勢いで、表通りを埋め尽くす。
悲鳴飛び交うその波に逆らい、エリーは通行人を守りつつ、サーカスのテントを目指した。
空路を行くのは、シルバーに輝くマリス。
一般人を守るための陸路を進んでいるとはいえ、楽な空路が羨ましい。
「っ、」
通行人に襲いかかった魔物を、再びスカーレットの拳撃が捉える。
捉えられたモンスターは、ボウリングの玉のような身体を弾ませ、戦闘不能の爆発を起こす。
この魔物は、リトルスフィア。
まるまるとした黒く球体の身体に、小さな耳と手。そして背中にも小さな羽根が付いている。
足は無く、羽ばたいて移動するモンスターだが、浮かぶ、と言った程度で移動速度も大したことはなく、攻撃能力も魔術師相手ではいささか力不足。
その上、目の前のリトルスフィアは一般的なサイズと比べても小さく、一撃だけ与えているエリーの攻撃でも、全て戦闘不能になっている。
愛らしい存在と言えば、愛らしいのだろう。
だが、数が。
「っ、」
正面のリトルスフィアに拳を叩き込み、そのままの勢いで反転して蹴りを放つ。
つい先ほど引き取りに行った足の防具は、順調のようだ。
だが、目の前の数は、減らない。
「ふっ、」
徐々に人の数も減ってきた頃、エリーの瞳に、ようやく敵の全体数が見えてきた。
広い大通りを埋め尽くさんとするように押し寄せるリトルスフィアの群れ。
下手をすれば、数百に届きそうな大群が、町に漂い、人や町に攻撃を加えている。
体当たりのその一撃は、以前の小さなマーチュに劣り、木造の建物すらも軋ませる程度だが、人に当たれば痛烈な痛みにもんどり打つことになるだろう。
倒れてもがいている人を強引に起こし、大声で鼓舞して再び走らせる。
エリーの方も、この数では、これ以上通行人を気にしていられない。
「クルルッ、」
横から身体を回転させ弾丸のように飛びかかってきたリトルスフィアのつぶらな瞳に、今度は裏拳で応じ、瞬時に戦闘不能に追い込む。
どこかの男がいれば、墓標を作ろうという馬鹿みたいなことをしそうだ。
だが本来、水曜属性のリトルスフィア相手では、火曜属性のエリーの攻撃は効果が薄いはず。
一向に数が減らない相手に、一体どこまでもつものか。
「―――!」
背後から、エリーと同じスカーレットの炎が飛んでいった。
振り返れば町の警護団が、慌てた顔でリトルスフィアを倒している。
ようやく登場か、と呆れた表情を浮かべたが、今まで“勇者様誘拐”の犯人を追っていたことを思い出し、エリーは全力で目の前の球体を殴った。
「ノヴァ!!」
詠唱を付した拳は、今まで以上の威力で魔物を吹き飛ばし、リトルスフィアの群れの間に空間を作る。
一体を倒すには必要のなかった威力だが、魔物たちはその威力に怯え、動きを鈍らせた。
その隙に、警護団からの魔術が襲い、魔物たちは順調にその数を減らしていく。
「……、」
町は、大丈夫そうだ。
警護団たちが戦ってくれている。
エリーは、適当に魔物たちを倒しながら、サーカスへの足を進めた。
アキラが攫われ、サーカスの金庫が空になり、そしてここにきてのモンスターの群れ。
こうなると、一連の首謀者は、あの女に間違いはない。
エリーは必要もないルートのリトルスフィアを殴りつけると、ただただサーカスへの足を速める。
「ノヴァッ!!」
威嚇するように魔物を吹き飛ばし、牽制し、通路を曲がった。
ここからサーカスの公演へのルートは、まっすぐの一本道。
あとはただひたすらに、この道を進めばいい。
どうもこの魔物たちは、サーカスから溢れているように思える。
警護団がこんな大群を無策に町に入れるわけはない。
考えられるとするのなら、サーカスの出し物のモンスターの暴走。
サーカスの中に現れたあの女が、何か起爆剤の“種”を仕込んだのだろう。
「……?」
自分とは逆走する人の群れの中に、知っているような気がする男が見えた。
その男の顔は文字通り真っ白に染まり、慌てた顔で人々の波を避けて立っている。
「……! だ、団長さ、ん?」
「おっ、おおおっ、」
急ブレーキをして止まれば、どうやら間違いはないらしい。
挙動不審に近寄るのは、開演準備で顔に化粧をしたサーカスの団長。
その化粧も途中で打ち切り、まだ下地しか塗っていないようだ。
「これっ、どうなっているんですか!?」
「わっ、私も、分からないのです……、いきなりテントから魔物が溢れだして……、あっ、」
「っ、」
転んだ子供に襲いかかった魔物を、エリーの拳が捉えた。
団長は子供を立たせ送り出したが、ピエロになり切れていない団長の顔はさぞかし怖かっただろう。
今まで以上の勢いで走り出した子供が何を恐がっていたのかを、エリーは見逃さなかった。
ただ、団長は、ここに立って、恐らくは大半観客だったのであろう人々の避難に尽力しているようだ。
「それより、すみません、アキームを見ませんでしたか?」
「アキーム? ……って、あの、猛獣使いの?」
「えっ、ええっ、逃げて行った顔の中に、彼は、」
「ノヴァッ!!」
今度は団長に襲いかかった魔物を、エリーは殴りつけた。
魔物の群れを討ちぬき、建物に叩き込まれたリトルスフィアは、爆発を起こす。
この威嚇で、しばらくは近づかないだろう。
「もしっ、もしかしたらっ、まだ、いるのかもしれませんっ!!」
団長の指はサーカスのテントを指した。
そこは依然として、煙が立ち込めている。
ここまできてようやくそれが、サーカスのテントが燃えていること故の煙だと判断できた。
「責任感の強い男です……、もしかしたら、魔物を止めようとしているのかも、」
「っ、あたしは今からそこに行きます……、探してきます!!」
「おっ、お願いしますっ!!」
舞台ではこうなのか、団長の抑揚がある大きな声を背に、エリーは駆け出した。
やはり、魔物を使役するのには無理があったのか。
この暴走も、もしかしたらそのせいでのものかもしれない。
それに、アキームという男の安否も気がかりだ。
平常時でも怪しいのに、暴走時では一般人は近づくだけでも危険だ。
「っ!!」
単調に前から突撃してきたリトルスフィアに、エリーはカウンターで拳を突き出す。
暴走していて危険と言えば危険だが、所詮は群れの利益を活かせない獣の群れ。
敵では、ない。
「―――……」
その、はずだった。
エリーの反応が遅れる、突き出した右腕側に、ちらりと黒い影が映る。
それが、エリーの僅かな死角からの突撃であることに気づいたのは、
「―――」
イエローの光がそのリトルスフィアを両断したあとだった。
「サ、サクさん!」
「エリーさん、これは、」
ようやく合流できたサクは、息を弾ませ魔物を見やる。
今までも暴れ回るように戦っていたのだろう。
着物も土を被り、所々魔物の血が付着している。
「事情はあとで!! とにかく、サーカスを目指そっ!!」
「ああ!!」
サクと並んで走り出せば万全。
ときに死角から攻めてくるリトルスフィアを、もう片方が打ち倒す要領でサーカスのテントを目指す。
だが、妙だ。
「サクさん、これ、」
「ああ、やはり、“戦われている”」
サクも同じ懸念をしていたようだ。
目の前の魔物を両断したサクの死角に、再び現れるリトルスフィア。
それをエリーが殴り飛ばせば、今度はその死角から。
今までただ単調に暴れていたリトルスフィアは、明確に、群れの利益を享受し始めていた。
「司令塔が近いのかもしれない!」
サクは鋭くサーカスを睨んだ。
眼前に迫ったそのテントはすでに全焼。
消火活動も、魔物の群れに遮られて行えていないようだ。
だが、そこに、間違いなく。
「リトルスフィアの……ボス」
「……」
エリーから漏れた言葉に、状況も忘れ、サクは口元を緩めた。
ボス。
まるで、自分の主君のような表現ではないか。
血眼になって探しても見つからなかった主君は、一体今どこにいるのだろう。
「おっ、お二人とも!!」
公園に入ろうとしたところで、エリーとサクは、小太りの男に呼び止められた。
勢いを強引に止め振り返れば、血相を変えた猛獣使い、アキームが駆け寄ってくる。
「アッ、アキームさん!!」
「あっ、あああっ、やっぱり、お二人だ!!」
挙動不審に震え、アキームは息切れを抑えようとうずくまる。
無事だったようだが、余程必死だったのだろう。
額には、脂汗が浮かんでいる。
「だっ、団長が心配してましたよ!!」
「えっ、ええ、ええ、本当にっ、」
「とっ、とにかく、落ち着いてっ、」
覗き込むようにして、エリーはアキームの回復を急かした。
昼時、まっ先にこの男に拳を叩き込んだエリーには抵抗があったが、今から飛び込むこの公園。
一体何がいるのか知る必要がある。
「アキームさん、だったか。ここには、何がっ、」
「ええっ、それは恐ろしいっ、」
一体誰が管理者というのか。
アキームは蹲ったまま震える声を吐き出し続ける。
「だから、何がっ、」
「恐ろしいっ、魔女がっ、」
「魔女?」
エリーの顔が怪訝に歪んだところで、アキームはゆっくり顔を持ち上げた。
「私のペットを殺そうとする、魔女が、」
「……―――」
遅かった。
それは、エリーもサクも同時に感じたことだ。
だが、エリーの方は、爆発を思わせる腹部の激痛に、そのままの勢いで吹き飛ばされた。
「―――ぐっ、がはっ!!?」
その激痛が、アキームが突き出した鉄球のような腕の拳撃だと気づいたのは背を地に打ち付けてから。
「っ、」
サクが飛ぶように一歩離れて睨んだアキームは、すくっと立つと、身体を震わせる。
すると、両拳は鉄球に。
耳元は長く怪しげに。
身体全体も巨大な土色に変貌し、上部の衣服を弾き飛ばした。
「っ、これ、は、」
「くっ、かはっ、」
エリーが悶えながらも身体を起こすと、すっかり姿を変えたアキームとサクが対峙していた。
小太りだった男は、今や二メートルを超す巨体になり、上半身は並々ならぬ筋肉を隆起させている。
この魔物をエリーは知っていた。
筋肉質の身体に、握れば鉄球のような両拳。
背中まで伸びた濁った茶色の立て髪に、ギロギロと危険に動く鋭い瞳。
その額には、何物でも砕けない強固な角が二本生えている。
これは、土曜属性の、
「オーガース……!?」
ふらつく足で、エリーは何とか身を立たせた。
「貴様……、まさか……、擬態を……!?」
「ググッ、グググッ」
身体を蠢かせ、アキームはさらに体の筋肉を隆起させる。
巨大マーチュや巨大なブルースライムとは違い、一般的なサイズよりは僅かに大きい程度だが、それでも、この辺りにいていいような魔物ではない。
その上、
「っ、生きてたか……!!」
アキームは苦々しげにエリーを睨み、両拳をガツリと合わせた。
やはり、“言葉持ち”。
それも、以前のゲイツとは違い、言語は完璧のようだ。
これは、異常事態だ。
オーガースは、そもそも極端に知力の少ないモンスター。
戦場にあって、敵味方を問わず目に映るもの総てを殴りつける。
その分攻略も楽に済むが、目の前のオーガースは、明確な意思を持って、エリーとサクを睨みつけてきた。
擬態も異常事態だ。
そもそも擬態ができないはずのオーガースが、身体のサイズをも変え、あれほど自然な人間になることなどありえない。
「“勇者”は、どこだ……?」
「……!」
拳を構えるエリーも、刀に手を当てたサクにも、警戒せず、変貌したアキームは地鳴りのような声を響かせた。
この魔物の、狙いはアキラ。
すぐさまそう判断し、サクは足に力を溜める。
大方この騒動も、アキラをおびき出すためにアキームが実行したのだろう。
「貴様らサーカスは、」
魔族の手先、と漏らそうとした口を、サクはすぐに噤んだ。
テントを燃やしているのだ。
恐らくは、アキーム単体が、この件の首謀者。
この魔物の群れも、アキームが“猛獣”と称して運び込んだのだろう。
確かにサーカスに潜り込めば、各地を転々とし、村にもほぼ無警戒に入れる。
「もう一度聞く……。“勇者”は、どこだ?」
「応える筋合いは……、ないっ!」
サクは地を蹴り、アキームに切りかかった。
放たれるは、必殺の居合い。
埋まり込んだようなアキーム首をめがけて腕を振るう。
「っ、」
ギンッ、と鋭い音が爆ぜ、サクのイエローの魔力が四散する。
アキームは両拳でそれを受け止め、サクの押し込みをものともしない。
「グッ、ガァァァアアアーーーッ!!」
「づっ、」
アキームが小バエを払うように腕を振れば、その絶対的筋力に、サクの身体は弾き飛ばされる。
流石に、オーガース。
その扱いにくさでも使役する魔族がいるほどに、戦闘力に長けている。
その上、土曜属性。
金曜属性のサクには、相性が悪い。
「っ、ノヴァ!!」
サクを振り払って空いた胸に、エリーが特攻を仕掛ける。
光るスカーレットの攻撃は、アキームの動きを凌駕し、吸い込まれるように胸に叩きこまれた。
「グッ!?」
「!?」
エリーは一撃を、確かに加えた。
ダメージもある。
だが、アキームはその鎧のような筋肉を盾に、その場から微動だにしない。
「っ、クウェイク!!」
「―――!?」
目下のエリーに、アキームは拳を打ち下ろした。
拳にまとう魔力は、グレー。
エリーの反応が僅かに勝り、巨大な鉄球は地を殴る。
しかしそれだけで局地的な地震が起こり、小規模なクレーターを足場に作った。
「っ、」
「くっ、」
足場にほとばしった魔力をエリーとサクは跳んでかわした。
クウェイクの魔術は直撃を避けても隣接する大地を揺さぶり、魔力による打撃を受ける。
だが、オーガースは、こんな魔術を使わないはずだ。
「―――!?」
その場から、動かないものと思っていた。
しかし、アキームは二人が跳躍した直後、溢れんばかりの魔力を拳に込め、突撃を繰り出してくる。
狙いは、サク。
両拳の鉄球が、眼前に迫る。
「がっ、はっ!?」
以前のゲイツのような衝撃。
身体全てを揺さぶるその一撃は、金曜属性に相性で勝り、サクの腹部を襲う。
「っ、サクさん!!?」
自分のように、拳に魔力を込めたオーガースの一撃。
エリーは、それを受けたサクが荷馬車に跳ねられたように吹き飛ぶのを見て顔が青ざめる。
自分の細腕でもモンスターを一撃で屠る攻撃方法なのだ。
あの大木を思わせるアキームの腕でそれを行えば、果たして、威力は、
「か……かは……、ぐ……、」
「!! サクさん!!」
全身を痙攣させ、仰向けのまま呼吸困難に陥っているサクに駆け寄ったエリーは、サクの戦線離脱を早々に理解した。
意識はあるようだが、身体はまるで動いていない。
足元に転がった愛刀に手を伸ばそうとしているも、僅かに手首が動いているだけだ。
恐らく、肋骨が折れている。
「っ、」
これは、まずい。
今すぐにでも治療をしなければ、生死に関わる。
急いで、治療を、
「ククク……、」
サクに突撃したポイントから動かず、アキームは不敵に笑った。
その拳から繰り出された絶対的威力の突撃は、エリーの攻撃とは別次元に位置する威力。
相手を浮かせてからの突撃。
これが、“知恵持ち”の危険度。
「あの魔女を探しているのか……?」
「……!」
サクを倒し、動きを止めていたアキームは、苦々しげに呟いた。
その禍々しい瞳は、公園で燃えているテントを睨みつけ、殺気を飛ばし続ける。
「あの魔女なら、私がガバイド様から賜った魔物を殺そうとしている……。貴様らが終われば……、次はあの魔女だ」
「……!」
また、この言葉を聞いた。
ガバイド。
その地位は、ゲイツの言葉通り、魔王直属。
恐らくアキームも、ガバイド直属の魔物なのだろう。
アキームの妙に高い知力や擬態能力も、巨大マーチュやゲイツを考えれば、その由来がガバイドに辿り着く。
やはりアキームは、通常のオーガースとは乖離した存在だ。
先のゲイツと同等以上の実力に、エリーは身体を強張らせた。
「もう、貴様らは、終わる」
「……?」
アキームは、にやにやと笑いながら、エリーと倒れているサクを見やった。
だがそれだけで、動こうとしない。
『終わる』と宣言したにもかかわらず。
一体、
「、エリー、さ、」
「っ―――」
エリーが状況を確認しようとした、その頭。
後頭部に、鈍い痛みが走った。
音が、消える。
倒れているサクの顔が悲痛に歪み、何かを訴えているように口をパクパク動かしていた。
エリーは何が起きたか分からない。
だが、自分に、地面が近づいてきたことを、淡白に見るだけ。
「ククク……」
アキームは動いていない。
だが、エリーは倒れ込んだところで、ようやくそれがリトルスフィアの突撃だったことに気づいた。
「……か、……う、あ……、」
地面にうつ伏せに倒れたエリーの瞳に、辺りに浮かんでいるリトルスフィアの群れが映った。
それはまるで、死者を囲う死神のように。
いつの間に囲まれていたのだろう。
アキームが現れたときは、いなかったのに。
脳震とうを起こした頭には、疑問は浮かべど答えは浮かばない。
「終わり、だ」
「ぐっ……、」
いつしか歩み寄ってきたアキームの顔が、眼前に現れた。
鬼のような顔の持ち主は、片腕の鉄球を変形させ、一般的な手とすると、エリーの首を掴み、絞めるように持ち上げている。
「がっ、ぐ、ううっ、」
「ククク……、ん? お前は動くな」
「がはっ!?」
エリーの首を絞め上げ、アキームは図太い足で動こうとしていたサクの腹部を踏みにじった。
「ぐっ、あっ、ああっ、」
「……ぅ、」
足元の重傷のサクは呻くが、エリーは徐々に頭の中が白くなっていった。
殺される。
それほど確実な死が、目の前にあった。
視界は白黒とし、身体は震える。
揺らめく炎が僅かに瞳に映り、それが離れていく。
「最後に、良いものを見せてやろう」
「……、?」
アキームが呟くと、まるでそれが合図のように、燃え上がっていた巨大なテントが崩れ落ちる。
ライトアップされた公園は、視界を遮るものが消えた今、その全貌を現し、そして、
“それ”は現れた。
「……!」
透き通るような水色の、巨大な球体。
サイズは、たった今崩れ落ちたテントにさえ相当する。
そこから生える太い腕は、大切そうに自らの腹部を囲っていた。
その巨体を浮かばせる巨大な翼が羽ばたけば、ゆらゆらと燃える炎がかき消えるように疾風を起こす。
バサッ、バサッ、とリズムよく届く風が、テントの炎を自然公園の木々に移していった。
そして、顔も、生えていた。
竜のように鼻のとがった巨大な顔は苦痛に歪むも、大切そうに自らの身体を眺めている。
それは、まるで胎児を宿した母体のよう。
水色の球体。
それを抱える腕や顔の付属物。
もうろうとする意識の中、エリーは、その魔物の検索を始めた。
「マザースフィア。美しいだろう?」
その問いには、応えられなかった。
だがエリーは、ようやくリトルスフィアの数の量に合点がいった。
産んでいるのだ。
あの、水色の球体が。
照明具に照らされたその透き通る身体は、美しくも禍々しい。
見れば定期的に、ぼとぼととマザースフィアの下に黒色の大群が産み出されている。
それどころか、身体を徐々に肥大化させていた。
マザースフィアは、身体のサイズも変化させられるらしい。
「それなのに、あの魔女は……!!」
「がっ、」
アキームが顔と同時に力を込めた腕は、エリーの首を万力のように締め付ける。
だが、抵抗もできない。
「見ろ、あれを……!!」
アキームが強引にエリーの顔をマザースフィアに向けると、その周り。
銀色に輝く飛行物体が、マザースフィアに鋭い光を放っている。
マリスだ。
マリスは単身、マザースフィアに襲いかかっている。
だが、ときおり産み出たリトルスフィアや、火が燃え移った木々を消し飛ばし、思うようにダメージを与えられていない。
「勇者のおびき出しは、あの魔女一人で十分……。さあ、死ね……!」
「かっ、あああっ!!」
駄目だ。
ここで自分が力尽きては。
マリスが、一人でアキームとマザースフィアの相手をすることになる。
そうなれば、
「死ね……!!」
「ぐっ、うぁぁああっ!!」
あの男は、一体何をやっているのだろう。
命の灯が消えゆく中、何故かエリーの頭には、一人の男が浮かんだ。
あの男がいれば、なんと言っただろう。
『死ね』を連発する奴は、死亡フラグが立っている、とか言うのだろうか。
そいつは、今いない。
本当に、何をやっているのだろう。
でも、
「……っ、」
確信があったわけでは、ない。
信じているわけなんて、ない。
現実逃避していたわけでも、ない。
それなのに、エリーは、思った。
「―――!!?」
アキームの、自らのペットの神々しさに惚れ込むような瞳が、一瞬唖然し、すぐさま驚愕の色一色に染まる。
視線の先には、自らのペット―――その水色のペットが、闇夜を切り裂くオレンジの閃光に飲み込まれた光景。
「―――なっ!?」
「……、がはっ、げはっ、」
緩んだアキームの腕から脱出し、地面に落ちたエリーは、せき込みながら、思った。
ほうら、やっぱり来てくれた。
「いっっっっでぇぇぇええええーーーっ!!!!!」
公園に響く悲鳴は、効き慣れたもの。
直後に響いたマザースフィアの大爆発のあとも、その声だけがエリーの耳に残る。
「そん、なっ!!」
「っ、」
残る勢力を総て使い果たし、エリーはサクを抱えて放心するアキームから距離を取った。
周りに浮かぶリトルスフィアも、突然の母の死に、対応できていない。
突然で、悪いとは思う。
だけど、あの男は、そういうことしかできないのだ。
「っ、き、さ、ま、らぁぁぁぁあああーーーっっ!!!」
離れた瞬間、アキームは我を忘れて怒号を飛ばす。
「ガバイド様から賜った、私の宝をっっ!!!」
「づ、」
「!」
怒号を正面から受けながら、サクは愛刀を杖のようについて立った。
エリーの首が絞められている間、踏みつけられようとも、手だけは刀に伸ばしていたらしい。
「はっ、かはっ、」
「サ、サクさん、大丈夫なの……!?」
「はっ、はっ、主君が現れた以上……、従者が寝ているわけにっ、はっ、」
顔も青ざめ、口元から血を流し、それでもサクは構えを取る。
確かにあの光に後押しされては、動かずにはいられない。
「あとは、この男だけだ……!!」
サクの目には周りの怯えてうろつきまわるリトルスフィアは映っていなかった。
確かに、司令塔を失っては何ら脅威ではない。
あとは、アキーム。
それだけだ。
「許さん……、ぞっ!!」
オーガースの先天的に持つ、殺戮本能。
それをむき出しに、アキームは再び拳を固めた。
来る。
「……、あなた今、ガバイドって言った?」
そう、思ったとき。
背後から女性の声が聞こえた。
「いでっ、いでっ、またっ、肩っ、」
「っ、うるさいわよ」
共に現れた男は、その女に投げ出され、地面に転がる。
その悶えよう。
右肩を抑えてもんどり打つその姿は、エリーはよく知っている。
「あっ、あんたっ!!」
「アッ、アキラ様!!」
「まじっ、まじっ、マリスは!? マリスはっ!!?」
恐らくまたも外れたであろう肩を懸命に抑えたアキラの涙目に、昼以来の顔ぶれが映った。
エリーは首に赤い手跡を残し、サクの顔は青ざめている。
二人とも、ダメージは深い。
そう見えて、最後に残ったちっぽけなプライドから、アキラは叫ぶ自分の口を塞いだ。
「ったく、どんだけ一発芸なんだよ、お前」
エレナはようやく静かになった後ろにそれだけ呟くと、目の前の“情報持ち”に対面する。
自分の身体ほどの腕を隆起させ、怒りに燃えるオーガース。
正直、話し相手としては最悪だ。
「見つけた……、見つけたぞ……、そいつが勇者か……!!」
「今は私と喋ってんでしょ」
地鳴りのような声を遮ったのは、エレナの冷ややかで抑揚のない言葉。
それ以上の冷ややかな瞳でオーガースを射抜くと、エレナはふらりと近づいていく。
「……!! 貴様……、昼の……!!」
「……? あんた誰?」
「私に妙な魔術を仕掛けた女……!!」
怪訝に顔を歪めたエレナの頭に、ようやく一人の該当者が出た。
そういえば昼、自分が意識を奪った小太りの男がいたような気がする。
魔物だったとは。
随分回復が早いと思ったが、そういうことか。
「まあ、いいわ……。口が利けるなら、知ってること、全部話してもらえる?」
エレナは、憤怒の形相の魔物を、変わらず冷ややかな瞳で睨み、近寄り続ける。
その瞳の色は、背後にいるアキラにも容易に想像がついた。
あの、ガバイドのことを話していたときの瞳だ。
「ガアッ!!」
「エレナ!!」
攻撃範囲内に入ったエレナに、大木を思わせる腕が振り下ろされた。
受ければ原形を留めるかどうかも定かではない。
アキラは肩の激痛も忘れ、名を叫んだ。
「っ、」
「―――!?」
だが、その惨劇は、起こらなかった。
振り下ろされた大木は、エレナの左腕に受けられ、動きを止める。
「グッ、貴様……何者……!?」
「今は私が聞いてんでしょ」
彼女の細腕は、一体どのような仕組みでできているのだろう。
恐らく魔力による強化だろうが、筋肉の塊のようなモンスターを腕一つで止めるその異様さは、この場にいる全員が息を呑んだ。
「グッ、ウウッ!!?」
「エレ……ナ?」
あれが『戦えな~い』とか言っていた女性の姿か。
押し込もうとしている筋肉の魔物も、エレナの腕に抗えない。
「エレナ……? 貴様、エレナ=ファンツェルンか……!!」
押し込もうとした腕に力を込め続けながらも、アキームは、目の前の女の名に、聞き覚えがあった。
かつて、ガバイドが、“それ”が逃げ出したと、大層嘆いていたことを思い出す。
「実験素材の分際で……、逃げ出した上に、直属の私に歯向かうなど……ぐっ、がっ、」
忌々しげに睨み続けるアキームの首を、エレナは空いた手で強く掴んだ。
そして、そのまま腕に力を込め、アキームの足を浮かせる。
「女性の秘密は、暴くもんじゃないわ」
これ以上ないと思っていたエレナの声が、さらに冷えた。
力を込め続ける右腕の指が、アキームの首に食い込み、先ほどのエリー以上に呼吸が詰まる。
現実離れした光景だ。
華奢な女性が、腕一本であの巨体を吊るし上げるなど。
後ろで見ている三人は、目を見開いていることしかできない。
「ガバイドに伝えなさい……。今ならもう殺れる。必ず殺す、って」
「がっ、はっ!!」
聞いているのかいないのか。
アキームは悶え続け、顔が青く染まっていく。
「……分かった? 分かったら消えていいわよ」
「ぐっ、があっ、きさっ、まっ!!」
「そう……、ダメそうね……。“これ”、全力でやったらどうなると思う?」
アキームの瞳に、引く気ないことを正しく感じ取り、エレナは手のひらに魔力を込める。
すると、エレナの手が輝き始めた。
色は、ライトグリーン。
その光を纏った途端、アキームの眼の色が褪せていく。
「木曜属性の……キュトリム……!!」
エリーがエレナの魔術を言い当てた。
キュトリム。
相手の魔力を奪い、自らの力に変える上級魔術。
それだけでも力は壮絶なのに、あの様子では、アキームの生命力さえ奪っている。
しかも、急速に。
それは最早、触れただけで相手を殺すことができるのと同義だ。
「き……き……、き……、」
「……」
エレナはアキームの限界を感じ取り、そのまま巨体を無造作に投げ捨てた。
投げられたアキームは白目をむき、直後に小規模な爆発を起こす。
下手をすれば今までのリトルスフィアより小さな爆発は、エレナに総てを吸い取られた結果とも言えた。
「……まっず、」
エレナは最後にそう吐き捨てると、目を瞑りながら僅かに乱れた衣服を正した。
閉じた瞳の中は、最後まで、冷ややかなまま。
―――**―――
「と、いうわけで、」
「っ!!」
昨日の騒ぎが過ぎ去り、アキラたちは宿舎を出たところで、甘ったるい声の女性にかち合った。
「私は、あなたたちの仲間になったのでした」
「どっ、どういうわけよ!?」
清算を済ましたエリーが後続から這い出て叫ぶ。
目の前の女性は、一体何を言ってくれているのか。
「?」
「ああ、ほら、昨日の、」
「……、ああ、あの人がっすか」
マリスが浮かべた怪訝な顔に、並び立つサクが小声で補足説明をする。
昨日アキームを倒した直後に町の闇に消えていったエレナは、心機一転、とでも言うように、にこやかな笑顔を浮かべていた。
「どういうわけはこっちのセリフよ……。町中に張り付けられてたわよ……、これ!」
エレナが突き出したのは、手配書。
そこには、エレナの容姿の詳細と、その罪状、“勇者様誘拐”と銘打たれていた。
「こんなんじゃ身動きとれないわ……。ねぇ、アキラくぅん」
「うおっ!?」
エレナはしなやかに身体を動かし、アキラの腕に抱き付く。
アキラの拳がガッツポーズを作っているのが見えて、エリーはそれ以上に固く拳を作る。
大方、ご都合主義万歳とでも思っているのだろう。
「私たち……、デートしてただけよね?」
「え、あ、ああ、」
「私の無実……、晴らしてくれるよね?」
「ちょっと、あんた昨日の話忘れたの!?」
このままでは丸め込まれてしまう。
エリーは強くアキラの腕を引き、エレナから引き剥がした。
「昨日あたしが言ったこと、復唱してみなさい」
「『知らない人に、ほいほいとついて行くな』」
魔物の残党を駆除し終わったエリーに怒鳴りながら教え込まれたこの言葉は、今でもエリーの口調、音量そのままに思い出せる。
まさか、そんな小さな子供に言うような格言が、自分にそのまま適合するとは思ってもみなかった。
「誘拐の件はちゃんと説明しますから、それでいいでしょう?」
「それだけじゃないのよ」
「?」
エレナは瞳を、少しだけ冷やした。
あのガバイドのことだ。
どこかに監視用の魔物でも配備していたことだろう。
倒すべき勇者と行動を共にしていれば、それだけガバイドも動きやすくなる。
そしてついでに言うなら、サーカスから盗んだ金品は使い込んでしまった。
もう彼らに会うわけにはいかない。
「……ねぇ、アキラ君。私、邪魔かな?」
「いや、そんなことはない」
「ちょっとぉっ!?」
駄目だ。遅かった。
このハーレムを目指すとほざく男は、すっかり丸め込まれている。
「じゃあ、私、一緒にいていい?」
「おうっ!!」
「っ、」
直後、エリーの怒号が飛び、アキラはそれに反発して言い訳を返す。
いつの間にか、いつもの光景だ。
「あの二人は、あれでいい。私はそう思うよ」
「……」
その光景を見つめるサクはうっすらと笑い、マリスは無言のまま、どこか困ったように眉を下ろす。
こっちも、いつもの光景。
まだ春先なのに。
今日も暑くなりそうだ。