―――**―――
「……、遠くね?」
ついに、アキラは呟いてしまった。
購入したばかりの剣はガチャガチャと背で鳴り、じっとりとした空気のせいで汗を吸ったシャツが肌にべたつく。
ヨーテンガースの温暖な気候に助けられているが、それでも日の沈みかけた森林の風は背筋を冷やした。
タイローン大樹海を通り、依頼を果たすべくベックベルン山脈に向かう途中。
徐々に紅くなっていく空の下で、魔物に襲われたのは一体何度目だろう。
魔王の牙城の傍、ぐんっとレベルの上がった魔物たちとの戦闘は確かに楽なものではないが、抜群の安定感を誇る戦力が存在する以上、そこまでの危機には瀕し得ない。
しかし、それでも片道でここまで時間がかかっては、以前受けた泊まりがけの依頼を彷彿とさせる。
森の先に見える険しい山々には、未だ到着できない。
「距離はそんなでもないんすけどね」
隣をとぼとぼ歩くマリスが呟いた。
半分の眼を携えた彼女は、いつもの通り無表情に近い余裕顔。
彼女にしてみれば“ヨーテンガースの洗礼”とやらも、どうということは無いらしい。
「まあ、麓に休憩できる場所があるっすよ。そこまで行けば、“遠吠え”が聞こえるんじゃないっすか?」
アキラたちが、この樹海の探索をするカトールの民から受けた依頼。
それは、ベックベルン山脈の方から聞こえてくる遠吠えを、つまりはその魔物を倒してくれ、というものだった。
夜になれば聞こえてくるそうだが、やはり、どうも、胡散臭い。
「これでますます妙ですね」
マリスの反対側、アキラから一歩下がって歩くサクが呟いた。
今の空の色に近い紅の着物を羽織り、腰からは長刀を提げている。
彼女もまた、挙動不審だったカトールの民に疑念を抱いていた。
「これほど離れているなら……、彼らが震える理由がありません」
「だよなぁ……、」
そうは思っても、今さら戻る気にもなれない。
ベックベルン山脈に向かう足は止まらず、大樹海を安全に横断するパイプラインも、今しがた横切ってきたところだ。
依頼の現場は、目前に迫っている。
汗のせいで僅かに冷えた身体に、アキラは上着に首をうずめ、重くなってきた足を強引に前に進めた。
いくら怪しかろうと、どの道、依頼は受けてしまったのだ。
「まあ、どちらにせよ、行ってみなければ―――、……!?」
「―――!?」
サクが小さく呟いたと同時、紅い空から、巨大な影が降りてきた。
――――――
おんりーらぶ!?
――――――
パキン。
薄暗い洞窟内で、小さな音が響いた。
ペンタグラムを形作った小さなコアロックの一つ目が砕ける音。
しかしそれを、エリーはまともに聞けなかった。
「っ、がっ、うっ、あっ、」
声にならない呻きを、マウスピースをしっかり噛みしめたエリーから漏れる。
先ほど切ったばかりの短い赤毛の頭を小刻みに揺すり、目をきつく閉じた。
「ぎっ、あ、やっ、」
儀式が始まったと同時、腹部を中心に襲い始めた激痛が、一つ目のコアロックが砕けた瞬間、身体中で爆発した。
身体中の骨が砕け、目玉は抉り出され、筋肉という筋肉がズタズタに切り裂かれ、今なおその力は強くなる。
そんな感覚は、まさに、悪夢だった。
自分がどう動こうとも、それは付きまとい、顔はカッと紅くなる。
身体的な痛みだけではない。
まるで高熱に浮かされるように身体が溶け、首が何かに締め付けられる。
そして深海に沈むように身体中を押し潰され、呼吸さえままならない。
「ぎゅっ、ぎ、ああっ、ぎゅっ、」
喉から、奇妙な音が漏れる。
自分が今、どのような格好をしているのか分からない。
仰向けに倒れ暴れ回っているのか、それともうつ伏せで蠢いているのか。
唯一身に纏っている下着の締め付けすら、苦痛に感じる。
「づっ、づぅっ、ああっ、」
身体の痛みなら、何度も経験してきた。
例えば、リビリスアークを襲ったアシッドナーガ。
例えば、クロンクランを襲ったオーガース。
例えば、シーフゴブリンの巣で出遭った魔族、リイザス。
それらの常軌を逸した攻撃を、自分はこの身に受けたのだ。
だが、今に比すれば、それらは児戯にも等しいもの。
例え、今までの苦痛総てを掛け合わせても、今の苦痛には遠く及ばない。
「……く、……く、」
ようやく、爆発が収まった。
収まったとはいえ未だ激痛が残る中、恐る恐る開けた片目。
その視界は、色褪せた世界のみを捉えた。
感覚が全て鈍り、しかし痛覚のみが身体に残る。
気づけばエリーは、自分の顔を地面に押しつけ両手は胸と地面の間で身体を抱いていた。
腰は上げたまま、うつ伏せのまま膝を立て膝立ちの状態から身体を前に倒した姿。
顔と地面を濡らしているのは自分の涙なのか涎なのかさえ判断が付かない。
「中央に戻りなさい。その調子じゃ、外に出るわ」
遠く聞こえる声が、エリーに囁いてきた。
それが誰のものかすら、エリーには分からない。
だが、どうやら自分は、暴れ回って中央から離れているようだ。
辛うじて視線を上げてみると、確かに目の前にペンタグラムを囲うカピレットの輪が見える。
完全に、中央に背を向けていた。
「じ……、じぬ……、」
「……、戻りなさい」
エリーの呟きに返ってきたのは、またも誰かの無情な言葉。
戻れ、とは。
正気の沙汰ではない。
今起こったことはなにか。
何故か意識だけは覚醒され、気絶さえ許されないままこの苦痛を強いられる。
このままでは発狂し、そののち命を落とすことになるだろう。
口の中から涎と共に吐き出しそうになったマウスピースを噛みしめ、エリーは仰向けに倒れ込んだ。
見えたのは、白黒の世界の天井。
ゴツゴツとした岩肌の天井は、あまりに静かにエリーを見下ろしてきていた。
「ああ……、ああ……、ああ……、」
口を広げたまま、浮かされるようにうめき声を上げ続ける。
そこでようやく、エリーは思い出した。
自分は今、儀式を受けているのだ。
成功すれば魔力が大幅に上がり、失敗すれば命を落とす。
そんな、秘術を。
「……戻りなさい。やるからには最後まで、よ」
「エ……、レナ……、さ……、」
先ほどから自分に囁きかけてきた人物も同時に思い起こし、しかしエリーは動けなかった。
身体中が儀式を続けることを拒絶し、精神も軋みを上げる。
これは、人間が受けていいものではない。
あの、コアロックが砕けたと同時に襲ってきたものは、“自分”を壊してしまう。
肉体的にも、精神的にも、総てが砕かれてしまう。
しかも、あの苦痛は、所詮“一つ目”だ。
エレナは、儀式が進めばそれが増加すると言う。
それを総て受けたら、自分は。
「っ、」
エレナの言葉は正しかった。
これは、魔力の“器”を広げる秘術などではない。
ただ対象を滅するためだけの、術式だ。
この苦痛から逃れるためならば、自分はどんなものでも差し出せる。
ここで一言、エレナが『止める?』とでも聞けば、力の限りをもって首を縦に振るだろう。
「……、……?」
しかし、エリーは外にも動けなかった。
目の前のカピレットの輪が、逃走を阻むように煌々と輝いている。
そしてその輪が、エリーに囁いているようにも感じるのだ。
『逃げてはならない』と。
それは、何度もエリーに囁きかけてきた。
そして、エレナに秘術の存在を聞いてからも、ずっと心で響いていた言葉。
旅を続けるためには、それしかない。
いつしかそう思うようになった自分は、どれだけ注意されても、これを選んだのではないか。
「っ、」
転がるようにうつ伏せになり、芋虫のように身体を捩って中央に向かう。
全身全霊で戻ることを拒否しているはずなのに、身体は何故か、動くのだ。
それが、一時的にも苦痛が収まったことによる余裕なのかは定かではないが、自分の心はその場に行くことを強要している。
身体を汗と土で汚しながら、それでも進む。
浮かされた頭は、恐怖も麻痺させているのだろうか。
「づ……、う……、」
魔法陣の中央に到着し、エリーは指に力を込め、うつ伏せのまま地面に爪を立てる。
生半可な覚悟では、今すぐにでも立ち上がり、外に飛び出てしまうだろう。
必死に、耐えなければ。
「……、」
エリーのその様子を見て、エレナは目を伏せた。
甘栗色の髪を鬱陶しそうに振り、両手はカピレットに置いて魔力を注いだまま。
そして見目麗しい顔は、きつく閉じた瞳のせいで歪んでいた。
自分も、こうだったのだろうか。
エレナも以前、一人でこの秘術に挑んだことがある。
結果は、成功。
だが、それでも、あのときの苦痛は未だに思い起こせる。
見取った者のいない中での儀式。
その中で、自分はどれほど叫び声を上げただろう。
あのときも丁度、こんな洞窟の中であった気がする。
「……、」
今、エリーは目を閉じ、暴れ回ってずれた下着を直そうともせず、ただ必死に次に備えている。
年相応の身体に襲うのは、常軌を逸した苦痛。
その姿が自分と重なり、しかしエレナは再び無表情を作った。
ここで、情にあかせた声をかければ、きっとそれにすがりつく。
自分がそうだった。
止めて欲しいと、何度も思った。
止まれない自分を魔法陣から引きずり出し、慰めの言葉一つでもかけてくれれば、それできっと泣いて喜べただろう。
だが、一人だけの儀式には、そんな存在はいなかった。
妥協だけは避けたいと思った末の、成功。
“器”は広がり、自分は力を得た。
だが、もしかしたら。
あのときすでに、自分の心は、壊れていたのかもしれない。
「……!」
最初に砕けたコアロックの右、時計回りに、次の石が強く光り始めた。
目を瞑るエリーはそれに気づきようもない。
だがエリーは、感覚的に分かるそれに、身体を更に強張らせていた。
聞こえないだろうが、エレナは呟く。
「……二つ目。来るわよ」
―――**―――
「……、」
言葉を失うとは、まさにこのことだった。
シルバーに輝くイオリの召喚獣、ラッキーの背に乗る五人は、ぐんぐんと近づくベックベルン山脈を睨む。
「……、」
タイローン大樹海を進んでいたアキラたち三人に飛来したのは、ラッキーに乗ったイオリのティアだった。
そして、大雑把に聞かされた事実に、アキラたちは“そこ”を目指す。
「っ、マリス!! 本当にあそこなんだよな!?」
「……、」
全力でラッキー加速に魔力を注ぐマリスは、頷くだけで返してきた。
何度も何度も叫んだ、その言葉。
マリスとて確証はないらしいが、そこ以外に思いつかないらしい。
アキラたちが向かっているのは、ベックベルン山脈の休憩所。
奇しくもアキラたちの依頼の目的地だったのだが、依頼など頭の外に放り出された。
「っ、」
エリーが、死ぬ。
現在、マリスと同じくラッキーに力を送ることに全力を傾けているイオリから聞いた話で、アキラに残っているのは結局のところその言葉だけだった。
何を馬鹿なことを、と思う暇さえない。
口早に説明したイオリはあまりに必死で、そしてその言葉はどうあっても看過できなかった。
“器”を広げる秘術。
そんなものは、どうでもいい。
問題は、エリーの命なのだ。
「……、エレナ……、」
そのエリーに付き添う女性の名を、アキラは苦々しげに呟いた。
初めてだ。
彼女に、心の中でここまで冷えた感情を向けたのは。
何故、止めないのか。
それどころか、何故そんな下らないことに協力するのか。
共に旅した仲間だというのに、誰にも言わず、それを行おうとしているのだ。
エレナは確かに、さばさばしている。
自分にかけてくる甘い吐息も、アキラはいい加減、からかっているだけだとも分かっている。
だが、それでも彼女を信用していた。
本当に、信じられない。
「アッキー、その、」
「っ、何でお前も止めなかったんだよ!?」
隣から聞こえたティアの声に、アキラは割れんばかりの怒鳴り声を返した。
ラッキーに強く掴まるティアは、アキラの怒声に身をすくめ、口を閉ざす。
ティアもティアだ。
彼女はエリーとエレナの会話を聞いたと言う。
何故そこで強引にでも割り込み、二人を止めなかったのか。
ぐんぐんと進む中、紅い空には、徐々に夜の闇が迫ってくる。
それに比喩するわけではないが、この面々が、アキラはどうしても黒く見えてきた。
「すみません……、私、どうしたらいいのか分からなくて……、」
「っ、」
普段の元気が削り取られたティアの声に、アキラはラッキーを掴む手を強くした。
八つ当たりしている場合ではない。
ティアだって、頭が事態に追いつかなかっただけだろう。
だがそれでも、どうしても、怒りが先に頭を満たす。
そして、自分自身にも、その矛先は向かう。
「……、」
何故、気づかなかったのだろう。
エリーの様子を思い出す。
朝、アキラはエリーと話したのだ。
そしてそのとき確かに、違和感を覚えた。
怒っていないのに、静かなエリー。
そんなときの彼女は、いつも、何かを想っているようだったではないか。
『あたしとの婚約、覚えてるわよね?』
覚えている。
自分はそう答えた。
『“それが無くなったとしたら”……、あんたは魔王を倒そうと思う……?』
思う。
自分はそう答えた。
だが何故エリーがそんなことを口走ったのか、あのときの自分は怪訝に思うこそすれ、何も言えなかった。
今考えれば、あの言葉は、死期を悟っているようなものだったではないか。
それに自分は、気づけなかった。
「イオリ!! もっと急げないのかよ!?」
「っ、五人も乗ってるんだ、待ってくれ!!」
自分は何をしているのだろう。
怒鳴り散らしているだけだ。
だがそうでもしていないと、最低限の冷静さすら保てなくなりそうだった。
高速で動く、眼下の大樹海。
その急激な動きにも、アキラは世界の総てが遅いと感じる。
移動にはあまり長けていない、土曜属性の召喚獣、ラッキー。
土色の岩肌のその巨獣すら、何故もっと早く飛べないのかと、憤りを覚える。
「……! ラッキー!!」
イオリの声で、ラッキーが急降下を始めた。
向かう先は、到着したベックベルン山脈の麓。
月輪属性のフリオールで囲われたアキラたちは、浮遊感を覚えないが、それゆえに、総てが遅く感じられる。
「っ、」
地面に近づいた瞬間、アキラはラッキーから飛び降りた。
マリスが瞬時に気づいてアキラの身体に魔力を飛ばさなければ、足の骨でも折れていたかもしれない。
だが、アキラは振り向きもせず、山脈に駆け寄る。
一刻も早く、エリーを止めなければ。
「……!?」
大樹海が終わり、険しい姿を現したベックベルン山脈。
そこに、以前の魔物騒ぎも忘れ接近したアキラは、その足を止めた。
絶壁とも言えるその岩肌には、巨獣、ラッキーが入り込めるほどの大穴が、遠く離れて二つ開いている。
「マリス!! どっちだ!?」
「分からないっす!! でも、ここが避難所っすよ!!」
遅れて駆け寄ったマリスも、叫びながら洞窟の入り口を見渡す。
「中は繋がってんのか!?」
「いや……、確か、」
「マリス!!」
「っ、少し待って欲しいっす!!」
マリスはアキラに叫び返し、かつての記憶を呼び起こした。
アキラが焦るのも分かるが、マリスとてエリーの妹だ。
だがこの緊急時、取り乱している場合ではない。
「……、繋がってないっす!!」
思い出した。
確か、発掘の影響で、基盤が緩み、触れなくなったのだ。
結果、残った二つを避難所として加工し、使用しているのがこの場所。
両方とも、奥が深い。
マリスは隣で息を弾ませているアキラを見上げた。
後ろからは、残る三人が駆け寄ってくる。
「だから、」
「っ、」
アキラは迷わず、右の穴に駆け出した。
洞窟の暗闇にアキラは光源も持たずに飛び込んでいく。
「っ、自分はにーさんと!! 皆はあっちに!!」
マリスも口早に叫んで、アキラを追った。
エリーのことは当然として、今のアキラを放っておくわけにはいかない。
あの取り乱しようは、あまりに危険だ。
下手をすれば、この山ごと消し飛ばしかねない。
とうとう沈みかけた太陽。
そして空には、不気味なほど巨大な満月が浮かび始めた。
―――**―――
「来た……、来た……、来た……、」
洞窟の奥、“粒子”は呟いた。
ぼやぼやと人ほどの大きさで漂い、形も定めず、暗い洞窟での唯一の光源。
そしてやはり、笑っていた。
基盤が堅い場所を掘り進め、到着したのがこの二つの最奥の間だ。
もしこの壁が崩れたら、この洞窟そのものも崩れるだろう。
柱みたいなものだ。
この壁は。
その、壁を隔てた隣の洞窟からは、今なお叫び声が聞こえてくる。
分厚い岩盤は、それを隔てる。
だが、確かに、聞こえるのだ。
激痛だろう。
苦痛だろう。
この世全てを憎むほど、身体も心も蹂躙されているだろう。
強くなりたいという想いだけで、それを耐えているのだろう。
最高だ。
本当に。
笑い、囁く。
これはやはり、たまらない。
―――**―――
「はあ……、はあ……、っ、」
エレナは最後の魔力を注入し、ふらふらと立ち上がった。
これだけ流し込めば、あとは勝手に儀式が進む。
消費した魔力は、想像を絶した。
身体がうまく動かない。
人間が介入して行うのなら、本来数人がかりの儀式だ。
自分が秘術のさいに使った宝石は、やはり、それだけ強力な物だったのだろう。
身体は熱く、僅かに耳鳴りがする。
立ちくらみのように歪んだ視界を、頭を振ることで覚まし、のろのろと入り口の横の壁に向かった。
「……、」
背を預け、ずるずると座り込んだ視線の先。
その魔法陣の中にいるエリーは、動いていなかった。
生きては、いる。
だが、身体中の精力を使い果たし、ピクリとも動かず、かすれたうめき声を漏らしているだけだった。
先ほどまでの耳をつんざくような悲鳴すら、上げていられない。
身体中を泥で汚し、這いつくばっているエリーは、プルプルと痙攣していた。
「……、」
三つ。
エレナは顔をしかめ、砕けたコアロックを眺めた。
まだ、三つだ。
三か所目のコアロックは、二つ同時に砕けた。
ようやく予備を用意した意味が出てきたのだが、あるいはそこで中止になった方が良かったかもしれない。
エリーはすでに、限界だ。
「っ、」
それでも、エレナは冷めた表情を作り続けた。
エリーが限界。
それは、誰の目から見ても明らかだ。
だが、本人のことは、本人しか分からない。
自分のときも、きっと、ああだったのだろう。
身体中から発汗し、喉はかすれ、憔悴しきる。
だが、自分は耐えた。
それを知っている自分が、中断することはできない。
勧めもしない。
止めもしない。
ただただ、務めて無表情に、ここで見守る。
「……、」
寒気がした。
こうした自分に。
そして、これを選んだエリーに。
命をかけて、魔王を討つ。
そしてそれは“神話”になり、誰もが羨望の眼差しを向ける。
立派なことだろう。
“他の者から見れば”。
後世に伝わる数多の物語。
当然のように美談で、当然のようにキラキラと輝いている。
だが、自分たちのこの想いまでも、伝わるだろうか。
少なくとも、今こうして苦を耐え続けるこの場は、キラキラと輝いていないようにエレナには見える。
だが、後世が見れば、この想いが伝わり切らない者から見れば、それは輝いているのかもしれない。
また、物語の大抵は、最後にこう綴られているのだ。
『その後、幸せに暮らしまたしたとさ』
時には表現を変えて、時には描写だけで、物語はそう在る。
それが、救い。
だが、その物語にいる自分たちには、分からない。
自分たちは、その後、どうやって幸せになっていくのだろう。
そして、“その後”に到達できるのだろうか。
「……!」
僅かな思考ののち、四つ目のコアロックが強く光を放ち始める。
「……、来るわよ……」
とっくに聞こえてはいないだろう。
だがエレナは、無表情のまま、その事態をエリーに告げる。
残るコアロックは、あと、二つ。
―――**―――
「はっ、はっ、はっ、」
洞窟に入り込んでも、アキラは止まらなかった。
後方から追ってくるマリスに頼らず、無秩序なオレンジの光を身体から漏らし、それを光源にアキラは走る。
曲がりくねった道を超え、分かれ道でも迷わず曲がった。
幸運にも行き止まりにはぶつからず、アキラの進路を阻む壁は現れない。
ゴツゴツとした足場につまずきそうになりながら、ただ、前へ。
息を切らし、全力疾走を続ける脚は油断すれば空回りを始める。
それでも地面を強く蹴り、前へ、前へ。
「―――!?」
一瞬。
シルバーの閃光が、眼前で爆ぜた。
アキラは反射的に足を止め、のけ反るように横転する。
「にーさん!!」
目では、終えた。
しかし、反応はできなかった。
何故、
「レイディー!!」
アキラの頭が回る前に、またも後方からシルバーの光線が飛んできた。
その一撃に、たった今アキラに前方から鎌を振り下ろした魔物が討ち抜かれる。
マリスの攻撃計二発を浴び、その魔物は銀に爆ぜた。
「はっ、はっ、はっ、」
洞窟内に倒れ込み、アキラはようやく止まった。
バクバクと心臓が鳴る。
今、あのまま走っていたら、この首は飛んでいただろう。
「にーさん、落ち着いたっすか……?」
「あ、ああ、た……、助かった……、」
冷や水をかけられたように、アキラは静かな声をマリスに返す。
震える足で何とか立ち上がったアキラは、流石に今度こそ走り出さなかった。
「って、何で魔物が……!? ここ、避難所じゃないのかよ……!?」
「分からないっす……、でも、避難所はここで間違いないはずっすよ」
「じゃあ、」
「……、いや、変わった、とは思えないんすけど……、」
マリスは眉を細め、周囲の壁を眺める。
今度は自分の銀の光で照らされたそこは、確かに町でも感じる対魔物の気配で満ちている。
余程の攻撃本能を持たなければ、魔物はこの場に近づかないはずだ。
採掘が中止になり、今でもここは、避難所の役目を果たしている。
「……でも、魔物がいる……。まさか、ここじゃないのか……!?」
「……、いや……、」
マリスはさらに目を細め、洞窟の奥を見やった。
アキラは気づいていないだろうか、マリスは感じているのだ。
奥で、確かに妙な魔力を感じる。
危険な香りがする術式が、奥で編まれているのは間違いない。
初めて感じる気配だ。
だがそれを、自己の知識ではなく、経験に照らし合わせると、確信に変わっていく。
奥で不安定ながらも燃えている魔力は、自分のよく知る気配。
きっと、エリーのそれだ。
「多分……、ここで間違いないっす」
「……!」
「でも……、」
進もうとするアキラを僅かに制し、マリスは慎重に歩き始めた。
ここに魔物がいた以上、先ほどまでのように駆けさせるわけにはいかない。
「今の、やっぱり変っすよ……。メロックロスト。月輪属性の魔物がいるなんて……、」
マリスは跡形もなく消し飛んだ先ほどの魔物を思い出す。
あの、モルオールの港町でも見た魔物、メロックロスト。
白いテーブルクロスを一抱えほどの球体にかけたような姿のその魔物は、アキラの背越しにも確かに見えた。
魔力で浮かぶ大鎌を有し、対象に切りかかる。
その大鎌も魔力で形作られたもので、簡易的な具現化とも考えられている武具だ。
それほどの魔物が、ヨーテンガースにいること自体は不自然ではないのだが、この場所は避難所。
魔族クラスの存在が差向けでもしなければ、こんな場所にいるはずもない。
「そんなに変なのか……?」
「そうっすね……、あるいはここが“侵略し尽くされていたら”、不自然じゃないんすけど……」
魔族がここに魔物を差向ければ、とっくにこの避難所は崩壊しているだろう。
それだけの理由を持ってこの場を攻めたということなのだろうから。
だが、外で見た限り、この避難所は確かにその任を全うしていた。
メロックロストがいた以上、ここは、“崩れ去っていなければ”不自然なのだ。
入り口付近から魔物に襲われるのならば理解できるが、何故こんな奥に魔物がいるのか。
そのせいで、奥の魔力を感じられるまで来たせいで、この場所に見切りをつけて他の場所を探しに行けなかった。
「……、“遠吠え”の魔物」
「……!」
アキラの言葉に、マリスは僅かに瞳を大きくした。
どうやら、自分もあまり冷静とは言えないらしい。
「そういやここ、依頼の場所で……、」
「そうっすね……。“妙なこと”が起きている場所っす」
また、だ。
自分たちがたびたび経験する、“妙なこと”。
アイルークの大陸でも頻発した異常事態は、記憶に確かに刻まれている。
だが、今回のこの不自然さは、何か、感じるものがあった。
ただ妙なわけではない。
言葉にできない違和感が取り巻くのだ。
強いて言うなれば、仕組まれている、だろうか。
自分たちは、この場所に必然的に引きこまれている気がする。
もっと言えば、エリーが儀式をすることも、だ。
あの姉は、真面目で、問題を一人で抱え込むことはあるが、それでも損得勘定ができない人間ではない。
マリス自身、エリーが自分にコンプレックスを抱いていることは感づいているが、ここ最近、彼女は急激に力を増している。
一介の魔術師のレベルを、大きく上回っているだろう。
あと少しで、単純な肉弾戦ならエレナにも匹敵するかもしれない。
それなのに、何故、
「……! また……!?」
「……、」
いずれにせよ、引くことはできない。
マリスはそう結論付け、半分の眼を現れた魔物に向けた。
現れたのは、先ほどの鎌と共に浮かぶ球体、メロックロスト。
そして、
「……!」
マリスは表情を強張らせた。
メロックロストの隣、数体、同じく丸い身体の魔物たち。
パールスフィアだ。
またも、月輪属性の魔物。
白いテーブルクロスを頭からかけただけのメロックロストとは違い、その魔物は完全な球体で、以前、クロンクランで出遭ったリトルスフィアの同種。
だが、パールスフィアは、手足も、顔すらもなく、ただシルバーの光を纏ってふわふわと浮かんでいるだけだ。
これは、まずい。
「っ、やるぞ……!!」
「にーさん!! パールスフィアは……、……!?」
叫んだところで、マリスは背後からの気配を感じた。
ある種確信に満ちた悪寒に振り返れば、同じく浮かんでいるパールスフィア数体。
顔のないその魔物は、ただ黙し、不気味に浮かんでいる。
「挟み打ちかよ……!?」
狭い洞窟の道。
そして前後から現れた魔物の群れ。
確かに危険だ。
だがそれは、“そんな程度のものではない”。
「っ、」
メロックロストが前方から切りかかってくる。
アキラがそれに応戦し、剣で受けたところで、マリスは頭を高速回転させた。
そして魔力を身体中に巡らせ、魔物の位置を確認する。
考えなければならないのは、“規模だ”。
この洞窟内には、自分たち以外にも、人間がいる。
この、“基盤が緩い洞窟内”には―――
「堅っ、てっ!?」
メロックロストに剣を見舞ったアキラの手に、鈍い振動が残る。
それでもアキラは浮かぶメロックロストを弾き飛ばすと、油断なく構えた。
前方や背後に浮かぶパールスフィアというらしい魔物は、不気味に浮かんでいるだけ。
メロックロストとの一騎打ちだ。
あの魔物は、マリスの攻撃を一度耐えたように、耐久力がある。
だが、動きはそこまで鋭くない。
大鎌も、洞窟内では動きが直線的になるし、集中していれば退けられる。
隣のマリスの力を借りるまでもない。
「―――!?」
そこで、アキラの背筋が冷気に撫でられた。
メロックロストの背後に浮かぶ、パールスフィア。
未だ不気味に浮かんでいるだけだが、どうも、身体を覆う銀の光が強くなっている気がした。
そして徐々にバチバチと魔力をスパークさせ、身体が膨れ始めている。
隣の発光体のマリスを凌駕し、洞窟内を強く照らす。
それが、どうも。
戦闘不能の魔物が発する爆発直前の光に見えるのだ。
「っ、にーさん、下がって!!」
マリスが言葉を発すると同時、肥大化を進めていたパールスフィアが二回りほど巨大になり、動きを止めた。
「っ、まさ、かっ、」
かつて身を持って経験したアキラは、今度こそその光の正体を確信した。
やはり、この銀は、戦闘不能後に発生する光。
触れてもいないのに、目の前の球体は、“それ”を起こしている。
しかもその激しさは、上位の魔物に匹敵していた。
「っ、」
再び切りかかってきたメロックロストを弾き返し、アキラは言われた通りに後ずさる。
戦闘不能の、爆発。
それを、こういう視点で見るのは久しぶりだ。
最後に見たのは、あの魔族、リイザス=ガーディランの爆発。
その爆発は、密閉空間では驚異的なのだ。
一つ、その爆風が強大な場合、それを避けえないこと。
そして、もう一つ。
戦闘フィールドそのものの破壊―――
「ディセル!!」
「―――!?」
パールスフィアがついに爆ぜた瞬間、その爆風は、視界一杯を埋め尽くす。
まともに受けたメロックロストは、断末魔の悲鳴さえ上げられない。
しかし、アキラには届かなかった。
突如目の前に展開した透明な銀の盾が、アキラと爆風を完全に遮断。
考えるもなくその原因に振り返れば、背後で同じように爆ぜていたパールスフィアの影響も、マリスは遮断していた。
洞窟の一区間を輪切りにして切り取ったような盾に、二人は攻撃を受け付けない。
だが、まだ問題は解決していない。
最大の問題は、アキラとマリス以外にも、この爆発の影響を受けるものが存在しているということ―――
「っ、フリオール!!」
「……、……?」
思わず身をかがめたアキラの耳には、洞窟が崩れる音すら聞こえてこなかった。
「……、な……、」
恐る恐る目を開ければ、世界の総てが銀の光に包まれていた。
煌々と光るのは、“洞窟の総て”。
今の爆風でも、この洞窟は崩れていない。
「……パールスフィアがいるってことは……、やっぱり、ここは異常っすね……、」
「……、マリ……、ス……!?」
だぼだぼのマントから両手を出し、表情を険しくしているマリスは、小さく安堵のため息を吐いた。
「爆発専門の魔物……。完全な、使い魔っすよ」
マリスは掲げていた両手をゆっくりと下ろしていく。
だが、地下の総てに展開された銀は、そのままそこに在る。
「ここを……、支えているのか……!?」
「崩れさせるわけにはいかないじゃないっすか……、」
静かに返してきたマリスに、アキラは声も返せなかった。
アキラの周囲には、砕けてなお、不自然に天井や壁を保つ岩たち。
それらは総て銀に発光し、まるで照明具のような役割を果たしていた。
パールスフィアが爆ぜた進路も退路も、天井や壁は銀に発光し、役割を損なってはいない。
マリスは、このベックベルン山脈の避難所総てを、魔力で支えているのだ。
月輪属性。
できるかできないかで聞けば、『できる』と返ってくる、“魔法”を使う属性。
日輪属性に次ぐ、希少種。
歴代でも恐らく最強のその少女は、半分の眼を輝く進路に向けた。
「急いだ方がいいっす……!! 儀式以前に、ここは、危険っす……!!」
「あ、ああ、」
アキラは立ち上がり、駆け足になったマリスに続く。
彼女がいなければ、ここで落石に遭い、全滅していた。
ここまでの奇跡を起こせるマリスにうすら寒いものを感じながらも、アキラは銀に輝く世界で足を進める。
とにかく今は一刻も早く、エリーを止めなければ。
―――**―――
「……、これは……?」
イオリは、吹き鳴らそうとした指を下ろし、銀の世界で眉を寄せた。
突如響いた轟音に、続く地鳴り。
こうなれば強引にでもラッキーを召喚し、その下に身を隠すしかないと思ったところで、音が完全に遮断された。
輝いたのは、銀の光。
その光は、洞窟の崩壊も、地鳴りすらも止め、ひび割れた洞窟を未だ支え続けている。
「彼女だ……!」
「……、やはり、マリサスか……!!」
身を伏せていたサクが立ち上がり、イオリと同じように表情を険しくした。
衝撃の最中投げ捨てられた松明はくすぶり、足元に転がっている。
もう松明の必要もないほどに、洞窟内は銀に光り輝いていた。
「でも、こんなの……、」
「彼女ならできる」
立ち上がろうとしたティアに手を貸しながら、サクが答える。
サクの確信に満ちたその言葉に、イオリは僅かに眉を寄せ、しかし、こう思ってしまう。
こんな、崩れた洞窟を支えるような奇跡“程度”、マリスならば実現可能だ、と。
「以前……、彼女と二人で組んだ依頼、」
サクは早速足を進めながら、ぽつりと呟いた。
その進路すらも、天井と周囲の岩は煌々と輝き、形を保っている。
「そのときも、似たようなことがあった」
「それは、僕たちがアキラ以外の“勇者様”に出逢ったときの?」
「ああ」
確かにそのときの話を、イオリはあまり聞いていなかった。
自分たちの方が大事件に巻き込まれ、もっぱら話し手に回っていたあのときのことだ。
「そういえばあのとき、二人とも、随分遅かったですよね? どんな依頼だったんですか……?」
留守番を務めていたティアも、そのことは気になっていた。
もっとも、あのときはアキラたちが泊まりがけで出かけたということを伝える方が重要であったのだが。
患っていた風邪の影響で、大事を取って早めに就寝したティアも、あのときのことをよく聞いていない。
「洞窟の奥の魔物を倒してくれ、という依頼だった。その途中、今のように突然洞窟が崩れたんだ。今のように防がれたがな」
「……、マリサスが?」
「ああ。依頼を完遂し、洞窟から出たところで彼女は魔力を解いたよ。その後洞窟は、“自然”になった」
崩れたのだろう。
イオリは周囲の岩を見た。
所々ひびが入り、今にも崩れそうだ。
だがそこに、抜群の安定感を覚えるのは、その光がよく知る銀の輝きを持っているからだろうか。
「やはり、妙だな……」
イオリは足早に歩きながら、おもむろにナイフを取り出した。
「洞窟が崩れるのもそうだ。そんな事故が頻発するなんて……。そして、」
イオリは持ったナイフを迷わず曲がり道の角に投げる。
「ギッ、」
奇襲を仕掛けようとしていた魔物はグレーの閃光に射抜かれ、爆発した。
それは、“いてはいけない存在”。
「魔物がいるのも、だ。ここは避難所だろう?」
そのせいで、進行スピードは大きく削り取られている。
一刻も早くエリーたちを止めなければならないというのに、これでは時間がかかりすぎだ。
「……そうだ、イオリさん」
「……?」
「言い忘れていた……。私たちは、ここにいるらしい魔物を倒せという依頼を受けているんだ」
「それは、今の……?」
「いや、なんでも遠吠えをする魔物を、だそうだ」
イオリは目を細めた。
あのときは必死だったが、そういえば、妙なことはとっくに起こっていたのだ。
「イオリさんたちは、私たちがどうしてあの場にいると……?」
「いや、僕たちは君たちの依頼を見て……、カトールの民に会いに行ったんだ。そこで、」
「そこで?」
「……、そこで、妙に口を閉ざす彼らから、苦労して情報を聞き出したんだよ」
イオリはティアと共に向かったあのキャンプ場のような場所を思い出す。
到着したときには無人かと思ったあの場所で、人に出会うのに大分時間がかかった。
「聞き出せたのは……、君たちがベックベルン山脈に向かった、ということだけ。机の上に出ていた、×マークの付いた地図を突き付けてね」
イエスかノーで聞かなければ、ほとんど会話にならなかったカトールの民たち。
何故か震え上がり、イオリたちに恐怖に満ちた瞳を向けてきていた。
「イオリさん……。彼らに出会ったということは、感じたと思うが……、」
「……ああ。確かに、カリスに似ていた」
サクの言葉を、イオリは先読みして肯定した。
支離滅裂な彼ら。
それはまさに、あのときのカリスと同様だ。
隣を行くティアは首をかしげる。
事情を知らないのだから彼らに対する評価は付けられないのだろう。
「……、そう、か……、」
「……?」
はたと、イオリは気づいた。
サクは怪訝な顔を向けてくるが、イオリは視線を逸らし、奥歯を強く噛む。
“そうだった”。
伏線も、何もなく。
“人を思った通りに導く存在”。
それを、自分は知っていたはずだ。
「これは本格的に急いだ方が良さそうだ……。そうじゃなきゃ、」
「待て」
イオリが足を速めたところで、サクの口調が強くなった。
銀に輝く洞窟内。
そこで、サクは、イオリに強い視線を向けてくる。
これは、あのときと、刀を喉元に向けられたときと、同じ視線だ。
流石に愛刀は腰に収まったままだが、サクの足は止まっている。
「悪いが……、本当にいい加減にしてくれ。何でも知っているようなのに……、私たちには何も伝えない。それでは、何もできないだろう?」
「……、」
イオリも、強い視線を返す。
だがこれは、言うわけにはいかないことだ。
「イオリン」
「?」
睨み合ったまま動かない二人の間、小さな声が響いた。
普段の半分よりも、もっと言えば風邪を患っていたときよりも遥かに小さな声だったが、それでもティアの口調は強い。
「私からもお願いします。イオリン、きっと、そのせいで、」
「……、」
ティアは最後まで言葉を紡がなかったが、それでも、自分を咎めていることだけはイオリには分かった。
「私だって……、能天気なままじゃいられないって分かってるんです。そう在りたいとは思うんですけど……、でも、そのままじゃいけないって」
イオリは言葉を返せなかった。
もしかしたらこれは、初めて聞く、ティアの本心なのかもしれない。
いつもからから笑っている彼女でも、流石に感じ取っている。
いや、誰にでも分け隔てなく笑いかけている彼女だからこそ、この不協和音に過敏に反応したのかもしれない。
「エリにゃんが大変なことになってるのに……、こんなのないですよ……!」
「……、確かに僕は……、“異物”かもしれない」
しばし言葉に迷って、イオリは呟いた。
いつも自分に飛びつくばかりだった少女の言葉に返したのは、自分の本心。
ずっと感じていた、冷めた想いだ。
“予知”のことは話せない。
それはきっと、彼女たちの“立ち位置”を決めてしまうことだろうから。
あの世界で、あの在るべき姿の世界で、彼女たちが“自分”を知ってしまえば、自然とそこに向かってしまう。
それは、“束縛”だ。
そして、自分の非を曝す度胸もない。
「いつかは、きっと言える。だけど、今は、」
「……、アキラ様には話せて、か?」
「……、」
別に、驚きもしなかった。
メンバー内では、とっくに、自分とアキラだけで何かを話していることなど伝わっている。
「……ああ、そうだ。本当は、アキラにも話したくはなかった」
「でも、」
「少なくとも今、関係があるなら話してくれ」
二人の視線は、完全に、イオリを責めるものに変わっていた。
イオリにはそれが、徐々に煩わしいものに見えてくる。
ここまで迫られては、答えを曝す以外に逃げ道がない。
だが、それは、禁忌だ。
「今は、急ごう」
「今ここで、はっきりさせてくれ」
「……、」
執拗に迫るサクから、イオリは瞳を逸らせなかった。
流れる険悪な空気。
言うわけにはいかない事実。
しかし、言わなければならない状況。
この二律背反は、一体、どうすれば、
「……!」
そこで、イオリは気づいた。
何故今、あんなにも現れていた魔物たちが、襲ってこないのか。
襲われれば、空気が流れる。
しかし、何も起こらないから、この銀の洞窟内の空気はかき乱されない。
まるで、こうあることを、仕組まれているような、
「……、“サーシャ=クロライン”……!!」
「……?」
イオリは、とある名を苦々しく呟いた。
それと同時に、予感は確信に変わる。
これは、“予知”での情報だ。
だが、呟かずにはいられなかった。
その、“魔族”の名を。
「二人とも真剣に聞いてくれ。今僕たちは、“攻撃”を受けている……!」
「イオリン?」
「? 何を……?」
二人が戸惑うのも無理はない。
“気づかれないこと”が、“その存在”の恐怖なのだから。
「悪いがこの話は後にしてくれ。やはり今すぐ、エリサスたちを見つけるべきだ」
イオリは二人の強い視線を、強い口調で押し返した。
「何を……、……!?」
サクが呟いたと同時、洞窟の奥から魔物の群れが現れる。
この、見計らったようなタイミング。
これは、間違いなく、“あの魔族”が介入している。
―――**―――
「……、やっぱり……、あんたたちか」
銀の光に照らされた洞窟内、うねるような道を超え、曲がり道の先、アキラの瞳に一人の女性が飛び込んできた。
「エレナ!!」
火照った体を沈めるように肩で息をし、壁に背を預けているエレナの奥の角は、そこだけスカーレットに照らされていた。
「……、」
ほとんど駆けるようになっていたアキラは、エレナの手前で失速し、足を止める。
今まで胸から飛び出るようだった衝動は、何故か、吐き出せなかった。
「急に崩れ始めたと思ったら……、光るし……、いると思ってたわよ」
エレナの視線は、アキラの後ろ、マリスに向いた。
そのマリスも、エレナの様子に、口を閉ざす。
エレナはすでに、自分たちがここに何をしに来たのか察しているようだった。
あるいはエレナがいつも通り傲岸不遜に立っていたのなら、胸の中の憤りをそのままぶつけていたかもしれない。
だが今の彼女は、どこか憔悴し、疲れ切っていた。
壁に背を預けているのは純粋な脱力感からで、もしかしたら彼女は壁に手をついて歩いてきたのかもしれない。
「……、あいつは、どこだ?」
その様子に、エレナへの怒りを一旦置き、アキラは一番の関心事を口に出す。
当然見当はついているが、やはり、どうしても、彼女の口から聞きたかった。
「……奥よ」
「っ、」
「待ちなさい」
駆け出そうとしたアキラに、エレナはどこか冷たい声を出した。
何の強制力もない言葉だけのそれは、しかしアキラの足を止める。
「……、行って、どうする気?」
「……止めるに決まってんだろ」
アキラは強く、エレナに返した。
気だるげに声を出すエレナは、そんなアキラの瞳から視線を逸らし、呟き続ける。
「あの子は、命をかけて強くなることを選んだ。それを、止めるの?」
「……、」
「個人の自由。……言ってしまえば、それだけのことよ」
分かって、いた。
エレナの言葉は、本当はとっくに、頭で囁いていた。
だが、衝動的なこの脚は止まらなかった。
だけど今、外から聞こえたその言葉は、アキラから力を奪っていく。
エリーが死ぬかもしれないと聞き、自分はここまで全力で進んだ。
だがそれは、本当に、自分が介入していいことだったのだろうか。
ただ自殺するわけではない。
勝機のある賭けだ。
それは本当に、止めるべきことなのだろうか。
だが、分かっているのに、どうしてこれほどまでに、自分は必死なのだろう。
「……、何で、」
アキラが立つのは、銀と紅の分岐点。
曲がり角の向こうから漏れるそのスカーレットは、アキラが入るのを拒むようにぼやぼやと輝き続けている。
「止めてくれなかったんだよ……、」
エレナに背を向けたまま、アキラは声を絞り出した。
どうしても、この先に進むことができない。
「……、私が……、そんな人間に見える?」
「っ、」
アキラは無機質に、エレナの小さな呟きを受け止める。
エレナは、ずっと、自分の目的以外には無関心だと態度で示していた。
彼女が狙うのは、憎悪を燃やす対象、ガバイドという“魔族”だけだ。
それ以外は、冷めた瞳を、ガバイドに対しては、もっとずっと冷めた瞳を、彼女は向けてきた。
それを、アキラは知っている。
“その彼女ならば”、この秘術を教えこそすれ、止めることはしない。
それが、きっと、エレナの“キャラクター”だ。
「……私が、命かけて強くなろうとするような馬鹿を、止めるように見える?」
少しだけの皮肉をこめて、エレナは同じ言葉をぶつけてきた。
ずっと、冷めたままのエレナ。
だが、“見える”。
いや、“見たかった”。
なんだかんだで、“そう”ではない彼女を旅で見てきたのだから。
陳腐な言い方だが、エレナを信じたかった。
「……、止めて、欲しかった」
足を踏み出すことを諦め、アキラは振り返った。
確かに、曲がり角の向こうで、エリーがどうなっているのかを知りたくない欲求もある。
だが、今は、どうしても、エレナをもう一度見たかった。
魔王の牙城は目前。
そんな場所で、これほどまでに、後ろが信じられなくなるとは思わなかった。
「……、」
エレナは背を壁に預け、未だ肩で息をしている。
彼女もきっと、秘術で疲弊したのだろう。
「……、止めて、欲しかった……?」
エレナはようやくアキラに視線を合わせ、火照った表情を向けてきた。
ここまで弱ったエレナを、アキラは初めて見たかもしれない。
「“私”が、止めるわけにはいかないでしょう?」
だが、口調は、強かった。
「秘術で強くなった私が? 『あんたには無理だから止めなさい』って? 『私は耐えられたけどあんたは死ぬわ』って? 『あんたは弱いけど私やあんたの妹がいるから何とかなる』って? 言えるわけねぇっての……、」
「っ、エ、エレナ……?」
エレナは一気にまくしたてた。
まるで、その言葉を、何度も喉の直前で用意していたかのように。
そのまま壁伝いにずるずると座り込み、右手で綺麗な甘栗色の長髪をガシガシとかいて顔を伏せる。
アキラは、その驚愕に、声を出せなかった。
エレナが秘術の経験者だったことより何より、彼女の“崩壊”に。
「港町で何の気なしに呟いた言葉を……、あの子があんな風に真剣に受け止めるとか、分かるわけないっての……!」
こんな闇を、アキラは何度も受け止めてきた。
その人間の、本音。
これは、日輪属性のスキルだ。
照らすことのできない自分には、あまりに大きな闇。
それを一体、何度見てきたことだろう。
そして、照らせたものは、あまりに少ない。
「……、」
そして、照らせたチャンスを拾えたのも、あまりに少ない。
自分は何度も、受けていた。
エリーのSOS信号を。
現状への不満を募らせるエリーから、何度も自分は受けていたはずだ。
決定的なのは、朝の件。
あれはきっと、やはり、最後通告だったのだ。
いつまで経っても照らしてくれないことに対する、エリーからの。
「…………、止めて」
「……!」
エレナは俯いたまま、初めて、その言葉を口にした。
「私はダメ。そこの天才ちゃんも、ダメ。でも、アキラなら……、“具現化”使ってないあんたなら、止める権利がある」
「……!」
やはり、とっくに、エレナは気づいていたようだった。
アキラが“意地”から、あの力を使っていないことに。
「残るコアロックは……、一つ。でもきっと、耐えられない。私も、あそこまでは乱れなかった」
「っ、」
エレナの発した言葉全ては拾えない。
だが、自分のなすべきことは分かった。
今の自分なら、言う権利はあるのかもしれない。『一緒に強くなろう』と。
正確に伝わらなくてもいい。
土壇場で回らないこの口が、そんな臭い台詞を吐けるとも思えない。
だが、それでも、身体は動かせる。
「ああ……!!」
アキラは強く頷き返した。
座ったままのエレナも、無音を保つマリスも、歩き出さない。
この二人がそれをしても、きっと、エリーの心には届かないのだ。
「アキラ君、」
エレナは顔を僅かに上げ、小さく、いつも通りふざけたように微笑んだ。
「酷いことになってるから……、あんま凝視しないであげなさいよ……?」
「……、―――!?」
エレナの言葉を背に受け、スカーレットの光に足を踏み入れたところで、銀に輝く洞窟が揺れた。
同時に響く、奥の部屋からの爆音。
まるで、岩の壁が吹き飛んだかのような、
「っ、」
アキラは即座に駆け出した。
流石の事態に、マリスもエレナも共についてくる。
忘れていた。
ここは今、“異常”が起こっているのだ。
奥からエレナが来たことで、魔物の危険は無いと思っていた。
だが、やはり、常識で測れないから、“異常”なのだ。
「―――!?」
スカーレットに輝く角を曲がった直後、その紅は銀に代わる。
それは、スカーレットの光源が絶えたことを指し示す。
「……!」
飛び込むように奥の間に入ったアキラの目に飛び込んできたのは、だだっ広い奥間だった。
自然物で圧迫されたその空間の中心に、魔法陣のようなものがある。
紅い砂の円の中、ペンタグラムの形に設置された各二か所計十の小さな石は、一ヶ所を残しひび割れていた。
その中心、誰かが暴れたように土が抉れているのだが、そこには誰もいない。
「あれ!!」
エレナの叫びと同時、その指差す先に視線を移すと、分厚い岩盤がはじけ飛んでいた。
その下に散乱する岩は、マリスの銀の魔力を保ち、今すぐにでも修復を始めようとしている。
その向こうに見える、同じくらいの空洞。
そして、立った今その場に“浮かびながら”引きずり込まれた、銀に光る少女の身体。
「っ、」
修復を始める吹き抜けのような穴に、アキラは駆け出した。
気を失っているのか、ぐったりとしたエリーを通し、まるで巻き戻し再生のように戻っていく岩の壁。
壁は、マリスの魔力。
だが、エリーを浮かばせているのは、別の何かの介入―――
「マリス!!」
修復を始める岩めがけて一心不乱に走りながら、アキラは広間に大声を響かせた。
即座に意図を察したマリスが、その壁のみから銀の光を外す。
すると、岩壁は、破壊された壁の任を自然に果たし、バラバラと砕け散った。
向こうの部屋は、もう一本のルートのゴールなのだろうか。
二つの洞窟がこの場で繋がり、休憩所は巨大な空間に変わり果てた。
「―――!?」
飛び込んだ直後、アキラは動きを止めた。
いや、硬直した。
入った隣の広間の奥、建物の三階ほどの高さで陥没している壁、そこに探し求めた赤毛が見える。
エリーは完全に意識を手放し、その、人一人が寝転ぶのが限界程度の空洞の中で、うつ伏せに寝ころばされていた。
見上げる形になるエリーは、まるで、この洞窟の装飾品のように動かない。
その扱いに、爆発するような怒りを覚えるも、しかし、それは縮小していく。
すぐにでもその場に近づきたいのだが、生物としての最低本能、ピリピリと背筋を刺激する危機感が、不用意な接近を許さなかった。
「グルルッ……、」
この広間もマリスの魔法の影響下で、総てが銀に輝いている。
その、最奥。
エリーが“入れられている”壁の下。
巨大な銀の生物が、門番のように立ち上がった。
「……、あ、れ……、」
その、四足歩行の生物。
それは、まさしく、オオカミだった。
だが、その巨躯は、一般の生物で測るそれではない。
肩までの高さで、四、五メートルはあるだろうか。
しかしそれでも、流線型の身体は動きの機敏さを醸し出していた。
銀の体毛に覆われたその巨大なオオカミは、涎を滴らせ、深い銀の瞳を向けてくる。
野生動物の獰猛さを宿す瞳の中心、額には、何故か濁った泥色の菱形の宝石が埋め込まれていた。
むき出しにされている牙は、それ一本一本が、アキラの背に掲げた剣に相当するほど巨大で、万物総てを今にも引き裂かんとしているほど太く、鋭い。
長い尾は蠢き、この巨大な空洞でも窮屈そうに岩壁を叩いている。
爪も危険に尖り、身体全てが凶器に成り得るその姿。
イオリの召喚獣、ラッキーと比べても、一回りほど大きい。
「ル……、ルーファング……!?」
エレナが、アキラと同じく一歩を踏み出せないまま呟いた。
流石に彼女も、この異常に危険信号を感じ取る。
あの魔物が、エリーをあんな場所に運んだのだろうか。
まるで獲物の隠し場だ。
「洞窟の魔物じゃないでしょ……、月輪属性の化物よ……!?」
「っ、」
エレナの言葉に、アキラはようやく、この場での依頼を思い出した。
カトールの民が恐れていると言った、遠吠えの魔物。
あれで、通常サイズなのだろうか。
確かにこれなら、畏怖の対象になるだろう。
だが、こんな洞窟に、これほどの巨体が入れるわけがない。
そして、出られるわけがないのだ。
この“異変”は、今度こそ、完全な形になった。
しかし、もう、理屈の話ではない。
現に今、そんな異常が襲いかかろうとしているのだ。
“遠吠え”の魔物。
それは殺意を持って、アキラたちを睨みつけてくる。
「と、とにかく、あいつを、」
「え、ええ、」
アキラたちの硬直が溶けたところで、ルーファングが、
「オオオオオォォーーーンッ!!」
その遠吠えを、上げた。
「―――、」
「―――!?」
アキラが駆け出すよりも早く、疾風が背後から突き抜けた。
その銀に輝く飛行物体がマリスだと気づいたときには、彼女はすでにエリーを守るルーファングに襲いかかっている。
何も言わずにルーファングに襲いかかるマリスを見ながら、アキラは自分のすべきことを即座に察した。
エレナをして化物と形容されたルーファング。
そして、それに向かっていった、数千年に一人の天才、マリス。
自分の役目は、その戦場から動かないエリーを遠ざけることだ。
「お、おい!!」
ルーファングの雄叫びと、マリスの魔術の爆音の中、アキラはエリーに叫びかけた。
戦場に入り込まないように銀に輝く壁に沿ってエリーに向かう。
「っ、」
しかし、それはルーファングの尾に阻まれた。
まるで蚊を払うように振るわれた尾は、アキラの眼前に振り下ろされ、進路を阻む。
見れば、マリスもエリーに近づこうとしているのに、ルーファングは巨躯を活かしてエリーを守っていた。
「ちっ、今は無理ね……、離れるわよ……!!」
なおもがむしゃらに進もうとしたアキラの首は、エレナに掴まれた。
そしてそのままずるずると引きずられる。
その力が、あまりに弱々しく、アキラはかえって逆らえなかった。
「儀式は……、中断されたみたいね……。良かったかどうかは微妙だけど」
「……、」
一旦、吹き飛んだ壁の所まで下がり、エレナは遠く離れたエリーを見上げた。
その視線の間には、ルーファングと戦うマリス。
銀の光に照らされた空洞内を、自身も銀の光を纏い、魔術の矢を撃ち下ろしている。
俊敏に動くルーファングだが、常軌を逸した速度で錯乱するマリスを捉えきれていない。
だが、マリスの攻撃も、同属性の不利さからか、いつものような一撃必殺とはいかないようだ。
「……、あの天才ちゃんが来て……、助かったわ」
「……!」
ぽつりとエレナが漏らした言葉に、アキラは現状を正しく理解した。
エレナは、戦えない。
気づけば、彼女は熱に浮かされたように息切れを起こし、壁に背を預けていた。
秘術のせいで消費した魔力は甚大らしい。
いつもなら、とっくにあの巨大なオオカミに掴みかかっているところだろう。
「……、」
アキラは剣に手をかけた。
エレナが戦えない以上、自分が動くしかない。
だが、あの巨大なオオカミに、自分は何ができるだろう。
何とか隙を縫ってエリーを救い出したいのに、この場から動けない。
今も暴れ回り、洞窟の壁すら破壊している。
マリスがこの山脈に魔法をかけていなければ、とっくにここは崩れているはずだ。
凄惨たる戦いをここまで近くで見ているのに、まるで見えない壁に遮断されているかのように、“ここ”は静かだった。
「っ、」
「止めなさい」
アキラの懸念通り、エレナから静止の声がかかった。
「あんたじゃ、“具現化”しか手立てがない。“今だけは”、ダメ」
エレナは、視線をエリーに向けた。
確かに、駄目だ。
今、意識を失っているとはいえ、エリーの前で、それだけはやってはならない。
だが、このまま、マリスに任せるのも、
「……! そうだ、ファ……、」
言い出そうとして、アキラは止まった。
ファロート。
自分の時間を速める魔術。
だがそれも、結局マリス頼りだ。
彼女なら、アキラにそんな魔力を割く方が、負担になるかもしれない。
「……、」
アキラは頭を全力で回した。
今、マリスと暴れ回るルーファングの戦いは、激化している。
だが、洞窟内でそんなことをされているのに落石の懸念がないのも、マリスのお陰だ。
この場は、完全なマリス頼り。
今日はマリスに負担をかけ過ぎている。
エリーを早期に救出するためにも、少しでも彼女を助けなければ、
ピー。
「……!!」
そこで、洞窟内に甲高い笛の音が響いた。
そしてルーファングの足元が、膨れ上がる地響き共に膨れ上がる。
「ラッキーッ!!」
現れた巨獣は、ルーファングに組みかかった。
その突撃に、ルーファングは怯み、即座に離脱。
再びエリーのいる壁を背にし、唸りを上げた。
「二人とも!!」
現れた巨獣の陰から、サクとティアが現れた。
浮かぶマリスとラッキーに乗るイオリから距離を取り、アキラたちの元へ駆け寄ってくる。
やはりここは、隣の洞窟のようだ。
「これは……!?」
「儀式は止めた、あとはあいつを助けるだけだ……!!」
二人に手短に状況を伝え、アキラは視線をエリーに向ける。
エリーは未だ、動かない。
その想像にぞっとし、アキラはルーファングを睨む。
自分が今できることは、せめて見守ることだけだった。
「エレお姉さま……!!」
「悪いけど、あとにしてくれる?」
ティアのどこか責めるような言葉をエレナは“いつも通り”流し、壁から背を離して立った。
「今は、あっち。あの馬鹿でかい犬を、何とかしないと……、ね」
エレナは、傲岸不遜に、“そう”振舞う。
どうやらもう、エレナは自分を完全に保っているようだった。
「ああ、とにかく、エリーさんを、」
サクがエリーを見つけ、駆け出そうとする。
彼女の速力ならば、あるいはルーファングの猛威を振り切れるかもしれない。
「……!! いや、待った……!!」
だが、サクが駆け出す前に、アキラはそれを止めた。
イオリのラッキーがルーファングの注意を引いた隙に、マリスがエリーに手を向けた。
二言三言呟くと、エリーの身体が銀に輝いて浮き、高速でアキラたちの元へ接近してきた。
「っ、」
エレナが即座に反応し、自らが羽織っていたカーディガンを脱ぎ、エリーを受け止める。
マリスとイオリは、お互いを認識したときから、こうするつもりだったのだろうか。
「大丈夫か……!?」
「……ええ、……あんまり見ないであげてって言ったでしょ?」
カーディガンでエリーを包み、エレナは庇うように抱きかかえた。
容体が気になるところだが、どうやらアキラが見るわけにはいかない状態のようだ。
「っ、ティア、頼む!!」
「はい!!」
ティアが即座に近寄り、スカイブルーの光でエレナの腕の中のエリーを覆う。
水曜属性の、回復魔術。
エリーの救出は終了した。
あとは、彼女の治癒を行わなければ。
ただどの道、アキラの出番はなかった。
「アキラ様、」
「……?」
アキラがルーファングから背後のエリーたちを庇うように立つと、隣に並んだサクが神妙な顔をして呟いた。
洞窟内を銀に輝かせる魔法の影響で、砕けた岩一つ飛んでこない。
マリスとイオリは、ルーファングを攻めている。
エレナとティアは、その隙にエリーを回復している。
そんな事態の今、サクの口調は、あまりに静かで、そして、何故かあまりに深刻だった。
「あれが、遠吠えの魔物ですか……?」
「ああ、らしい」
この空洞に響いた耳をつんざくような雄叫びを、アキラは今でも思い出せる。
エリーを救出した以上、依頼など無視し、あの魔物を適当にあしらって今すぐこの場から逃げるべきかもしれない。
戦闘不能後の爆発といい、あの魔物は危険すぎる。
「他には……?」
「他?」
しかし、サクの瞳はルーファングを捉えていないようだった。
鋭く視線を走らせ、洞窟内を何度も睨む。
「先ほど、イオリさんが妙なことを言っていて、」
「?」
「“サーシャ=クロライン”、と、確かに口走りました」
「誰だ、それ?」
「アキラ様もご存じなかったんですか……!?」
サーシャ=クロライン。
人名なのだろう。
そしてそれについて、イオリは警戒しているらしい。
聞いたこともない名前だ。
だが、“あのイオリ”が口走った以上、それは、“予知”による情報なのかもしれない。
「じゃあ……、彼女だけ……。……ルーファングの存在といい、通路で出遭った魔物たちといい、やはり、何か、」
「……、」
あての外れたサクは、やはり神妙そうに呟いた。
どうやら彼女も、自分やイオリの持つ“秘密”をいぶかしんでいるようだ。
だが、これは本当に、アキラも知らない。
ただ、確信は持てた。
カトールの民に出会ったときから覚えていた、違和感。
これは、“バグ”じゃない。
物語に則した裏だ。
「そちらも、何か妙なことは起こりませんでしたか……?」
「……、……! そういえば、」
サクに改めて問われ、アキラの脳裏に、目に見えた違和感が思い起こされる。
そうだ。
アキラはマリスたちの戦いを、特にルーファングに注意して、見る。
ラッキーの突撃を回避し、その隙にマリスに攻撃されているルーファング。
あの魔物の魔力は、身体能力向上に注がれているのだろう。
だが、決して、魔法を使っていない。
少なくとも―――
「……、」
アキラはエレナたちに介抱されているエリーに視線を向ける。
―――彼女をここまでさらった“魔法”は。
「オオオオォォォーーーンッ!!!?」
「―――!?」
そこで、けたたましい雄叫びが響いた。
即座にルーファングを見れば、イオリがラッキーの背から跳び、ルーファングの額に短剣を突き立てている。
パキリと響いた、額の濁った泥色の宝石が砕かれる音。
あの宝石が急所だったのだろうか。
ルーファングはもんどり打ち、イオリは即座にその場を離れる。
「っ、ここを離れよう!!」
その雄叫びを断末魔と捉えたイオリが、こちらに駆けながら叫んだ。
背後には、役目を果たして溶けるように輝くラッキーと、同じく接近してくるマリス。
そして、痙攣しながら仰向けに倒れたルーファング。
どうやら戦闘不能になったようだ。
考えるまでもなく、この場からの退避が求められていた。
「あっ、今はっ、」
「んなこと言ってる場合じゃないでしょ!!」
エレナがティアの治癒を遮り、エリーを担ぎ上げる。
マリスのお陰で洞窟が崩れることはないだろうが、確かにあれほど強大な魔物の爆発は、このホール一帯を消し飛ばすだろう。
今は、逃げることだけを考えなければ。
「……!? 待て!!」
マリスとイオリが十分に接近したのを確認し、突き抜けた壁に全員が駆け出そうとしたところで、サクが叫んだ。
最後尾を努めようとした彼女の視線の先には、倒れたルーファング。
「いいから―――、……!?」
待てもなにもないと思いながらも振り返ったアキラは、その足を止めた。
サクの視線に合わせて向いた先には、今にも大爆発を引き起こそうとするルーファング。
その、はずだった。
「なんですか……、あれは……!?」
最初に口を開いたのはティアだった。
今やその異常事態に、全員が足を止め、それを見る。
大爆発を起こさんとしているはずの、ルーファング。
それが、煌々と光を放つこともなく、
「……、ち、縮んで……る?」
この大広間の面積を大きく占めていた、ルーファングの巨躯。
それが、“萎み”始めた。
鋭く尖った牙や爪は丸みを帯び、アキラの身体以上の太さの四肢は小枝のようにやせ細り、銀の体毛は抜け落ちる。
まるで成長を真逆に再生しているかのように身体を縮小させ、子犬ほどのサイズに変わっていった。
「なん、」
パン。
アキラが口を開きかけたところで、子犬が小さく爆ぜる。
それは、当初想定されていた爆発と比べ、あまりに小さく、ねずみ花火のような音だった。
「っ、ねーさん、」
「……!」
今起きた事象に身動き一つ取れなかったアキラの脇をすり抜け、マリスはエリーに近寄った。
エレナに抱えられたエリーに、銀の魔力を流し込む。
たった今起きた異常事態にも指した興味を示さず、マリスは治癒魔術を始めた。
彼女の頭の中では、今の出来事にも、理由がつけられているのだろうか。
「マ、マリス、今のは……?」
「っ、どうもこうもないわ……!!」
アキラの言葉には、エレナが応えた。
エリーをマリスに渡し、一歩前へ出ると、どこまでも冷え切った瞳をあまりに儚い爆発現場へ向ける。
「そうよねぇ……、そうよねぇ……、ヨーテンガースにまで来れば……、“こういうこと”くらい平気で起こるわよねぇ……、」
全員を追い抜き、先頭に立ったエレナは、呪詛を呟くような口調で言葉を吐きだし続ける。
魔力切れで高揚していた頬も、今は怒りのそれに変わっていた。
エレナがここまで憤怒を起こす対象を、アキラは知っている。
「エ、エレナ?」
「あの、きったない宝石は、“ライドーグ”っていう希少なマジックアイテム。雑魚に埋め込むと、命と引き換えに数分間だけ力が増す―――」
アキラは、先ほど爆ぜた小さな魔物を思い出す。
あの小動物につけて、あそこまでの膨大な力を手に入れるのであれば、それこそ常軌を逸している。
それをイオリが砕いたから、偽のルーファングは“いなくなった”のだろう。
だが、エレナはその脅威がなくなってなお、この世総てを呪うかのような表情で、冷めた言葉を紡いだ。
「―――ガバイドの、発明品よ……!!」
自分に敵意が向けられていないのに、アキラは身体中が痺れた。
大広間中を満たすエレナの殺気は、彼女の疲弊すらも反映させず、ピリピリと空気を震わす。
「……悪いがエレナ。“ここにいるのはガバイドじゃない”」
「……!」
そんな、先ほどの小動物ならいるだけで圧死するかのような殺気の中、イオリが小さく呟いた。
アキラもサクも、そしてティアも話についていけず、冷静なその口調に黙り込むだけ。
だが、イオリの言葉にもまた、どこか強い怒気が含まれていた。
イオリは鋭い視線を部屋中に走らせ、エレナに並び立つ。
「いい加減に出てきてもらおうか。もう“分かっている”。カリスのときもそう。カトールの民もそう。エリサスもそう。さっきの僕たちにもそう。全部……、全部、だ。君が“囁いた”んだろう……?」
「……!」
イオリの“確信に満ちた怒気”。
それが露わになった瞬間、コン、と先ほどの爆発現場に、エリーが連れ去られて置かれていた壁の窪みから、小さな石が落ちてきた。
先ほどの戦闘から打って変わって、音の消えた銀に輝くこの大広間。
ここでは、マリスの影響で、石が落下することはあり得ない。
つまりは、あの小石は、あの銀色の一握りほどの石は、ここに自然にあったものではないということ―――
「―――何故、あなたは“分かっている”のかしら……?」
その小石から、どこか甘い囁き声が聞こえた。
それはきっと、女性の声なのだろう。
それと同時に、霧とも粒子ともつかないぼやけた塊が小石から噴き出した。
小石の上に漂うその塊の色は、銀。
この洞窟総てを支えるマリスの鮮やかなシルバーとは違い、その色はぎらつくように禍々しい。
「……あ、あれは、」
「あれが、か……!?」
アキラの言葉を遮り、サクがイオリに強く問う。
イオリは頷き、短剣を取り出した。
その友好的ではないイオリの態度に、アキラは口を閉ざし、自らも剣に手を当てる。
イオリの言葉から察するに、あれが、この“違和感”の、
「魔王様直属……、」
その塊は、徐々に人を形作っていく。
みるみる内に、完全に視認できるようになった“それ”は、女性だった。
金の長い髪を背中に垂らし、薄く黒いローブのみを纏って体のラインを浮き上がらせている。
ぎらつくような銀の眼が妖艶に微笑めば、身体の中は浮かされるように安定感を失い、底冷えするような暗い感情が溢れていく。
細い眉に、長いまつ毛。
幻想的とさえ言える端麗な容姿。
まるで、夢の世界の住人だった。
「サーシャ=クロライン。……見つかっちゃったわね」
雪のように白い肌。
だが、絶世の美女と形容するには、この危機感が邪魔をした。
「っ……、」
アキラは腰を落とし、目付きを鋭くする。
彼女は、“魔族”だ。
それも、色が指し示すように、魔法を操る月輪属性の。
イオリが口走ったというその名を持ったこの存在は、あまりに妖艶だった。
“魔族”。
魔物の主であり、諸悪の根源。
最後に見たのは、あのリイザス=ガーディランだ。
だが、それでも彼女がそれと同種とは思えなかった。
人間に極度に似た身体つき。
あの赫の魔族、リイザスとは歴然とした差がある。
だがそれでも、危険ということには変わりない。
「お前が、こいつを……?」
呑み込まれるような空気を嫌い、アキラは声を絞り出した。
洞窟を覆う銀の光に慣れたつもりだったのに、彼女の眼光はこれに勝って平衡感覚を失わせる。
「ええ」
悪びれた様子もなく、サーシャは頷いた。
その返答に、アキラは身体の血が噴き上がるのを感じる。
やはり、この魔族が、エリーを秘術に導いたのだ。
「……、」
だが、アキラは駆け出しそうになる自分を必死に抑えた。
いきなりエンカウントした魔族。
あのリイザスと出遭ったときと同じだ。
頭が事態に全く追いついていない。
そもそも、この魔族の狙いは何なのか。
それすら分かっていない。
リイザスは、単純に、“財欲”を求め、宝物庫にいただけだ。
流石にもう、無鉄砲なことばかりしていられない。
冷静にならなくては。
「どうでもいいけど……、ガバイドについて知ってること、洗いざらい―――、……何よ?」
飛び出そうとしたエレナを、アキラは手で制した。
サーシャからは、今まで直線的だった相手とは違う、不穏な雰囲気を感じる。
エレナは自分の欲求そのままに行動しようとしているが、不用意に近づかせるわけにはいかない。
何より彼女は今、魔力を大幅に費消しているのだから。
「何で、こんなことをした……?」
あえて、アキラは問うた。
単純な時間稼ぎだ。
自分は何も思いつかない。
逃げるべきか、戦うべきか。
それすらも、突如現れた魔族の空気に押され、まともに判断がつかなかった。
だが、少なくとも、自分以外の誰かなら何かを思いつくかもしれない。
だから自分は、口を動かす。
「人間ってさぁ……、」
七人と対峙するサーシャの貌が、さらに妖艶に歪んだ。
「誰しも強くなりたいとか……、地位が欲しいとか……、同じような悩みや不満を持ってるじゃない?」
サーシャは得意げになって離し出す。
リイザスもそうだったと、エリーに聞いた。
魔族特有の、“教え”。
魔族たちは、自分の考えを歓喜して周りに披露するものらしい。
「それに簡単に“囁きかける”だけで……、私が思った通りの方向に思考を進めさせられる」
サーシャの顔が、とうとう醜く変わっていった。
笑うごとに、私欲を丸出しにした下賤なものに。
「悩み、不安、不満。それをいじって、相手を奴隷のように動かす……。“支配欲”。それこそ、最高の快感でしょう?」
「っ、」
「そうそう、感謝してよね? その子の秘術、あと少しってとこで止めて上げたんだから」
プツ。
サディスティックな笑みを浮かべ、言葉を続けるサーシャ。
それを聞いて、アキラの中で、何かが切れた。
時間が稼ぎや、最早どうでもいい。
相手が何を考えているのかも、同じだ。
ぎらつくような禍々しい銀の眼を見ながら、アキラは身体中が熱くなっていった。
こんなことで、エリーに、命をかけての秘術を選ばせたのだろうか。
そして、最終段階直前まで待って、秘術を強制的に中断させた。
決して、延命処置のためではなく。
身体中の怒りが一方向に向き、血が湧き立つ。
これは流石に、我慢ならない。
あるいはエレナも、ガバイドとかいう魔族にこんな感情を持っているのだろうか。
「……もうお話は終わり。あなたたちも、私の人形にならない? 分かっていても、悩みからは逃れられない……!」
「……殺す」
驚くほど自然に、アキラの口から言葉が漏れた。
きっと、エレナのような口調だったろう。
そして、“剣から手を離した”。
流石に“これ”は、想定外だろう。
相手にどのような策略があろうと、想いがあろうと、伏線があろうと。
“この力”からこそ、何者も逃れられない―――
「いいんすか?」
そこで、アキラの耳に、小さな声が届いた。
煮え立っていた身体は、久しぶりに聞いた気がするその声を正確に拾うと静止する。
「……!」
いつしか先頭に立っていたアキラを、だぼだぼのマントを羽織った少女が追い抜いた。
ティアにエリーを任せて、ここに来るまでの緩慢な動き。
だがそれを、この場にいる誰もが、動かずに見送っていた。
「……、あら、なに? あなた」
サーシャがどこか挑発的に、声を出した。
「それ」
まるで、その二人以外の時間が止まっているかのように、アキラたちは動けない。
そんな空気も意に介さず、踏み出したマリスはマントから手を出し、サーシャの足元を指した。
そこには、先ほどの銀色の小石が落ちている。
だが、アキラは、それを目で追わなかった。
自分の怒気は、冷や水をかけられたかのように一気に収縮。
今感じているのは、恐怖、だ。
「“リロックストーン”。設置している場所に移動できるマジックアイテム。便利っすけど、その場所からほとんど動けないし、魔力も大分減るじゃないっすか」
「…………、物知りね」
サーシャは、この場所にわざわざ足を運んだわけではない。
遠隔地からリロックストーンで移動したに過ぎなかった。
つまり、移動を解除し、サーシャが元いた場所に戻らなければ、彼女の魔力は削られていることになる。
アキラはそんなことをおぼろげに理解しながらも、声すら出せなかった。
二人の会話に、誰も入っていけない。
サーシャは気づいていないのだろうか。
無音のマリスから、アキラでも察せるほどの、触れれば切れるような殺気が漏れていることに。
「……で、何が言いたいの?」
サーシャの挑発的な笑みは変わらない。
だが、アキラは一歩、また一歩と後ずさった。
これは、生物としての自然な反応なのかもしれない。
突如現れた“魔族”。
その、危険なはずの存在が、あまりに矮小に見える。
「だから、」
マリスは、半分の眼をサーシャに向けたまま、いつもと同じ口調で呟いた。
「そんな状態じゃ、死んでも死にきれないと思ったんすよ」
「―――!?」
反応できたのは、サーシャだけだった。
一体いつアクションを起こしたのか、マリスはマントから手を突き出し、サーシャに銀の矢を放っていた。
「っ―――、ディセル!!」
サーシャはとっさに両手を突き出して盾を展開させると、バヂンッ、と荒々しい音が響く。
「流石にこればっかりは……、自分も、」
マリスはいつも通りの口調で、アキラに呟いた。
“この戦いの主賓”からの声は、身体を芯から震わす冷気を持っている。
そんな中、
「……、」
マリスの魔術を防ぎきったサーシャの口元は、静かに、釣り上がっていた。
これで、いい。