風が吹き抜けるのを感じ、直後、キキョウは川の中にいた。
一瞬動転したが、慌てて水面に出て、息を吐く。
「ぬう、何という不幸……」
川は底が見えないほどに深かったが、流れはそれほど速くなかった。
ずぶ濡れになりながら、キキョウは川辺に上がった。
川は相当に大きく向こう岸まで200メルトはあるだろうか、渡るのも一苦労しそうだった。
周囲はゴツゴツした岩で出来た断崖絶壁で、今の所、前後にしか進めそうになさそうでもある。
「どうやら、飛ばされてしまったようだな……シルバ殿はどこだ」
水を吸った着物の端を、ギュッと絞る。
周囲を見渡すが、どうやらここにいるのは自分だけのようだ。
「――やれやれ、薄情だねキキョウ。君は他の仲間は心配しないのかい?」
気配一つ感じさせず、そんな声が背後から掛けられた。
振り返ると、カナリーが大きな岩に腰掛けていた。
暑いのか、白い羽根付き帽子を扇子代わりにして扇いでいる。
「ぬ!? カ、カナリー!? いつの間に……!?」
「転移コインの存在を、忘れたのかい?」
「ぬ……」
即座に切り返され、キキョウは言葉に詰まった。
なるほど、それがあったか。
「うん、まあ特に期待はしていなかったけど。ちなみにコインを使っちゃったから、後で要回収だ。残念ながら、僕ら以外はどうやら遠くに飛ばされたようだよ。ここから考えられる事は、例の怪鳥の『吹き飛ばし』は、対象をランダムにどこかへやってしまうようだね」
「カナリー、魔術の原理は後回しにしてもらいたい。まずは位置の確認と、現状の把握が重要なのではないか?」
「場所なら太陽の位置で把握出来るよ。そもそもそれなら、とっくにシルバがやってくれている」
カナリーは、遠くを指差した。
キキョウがそれを追うと、青空にうっすらと一筋の煙が昇っているのが見えた。
「ぬぅ……? あ、あれはシルバ殿の狼煙……!」
カナリーは狼煙の暗号を読み解くと、足下の砂利を退け、土の上に地図を書き始めた。
キキョウも、それを見下ろす。
「一番ヤバイのはタイランが単独で怪鳥を相手にしている可能性が高い事だけど……うん、僕らの距離じゃ間に合わないな」
「み、見捨てるというのか!? 仲間の危機であるぞ!?」
しかし、カナリーは冷静だった。
「いや。タイランの傍に一人いるらしいから、逃げるのに専念すれば何とかなると思う。距離が離れていても、リフ、ヒイロなら精霊砲や気を飛ばせるし、シーラなら直接支援が出来るだろう。シルバも駆けつけるようだし。ならば、僕達はまず、自分達の態勢を万全に整えるべきだ」
「む、むうぅ……理屈では分かっているのだが……」
唸るキキョウに、カナリーは苦笑する。
「ま、割り切れないだろうね」
「……分かっていて、それを強いるカナリーはかなり鬼畜ではないであろうか」
「性格が悪いからね、僕は。さて僕達も移動前に、一応狼煙を昇らせておくべきかな。さあキキョウ、薪を集めてくれ」
どうやらカナリー自身は、動くつもりがないらしい。
「カナリーはどうするのだ?」
「僕は頭脳労働専門さ。それに、既に手足なら人の倍、使ってるよ」
カナリーが背後を指差す。
向こうから、ヴァーミィとセルシアが近付いてきているのが、見えた。
「む、むぅ……ならば仕方ない。某も、急ぎ手伝うとしよう」
キキョウは、カナリーの従者達と共に、薪を集める事にした。
木の枝を集め、それをカナリーの火炎魔術で燃やす。
強烈と言うほどではないが熱い風が、キキョウを温めてくれた。
カナリーの分の転移コインを回収してきたヴァーミィとセルシアを左右に侍らせ、カナリーはキキョウの姿に眉を寄せた。
「それにしても酷いずぶ濡れだな。服も乾かした方がいいと思うよ。いくらまだ暖かいと言っても、そのままじゃ身体が冷えてしまうだろう?」
「ぬ、脱げと申すのか?」
「いや、別に脱がなくてもいいけど困るのはそっちだし。第一、今更だろう?」
別に女同士なのはもう分かっているので、それはその通りなのだが……。
「ひ、一人だけ脱ぐのに抵抗があるだけである……が、とやかく言っている場合ではなさそうであるな」
実際、身体が冷えて、動きが鈍るのは今後の事を考えるとよろしくない、というのはキキョウも賛成だった。
とりあえず着物を乾かそうと、キキョウは帯を緩め始めた。
「何なら、火炎魔術で温めてもいいけど」
ボウッとカナリーの指先で、拳大の火炎球が出現した。
「その火力では、服が焼けるであろう!?」
「ではもうちょっと弱火で」
火炎球が縮み、コインぐらいの大きさになる。
「いやいやいや! 弱火とか強火の問題ではなく、炎を布に当てれば普通は燃えるのだ! ええい、何故某が突っ込まねばならぬ! 普通逆ではないか!」
「それは疲れるから、嫌だな」
火炎球を手の中で握りつぶしながら言うカナリーに対して、キキョウは白い目を向けた。
「某がやるのはいいのか?」
「僕は疲れないからね」
多分、女性なら惚れるであろう爽やかな笑顔で、カナリーは答えた。
「……何という我が侭な奴だ」
「元々、こういう性格だよ僕は。……キキョウ、服を脱ぐのはストップだ」
カナリーの気配が切り替わり、キキョウも即座に意識を戦闘モードに変えた。
「む……おぉ!?」
振り返ると、波のうねる川からぬぅっと鉄巨人の上半身が出現していた。
大きさは、見えている部分だけで7メルト以上はあるだろうか。
青い塗装で、両腕、肘から掌にかけてが巨大な造りになっていた。
キキョウらからは20メルトほどの距離があったが、それでも見上げる大きさに圧倒されてしまう。
「で、でかいな、コイツは……って待つんだ、キキョウ!」
カナリーの声が背後に掛かる。
しかしその時にはもう、キキョウは駆け出していた。
「否、先手必勝!」
刀の柄に手を掛け、川の縁を目指す。
目標は、全力跳躍からの巨人の首の一刀両断。
相手が腕を振るう前に、それを成し遂げる。
もし失敗をしても、ナマズの仮面がある。水に落ちても問題はない!
「ええい、ヴァーミィ、セルシア、キキョウのサポートだ! キキョウ、君のその素早さは長所だが、今回は悪手だぞ!」
「何?」
後ろから赤と青の従者が追ってくるのを感じながら、キキョウはカナリーに問い返した。
「三魔獣の前情報を聞いてなかったのか!? 大空を支配する怪鳥イタルラ、地上を統べる変幻自在の螺旋獣ヤパン、水辺を治める砲撃の巨人ディッツ。いいかい、『砲撃』の巨人だ!」
キキョウが最後に地面を踏むのと、巨人の耳部分や口や肩や胸や腹部からニュッと大小の砲口が出現したのは、ほぼ同時だった。
「ぬおおぅ!?」
キキョウは慌てて、跳躍を正面から真右に変えた。
ヴァーミィとセルシアも左右に散り、カナリーも後ろの大岩を盾にしようと駆け出していた。
「ぜ、全員散開!!」
直後、川辺を爆撃が襲いかかってきた。
※巨人ディッツの身長はだいたい15メートルぐらい。
イメージとしては斬撃のREGINLEIVの巨人族(中)レベル、川の中では潜行モード。
川の広さはウチの近所がモデルです(正確には内港ですが)。