峡谷の大きな湖の畔に、金棒を持ったメイド――シーラは立っていた。
緩やかな風が吹き、水面とシーラの髪をわずかに揺らす。
葉が一枚舞い、周囲の鳥の囀りが――不意にやんだ。
足下の小石が微かに揺れる。
直後、間髪入れずにシーラは金棒を振り上げ、その先端を両手で地面に叩き付けた。
その先端を中心に放射線状の亀裂が走り、反射された衝撃波が大空目がけて噴き上がる。
屈み込んだシーラの首筋に、背後から刃が滑り込んだ。
「――見事」
呟き、シーラはそのまま立ち上がった。
刃を突きつけた人物、キキョウはナマズの仮面を外すと、刀を納めた。
「いや、間一髪であった。さすがだ、シーラ。新しい力といっても、使いこなせねば危険な遊具と変わらぬ。シルバ殿の言葉ももっともだ」
新しく得た力――地面の潜行と移動。
それに慣れるのが、キキョウの今の課題だった。
一見、恐ろしく便利な能力だったが、その弱点はすぐにシルバに看破されていた(というか、シルバ曰く「妹と同じ」らしい)。
つまり、地面に伝わる衝撃も、ダイレクトに土中のキキョウに伝わってしまうのだ。これは水中でも同じ事が言える。
能力の特性上、この弱点自体はどうしようもない。
だから、敵が同じ事を仕掛けてきた場合に備えて、地中移動と同時にシーラに手伝ってもらい、回避の練習もしていたのだった。
「……大分いい感じになってきたんじゃないか?」
岩壁に出来ていた穴から、眠たそうなシルバが出て来た。
「シ、シルバ殿!? 見ておられたのか!?」
「んー、新しい空気を吸いに出たついでにな……こっちもやっと、終わった……」
大きなアクビをしながら、シルバは目を擦る。
シルバの仕事は、三つ目の洞窟を潜る前に使用したポーション類の補充である。
今はもう、冷却を待つだけだという。
……というか、瓶に注入などなら、地面に震動を与えるような修業は止めさせている。
ともあれ、シルバの仕事の方は終了であった。
ほぼ完徹状態(夜はテントの外で、薬草を切り刻んだり煮込んだりしていた)で、明らかに寝不足状態であった。
「だ、大丈夫であるか? 眠いのならば、テントで休んだ方が良いと思うぞ?」
「――寝具の用意は主にテントに完了している」
「よ、よし。ナイスアシストである、シーラ」
「――それが、メイドの務め」
だが、シルバはまだ眠る気はないようだ。
「んー……寝たいのは山々だけど、みんなの状況も万全かどうか確認しときたいしなぁ。とりあえず明日、奥に出発って事で……」
つまり、洞窟の中で各々、自分達の力を磨いている仲間達を確認したいのだろう。
「ぬぅ……シルバ殿の意思は尊重したいが……まあ、某とシーラが護衛を務めよう」
「――了解。お茶、苦い目」
「うい、あんがと」
シーラが差し出した香茶を、シルバは受け取った。
そして、最初の洞窟にシルバ達は踏み込んだ。
「歩いてたら、大分眠気も覚めてきた」
シーラが渡してくれた香茶(確かに苦かった)も効いているようだ。
「何よりである――シルバ殿」
不意にキキョウがシルバを腕で制した。
同時に、シーラが前に出る。
「――迎撃する」
金棒の一振りと共に、飛来してきた緑色をした粘液状の物質が弾け飛ぶ。
衝撃波で四散させられたそれは、シーラ達には届かず、壁のあちこちに付着する。
そしてすぐに、遠くから快活な声が響いてきた。
「おおっと、大丈夫だった先輩!? ごめんねー!」
骨剣を肩に担ぎ、元気いっぱいに駆けてきたのはヒイロだった。
「いや、こっちが急に来た訳だから、別に謝る必要はないんだけど」
「ヒイロ君、私を早くシルバに投げるんだ。長らくシルバのぬくもりから離れて、私は凍死する所なのだ」
ヒイロの肩の上で、ちびネイトが騒いでいた。
それを見て、シルバは白い目を向ける。
「……せいぜい一日程度離れたぐらいで、お前は氷漬けになるのか」
「それだけシルバの懐は温かいという事だ。ああ眠い……気が遠くなってきた……せめて死ぬ前に惚れた男に抱かれて死にたいものだ……」
パタリ、とヒイロの肩で力尽きるネイトであった。
「札が死ぬか!?」
「そうは思わないか、キキョウ君?」
起き上がり、ネイトが真顔で問うと、キキョウは顔を真っ赤にして慌てた。
「ぬ!? や、いや、そ、そそそ、そのような話題を某に振るというのはどうかと思うぞ!?」
「ちなみにシルバの札は、私ともう一枚ある訳だが」
ふふふ、とネイトは悪魔そのモノの不敵な笑みを浮かべる。
その途端、周囲の皆の視線が揃ってシルバの懐に集中した。
「……視線で刺殺されそうな気分なんだが。ヒイロの調子の方はどうなんだ、ネイト」
シルバは額の汗を拭いながら、話をそらした。
ヒイロの課題は、催眠系攻撃への対応。
『ある手段』を用いて対抗策を実践していたのだが、今までシルバはそれを直には見ていない。
代わりに、目付役になっていたのがネイトだった。最悪、失敗してヒイロが『混乱』などに追い込まれても、ネイトならばそれを解除出来るからである。
「悪くないぞ。暗示が掛かりやすい鬼族だけに、それを逆に利用するとはさすがシルバは悪辣だ」
「人聞きの悪い事を言うな! ……ま、周りを見た限り、少なくとも、催眠の類に掛かる心配はなさそうだな」
「うん。問題は攻撃以外出来なくなるという点だが、敵に回られるよりはマシだろう」
「元々ボクは、それが仕事だからねー。ところでお水ない? すごく喉渇いちゃった」
どうやら、自前の水袋は既に空になっているらしい。
「あー、んじゃ俺のやる。飲みかけだけど――」
「――水の準備なら出来ている」
銃使いの早撃ちも真っ青な速度で、水袋を持ったシーラの手が突き出た。
「早いな、おい!?」
「メイドの務め」
その視線はシルバではなく、何故か『飲みかけの水袋』に向けられていた。
「あんがと。別に先輩のでも良かったんだけど。えと、それで迎えに来たって事は、先輩のお仕事終了?」
水を飲みながら。ヒイロが尋ねた。
「……まーな。後はみんなの出来具合を見て、出発ってトコだ。二つ目の洞窟は確か、リフだっけ。一人で大丈夫かなぁ」
「あ、うん、だいじょぶだいじょぶ。ボクも時々様子見てたけど元気だった。ね、ネイトさん」
「うん。もっとも、数時間単位なので、行ってみたら倒れている可能性もなきにしもあらずだが」
「不吉な事言うなよ!?」
※数日おいただけで書き方忘れそうになっててヤバイです。
とりあえず次、2と3の洞窟書いたら、その先に進みます。