大陸の辺境にある巨大遺跡・{墜落殿/フォーリウム}。
古代建築物の通路は幅15メルト程、その真新しさはおそらく魔法による効果なのだろう、とても大昔のモノとは思えない。
壁自体が明るさを放っており、視界も悪くない。
だが、それでもここは危険な迷宮だ。
通路の奥には数多の魔物が潜み、かつては警備装置だったのだろう様々な罠が待ち構えている。
その第三層で、アーミゼストでも中堅所と言われているパーティー『プラチナ・クロス』は、探索途中に遭遇したモンスターの一群と戦闘を開始していた。
二本の角と鉄のように硬質の毛を持った巨大な雄牛、アイアンオックスが高らかな雄叫びを上げる。二本の後ろ足を踏み込み、一気に突進してくる。
その速さと勢いは正に黒い弾丸。
リーダーであるイスハータと二人がかりで、黒尽めの騎兵デーモンナイトを相手取っていた戦士ロッシェはそちらに気づき、とっさに大盾でガードを取った。
直後、盾から強烈な衝撃が伝わり、ロッシェの屈強な肉体が半メルトほど後退する。
「かは……っ!」
たまらず息を吐き出すが、何とか耐え抜いた。
押し切れなかったのが不満なのか、アイアンオックスは再び、凶暴な咆哮を上げながら、地面を蹴り始める。
「ウルツ、ロッシェがやばい! 回復を頼む!」
「は、はい! {回復/ヒルタン}!」
金髪の盗賊、テーストの声に、既に印を切っていた針金のように細い体躯の青年司祭、ウルツ・シャンソンは、ロッシェに回復の祝福を与えた。
「こっちもだ!」
デーモンナイトの魔力を帯びた大剣を受け流しつつ、イスハータもウルツに叫んだ。
「ちょっ……だ、だったらもう少し距離を……」
イスハータが後退し、ロッシェと詰めていてくれたら、二人同時に{回復/ヒルグン}が出来たのに……!
ウルツは悔やむが、今更だ。
とにかく、もう一度神に祈るしかない。だが、事態はウルツの都合に構わず、悪い方へと動き続ける。
「やばい、ウルツ! 敵に前衛を抜かれた! 防御呪文急げ!」
テーストの絶叫に、ウルツは嫌な予感がした。
この迷宮に入って、もう何度目になるだろう。今回も、そうだった。
案の定、弱っていたアイアンオックスを相手にしていた商人の少女、ノワは、倒した敵の口から吐き出された宝石(鉱物が好物なのだ)の回収に急いでいた。
そのせいで、デーモンナイトと再び突進してきたアイアンオックスの二体を相手にする羽目になったロッシェが吹き飛ばされ、獰猛な雄牛がこちらに首を向けつつあった。
「な……っ!? ノワさん、何やってるんですか!? 戦利品の回収なんて後にして下さい!」
その声にようやく気がついたノワは、ツインテールを揺らしながら愛らしい顔を上げてこちらを見た。
それから小首を傾げて少し迷い、イスハータ達の方に参戦する。
今なら、こちらに意識を向けているアイアンオックスを、後ろから襲えるでしょうに……! いや、それでなくてもせめて、前衛に意識を向けさせてもらえれば……!
ウルツは思ったが、術の展開を急いでいる今、声に出す余裕もない。精神共有でも習得していれば話は別だが、あれは習得する為の瞑想時間が掛かりすぎるので、聖職者の中でもほとんど習う者などいない。
そして今は、無い物ねだりをしている場合ではないのだ。
「ウルツ君!」
アイアンオックスの次の狙いは、どうやら学者風の眼鏡魔術師、バサンズにあるようだった。
彼がやられると、後方のメイン火力である風の魔法が使えなくなってしまう。
「くぅっ……術が間に合わない!」
とっさに、ウルツはバサンズの前に出た。
重い大盾を地面に突き立て、防御態勢を取る。
ズンッ……と重い衝撃を食らうが、すぐ後ろにいたバサンズも両手で背中を支えてくれたので、かろうじて持ちこたえる事が出来た。
しかし、これで回復の呪文はキャンセルだ。もう一度、唱え直さなければならない。
「きゃーっ!?」
その時、甲高い悲鳴が聞こえた。
凶暴なアイアンオックスの猛突に、ノワが弾き飛ばされたのだ。
「ノワちゃん!?」
それに反応したのが、盗賊のテーストだった。
「テーストさん、何やってるんですか!」
たまらず、ウルツは叫んだが手遅れだった。
「え……」
一度退いたアイアンオックスの角が、テーストの脇を貫いたのだ。
「が……っ!?」
血反吐を吐きながら、テーストが壁に叩き付けられる。幸いまだ息はあるのか、倒れ伏したテーストの身体は痙攣を繰り返す。しかしこのままだと、長くはないだろう。フロアにも、徐々に血の池が広がり始めていた。
血の臭いと敵を仕留めた手応えに、雄牛は甲高い咆哮をあげた。
「やばい、テーストがやられた!」
「ウルツくーん、回復してー」
「ウルツ、勝手に動くな! 仕事に専念しろ!」
「ウルツ君、テーストさんが――!!」
一瞬、呆然と立ち尽くしたウルツだったが、すぐに我を取り戻した。
まずは、テーストの回復が最優先だ。
しかし、呪文を唱えている間も、他のメンバーからの文句は止まらない。
「くそっ……! 何なんだこれ! 何だ、このパーティー!」
毒づきながら、今手を抜けば今度は自分が死ぬ。
ウルツはひたすら、自分の仕事をこなすしかなかった。
『プラチナ・クロス』の面々が地上に出られたのは、それから六時間後の事だった。
青天に日が昇り始めたばかりで、心地よい涼風が汗と血にまみれたパーティーを和ませる。
「し、死ぬかと思いました……」
眼鏡にひびの入ったバサンズが石畳にへたり込み、胴体に包帯を巻いたテーストも重い吐息を漏らした。
「……まったくだ。マジに、お花畑が見えたぜ……」
「今日はここらが潮時だな」
ボソリとロッシェが呟き、リーダーであるイスハータも同意する。
「ああ。荷物を整えたら、街に戻ろう。すまなかったな、ウルツ」
ポン、と彼が肩を叩いたが、ウルツは浮かない表情のままだった。
「いえ……」
そこに、空気を読まない明るい声が響いた。
「もー、しっかりしてくれなきゃ、ウルツ君」
ぷんすか、と頬を膨らませていたのは、一人元気なノワだった。怒っている顔もまた可愛らしいが、状況が状況だ。
「ちょ、ちょっと、ノワちゃん……て、あいたたた」
さすがに、テーストがたしなめる。頑張って動いたせいで、脇腹が痛みをぶり返し、その場に突っ伏しそうになる。
せっかく制止しようとした彼に構わず、ノワは聖職者に先輩として説教を続ける。
「駄目だよ、こういう時はビシッと言わなきゃ。危うくテースト君、死んじゃう所だったんだよ? ウルツ君は回復の要なんだから、ちゃんとみんなを守って上げなきゃ」
「そうですね……」
ウルツは、ノワの言葉に無表情に応じていた。
しかし、彼女はウルツの様子には気付かない。
「前線はすごく大変なんだし、比較的安全な場所にいるウルツ君が後ろの心配をしないと」
「ちょ、ちょっとノワ……それ以上は……」
テーストに代わってイスハータが、何とか穏便に済ませようと、ノワを止めようと試みる。
だが、遅かった。
「ね? もっと頑張ろ、ウルツ君。これぐらい、前のメンバーなら普通にやれてたよ? ウルツ君にも出来る出来る♪」
テーストが、天を仰いだ。
ウルツは無言で、バトルメイスを石畳に叩き付けた。このパーティーに入った時、その契約の一部としてもらったモノだ。
重い一撃に、遺跡の床に大きな亀裂が生じる。
「きゃっ!?」
弾き飛ばされた石片に、ノワはたまらず顔を覆った。
「だったら……」
無表情な顔を上げ、ウルツはメイスを放り投げた。
「……だったら、その、前のメンバーを呼び戻せばいいじゃないですか。その人が、どれだけ出来た後方支援だったか知りませんけど、僕には無理です。ええ、こんな仕事、とてもやってられません」
今回の探索で得た成果をリュックの中から取りだし、床にぶちまける。
自分の分だけになった荷物を背負い、ウルツは街に向かって歩き始めた。
「お、おい、ウルツ……」
その背に向かって、イスハータが声を掛けてみた。
「一人で帰れますから、お気になさらず!」
ウルツの姿が小さくなっていくのを眺めながら、力なくロッシェが呟いた。
「……これで、三人目か」
「だな」
テーストが同意し、イスハータは青い空を見上げた。
「また、新しい回復役を、探さないとなぁ……」
「毎回新しい人入れるのって、大変なんですよね、連携とか……」
バサンズも、疲れたような声を漏らす。
「ったくもー、うまく仕事が出来なかったからって逆ギレなんて、どうかと思う! プロ意識がなさ過ぎるよ!」
腰に両手を挙げて怒りをぶちまけているのは、ノワ一人だけだった。
「そう思うよね、みんな!」
同意を求めて振り返る。
「あ、ああ……」
駄目だコイツ、早くどうにかしないと……。
四人の視線が交錯し、その心の中は見事に一致していた。
そしてその夜、四人は大きな酒場の一隅に集まっていた。
「……どう思うよ、現状」
不景気な顔で麦酒をあおりながら、まずテーストが切り出した。ちなみにノワは部屋で寝ると言って、今回の集まりに参加しなかった。
「……ジリ貧、ですね。悪い方悪い方へと進んで行っているような気がします」
バサンズの言葉に、ロッシェは重々しく首を振った。
「気がするのではなく、現実だ」
「リーダーはどう思うよ」
「…………」
イスハータはアゴの下で手を組んだまま、動かない。
しばらく四人は酒を飲んだり、料理をついばんだりしていたが、その間一人も口を開かなかった。
何を言っていいのか分からないのだ。
やがて、空になったジョッキをテーブルに置いたバサンズが呟いた。
「……やっぱり、シルバさんに戻ってもらうしか」
「それは無理だ」
相変わらず不動のまま、イスハータが否定する。
それをテーストが補足した。
「あ、ああ……バサンズ、お前はまだ知らなかったかもしれないけど、もうシルバは自分達のパーティー作っちゃってるんだよ。今更、そんな頼み出来っこない」
「どの面下げて、という所だな」
「ロッシェの言う通りだ」
イスハータが頷き、テーストは椅子の背に大きく身を預けた。
「となると、オレ達が選べる道は、限られてる、か……。つーかいくらか高めの聖職者をまた雇っても、また同じ事の繰り返しだよなぁ……」
ぐい、と背を仰け反らせる。
それを眺めながら、バサンズはウェイトレスに新しい酒を注文する。
「彼らにもプライドがありますからね……いちいち前任者と比較されるのも……」
イスハータがようやくフォークを握り、ソーセージを突き始めた。
「ってなると、アイツ以上に優秀な聖職者を探すしかないんだけど……それもちょっとやばくなってきてる」
「悪評が広まりつつある」
ロッシェとイスハータは同時に、ソーセージを囓った。
「うん。クレリック殺しとか、嫌な渾名が付き始めてるしな、ウチのパーティー」
「うへぁ……たまらねーなー」
天井を見上げたまま、テーストは力なく笑った。
「じゃあ、やっぱり地道に新しい聖職者を育てるしかないですか」
バサンズの提案に、テーストはそのままの態勢で茶々を入れる。
「それまで、ノワちゃんのいびりに耐えられたらな」
「よせ、テースト」
ロッシェが制したが、テーストは勢いよく身体をテーブルに戻した。
そしてジョッキを握って立ち上がり、一気に中身を煽った。
「っつーか、明らかに最大の問題はそこっしょーっ! 無理無理無理。ありゃー無理。俺が聖職者なら、ストレスで死ぬ。ウルツ、すげーよ超頑張ったよ! 結局潰れたけど!」
ダンッと空になったジョッキを、テーブルに叩き付ける。
ノワは可愛い。それは、全員が認める。そんじょそこいらの歌姫よりも、ずっと愛らしいと言ってもよい。よほどの物好きでなければ、大抵の男は皆、同じ意見だろう。彼女が、このパーティーに入ったのは、幸運だと皆が思った。
そしてそれにのぼせ上がり、ねだられるまま彼らは欲求に答えてきた。
その結果がこれだ。
「気付かぬ間に、俺達は破格の回復役を失っていたという事か」
ボソリとロッシェが呟き、イスハータは弱々しく首を振った。
「ああ……手遅れだ」
何やら考え込んでいた風のバサンズが、不意にテーストに顔を向けた。
「……テーストさん、今のシルバさんのパーティーって、どんななんですか?」
「あ? お前そんな事聞いてどうするんだよ」
「い、いえ……」
バサンズは何だか妙に気まずそうな雰囲気だったが、やや酔いの回りつつあるテーストはそれに気付かなかった。
アルコールの勢いに任せて、喋り始める。
「オレが知ってる話だと、何かすごいぞ。極東から流れてきた狐獣人の剣客に、鬼族の豪剣使い。あと、絶魔コーティングされた軍用鎧で出来た{動く鎧/リビングメイル}」
「その、魔法使いは? まだ決まっていないんですか?」
「んー、最近、吸血鬼族の美形魔法使いが入ったらしいな。学習院に権限持ってるホルスティン家って知ってるか? 何かも-、ウチとは大違いのアゲ調子だよなーったくもー。ねーちゃん、おかわり!」
テーストが手に持ったジョッキを、通り掛かったウェイトレスに突き出した。
一方、バサンズは驚きに思わず、立ち上がっていた。
冒険しない時の多くの時間を学習院で過ごす彼には、馴染みのありすぎる名前だったのだ。
「あの、ホルスティン家ですか!? っていうか、何で司祭が天敵の吸血鬼と手を組んでるんですか!? あり得ないでしょう、普通!?」
「ああ、その辺はシルバは全然気にしない主義だったからな」
イスハータも少し酔いながら、思ったままの事を口にしていた。
「リーダー、何か知ってるんですか?」
んー、と額を掻き、イスハータはバサンズの問いに答えた。
「アイツの出身はドラマリン森林領と言って、元々亜人の多い地域だ。むしろ人間と亜人を分けて考えてる方が何か不自然だと、いつかの折に聞いた覚えがある。それにホルスティン家もあそこに領地を持っていたはずだし、何か繋がりがあってもおかしくないんじゃないか?」
「……なるほど」
「つーかそんなの聞いて、どうする訳よ。今はそれよりオレ達の今後の事だろ。誰か、いい案ねーの? 何もないなら、オレ、新しい注文するよ! おねーちゃん、バナナチョコクレープパフェ一つよろしく!」
テーストはウェイトレスが持ってきたジョッキを受け取り、一気に煽った。
そんな彼の様子を、イスハータは見上げる。
「そういうお前はどうなんだ、テースト」
「ぷはぁっ……! あるよ、一応。この中の誰かが、聖職者ギルドで修業すんのさ。ある意味、一番確実っしょ」
「だが、そうなると本来の職の修練が疎かになる」
「なるねー」
「一番、そう言うのに向いているのは……」
三人の視線が、魔法使いに集中した。
バサンズは、慌てて首を振った。
「ちょ、ちょっと待って下さい。僕にだって、新しい魔法の習得が必須です。それよりは、リーダーがもっと神官として位を高める方がいいと思います」
だが、イスハータにも、それが出来ない言い分がある。
「前衛としては、可能な限り攻撃に専念したい。祝福はあくまで補助に過ぎないんだ。オレやロッシェが学んでもいいが、そうなると誰かが代わりに前衛に立たざるを得なくなる」
そして、力ない笑いを三人に見せた。
「それじゃ、本末転倒もいい所だ。結局攻撃力が下がって、探索も効率が落ちる。……いや、もう既にその段階まで来ている、か……」
「じゃあ、どうするってのさ、リーダー」
「それが分かれば苦労しないさ」
特に答えを期待していた訳でもなかったらしく、それを聞いたテーストはテーブルに残っていたフライドチキンをもそもそと不景気な顔で齧り付いた。
「……原因は、ハッキリしているのだがな」
「言うな、ロッシェ」
暗い声を、イスハータは制した。
問題も原因もハッキリしてる。分かってはいるけれど、それを果たして誰が言うのか……それが重要だ。
長々と話した挙句、実は最初からそれが四人の共通した見解だった。
ただ、とこの場にいる全員が思う。
分かっちゃいるけど、それを誰が言うんだ。
誰だって、ババを引きたくないのは同じである。
彼女に涙目になられるのが辛い。嫌われるのが怖い。
進んで嫌な思いなど、したくはないのだ。
だから、分かりきっている答えを誰も口に出さないまま、不景気極まりない飲み会は続くのだった。
「……ま、オレは一応アテはあるけどね」
それは口に出さず、金髪の盗賊は据わった目で麦酒の残りをぐいと煽った。
魔法使いの枠はもう塞がったらしいが、まだ盗賊の枠は残っているらしいし……。