「むぅっ……!」
キキョウの力量を見て取ったのか、カナリーは後方に回転しながら間合いを取る。
「キ、キキョウ」
「……シルバ殿の危難の声が聞こえたのでな。来てみれば、何だコレは」
「いや待て。お前、どういう耳をしているんだ?」
ちなみにシルバが使う情報伝達用{精神共有/テレパシー}の有効距離は、キキョウの宿には届いていないはずだ。
「ふ……些細な事を気にするな」
気になるけどなーと思うシルバだった。
しかし状況はそれを聞いている場合ではない。
「邪魔をするのか! 名を名乗れ!」
カナリーの凛とした声が、キャンパスに響く。
美形二人の対決に、もう生徒数も大分減ったはずの広場に観客が集まってくる。何というか、シルバは自分がとてつもなく場違いな場所に放り込まれているような気分になってきた。
キキョウとカナリーの間の緊張感は、途切れる様子がない。
「キキョウ・ナツメ。遠き地ジェントより参った流浪人だ。シルバ殿に覚悟の猶予も与えぬこの戦、決闘とは言い難い。義理あって助太刀いたす」
刃を納め、キキョウは抜刀術の構えを取る。
「そうか。ならば、僕も本気を出さざるを得ないようだな……」
一方、カナリーもサーベルを鞘に納めた。
「キ、キキョウ」
「シルバ殿、ここは某が。彼が何者かは知らぬが、貴殿には指一本触れさせぬ」
カナリーを見据えたまま言うキキョウの前に、シルバが回り込もうとする。
「いや、そういう訳にはいかないだろ。何かよく分からないが、こりゃ俺のトラブルみたいだし」
「水くさいぞ……パーティーリーダーの危機は某の危機でもある」
「2対1か。時間もよい具合だ。僕も本気を出すとしよう」
カナリーは、腰に差したサーベルを地面に棄てた。
紅い瞳が輝きを増し、唐突に魔力が膨れあがる。
「……待て、まさかお前」
夕日はとうに沈み、徐々に酷なる夜の闇に外灯が淡い光を放ち始める。
空には無数の星と大きな月。
それらを背に、カナリーは形のいい唇を笑みの形に歪めた。
舞台の主人公のように両手に広げた手から、紫の放電が生じる。
「言っていなかったが僕の本職は魔法使い。月の魔力、とくと味わうといい」
ふわり、とカナリーの身体が、宙に浮き上がった。
「やべえ……」
シルバの全身が総毛立った。
(全力で避けろ、キキョウ!)
口にする余裕もなく一気に念波をキキョウに送り込みながら、シルバは横っ飛びに回避運動をとった。
「ぬ!?」
キキョウも返答せず、言われるまま後方に跳躍した。
「――{紫電/エレクト}!」
直後、二条の放電、いや落雷が、シルバ達の立っていた位置に突き刺さった。
「コイツ、吸血鬼だーーーーーっ!?」
衝撃に吹き飛ばされながら、シルバは叫んだ。
地面を転がり、態勢を整える。
{不死族/アンデッド}、吸血鬼。夜と月の眷属。知性のある鬼。日の沈んだ今、相手の力はさっきまでとは比べモノにならなくなっているはずだ。
ふと、視線の先に赤と青のヒールが目に入った。思考を停止して見上げると、絶世の美女二人がシルバを見下ろしていた。
「お、お仲間さんですか……?」
引きつった笑みを浮かべるシルバの問いに答えず、二人の美女はマネキン人形のような笑みを崩さないまま、拳を振り下ろした。
「行け、ヴァーミィ、セルシア!」
「ちょ、2対3じゃねーかっ!」
シルバが指を鳴らした。
ほんの一瞬二人の動きが硬直し、その直後、煉瓦敷きの地面が派手に粉砕される。
「へえ、アレを避けるとは、かなりやるな」
長い金髪とマントをはためかせ、優雅に宙を舞いながら、カナリーはシルバを見下ろした。
「あ、危なかった……」
ドッと噴き出た汗を拭う。{鈍化/ノルマン}の術が咄嗟に間に合わなければ、今頃骨折で済めば運のいい方だっただろう。
この攻撃力は、明らかに人間技ではない。機械のような反応と言い、目の前の二人はおそらくカナリーの従者なのだろう。
「――よそ見をしている場合か、吸血鬼」
いつの間にか高く跳躍していたキキョウが、カナリーの正面に迫っていた。鞘から放たれた超高速の刃が彼を襲い、
「無駄だ」
すり抜けた。
吸血鬼の特性の一つ、霧化だ。
「ぬうっ……!?」
手応えのなさに、キキョウが唸る。
それどころか、キキョウの身体ごと、カナリーの肉体を通り抜けていた。後はもう、自由落下しかない。
「昼間ならともかく、夜の吸血鬼を相手に加減をしたままで勝ち目があると思うのか? ――{雷閃/エレダン}!」
手で鉄砲を作ったカナリーの指先に、紫電が収束する。
「キキョウ、やばい――くそ、{小盾/リシルド}っ!」
{飛翔/フライン}は詠唱が間に合わない――そう判断したシルバは一音節で構成される術と共に、指を鳴らした。
「ぬ!?」
直後、キキョウの足下に円形の魔力障壁が生じた。キキョウはそれを足場に疾走、跳躍を連続で行い、雷撃のビームを回避する。
直後、その障壁をカナリーの放った電撃のビームが貫通した。収束した分、相当に威力が高いらしい。
「へえ、面白い術を使うな、ロックール!」
「シルバ殿、すまぬ!」
シルバのすぐ傍に着地したキキョウは、そのまま二人の従者への対応にスイッチした。
「こっちこそ!」
背中をキキョウに預け、シルバは夜空に浮かぶ吸血鬼を見上げた。
「ふふ……さあ、どうする」
「ずいぶんと余裕のようだが……っ、貴公も某の愛刀をタダの刀と思われても困るな!」
従者二体を相手取りながら、キキョウが笑う。
振るう刀身には、ほんのわずかだが血の跡が残っていた。
「む……魔剣の類っ!?」
カナリーはようやく気づき、頬に手をやった。赤い一本の線が、頬に浮かび上がっていた。
「否、これは魔剣にあらず。妖刀と呼ぶのだ」
「……よくも僕の顔に傷を付けてくれたな! ――{雷雨/エレイン}!!」
これまでにない巨大な紫電が、雨あられとシルバとキキョウを襲う。まさしく雷の豪雨だ。
見物していた学習院の生徒らも、慌てて逃げ惑う。
「ぬうっ!」
シルバもギリギリ致命傷は避けているが、決して無傷というわけではない。全身に擦り傷が生じているし、何より雷属性の厄介な点は直撃していなくても毒のように徐々に肉体を蝕んでいく所にある。いわゆる感電という奴だ。
「いい加減にしろよ、ったく……!」
カナリーの詠唱は早く、シルバも後手に回らざるをえない。
しかし、勝算がない訳ではない。ただ、勝つ為には少しだけ、時間が必要だった。
口の中で、術の詠唱を開始する。そのまま念波をキキョウに送った。
(……キキョウ。一つ頼みがある)
(何なりと)
「よし!」
キキョウに短い指示を送ると、シルバは駆け出した。
「何!?」
「シ、シルバ殿!?」
空に浮かぶカナリーはもとより、キキョウにまで背を向けて、キャンパスから脱しようとする。
無様に逃げるシルバに、一瞬呆気にとられたカナリーは直後、激怒した。
「この……卑怯者めっ!」
指鉄砲の先に、紫電が収束する。カナリーの雷撃魔法の中で、もっとも威力が高く速い、{雷閃/エレダン}の発動だ。もとより目標は彼一人。この術が一番確実だ。
「せっかちだなぁ、おい!」
その時にはもう、シルバは目的の場所に到達していた。
「くれて――」
地面に突き刺さったままの『それ』を引き抜き、
「――やんよ!」
カナリー目がけて投げつけた。
「しまった……!!」
失敗を悟ったカナリーだったが、発動した{雷閃/エレダン}はもはや{中断/キャンセル}出来ない。彼目がけて飛んでくる『それ』――サーベルに直撃する。
そしてようやく唱え終えた術を、シルバは解き放つ。
「行くぜ……{回復/ヒルグン}っ!」
発動したシルバの祝福が、広場全体を青い聖光で照らす。その光は自分達の回復が目的ではない。
「がぁ……っ!?」
{不死族/アンデッド}であるカナリーは聖なる光を浴び、想像以上にダメージを受けていた。それこそまるで、全身に電撃を食らったかのようなショックを味わい、蚊とんぼのように墜落する。
キキョウが相手取っていた従者達も同様で、糸が切れた人形のように二体の貴婦人はその場に倒れ伏した。
「今だ!」
落下するカナリーにトドメを刺すため、キキョウは身を翻して駆け出そうとする。
「ストップ、キキョウ!」
慌ててシルバが手で制した。
「シルバ殿!?」
予想外だったのか、キキョウは足に急ブレーキをかける。
「話し合いだ、キキョウ。……それにホルスティン。事情も分からないまま戦うのは、反対なんだよ」
カナリーが地面に激突する直前、シルバが放った{大盾/ラシルド}がそのショックを和らげた。
「……何よりほら、俺聖職者な訳だし」
困ったように、髪を掻くシルバだった。
学習院広場に、静けさが戻る。
様子を伺っていた生徒達がちらほらと、校舎からシルバ達を覗き見ていた。
早く逃げた方がいいかもしれないな、と思うシルバにキキョウが近づいてきた。
「すまぬ、シルバ殿。助けに入って、逆に余計な手間を増やしてしまったような気がする」
「いや、正直助かった。俺一人じゃ、どうなってたか」
「そう言われると、救われるが」
「ともあれ、うまい支援助かったよ」
「む?」
キキョウは、何を言われているのか分からないようだった。
シルバが付け加える。
「最後の演技」
「ああ、あれか。シルバ殿も無茶を言う。人形二人を相手取りながら、『驚く振り』などそうは出来ぬぞ」
「悪い」
「何の。互いに無事で何よりだ」
「だな」
拳と拳を打ち合う二人。
作戦は単純だった。
敢えて背を見せ、シルバが単独になる。
そうすれば、必ずカナリーはシルバ単体を狙う。そう睨んでの行動だった。
後は逃げた振りをして、避雷針の役割を果たしてくれるサーベルまで間に合えば、勝機は見える。そう踏んだシルバであった。
「……さて」
「……くっ」
カナリーはまだ回復が効いているらしく、地面に突っ伏したまま動けないでいるようだった。
「ほれ」
シルバはしゃがみ込み、手を差し出した。
「な、何を……」
「寝転がったまま、話は出来ないだろ。かと言って、回復も{不死族/アンデッド}には逆効果だし、{生命力/ライフエナジー}を吸えば、多少は癒せるはずだ」
「シルバ殿!?」
「大丈夫だって。一応正々堂々と名乗ったわけだし悪い奴じゃないと思うんだ。吸いすぎないならいいさ」
「……やり過ぎるようなら、即座に斬って捨てるぞ」
刀の柄に手をやり、キキョウは警戒したままだった。
「敵に情けをかけるか……」
カナリーは、悔しそうにシルバの手を睨んでいた。
「敗者は敗者らしく言う事聞けよ。こっちはそっちが何もしないなら、戦うつもりはないんだし」
「くそ……っ」
震える手で、シルバの手を握る。
「くっ……」
全身を襲う気怠い感覚に、シルバは少しだけ目眩を覚えた。
「シルバ殿、大丈夫か」
心配そうに見つめるキキョウに、シルバはヒラヒラと手を振った。
「……大丈夫。それはいいから、とにかくまずは逃げよう。キキョウ、そこに転がってる革袋とサーベルを回収」
「む?」
「教授達が来るのも時間の問題。事情聴取で、余計な手間取りたくないだろ」
「た、確かに……!」
「まあ、後でお説教は受けるとして、まずはこっちの話を片付けないとな。一体どういう事か聞かせてもらうぞ、カナリー・ホルスティン」
「……わ、分かった」
なんだかやけに華奢なカナリーに肩を貸し、立ち上がる。
赤と青の従者は、カナリーが術を解いたのだろう。いつの間にか消えていた。
とりあえず学習院から脱出しよう……と思ったシルバ達の前に、一人の女性が立っていた。
「どうしてですか!」
「うん?」
外灯の下に立っているのは、二十歳前ぐらいだろうか、ブルネットの髪の大人しそうな女性だった。
彼女は、険しい顔をシルバ……ではなく、カナリーに向けていた。
「何で、こんな事になってるんですか、ホルスティン先輩!」
「……誰?」
シルバは小声でカナリーに尋ねてみた。
「あれが、件のエーヴィ・ブラント嬢だ」
「あれが!?」
「本当に、覚えがないのか、シルバ・ロックール。彼女の話では、君は彼女を無理矢理襲い、その後もそれをネタに何度も関係を強要したという話だぞ」
「そんな地獄に堕ちるような真似するか! 教会から破門されるわ! ……ん? いや、でも、ちょっと待て。……確かに彼女はどこかで……んん?」
「やはり、覚えがあるんじゃないか!」
「だ、だからちょっと待てって! 考える時間をくれよ!?」
弄んだ、というカナリーの糾弾には覚えがない。
しかし、彼女の事は、何だか見覚えがあるのだ。だが、それがどこかが思い出せない。カナリーが言うほど酷い事なら、記憶にあるに違いないのに。
すると、二人の間にキキョウが割って入った。
「いや、見覚えがあって当然だ、シルバ殿」
「キキョウ?」
「彼女は、某が用心棒を務めていた酒場のウェイトレスだ」
「「何ぃ!?」」
シルバとカナリーが同時に叫ぶ。
同時にシルバも納得もした。道理で見覚えがあるはずだ。常連というほどではないが、シルバもよくキキョウが働いていた酒場には出入りしていた。
女性――エーヴィ・ブラントは、キキョウを見て心配そうな表情をした。
「ナツメさん、大丈夫ですか? そんなに傷だらけになって……」
「……ブラント嬢、詳しく話を聞かせていただきたい」
厳しい表情で、キキョウはエーヴィを見据えた。