月の出ている夜空を、金髪紅眼に白いマントをはためかせた魔族が飛んでいた。
もちろん、カナリーである。
「……最近、この組み合わせが多いような気がする」
カナリーのマントのポケットに入っている『法皇』の札と化したシルバは、小さくなった幻影状態で彼女の右肩に乗っていた。
「後衛だからねぇ。その辺はしょうがないんじゃないかな?」
「にぅ」
仔猫状態となったリフは、カナリーの懐に潜り込み、顔だけを外に出している。
シルバは、眼下の峡谷を見下ろした。
空を飛んでいるので障害物はなく、目的の場所『ガトー』の在処までは一直線だ。
「それにしても、これなら目的地まで、あっという間かもしれないな」
「何なら、僕達だけで目的地に先行して、『ガトー』を手に入れるという手のもあるな」
うん、とカナリーが地図を眺めながら頷くと、シルバも同意した。
「悪くない。行こう」
「……冗談だったんだけど?」
「それが出来るのなら、一番効率的だろ。幸い、カナリーは一番カラクリ関係に強い訳だし、浮遊車が動くのかどうか、確認したい。欲を言えば、俺じゃなくて石板を持ってるシーラを連れてくるべきだったけど」
そういうシルバとカナリーの顔を挟んで反対側、左肩に乗ったちびネイトが首を振った。
「リーダーが同行するのは悪い事ではないだろう。さあ、カナリー君、もっと飛ばすんだ」
「僕は、馬車じゃないぞ」
「大丈夫だ。馬車は飛ばない」
「……何が大丈夫なんだか」
小さく溜め息をつきながら、それでもカナリーは速度を上げた。
そうしながらも、真下の道の確認は忘れない。
カナリーは飛べるが、テントに置いてきたキキョウやタイランは陸路を進むしかない。道が塞がれていないかの確認も、今のカナリーの仕事だった。
岩や川で道が塞がれているという事は今の所はないが、ところどころ断崖となっていて、危険な場所もあるようだ。
「せっかくの高度だけど、暗いのが残念だな」
人間であるシルバの目は、吸血鬼であるカナリーや剣牙虎の霊獣であるリフと違い、夜目が利かない。
「月と星明りで、充分だと思うよ。曇りでなくて良かった。さて、もっと飛ばそうか」
足下の道が一本道になっているのを確かめ、カナリーの飛行速度がさらに上がる。
「それはいいけど、落とすなよ。札状態だから多分大丈夫だとは思うけど、川に落下なんてしたら目も当てらねぇ」
「それは楽しそ……おや?」
不意に、空を飛ぶカナリーの身体がふらついた。
「お、おい、何か高度が下がってないか?」
シルバは、少し顔を引きつらせながら、カナリーに尋ねた。
速度も何だか落ちて来ているようだ。
「シルバ、一つ聞きたい事がある」
カナリーも焦っているのか、滑らかな頬に一筋の汗が流れていた。
「な、何だ」
「この辺りでは何故か、魔力が徐々に封じられてきているというか、このままだと墜落しそうなんだ。どうすればいいと思う」
「死んじゃう前に、さっさと着陸しろよ!?」
結局、道程の三分の二ほどで、シルバ達は地上に降りた。
「まあ、一筋縄ではいかないと思ってたけどね」
やれやれ、とカナリーは金髪を揺らしながら頭を振る。
そして、マントに入れていた札に魔力を込める。
「……まさか、ここから戻れないって事はないよな?」
元の大きさに戻ったシルバは、心配になった。
「いや、それはないと思う。少し離れれば、また飛べるようだ」
「……よし、安心した。つーかこりゃあれだ。魔法封じのフロアと一緒だな」
こういうギミックは墜落殿にもあったので、シルバも驚かない。
この辺りはまだ、完全には魔法は封じられていないのが、シルバには分かる。使いづらいというレベルだ。とはいえ、空を飛ぶような大きな魔力を必要とする術は、ここでももう難しいようだ。
このまま先に進めば、完全に封じられてしまうのは、シルバ以外も感覚で分かったらしい。
「ここからは、僕らが足手まといという訳か」
「にぅ……」
「だなー……と言いたいところだけど、そもそも何が使えないのかぐらい確認しとこう。うん、何も見えない」
精霊眼鏡を掛けながら、シルバは先に進む。
明るい星空と岩山の黒いシルエットの違いぐらいは、かろうじて分かるが、道と岩壁の区別もロクにつかなくなっていた。
「……そのまま進むと、崖に落ちるよシルバ」
「分かってるんなら、止めてくれよ!?」
慌てて、シルバは足を止めた。
「に! に!」
足下を見ると、仔猫状態のリフが、必死に足にしがみついていた。どうやら止めようとしてくれていたようだ。
「つーか精霊は見えるんだな」
シルバは意識のスイッチを入れ替え、土属性の精霊を見る。
そうすると、峡谷の輪郭が無数のボンヤリとした光線で、形を作り始めた。
「リフ、精霊砲は?」
「にぅ……」
小さく口を開けたリフだが、そこから光が漏れる事はなかった。
「駄目か」
シルバの代わりに、ネイトが言う。
「そのくせ、お前とは話せたりするんだよな」
「札は使えるか、シルバ。無理なんじゃないか?」
なるほど、ネイトの指摘通り、札も使えなくなっている。
試しに自分も絵柄の無くなった空の札に入ろうとしたが、それも出来なくなっていた。
霊穴はちゃんと見え、そこに針を刺してみたが、何も作用はしなかった。
「針も駄目。……ちっ、俺達はここらじゃ、回復役に専念する事になりそうだな……って、そうだ! それならカナリー、森で手に入れた長銃使う事になるんじゃないか?」
カナリーは雷撃魔術があるからと、ロクに銃を撃たなかったのをシルバは思いだした。
カナリーは微笑み、自分の金髪を掻き上げた。
「ふ、自慢じゃないが、僕はノーコンだ」
「本当に自慢じゃないな」
「に!」
リフが、小さい手を挙げる。
盗賊ギルドで弓の練習はしているのだ。
「こっちは頼りになりそ……う……だ……?」
視界の端で、何かが揺れるのに気付き、シルバは顔を上げた。
カナリーと肩の上のちびネイトの後ろに、透明な何かがいた。
いや、誰か、と呼ぶのが正確だろう。
眼鏡を掛け、大きな石板を抱えた学者風の幼女が、興味深そうにシルバ達を眺めていた。
足は宙に浮いている。
彼女はシルバと目が合うと、笑ったのだろう、猫のように眼を細め、そのまま消失した。
その間、一秒にも満たなかっただろう。
「にぅ?」
リフの鳴き声に、シルバはハッと我に返った。
「どうしたシルバ。幽霊でも見たような顔だよ?」
カナリーがキョトンとした顔で、シルバを見る。
「……ああ、近いかも知れない」
「何?」
「今、そこに女の子の幽霊が見えた」
シルバは、カナリーの背後を指差した。
「……いないよ?」
後ろを確かめたカナリーが言う。
そりゃそうだ、もういないのはシルバにだって分かる。
「すぐ消えたんだよ」
「……まあ、シルバがこういう場でその手のジョークを言うキャラじゃないとは、分かってるつもりだけど」
うむ、とネイトもカナリーの意見に同意した。
「女性を脅かし、きゃーと抱きつかせる定番の手ではある」
「そ、そんな狙いが」
カナリーはどうしたモノかと迷いながら、両腕を広げてシルバに抱きつく準備をする。
「ねーよ!? ここは冷静に分析しろよ!?」
「ど、どんな幽霊だったんだい?」
問われて、シルバは今見た幽霊(?)の容姿を思い出す。
「んんー、デカイ石板抱えてて、リフと同じぐらいの年齢だったかなぁ。髪の毛はこうボブヘアーで。あと、眼鏡」
それに加えて、服装がどこか古めかしかったような気も、思い返してみるとした。ボタンのない帯で止めるタイプの、いわゆるゆったりとした法衣に近いが……いや、あれはやはりイメージとしては学者か。
「美人か」
ネイトの問いに、シルバは頷く。
「可愛かったのは、認める」
「ならば、問題ない」
「何が」
「それはフラグという奴だ。いずれ、また再会する」
「おいおいおい!?」
「……シルバだし、ありえるね」
小さく溜め息をつき、カナリーも首肯する。
「そこで納得すんのかよ、お前も!?」
「に……」
シルバの足に、ポンとリフは右前足を乗せた。
「リフまで、諦めたような顔すんの!?」
一応気配は探ってみたが、カナリーやネイトの知覚を持ってしても、幽霊の姿を見出す事は出来なかった。
そちらは諦め、シルバ達は戻る事にした。
これ以上先は、後衛だけでは危険すぎると判断したのだ。
「一応『フォンダン』の方も確認しておくべきじゃないか? このまま真っ直ぐではなく、南下だろう?」
「……だな。魔力は大丈夫か?」
なるほど、ここから離れれば魔法は使えるのだ。
ネイトの提案を受け、シルバはカナリーを見た。
「飛ぶのは問題ないけど、上手く行く気がしないなぁ」
確かにここで足止めを食ったように、向こうでも同じような目に遭いそうな気が、シルバもする。
「まったく同感だけど、そっちに楽に行けるなら、チェックしとくべきだろ」
駄目で元々と、シルバ達は正体不明の『フォンダン』の在処に向かってみる事にした。
「……で?」
キキョウの問いに、テントに帰還したシルバは身体についた大量の砂を手で払った。
「駄目だった。砂嵐で全然先が進めやしない」
ちなみにカナリーとリフは、表の泉で身体を洗っている。
うんうん、とシルバの報告を聞き、ヒイロは納得したように頷いていた。
「ああ、つまり先輩が新たな出会いをしただけなんだ」
「だーかーらー、そこに注目するんじゃねーっ!!」
「それはともかくシルバ殿。こちらでもちょっと、変事があったのだ」
「うん? 男の子の幽霊が出たとかか?」
「いやいや、シルバ殿ではあるまいし」
「…………」
地味に傷ついたシルバである。
「トラブルと言うほどではないのだが……」
そう前置きして、キキョウは話し始めた。
※という訳で次回、シルバ達が留守の間にキキョウ達にあったイベント。