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No.11810の一覧
[0] ミルク多めのブラックコーヒー(似非中世ファンタジー・ハーレム系)[かおらて](2009/11/21 06:17)
[1] 初心者訓練場の戦い1[かおらて](2009/10/16 08:45)
[2] 初心者訓練場の戦い2[かおらて](2009/10/28 01:07)
[3] 初心者訓練場の戦い3(完結)[かおらて](2009/11/19 02:30)
[4] 魔法使いカナリー見参1[かおらて](2009/09/29 05:55)
[5] 魔法使いカナリー見参2[かおらて](2009/11/14 04:34)
[6] 魔法使いカナリー見参3[かおらて](2009/10/27 00:58)
[7] 魔法使いカナリー見参4(完結)[かおらて](2009/10/16 08:47)
[8] とあるパーティーの憂鬱[かおらて](2009/11/21 06:33)
[9] 学習院の白い先生[かおらて](2009/12/06 02:00)
[10] 精霊事件1[かおらて](2009/11/05 09:25)
[11] 精霊事件2[かおらて](2009/11/05 09:26)
[12] 精霊事件3(完結)[かおらて](2010/04/08 20:47)
[13] セルビィ多元領域[かおらて](2009/11/21 06:34)
[14] メンバー強化[かおらて](2010/01/09 12:37)
[15] カナリーの問題[かおらて](2009/11/21 06:31)
[16] 共食いの第三層[かおらて](2009/11/25 05:21)
[17] リタイヤPT救出行[かおらて](2010/01/10 21:02)
[18] ノワ達を追え![かおらて](2010/01/10 21:03)
[19] ご飯を食べに行こう1[かおらて](2010/01/10 21:08)
[20] ご飯を食べに行こう2[かおらて](2010/01/10 21:11)
[21] ご飯を食べに行こう3[かおらて](2010/05/20 12:08)
[22] 神様は修行中[かおらて](2010/01/10 21:04)
[23] 守護神達の休み時間[かおらて](2010/01/10 21:05)
[24] 洞窟温泉探索行[かおらて](2010/01/10 21:05)
[25] 魔術師バサンズの試練[かおらて](2010/09/24 21:50)
[26] VSノワ戦 1[かおらて](2010/05/25 16:36)
[27] VSノワ戦 2[かおらて](2010/05/25 16:20)
[28] VSノワ戦 3[かおらて](2010/05/25 16:26)
[29] カーヴ・ハマーと第六層探索[かおらて](2010/05/25 01:21)
[30] シルバの封印と今後の話[かおらて](2010/05/25 01:22)
[31] 長い旅の始まり[かおらて](2010/05/25 01:24)
[32] 野菜の村の冒険[かおらて](2010/05/25 01:25)
[33] 札(カード)のある生活[かおらて](2010/05/28 08:00)
[34] スターレイのとある館にて[かおらて](2010/08/26 20:55)
[35] ロメロとアリエッタ[かおらて](2010/09/20 14:10)
[36] 七女の力[かおらて](2010/07/28 23:53)
[37] 薬草の採取[かおらて](2010/07/30 19:45)
[38] 魔弾の射手[かおらて](2010/08/01 01:20)
[39] ウェスレフト峡谷[かおらて](2010/08/03 12:34)
[40] 夜間飛行[かおらて](2010/08/06 02:05)
[41] 闇の中の会話[かおらて](2010/08/06 01:56)
[42] 洞窟1[かおらて](2010/08/07 16:37)
[43] 洞窟2[かおらて](2010/08/10 15:56)
[44] 洞窟3[かおらて](2010/08/26 21:11)
[86] 洞窟4[かおらて](2010/08/26 21:12)
[87] 洞窟5[かおらて](2010/08/26 21:12)
[88] 洞窟6[かおらて](2010/08/26 21:13)
[89] 洞窟7[かおらて](2010/08/26 21:14)
[90] ふりだしに戻る[かおらて](2010/08/26 21:14)
[91] 川辺のたき火[かおらて](2010/09/07 23:42)
[92] タイランと助っ人[かおらて](2010/08/26 21:15)
[93] 螺旋獣[かおらて](2010/08/26 21:17)
[94] 水上を駆け抜ける者[かおらて](2010/08/27 07:42)
[95] 空の上から[かおらて](2010/08/28 05:07)
[96] 堅牢なる鉄巨人[かおらて](2010/08/31 17:31)
[97] 子虎と鬼の反撃準備[かおらて](2010/08/31 17:30)
[98] 空と水の中[かおらて](2010/09/01 20:33)
[99] 墜ちる怪鳥[かおらて](2010/09/02 22:26)
[100] 崩れる巨人、暗躍する享楽者達(上)[かおらて](2010/09/07 23:40)
[101] 崩れる巨人、暗躍する享楽者達(下)[かおらて](2010/09/07 23:28)
[102] 暴食の戦い[かおらて](2010/09/12 02:12)
[103] 練気炉[かおらて](2010/09/12 02:13)
[104] 浮遊車[かおらて](2010/09/16 06:55)
[105] 気配のない男[かおらて](2010/09/16 06:56)
[106] 研究者現る[かおらて](2010/09/17 18:34)
[107] 甦る重き戦士[かおらて](2010/09/18 11:35)
[108] 謎の魔女(?)[かおらて](2010/09/20 19:15)
[242] 死なない女[かおらて](2010/09/22 22:05)
[243] 拓かれる道[かおらて](2010/09/22 22:06)
[244] 砂漠の宮殿フォンダン[かおらて](2010/09/24 21:49)
[245] 施設の理由[かおらて](2010/09/28 18:11)
[246] ラグドールへの尋問[かおらて](2010/10/01 01:42)
[248] 討伐軍の秘密[かおらて](2010/10/01 14:35)
[249] 大浴場の雑談[かおらて](2010/10/02 19:06)
[250] ゾディアックス[かおらて](2010/10/06 13:42)
[251] 初心者訓練場の怪鳥[かおらて](2010/10/06 13:43)
[252] アーミゼストへの帰還[かおらて](2010/10/08 04:12)
[254] 鍼灸院にて[かおらて](2010/10/10 01:41)
[255] 三匹の蝙蝠と、一匹の蛸[かおらて](2010/10/14 09:13)
[256] 2人はクロップ[かおらて](2010/10/14 10:38)
[257] ルシタルノ邸の留守番[かおらて](2010/10/15 03:31)
[258] 再集合[かおらて](2010/10/19 14:15)
[259] 異物[かおらて](2010/10/20 14:12)
[260] 出発進行[かおらて](2010/10/21 16:10)
[261] 中枢[かおらて](2010/10/26 20:41)
[262] 不審者の動き[かおらて](2010/11/01 07:34)
[263] 逆転の提案[かおらて](2010/11/04 00:56)
[264] 太陽に背を背けて[かおらて](2010/11/05 07:51)
[265] 尋問開始[かおらて](2010/11/09 08:15)
[266] 彼女に足りないモノ[かおらて](2010/11/11 02:36)
[267] チシャ解放[かおらて](2010/11/30 02:39)
[268] パーティーの秘密に関して[かおらて](2010/11/30 02:39)
[269] 滋養強壮[かおらて](2010/12/01 22:45)
[270] (番外編)シルバ達の平和な日常[かおらて](2010/09/22 22:11)
[271] (番外編)補給部隊がいく[かおらて](2010/09/22 22:11)
[272] (番外編)ストア先生の世界講義[かおらて](2010/09/22 22:14)
[273] (番外編)鬼が来たりて [かおらて](2010/10/01 14:34)
[274] (場外乱闘編)六田柴と名無しの手紙[かおらて](2010/09/22 22:17)
[275] キャラクター紹介(超簡易・ネタバレ有) 101020更新[かおらて](2010/10/20 14:16)
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[11810] ロメロとアリエッタ
Name: かおらて◆6028f421 ID:82b0c033 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/09/20 14:10
「どうせあと一時間もすれば、村に着くんだけどなぁ」
 と、シルバがボヤいたのは、ちょうど山と山の間にあった木々に囲まれた、川の流れる岩場での休憩時の事だった。
 もっとも、この先で、もう一山越えるので、馬達の体力も蓄える必要があるのは、シルバだって分かってはいるのだ。
 ただ、件の山を越えれば酒場で飯が食えるのに、ここで昼食を取る事になるのも何だかなぁ、と思わないでもない。
「まあ、よいではないか、シルバ殿。特に不足はしておらぬが、路銀も浮くことであるし」
「言われてみりゃ、キキョウの言う通りだな。んじゃあま、飯の支度を」
 と振り返るシルバとキキョウの脇を、人間の変装を解いた下着姿のヒイロが通り抜けていく。
「きゃっほーっ!」
「ってお前は何してる!?」
 振り返って突っ込んだ時にはもう、川に水柱が出来ていた。
 どうやら目の前の川は、割と深い場所もあるようだ。
「……もう遅い、シルバ殿」
 ポン、とシルバの肩に手を置く、諦めたような口調のキキョウであった。
 ちなみに、いくら気温が温かいとは言え、一応泳ぐ季節はとうにすぎている。
「お、追いかけるべきでしょうか……?」
 遠慮がちに鉄の手を軽く挙げながら、タイランが申し出た。
「……いや、お前沈むだろ」
「で、でもカナリーさんが言うには、防水はされているそうですよ?」
「マジか?」
 シルバはまだ馬車の中でのんびりと父親の手帳に目を通している、カナリーに振り向いた。
 くい、と持ち上げたカナリーの眼鏡が陽光を反射する。
「マジです。足裏にスクリューも付いてますから、潜行活動も可能です」
 人間に変装しているせいか、いつの間にか秘書っぽい口調に戻っているカナリーであった。
「……お前は、タイランをどういう方向に持って行きたいのか、時々分からなくなるぞ」
 その内、空も飛べるようになるんじゃないかと、シルバは心配になる。
「とまれ、ここは一つ朝にもらった魚以外に、新鮮なモノを手に入れるのも悪くはないと、某は思う」
 言いながら、キキョウは釣り竿をしならせた。
「ってお前、その竿どこで用意してたんだ!?」
「ふふふ、このような事もあろうかと都市を発つ時点で用意はしていたのだ。こう見えても某、川釣りはそれなりの得意なのだぞ、シルバ殿」
 ヒイロが釣れなきゃいいけど、とシルバは思わず考えてしまう。
 そんなキキョウを、リフは不思議そうに見上げていた。
「に……しっぽ、使わないの?」
「む?」
「こうやってると、釣れる」
 リフは、尻尾を川に垂らす真似をした。
 ……モース霊山式漁業か、と内心シルバは突っ込む。
「ぬ、リフ、そのやり方は危険だと、かつて兄弟から聞いた事があるぞ! 凍った時に、尻尾が取れてしまうのだ!」
「……いや、この程度の気温じゃ、それはないだろ。ってキキョウ、お前兄弟いたっけ?」
「む、話してなかったか。一応、兄と弟が一人ずついる。もっとも今はどうしているか知らぬが」
「……ま、戻りにくいのはよく分かる。どういう兄弟だったんだ?」
「兄はいい意味でも悪い意味でも真面目であった。弟の方はとにかく泣き虫であったな。どちらも釣りは上手かった」
 懐かしむように、キキョウは言う。
 兄妹揃って釣りに行くぐらいだから、仲は悪くなかったんだろうな、とシルバは推測した。
 その肩に、ひょいと現れたのはネイトだ。
「ふむ、私も肉体があれば、魚ぐらい捕れるのだが」
「その身体じゃ、無理だわな」
「そして私は釣り自体、した事がありません」
 馬車の中で、カナリーが軽く手を挙げる。
「一度も?」
「一度も」
 真顔で答えるカナリーだった。
 もっとも、シルバのイメージでもあまりカナリーと釣りは結びつかない。貴族の趣味ならむしろ、狩猟の方がまだピンと来るような気もする。
 一方川の方では、何かポンポンと水中から魚が飛び出ては、岩場の方に揚げられているのを、いつの間にか縁まできていたリフが回収していた。
 どうやらヒイロが川の底の魚を、手で捕まえては投げているようだった。
「シルバ殿の釣りの腕は如何ほどなのだ?」
 キキョウの問いかけに、シルバは自分の釣り経験を思い出してみる。
 ここ最近はめっきり減ったが、子供の頃は生活の一部だった記憶がある。
「ま、人並みって所だな。ウチの村は基本自給自足だったから、普通にやってたし」
「ほう……」
「たまに、上流から流れてくる人間が釣れる事もある」
「……本気か冗句かよく分からぬよ、シルバ殿」
 困ったような顔をするキキョウに、ネイトがシルバを援護するように言う。
「人間ではないが、魚追いかけてた鬼族の子供が釣れる事はよくあったな、シルバ」
「あー、あったあった。どんだけ無茶してんだよみたいなのが。毎回、兄弟が降りてきて、お礼の肉と一緒に謝られるんだよ。っておーい、ヒイロ。んな魚追いかけるような捕り方してると下流に流されるぞぅ」
「はー……っとっとっと」
 本気で流されそうになっていたヒイロを、川の底から二本の鉄の腕が伸びて支えた。
 どうやらタイランが助けたらしい。
「危なっかしいねぇ。……ま、この川なら浅い所で手づかみでもいけそうか」
 川の縁にいるリフの様子を見る限り、足首や膝の高さの水位の場所も多いようだ。
 シルバも靴を脱ぎ、浅瀬に踏み込む。
 ヒンヤリと冷たいが、身震いするほどではない。
 腰を屈め、ジッと動き回る魚達の動きを確認する。
「……ヒイロと言いシルバ殿と言い、森林領の人間は素手が基本なのか」
「そういう訳でもないんだけどな。川に棲む魚人族とかの種族もいて、そいつらから魚獲りのコツとかも教わったりするんだ。よし、捕れた。とりあえず一匹捌いて、その骨で針を作る。竿はまあ、その辺の枝でよしだし」
 あっさりと一匹、ピチピチと跳ねる魚を掴んだシルバは、それをリフに投げた。
「糸と餌はどうするのだ?」
「糸はリフがトラップ用のワイヤー持ってるから借りるとして、餌は岩の下に適当にいるだろ。待てシーラ。その捕り方は反則だから」
 手から低く重い音を鳴らしながら川に近付くシーラを、シルバは急いで押しとどめた。
 何をするつもりだったのかは、シルバも分かる。
 川に衝撃波を叩き込み、気絶した魚を一網打尽にするつもりだったのだろう。
「一番手っ取り早い」
「うん、同時にヒイロとタイランにもダメージ行くからな」
「そうだった」
 諦めてくれたようだ。
 さて、とシルバは考えた。
 食材自体は実は結構豊富にあるのだ。
 故に、食べるという事だけで考えれば、ほとんど釣る必要はなく、人手は足りていると言ってもいい。
「えーと……まあ、全員で釣りするより、その間に何人かは炊き出しとかの準備もした方がよさそうだな」
 そう考え、シルバは二本作った釣り竿を、カナリーとシーラに渡した。
「はい?」
「…………」
「やった事のない人は、やってみる方向で。レクチャーはキキョウに任せる」
「ぬ、しょ、承知した」
 とりあえず、薪でも取ってくるかな、とシルバは森を見た。
 すると、ヒイロが勢いよく川から上がってきた。後ろから、タイランもついてくる。
「バーベキューならボクも得意だからするするー!」
「とりあえず身体拭いてからな」
「らじゃ!」
「ふむ、となると――」
 ちびネイトがタイランと、馬車に駆けていくヒイロを交互に見やる。
「んじゃまあ、この四人で行きますかね」
「は、はい」
 そういう事になった。


「きのこーゲットー! 山菜ーゲットー!」
 森の中に入ったヒイロは、次から次へと新たな食材を入手していた。もちろん、ちゃんと服は着ている。
 一応、薪になる枝を拾うのが本来の目的なのだが、まあタイランと二人で充分かと思うシルバだった。
「……山で遭難しても、お前は一人無事、生き残れそうだな」
「大丈夫! みんなの分もちゃんとあるよ!」
「そういう意味じゃないんだが……ま、いいや。付け合わせまで手に入るとはね。タイラン、こんなモンでいいんじゃないか?」
 シルバは両手に枝を抱え、タイランを見た。
「あ、は、はい。そうですね」
 大型な甲冑であるタイランは、シルバと比べモノにならないほどの量の木の枝を抱えていた。
「んじゃま、戻るか」
「先輩ストップ」
「ん?」
 ヒイロの言葉に、シルバは素直に従った。
「うん、タイランも止まった方がいいな」
 シルバの肩の上に乗ったちびネイトも、似たような事を言う。
「え?」
「……どっちだろ……」
 ヒイロの台詞に、シルバは緊張した。
 敵かは分からないが、何かが潜んでいるらしい。
 現状、武器を持っている者はおらず、ヒイロも防具は着けていない。
 そういえば、ダンディリオンから、司祭長がこちらの方角へモンスター討伐に向かっているという話を聞いていた。
 それを耳にしていながら、装備を忘れるなんて、油断にも程がある。
 顔をしかめながら、シルバは腰を落として、石を拾った。
 とその時、強烈な視線を感じた。シルバのすぐ傍の茂みが、激しく音を立てて揺れる。
「こっちぃっ!」
 飛び出してきた何者かは、ヒイロの跳び蹴りを見事、顎に食らった。
「がっ!?」
 木の棒を落とし、そのまま地面に倒れ込む。
「……仕留めたりっ!」
「見事にカウンターが決まりましたね……」
「死んでなければいいのだが」
 襲ってきた相手は……どうやら人間だったようだ。
 しかも、追い剥ぎにしては着ているモノが不自然だった。
「ん? この服、ゴドー聖教の見習用だ。同業者か?」
「そのようだ。完全に気絶しているようだな」
 ネイトの言う通り、相手は見事に目を回していた。
 少年と言ってもいいだろう、年齢は十代後半といったところか。
 短く刈り込んだ赤髪に、薄汚れた修業服。
 それにしても、どうして自分が襲われたのだろう。
「ヒイロを狙ったんでしょうか」
「ん? ボクじゃなかったよ? 襲いかかられたのは、先輩」
「だったよなぁ。そういやあれだ。スターレイの街で、モンスターがどうとか言ってたし、それと間違われたのかもな」
 いや、それもないか、とシルバは思う。
 この中でモンスターと間違われるとしたら、変装を解いて角も隠していないヒイロか、巨大な甲冑姿のタイランの方がまだ、納得がいく。
 少なくとも、司祭の服を羽織っている自分をモンスターと見られる可能性よりは高いと思う。
「ふーむ、私ならともかく、シルバをモンスターと間違えるとは失礼な話だな。よし、ここは放って戻ろうか」
「いやいや! 事情も聞きたいし、そういう訳にもいかないだろ! ……つーか、こういう時こそ{覚醒/ウェイカ}が使えればなぁ」
 祝福魔術を封じられた事が、つくづく痛いと感じるシルバだった。
「なら、私が何とかしよう。一応、心術で何とかなると思う」
「って、ストップネイトさん。また誰か来る……それも複数」
 シルバ達の間に、再び緊張が走る。
 なるほど、周囲の木々がさざめいている。
「新手か」
 それも、四方から聞こえてくるという事は。
「も、もしかして、囲まれました……?」
「うん」
 平然と答えるヒイロの手には、少年が持っていた木の棒が握られていた。しかし、いつものヒイロの武器に比べて、それはいかにも貧弱だ。
「骨剣があればなぁ……」
「うん。でもないのはしょうがないよ。先輩、札は?」
「影世界への収納の都合上『太陽』状態で、カナリーに預けてある。という訳でタイラン、がんば」
 シルバは、ポンとタイランの腰部を叩いた。
「わ、私ですか!?」
「ヒイロは防具身に着けてないし、装備面で言えば武器持っていない事を除けば、タイランが一番の戦力なんだよ」
「じゃ、じゃあ、私が殿になって、皆さんは馬車まで戻る方向でしょうか」
「それが妥当だろうな」
「敵の数は七人。しかも全員、人間」
 小さく、ネイトが呟く。
「なら、話し合う余地はありそうだな」
 だが、シルバが声を掛けるより早く、相手の方が動いた。
「くたばれ、モンスター!」
 助祭の服を着た男が、ヒイロに躍りかかる。
 その手には、戦棍が握られていた。
「って今度はボク!?」
 シルバは手に持っていた石を、男の顔目がけて投げつけた。
「何者だ!」
 首の動きだけでかろうじて石を回避した男が、シルバの姿に驚愕する。
「っ……味方!?」
 その様子から、さっきの少年とは違い、相手は今までシルバの存在に気付かなかったようだ。
 その顔面に、ヒイロの回し蹴りが綺麗に入った。
「あ」
 助祭服の男は白目を剥き、鼻血を出して倒れた。
「やっちゃった。ごめん、先輩」
「気にするな。襲ってきたのは向こうが先だ。タイランももうよさそうだぞ」
「は、はい」
 周りの茂みがざわめき、一人、また一人と武装した聖職者達が姿を現わす。
 青年から中年の年頃で、皆、どこか野暮ったい雰囲気を纏っている。
 一様に戸惑った様子だったが、もう襲ってくる様子はなさそうだ。
「地面に落ちてたただの石も結構助けにゃなるもんだ。眼鏡と篭手の補正なくても、命中率にはそこそこ自信あったし」
「ナイスアシスト♪」
「俺はそれが仕事」
 シルバはヒイロと手を打ち合わせた。
 そして、自分達を襲った連中はと言えば。
「おい、モンスターだって言ったじゃないか!」
「いやだって、俺から見えたそっちのガキには、実際角が――」
「とにかく村長の息子を確保してだな!」
 何だか揉めていた。
「で、何なのコレ?」
 そう聞かれても、シルバも困る。
「何だろな。放っておいて、戻りたい気分なんだけど」
 本気でもう、知らんぷりしてキキョウ達と合流しようかなと思っていたら、森の奥から怒声が響いてきた。
「どうした! 見つけたのではないのか!?」
「そ、それが司祭長」
 現れたのは、何というか、全体的に小太りで四角い印象を受ける、眼鏡を掛けた壮年の男だった。
 身体も大柄だが、態度も大きそうだ。
 男は怪訝そうな顔をヒイロに向けると、彼女を指差した。
「ん? 鬼がいるじゃないか。何をやっている。早く倒しなさいよ」
「し、しかし……あちらに、司祭様が」
「んん?」
 そこでようやく、シルバに気がついたようだ。
 この場合は、気付かなかったのは無理もないかな、とシルバは考える。
 どうやら、周りの聖職者達の中に、自分も埋もれていたようだ。襲われる前の連中の行動は論外だが。
「……ウチの仲間に、何か用ですか?」
「仲間? モンスターが?」
 男は怪訝そうな表情を、シルバに向けた。
「何だ、子供じゃないか。君、名前は何と言うんだ? 責任者はどこにいるのかね?」
 シルバはムッとした。
 名前を尋ねるならまず、自分から名乗るべきだろうと言い返してやろうかと思ったが、子供っぽいのでやめた。
「アーミゼスト管区の司祭シルバ・ロックール。司教、ストア・カプリスに師事しています。この二人の責任者は私自身で、こちらは問答無用で襲われたんですよ。ヒイロはモンスターじゃありません。鬼族が仲間で、何か問題でもあるんでしょうか。昨日泊まったスターレイの街の司祭長さんですよね?」
 当てずっぽうで言ってみたが、効果は覿面だったようだ。
「ほう! これは失礼した。私の名前はサイレン。部下の者達が失礼をしたね」
 司祭長、サイレンは途端に人懐っこそうな笑みを浮かべて、握手を求めてきた。
「もちろん、君に非はないよ。部下の者達が失礼した。みんな何をしている。早く、彼らに詫びんか!」
 サイレンに怒鳴りつけられ、部下達は慌てて頭を下げた。
 努力をして作り笑いをしながら、シルバはサイレンの手を握った。


「う、うわ、うわわ、近づけるな……!」
 竿を握ったまま、秘書風魔術師姿のカナリーはどんどんと後ずさる。
 それに対し、キキョウはやれやれと首を振りながら、彼女に迫った。手に持っているのは地面を掘って手に入れた、釣り用の餌のミミズである。
「心配せずとも、噛んだりせぬ。第一、これの数百倍はある同種のモンスターを相手にする事も珍しくないであろうに、何故、たかがミミズ程度で腰を引く」
「あ、あれはモンスターだ! これはそうじゃない!」
「そんな理由は要らぬ。そら、シーラは既に餌を付け終え、初釣りを始めようとしているぞ」
 シーラに、ミミズに対する嫌悪感はないらしく、川の縁でリフから釣りのレクチャーを受けている所だった。
「ううう~~~~~」
 だが、カナリーがキキョウに近付く気配はない。
 無理矢理押しつけてもいいが、遊びでそこまで追い詰めるのもよろしくないと、キキョウは思う。
 溜め息をつきながら、キキョウは近くにあった岩をひっくり返した。
「仕方がない。もう一つの餌を用意しよう」
「そ、そんなのがあるなら、先に出してくれ!」
 とりあえずキキョウは、岩の裏や地面に潜んでいた虫を適当に捕まえた。
「で、どの虫がいい?」
「わーーーーーっ!!」
 カナリーは逃げ出した。


 そんなやり取りを、リフとシーラは距離を置いて眺めていた。
「に……騒々しい」
「そう」


 それから数分して、ようやくカナリーの釣り竿に餌が取り付けられた。
 というか、キキョウが付けた。
「……やれやれ、餌一つでこんなに大騒ぎとは」
「き、君達が大雑把すぎるんだ!」
「言葉遣いも忘れるほど、狼狽える事もないだろうに……まあよい。餌を付けるのは某がするので、カナリーは心ゆくまで釣りを楽しむがよいよ」
 ぐぬぬ、とカナリーは悔しそうな顔をしていた。
「……と、都市に帰ったら、疑似餌を作ってやる。本物でさえなければ、怖くないんだから」
「うむ、楽しみにしているぞ」
「に……シーラも」
「分かった」
 そして、初心者二人の釣り針が、川に投げ込まれる事になった。
 小さく水音を立て、水面に糸が立つ。
「……このまま、待っていればいいんだね?」
 身体をカチンコチンに硬直させた状態で、カナリーが言う。
「ま、脈がなければ場所を変えるべきであろうが、始まったばかりであるし、しばらく待てばよい。……というか、そんなに身構える必要はどこにもないのであるが」
「にぅ……つかれる」
 キキョウの言葉に、リフが同意する。
「待つのは得意」
「シーラも、完全に微動だにしないでいる必要もないのだぞ!?」
 石像のように動かないシーラである。
「静かに」
「む、それはもっともだ」
 自分達も始めるか、とキキョウはリフと顔を見合わせた。
 だが、モノの一分もしない内に、カナリーの釣り糸が揺れ始めた。
「おっ」
 竿の手応えに、カナリーが思わず声を上げる。
「来たか」
「うん、来た」
 嬉しそうな顔で、カナリーがキキョウに頷く。
 一方シーラの釣り竿もしなり始めていた。
「こっちも来た」
「に! 何かおおきい」
 カナリーもシーラも、釣り竿が大きなアーチを描いていた。
「ほう、これはいわゆるビギナーズラックであるな。踏ん張るのだ、カナリー!」
「わ、分かってるけど、下手に力入れると、竿が折れる……!」
 なるほど、実際、釣り竿は既に軋みを上げ始めていた。
 しかし、ここで逃がすのも勿体ない、とキキョウは活を入れる。
「気合いだ!」
「に!」
 キキョウとリフの声援に、釣っている二人は決意を固めたようだ。
「く、うう……い、行くよ、このまま……釣り上げる!」
「こっちも」
 グッと力を込め、カナリーとシーラが同時に釣り竿を持ち上げる。
 恐ろしく大物の気配を感じていたキキョウだったが、予感は的中。
 徐々に浮かび上がってきた魚影は、人間ぐらいの大きさがあった。なるほど、どうやらカナリーらは一匹を二人で釣り上げているようだ。
「おお……っ!?」
「これで……っ、どうだ!!」
「っ!!」
 ザバリと大きな音を立て、二人の獲物が浮かび上がった。
 頭部には、水の滴る青紫がかったショートヘアがワカメのように生え、胴体には村娘の衣服、尻尾がない代わりに靴を履いていた。
 というか、魚じゃない。
「って……人!?」
「に、人」
 とにかく四人は慌てて、その女性を岸に寝かせた。


 上流のどこかで転落し、川に落ちたのだろうか。
 年齢は十代半ばか、いやそれよりももっと若いかも知れないが、ずいぶんと愛らしい顔立ちだった。
 しかし、小柄な割にはずいぶんとでている所は出ているというか、思わずキキョウは自分の少し残念な胸に手をやった。
 いや、それどころではない。
「し、死んでいるのだろうか?」
「にぅ、指先うごいた。しんでない」
 不思議な事に、川底に沈んだまま流されたにしては、こうして陸に上がってみたら、人工呼吸の必要もなく、微かに呼吸も再開していた。
 リフによると水も飲んでいないようで、ようするに単なる気絶状態であるという事らしい。
 思わずキキョウは、首筋を確かめてしまう。もしや、人魚の類ではないだろうかと、思わず疑ってしまったのだ。
 ともあれ、眠ったように気絶している少女から、カナリーは視線を外した。
「……これは、シルバに知らせた方がいい、よね?」
「うむ……む!?」
「に!」
 耳をピクリと反応させたキキョウとリフが立ち上がり、森を見る。
「どうしたんだい、二人とも」
「何やら森の方で、荒事が起きているようだ」
「シルバとヒイロが喧嘩!?」
「それは主が死ぬ」
 カナリーの仰天に、シーラが冷静に突っ込んだ。
「まさか、タイランが」
 どちらと喧嘩しているのだろう、と悩み始めるカナリーに、キキョウは違う違うと手を振ってみせた。
「そうではなくて、シルバ殿達が、何者かに襲われたようだ。こうしてはおれぬ。カナリーとシーラ、その女性の看病を頼む。ここは、音と臭いを辿れる某達が行く!」
 駆け出すキキョウとリフ。
 その頭に、何者かの念波が飛んできた。
『その必要はないな』
「ネイトか」
『ああ。というより、来ない方がいいんだ。今必死に相手を牽制している最中なんで、念のため馬車を移動させてくれると助かる』
 キキョウは、二頭のバイコーンの御者席で待機している、ヴァーミィとセルシアを見た。
 何か、問題があるのだろうか。
「よく分からぬが……シルバ殿達は無事なのだな?」
『うん、無事だ。不幸な行き違いというか、いわゆる誤解だな。戻ってシルバが説明するので、それまではそちらで待機を頼む』
「承知」
 援軍は、中止になった。
 となると、ここはネイトの注文と、気絶している女性の世話が優先される。
 それにしても、とキキョウは短く息を吐いた。
「やれやれ……シルバ殿はまた、何やらトラブルに巻き込まれたようだな」
「……いや、今回に関しては、僕らも人の事を言えないって言うか」
 キキョウは、カナリーが指差す少女を見下ろした。
「う、うむ……確かに」


「彼から何か話を聞いたかね」
 サイレン司祭長は、赤毛の少年に首をしゃくった。
 おや、とシルバは同じように倒れている助祭の男を見たが、疑問を口にするのはやめておいた。
「話も何も、いきなり襲いかかられたんですって。気絶させてしまったのは申し訳ないですけど、やらなきゃやられる状況でしたから。こちらも何が何だか」
「そうか」
 どこかホッとしたように、サイレンは息をついた。
 そこで、今度はシルバが聞いてみる事にした。
「村長の息子というのは? 何か、確保とか言ってましたけど」
「ん? ……いや、この辺りで遭難したようでね。モンスターも出没すると言う事で急いで保護しようと、我々で探しているのだよ。誰か見かけなかったかね」
 確保と保護は微妙に違うようなぁ……と、シルバは内心首を傾げる。
 周りの、助祭達も不安そうに顔を見合わせ、サイレン司祭長の背中を見守っていた。
「息子……いや、見ませんでしたね。何歳ぐらいですか?」
「うん、君と同じぐらいの年頃だろう」
「やはり、知りませんね。ついさっき、この辺りに着いたものですから。あと、モンスターというのは、どんな相手なんでしょうか?」
「危険なモンスターだが、君は知らなくていい。これは私達の仕事だからだ。さ、ここは本当に危ないんだ。もう早く帰りなさい。……いや待て、君、どこを目指しているのかね?」
「この先にある峡谷ですけど? 私は冒険者、やってるんですよ」
 シルバは、自分達が目指す方向を指差した。
「ふむ……これは大人からの忠告だが」
 サイレン司祭長は一度深く頷くと、難しい顔でシルバを見下ろした。
「そんな仕事はよくないと思う。山師と変わらない、ヤクザな商売じゃないか。よく若い内は冒険しろなんて言うが、もっと安全でまともな職に就くべきだ。出来る事なら、ここからすぐ都市の方に引き返す事をお勧めする。……ああ、誤解されては困るが、これは親切で言っているんだ。分かるね?」
 分かる、とシルバは心の中で返事をした。
 シルバの頭に浮かんだのは、「小さな親切大きなお世話」であった。
 もっとも、それを口に出すほど、シルバは無神経ではない。
「……忠告、どうもありがとうございます。けど、こっちも目的がありますんで。この先にある村に寄ってから、峡谷を目指そうと思います」
「そうか……村に」
 サイレン司祭長は、チラッと村の方角を見、それからシルバに向き直った。
「ならば、君達のような子供だけでは危ないな。何人か、護衛をつけよう」
「あ、いや、それはいいです。ウチの二人も、結構腕いいんですよ」
「……その二ひ……二人が?」
 胡散臭そうに、サイレン司祭長はヒイロとタイランを見る。
「そちらの二人を倒したのは、この子です」
「どーも」
 シルバが親指で指し示すと、珍しくぶすっとした表情になったヒイロが、小さく手を挙げた。もちろん、その表情が向けられているのは、司祭長の方だ。
 ふん、とサイレン司祭長も不愉快を隠そうともしない。
「そんな小さな子供にやられるとは、どうにもウチの者はだらしがないな。もっと鍛える必要があるようだ」
 怒るなよーとシルバはヒイロを見たが、幸い自重してくれているようだ。
 これはまずいな、と考え、シルバは早々に切り上げる事にした。
「という訳でお構いなく」
「そうか……」
 サイレン司祭長は左右を視線で見回し、ポンと手を打った。
「そういえば怪我人がいたな」
 その発言に、部下の助祭達が戸惑ったように目を瞬かせる。
「え? 今の所は特に……」
 だが司祭長は構わず、気絶した赤毛の少年に肩を貸していた、部下の一人を指差した。
「君だ。確か捻挫をしたとか言っていたはずだ。{回復/ヒルタン}で治してあげよう。もっともこれはあくまで応急処置だ。大事を取って村の医師に診せてあげたい。一足先に肩に担いでいる彼と一緒に、村に戻ってくれ」
「へ、へい」
 ポン、と空いている方の肩を司祭長に叩かれ、部下の男は首を傾げながらも頷いた。
 司祭長が指示を与えている合間を縫って、タイランがシルバに耳打ちする。
「……あの、シルバさん。捻挫って、{回復/ヒルタン}で治りましたっけ?」
「しっ」
 どうにも胡散臭い司祭長だと感じているのは、どうやらシルバだけではないようだ。
 だが、手からはちゃんと回復の青白い光が淡く輝いているし、少なくとも身分を偽っているとか、そういう事はないらしい。
 ただ、亜人に対していい印象を持っていない事は、よく分かった。
 キキョウ達との合流についてこられても困る。
「えーと、私達はそろそろ失礼させてもらいます」
「そうか。どうしても行くというのならしょうがない。おい、誰か食料と水を持っていただろう。施してあげなさい」
「いや、そこまでしてくれなくても」
 手を振ってシルバが断るが、サイレンは食べ物の入った袋と水筒を押しつけてきた。
「いいから持って行きなさい。それから、君の上の人にも、サイレンがくれぐれもよろしく言っていたと伝えておいてくれたまえ」
「はぁ」
 強引に握手され、シルバはそう答えるしかなかった。


 ともあれ、三人はサイレン司祭長達と別れ、山菜や薪を抱えて川に戻る事にした。
 さりげなくネイトが後ろを確認するが、尾行の気配はない。
 後ろを歩くヒイロが、シルバの裾を引っ張った。
「ねーねー先輩先輩、モンスターの事聞かなくてよかったの?」
「ありゃ、駄目。言わない。言わせる事は出来るけど、時間が掛かる。それより、みんなと合流した方が安全だ。……第一、これ以上話してたら、俺の胃に穴が空く」
「そうですね……ちょっと、私も……」
 腹を押さえて顔をしかめるシルバに、前を歩くタイランも遠慮がちに頷いた。
「ま、何より話を打ち切りたかったのは、深入りすると、ウチの仲間の事まで詮索されかねないからだよ。ヒイロとタイランを見ただけであの態度じゃ、ウチの面々見たら、どんな顔をするか。特に馬車」
「あー」
 あの司祭長がバイコーンの馬車などを見たら、特に害はないとはいえ、どんなカチンと来る台詞を吐かれるか、分かったモノじゃない。
 ヒイロとタイランも、揃って納得する。
 そこで、ネイトも口を挟む事にした。
「ちなみにモンスターというのはどうやら、魔族のようだな」
「ネイト」
 ちょっと驚いて、シルバは肩の上のちびネイトを見た。
「心を読むのはシルバが嫌がりそうだったから、あの集団からイメージを読み取ってみた。彼ら自身は実物を見ていないが、頭にあるのはこんな感じ」
 ネイトは言い、暗い闇の中、紅い瞳と同色の黒い爬虫類めいた肌を持つ悪魔の姿の姿を、シルバ達の意識に送り込んだ。
「うわぁ」
「こ、これは……」
 ヒイロとタイランは怯むが、シルバはむしろ考え込んだ。
「……妙だよなぁ」
 木々の隙間から覗き込む陽光を眩しそうに見上げながら、頭を掻く。
「何がだ、シルバ?」
「いや、バレットボアとかならまだ分かるんだけどさ、何でこんなトコに魔族がいんのさと思ってな。古代遺跡とかでもない限り、基本的にあの手の種族は、人のいる所に現れるのさ」
「この辺に古代遺跡は……」
「ない」
 タイランの言葉を、一言で片付ける。
 よく分からない、とヒイロはシルバの横に並んで、その顔を下から覗き込んだ。
「じゃあ、どういう事?」
「だから、俺も分からないんだって。こういうのは、同種族に聞くのが一番か」
 そしてその顔を、ネイトに向ける。
「!!」
 心底驚いたのは、ネイトであった。
「おい何だその反応」
「シルバが私を頼ってくれた! 今晩はセキハンだ! シルバよろしく頼む」
「何かよく分からないけど、頼み事しているのは俺の方なんだが」
「よし、張り切ろう。……確かにシルバの指摘通り、若干不自然ではある。まあ、村に通う行商人が、どこかで買い取った古い壺を割ったとかいうケースも考えられるが……ああ、うん、そうだな」
 心術を使う必要もない。
 ネイトは、シルバが何を考えているのか、あっさりと分かった。
「シルバも何となく考えている通り、人為的な臭いがする」
「やっぱりか」
「もしくは、村の人達が魔族と勘違いした、何かまったく違うモンスターか。さっき覗き見たのは、あくまで彼らのイメージだから」
「つまり、よく分からないんだね」
「簡潔に言うと、そういう事になる。で、どうするんだ、シルバ。彼らを手伝うのか?」
「んー」
 腕を組んでシルバは悩むが、多分間違いなく首を突っ込むだろうな、とネイトは考える。
 サイレン氏はシルバとは合わないようだが、それと村長の息子の行方不明は別問題だ。困っている人がいればシルバが動くのは、ネイトにしてみれば当然の事だった。
「あの人、いい人なのか悪い人なのかよく分かんないよ」
 ヒイロは唇を尖らせた。
 善悪はともかく、好きにはなれないらしい。
「そうだなぁ……どっちかって言えば、悪い人なんだけど」
「え?」
「な、何か、気がついたんですか?」
 歩きながら答えるシルバに、ヒイロとタイランは同時に驚いた。
「いや、単に俺がそう思うだけ」
 台詞だけ聞けば、完全に第一印象での評価だった。
「……あの、シルバさん、それはちょっとどうかと」
 タイランが突っ込むが、ネイトは驚かなかった。
「ただ、シルバのこういう勘は当たる」
「ネイトさんまで……」
「シルバだからって、贔屓してる訳じゃないがね」
 言い、念波をヒイロ達に送り込む。
『あと、嫉妬してしまうな』
「うん?」
「何だ? どうした?」
「え? あ、その……」
 怪訝そうな表情をするシルバに、タイランが戸惑う。
『シルバには聞こえていない。こういう根拠のない人の評価なんかは、以前なら私かクロエぐらいにしか言わなかったんだが。その辺が、私としては悔しくもあり嬉しくもあるな』
 うむうむ、と肩の上で頷くネイトを、シルバが怪訝そうな顔で見ていた。


「で」
 シルバ達はようやく、川辺に戻る事が出来た。
「こっちはこっちで大変というか、何か釣り上げたらしいしな」
「おお、シルバ殿。何やらそちらも大変だったようであるな。一応、ネイトから簡単に話は聞いてはいたが」
 少女を取り囲んでいた中から、キキョウが立ち上がる。
 カナリーやリフの間から、座り込んだふわふわした髪の女の子の姿が見えた。
 水を含んだ彼女の服は木と木で繋がれたロープに吊され、シーラのモノだろうメイド服に着替えていた。
「これはこれは溺れている所を助けて頂き感謝します本当にありがとうございます。恋人と離れ離れになり足を滑らせて川に転落あのまま溺れ死んだら死んでも死にきれませんでした。こうして命があるのも皆さんのお礼なんですがすみません私持ち合わせも何もなく多分お昼ご飯を作るぐらいしか出来る事がありませんけどよろしいでしょうか」
 彼女は嬉しそうにガバッと顔を上げると、シルバを見て大きく目を見開いた。
「し、司祭さんですか!?」
 その言葉に、カナリーが「またか」という視線をシルバに向けた。
 どうやら、勘違いさせてしまったようだ。
「いや、初対面……だよな?」
 いまいち自信のないシルバの問いに、少女はコクコクコクと錬金術で使われる水飲み鳥のように何度もせわしなく頷いた。
「は、ははは、はいはいそうです! 恋人とか連れ合いとかじゃなくて顔馴染みでもなくて今日初めて顔を合わせました知らない顔です私好きな人いますし。ってあれこの中の誰かが彼女だったりするんでしょうかあいや、そんな事言っている場合じゃないですね」
 そしてハッと何かに気がついたようだ。
「お名前……あ、失礼私アリエッタと言います改めてお礼申し上げます助けて下さいましてありがとうございます」
 また、さっきの司祭長とは違うベクトルで、妙に濃い人だなというのがシルバの感想だった。


 やや予定外の事態があったが、ともあれ昼食となった。
 もっとも、塩焼きなのでほとんど料理の手間は掛かっていない。
 ただ、その量が尋常ではなかった。
 いや、運動したヒイロがよく食べるのはシルバの予想通りだったのだが、それ以外にもう一名。
 肉を食み骨まで噛む音が二つ響く。
 それを、シルバ達は呆気にとられながら眺めていた。
 音の元はヒイロと――アリエッタだった。
「……よく食うな」
 シルバはかろうじて、そう口にした。
「や、す、すみません。超お腹が空いてたモノで。あと栄養がとても必要というかですね」
 そういう彼女の前にはまだ、大量の塩焼きが重ねられている。
 シルバ達のように食べ終えた骨が残っていないのは、骨ごと食べているからだ。
「……ヒイロと同じぐらい食べる人、私、初めて見ました」
「むぐ?」
 呆然とタイランが呟き、ヒイロが顔を上げる。
「こりゃあ、作った分だけじゃちょっと足りないかもしれないな」
 困ったようにシルバが呟くと、リフとキキョウが立ち上がった。
「に。リフ獲ってくる」
「某も参ろう。結局某は釣りが出来なかったし、一匹ぐらいは欲しい所だ。ではシルバ殿、行って参る」
「おう」
 川に向かうリフとキキョウの背を見送ると、シルバはアリエッタに向き直った。
「んじゃまあ、飯食いながらでも話進めるとして。そもそも何で俺に驚いたの?」
「あ、や、そのすみません。森の中でモンスター討伐に武装した聖職者の皆さんに剣を突きつけられまして、神経ささくれ立ってますねあの人達。とにかくそういう事情で怖かったのですよ」
「そもそも、モンスターがいるって分かってる森に、何でアリエッタはいたのさ。村にいたなら、話は聞いてただろう?」
「あ、うー……それはそのですね、私には好きな人がおりまして、その恋人というのはこの先の村のパルチェに住んでる人なんですけど」
「ああ、森に入ったのはそういう……」
 何故か、カナリーが納得した。
 しかしヒイロはよく分からなかったようだ。
「ん? そういうってどういう事、カナリ……エクリュさん?」
「や、な、ななな、何でもありません」
「お、お、大人の事情ですよね!」
「そうですとも、タイラン!」
 顔を真っ赤にさせたカナリーと、タイランが揃って頷き合う。
「でも、大人って言うけど、アリエッタちゃん、ボクよりちょっとだけ上ぐらいに見えるよ?」
「…………」
 ヒイロが不思議そうに首を傾げると、二人は気まずそうに顔を背けた。
 そのままヒイロは、アリエッタに訊ねた。
「で、その森で司祭長さん達に脅かされて、川に落ちたの? それともモンスターに襲われたの?」
「あ、そう、それです! モンスターモンスター! それに襲われたという事にじゃない襲われたんです!」
「どんなモンスター?」
 シルバが口を挟むと、アリエッタの目が点になった。
「え」
「いや、だからどんなモンスターに襲われたのかなって。この付近にいるなら、まだ危険だろ。前情報があると、もし現れたとしても対処が楽だし、教えてもらえると助かるかなと」
 アリエッタは困ったように目を泳がせると、パンと手を打ち合わせた。
「あ、えと、そ、そそそ、そうですね。すごかったです熊みたいに大きくて角と長い牙が生えてて目が四つで牙がギザギザで腕が六本足が八本の化物です」
 それを聞いたシルバとカナリーは、顔を見合わせた。
「……それは、興味深いですね?」
「聞いた事もない、モンスターだ」
「もう一つ、質問よろしいですか」
 カナリーが手を挙げると、アリエッタは頷いた。
「あはいどうぞ」
「アリエッタさんは、そのパルチェ村の出身なんですか?」
「え、いえ違いますよ余所から来ました、そ、そそ、そのスターレイから歩いて」
「ああ、あそこはいい所ですね」
 カナリーは、変装用の眼鏡越しに柔らかく微笑む。
「ですよねはい」
 アリエッタもホッとしたようだ。
 だが、カナリーの次の質問で彼女の表情はピキッと強張った。
「……私達馬車で来たんですけど、かなり遠いですよ?」
「あ、足! かなり丈夫なんです鍛えてますから。で見ませんでしたか私の彼氏」
 慌てて取り繕う彼女に首を傾げながらも、シルバは困惑する。
「……いや彼氏って言われても、そもそもどんな格好かも分からないんですけど。俺達が遭遇したのって、サイレンって言う司祭長とその部下だけだし」
 シルバの疑問にも一理あると思ったのか、アリエッタは思い返すように青空を見上げた。
「そうですね彼の容姿ですかとても格好良くてですね、あ、背丈はちょっと足りないんですけどそんなのは大したマイナスじゃないです指摘すると怒りますけど。名前はロメロって言って、年齢は十八で引き締まった身体してますあと素敵な赤毛なんですよ。村長さんの息子で、立派な聖職者になる為修行中だったんですけど、あ、服もそんな感じでした」
「あれ?」「ぶっ……」「シ、シルバさん、それって……」
 疑問を口にするヒイロ、思わず飲んでいた香茶を噴き出すシルバ、そのシルバを見つめるタイラン。
「おやおや。これはこれは」
 それまでのなりゆきを眺めていたネイトが、愉快そうに笑う。
 一方アリエッタはそれどころではないようだ。
「ご、ごごご、ご存じなんですか彼今どこにいるんでしょう無事ですよね!?」
「あー……ちょ、ちょっと考えさせてくれ」
 シルバは弱り、頭を掻いた。


 川から戻ってきたキキョウとリフは焼き魚を食みながら、それまでの話をシルバから聞き終えた。
「つまり、シルバ殿達を襲ったという少年が、アリエッタ嬢の恋人だったと」
「そういう事になるな。あ、果物いる?」
 既にデザートに移っていたシルバは、果物の入った籠をキキョウに差し出す。
「うむ、頂こう。リフもどうだ」
「に。そのまま食べるとすっぱい」
 キキョウがぶどうを選び、桃を手にしたリフは、アリエッタの手元にあるグレープフルーツに気がついた。
「あ、いいんですいいんです私、こういうの好きなので」
「じゃあボクも食べてみる!」
 塩焼きを囓りつつ、ヒイロも大きなグレープフルーツを手に取る。
「いや、お前もわざわざ対抗しなくても。なるほど、そのロメロが俺を襲ったのは司祭長の仲間だと思われてたんだな。……それにしても、そうなると分からない。あの場に彼はいたんだ。あの司祭長は嘘をついてた事になる」
 シルバは栗の皮を剥きながら、考える。
「何でだ?」


「その辺について、アリエッタさん、心当たりはありますか?」
 カナリーの質問に、アリエッタは困った顔をした。
「え、えー……な、ないですよそんなの、きっと司祭長様の方に何か都合があるんじゃないでしょうか」
「……そもそも、どうして教会の人達に追われているんですか?」
「あ、えと、その、私とロメロでは立場が違うというかですね……まあ、向こうは村長の息子ですし……」
「村長の息子と……アリエッタさんは?」
「私はただの一町民でしてお義父さんもいい顔をしてくれなかったって言うかいえ本人が直接言った訳じゃないんですけど態度とか言葉の端々で分かるっていうか」
 ションボリするアリエッタに、カナリーはつまらなそうに肩を竦めた。
「……はぁ、何とも馬鹿馬鹿しい話ですね。自分達が貴族だとか言うのならともかく、村長が身分がどうとか言えるほど大層なモノとは思えませんよ」
 しばらく黙っていたシルバは、それに口を挟む事にした。
「だがしかし、それが障害になっているというのなら、そこに問題はあるって事だろ」
「うむうむ、エクリュのお父上はアレは特殊なタイプだと、某は思う」
 からかうように言うキキョウに、カナリーは突っ込む。
「いや、キキョウ、そういう話じゃないでしょう!?」
「え、貴族なんですか?」
 アリエッタが目を瞬かせ、カナリーは慌てて首を振った。
「いや、わ、私はただの、学者の家系ですよ?」
「はぁ」
「と、とにかくそれって……つまり、駆け落ちですか」
「は、はい、そんな所です。でもすぐに追われちゃいまして、村の皆さんなら撒く自信があったんですけど、街の方から来た司祭長様達の足が速くて追いつかれてしまってそのままはぐれてしまい……」
「あ、そ、それなんじゃないでしょうか、シルバさん」
 タイランは何かに気付いたらしく、太く大きな鉄の手を合わせた。
「何が?」
「司祭長さん達が、私達に色々隠してたみたいだったのは、村長の息子さん、ええとロメロさんでしたっけ、彼が駆け落ちしたのを知られたくなかったから、とか……教会の人、なんですよね?」
「……なるほど。教会の子供がそういう事なら、確かに表沙汰にはしたくない、か。一方で、この服を着てる俺をロメロって奴が襲ったのは、俺の事をサイレン司祭長の身内だと勘違いしたから……辻褄は一応合うな」
「で、ですよね」
 とはいえ、とシルバは内心考える。
 タイランのその考えは、半分は彼女の話を全面的に信じる事が前提での話になるのだが。残る半分は、森の中であったロメロと思われる少年に襲われた事や、サイレン司祭長とのやり取りからの推測となる。
「それであの一つお願いがあるんですが」
 キキョウの短刀でグレープフルーツの皮を剥いてもらい、アリエッタは申し訳なさそうに頭を下げる。
「心配しなくても、この昼飯なら別に料金は取らないぞ」
「相手によっては、危うく食い逃げ犯になる所でした!? 世の中は油断出来ません人間社会超怖い! シルバさん達いい人です!」
「冗談はさておき、頼みってのは?」
 何となく察しはつくけどな、とシルバは頭の中で考える。
 そしてアリエッタの話は、案の定だった。
「た、多分ですねロメロは村に戻されていると思うんです。説得は多分無理ですし私が戻った所で捕まって……えーと多分街の方に強制的に戻されてしまいます。なので誰にも知られずにこっそり彼を村から逃がしてもらえませんでしょうか」
「……捕まったって事は見張られてるよな? 彼が、監視されてそうな場所の心当たりは?」
「多分教会地下の納骨堂だと思いますロメロが言ってました悪い事をした人は反省を促す為にみんなここに一晩とか何日とか閉じ込められるって。それに他にそういう事が出来る場所が村にありません」
「誰にも知られずに……かぁ」
 場所まで分かっているなら、仕事としては楽な方だろう。
 後は、誰が行くかだが……そこでリフと目が合った。
「に!」
「……夜なら、もう一人いけるな」
「ですね」
 霧化が出来るカナリーが頷く。
 その気になれば他のみんなも動けるだろうが、ここは少数の方が動きやすいだろう、とシルバは思う。
 後は、自分が入っての三人である。いや、ネイトがついて来るから四人か。
「や、やってくれるのですか」
「やるとしたら、二つ条件がある」
 パァッと顔を明るくするアリエッタに、シルバは髪を掻きながら指を二本立てた。
「はい?」
「一つは、納骨堂に入った後、ロメロと話をさせる事。ここまでの話は全部、君の口から出てる。失礼な話、君とロメロが駆け落ちしたという裏付けを本人から取りたい。向こうの合意があったら、連れてくる」
「そ、それで構いません全然大丈夫ですそれでもう一つは?」
「依頼料」
 ピシッとアリエッタの笑顔が固まった。
 直後、思いっきり狼狽え始める。
「ひぁっ!? そそそそれがありました!」
 とはいえ、シルバもここは引く事が出来ない。
 基本的に、アリエッタが何か隠しているっぽい部分も引っ掛かっているのだ。だが、それ自体は言うつもりはなく、別の理由をシルバは説明する。
「うん、この件は俺達もそれなりのリスクを負う事になるからね。何せ相手は教会関係者だし、下手をすれば俺達は誘拐犯扱いされかねない。けど確か金がないんだよなぁ……」
 あくまで印象だが、やはり彼女には何か言えない事情があるようなのだ。
 その一方で、もしもこれが真ならば、助けてあげたいと思うのも確かである。
 彼女自身のリスク、自分達への担保になるモノがあるのなら、話は早いのだが……とシルバも困っていると。
「じゃあこれで」
 言って、アリエッタが襟元から引っ張り出したのは、ネックレス……ではなく、細い鎖に繋がれた指輪だった。
 鎖から外されたそれを、シルバは受け取り、太陽に透かしてみせる。
 シンプルだが、値打ちはありそうだ。
「指輪? 結構いいモノっぽいな……刻印がある」
「ロメロがスターレイで細工師に彫ってもらったそうです結構値が張ったとか言ってましたし依頼料にはなるんじゃないかと思います」
 刻印を読み上げると、そこにはゴドー聖教の婚姻祝福の言葉が刻まれていた。
「っていうかこれ婚約指輪じゃねーか!?」
「彼が戻って来なきゃ意味がないじゃないですから! あ、あくまで担保なんで後でお金払って取り返しますんで一つよろしくお願いします!」
 頭を下げるアリエッタに、シルバは弱り切った。
 こんな重い物を預けられては、断りようがない。


 依頼を受ける前に、アリエッタを抜いた全員で、相談をする事にした。
 彼女から少し離れた所で、車座になる。
 もっとも、受ける事は全員、ほぼ一致しているようだった。
 相談の内容は、つまるところ依頼の中身自体の問題である。
「で、どう思うみんな」
 キキョウが小さく手を挙げた。
「某は怪しいと思う。どう見ても、何か隠しているとしか思えぬ」
「だよなぁ……」
「その一方で、手助けしたいとも思うのだ。某も、困る」
「ま、その点はキキョウと一緒だな。けど、その上で俺はこの話に乗ろうと思う」
 実はみんなにはまだ話していないが、シルバが引き受ける気になったのには、もう一つ別の理由があった。
「……ですよねぇ」
 カナリーはどうやら気付いているらしく、小さく溜め息をつく。
 心配そうに自分達を見守っているアリエッタに、タイランが首を向ける。
「婚約指輪を担保にしてまで依頼されるんですから、相当でしょうしね……」
「いや、そこじゃないんだタイラン」
「え?」
「んー……」
 シルバの場合はあくまで勘なのだが、ほぼ間違いないと思う。
 そしてカナリーは確か処女非処女の臭いが分かるとかいう話を以前していたし、『そういう事』もおそらく察知出来るのだろう。
 だから、シルバも自分の推測には自信があった。
「カナリーは、分かってるんだろう? 川で溺れてずいぶんと長く沈んでたっぽいけど、大丈夫なのか、アレ?」
「ええ、幸い異常ないようでした。活力も相当ですね」
 ヒイロがシルバの裾を引っ張ってきた。
「先輩も、気付いてたの?」
「まーな。田舎だと、こういうのは一大イベントだったし何となく気配で」
「ボクんとこも」
 どうやら村育ちというのはどこも似たようなモノらしい。
 シルバもお湯の準備とか、小さな雑用は手伝ったりしたモノだ。
 しかし、通じているのはこの二人だけのようだ。
「に……よく分からない」
 自信なさげに、リフは耳を倒す。
 その様子に、ふむ、と宙に浮いたちびネイトがパーティーの面子を見渡した。
「なかなか興味深いな。分かるのが三人、分からないのが四人か」
「シルバ殿、そういう焦らし方は良くないと思うのだ」
 拗ねるように言うキキョウに、リフとタイラン、おまけにシーラまでジッとシルバを見つめてきた。
 何というか、こういう事を言うのは何故か酷く抵抗を感じてしまうのは何故だろう。
 小さく息を吐き、シルバはこの依頼に乗る気になった一番の理由を、一言で片付けた。
「……いや、子供いんだよ、彼女のお腹ん中」
 色々重すぎて、さすがに断れないシルバであった。


 村の入り口には、煌々と篝火が炊かれていた。
 そして、槍と鎧で武装した二人の聖職者が見張りに立っている。
『ずいぶんと物々しいねぇ』
 夜闇に紛れて空を飛ぶカナリーが、シルバの胸ポケットにいるネイトを経由して思考を飛ばしてきた。
 一方リュックを下げたシルバは、懐に仔猫状態のリフを入れ、平然と村の入り口に歩いて進んでいく。
 既に見張りの視界圏内だが、彼らが気付く様子はない。
 そのまま、シルバは村の中に入っていった。
 もちろんこれにはカラクリがあり、その種はネイトの『悪魔』の札と一緒に胸ポケットにある『隠者』の札だ。
 媒介には、カナリーが着用していたローヴを利用させてもらった。
 その札の効果のお陰で、シルバは今、普通に村に潜入出来ていた。もっとも、魔力は順調に消費されているので、時々魔力ポーションで回復が必要だが。
「モンスターが現れているから、この物々しさなんだろうな。夜の方が、モンスターの活動は活発だろうし」
『モンスター……ねぇ。僕達を、こんなあっさりと通すのに?』
 シルバは夜空を仰ぐ。
 さすがに金髪紅瞳に白のマントというカナリーの出で立ちでは目立ちすぎるので、帽子や服装を変えて、目立たなくしている。
 だがそれでも、カナリーの言う通り、警戒はしていても、警備自体はザルなのに変わりはない。
 広場に出て、足を止める。
 篝火があっても、さすがにシルバは人間であり、目的の建物をすぐに探し当てる事は難しい。
「うーん……リフ。教会の場所は分かるか」
「にぅー……」
「シルバ、向こうだぞ」
 一番に気付いたのは、シルバの肩に乗ったちびネイトだった。
「あっちに建物の屋根が見える。それに村人や教会関係者の思考の方向が面白い。三百六十度、これはモンスターへの警戒心。それともう一つがロメロという少年への怖れのようだ」
「怖れねえ」
 シルバはボリボリと髪を掻きながら、ネイトの指した方角に向かう。
「ま、とにかくカナリーはなるべく空を移動で一つよろしく」
『了解』


 当然な話、その教会は、都市でシルバが務めている大聖堂とは比べモノにならないぐらいこぢんまりとした造りになっている。
 しかし、両開きの扉の前にはやはり二人、武装した聖職者が二人立っている。
「……ここにも見張り?」
 シルバは拳程度の石を二つ拾うと、左右に投げた。
 見張り達は即座に反応し、二手に分かれて入口から離れる。
 シルバ達は、扉をゆっくりと開くと中に入り込んだ。
『に……お兄やけに慣れてる』
「シルバはかくれんぼや鬼ごっこは得意でね。それにしても、教会は二十四時間営業という事か」
「……ウチの親父なら、寝てる時間だ」
 呟きながら、左右を見渡す。
 礼拝堂の中は明かりもほとんどなく、しんと静まり返っていた。
「ああ、お義父様は肝が据わっているからな」
「ちょっと待てネイト、今イントネーションが微妙におかしくなかったか」
「そうか? 何、どうせ将来はこの呼び方だから問題はない」
「ありすぎるわっ!」
 さすがにシルバも突っ込んだ。
「シルバ、静かに」
「……おう、反省」
『とりあえず僕はここで待機。誰か来たら、報告するよ』
 どうやらカナリーは、ガーゴイルよろしく教会の屋根で待つようだ。
「んじゃよろしく」
 シルバ達は教会の奥に踏み込んだ。


「あれは……」
 礼拝堂の先、神像の足下にうずくまっている男がいた。
 一心に祈りを捧げているのは、枯れ木のような中年の司祭だ。
「多分、ロメロ君のお父さんだろうね」
「……やっぱりイントネーション違うじゃねえか」
「に」
 シルバと一緒にリフも、ネイトに突っ込む。
 もっとも、彼に構っている暇はない。
 まずは、ロメロに会わなければならない。
「ま、造りは実家と大して変わらないな。って事はこっちか」
 納骨堂のある場所に、シルバは向かう。
「にぅ」
 その懐で、リフが小さく鳴いた。
「どうした、リフ」
「彼の様子がおかしいと言っている。なるほど、確かに息子が駆け落ちしただけにしては、妙な印象だな」
「に」
 司祭の苦悩は相当な様子で、祈りはずいぶんと必死だった。
「駆け落ちでも、親にしてみりゃ大ごとだろうけど……」
 アリエッタに子供が出来ている事を知っているなら、まあ分からないでもないか、とシルバは考えた。
 もっとも、アリエッタ自身は何だか隠そうとしていたようなので、シルバも追求はしなかったが。
「んー、でもあの人に声掛ける訳にもいかないしな。まずは、ロメロに会おう」
「なんなら私が尋問しても良いのだが」
 心術に精通しているネイトの提案に、シルバは首を振った。
「やめとけ。なるべく魔力は節約しときたいんだ」


 地下への幅広く緩やかな石段は、降りるだけで音が響いた。
「気を付けろ、シルバ。声も響く」
「……だな。リフも気を付けろ」
「にぃ」
 降りた先には、入り口と同じく大きな両開きの扉があった。
 取っ手を握って引いてみるが開かない。押しても駄目だ。
「ふむ、鍵が掛かっているな。シルバ、君のグレートなパンチで破壊するんだ」
「するか。この為のリフだっつーの」
 シルバは腰の袋から、豆を一つつまんだ。
「にぅ」
 リフの一鳴きで伸びた蔓が、鍵穴に潜り込んでいく。


 納骨堂に入るなり、棺桶の一つに腰掛けた赤毛の少年が立ち上がった。
「話す事は何もねえって言ってるだろ!」
「……ってアンタが大声出しちゃ駄目だろ」
 赤毛の少年、ロメロの声は大きく反響した。
 もっとも、彼にはシルバ達の姿は見えない。
 突然開いた扉に、どう対処していいか分からないようだ。
 しかし彼が動くより前に、カナリーの念波が飛んできた。
『シルバ、何かあったのか。見張りが動き出した』
「ロメロが大声を出した。すぐに静かにさせる」
「私が何とかしよう」
 ちびネイトが、指先をロメロに向ける。
 その途端、ビクッとロメロの身体が痙攣した。
「……! ……っ!?」
 口をパクパクとさせるが、声は出ていない。
「……何をした?」
「問題ない。身体が動かない、声が出せないっていう暗示を掛けただけだよ」
 シルバ達の背後で、慌ただしい物音が響いてくる。
「来たようだな」
『入っていった太っているのは、シルバが言ってたサイレン司祭長のようだな』
「なるほど、よくも悪くも響くな。で、ロメロ。大声を出すなよ? 敵じゃない。ネイト、金縛りを解いてくれ」
 近付いてくる足音に焦りながらも、シルバは一旦『隠者』の力を解くと、扉を閉めてロメロに声を掛けた。
「ア、アンタ、今どこから現れた!?」
「秘密。それより俺はアリエッタの使いで来たんだが」
「アリエッタの!? ア、アイツ、無事なのか!?」
「ずいぶんとせっかちだな。いいから少し黙ってろ。すぐ人が来る。誰が来ても、俺達の事は無視するんだ」
「わ、分かった」
 頷くロメロを見、シルバは再び『隠者』の札を発動させた。
 すぐに扉が開き、部下を二人連れたサイレン司祭長達が追いついてきた。


「何かあったのかね、ロメロ君」
「虫が出たんで、ビックリしただけだ。こんな大きくて黒いのが三匹」
 ロメロは棺桶に腰掛け直しながら、指で虫の大きさを表現してみせた。
 しかし、サイレンが気になっているのはそこではないらしい。
 自分が入ってきた扉を振り返る。
「鍵が開いているようだが……」
「外から鍵を掛けたのは、司祭長様の部下だろう。俺が知るはずないじゃないか」
「確かに……」
 ロメロが開けたのなら、普通逃げるだろうと考えたのだろう。
 サイレン司祭長は厳しい目を部下に向けた。
「一体誰だね、戸締まりをしなかった者は!」
「し、司祭長様、声が響くのであまり大きな声は……」
「む、そうか。だがこの事は、後でしっかり追求するから、いいね?」
「お言葉ですが……確か最後に彼と話したのは、サイレン司祭長だったと記憶するのですが……」
 サイレンは部下の言葉を無視し、胸を反らしながらロメロを見下ろした。
「ともあれ衛生面に問題があるようだな。掃除をしっかりしていないから、そういう事になる。死者が眠る場所なのだから、もっと清潔にしたまえよ、君」
「…………」
「それで、君がアリエッタと呼ぶ魔物。あの女の居場所を言う気にはなったかね」
「……!!」
 ロメロの顔が険しさを増す。
 それは、サイレン司祭長の言葉そのものよりも、シルバ達に聞かれた事自体を気にしているようだった。


 もっとも、シルバ達はさして驚いていなかった。
「……やっぱりそういう事だったのか」
 司祭の息子が魔物の娘と駆け落ちなんて、そりゃあ表沙汰には出来ないだろうな、とシルバは感想を抱く。
 それに、アリエッタのしてみても、自分が魔物だと知られればシルバ達が敵に回る可能性があると考えたのだろう。
 黙っていたのは、そういう事なのだろう。
「シルバも気が早い」
 ボソッとネイトが呟く。
「ん?」
「もうちょっと黙って聞いていよう」


「彼女を捕まえなければ、被害は増えるばかりなのだよ」
 ……被害?
 サイレンの言葉に、シルバは肩の上で話を聞いているちびネイトに視線を向けた。
 けれど、その間も司祭長とロメロの話は続く。
「だから何かの間違いだって! アイツは人を襲ったりなんかしない! 第一、一人目の時も二人目の時も、アイツは俺と一緒にいたんだから!」
 見下されるのが気に入らなかったのか、ロメロは立ち上がり、サイレンに詰め寄る。
 だが部下に守られ、サイレン司祭長は落ち着いていた。
「前にも言っただろう? 彼女は人を惑わす魔物なんだ。君の記憶を操るぐらい訳はないさ」
「アリエッタは、そんな事はしない!」
 激昂するロメロに、サイレン司祭長はやれやれと溜め息をついた。
「……君ね、これ以上黙っていると、私もこの件を村の中だけで隠し通す事が出来なくなるんだ。いずれ外部に知られる事になるぞ」
『シルバ、また一人教会に入った。何か焦った様子だ』
 カナリーの念波が届き、シルバは階段に意識を移した。
 駆け足で助祭が一人、納骨堂に飛び込んできた。
 汗だくの彼の様子に、サイレンやその部下達が怪訝そうな表情を向ける。
「どうした?」
 助祭は息を整えると、サイレン司祭長に小声で耳打ちした。
「ふむ……」
 サイレンは、無表情なその顔を、ロメロに向けた。
「今晩、また一人、新たな犠牲者が出た。私の部下だ。君が、隠したから。君が、逃がしたから。大きな事件になっている。責任がないとは言わさないぞ」
「!!」
 ロメロが大きく動揺する。


「……!?」
 動揺したのは、シルバも一緒であった。
 アリエッタは現在、キキョウ達と共にいるのだ。


「みんな気を付けてねー」
「さて、某達はここで待機。何かあっても某は動けぬのでヒイロ、頼むぞ」
 キキョウ達は村に向かうシルバ、カナリー、リフ、ネイトを見送った。
「らじゃ!」
「あと、シーラも」
「分かった」
 敬礼をするヒイロ、シーラも頷く。
 おずおずと、タイランが大きな鉄の手を挙げた。
「わ、私はいいんでしょうか……?」
「タイランは守る方が得意であろうからな。彼女の盾になってもらう」
「ごごごご迷惑をおかけしてますあ、でもいざとなったら私は放っておいて頂いても」
 ペコペコと頭を下げるアリエッタに、キキョウは首を振った。
「依頼主を放っておく訳にはいかぬよ。せいぜい、シルバ殿が其方の思い人を連れ帰るまで、何も起こらない事を共に祈ろうではないか」
「そ、そうですね」
 そんな訳で、残留組は車座になって待機する事になった。
「ま、誰か近付いてきたら、キキョウさんの耳があるから」
 ヒイロは楽天的だ。
「完全に気配を消されたら、分からぬがな……とはいえ、ただの村人や、ヒイロ達から聞いている司祭達ぐらいならば大丈夫であろう」
 戻ってくるまで、特にする事はない。
 何となく無言でいると、アリエッタは流れる川の方を懐かしむように見た。
「ちょうど、この辺りなんですよ。ロメロと出会ったのは」
「む……ただの川だぞ? 釣りでもしにきたのか?」
「いえいえ道に迷っていた所を助けてもらったんです。ウロウロしてたら足を滑らせて今回みたいに川に落ちて流されてしまい、そこを釣りをしていたロメロに拾ってもらったというかですね」
「……その、何だ。其方は、川に落ちるのが趣味なのか?」
 いくら何でも落ちすぎではないかと思うキキョウである。
「そういう訳ではないのですが、よく転んだりはしますねそのせいでお姉ちゃん達にはよくからかわれたりしてましたけどあ、私末っ子なんですよ」
「ほう、家族は街に?」
 どこかアリエッタを怪しいと思っているキキョウは、鎌を掛けてみた。
「あいえ、ちょっと遠い所にいるんです海辺の方に両親はもういないんですけど姉三人可愛いペット一匹で」
 そこにヒイロが首を突っ込んできた。
「それでお付き合いが始まったんだね!」
「ええまあ村に入れられてお世話になっていたんですけど、やっぱり教会の跡取りという事でその、素性の知れない娘では釣り合わないとかそういう事情でこっそりとロメロとは付き合っていたんですもっとも、先日知られてしまいまして猛反対を受けましたが」
「あー子供の事バレちゃったんだ」
 サラッと言うヒイロに、アリエッタは大いに動揺したようだった。
「ななななな何で分かるんですか!?」
「ってこらヒイロ!? そういう事をあまり大っぴらに言うんじゃない!」
 慌てて手で口を塞ごうとするキキョウだったが、もはや手遅れ。口に出した事はもう戻らないのだった。
「あ、ごめん、つい」
「……とまれ、お義父さんがやはり司祭様だけに厳格でしてあれ? どうしてそんな顔をするんですか?」
 気を取り直して、というか早く話題を流したかったのか、話を再開するアリエッタだったが、皆の表情に目を瞬かせる。
 フォローを入れるように、タイランが口を挟んだ。
「あ……いえ、きっとみんな、司祭様という単語と、厳格という単語が結びつかないだけなんだと思います……私も、ちょっと気持ち分かりますから」
「はぁ」
 よく分からないという風なアリエッタだった。
 シルバがこの場にいれば意味合いは違えどやはり「何でそんな微妙な表情になるんだよ!?」とツッコミを入れていただろう。
 話は続く。
 結局、ロメロの父親であるジョージアは二人の交際を許してくれなかったので、ロメロとアリエッタは村を逃げ出した。
 だが、森の中を追われるうちに、ロメロとは途中ではぐれてしまった。
「それで今、こうしてここにいるという訳か」
 キキョウの問いに、アリエッタは頷く。
「そうなります。もうちょっと説得を続けたかったんですけど、力尽くで引き離されそうだったので……どうすればよかったんでしょうね?」
「ふぅむ……」
 力なく笑うアリエッタに、キキョウは自分の身に置き換えて考えてみた。
 とりあえず、シルバの実家に関してはよく分からないので、自分の国の住んでいた郷で想像してみる。
 剣鬼と言ってもいい、養父が頭に浮かんだ。
 交際の善し悪しは別にして、郷から抜けるとするならば……間違いなく道場の高弟達を始めとした、狐面衆が総力を挙げて追ってくるだろう。
「……某の実家なら、死を覚悟せねばならぬな」
「死!?」
「うむ、両親はおらぬが育ての師匠が厳しくてな……まあ、今ではもはや意味のない想像であるが」
 結局の所、現状でもそれに似たような事をして、この国に来たキキョウである。
 一方ヒイロも唸っていた。
「うちだと腕力がなぁ。男女交際はまず拳からっていうのが、ルールだもん」
 独特すぎる家庭であった。
「全部腕っ節で片付けちゃうんですね、ヒイロの家って……」
「私は主の所有物だから、問題はクリアしている」
 父子家庭のタイランと天涯孤独なシーラは、気楽なモノだった。
「皆さんの彼氏になる人も大変ですねぇ」
「あれ……?」
 ふと、タイランは首を傾げた。
 その様子に気付いたキキョウが、小声で囁いた。
「……どうした、タイラン」
「いえ、その……アリエッタさん、私達が全員女性である事前提で、話してますよね……?」
 言われてみれば、と思うキキョウだった。
 それを問い詰めてみようかと思ったが、ふとその耳に小さな悲鳴が届いた。
「ぬ」
 立ち上がり、森の方を向く。
「キ、キキョウさん?」
「森の中で誰か争ってるね、キキョウさん」
 少し遅れて、ヒイロも立ち上がる。
「うむ、複数だ」
 許可を待たず、ヒイロが飛び出した。
「偵察行こう、シーラ!」
「了解」
 シーラがヒイロを追いかける。
「無理に戦おうとするな! 偵察だけだからな! すぐに戻るのだぞ!」
「りょーかーい!」
 ぶんぶんと大きく手を振るヒイロとシーラは、闇の中に消えていった。
「……ここに残ったのが全員戦士というのも、悩みどころであるな。偵察に向く人選に困る」
「ですね……」
 残ったキキョウらは、再び腰を下ろした。


 一方森の中を駆け抜けるヒイロらは、五分ほどして目的の場所に辿り着いた。
 争乱の声や松明の火、それに闇の中で蠢くモンスターの影で、一目瞭然だった。
「あれだね」
 少し高い場所で、聖職者達の戦いをヒイロ達は見守る。
 モンスターは5メルト程度の背丈の、軟体モンスターだ。丸い頭に、太い触手が何本も伸びている。その一本に助祭が一人、捕まっていた。
 どうやら彼らは、捕まった仲間を助ける為に奮闘しているようだ。
「多少訓練された人間が五人。戦っているのは中型モンスター。俗称ハッポンアシ」
「げ。アレあんまり好きじゃないんだよね、手応えがよくなくて。食べると美味しいんだけど」
 シーラの分析に、ヒイロは顔をしかめた。
「最も相性がいいのはキキョウ。斬撃系の武器が有効とされる」
 ハッポンアシは突如、触手で捕らえていた助祭の一人を地面に落とすと、そのまま森の闇の中に身を潜めようとスルスル後退を開始する。
「あれれ、逃げちゃうよ?」
「こちらの気配に気付いたから。未知の敵相手に、ハッポンアシの警戒心は強い」
「思ったよりも早いなぁ……追いかける?」
「偵察が任務」
 もう既に、ハッポンアシの気配は遠くへ消えつつあった。
 聖職者達は、捕まった仲間を介抱するが、どうやら意識がないようだ。
 触手の攻撃の一つ、精気吸収を受けたらしい。……幸い、命に別状はないらしく、彼を仲間が担いでこちらも撤退を始めた。
「……しょうがない。向こうも精気吸われたのが一人だけみたいだし、戻ろっか」
「そうする」
「にしても、ハッポンアシって確か海辺に住むモンスターだよね? 何で山の中にいるの?」
「不明。けれど短時間のうちに、同じ単語を二度聞いている点は興味深い」
「え、何の話?」


 新たな被害が出たと言う事で、サイレン司祭長は慌てて部下と共にいなくなり、納骨堂には薄暗い闇が戻った。
 ごくわずかな明かりは魔法光のようだ。
「……話は聞いてたか」
 棺桶の一つに腰掛け、ロメロが呟く。
「そりゃ、この場にいるからな」
 シルバは『隠者』の札の力を解き、答える。
 ロメロは気まずそうに、シルバを見た。
「それで……アリエッタの依頼は破棄されるのか?」
「いや? 一度受けた仕事だし、ある程度予想はしてたからな」
「いいのか? アイツは魔物だってのに」
「大した問題じゃないな、そりゃ。どうもあのおっちゃんの話は一方的に聞くのは危険な気がするし。それより脱出だ脱出。何かアテがあるんだろ?」
 シルバの問いに、ロメロは驚いたように目を見張った。
「何でそう思う」
「そうじゃなかったら、昼間みたいに扉が開いた途端、殴りかかってるはずだろ。そうしなかったのは、何かここにあるんじゃないかって思ったんだ。相手が誰かも見極めずに殴るのはやめた方がいいぞ」
「ああ、アンタ、あの時の……!」
 ようやくロメロは、思い至ったようだ。
 その間に、シルバは床に規則正しく並んだ棺桶を見渡した。
「納骨堂だから……そうだな、どこかに抜け穴とか、そんな所かね」
「に?」
「古い建物にはよくあるんだよ。もっとも、こんな田舎の教会じゃ珍しいけどな」
 懐から見上げてくるリフに、シルバは答えた。
 感心したように、ロメロはため息を漏らした。
「……アンタがあの司祭長の部下じゃなくてよかったぜ。そうさ、ガキの頃に見つけた秘密の通路が奥にある。そろそろ脱出しようと思ってた所なんだ」
「なら、話は早い。さっさと抜け出そう。んで、アリエッタの所に送れば、依頼は終了だ」
「ところで一つ聞きたい事があるんだ」
「何?」
「……明かり、持ってないか? 通路が暗くて……」
「……迂闊すぎるだろ、おい」
 どうにもせっかちな性格らしい。
 シルバはやれやれと、持ってきていた松明を差し出した。


 ロメロの先導で、地下にあった黴臭い土の通路を進む。
 何となく間が持たないと思ったのか、ロメロが語り始めた。
「……アリエッタとは、魚を釣ってた時に出会ったんだ。どこかで足を滑らせたらしくて、川を流れてきて」
「……なあ、あの子が川で溺れるのは、趣味か何かなのか?」
「知らねーよ。とにかくそれが半年前。それまでは言葉も分からなかったし、大体何でこんな遠くまで……あ、今はもう分かってるけど、アイツの実家すごく遠いんだ。パル帝国の東、サフィーンの近くにある内海の漁村だって言ってた」
 パル帝国の東側でサフィーンの近く。
 ふと、シルバの頭に閃くモノがあった。
「へえ、そりゃ奇遇」
「に」
 応えるように、リフも鳴く。
 キョトンとした顔で、ロメロが振り返る。
「何が?」
「コイツの故郷もその辺なんだよ。なぁ、リフ」
「にぅ」
 頭を撫でられ、リフは嬉しそうに小さく声を上げた。
「とはいえ、いくら迷子でも、そんな遠くからここまで放浪はしないだろ」
 歩いて彷徨い歩いたら、年単位になってしまう。
 それはロメロも疑問に思っていたのだろう、歩みを進めながら困ったように頭を振った。
「そこがよく分からないんだな。何か妙な遺跡にでも触れたのか……冒険者なら、そういう事もよくあるんだろ?」
「よくあるかって聞かれると、ちょっと微妙だけどな……それにしても何だろう。妙に既視感を覚えるぞ、この内容」
 どうにも何か引っ掛かるシルバであった。
「うん?」
「いや、こっちの話」
 シルバは首を振り、ロメロの話を促した。
「とにかく金はない。身よりはない。言葉も通じないじゃどうにもならないってんで、うちで世話する事になったのさ」
「ふむ……その辺は俺達が聞いてたのと違うな。彼女は、街に住んでるって言ってた」
「ああ、そりゃ俺が考えたんだよ。もし誰かに出会って村に住んでるっつったら、こっちに連れ戻される可能性があるだろ?」
「……なるほど、一応考えてたんだな」
 シルバは頷き、アリエッタが魔物って事に気付いたのはいつか聞こうとしたが、思い直した。
 何となくタイミングがよくないし、単なる好奇心で変に警戒されても困る。
 シルバ達の仕事は、アリエッタにロメロを引き合わせる事なのだ。


 通路を抜け、森の中に出た。
 いつの間にか少し坂道を登っていたらしく、見下ろすと篝火の焚かれた村が少し離れた場所にあった。
 ロメロに気付いた様子がないので、シルバは急いで松明を消した。
「あ、ああ、悪い……それにしても、よく金があったなアイツ」
 ふと、ロメロは首を傾げた。
 それに対するシルバの答えは明確だ。
「ないよ。君の渡した婚約指輪が担保になってる」
「何考えてるんだよアイツは!?」
 さすがに、ロメロも突っ込んだ。シルバも気持ちは分からないでもない。
「うん、まあその怒りは割と的を射てるけど、一緒になれなきゃ意味がないって言うのもまた確かだよな。あと、静かに頼む」
「金は俺が働いて、必ず返す。とりあえず手持ちはこれだけしかないけど……」
 言って、ロメロは腰から金袋を引き抜いた。
 手に出したのは、幾分かの金貨や銀貨だった。
「非常に失礼だが、足りないぞ」
 ひょい、とシルバの肩から、ちびネイトが覗き込んだ。
「うお、何だこれ!? 妖精か?」
 初めて気付いたらしく、ロメロは驚いた声を上げた。
 どうやら納骨堂では、ネイトの声だけが聞こえていたらしい。
 しょうがなしに、シルバは答える事にした。
「悪魔」
「何?」
「悪魔だよ。色々あって一緒に行動してる」
「……せ、聖職者だろ、アンタ。それに司祭じゃないか。俺よりもガキの癖に」
 なるほど、体格を見ればロメロの方が立派だろう。
 外見も、ロメロは少年というより青年に近い。
 がしかし、人間外見だけでは分からない。
「……年上だ。多分」
 小さく吐息を漏らしながら、シルバは言った。
「何歳」
「二十歳」
「嘘だ!!」
「嘘じゃないぞ。シルバは君より年上だ。教会に問い合わせてみれば分かる。あと、静かにしろとシルバが言っているだろう。気付かれてもいいのなら、ともかく」
 やれやれ、とネイトは首を振った。
 しかし、ロメロもそれどころじゃないようだ。
「……ああくそ、世の中は広いぜ。とにかく今あるだけは払う。残りは後日、ちゃんと働いて返すから」
「つーか、当座の生活費とか必要だろうに……」
 とりあえず今、受け取る受け取らないで揉めてもしょうがないので、ロメロから硬貨を受け取る事にした。
 金額を数えていると、ふと書物のレリーフの刻まれた一枚のコインに気がついた。
 ……あれ?
「……えーと、ロメロ君」
「何だよ」
「この硬貨は一体、どこで受け取った?」
「に!」
 シルバが指で摘んだコインを見て、リフの毛が逆立つ。
「おやおや、これはこれは久しぶりに見るね」
 そんな声が頭上から響き、シルバは木を見上げた。
 闇夜の中に紅い眼が輝いている。
 どうやら、カナリーが追いついたようだ。
 シルバ達は驚きはしなかったが、ロメロはギョッとした顔でカナリーに向かって聖印を突きつけた。
「!? きゅ、吸血鬼!?」
「声が大きいよ、君。気付かれてもいいのかい?」
 カナリーは音もなく地面に着地し、黒かった髪とマントを本来の鮮やかな金と白に戻す。
「心配しなくてもいい。俺の仲間だ」
「カナリー・ホルスティンだ。よろしく」
 差し出したカナリーの手を、ロメロは恐る恐る握った。
 それから半ば畏れるように、シルバを見た。
「……あ、悪魔に吸血鬼って……アンタ、本当に司祭か?」
「都市の方じゃ割と珍しくないぞ」
 平然と嘘をつくシルバであった。
「さて、あとはこのコインの入手先だな……それが問題だ」


 とりあえずコインはシルバが預かる事にした。
 ここにトゥスケルのコインがあるのは、どういう事か。
 誰かが、あの組織の一員なのか。
 状況から考えると、アリエッタがこの地に現れたのには、連中が関わっていると見ていいだろうが、それは確定でいいのか。
 ……今は移動するのが第一、と分かってはいるが、ついシルバは思考に没頭していた。
「シルバ、何やら難しい事を考えているな。だが実は、それほど難しい事はないぞ」
 ひょい、と肩の上からちびネイトが顔を覗き込んでくる。
「お前、人の心の中を勝手に読むな」
「ふ、術を使うまでもなく、シルバの心の内など私には手に取るように分かる。出来れば式は、実家の教会で挙げたいな」
「何でこの状況で、ウェディングプランを考えなきゃならんのだ!? ……っていかんいかん」
 夜の山道を歩きながら、シルバは慌てて自分の口を押さえた。
 大声を出していい状況ではない。
 それは、ネイトも分かっているらしい。
「将来の事はともかく――」
「……そこは、冗句はともかく、と流す所じゃないか?」
「出来れば言質が欲しかった」
「死んでもやらん」
 そんなシルバ達と並び歩き、やれやれとカナリーが肩を竦めていた。
「それはいいから二人とも、話を進めてくれると助かるんだけど」
「うむ。要は、誰がこの件で得をするかを考えればいいだけの話だ、シルバ。彼女がこの地に現れる事で、何が起き、誰が得をする?」
「…………」
 シルバとカナリーは、揃って後ろを振り返った。
「待て!? 何でそこでみんな俺を見るんだよ!?」
 ロメロが焦りながら後ずさる。
「ま、半分冗談だ」
「半分本気だったって事だなテメエ?」
「騒ぐなよ。……まあ、大体察しはつく訳なんだが、確信がなー」
 ふと思い付き、シルバは手帳を取り出した。
 そして、中に疑問に思った事を星明りの下で書き込む。
 もしダンディリオンがこの記述に気付けば、何らかの答えをくれるかも知れない。
「ムカつくのは理解するが、優先順位が違う。まずは、皆との合流が先決だ」
 ネイトの意見には、シルバも賛成だった。
「ごもっともで。んじゃ、とりあえず戦力増やすか」
「に」
 懐のリフを引っ張り出し、地面に下ろす。
 そしてシルバは背中に背負っていた小さなリュックを、草むらに投げ入れた。
「おいおい、何してるんだよ?」
 ロメロはリュックの投げ込まれた暗闇を見るが、どうしていいか分からないようだ。
「ま、ちょっと待ってろ」
「にぅ」
 リフは一声鳴いて、茂みの中に潜っていった。
「に!」
 直後、小さな鳴き声と共に、森の奥が緑色に発光した。
 待つ事一分。
 衣擦れの音がやんだかと思うと、帽子を目深に被ったコート姿のリフが茂みの中から現れた。
「戻った」
「……おい、もしかして」
 ロメロの疑問に、シルバは頷いた。
「もしかしなくても、今の猫だ」
「……アンタの仲間はどうなってるんだ、一体」
「森の中では、鬼と鎧も見たはずだぞ。後もう二人いる」
 キキョウとシーラを指折りカウントするシルバ。
「正確にはさらに三人追加だけどね」
 ヴァーミィ、セルシア、モンブラン十六号を、カナリーが付け加える。
 シルバは、自分達が来た道を振り返った。
「まあ、何にしても無事に脱出出来て良かったよな。万が一捕まって荷物検査されたら、大変だったからな」
「……帽子やコートはともかく、女性用下着はねぇ」
 カナリーが苦笑する。
「仕事に必要です、っていう説明もちょっとな」
「けど、こんな小さいのが頼りになるのか?」
 ロメロは、リフの実力に半信半疑のようだ。
 まあ、外見だけで見れば、確かに強そうには見えないだろう。
 シルバは考えながら、髪を掻く。
「この中で戦ったら……んー、カナリーとリフで二強か。俺じゃ話にならねー」
「格闘戦じゃ、一番強いだろうね」
 うんうん、と頷くカナリーに、リフは帽子を押さえて顔を隠した。
「にぅ……照れる」


 少しだけ広い所に出た。
 村と、自分達が出発した川との位置を考えると、そう遠くはないはずなのだが、夜闇の中では、いまいち人間であるシルバとしては距離の感覚が掴めない。
「距離的には、どんなもんだ?」
 ふむ、とちびネイトが軽く宙に浮く。
「もう少し進まないと、念波も届かないな。間に、司祭長やその部下達が動き回っているから、遠回りをした方がいい……と言いたい所だが」
「……お前、そこで止めたら、大抵ロクでもない答えが続きに来るだろ」
「さすがだな、シルバ。その通り」
「に!」
「……シルバ、僕はとても嫌な予感がする。というかまたか。またなのか、シルバ」
「俺のせいじゃないだろ!? そんな恨めしそうな目で見るな、カナリー! 毎度毎度、トラブルを俺のせいにするんじゃない!?」
 だが、相手はどうやら待ってはくれないようだった。
 正面の暗闇から、ズルズルと地面を這う音と、水の滴る音が次第に大きくなってくる。
 そして現れたのは、見上げるほどの大きさの生物だった。
 いわゆるハッポンアシと呼ばれる中型モンスターだ。
 ヌルヌルとした触手をぬめらせるその軟体生物の頭には、詰襟でスリットの深い、身体のラインがクッキリ浮き出た赤のワンピースを来た少女が立っていた。
 耳の上と腰の辺りから大小の蝙蝠のような羽が生えている所から察するに、明らかに人間ではない。
 年齢はロメロと同じぐらいだろうか、その表情は怒りに燃えていたが、それでもなお月を背にした彼女の姿は可憐であった。
「貴様共、我妹拐敵衆! 推測服装、汝敵確実絶対! 是! 我相手、貴様共打殺全滅! 我妹何処、痛撃与居場所必白状!」
「何か言ってるぞ」
 捲し立てるその台詞が不穏な事は、何となく分かるシルバだった。
「に……あれ、サフィーンの民族衣装」
「敵か、敵なのか? いや、敵だよねこれどう見ても……」
 力なく笑いながら、カナリーは既に指先で雷撃の印を切り始めていた。
「何だ!? 何を言ってやがる! けど何か妙に親近感を覚える台詞だ! ……っていうか、アリエッタと同種族!? サキュバス!? え、あれ、もしかしてアリエッタのお姉さん!?」
 どうも問答無用で襲いかかってきそうな気配に、混乱するロメロ。
「よし、ならば翻訳してやろう」
「……精神共有ホント便利だよなあ」
 ネイトの術は、今は祝福魔術が使えないシルバには、とても羨ましかった。
 そして。
『くたばれーーーーーっ!!』
 頭に少女の声が響くと同時に、彼女の手の先から問答無視の光弾が放たれた。


 だが、飛来してきた光弾は、シルバ達に届く前に発せられた紫電によって打ち消された。
『む!?』
「いきなりとはご挨拶だね」
 指先から、煙を立ち上らせながら、雷撃を放ったカナリーが言う。
 サキュバスはそのカナリーに、訝しげな視線を向けてくる。
『……吸血鬼? 人間に味方するなんて酔狂なのもいたもんだ』
「別に人間に味方している訳じゃないさ。シルバに味方しているんだ」
『その人間か!』
 シルバを見下すサキュバスの瞳が、眩い金色に輝く。
 その視線から、シルバは目を離さないでいたが、不可視のその術は金属質な音を立てて、阻まれた。
「効かない効かない。残念だったな」
「ふ……私の愛で包まれたシルバに、魅了の術はまるで無効!」
 シルバの肩の上で、むん、とささやかな胸を張るちびネイトであった。
「って嘘つくなよネイト!?」
「いや、理屈的には合ってるんだが」
「……だとしてお前、後ろのロメロもちゃんと守れよ?」
 ネイトは後ろを振り返り、やる気無さげに首を振った。
「気が進まないなぁ」
「うぉい!?」
 ロメロが叫ぶが、ネイトは完全に黙殺した。
「ま、仕事のえり好みをしている場合じゃないな。……近くに他に敵はなし。サキュバスの方はカナリーに集中するようだ」
 既にカナリーは臨戦態勢に入っており、高みにいるサキュバスと同じ高さに昇っていく。
 シルバは、そのカナリーを警戒するサキュバスを指差した。
「心術で直接説得出来ないか、アレ」
「魔族は魔力抵抗が高いし、沈静化は私ではなくシルバの精神力依存だ。賭けになるが、それでもいいならやろう。後はサフィーンの言語とこちらの言葉の二重音声のカットぐらいか」
 そう言われると、シルバも困ってしまう。
「失敗したら、ハッポンアシが暴走する可能性があるな。もう一つ方法があるけど、こりゃ最後だ……しょうがない」
 とりあえずは、腕っ節で黙らせるしかないな、と決心を固めた。


 それに応えるように、ハッポンアシの頭から離れ、空中浮遊を開始したサキュバスも叫ぶ。
「そいつらやっちゃって、ハッちゃん!」
 八本の太い触手をうねらせ、ハッポンアシも動き始めた。
「ロメロ、下がっててくれ」
「ば、馬鹿にするんじゃねえ! 俺だって戦えるっつーの!!」
 ファイティングポーズを取るロメロだったが、シルバの目にはその戦闘経験は明らかだった。
「モンスター相手の経験はほとんど無いだろ」
「う」
 無理をせずに……とか言うと余計に突っかかってきそうだったので、必要最低限な事だけ言い、シルバは視線を正面に戻した。
「依頼の対象を守るのも、俺達の仕事。リフ、速攻戦だ」
「に!」
 リフが駆け出し、シルバは精霊眼鏡を掛けた。
 袖から針を滑り下ろし、地面に突き刺す。
「うわ!?」
 地鳴りと共に盛り上がる大地に、ロメロが悲鳴を上げた。
「その陰なら、しばらく持つ! すぐに終わらせる!」
 半ドーム状になった土の上に立ち、シルバは腰の金袋に入れていた札を取り出した。
 土属性である『金貨』の表示された札が輝き、浮かび上がった周囲の土塊が無数の硬貨に変化する。
 生物のように蠢いたそれらが、リフを守るように取り囲む。
「防御は任せろ、リフ! そのまま突き進め!」
「にぅ!」
 ハッポンアシの速度はそれほど速くなく、リフの機動力ならばおそらくは問題はないが、それでも万が一という事もある。
「今回は水属性の『杯』じゃなくて『金貨』なのかい、シルバ」
「ちょっと訳ありでね」
 はて、と首を傾げるネイトに、シルバは小さく笑った。
 触手の中に突撃するリフの両腕から、二枚の鋭い刃が出現する。


 一方、低い夜空で高速空中戦を繰り広げる、カナリーとサキュバス。
 紫電と光弾が激しくぶつかり合い、何度も二人の身体が交差する。
 そのサキュバスは、リフの腕から生えた刃にギョッとした。
「!? あの子、ただの獣人じゃないの!?」
「ちょっと特殊でね。軟体生物は打撃には強いけど斬撃には弱いはず! ――{雷閃/エレダン}!」
 相手の脇見の隙を突いて、カナリーは強烈な一撃を叩き込む。
 しかし、サキュバスは不敵に笑いながら間一髪、身を翻してそれを回避する。
「斬撃? そんな甘い目論見で、ハッちゃんに立ち向かうっていうの?」
「うん……?」


 ハッポンアシは、おそらく近くの水辺を通ってきたのだろう、触手からは粘液が滴っていた。
「にぅ……ヌルヌルする」
 そしてそれが何を意味するか、リフには刃を立てるまでもなく分かった。
 この粘液が刃の鋭さを阻んでしまうのだ。
「問題なし!」
 リフの背後から、シルバの声が轟く。
 その途端、リフの周囲を囲んでいた硬貨が勢いよく弾けた。
 土煙と化したそれが、ハッポンアシの身体に付着していく。
 茶色になった触手を見つめ、リフは腕を引き絞る。
「に、これならいける……」
 直後、凄まじい斬撃音と共に、太い触手が一本、空中に刎ね飛んだ。


「ハッちゃんっ!?」
 相棒を傷つけられたサキュバスは、悲鳴を上げた。
「どうやら、うちのリーダーの方が一枚上手のようだね」
「よくも、やってくれたなぁっ!!」
 カナリーの言葉にサキュバスは怒りに顔を赤く染めた。
 その周囲にまとめてぶつける気だろう、無数の光球が生じる。
「やれやれ……頭に血がのぼるとね」
 カナリーは雷撃を止めると、速度を上げてサキュバスの懐に飛び込んだ。
「攻撃が単調になるから気をつけた方がいい」
 突然の近接戦闘に動揺しつつも、サキュバスは何とか腕でガードする。
 だが、集中力が途切れたせいだろう、せっかく作った光球達は消滅してしまった。
 これでいい、とカナリーは考える。
 目の前の彼女は、おそらくはアリエッタの身内。
 ならば、必要以上に傷つけるのは得策ではない。
 下が片付くまでの時間稼ぎが、カナリーの仕事である。


「……ぜんぶ、刈っちゃう?」
 うねる触手を易々と避けながら、リフがシルバに振り返る。
「必要なし。懐に潜れたな」
「に」
 シルバがパンと手を叩くと、ハッポンアシの目がギョロリとシルバの方を向いた。
「……うっし、それじゃいくぞ、ハッポンアシ」
 肉体労働はあまり得意じゃないんだけどな、とシルバは内心ぼやきながら、ハッポンアシの側面目指して駆け出した。
 それを追いかけるように、触手が数本、追いかけてくる。
 リフには及ばないモノの、シルバの足よりは触手の動きの方が速い。
 もっとも、それは何も妨害がなければだ。
「リフはそっち!」
「に、りょかい!」
 リフが動くと、手の空いている触手が蠢き、彼女を追いかけ始める。
 どれだけ触手があろうと、ハッポンアシの胴体は一つであり、幸いな事に目も二つだけしかない。
 ならば、リフを追う分、シルバへの追跡も鈍ってしまう。
「んで、こう動いて……」
 目論見通りにいった事に喜んでいる場合ではなく、シルバは踵を返した。
 慌てて触手達がシルバを追い、ウチの何本かはリフを追いかけている触手の間に潜り込む。
「に、次こっち」
 シルバの意図に気付いたのだろう、リフは跳躍してこちらに向かってきた。
 内と外でグルグルと動き回る二人の動きに翻弄され、ハッポンアシは混乱する。
 気がつくと、ハッポンアシのバランスは崩れ、尻餅をついたかのように胴体が後ろに傾いた。
「まず二本!」
 複雑な動きを繰り返した弊害で、ハッポンアシの触手が二本、絡まり合っていた。
 結び目のようになっており、容易には解けそうにない。
 そして、リフの動きは休まらない。
「もう二本、する!」
 それほど知能が高くないハッポンアシの触手が全てこんがらがるのに、それほどの時間は必要としなかった。
 ジタバタともがくも、もうほとんど身動きは取れないでいた。
「はぁ……はぁ……ま、片付いた、と……」
 リフほどに体力無いシルバは、汗だくになりながら頭上の空中戦を見上げた。
「私の出番だな」
 ちびネイトも、シルバの汗をハンカチで拭いながら同じように、カナリーとサキュバスの戦いを見守っている。
「魔力は俺持ちな訳だがな」
 札に魔力を込め、サキュバスに視線の標準を固定する。
 シルバは『悪魔』の札を逆さにかざした。
「魔族よ……弱まれ!」


 空を舞っていたサキュバスは、自分の身体から急激に気力が失われていくのを感じた。
「……な!?」
 その原因が、地上にいる司祭によるモノだとは気付けないまま、ふらふらと頼りない動きで失速していく。
 それを見送りながら、カナリーは大きく息を吐いた。
「やれやれ、終わったようだね」
 ゆっくりと着地すると、シルバはその場にへたり込んでいた。
「シルバ、無事かい?」
「ま、何とか。……けど、一体動きを止めるだけでこんだけ魔力使うんじゃ、この術の濫用は無理だろな」
 言って、シルバは懐から取り出した魔力ポーションを呷った。
 サキュバスも全身に力が入らないのだろう、跪いたままこちらをにらみ返すのが精一杯のようだった。


 戦闘自体は五分程度だっただろう。
 リフに促され、ロメロが呆気にとられた顔で、土のドームの向う側から姿を現わした。
「ほ、本当にあっという間に終わっちまった……」
「とりあえず、話を聞いてもらおうか」
 回復したシルバはそのまま、サキュバスに近付いた。
「{有得/ありえた}はどこにやった!」
「やっぱりあの子の身内か。いや、俺達は敵じゃないんだって。そもそも、そのアリエッタと今から合流しようとしてたんだし……」
「あ、まずいぞシルバ」
 事情を説明しようとしていたシルバを、ネイトが遮った。
「何?」
「新手が来る。この波動は司祭長の部下達だな。どうやらここの騒動に気付いたらしい」
「に。まだ遠くだけど、足音聞こえる。人数は三人ぐらい」
 耳のいいリフも言うのだから、間違いないだろう。
「そうか。移動した方がいいな」
 ならば、ここで争っている場合じゃない。
「シルバ、それだけど」
 へたり込んでいるサキュバスにポーションを与えようとしていたシルバの肩を、カナリーがトントンと叩いた。
 何だ、とシルバはカナリーの指差す方向を追った。
 そこには、まだもがいているハッポンアシの姿があった。
「い、急いで解こう!」
 回復したサキュバスまで協力し、何とかシルバ達はその場を離れる事に成功した。


 司祭達の追跡を避け、シルバ達は大回りでキキョウ達の待つ川辺へと辿り着いた。
 一見すると、亜人達の冒険者パーティーが、キャンプの火を取り囲んでいるように見えるその中で、こちらに気がついた女の子が勢いよく立ち上がった。
「ロメロ!」
「アリエッタ!」
「だから、大声出すなっつーのっ」
「あだっ!?」
 シルバは駆け出そうとしたロメロの後頭部を勢いよくはたいた。
「そなたもだっ」
「ひぃ痛いです!?」
 アリエッタの方も、シルバほどではないが同じようにキキョウに突っ込まれていた。
 そんな訳で二人の再会は、ごく大人しく手を取り合うモノになっていた。
 それを眺め、シルバは小さく息を吐き、後ろを振り返る。
「ともかく、依頼は完了。そっちも言った通りだろ? 俺達は敵じゃないって」
「むうぅ……まあいいや。とにかくアリエッタ、心配したんだよ!」
 まだ、シルバの『魔族封じ』の効果で身体が弱まっていたサキュバス、アリエッタの二番目の姉であるノインは、ハッポンアシの頭上から、妹を見下ろした。
 その姿にギョッと目を見開き、慌ててロメロの背中に隠れるアリエッタ。
「ノノノノインお姉ちゃん!? どどどうしてここに!?」
「どうしてもこうしても、悪い奴らに掠われて行方不明になってたアンタを探してたの! そしたら大陸のほとんど反対側にいるじゃないか! ったく、ハッちゃんの鼻がなかったら、どうなってた事か……」
「……鼻?」
 シルバは、ハッポンアシの顔を覗き込んだ。
「ちゃんとあるの!」
 ようやく回復したのかノインは羽をはためかせて、地上に降りてきた。
「……で、何で代わりに登っちゃってんの、リフさんや」
「に、なかよし」
 ハッポンアシの頭に代わりの乗っかるリフであった。
 ハッポンアシは嬉しそうに七本の触手を蠢かせている。ちなみに切断された足は、しばらくしたら生えてくるのだという。
「……相変わらず、モンスターに絶大な支持を誇るな」
「ハッちゃん、人見知りする子なんだけどねぇ。いや、それはいいや。とにかく帰るよ、アリエッタ! そんな男の陰に隠れてないで、ちゃんと話をする!」
 シルバと同じように、呆れるようにハッポンアシを眺めていたノインだったが、振り返ってアリエッタ達に向き直った。
「いや、その、帰るって……サフィーンまで?」
 義姉の矢面に立つ羽目になったロメロが、遠慮がちに問う。
「そうだけど……そういえばアンタ、アリエッタの何な訳? 襲ってきた連中と、同じ服装してるけど」
「お、俺は」
 一瞬躊躇ったが、アリエッタを庇うように立ちはだかりながら、ロメロが宣言する。
「アリエッタのお腹の中の子の父親だ!」
「…………」
 ノインは無言でロメロを見つめ、それから小首を傾げた。
「ごめん、もう一回言ってくれる?」
「だから、コイツの腹ん中には、俺の子がいるんだよ」
「オッケー」
 ノインの頭上に光球が出現した。
「死ね♪」
 その脇を、シルバが駆け抜けて、二人を押し倒した。
「うぉわっ!?」
「ひゃうっ!?」
 直後、シルバ達の真上を、光球が通過した。
 川に巨大な水柱が生じたのは、そのすぐ後の事だった。
「あ、危ねー……っていうか、妹巻き込んでたっつーの……」
「た、助かったぜ……」
「いいから、お前らは少し引っ込んでろ」
 ロメロに言い、シルバは立ち上がった。
 ノインは笑顔だったが、アリエッタに向けられたその目は据わっていた。
「ふふふふふ、人間? 人間が、アリエッタの夫になるっての? カモ姉が出戻ってきたりナイアルが振られたりした理由を知らないアンタじゃないでしょうに……!」
「だだだ大丈夫! だってロメロ私の正体知っても一緒になってくれるって言ってくれてるしちゃんと栄養くれるしすごく活きがいいし!」
「まあ、それはともかくとして、シルバ殿の身にまで害が及ぶというのなら、某が相手にならねばならぬな」
「同意する」
 刀の柄に手をやったキキョウと、金棒を持ったシーラがシルバを庇うように立った。
「何よ、アンタら? ソイツの何なの?」
「シルバ殿の仲間だ」
「個人的所有物」
「同じく」
 キキョウに続いてシーラが言い、さらにシルバの肩の上でちびネイトが胸を張った。
「おい」
「……うう、羨ましい」
 少しヘコむキキョウであった。
「なるほど、人間だけどこちら側に近いって訳か」
 そして納得するノイン。
「いや! その基準で判断するのはちょっとどうかと思うぞ!?」
 やれやれ……と、それまでなりゆきを見守っていたカナリーが、首を振った。
「何にしても、だ。とりあえず落ち着いて話をしようじゃないか。ここで騒ぐのはあまり得策じゃないのは、そちらも分かっているはずだよ? 帰る帰らないの話もあるけど、シルバの話じゃどうにも一筋縄ではいかない様子」
「だな。村の人間だけならまー、とにかく振り切ればいいだけの話なんだけどさ。それにしたって、ちょっとスッキリしないよなー……ってのは、第三者の感想なんだけど、その辺どうよ、当事者二人」
 コインの事もあるし、誰が村人達を襲っていたのかも、実はまだハッキリとは分かっていない。
 その辺りは、ノインにも聞いてハッキリさせておきたかったシルバである。
 シルバの問い掛けに、ロメロとアリエッタは顔を見合わせた。
 そして、シルバに向き直る。
「そりゃ俺だって、村の人間に分かってもらいてーよ。アリエッタが人を傷つけるような奴じゃないってのは、俺が保証するし、魔族だからって追い出されていいとは思わない。けど、今はアリエッタの身体が一番大事なんだよ」
「わわわ私もロメロの意見に賛成です正体を知られるまでは仲良くして頂きましたし時間を掛けて理解してもらえればとか思ったりもしますけどもうちょっと時間が掛かると申しましょうか」
 一方、苛立つノインには、ヒイロとタイランが近付いていた。
「まーまー、そっちの人もカリカリしないで、ご飯食べれば落ち着くよ。はい、焼き魚♪」
「そ、そういうモノでもないと思うんですけどね……」
「……ふん。こんなモンで懐柔なんてされないからね」
 そう言いながらも、ノインは木の枝に刺さった焼き魚を受け取ると、その腹を囓った。

 水柱を上げた川から少し離れ、森の奥でシルバ達はたき火を囲んだ。
 シルバは自分達がウェスレフト峡谷を目指している事を話し、ロメロとサキュバスであるアリエッタから改めて自己紹介を受けた。
 そして、アリエッタの姉であるノインも、不承不承ながら自分の事を話し始めた。
「ノイン・カノセ。種族はサキュバスでカノセ家の次女。半年前に失踪した末娘のアリエッタを追って、ここまで来た。……って言っても、追跡はほとんどハッちゃんのお陰だけど。ちなみに長女のカモ姉と三女のナイアルは留守番。あの二人は性格的に外向きじゃないしね」
 ちなみに長女は正しくはカモネというらしい。
 そこまで聞いて、シルバはパンと手を打ち合わせた。
「はい、それぞれ簡単に自己紹介を終えた所で、改めて状況の整理をしたいと思います」
「何でアンタが進行役になってんのよ」
 ノインは不満そうだ。
「いや、それなら交代する?」
「い、いいよそんなの。さっさと進めて」
「はいはい。とりあえずこの土地で起こった事を話すな。ロメロとアリエッタは半年前、この地で出会った」
「あ、あれ……? 同じ半年前?」
「それがどしたの? タイラン?」
 タイランが首を傾げ、それをヒイロは不思議そうに見上げていた。
 けれどシルバは構わず話を進める事にした。
「ん、疑問は後回しね。この辺りだと魔族に対する目は割と厳しい事もあって、アリエッタは魔族である事を隠して、ロメロ達村人の世話になった。んで同年代であるロメロと親密な関係になった、と」
「そうなりますロメロにはある日サキュバスである事はバレたんですけど黙っていた方がいいという事になってそのまま。それで言葉と文字を覚えて何とか故郷の村にも手紙を出したんですけどまだ届いてなかったみたいですね」
 コクコクと頷くアリエッタに、姉であるノインは唸る。
「そうなるかな……仮に届いてたとして、アタシにまでは伝わってなかった」
「どうやってアリエッタがこの土地に来たのかは不明、と……」
 シルバはノートに、整理した内容を書き込んでいく。
「はいいつの間に迷い込んだみたいで。あ、でも風景が変わる直前に人の気配と気が遠くなるような感じはしました」
「うん、方向音痴っていうレベルじゃないね」
 カナリーに言われ、アリエッタはしょぼくれる。
「うう……申し訳ない」
「迷い込んだとかそういうレベルの距離ではないのだがな。しかし、話を聞く限りではやはり神隠しの類ではなく、人攫いであるか」
 キキョウも自分の考えを述べた。
 それが、今から半年前から今に至る出来事だ。
「とはいえひとまずこの半年は平穏な日々が続いた。がしかし、ロメロの話ではこの辺りで事件が発生。数日前から、村人が何人か精気を吸われるという被害が出た」
 そこで、小さくノインが手を挙げた。
「ま、そりゃアタシとハッちゃんの仕業だね。さすがに動物の精だけじゃどーにもならなくてさ、行き倒れてた所を発見されて問答無用で襲われ掛けて、返り討ち。あ、死ぬほどの量はもらってないはずなんだけど。言っとくけど、正当防衛だかんね」
 そのハッちゃん、ことハッポンアシは、たき火の輪から少し離れた場所で、リフに遊んでもらっている。
 何故か一人と一匹はお手玉で競い合っていた。
 シルバはそれをしばらく眺め、再び皆に顔を戻した。
「…… まあ、理由はともかくこの報告を受けて、北東の方にある大きな街、スターレイから司祭長達がやって来た。村を訪れた司祭長はアリエッタを即座にサキュバスと見抜いて尋問に掛けようとしたが、ロメロはアリエッタと一緒に逃げ出した。追いかけられた所に、俺達が遭遇。この服のせいで敵と認識されて、襲われた、と」
「ああ、悪い。まさか山狩りの最中に、たまたま冒険者の司祭が森の中にいるとか、思わなかったんで」
 すまなそうに頭を下げるロメロ。
 そして、シルバは難しそうな顔をしながら、腕組みした。
「……俺の運ってどうなってんだろなー。時々自問しちまうんだけど。ともあれ、その後俺達が川からアリエッタを釣り上げ、現在に至る、と。ま、色々疑問はあらーね」
「で、ですね」
 コクコクと、タイランが頷く。
 一方ヒイロは、苛つきながら魚を頬張るノインが気になってしょうがないらしい。
「ねーねー、怒りながらご飯食べると、消化によくないよ?」
「分かってるよそんな事!」
「それよりもこれからどうするかも、問題だ。出来ればこの夜闇に紛れて逃げたい所だけど、向こうも多分もう、主なルートは封じてるだろうな」
「川は?」
「それは俺も最初考えたんだ。けどこの川は西に流れてる。俺達は東に行きたいんだよ。都市に潜り込めば、多分何とかなるんじゃないかと思う」
 ロメロの懸念はもっともだ。
「んー……それについては俺にもちょっと考えがあるんだけど」
 方位磁石で方角を確かめて、シルバは首を振った。
 船でもあればいいんだけどなーと考えるが、ないモノはしょうがない。
 一方、タイランは別の心配をしているようだった。
「ま、まさか、こっちについてこさせる気じゃないですよね?」
「いや、それはないない。お互いにリスク高すぎるって。ま、何にしても途中まではそっちのお姉ちゃんも一緒だろ。そっちが回復するまでは、待とう」
「アタシは今でも充分動ける!」
「だったらちょっと飛んでみてくれる?」
「……今はそう言う気分じゃない」
「という訳で小休止せざるを得ない。んでリフ」
「に?」
 お手玉の手を休めて、リフが駆け寄ってきた。
 その後ろから、ノロノロとハッポンアシもついて来る。
「モース霊山からこっちまで運ばれる時って、何回ぐらい飯食ったか覚えてる?」
「にぅ……数は覚えてないけど、いっぱい」
「うん、まあそうだよな。けど、その答えで充分だ。普通、サフィーンからここまでは、距離がありすぎる。ロメロ、この辺りに古代遺跡とかもしかしてあったりしないか?」
「そんなのやたらにあるぞ? うちの村の収入源は、そんな遺跡を調べに来た学者とかの宿泊費がメインだからな。もっとも、財宝とかはもうとっくに掘り尽くされてないって聞いてるけど」
「その内の一つに、別の場所への転送機能のあるモノがあるんじゃないかなー……っていうのが、考えられる。ま、可能性の一つだけど。んで、それを使って彼女を掠ったのが、コイツじゃないかと俺はにらんでるんだ」
 シルバは書物のレリーフが刻まれたコインを、指で弾いた。
「リフの時も同じような手が使われたのであろうか?」
 キキョウの問いに、シルバは慎重だった。
「トゥ……いや、連中の中にも色々いるらしいからなぁ。誘拐したのが同一人物とは限らないだろう。そもそも、何故、彼女がこの地に置き去りにされたのかが分からない。売られるのならともかく」
「ひぃっ!?」
 シルバの発想に、アリエッタは怯えたようにロメロに身を寄せた。
「考えられるのは、何かの事故で彼女がこの土地に放り出された。もしくはそうする事で何らかのメリットがあった」
「彼女がここに来て、誰にメリットがあったかって話だよな」
 ちびネイトとシルバが頷き合い、皆は一斉に同じ人物を見た。
「何でみんな俺を見るんだよ!? アリエッタまで!」
 視線を一斉に浴びたロメロが、たまらず絶叫する。
 シルバはもう一度、手を打ち合わせた。
「……ま、冗談はともかくとしてこの件で一人、実際利益を得られる人がいる訳で」
「誰だよ?」
 ロメロの問いを無視して、シルバは手帳をめくった。
「んんー、証明したいんだけど、証拠がなくてなぁ。だからちょっと言えない。んでさ、そっち二人」
 シルバは手帳を閉じると、ロメロとアリエッタを指差した。
「俺達か?」
「うん、むしろこの件は二人が主役な訳で。どうする? 証明したい?」
「……そりゃ、してえよ。アリエッタはこんな異国の土地に置き去りにしたってんなら、その犯人をぶん殴ってやりてえ」
 うん、まーそう言うだろうなと、シルバの予想通りだった。
「でも、そうすると相手と向き合う事になるから、彼女を危険にさらす事になる」
「くそっ……それじゃ駄目だ!」
「それじゃ、やっぱり逃げる方優先にしとこう。俺も残念だけどな……ま、でも」
 少し考え、用心はしておくかとシルバは考えた。
「念のためみんな、ちょっと財布出してくれるか? そっちの姉さんも」
「アタシまで!? 何するのさ!?」
 シルバの唐突な提案に、皆は一斉に驚いた。
「もしも追い詰められたら、その時に役に立つお守りみたいなモン。何、別れる時にはちゃんと返すって」
 シルバ自身も含めて、それぞれ金袋を開け始める。
 そんな中、ノインはロメロをジロッと睨み付けていた。
「言っておくけどアンタ、アタシはまだ妹との交際を認めている訳じゃないからね。あくまで今は、休戦状態だって事を忘れないで」
「お、おう」
 さすがにロメロもアリエッタの姉には、強気には出られないようだ。
 一方シルバは必要な硬貨を十数枚、得る事が出来ていた。
「っ!?」
「ぬう、馬鹿な……!?」
 唐突にリフとキキョウが、ある方向を見つめ、臨戦態勢に入る。
「敵か、二人とも!?」
「う、うむ。警戒していたのだが……その、まるで突然に現れたようだ。それなりに訓練された……うむ、これはおそらくシルバ殿の言う、ゴドー聖教の手の者であろう」
「……ある意味、手間が省けた、かな」
 シルバも硬貨をポケットに突っ込み、戦闘準備を整えた。


 司祭長達と会っていないキキョウ達には、簡単に作戦を伝えてから隠れてもらう事にした。
 残ったのはシルバ、ヒイロ、タイラン、ネイト。
 そしてロメロとアリエッタに、ノインだった。
「ひとまずロメロとアリエッタも逃げて――」
「却下ね」
 シルバの提案を、ノインが遮った。
「おう?」
「あの手の輩は、逃げた所で追いかけてくるでしょ。そしてどこかに落ち着いても、常にその追っ手の影に怯える事になる。ここは迎撃して、完膚無きまでに叩きつぶすべきだよ」
「……言ってる事はもっともだけど、別にそこに二人が居合わせる必要はないんじゃないか?」
「こういうのは、目の前で見なきゃ、安心出来ないわよ。経験で言ってるんだから、間違いないね」
「……って言ってるけど?」
 シルバは、当事者であるロメロとアリエッタの方を向く。
「俺は一理、有ると思う」
「ななら私もご一緒します一人で逃げるのも嫌ですし」
 どうやら二人も、ノインに賛成のようだ。
「……オーケー。まずは追っ手と話をさせてくれ。俺達がいれば、問答無用って事にはならないと思う。どっかの誰かさんみたいにはな」
 昼間、シルバを奇襲したロメロが真っ赤になった。
「う、うるせー!」
「んで司祭長とその仲間ってロメロ、どれぐらい強いか知ってるか?」
「かなり強い……と思う。もっともアンタの目から見た基準ってのが分からないんだけど……この付近にモンスターが出れば、駆除するのが神官兵の役割になってる」
「人間相手は?」
「……その経験は、ほとんど無いと思う。ただ、司祭長だけは別格だ。奇跡を使うし、メチャクチャ強いぞ」
 奇跡、という単語に、思わずシルバは顔をしかめてしまう。
「……いやしくも神の僕が簡単に奇跡なんて言葉使うなって。具体的には? 空を飛んだりとか、問題の答えを常に四択にしてくれるとか、前後上下だけで左右からの攻撃を無効化するとか?」
「何だそりゃ」
「……俺の知ってる奇跡の使い手が、そういう事やれるんだ」
 シルバは、適当に言葉をぼかした。
「サイレン司祭長の力はそう言うのとは違う。神への祈りなしで術を使える」
「ほう」
 ロメロの説明に、ちょっとシルバは考える。
 そういう使い手も、いない事はない。
「それよりも厄介なのは、ああ見えてあの人は、ゴドー聖教格闘術の達人なんだ」
「へえ、肉体派か。流派は? 色々あるだろ。ユーロック式とかコラル式とか」
「そ、そうなのか?」
 ロメロは、知らないようだった。
「……了解。直に確かめるしかなさそうだな」
「先輩先輩、その司祭長の相手はボク? ユーロック式格闘術なら、ボク少し知ってるよ。集落に時々来てた司祭の女の人が、体操代わりに教えてくれてたし」
 はいはい、とヒイロが大きく手を上げる。
「まあ、体操の一面もあるけどな。……場合によっては俺が相手でいけるかも」
「先輩が!?」
「あ、危ないですよ……? だって、シルバさん、格闘技の心得なんて、ないでしょう?」
 仰天するヒイロに、タイランもシルバを止めようとする。
 しかし、覚えのあるネイトは笑うだけだった。
「ふ、なるほど。久しぶりにシルバのアレが見られるのか」
「アレって何!?」
「ま、それもハマればの話だけどな。んじゃま、交渉といきますか」


 やがて、森の奥からサイレン司祭長とその部下の一団が現れた。
 ザッと見た所で十数人。
 もっとも、奥にはまだいるかも知れない。
「おお、これはこれは。……誰だったかな」
 サイレン司祭長はシルバの姿を認め、少し考え込む。
「そう、シルバ・ロックール君だったか。その後ろにいる少女は危険な魔物だ。これから始末するので、巻き込まれない内に早く離れなさい」
「魔物?」
 アリエッタは元から、ノインも今は人間の姿を取っている。
 人を魅了しその精気を糧にするサキュバスは、特にアイテムも必要とせず、人の身に変化する事が出来るのだという。
「ああ、君は知らないかも知れないが、サキュバスという人の精気を吸うモンスターなんだ。少年の方は少女に魅了されてしまってね。村に連れ戻して浄化しなければならない」
「……昼間、襲ってきた奴ですよね?」
 シルバは、ロメロを指差した。
 すると、サイレンは大仰に首を振った。
「君を巻き込みたくなかったのだよ。気遣いだ。いいからどいていなさい。これは、冒険ごっことは訳が違うんだ。親御さんや師事する司教に迷惑を掛けるつもりかね?」
「生憎と、おおよその話は聞いてるんですよ。どちらの話を信じるかは、俺が決めます」
 シルバが言うと、サイレン司祭長は大きく胸を張った。
「私はこの教区を治める司祭長だ!」
 だが、その説得力はシルバには通じず、平然と応じた。
「後ろの少年も、聖職者の見習いです」
「ならば、どちらを信じるかなど、瞭然ではないか」
「ロメロ、俺に話した内容に嘘偽りは?」
「ない」
「神に誓って?」
 ロメロは右手を挙げて、宣誓した。
「誓う」
 頷いたシルバは、サイレン司祭長に向き直った。
「司祭長もゴドー聖教の信徒なら承知の上だと思いますが、神に誓った上での虚言は大罪です。神への反逆にも等しいですからね。手順は褒められたもんじゃないですが、身重になった彼女を処罰されると分かってるなら、そりゃ逃がすでしょう」
 肩を竦めて言うシルバ。
 負けじとサイレンは、ロメロを指差した。
「その少年は錯乱している! サキュバスの瞳には魅了という、異性を虜にする恐ろしい力があるのだ! まだ未熟なその少年が快楽によって堕落させられた事は残念だが……ジョージア!」
「……は、はい」
 司祭長の呼び出しに、森の中から痩せた一人の中年司祭が現れた。
 それを見て、後ろのロメロとアリエッタが強張るのが分かった。
「親父……!」
「お、お義父さん……」
 ロメロの父、ジョージアは組んだ手の中でしきりに親指同士を擦り合わせながら、済まなさそうに息子を見た。
「ロ、ロメロ……その、何だ。戻って来なさい。今ならまだ間に合うと、司祭長も仰っている。そりゃ、多少の懲罰は必要になるだろうが、このままだと、立派な聖職者への道も閉ざされてしまうんだぞ?」
「でも、そうしたらアリエッタが犠牲になるだろ。俺は、そんなの嫌だぞ!」
 ロメロの叫びを、サイレン司祭長は嘲笑った。
「残念ながら、父上は君達の子供に祝福を与えられないと言っている。もちろん、我々もだ」
 さらに、ノインもちょっと困った風に手を上げた。
「ま、その辺はアタシも同意見なんだけどね」
「ちょ!?」
 アリエッタの身内から裏切られた事に、ロメロが思いっきり動揺する。
「安心して。別に敵に回る訳じゃないよ。ただ、人間とサキュバスのハーフとなると、うちの故郷でも受け入れるのは難しいかな……っていう現実的な話をしてるだけなんだ。出来ちゃったものを産むなとは言わないけど、結構辛い人生になると思うし。そもそもアタシ自身、人間好きじゃないしね」
 言って、ノインは背中から四本の蝙蝠に似た羽を出現させる。
「……俺達に味方は無しか」
 ロメロとアリエッタは司祭長や武装した神官兵達、ジョージア、ノインと見渡し、項垂れた。
 話は終わりか、と判断した司祭長がスッと手を上げ、神官兵達が武器を構える。
 そこで、シルバも手を上げた。
「祝福しよう」
 ザワ……と、シルバの仲間を除いた全員がざわめき立つ。
「何……?」
 サイレン司祭長が、シルバに問い返した。
「俺が祝福するっつってんの。何か問題が?」
 もちろん、サイレンは激昂した。
「あるに決まっている! 君はまがりなりにも司祭の身でありながら、魔族の誕生を祝福するというのか!? 魔族は神に対する裏切り者だ! その教義を何と心得る!」
「まがりなりも何も、ちゃんと総本山の正式な許しを得て、司祭の身ですよ俺は。あと、その解釈はちょっと違います。魔族は、主神ゴドーと敵対した古き神と行動を共にしたに過ぎず、帰依すればその恩恵はちゃんと得られる事になっている。そうでなくても、ゴドー神は敵でない者には寛容のはず――」
 そこまで言って、シルバは困ったように頭を掻いた。
 言いたい事はそういう事ではないのだ。
 ぶっちゃけた話、誰も二人の味方にならないなら自分がなろう、というそれだけの動機だったりする。
「ご託はいーや。生まれだの育ちだので邪悪と断じるのは、そりゃ差別ってもんでしょ。彼女がこれまで何をし、これから何をするのかがその判断の基準ってモンでしょうが」
「村人に害を与えたではないか! その為に、我々は村に出向いたのだぞ!?」
「あ、それアタシ。アリエッタは一人も襲ってないわよ」
 ノインが言うと、ぐ、と一瞬サイレンが言葉に詰まる。
「そんな話が信じられるか! 大体、お前は何者だ!」
「この子の身内だよ。文句があるなら掛かってきなさい。こっちもいい加減、イライラしてるんだから」
「とにかく、この二人を害するなら、俺がその盾になろう」
 シルバは一歩前に出た。
「あ、じゃあボクも祝福するー」
「わ、私もしますね?」
「ふふ……言わずもがなという奴だな」
「あ、あああありがとうございます」
 ヒイロ達の言葉に、アリエッタがペコペコと頭を下げた。
「……どうやらもはや、説法は通じぬようだな。皆、構え!」
「は!」
 武器を構えた神官兵達も、シルバ達に一歩進み出る。
「たったそれだけの人員で何が出来る! 行くぞ! 神官兵の力を思い知らせるのだ!」
「おお!」
 サイレン司祭長のかけ声と共に、神官兵達が一斉に動き始めた。
 シルバはその場を動かず、大きく手を上げた。
「やれやれ……それじゃ、こっちも行くぜ? カナリー、出番だ!」
「了解だよ、シルバ」
 シルバの指が鳴ると同時に、暗い森に眩い閃光が広がった。


 シルバが目を開くと、まだカナリーが放った閃光は完全に力を失っておらず、夜だというのに敵の神官兵達の姿は丸見えだった。
 彼らは目を覆い、呻き声を上げている。
 袖から札を取り出し、シルバは駆け出した。
「うし、リフ行くぞ」
「に!」
 木の上から下りてきたリフが、シルバと並走する。
「出来るだけ多く盗むんだ。そうすりゃ後でグッと楽になる」
「にぅ……りょうかい。盗賊がんばる」


『シルバ殿、某達はどうすればよいのだ? 細かい部分まで作戦を聞けなかったが、いつも通りでよいのだろうか』
 シルバの頭に、ネイトを通してキキョウの念波が響いてきた。
「そうだな。キキョウとシーラはとにかく手数重視。重い一撃は要らないから、とにかく出来るだけ多くの敵を叩いてくれ」
『承知』
『了解した』
『杯』の札に魔力を送り込み続けながら、シルバは敵の隙間をすり抜けていく。
「相手が術を使ってくるけど、それも織り込み済みだから動揺しないように。カナリーが対応策を持ってるから、その時を待ってくれ」
『対応策とは?』
「すぐに分かるさ」


「目が、目がぁぁああ……!」
 喚き続ける神官兵の中、いち早く我を取り戻したのは、サイレン司祭長だった。
 彼はわずかに早く目を閉じ、カナリーの閃光の影響を受けずに済んでいた。
「皆、落ち着け! {明眼/リライト}を使うのだ!」
 堂々と響くその声に、部下達は皆、落ち着きを取り戻し始める。
 そして一斉に印を結んだ。
「{明眼/リライト}!!」
 盲目効果を無効化するその術で、彼らはようやく視力を取り戻した。
 だが、それだけではまだ足りない。
「続いていつも通りに防御を固める! {鉄壁/ウオウル}!」
「{鉄壁/ウオウル}!」
 神官兵達の声が、夜の森に響き渡る。
「よろしい! では――」
「よいしょおっ!!」
 大上段から襲いかかってきたその攻撃を、サイレン司祭長は両腕をクロスさせて防いだ。
「くっ……! モンスターが!」
 後退し、間合いを取る。
 しかし、鬼族の戦士は骨剣を振りかぶり、お構いなしに距離を詰めてくる。
「モンスターじゃないよ。オッチャンの相手は鬼族のこのボクだよっと!」
 骨剣の攻撃自体は、サイレンにとってはさほど脅威ではない。
 しかし、妙にこちらの動きに対応してくる所を見ると、もしかするとユーロック式格闘術との戦闘経験があるのかもしれない。
 それ以上に厄介なのは、剣攻撃の合間に放たれる蹴りだ。
 どういう力が働いているのか、その威力は酷く重い。
「ええい、ちょこざいな! 皆の者、やる事はいつもと変わらない! 落ち着いて戦えば勝てる相手だ!」
 部下を鼓舞すると、サイレンは目の前の敵に専念する事にした。
 肉弾戦も苦手ではないが、本来自分は指揮官である。
 だが、鬼族のコイツを倒さねば、そちらに集中出来そうにない。


「司祭長様の仰る通りだ! 落ち着いて戦えば、取るに足りぬ数! 行くぞ、皆の者!」
「おう!」
 司祭長の言葉に、神官兵達の士気も上がる。
 その彼らに、正面からメイド服を着た少女が躍りかかった。
「手数で勝負」
 シーラの繰り出す金棒の無数の突きが、一番前の神官兵を捉える――が、虹色の見えざる障壁が、身体への到達を拒んでしまう。
「むぅっ……? だが、神の見えざる鎧で身を固めた俺達に」
 構わず放った次の突きが、勝ち誇る神官兵の顎を捉えた。
「がっ!?」
「手数で勝負」
 {鉄壁/ウオウル}の効果は強力だ。
 弱い攻撃ならば無効化する事も出来る。
 だがしかし、その効果を上回る攻撃力で攻められた場合はどうか。
「き、効かないだと……げ、ご、がはっ!?」
 否、{鉄壁/ウオウル}が効いていないのではない。
 嵐のような乱打が、{鉄壁/ウオウル}分のマイナスを差し引いても、彼に尋常ではないダメージを与えているのだ。
「スピードアップ」
 シーラの攻めの形が変化する。
 頭を振った反動と高速の体重移動から繰り出される、凄まじい金棒の打撃が最前列の神官兵をぶちのめしていく。
「がっ、あぶっ、げぼっ、ぐへあっ!?」
 見る見るうちに顔が血まみれになり、その甲冑もひしゃげていく。
 シーラの攻撃は休まらず、徐々に彼は後退していく、いや、させられていく。
「お、おい、下がるな! 陣形が崩れ、げふっ、ぎゃっ、うごぇっ!?」
 血の嵐は他の神官兵まで巻き込み、徐々に拡大していく。
「誰か、誰か、小盾でも大盾でもいい! 奴の攻撃を止めるんだ」
「だ、駄目です、防ぎきれません! 隊が、げはっ、ぐはぁ……っ!」


 シルバの指示通り、一撃の重さよりも得意の速さで神官兵達を翻弄していたキキョウは、シーラの容赦ない高速爆撃攻撃に溜め息をついてしまう。
「……もしかすると、シーラに術は必要ないのではなかろうか」
 シルバの意図は明白だ。
 神官兵達になるべく多くの魔力を消耗させ、防御を丸裸にさせようというのだろう。
 ただ{大盾/ラシルド}などに比べ、{鉄壁/ウオウル}の効果は持続時間が長い。
 それを何とかするのが、カナリーの役割なのだが。
「まあ、基礎攻撃力が規格外だからねぇ。ともあれ、雷属性を刀に付与したよ。これで魔法攻撃扱い、鉄壁を打ち消せる」
「ありがたい!」
 紫電を刃に走らせ、キキョウは神官兵の一人に斬りかかる。
「さて、と……次はシーラに掛けるとしようか」
 カナリーは、そのシーラの背を見て、ホント、彼女に必要かねえと苦笑した。


 別の神官兵グループは、手の平を夜空目がけて構えていたが、その狙いを定める事が出来ないでいた。
「{神拳/パニシャ}だ! {神拳/パニシャ}を当てろ! 魔族ならそれで落ちる!」
「し、しかし相手が速すぎます! 目で追い切れな――あ」
 夜の闇の中、獣の速さで舞っていたサキュバス、ノインが彼らの前に着地する。
 そして彼女の目を、神官兵達は直視してしまった。
 その途端、自分達の身体が動かなくなった事を彼らは自覚する。
「か、身体が……っ!」
「悪いけど、まだまだ食べ足りないんでね。遠慮無く、精気をもらってくよ」
 ノインは微笑むと、一番近くにいた神官兵の首筋に、細い指先を当てた。


 部下達の阿鼻叫喚の声を聞き、やはり自分が指揮を執らなければならないと考えているのか、サイレン司祭長の顔にも焦りの顔が浮かび始める。
「小僧、舐めるな!」
「ほっ!」
 だが、焦りのせいか攻撃は単調になり、その動きはヒイロに見切られてしまう。
「むぅ……!? ならばこれでどうだ!」
 サイレン司祭長は袖からコインを一枚滑り落とした。
 指で弾こうとするその動作に、ヒイロは骨剣を構える。
「そんな攻撃、打ち返せば――」
「避けろ、ヒイロ!」
「え?」
 シルバの声に、一瞬ヒイロは無防備になった。
「遅い!」
 直後、サイレン司祭長の指先から風を切り裂くような音と共に白い光線が迸った。
「にゃぁ!?」
 間一髪、誰かがヒイロに覆い被さり、サイレン司祭長の攻撃は彼らの頭上を通り過ぎていく。
 そしてその攻撃の先――ロメロとアリエッタを守っていたタイランに直撃した。
「ひゃあっ!?」
 爆発音が大きく響き、その場にいた全員が一瞬、動きを止める。
「……ギ、ギリギリセーフ」
 ヒイロに覆い被さったシルバが呟く。
 危ない所であった。
「せ、先輩、ありがと」
「気を付けろ。弾いたり投げたりしたモノに驚異的な破壊力を込める、ゴドー聖教『砲術』の使い手だ。コインの一撃が致命傷になるぞ」
「それはいいがシルバ、いつまでヒイロ君を押し倒している。何という羨ましい」
「うむ、同感だ!」
「そう」
 シルバの目の前にふよふよと浮いていたネイトが言い、キキョウやシーラも同意する。
「いや、手をとめずに働けよお前ら!?」
 シルバがすかさず突っ込んだ。
 そんな彼らの妙に余裕のある様子を奇異に思いながらも、サイレン司祭長は冷笑した。
「ふ……っ。だが、私の目的は達した。あの一撃を食らえば……」
 派手に上がった土煙で、ロメロ達の様子は分からない。
 とはいえ、鉄扉でも一撃で破壊しかねないあの攻撃を食らって、ロメロ達が無事とは思えない。
 例えあの重甲冑が盾になっていたとしても纏めて吹き飛ばされているはず……。
「あ、あ、危なかったです……」
「何だと!?」
 土煙の向こうから聞こえるその声に、サイレン司祭長はギョッとした。
「生憎とタイランには、その手の攻撃は効かない体質でね」
 シルバは立ち上がり、自分の服の土を払う。
 精霊眼鏡を掛け、右手に針、左手に『杯』の絵札を持つ。
 周囲には、厚い水の膜がカーテンのようにユラユラと揺れていた。
「何処までも邪魔をする気かね、ロックール君」
「……ヒイロ、選手交代。こっちの仕事は済んだから、カナリーに術を掛けてもらって敵を減らしてくれ」
「だ、大丈夫なの、先輩?」
「いやあ、多分勝てないと思う」
「それじゃ駄目じゃん!?」
「でも、負けもしないと思う。何、その間にお前らが、どんどんあの人の部下達を無力化していきゃいいんだよ。さあ、始めようか司祭長」
 肩の上にちびネイトを乗せ、シルバは腰を落とした。
 その構えを見て、サイレンは失笑する。
「舐められたものだな。そんな無茶苦茶な構えで……」
 だが、その言葉は途中で止まる。
 どうやら理解したようだ。
 素人同然のその構えが、妙に様になっており、攻め難いという事実に。
「……だがユーロック式格闘術を修めたこの私の拳、その程度の構えで止められるとは思わない事だな!」


 そして森の中央で、シルバとサイレン司祭長の戦いは始まった。
 全力で行き、そして速攻で叩きつぶす――!!
 その司祭長の目論見は、目の前の少年によってあっさりと阻まれてしまっていた。
「次は右」
「……っ!?」
 繰り出した右の拳は『またしても』回避されてしまう。
 既に上着は脱いでいる。
 汗だくになりながら、サイレンは身体を沈め、シルバの足を払いに掛かる――が、一瞬早く、シルバは後ろにステップしていた。
「足払い、肘打ち、もう一回肘打ち、ストレート」
 その拳のことごとくが受け、弾き、避けられる。
 見てからの回避ではない。
 決してシルバの動きは速くない。
 あらかじめ、サイレンの動きを『予測』しているのだ。
「何故、分かる……! 読心術の使い手か」
 砲術も交えて空振りは、スタミナを極端に消耗させる。
 息を荒げるサイレンに、シルバは肩の上のちびネイトと共に苦笑していた。
「それが出来ればいいんだけどねぇ」
「お手本通りの洗練された見事な攻撃。だが、それ故に読むのも容易い」
「どうやら我が流派の心得があるようだな」
 サイレンは顎の汗をぐいと拭い、構え直す。
 一方シルバも、ゆらりゆらりと揺れる水の膜を後ろに背負いながら、その場で軽快にステップを踏んでいた。
「少し。ほとんど我流ですがね」
「我流でここまで出来るモノか!!」
 サイレンがコインで新たな砲術を放ち直後、一瞬で間合いを詰める。
 爆音が響く。
 やはり当たらない。
 至近距離での攻防は、明らかにシルバが上、ダメージこそサイレンにほとんど与えていないが、防御は全て間に合っている。
「嘘じゃないんだよなぁ」
「うむ、嘘はついてないな。ユーロック流、体操レベルでは習得しているが」
 汗を掻いているのはサイレンだけではない。シルバも同様だ。
 防御にだって、体力は使うし、サイレンは最初の時点で『鉄壁』で防御を固め、『豪拳』で己の力を強化している。腕や足も痛くないはずはない。
 なのに、この違いは何だ。精神的余裕の差だろうか。
『加速』を使わなかったのは失敗だったか、と今更ながらにサイレンは後悔する。だが、『回復』と同様、今更印を切る余裕はない。そんな所を狙われたら、それこそ何をされるか分かったモノではないだろう。
 それにサイレンは、シルバだけを相手にしている訳にはいかなかった。
 獣人やメイドに、鬼族まで加わり、明らかにサイレンの部下達は劣勢だ。
「くっ、このままではまずい」
 態勢を立て直す必要があるが、その指揮はサイレンが担っている。
 一旦、シルバと距離を取る必要があった。
 が。
 足下にシルバの投擲した針が刺さったかと思うと、背後に突然、土の分厚い壁が出現して、サイレンを逃がさない。
 そしてシルバはしつこく、食い下がってくる。
「余所見は困るぜ、司祭長! 今は俺の相手だろう!」
 素人同然のその拳を、サイレンは苛立たしげに払った。
「そんな攻撃が効くと思っているのかね!」
「別に効かなくてもいいんだー」
 挑発するようにいやらしく、シルバは笑う。
「何?」
「指揮官であるアンタの妨害が俺の仕事だから、役目は果たしてるって事さ」
「くう……っ!」
 まったくその通りだった。
 シルバはおそらく予め、前衛職の誰かに指示を送っていたのだろう。
 だから、こうまで余裕があるのだ。
 それにしても、サイレンには分からない。
 シルバの言葉を全て信じる訳ではないが、その動きはお世辞にも洗練されているとは言い難い。
 しかし、ユーロック式格闘術には心得がある。
 間違いなく、その動き、型、連携を知っている。
 それも、おそらくはサイレンと同レベル……いや、もしくはそれ以上か。
 となると、道場の師範か高弟しかいない訳だが……。
「そうか……見過ごしていた。聖職者の親が同じ職業である可能性! 君の父親の名前は何という」
 肉親より、幼い頃から手解きを受けているならば、どれほど格闘の才能が無くても、それなりの対応が出来るだろう。時間稼ぎの為、ほとんど防御に専念しているのならば、なおさらだ。
 しかし、サイレンの問いに、シルバはどこか呆れ顔だった。その肩の上にいる、妖精らしき者も、似たような表情をしている。
「…………」
「どうした、言えないのか!」
「……いや、すごいなと思って。ここに来て、こっちが何の得にもならないそれを素直に教えると思える神経が」
「目上の人間に対して、そういう口に利き方は感心せんぞ、ロックール君! これは懲罰会議に掛ける必要がある!」
「いやいやいや、司祭長の教区に俺、属してませんし。まあ、教えてもいいけどさ。アイアン・ロックール。知らないだろ?」
「ふ、聞いた事もない! ユーロックの門下生の中でも、未熟だったのだろうな」
「親父を馬鹿に――」
 挑発するようにサイレンが言うと、シルバの表情が怒りに歪んだ。
 好機と見たサイレンは、じゃらりと十二のコインを目の前に浮かせた。それが地に落ちる前に、十二の高速の突きで『砲撃』を放つ。
 巨大な爆風が生じ、サイレンは手応えを――感じなかった。
「う」
 代わりに、背筋に寒気が走った。
「何てな!」
 足下に、またしても針が刺さっていた。
 急激に足場が持ち上がり、小さな山が生じる。
 踏ん張りが利かず、たまらずサイレンは後ろに転げ落ちる。
 その無様な姿を、シルバが見下ろしていた。
「……ま、知らなくて当然さ。まったく、ウチの親父は自称『正真正銘無名の一司祭』だからな」
「うむ。別にお義父様に、格闘技の心得はないし」
「だから、その微妙なイントネーションは何なんだと」
「将来を見越しての発言だ」


 シルバの父親、アイアン・ロックールは実際、家事全般と妙に用意がいいのが取り柄なだけの、平凡な司祭である。
 ただ、母親であるルビィ・ロックールについては聞かれなかったし、わざわざ教えてやる事もないと判断した。
 旧姓を、ルビィ・ユーロックという、同じく司祭である。
 姓からも分かる通り、父親であるスティール・ユーロック(シルバにとっては母方の祖父に当たる)は、ゴドー聖教格闘術、ユーロック流派の伝承者であり、ルビィも「もしも男ならば」家を継いでいたであろうと言われている。
 もっとも現在、ルベラントにある道場はシルバの伯父が継いでおり、ルビィはドラマリン森林領にあるスイカ村で分派の道場を中心に、周囲の異種族の村にもゴドー聖教とユーロック流格闘術の布教に勤しんでいる。
 ……そしてシルバ自身はまるで格闘術の才能はないが、七人の姉妹にはやたら素質があり、じゃれ合いも含めた兄弟喧嘩でシルバは勝った試しがない。
 女性に手を上げる事に抵抗があったというシルバの性格もあり、ロックール家での最弱は父親と一、二を争っていたと言ってもいい。
 本来、シルバは喧嘩がからきし弱い。そこらのチンピラにも後れを取るかもしれない。
 ……だが、ほぼ毎日彼女らの相手や年少組の門下生の世話をしていたシルバは、こと『ユーロック式格闘術の回避』という一点に関してだけなら、自信があった。
 何しろ日常では1対多数が基本、最悪1対7での戦いだ(姉妹の中では特に次女サファイア、踊り子でもある三女エメラルド、双子の妹クォツ&ルリの連携が厄介だった)。しかも、下手をすれば命に関わる(特に年少組は手加減を知らなかった)。
 相手が一人ぐらいならば、何とかなると踏んだシルバであった。
 そして、それは今の所成功している。


 そうこうしている内にも、神官兵はどんどん減っていっていた。
 指揮官が足止めされているというのも大きいだろうが、いくら何でもこれは酷い。
 大盾や回復といった、戦闘時に放たれる祝福魔術の声すら、ほとんど聞こえないのだ。
 慌てて、サイレンは立ち上がった。
「ぬうっ、皆、何をしている! 魔力ポーションの用意を忘れた者はいないはず! 早く回復して、巻き返すのだ」
「し、司祭長、それが……!」
 部下の一人の言葉に、サイレンは絶句した。
「何!?」
 曰く回復薬がない。
 魔力ポーションもいつの間にか無くなっていた。
 獣人やメイドの相手をしている内に、元々の魔力はどんどんと消耗し、だが回復しようにもそれらがなければどうしようもない。
 近接戦闘に持っていったが、そちらは本職である戦士達には敵わない。
 おまけに最後方、邪悪なサキュバスを守っている重甲冑が随時、回復薬で前衛戦士達を回復するのだから、こちらが負けるのも道理の話である。
「ふぅ……」
 ふと、サイレンは小山の上に立つシルバを見上げた。
 汗こそかいているモノの、疲労の具合は息の荒い自分とは大違いだ。
「……君、何故回復している」
「いや、ポーションが大量にあるから」
 そう、シルバが指差したのは、自分の後ろにある水のカーテンだった。
「……その、大量のポーションは、自前かね」
「だから、教える義理はないんだって」
「ならば、力尽くでそれをもらう」
 跳躍し、サイレンは水膜に手を伸ばす。
「却下!」
 シルバの叫びと共に、それはまるで自分の意思でもあるかのようにヌルリと蠢き、逆にサイレンの足を払った。
 空中で体勢を崩しながらも、一回転してサイレンは無事に着地する。
「面妖な……どうやら君も、邪悪に魅入られているようだな!」
「自分の理解出来ないモノを、そうやって全部異端だの邪悪だので断じるのはどうかと思うぜ。ともあれ、不思議な事に部下の方々のポーション類は、いつの間にか失われていて回復もおぼつかない。戦いにおける補給の重要性を知らない訳ないですよね」
『杯』の札を手にしながら、シルバが言う。
 なるほど、明らかにサイレン達の方が、状況は悪い。
 しかしそれでも、サイレンは笑っていた。
「くく……詰んだ、と思うのはまだ早い。君には経験が足りん」
 小さく口の中で必要な言葉を紡ぐ。
 視界が一転し、シルバの後頭部が視界に入る。
 だが、肩の上の小人と目が合った。
「シルバしゃがめ!」
「空間跳躍っ!?」
 サイレン必殺の蹴りは、ギリギリの所でシルバに避けられてしまった。
 ならば、と次の方法をサイレンは練る。
 そして再び、サイレンは空間を跳んだ。


 ドッと全身から汗が噴き出るのを自覚しながら、シルバは身体を起こした。
 その視界に一人の男が呪文を唱えているのが、目に入った。
「キキョウ君、ノインさんを離脱させろ!」
「カナリー逃げろ!」
 ネイトとシルバの叫びはほぼ同時だった。
「承知!」
「りょ、了解!」
 キキョウが跳ね跳び、カナリーが勢いよく飛翔する。
 ほぼ同時にその男――ジョージアの呪文が完成していた。
「{回復/ヒルグン}!!」
 青白い聖光が森を包み、疲弊してはいるもののまだ戦う力の残っている神官兵達が、身体を起こす。
「ぐ……っ! た、助かった……」
 しかしやばいな、とシルバは思った。
「ロメロの親父さん……ずっと後方に下がっていたのか……」
 これまで沈黙していたのは、魔力を節約する為、ギリギリまで回復の機会を待っていたのだろう。
「どうやら、シルバと同タイプのようだな。ある意味では、一番厄介な男だ」
「俺、そんなに性質悪い?」
 ネイトの言葉に、シルバは周囲を見渡した。
 回復でダメージを受けるノインを押し倒したキキョウや、宙を舞うカナリーが、明後日の方角を向いた。
「ってみんな目を逸らすなよ!?」
「そんな余裕を見せていられるのも今の内だぞ、ロックール君。ここから――」
 いつの間にか距離を取っていたサイレンが、両手で印を組んでいた。
 そして。
「――形勢逆転だ」
 森のあちこちから、光の柱が生じる。
 そして聖獣、異界からの来訪者である光人、燐光を放つ精神生命体等が、その光の柱から次々に出現する。
「召喚陣も描かずに……!?」
「なるほど、これがロメロ君の言っていた奇跡の類か……空間跳躍と言い、ただ者ではないな」
「いや、落ち着いてる場合じゃないだろ、ネイト!? 瞬間移動て」
 そんな術、先生でもほとんど使えないというのに。


 炎に包まれた獅子、冷気を振りまく鷹、知性を宿した瞳を持つ巨猿……彼ら聖獣達はゆっくりと、一点に集まりつつあった。
「に……?」
 聖獣らに恭しく囲まれたリフは、少し戸惑ったように首を傾げた。
「あ」
「あー」
 その光景にシルバやカナリーが納得したような声を上げる。
「ど、どうした? どうして戦わない!?」
 逆に勝ち誇っていたサイレン司祭長や、形勢の逆転を確信していた神官兵達は呆気にとられてしまう。
 一方、全身から光を放つ人型――天人や、燐光を放つ糸や球の形をした精神生命体は、ユラユラと揺れながら、リフに近付くべきか迷っているかのようだった。
「ネイト、天人や精神生命体は何で戸惑っているか、分かるか」
「言葉が通じないからだ。しかしリフの霊格を本能的に察し、その攻撃を阻んでいる。もう少し人間のように霊格が低かったり、下手に知能が低ければ、それを感じる力すらなく攻撃していただろう。逆に高くても、私達は力不足で問答無用でやられていただろう。ふ……何、そういう事なら私の出番だ。――精神なら、私の専門分野だからな」
 ちびネイトはシルバから離れると、揺らいでいる彼らに近付いた。
 天人や精神生命体達の明滅は激しく繰り返され、やがて聖獣達と同じようにリフの周囲に集まった。
 慌てたのは、サイレン司祭長だ。
「何だ……一体、何が起こっている? その薄汚れた獣人は何者だというのだ!?」
「あの服は薄汚れてるんじゃなくて、そういう色なんだよ!?」
 すかさずツッコミを入れ、シルバは困った顔をした。
「それと、その台詞はちょっとマズかったな」
「な、何……!?」
 サイレン司祭長は動揺する。
 シルバの言葉にではない、自分が召喚した者達が敵意と共に一斉に自分に振り返ったからだ。
 うん、とネイトが頷く。
「言葉が通じない天人や精神生命体達にも、しっかり通訳しておいた」
「よ、余計な真似を!? っていうかお前も一体何者だ! タダの妖精ではあるまい!」
「答える義理はないな。全ての疑問を、誰かが親切に教えてくれるとは思わない事だ。ともあれ……」
「自分が召喚した援軍が、全部敵に回った気分はどうだ?」
 リフの包囲を解き、ジリ……と動き始める聖獣達。
「ぬ、う……っ!?」
 その様子に、サイレン司祭長も神官兵達も怯む。
 何とか召喚を打ち切ろうとサイレンは印を切るが、何故か彼らには戻る気配がない。
「言っておくけど、今更引っ込めるのは無理だぞ。本人達が拒否している。これまでの経緯をリフ君が説明している最中だ」
「部下の人達も困っているみたいだな。……まあ、無理もないと思うけど」
 ネイトを肩に乗せ、シルバは状況を確認する。
 自分達のいる位置はほぼ中央だが、戦線からはやや離れている。
 左に自分達のパーティー。
 最前線がキキョウ達戦士組。
 中盤にリフと、聖獣達。空にカナリーとノイン。
 後方でタイランがロメロとアリエッタを守っている。
 一方右に、態勢を立て直そうとしているサイレン司祭長を筆頭に、神官兵達。
 後方支援に、ロメロの父であるジョージアが辛そうな顔をしている。
「怯むな! 私達も回復しているぞ! 状況はまだ互角だ!」
 しかし、サイレン司祭長の言葉にも、神官兵達は躊躇していた。
「聖なる獣や他、神の僕だぞ? アンタはともかく、他の神官兵達は畏怖の念があるに決まってるだろ。それはそのまま、リフに対する聖獣達の態度と構図は変わらない」
 言って、シルバはリフに声を掛けた。
「という訳で、思う存分やれ、リフ。そっちは任せる」
「に!」
 キキョウ達戦士組とリフ率いる聖獣達が動き始める。
 神官兵達も、畏れながらも攻撃には対応しなければならない。
 再び激しい剣撃の音が森に響き始めた。
 サイレン司祭長は、指揮を執るべく後方に下がる。
 ふむ、とその状況をネイトも確認していた。
「残るは司祭長。それに後方に控えているロメロの父上殿達か。シルバの実力ならば二人同時は余裕だな」
「どれだけすごいんだよ、俺!? 司祭長一人でメチャクチャ体力削られてただろ!? 見ろよこの腕の痣!」
「あれは敵を油断させる為の、シルバの巧妙な罠であり」
「ないから。俺は自分の分を弁えてるから」
 そしてシルバは、頭を掻いた。
「……俺の仕事は、敵の嫌がる事の実行。まずは司祭長を何とか無力化しなきゃならない」
「動きの定まらない相手をどうするか。……そう、例えばシルバの裸を見せる」
「それは確かに止まるだろうけど、俺は嫌だぞ!?」
「シルバ殿の裸だと!?」
「お前も戦闘中に反応するなよキキョウ!? 大体んなもん、温泉で見た事有るだろうが!」
「シルバは分かっていない。風呂で裸になるのは当然だが、こういうあり得ない場所で脱ぐという行為はそれとは異なる劣情を醸し出すのだ」
「拳を握りしめて力説するんじゃねーよネイト!? こっちはまだ、ピンチなんだぞ! ……早く、あの司祭長をどうにかしないと!」
 一見してシルバ達の方が有利に見えるが、実はそうでもないのだ。
 神官兵達はよく戦っているし、ジョージアの後方支援はダメージを受けた味方を随時回復している。
 そして司祭長は部下達に指示を送ると、そのまま空間を跳躍。
 キキョウやヒイロ達の攻撃リズムを乱していた。
「くっ」
「もお! 当たらないよう!」
「くそ……っ!」
 シルバは神官兵達から盗んだポーションで、彼女達を回復するが、これでは埒があかない。
 方法がない訳ではない。
 要は、司祭長をどうにか止めればいいのだ。
 もっともあまり気の進む方法ではない。
「賭けになるな。問答無用で始めたら、ノインに殺されかねないし、タイミングが重要だ。……ネイト、精神共有で前衛以外に連絡頼む。キキョウ達は戦闘に集中させておきたい」
「お安いご用だ」
 シルバは必要な事を仲間に伝えると、今度はサイレン司祭長の持つ不思議な力についてネイトと考えてみた。
「それからあの特殊な能力だ。キキョウですら目で追いきれない動き。速いとかそういうレベルじゃなくて、まさしく瞬間移動。それに呪文無しでの召喚術……ついでにあの身体の硬さ」
「硬さは祝福魔術の『鉄壁』じゃないのか?」
「そういうのとはちょっと違う。何というか、もっと異質な……」
 シルバは自分の拳を見た。
 あの硬さは肉と言うより、まるで金属そのものだった。
「実は、司祭長はゴーレムだった、とか」
「だったら面白いんだけど、汗かいてるだろ」
「……汗まみれの中年男とか、美しくないな」
「それに関しては全力で同意する。そしてそれを相手にするのも大概きつい」
「シルバの汗なら、全身に塗ってもいい」
「気持ち悪い発想するんじゃねえよ!? ……ま、妥当に考えれば九の御使いの一人ヴィナシスの加護だろうな。聖職者だし」
 そしてシルバは思い至る。
「いや、だとすると……」
 リフ達と行動を共にする聖獣達が呼び出されたのには、もう一つの理由があるのではないか。
「……有り得るか。もう一段階上の召喚」
 だが、それはむしろこちらに有利な訳だが。
 詰まる所、おそらく今回の再現になるのだから。
 いや、その方がいいのか。
 今回の一件がもしもシルバの考えている通りならば、判定してもらうにはこれ以上の相手はない。
「シルバ、あの不可思議な術だが、私は一つ疑問に思った事がある」
「ん、何だ?」
 ネイトの言葉に、シルバは思考を切り替える。
「あんな援軍を呼べるなら最初から呼べばよかった。瞬間移動にしても同様だ。何故、そうしなかった。……今だって、あんな便利な術があるのならば、タイラン君の裏を取ればいい。それで詰む。何故しない。戦闘前と今で、何が違う」
 なるほど、言われてみればその通り。
 司祭長達の目的が、ロメロの確保とアリエッタの討伐にあるのならば、転移して攻撃するのが一番楽だ。
 タイランの絶魔コーティングの効果……ではないだろう。
 あれは接触しなければ意味がない。
 ネイトの言葉の最後を思い出す。
 戦闘前と今で、何が違う……?
 考え、星空を見上げる。
 地上に視線を戻すと、地面にも無数に煌めくモノを見つけた。
『それ』を一枚拾い上げて、シルバは確信した。
「……なるほど、そういう事か」


 ――ネイト経由による、念波会話。
『えええええ、え、えん、演技力ですか!?』
『……まあ、学芸会レベルででも、どーにかなると思うから、そんなに大仰に考えなくてもいいぞ、タイラン。そもそも向こうはこっちを見下してる節があるし、罠とは思われないんじゃないかな』
『や、やれるでしょうか、私に……』
『というか、そこにいるのがお前である以上、他に役者がいない。あと、後ろの二人も危険な賭けだけど、よろしく頼む』
『これぐらい何でもねーよ。アリエッタは俺が身体張って守るし!』
『ななな何とかやってみますですよあまり激しい動きとか出来ませんけど!』
『頼もしい限りだ』
 タイランやロメロらと話をしている間も、シルバはポーションによる前衛の回復に忙しい。
 前線はほぼ膠着状態となっており、しばらく動きはなさそうだ。
 もっとも、互いの後衛の回復補助がなければ、すぐにでもどちらかに傾きそうではあるが。
 そして、シルバは意図的に今の状態を崩そうとしていた。
『計画を聞いた限り、タイミングが重要なのは、むしろシルバの方だと思うんだけど』
 雷撃を放ちながら、宙に浮くカナリーがジリジリと後ろに下がる。
『おうよ。超忙しいぞ。一人で三人分ぐらいの活躍しなきゃならねーしな』
『……しかし、本当にいいのかい? 前衛に連絡を取らなくても』
『誰にも勘付かれない事が一番重要だからな。キキョウが上手くやるだろうし、心配ないさ』
『……むぅ』
 ヒイロらと、最前線で奮戦するキキョウを見、カナリーは眉を寄せる。
『……何で、そこで不機嫌になる』
『別に。それと、頼まれてた錬金術の知識だけど、一体何に使うんだい?』
『……用心さ。使わずに済むなら、次のターンで決着はつくんだけどな。それじゃ、作戦スタートだ。リフとノイン、その間の回復は頼む』
『に、分かった』
『しょうがないなぁ。ま、これも勝つ為だ。ここは言う事聞いておいてやるよ』
 まず、シルバは『杯』の札に魔力を込めると、自分の背後にあったポーションの膜を畳んだ。
 タイランがリュックから出したいくつかの空の瓶が、ポーションで満たされていく。


 タイランはその瓶を聖獣達に預け、それらはリフや空中のノインに渡っていく。


 カナリーは、不安そうに自分を見る、ロメロとアリエッタを見下ろした。
 星明りで出来た影が彼らを覆うのを確認する。


 そして、次の出来事が、ほんの数秒の内に起こった。


「あ……っ!?」
 タイランの最後の一瓶を聖獣に渡し損ね、ポーションは地面に落下する。
 瓶は割れこそしなかったものの、タイランの動きが一瞬、停止してしまう。


 それを見過ごす、サイレン司祭長ではない。
「好機――!! ジョージア、しばしここは任せたぞ!」
「は、はい……!」
 {回復/ヒルタン}を唱え続けるジョージアにそう言うと、サイレン司祭長は動きを止めた重甲冑の前に一瞬にして『跳んだ』。


 その瞬間、シルバは札の力を解いた。
「『杯』を{解放/リリース}」
 そして、親指で重ね合わせていたコインを、札に押しつける。
「――{封鎖/シーリン}『金貨』!!」
 無地の札に『金貨』の絵柄が浮かび上がる。
 サイレン司祭長が砲術で放ち、そのまま放置されていた『無数の硬貨』が、転んだり跳ねたりしながら固い綺麗な音を静かに奏でつつ、集まり始める。
 もう一方の手で目前の地面に針を打ち込むと、ポッカリと暗く深い大穴が生まれた。


「行くぞ……?」
 キキョウは敵の目前で高く跳躍し、その頭上を跳び越え、そのまま前衛と後衛の間に割り込む。
 当然、神官兵達は大慌てになった。
「ぼ、防御! 皆、{大盾/ラシルド}を用意!」
「後ろに回り込まれた! やばいぞ!」
「やばいぞって言われても、こっちも振り返る余裕なんか……!?」
 キキョウが前後の敵を斬っている間に、残ったヒイロ達も勢いづく。
「みんな突撃ぃっ!!」
「了解」
 骨剣と衝撃波を纏った金棒のパワーファイター二名が、浮き足立つ神官兵達を追い込んでいく。
「に! みんな右に回り込んで逃がしちゃだめ!」
 シルバの側に近寄らせないように、リフと、司祭長に召喚された聖獣や天人達が動く壁となって行く手を遮った。
「……で、アタシが回復役とはね」
 時々飛んでくる{神拳/パニシャ}が当たらないように避けながら、ノインはキキョウやヒイロにポーションを投擲していく。
「心配は要りません!」
 ジョージアが味方に向かって叫ぶ。
「すぐに司祭長様が戻られます! それまでの辛抱です!」
「そ、そうだ! 皆、持ちこたえろ!」
 危うく総崩れになりかけた神官兵達は、何とか持ちこたえる。
「もっとも……」
 キキョウは敵の一人を斬りつけながら、ボソリと呟く。
「……司祭長が本当に戻ってこれればの話だがな」


 背後で何やら状況に変化があったようだが、サイレンは構わなかった。
 ポーションの瓶を落とした巨大な重甲冑は、まるで無防備な状態だ。
「喰らえ!!」
「う、わぁ……っ!?」
 相手の体勢を崩そうと放ったサイレンの回し蹴りは、だがしかし当たらなかった。
 その前に、相手は自分から倒れたのだ。
「ぬぅっ……!?」
 一瞬怪訝に思いながらも、サイレン司祭長は即座に思考を切り替える。
 それならそれで、さらなる好機なのだ。
 要は、自分を睨んでいるジョージアの息子と、彼が庇う魔物の娘を倒せばよいのだから。
 それで目的は達成される。
 護衛の役にも立たないとは、立派なのは大きな図体だけか。
 嘲るように笑うサイレン司祭長だった。
 が。


 その真上で、カナリーがサイレンを見下ろしていた。
「ヴァーミィ! セルシア!」
 彼女が指を鳴らすと、ロメロ達とサイレン司祭長の間の影から、赤と青の従者が勢いよく出現した。
「おのれ! まだ、伏兵がいたのか!?」
 既に攻勢に出ようとしていたサイレンは、両腕でガードを固められただけでも充分非凡だったと言えよう。


 サイレンも、さすがにそのままロメロ達にその拳を伸ばす事は出来ない。
 一歩引いて、地面に転がっているコインを踏む。
 サイレンの『砲術』によって、そこに飛ばされた――精緻な魔方陣と呪文、転移する為の番号が刻まれている――コインだ。
 サイレンは頭の中に、ジョージアの手前のに置いてあるコインの数字を浮かべた。
 足に魔力を込めると共に生じる、わずかな浮遊感。
 次の瞬間には風景が変わり……。
「やあ、ご苦労さん」
 目の前にはシルバ・ロックールがいた。
「な――」
 絶句する。
 そしてサイレン司祭長は気付く。
 足下に、大きく深い穴がある事に。
「何いいいぃぃぃっ!?」
 当然、その穴にサイレンは落下していった。


 シルバが地面の針を引き抜くと、周りの土砂が穴を埋めていく。
 モノの数秒もしない内に、穴があった場所は元の地面に戻ってしまっていた。
「徹底してるねえ、シルバ」
「これでも甘いぐらいだっつーのっ!! 下手すりゃすぐに出て来るぞ!」
 札を口に咥えると、シルバは大急ぎで針を両手に持った。
 そしてそれを、地面に幾つも打ち込んでいく。
 土砂がさらに積まれ、シルバの背丈と同じぐらいの高さの小山が出来上がった。


 もちろん、それを見てジョージア達を始めとした神官兵達は大いに混乱していた。
「し、し、司祭長様あああぁぁぁっ!?」
 何しろ、攻めに行ったと思った司祭長がいきなり見当違いの場所に『跳躍』し、そのまま穴に落っこちてしまったのだ。
 慌てない方がどうかしている。
 もっともキキョウにしてみれば、黙ってシルバの元へ送らせる気はさらさら無い。
「余所見は禁物であるぞ、司祭殿!!」
「だ、誰か、司祭長様を助けなさい!」
「駄目です! 既に獣人と聖獣達に回り込まれています!」
 司祭長不在の神官兵達は、少しずつその戦力を減らしつつあった。


 シルバは、まだ地面に残っていた何枚かのコインを、『金貨』の札の力で引き寄せた。
 表には召喚陣、裏には獣の絵が刻まれている。
 これが、サイレン司祭長の瞬間移動、それに大量の聖獣らの召喚の仕掛けの種だ。
 コインに刻まれた紋と文字の種類によって、発動する魔術は異なるのだろう。
 魔術を予め込めておく事で、簡単な祝福の言葉だけで力を発揮するようになるし、魔力の大幅な節約にもなる。
 そのままバラまけばこれが何らかの力を秘めたアイテムである事は丸わかりだ。だからこそ『砲術』での遠距離攻撃。まさかあのど派手な攻撃自体が目眩ましだなんて、今のシルバのように一歩離れた位置でなければ、まず分からない。
 なるほど、よく出来ている……とシルバは考え、札に込められた力を別の方向に向ける。
 おそらく自分は難しい顔をしているのだろう、ちびネイトが顔を覗き込んできた。
「どうした、シルバ?」
「ちっ……。他にコインの持ち手は無しか。どっか近くで観察してると思ってたんだけどな」
 シルバは諦め、神官兵達の懐の気配を確かめるのをやめた。
 自分と同じ、トゥスケルのコインを持つ者がいないか。いればソイツが結社の者なのだろうが、残念な事にその気配の期待は裏切られていた。
「いないならいないでヨシとするべきだろう。何故なら――」
 グラリ、と地面が揺れた。
 一瞬地震かと思ったが、どうやら違う。
 グラグラと地響きは長く続き、目の前の土の山から金色の光が幾筋も漏れ溢れ始めていた。
「ほら、案の定だ。むしろ、これ以上余計なトラブルが増えない事を、むしろ喜ぶべきだろう」
「見方によっちゃ、問題を先送りしてるだけなんだけど……ま、贅沢は言えないか」
 地面の中から、サイレン司祭長が何やら術を行なっている。
 シルバが地面に彼を封じた事で、ほぼ神官兵達の動きも制する事が出来た。
 しかし、これには問題が一つあって、つまり地の底でサイレン司祭長がどのような術を行なおうと、シルバには止める方法がないのだった。
 一応地面には圧力を掛けているのだが、どうやらそれも無駄のようだった。
「……これだけやってもまだ元気じゃねーか、司祭長さん」
 出て来た時が最後の勝負だな、とシルバは考える。


「にぅ……?」
 最初にその異変を感じたのは、リフだった。
「みんな……?」
 行動を共にしている聖獣や天人、精神生命体達が減ってきていた。
 神官兵達に何かをされた訳ではない。
 微かに呻き声を上げると、そのまま消滅する。
 聖なる気を幾ばくか失い、強制的に元の世界に戻されているようだった。
 死んではいないようなので、そこはホッとするが……確実に聖獣達の数は減っていき、それに伴い、聖気を吸った小山から金色の光が強まっていく。


「全員集合! ヤバイのが来る!」
 シルバは小山を回り込み、急いでタイランの方に駆け出した。
 その背後で小山が崩れ、夜空を貫く太い光の柱が生じた。
「タイランお疲れ! いい演技だった!」
「あ、ありがとうございます……上手く、いった……んですか?」
「うん、疑問はもっともだ。まあ相手は減らせたから、その点では成功したんだけどな」
 キキョウやヒイロも集まり、その一方神官兵達も呆然と眩い光柱を見上げていた。
「……問題は、こっからが本番だって事だ」
 やがて、地面からゆっくりと浮かび上がって来たのは司祭長……ではなく、神々しい光とメタリックな衣を纏い、同色の髪と肌を持つ美女だった。
 背中からは立派な羽が生えている。
 弱った司祭長自身は、気力を使い果たしたのか、彼女の両腕に抱えられていた。
「シルバ、頼まれていたモノだ。精密機器だから大事に使ってくれよ」
「ああ、ちょっと借りるぞ、カナリー」
 シルバはカナリーから懐中時計を借りると、それを懐に入れた。
「あれは一体何だ、シルバ殿!」
 シルバは『金貨』の札を{解放/リリース}し、腰の水袋に浸して再び『杯』に戻す。
 一連の作業を続けながら、キキョウに答えた。
「……ゴドー聖教の九の御使いの一人『金』のヴィナシスだ。見ての通りの天使だよ」


 最初は恐る恐るだったが、思い切って神官兵達の中から飛び出したのはジョージア司祭だった。
「サイレン司祭長!」
 御使いヴィナシスは彼を認めると、地面にサイレン司祭長を下ろした。
 ジョージアから回復と魔力ポーションを与えられ、ようやくサイレン司祭長は復活した。
「お、おお……よくやった、ジョージア。ヴィナシス様、どうかよろしくお願いします」
 そして、サイレン司祭長を始め、ジョージア司祭や神官兵達は、揃ってヴィナシスに跪いた。


 一方、シルバは油断しないまま、それでも一応天使に対して印は切った。
「全員気を付けろ! ここからが本番だと思った方がいい!」
 やる気満々なシルバに対して、むしろサイレン司祭長の方が慌てていた。
「こ、こら! ロックール君、天使様に何という口を利く! 仮にも聖職者である君が、何故敬意を払わない!」
「払ってるから印を切ったんすよ。敵を前にして跪くとか馬鹿じゃないすか」
 というか多分それも司祭長の狙いだったんじゃないかな、とシルバは思わないでもない。
 ちなみにシルバのパーティーで、天使に跪いている者は誰もいなかった。
「んー、ボク、特に跪く理由がないし」
「む、う……? 某はゴドー聖教は特に信仰しておらぬし……」
「アタシ達はもう、言わずもがなだしな」
 そう言うのは、サキュバスのノイン。
 例外は一人だけだった。
「……問題はお前だよ、ロメロ。嫁と天使、どっちが大事なんだよ」
「い、いや、でも」
 膝を屈したまま、ロメロが困り顔を上げた。
 しかしアリエッタを見ると意を決したのか、畏れながらも立ち上がった。
「ま、聖職者見習いとしちゃ正しいのかもしれないけどな」
 シルバはボリボリと頭を掻きながら、全身から淡い光を放つ御使いヴィナシスに向き直った。
「ロックール……? あの、シルバ・ロックールですか」
「ええ、まあ、多分そのシルバ・ロックールです」
 ヴィナシスとは初対面だが、どのルートで話を聞いているかは大体見当の付いているシルバである。
 ふと、呆れたような顔をしているカナリーと目が合った。
「……シルバ。君の交友関係は、変に広いね」
「……お前のお父さんも含めてな」
「うっ」
 地味にダメージを食らったようである。
 駄目出しをしたのは、肩の上のちびネイトだ。
「違うぞ、シルバ。そこは『お義父さん』のイントネーションだ」
「真面目な話の最中なのに、緊張感ねえな、おい!?」
「に、まじめ……?」
「……そう、真剣に返されると、ちょっと困るぞ、リフ」
「にぅ」
 一方、サイレン司祭長の方も大慌てだった。
「か、かか、彼をご存じなのですか、ヴィナシス様!?」
「はい。かつて彼は神と戦った男ですから。お目に掛かれて光栄です」
 ヴィナシスは軽く微笑み、シルバに向き直る。
「何ぃ!? 貴様、やはり邪教の徒か!」
「違うわ!」
「……アンタ、人間だと思ってたけどアタシ達の眷属だったの?」
「こっちにも色々事情ってもんがあったんだよ! 正確には、神と一緒に、戦った事があるだけだっつーの! ヴィナシス様ももうちょっとだけ言葉を足しましょうよ!」
 正面のサイレン司祭長、背後のノインと大忙しで突っ込むシルバである。
「その事情をここですると、多分一ヶ月ぐらい掛かる」
 混乱に、さらにネイトが拍車を掛ける。
「そこまで長くねえよ!?」
「いや、この時間軸とは別の意味でだな」
 静かにシルバを見守りながら、ヴィナシスはサイレンに問うた。
「とにかく彼らが敵だというのですね、サイレン司祭長」
「そ、そうです! 見ての通り、魔族に与しているのは明らかです。彼女は人の世に、混乱をもたらした罪人です!」
「わわわ私何もしてないんですけどっ!?」
「だから、アリエッタは無実だっつってんだろが!」
 指を突きつけられたアリエッタが首を振り、ロメロが激昂する。
「……主犯はアタシだってーの。アタシが襲われるならまだ分かるけど、何でアリエッタなのさ」
 ノインは髪を掻き上げ、溜め息をついていた。
「二人は、平和に暮らしたいだけだっていう話なんですけど」
 シルバも自分に正当性を訴えると、御使いヴィナシスは軽く手を上げた。
「皆、静かに」
 その一言で、森の広場に静けさが戻った。
 そして、ヴィナシスは改めてシルバを見据えた。
「よろしい。私は、務めを果たしましょう。あの二人を捕まえます。貴方達は危険ですから、手出しは無用です」
「おお……」
 サイレン司祭長は手を組み直し、ヴィナシスに祈りを捧げる。
 神官兵達も同様だった。
 ジョージアだけは他の皆より少しだけ遅れて、同じように祈りを捧げる。
 シルバはといえば、最初から話し合いでの解決は期待していなかった。
 相手は、サイレン司祭長が召喚した天使なのだから。
「……でしょうね。さすが『金』を司る天使、お堅い」
「にぅ……お兄じょうず」
「うむ!」
「……君達二人は、シルバに対して甘すぎる」
 カナリーはリフとキキョウを見て、溜め息をついた。
 勝ち目があるならば、とシルバは考える。
 相手の特性が『金』であると分かっている事。『黄金』ではなく『金属』の『金』だ。
 それとサイレン司祭長が呼び出したという事。その力は召喚者の力量に左右される。……というか、素の状態なら多分、シルバ達はひとたまりもないと思うし、正直あまり考えたくなかった。
 救いと言えばそれぐらいだ、と内心呟きながら、一歩進み出る。
「御使いヴィナシス。貴方に慈悲の心があるなら聞いて欲しい事がある」
「いいでしょう。お話しなさい」
「二つの頼みだ」
 シルバは口調を戦うべき相手へのモノにし、後ろのアリエッタ達を親指で指し示す。
「俺達が勝てば、後ろの三人に追っ手を差し向けないで、逃がして欲しい」
 といっても、ノインに関しては実際、人的被害が出ているらしいので、彼女の罪はそれはそれで追求されるべきモノなのかもしれないが。
「もう一つは――この呪いを解いて欲しい」
 言って、シルバは自分の左の袖を引き上げた。
 二の腕には、複雑な文様が浮かんでいる。
「なるほど、いい考えだ、シルバ。天使ならその呪いも難しくないかも知れないね」
 カナリーが頷く。
「私は後ろの司祭長に呼び出された身。二つは欲が深いというモノです。どちらか一つだけなら認めましょう」
 ヴィナシスは静かに告げた。
「なら、アリエッタ達を逃がす方だ」
 あっさり即答するシルバに、ロメロやアリエッタ、ノインが驚きに目を見張る。
 サイレン司祭長側では、ジョージアが愕然としていた。
 だがシルバを知る仲間達は苦笑いするだけだ。
「……ですよねぇ。シルバさんらしいというか」
「……うむ、シルバ殿なら某もそう言うと思った」
「にしても、即答過ぎるだろう、常識で考えて。まあ僕もそう答えるだろうなと予想したけどさ」
 やれやれ、と皆、首を振る。
「理解出来ん!」
 何故か叫んだのは、サイレン司祭長であった。
 彼は震える指を、シルバに突きつける。
「君達は今日初めて知り合ったばかりだろう! 何か、深い義理や恩があるのか!? 何故、そこまでする!」
「いやだって……仮にも、司祭っすから俺。他人に奉仕するのは当然っしょ。あと人に指を突きつけるのは、無礼ですよ司祭長」
 そこで区切ると、シルバ達は動き出す。
「先頭はわたし」
 シーラが最前に立ち、その後ろにキキョウとヒイロが立つ。
 カナリーとノインが宙に浮かび上がり、『杯』の札を持つシルバを守るようにリフが並ぶ。
 最後衛にタイランがロメロとアリエッタをガードしている。
 ヴァーミィとセルシアは、カナリーが魔力を温存する為、影の世界に引っ込めてある。
「私と話している間に、既に相談は済んでいたようですね。よいでしょう……では、始めましょうか」
「ああ」
「参ります!」
 宣言の直後、御使いヴィナシスの頭上にあった天使の輪が光り輝き、その身体が膨張し始めた。
「お、おお……!」
 サイレン司祭長達は、急いで後ずさる。
 なるほど、彼女の言う『危険』がどういうモノか理解したようだ。
 美貌はそのままに、身の丈が5メルト程の高さになる。いわば、天使の形をしたアイアンゴーレムだ。
 一方シルバも負けてはいない。
「行くぞ、御使い――」
 シルバが『杯』の札に魔力を込めると、うっすらと白い霧が森に漂い始める。
 あっという間にその霧は、敵も味方もその白い世界に覆い隠してしまう。
「――秘技、『霧隠れ』」


 御使いヴィナシスの視界も、白い靄で覆われていた。
「なるほど、まずは視界を奪うという訳ですか……悪くない手ですが」
 若干猫背気味だったヴィナシスは背筋を伸ばした。
 しかし、この高さならばと思ったのだが目論見は外れ、その景色は変わらなかった。
「……ここまで立ち込めてきますか」
 背中の羽で一応払ってはみたモノの、魔術要素があるのか、霧が晴れる様子はまるでない。
 そして足下では、金属音が鳴り始めていた。


「硬っ! 先輩、この人超硬いよ!?」
 骨剣をヴィナシスの足首に叩き付けたヒイロは、返ってきた衝撃に手を痺れさせていた。
『当たり前だ! っていうか武器が痛むから、攻撃には気を付けろって言ってんだろ!?』
 シルバは念波で返事を返す。
 シルバの頭上に浮いているカナリーも、うんざりとした顔をしていた。
『……まー、太い鉄の棒を全力で殴りつけるようなモノだもんねぇ』
『確かにストレス溜まるけど、それも錬金術師であるカナリーの特性分析が済むまでの我慢だ』
「分析が済んでからも今回、さらにストレスが溜まると思うが」
 ちびネイトが冷静に言うと、全員が暗澹たる表情をしていた。
 一通りの作戦は既に皆、念波を通して聞いているのだ。
 勝算がない訳ではないのだが、どうしても下準備に時間が掛かる。今回はそう言う作戦だ。
「……言うなよもー」


 ボヤキながらもシルバは水の力を持つ『杯』の札で、霧の術を使用し続ける。
 予想通り、金属の性質を持つヴィナイスの動きは思ったより早くない。
 とはいっても、ゴーレム系のモンスターなどの鈍重さとは比較にならないし、何より手も足もでかい。
 当たればダメージが甚大なのは明らかである以上、ヴィナシスの命中率の低下は必須であった。
 成功する公算は高いと見ているが、この霧のもう一つの目論見が成功するかどうかは、ヴィナシスの特性を見抜こうとしているカナリーの結論に掛かっていると言ってもいい。
 それまでは、何としてでも現状を維持する必要があった。
 シルバ自身が霧の術者である為、味方の現在位置は分かっている。
 もちろん、シルバ達は防御だけに徹するつもりはなかった。
 霧の向こうから再び、金属を叩く甲高い音が響いてきた。


「シーラ、大丈夫か!」
「問題ない。……出力、さらに上昇」
 シーラは自分の金棒に衝撃波を纏わせ、武器自体のダメージを軽減している。
 同時に、ヴィナシスの内部にまで衝撃を伝達させる事から、実質彼女がメインのアタッカーの役割を果たしていると言ってもよかった。
 シーラが金棒を振るう度に、鐘の音のような響きが森に木霊していた。
「な、何だか楽器を奏でているみたいですね……」
「そんな優雅な状況ならいいんだけどな」
 タイランの感想に、シルバは弱ったような顔をした。
 もちろん、キキョウやヒイロも手は休めておらず、また中距離からはリフが精霊砲、ノインが魔力弾を叩き込んでいる。
「にぅ……てごたえはあるけど」
「ほとんど効いてないね、こりゃ」
 ヴィナシスのメタルボディは表面が滑らかで、気の類のダメージも望み薄のようであった。
『とはいえ攻めなければそれはそれで、こちらの意図が見抜かれる可能性がある故、厄介であるな。……うう、某の愛刀が悲鳴を上げている』
 ヴィナシスの蹴りを避けつつ、キキョウが悲しげな声を伝えてくる。
 直後、白い頭上から鈍色をした巨大な手の平が降りてきて、キキョウを掴もうとする。これも、何とかキキョウは回避した。
『キ、キキョウもあまり無理するなよ?』
『うむ……手がない訳ではないが、その方法は魔力の消耗が激しい。なるべく、早く反撃の糸口を掴んでくれ、カナリー』
「出来れば、実物に触れられると一番確実なんだけどね……」
 宙に浮いたまま、カナリーは唸っていた。
「さすがに見ての判断は難しいか」
「うん。かといって相手が黙って、身体の一部を分けてくれるとは思えないし……」
 すると、意外な所から返事が来た。

「聞こえていますよ。いいでしょう、お望みならこの身体、分けてあげましょう」

「え」
 声の主は、ヴィナシス本人だった。
 呆気にとられたのはシルバの頭の中で、警報が鳴り響く。
「来るぞみんな、回避!」
「は、はい!」
 タイランは、浮遊板代わりにしている大きな盾を構えた。
 タイランの巨体は隠しきれないが、無いよりはマシだ。
 その後ろに、シルバや空中のカナリー、ノイン、リフも急いで隠れ、その直後に攻撃が来た。
「――{鉄羽豪雨/メタルスコール}」
 無数の羽の形をした鉄片が、乳白色の空から降り注ぐ。
ヒイロよりも少し小さい程度の羽毛が、ザクザクザクと地面に突き刺さっていく。
「モード――『盾』」
 シーラは腕を天に向け、金棒を円を描くように手の中で振り回した。
 衝撃波が平らな円状に発生し、鉄の羽を弾き返していく。
「さ、刺さったら死ぬ! これは死んでしまう!」
 キキョウは獣の動きと勘に従い、素早く頭上からの攻撃から逃れていく。とはいえ一枚でも当たれば重大なダメージになる事は間違いなく、キキョウとしても必死であった。
「うっはぁ、ヤバイヤバイ!」
 そしてヒイロはといえば、大きく跳躍してヴィナシスの攻撃範囲外に逃れた。
 すなわち、神官兵達のいる、ヴィナシスの背後だ。


 体感時間では永遠に近かったが、実質数秒程度の攻撃だったようだ。
 それでもシルバは生きた心地がしなかった。
「あ、あ、危なかった」
「は、はい……私の身体も、あれじゃ貫かれていたかと」
 タイランの大きな盾には一枚、大きな羽が突き立っていた。
 その裏側まで十数セントメルトほど、羽の先は貫いていた。


「あー、死ぬかと思った」
 ヒイロは大きく息を吐いた。
 そして、空に星空がある事に気がついた。
 いつの間にか、霧の中から出ていたらしい。
「あ、やば。早く戻らないと……」
 呟き、霧の中に飛び込もうとした時、後ろから声がした。
「……隙ありだ、小僧」
「はへ?」
 振り返る間もなく、ヒイロの背中を強烈な衝撃が駆け抜ける。
「食らえ、我が正義の一撃!」
 司祭長、サイレンの重い拳が叩き込まれ、ヒイロの身体が弓なりに反り上がる。
「ひゃっ――」
 自分が悲鳴を上げている事を自覚するよりも前に、ヒイロは浮遊感と共に意識を失っていた。


 不幸な事に、鬼の戦士の身体が軽量級だったせいで、その身を貫く事は出来ず、空の彼方へと吹き飛ばされた。
 魔力を上乗せしたサイレンの拳の一撃は、角度的に見て目前の戦地を越えたようだ。
 自然落下の高さだけでも下手をすれば瀕死だが、悪運がよければ川に落下するかも知れない。
「はっはっはっ! まずは一人!」
 地面に残された敵の骨剣を踏みにじり、上半身をはだけたサイレン司祭長はガッツポーズを作った。
 続いて神官兵達も快哉を叫ぶ。
 しかしさすがに卑怯に思ったのか、後ろに控えていたジョージア司祭は、おずおずと抗議した。
「サ、サイレン司祭長! い、今の不意打ちはあまりにもどうかと思います……!」
「何を言うか、ジョージア。邪悪を討ち倒すのに、手段を選んでいられるか。これも正義の為だ。そうではないか、皆?」
 自分に非がない事を確信しているサイレンは、むしろ誇らしげに鍛えられた胸を反らした。
 部下の神官兵達も「そうだ!」と声を上げる。
「……サイレン司祭長」
「は!」
 ヴィナシスの静かな声が霧の中から響き、サイレンはほくそ笑みながら跪いた。
「手出しは無用と言ったはずです。今度同じ真似をしたら、許しませんよ」
 思いも掛けない言葉にサイレンは愕然とし、顔を上げた。
「な、なな、何故ですか、ヴィナシス様!? 敵を倒せたのですぞ!?」
「静かになさい。そして、今は魔力の回復に努めるのです」
「は、はい……」
「それから、その足をどけなさい」
「はい?」
 サイレンは足元を見た。
 自分が踏んでいるのは、骨で出来た太い剣だ。
 これがどうしたというのだろう。
「貴方が踏んでいるのは、戦士の命ですよ」
「はぁ、ですが鬼の武器ですぞ?」
「……いいから、早くどけるのです」
「何故、お助けしたのに、私が叱られるのだ?」
 骨剣から足をどけ、心底不思議がるサイレン司祭長。
「…………」
 彼に気付かれないよう溜め息をつきながら、ジョージアは魔力ポーションの用意をするのだった。


 霧が少しずつ晴れていく。
 しかし、霧にうっすらと濡れて輝くヴィナシスの巨体は何故か、動く様子がなかった。
「私一人での応戦という約束を違えてしまいました。鬼の子が戻るまで、休戦しませんか」
 うっすらとした霧の中、5メルトの高みからヴィナシスは提案する。
 鉄の羽が無数に突き立った森の中の広場は、さながら金属で出来た麦畑だ。
 その鉄片の一つを蹴り倒しながら、キキョウは首を振った。
「無用だ。戦ならば、こういう事もある」
 完全には避けきれなかったのか、着物のあちこちが刻まれ、そのいくつかからは血が滲んでいる。
「必死とは言え、敵陣側へ回避したヒイロにも落ち度はある。そちらの者が、このような動きに出る事はある程度は予想出来た」
 キキョウの言葉に、ヴィナシスは少しだけ傷ついた顔をした。
 その反応に、キキョウの溜飲が少しだけ下がる。
 シルバはヒイロを助けに動き、今は不在。
 今はキキョウがリーダーだ。
 計画の第一段階は成功している。
 チラッと後ろを見ると、鉄の羽を調べていたカナリーが、小さく頷いた。
 シルバのここでの戦線離脱は、ある意味では好都合とも言える。
 ならば、このまま続けよう。
「続行だ、天使。これより某も容赦はせぬ」
「……分かりました。戦いに水を差されましたが、改めて」


 懐かしいなぁ……。
 川の水の中を緩やかに流されながら、ヒイロはおぼろげな意識でそんな事を考えていた。
 故郷を出る前はよく、川の主である大角魚と戦っては負けて、川流しにあったモノだ。
 ……こういう時は、へたに呼吸をしようと考えない方が、意外に息は持つ。
 その内、下流で釣りをしている兄ちゃんに、いつものように回収してもらえばいい。

「ってヒイロ起きろーっ!!」

 水の中から引っ張り出される浮遊感。
 ほら、助けてくれた。


「あー……兄……ちゃん……久し、ぶり?」
「誰が兄ちゃんか。寝ぼけてる場合じゃないぞコラ」
 川の中に沈んでいたヒイロを河原まで運んだシルバは、彼女の額を軽くはたいた。
 当たり前だが二人ともびしょ濡れだ。
「……んあ、先輩おはよう」
 どうやらまだ、夢現の状態にあるらしい。
「おはようじゃねーんだよ。早く目を覚ませ。……ポーション飲んでも無理か?」
「うー、ちょっと時間掛かるかも。思ったよりダメージでかいー」
 そう言いつつも、ヒイロはシルバが傾けたポーション瓶の中身を嚥下していく。
「それにしても、よくもまあ息が持ったもんだ。ウチの近所のガキじゃあるまいし、普通、溺死しててもおかしくなかったぞ」
「川で溺れるのには、慣れてるんで」
「……そういう問題でもないと思うんだが」
 どんな慣れ方だ、とシルバは心の中で突っ込んだ。
「息がなければ、シルバによる人工呼吸が待っていたのだが」
「うぉい!?」
 余計な事を言うちびネイトを、シルバは制する。
 一方、ヒイロはひょいと上体を起こした。
「そうなの?」
「お前もいきなり元気になるなよ!?」
「別に慌てる事はないだろうに。帰省中にはよくあった事じゃないか」
「男はノーカンとする」
 シルバは力強く断言した。
 坊主頭の見習い時代にあった、黒歴史である。
 だが、何故かネイトはニヤニヤと笑っていた。
「男なら、か。なるほどなるほど」
「ええい、思わせぶりな話はいいんだ! 今はそれどころじゃないだろが! 早く戻らないと!」
 言って、シルバは懐から札を取り出した。
 札の中にある『運命の輪』の車輪は、右回りに緩やかに回り続けている。
 森の向こうではまだ、仲間が戦っているのだ。
「あ、そだ。ボクどれぐらい気絶してたのかな?」
「不意打ち食らって数分って所だ。あんにゃろう、後で絶対仕返ししてやる」
 もちろんあんにゃろうとは、サイレン司祭長の事だ。
 しかし、個人的な憤りは置いておいて、今はまず御使いヴィナシスをどう倒すかも大切だった。
「作戦の方は計画通り。ここからが本当の地獄だし、主戦力が一人離脱したのは、それが首尾よく行っている事を考えれば、ある意味不幸中の幸いとも言える」
 ちびネイトは、シルバの札を指差した。
「だな」
 シルバも同感だった。
 作戦はうまく行っているが、同時にそれは味方を危地に立たせている、諸刃の剣でもあるのだ。
 故に、最悪の場合、戻った時に皆が戦闘不能になっている可能性もある。
 だが、それもヒイロが無事戻れたならば、まだ勝ち目がある。
「……でも、ボクの攻撃なかなか通じないよ?」
 今は身体を回復する時間、とヒイロは再び身体を河原に横たえる。
 同時に、元気がないのも事実だ。
 ヒイロには、シーラのような衝撃波を使う力はない。
 ふむ、とシルバは考える。
「それだ。さっきは霧の中でみんなに位置伝えるのに必死だったから言う暇無かったんだけど。シーラの攻撃を見てて思ったんだが――」
 シルバは自分の考えを、ヒイロに述べた。
「――ってのは、可能か?」
 驚きに目を丸くするヒイロに、ネイトは愉快そうに苦笑いを浮かべた。
「シルバもなかなかに鬼だな。可能かどうかと、実行するかどうかはまた別問題だぞ」
「ま、確かにヤバイちゃーヤバイけど」
 何しろこの案は、ゼロ距離でないと成立しない。
 ヴィナシスに近付くと言う事は、それだけ危険と言う事だ。
 しかしヒイロの返事は早かった。
「やる!」
「決断早いな、おい!?」
「やられっぱなしは性に合わないしね。確かにそれなら、上手くやれるかも!」
「もっとも、相手はさっきよりも手強いぞ。何しろ霧は晴れてる上、動きが速くなってるはずだ。俺の助力は……」
 実際、祝福魔術は使えないし、札は使用中。
 針で何か出来るか……と言えば、多分、魔力の消費でそれどころではない。
「……まあ、『{加速/スパーダ}』は使えないけど、今、助言ぐらいなら出来るか」
「何かあるの!?」
 再びヒイロが身体を起こす。
「こんな時に腹筋するな。出来るかどうかはお前次第だけど、お前の戦った事のある中で一番速い人間は誰だ?」
「え? そりゃキキョウさんだけど」
「獣人が速いのは当たり前だ。人間だよ。別に鬼でもいいけど」
 ヒイロは少し考え、何か思いついたのか、目を輝かせた。
「心当たりがあるみたいだな」
「うん」
「なら、急ごう。つーかこうしてる今も、俺の魔力はガシガシ削られていってるんでな。ポーションも切れたし、そろそろヤバイ。何より今回の作戦、出力的に最低でもカナリーに加わってもらわないと、俺一人じゃどうにもならん」
「そして、それがますますパーティーを危地に陥らせると言う訳だ。ジレンマだな」
「言うな」
 ネイトに言い、シルバはヒイロを背中に背負った。
 少しでもヒイロの体力は温存しておく必要があった。
 それから振り返り、ふと足を止めた。
「ところで、この粘膜は何だ? 俺達が走ってきたのとは違うルートみたいだけど」
 足下の滑りに、眉をしかめる。
 何やら巨大なナメクジでも這ったような跡が、森の奥に続いていた。何かのモンスターだろうか、茂みや細い木をなぎ倒して、直進している。
 振り返ると、それはどうやら川の中から続いているようだった。
「ほとんど乾いているみたいだし、道も広い。そして向かう先は、私達の目的地と同じ。何らかのイレギュラーのようだが、私はこの道を薦めよう」
「よし」
 早く着く事に越した事はないし、何よりそのイレギュラーの正体を確かめる必要がある。
 ヒイロを背負ったシルバは、その滑る道を駆け出した。
「何か、妙に懐かしい気がするねぇ」
「同感だ。まさかまた雑鬼とか出て来ないだろうな」
 ヒイロの呟きに、シルバは頷く。
「もっと昔にも、こんなのあったような気がするけど……」
 言うヒイロ自身、首を傾げているようだった。


 森の中では無数の鉄羽が舞っていた。
 先刻まで、地面に突き刺さっていた御使いの羽だ。御使いヴィナシスは、それらの羽を自由に操る事が出来るらしい。
 そしてその羽の一つ一つが、必殺の一撃となる鋭さを持っていた。
 凄まじい数のその刃をさらに上回るスピードで、キキョウはその全てを懸命に回避する。
「くっ……」
 とはいえ、反撃に転じるほどの余裕はない。
 霧は晴れ、かつ御使いの動きは先刻までより格段に良くなっている。
 じわりじわりと鉄羽の結界は範囲を狭め、キキョウの動きを封じていく。その上頭上からは御使いヴィナシスの巨大な手が迫り、キキョウの身体を黒い影が覆ってくる。
 このままでは、圧殺だ。
 着物のあちこちが裂け、肌にも幾筋か赤い血の線が浮かんでいる。
 休まず動き回っているせいで、息も上がっている。
 しかし、それでもこの程度は、キキョウにとっては危機ではない。
 納刀した刀の柄に気を込め、一気に抜き払う。
「はあっ!!」
 白銀と赤の細い光が天に昇る。
 直後、彼女に迫っていた鉄の羽は全て両断され、ヴィナシスの鉄の指も細切れになっていた。
「ぬうっ!」
 赤いオーラを纏ったキキョウはヴィナシスの首の高さまで跳躍すると、空間を蹴り、その首に迫る。
 銀光が再び疾走るが、御使いの首はほんの数セントメルトしか、裂く事が出来なかった。
 一回転し、地面に着地する。
「はぁっ……はぁっ……」
 尻尾は二本に戻り、キキョウの全身に疲労がドッとのしかかってきた。
 全力でこれなのだ。
 やはり、シルバの策に乗るしかない。
 今も、その効果は休みなく働いているはずだが、機はまだ訪れていないらしい。
 御使いヴィナシスは、何とか呼吸を整えようとするキキョウを見下す。その表情には、わずかながら憐憫の色があった。
「どうやらその攻撃は『溜め』も少々いるようですね。それに、太い部分は切断出来ない様子。それもそうでしょう……出来るようなら、最初で決着がついていたでしょうから」
 鈍色をした鉄羽が、キキョウの四方天井を包む。
 その厚さはさっきまでの非ではない。
 さながら刃の壁だ。
 これらが一気に迫ってきたら、さすがのキキョウもひとたまりもない。
「力の出し惜しみをするつもりはありません。一撃で決めます」
「って、これは一撃とは言わぬ!」
 ツッコミながらもキキョウは頭の隅で考える。
 ……もう一度、三尾いけるか?
 手持ちのポーションは、体力魔力共にさっき切れた。
 一番いいのは、タイランかカナリーがポーションを投げてくれる事だが、向こうは向こうで鉄の羽の相手で一杯一杯のようだ。
 もっとも、この状況では、ポーションを投げても届かない可能性の方が髙いが。
 と、その危機に気付いてくれたのか、不意に包囲網が緩んだ。その隙を逃さず、キキョウは身体のあちこちに傷が付くのに構わず、鉄羽の結界を脱出する。
 同時に、巨大な鐘の音のような響きが木霊した。
「礼を言う、シーラ!」
「いい」
 シーラは表情を変えず、ヴィナシスの足を衝撃波を纏った金棒で攻撃し続けていた。
 キキョウの攻撃よりも遥かに凄まじく、御使いのメタリックな足は歪な形に変わっていた。
「……まずは、こちらを終わらせるのが先ですね」
 鉄の羽が訓練された兵士のように動くと、シーラを取り囲んだ。
「シーラ、逃げよ! その位置は危険だ!」
「断る。主の命は、この天使の打倒。ようやく、破壊の為の加減を掴めた所」
 キキョウの声に答えつつ、シーラは攻撃の手を休めない。
「危なくなったら逃げろと、シルバ殿も言っていたはずだ!」
「危険には当たらない」
 何十もの鉄の羽がシーラを襲うが、彼女は顔色一つ変えなかった。
「この程度の攻撃で、私の肌は傷つかない」
 そう言いつつも攻撃が激しさを増すのは、メイド服をボロボロにされているせいだろうか。
「ならば――」
 ぐ、と御使いヴィナシスは巨大な拳を固める。
「――動けないようになるまで、埋めるだけです」
 危険を感じたシーラは頭上を見上げた。
 が、遅かった。
 ヴィナシスの拳は深々と地面を貫き、シーラはその下敷きとなった。
 二の腕まで埋まった拳を引き抜くと、周囲の土でシーラを埋めてしまう。
 まるで、先刻シルバと戦ったサイレン司祭長の再現だ。
 ……シーラの事だから死んではいないだろうが、これでは衝撃波を用いても地上に戻るまでが一苦労だろう。


 そのヴィナシスの後ろでは、拍手喝采だった。
「おおおおお、さすがヴィナシス様素晴らしい!」
 サイレン司祭長を始めとした神官兵達が、声援を送ってきていた。
「サイレン司祭長、一つ質問があります」
「は、何でしょうか」
「……私に見えない所で、何か術を使っていますか」
 もしかしたら、誰かがこっそりと『{加速/スパーダ}』を使ってくれたのかもしれない。
 妙に、自分の身体の具合がいいのが気になり、ヴィナシスは訊ねてみた。
「は? してもよろしいのでしたら、いくらでも支援いたしますが!」
「……いえ、必要ありません」
 元より、自分と彼らでは、戦力差が違いすぎるのだ。
 動きこそ、御使いの中では最も遅いが、その分物理耐久力では、御使い随一と断言出来る。
 時間さえ掛ければ、自分が負ける要素はない。
 一番の脅威であったメイドは地面に埋め、しばらくは出て来ないだろう。
 素早い連中は、その分パワーが劣る。
 そうした連中には、大振りの一撃よりも自分の操る鉄の羽の方が効果的だ。
「にぅ!?」
「くそっ、また来た!」
 精霊砲を放ち続けていたリフや、空から魔力弾を放っていたノインが悲鳴を上げて逃げ回る。
「さすがに獣人や空飛ぶ魔族相手に素早さでは敵いませんか……」
 御使いヴィナシスは、手を彼らにかざした。
「ならば獣よりも速き稲妻で!」
 その手の平から、青白い雷光が迸る。
「に――!?」
 運動エネルギーから転化された電気エネルギーが御使いヴィナシスの手から放たれ、それは周囲の鉄羽を伝って縦横無尽に駆け巡る。
「うああっ!」
「にぁうっ!?」
 キキョウ、リフが雷を浴びて、バネのように弾かれて地面に転がる。


「ひうっ!!」
 空を飛ぶノインも同様だった。
 斜め下から飛んできた雷撃を浴びて、ノインの全身に痺れが駆け巡る。
 が。
「あ、あれ……アタシ、無事?」
 確かに身体に痺れはあるが、動けないほどではない。
 雷が飛んできた方向を見ると、小さな円形のエネルギーシールドが張られていた。
「……リ、{小盾/リシルド}?」


 カナリーとタイランは、思わず背後を振り返った。
 シルバが帰ってきたと思ったのだ。
 どうやって術を使えるようになったのかは分からないが、とにかくシルバがやったのだと考えた。
 しかし、シルバはいなかった。
 代わりに、手帳を広げて仁王立ちになっていたのは、赤毛の少年だった。
「ま、ま、間に合った……ぶっつけ本番」
 聖職者見習いのロメロは、自分が一番驚いているようだった。


「……た、助けてくれるのはありがたいんだけどロメロ、君、使える術は何かな?」
「{回復/ヒルタン}と{小盾/リシルド}」
 カナリーの問いに、ロメロは御使いから視線を外さず答える。
「他は?」
「ない!」
 断言され、カナリーは頭を抱えた。
 一方、ロメロは手帳を懐に戻し、改めて印を切る。
「これまでメモ見ながらじゃないと難しかったけど……人間やる気になれば出来るもんだな。何とか憶えた」
「……うぅ、手伝ってくれるのは嬉しいんだけどね」
 だが、戦力としてはあまりに心許ない。
 せめて、『{豪拳/コングル}』があれば、とカナリーは思うが、それは無い物ねだりというモノだ。
 そしてカナリーの思いは、戦っている相手も同じだったらしい。
「やめておきなさい、ロメロ。貴方では力不足です。私も加減する自信がありません」
 忠告するヴィナシスを、ロメロは見上げて叫んだ。
「だからといって、何もしないって訳にもいかないだろが! みんな俺達の為に頑張ってくれてるのに、一番奥でブルブル震えてろってのか!?」
 それを聞いて、黙っていられないのが、後方の司祭長・サイレンだった。
「貴様! ヴィナシス様に何という口の利き方だ! それでも聖職者の端くれか!」
 サイレン司祭長はロメロに指を突きつけ叫ぶと、次に隣にいたジョージア司祭を睨んだ。
「ジョージア司祭! お前は息子にどういう教育をしている!」
「やかましい! 親は関係ないだろ親は!」
 ロメロが怒鳴り、さらにサイレン司祭長は激昂する。
「見習い風情が司祭長である私に、何という口の利き方だ! ヴィナシス様! 私にも協力させて下さい!」
「駄目です」
 ヴィナシスはにべもなく告げた。
 不毛なやり取りに呆れながらも、カナリーは少しだけ安堵する。
 こういう無駄な時間が、今は多い方がいい。
 相手に気付かれないように、投擲用のポーションの準備を行なうカナリーだった。
「とにかく! 俺も参戦する! やれる事は微々たるもんだけど……それでも、ゼロよりマシだろ」
「ななななら私も手伝います魔力の補給ぐらいなら何とかって言っても私の場合は接触しないと駄目なんですけど」
 ロメロの後ろで、アリエッタもおずおずと立候補する。
「……アリエッタの出番はもう少し後だ。ロックール司祭の話だと、まだ温存する必要があるって話だからな」
「わ分かりました」
 ヴィナシスは頑固な彼らに説得を諦めたのか、小さく首を振った。
「そこまでの覚悟があるのならばいいでしょう。もっとも……まともに戦える者は、もうほとんどいなさそうですが」
 言われ、カナリーも現状を改めて認識する。
 電撃を食らったキキョウ、リフは半ば黒焦げになり、相当に消耗している。まともに動けるかどうかも怪しいモノだ。
 ノインも一応ロメロに庇われはしたモノの、ダメージを受けた事に変わりはない。
 まずは彼女らの回復が先決だろう。
「いくぜ、{回復/ヒルタン}」
「リフも回復だ。……ポーションも残り少なくなってきたな」
「で、ですね。えと、ノインさん、どうぞ」
 ロメロ、カナリー、タイランが次々と術やポーションを放つ。
「うむ……」
「にぅ……」
「遠慮なくもらっとく」
 ひとまず、瀕死の状態は脱した。
(……とはいえ、戦力的に厳しい事には違いない。せめてもう一人、前衛がいれば)
 そんな事をいつの間にか口に出して呟いていたのだろう。
 タイランが小さく囁いてきた。
(モ、モンブランにも出てもらいましょうか)
(いや、君の身体自体が盾みたいなモノだから、動かれちゃ困る。まだなのか、シルバ……)
 ここが我慢のしどころだというのは分かっている。
 シルバが、相手の攻撃範囲外に逃れられたのは、ある意味僥倖ではある。
 あとは、効果が出るまでの辛抱だ。
 ……それは分かっているのだが、あまりにきつい。
「言っておきますが――」
 ヴィナシスは、カナリーを見据えた。
 まるで、自分の考えが漏れたような錯覚に陥り、カナリーはわずかに動揺する。
 そんな彼女に、ヴィナシスは告げる。
「――貴方達の策は無駄に終わります」
「!!」
 表情に出ないように苦労する。
「……何の、事かな?」
「狙いは、おそらく『錆』」
「……っ!!」
 見抜かれていた。
「そう、『金』の属性である私を、錆びさせる事にあるのでしょう。確かに『金属』である私には特性として『硬く重い』というモノがあり、同時に『金属は錆びる』という欠点もあります。もちろん金のような錆に強い金属、というのもありますが、あれは柔らかいという問題点があります。何より私は、『金属』の一般的なイメージとして顕現しているので、その性質は極めて鉄に近い。そういう意味では、狙いは間違っていませんでした。……最初に発生した濃霧は目眩ましではなく、水滴を私に付着させるのが真の目的。『{加速/スパーダ}』に近い術で、腐食を早めようとしているのではないですか?」
 御使いの推察はほぼ完璧だ。
『{加速/スパーダ}』の代用は、カナリーがシルバに貸した懐中時計を用いて作り出した『運命の輪』の札にある。
 その札で、ヴィナシスの腐食を早めていたのだ。
 ……同時に欠点として、ヴィナシス自身の動きが早まってしまうのだが。
 効果がハッキリと現れるまで、気付かれてはならなかった。
 それに気付けば、間違いなくヴィナシスは前衛の攻撃を無視して、後衛への攻撃に集中させていただろうから。
 だがもう遅い。
 御使いヴィナシスは、シルバの狙いをほぼ、看破してしまっていた。
「もっとも、多少腐食の進行を早めた所で、私が貴方達を倒す方がもっと早いのです」
 素早く身を屈めて振るったヴィナシスの鉄の巨腕が、キキョウに殺到する。
「うあっ!?」
 防御はしたモノの、そのままキキョウは吹き飛ばされ、森の木々をへし折りながら、奥に消えてしまった。
 正に羽毛の軽さを思わせる動きで、鉄の羽が舞い上がる。
「この速度にも大分、慣れてきましたしね。……少々気は引けますが、これも人の子の願いにより顕われた私の務め。もう終わらせます」
 そして宙に浮いた羽が雨のように地面に降り注いだ。
 懸命に避けていたリフだったが、ついに鉄片の一つが彼女の身体を切り裂いた。
「にぅっ!」
 小さく悲鳴を上げて、リフは地面に突っ伏す。
「遅いですよ」
「カ、カナリーさん、隠れて下さい!」
「分かってる! こんなの一つでも食らったら、僕なんてひとたまりもない!」
 カナリーは、盾を構えるタイランの陰に身を寄せる。
 そのタイランも、防御に必死だ。
 勝ち目がない場合、もしくは狙いを見抜かれた場合は、まだポーションが残っている内に、防御に専念しろというのがシルバの命令だった。
 もっとも、それも長くは持ちそうにない。
 ノインもこちらに何とか近付こうとしていたが、空中を舞う鉄の羽にそれもままならない。
「ちっ、あのでかさで何て速さだ! これじゃ……」
「逃がしませんよ――蓄雷放電」
 ヴィナシスが手をかざし、青白い電撃が空間を奔る。
「{小盾/リシルド}!」
 タイランの後ろでロメロが術を唱えた。
「うああっ……!?」
 しかし、『小盾』ではダメージを受けきれず、雷撃がノインに襲いかかる。
 そして細い黒煙と共に、ノインは地面に落下した。
「く、そぉ……っ!!」
 ロメロはタイランの後ろから飛び出すと、いまだ放電の続く空間に駆け出した。
「ちょっと待て、ロメロ! 今出るのはまずい!」
 カナリーが叫ぶが、ロメロは止まらない。
「だからってこのままにしておけるかよ! アリエッタの姉ちゃんなんだぞ!」
「……残念です」
 本当に残念そうに言い、ヴィナシスは振り上げた拳をロメロとノインに向かって振り下ろした。


 誰もが、ロメロがノインもろとも押し潰されたと思った。
 だが、誰よりも最初に驚いたのは、拳を振り下ろした張本人だった。
「そんな、馬鹿な……」
 拳が震え、徐々に持ち上がっていく。
 その下から、両腕でガードをしたロメロの姿が、徐々に姿を現わした。
「おおっ!」
 大喝一声、ロメロはヴィナシスの腕を弾き上げた。
「くぅ……っ!」
 信じられない事に、超重量級の御使いはたたらを踏んだ。
 ロメロは大きく息を吐くと、顎から滴る自分の汗を腕で拭った。
「思ったより……重くねーなっ!」
「ってロメロだけの力じゃないですよ!」
 声を張り上げたのは、タイランの後ろに控えていたアリエッタだ。
「あん? 何言ってるんだよ、アリエッタ? 俺の中に宿っていた秘めたる力が、追い詰められて初めて発揮をしてだな」
「……礼は言うけど、勘違いはよしなよ」
 ロメロの傍にいたノインも同じ事を言う。
「お、おいおい」
 若干ロメロが引きつるが、実際、その身体は赤と青の魔法光が明滅していた。
 そしてその効果を、カナリーは知っていた。
「これは……『豪拳』、それに『鉄壁』……っ!」
 だが、ロメロは『回復』と『小盾』しか使えないはず。
 まさか本当に秘められた力なんていうモノが……とカナリーは一瞬動揺したが、その視界の端に、印を切る細身の司祭を認めて安心した。
「――{回復/ヒルグン}」
 いつの間にか戦の場に立っていた司祭、ジョージアはそのままキキョウやリフの傷を癒していく。
「……おお、助かった」
「に……ありがと」
 二人が立ち上がり、ジョージア司祭の後ろではサイレン司祭長が拳を震わせていた。
「貴様……」
「お叱りは後でいくらでも受けましょう」
 すまなさそうにジョージア司祭は頭を下げる。
「……ですが、今は息子を助けたいので。申し訳ございません」
「私を裏切るのか、ジョージア! そして神に逆らうというのか!」
「サイレン司祭長。別に、主を裏切っている訳ではないと思いますが」
「ぐ……」
 まさかの御使いからのツッコミに、サイレンは言葉に詰まる。
 もっとも、そのまま黙っている司祭長ではなかった。
「と、とにかく敵方に付くのですから、裏切りには変わりありません!」
「それはそうですね。向こうに付くという事は、私を相手にするという事です。よろしいのですか」
「……はい」
 頷き、ジョージアはロメロを見た。
「……息子が嫁と子供の為に身体を張っているのを見ていると、いてもたってもいられなくなりまして」
「相手は魔族だぞ!?」
 ジョージアの背中に、サイレンが怒声をぶつける。
「それを承知の上で守っているからですよ……ここまでの覚悟があるのなら、親として私も力添えせざるをえないじゃないですか。遅すぎるぐらいですが」
「親父……」
 呆然とロメロは呟き、ジョージアはヴィナシスと向き合った。
「そういう事ならば、しょうがありませんね。ですが、負け戦になりますよ?」
「望む所です」
 言って、ジョージアは印を構えた。
「って余所見している場合かよ、御使い!」
 ハッと我に返ったロメロがヴィナシスの足下に駆け寄り、強化された拳をぶつけた。
「む……それもそうですね。まずは貴方達から倒しましょう」
「おおよ! 手伝え姉さん!」
「あんたの姉になった覚えはないっての!」
 皮膜を羽ばたかせ、空から魔力弾を放ちながら、ノインが叫ぶ。
 一方、ジョージアに向かって、サイレン司祭長は指を突きつけていた。
「という事は貴様、私の敵だな! よし分かった! 今すぐに、眠らせてやる!」
 ヴィナシスが止める間もなく、取り巻きの神官兵達が武器を構えて、ジョージア司祭に殺到する。
「させぬ!」
「にぅ、てつだう!」
 それを守ったのは、キキョウとリフだった。
 突き出された五本の槍の穂先がまとめて切断され、神官兵達の足が止まる。
「ぬうっ!?」
「先刻の回復、礼を言う。さ、早く向こうへ」
「に。タイランの背中ならあんぜん」
「あ、ありがとうございます」
 頭を下げ、ジョージアはカナリー達の下へと駆け出した。
 その背中に向けて、キキョウが言う。
「あと、移動しながらでいいので、『{崩壁/シルダン}』を使えるようなら頼みまする」
「誰にですか?」
「それは、どこに、というのが正確であるな」
「はい?」


 ノインは空中を高速で乱舞しながら、自分を切り刻もうとする鉄羽を回避していく。
「さって、そろそろ追いついてきたかな」
「何の話だよ」
 鉄の足を拳で殴るという暴挙を繰り返しながら、ロメロが空のノインに訊ねる。
 もっともそれが気に入らないのか、ノインは顔をしかめていた。
「話しかけてくんな。避けるのに集中出来ないだろ」
「そっちが聞こえるように呟くのが悪いんだよ!」
「聞かなきゃいいじゃん! いちいち返事しないでよ!?」
 一見仲が悪い二人だが、ヴィナシスの拳や蹴りをロメロが対応し、鉄の羽はノインが相手をしており、それなりに息は合っていたりする。
「しかし、これは避けられないはず――蓄雷放電!」
 言って、御使いヴィナシスは手を掲げて、体内からの電撃を再び放つ。
「くっ……大丈夫か、姉さん!」
「だから姉じゃないって言ってるでしょ!」
 防御はするものの、こればかりはどうにもならない二人だった。
 そして、それとは別の意味で危機を抱いている人物がもう一人いた。
「うぅ……ロメロとノインお姉ちゃんの仲が良くなってきていますうらやましいです」
 指を咥えて羨ましげなアリエッタに、ロメロとノインは同時に振り返った。
「仲良くなんてなってない!」
「どういう目をしてるのさ!?」
「息ピッタリじゃないか……」
 カナリーは、やれやれと首を振った。
 だが、そんな呑気なやり取りも、ほんのわずかな時間でしかない。
「遊んでいる場合ですか?」
 頭上からの声に視線を向けると、新たな電光が鉄羽の間を駆け抜けていた。
「うあっ!?」
 今回、地上にこそ被害はほとんど及ばなかったモノの、空中にいたノインはたまらない。
 短い悲鳴を上げて墜落するノインに、ヴィナシスの巨大な鉄の足が追い打ちを掛けようとする。
「このっ!」
 その足を、ロメロの蹴りが妨害した。
「お前は退いてポーション回復受けてろ! つーかこの電撃さえどうにか出来れば……」
「それより、あの刃物が厄介なんだよなー……それさえなきゃハッちゃんがどうにか出来るのに」
 ロメロは、弱々しく言うノインと顔を見合わせた。
「……ほんっと、かみ合わなねーな、アンタ」
「それはこっちの台詞だっての!」


「ううううう」
 背中から来るプレッシャーに、タイランは甲冑だというのに汗をダラダラと流していた。
「あ、あの、二人ともその辺にしておいてくれると助かります……後ろから何か黒いオーラが出て来てますので……」


「遊んでいる場合ではありませんよ。戦力が増えたのでしたら……」
 ヴィナシスは手を拳から手刀へと切り替えた。
 いや、比喩ではなく、手の腹の部分が鋭利な刃物に変化している。
 超巨大な包丁のようなそれを振り下ろされ、ロメロは目を見開いた。
「うわあっ!? 死ぬ死ぬ死ぬ!」
 避ける余裕もなく、追い詰められたロメロはそれを両手で挟み込んだ。
 重量級の攻撃に、ずん、と足が地面に埋まってしまう。
 ヴィナシスはさらに力を加えようとして……腕と足に軋みを感じた。
「……っ!?」
 見ると、身体のあちこちに赤茶色の斑点が浮かんでいた。
 錆だ。
 馬鹿な、と御使いは動揺する。
 濃霧に見せかけた水分による腐食という、相手の狙いは看破していた。
 だが、これはあまりに早すぎる。
 ただの水ではなかったというのか……?


 ちょうど、その時だった。
「よかった! 終わってなかったー!」
「つ、疲れた……」
 元気と疲労、二種類の声に、カナリーは振り返った。
「ヒイロ! それにシルバ!」
「……よう、カナリー待たせたな。何とか間に合ったらしい。途中で変な奴と会って、相談してたんだ。……魔力は温存してあるな?」
「うん。それじゃ始めようか」


「ぐう……っ!」
 ヴィナシスが膝を屈する。
「うおっ!?」
 足下にいたロメロが慌てて退いた。
 それを眺めながら、シルバは『運命の輪』の札を懐から取り出した。
「一体自分の身に何が起こっているのか分からない……そんな顔をしているな」
「シルバ。錆の件は看破されてたぞ」
 カナリーの言葉にも、シルバは指して驚かない。
「ま、そりゃされるだろ。仮にも『金』の御使いヴィナシスだ。……自分の弱点ぐらい把握はしているさ」
 呟き、キキョウと交戦中のサイレン司祭長の方を見た。
「俺が怖かったのは、例えば金みたいな錆びない素材だったり、魔を退ける銀、あるいは性質そのものを変化させられたりだったんだが、それもない。この世界への顕現時点での力の限界って奴だな」
「先輩先輩、むずかしいよ」
「召喚者の魔力と実力不足で、天使の力が制限されてんだよ」
「あ、それなら分かる」
 シルバがぶっちゃけると、パンとヒイロは手を打ち合わせた。
 実際その通りだったらしく、ヴィナシスは否定しなかった。
「……あの濃霧は、ただの霧ではなかったという事ですか」
 御使いヴィナシスの肌に浮かび上がった、赤茶色の斑点は面積をさらに広めていく。
「ああ……まあ、その……何だ。アンタが顕現する前にも一戦あったんで、それを利用させてもらったというか……」
 すまなさそうに、シルバはキキョウ達とサイレン司祭長らの戦いを指差した。
「つまり、あの霧の主成分は、ここにいる連中から出た塩水――つまり汗なんだ」
 その言葉に、仲間達は心底嫌そうな顔をした。
「……シルバ。この戦いが終わったら、僕達は身体を清めさせてもらう。絶対にだ」
「あ、あんまり気持ちのいいモノじゃないですよね……」
「まだ、後衛にいたお前らはマシな方だろ……前衛なんて、もっと悲惨だぞ」
 シルバが言うと、うむ、と戦闘中のキキョウも頷いていた。
「聞こえているぞ、シルバ殿……放っておくと、着物が恐ろしい臭いを発する事になるのだ。夏場の道着のすえた臭いと同じモノであり、つまり地獄だ」
「にぅ……くちゃいの、や」
 作戦は大不評であった。
「とにかく、このまま腐食を進めさせてもらう」
 シルバが札に魔力を込めると、『運命の輪』の絵札の中の輪が高速で回転する。
 その力は時間操作。
 時間を『巻き戻す』よりは消耗が少ないとはいえ、錆の侵食を継続する為の魔力消費はこれまでにないほどきつい。
 余裕ぶってはいるが、実はシルバも結構きつきつであった。
「シルバ、交代しよう」
「頼む、カナリー」
「わ、私もお手伝い出来ればいいんですけど……」
 タイランが済まなさそうに差し出した魔力ポーションを飲んで、シルバはようやく回復した。
 カナリーの魔力を温存していたのは、この為でもある。シルバとカナリーは、交互に札に魔力を注ぐ作業を行なう事になっていた。
「タイランはタイランで、盾としての仕事があるだろ。それで充分だって」
「甘いですよ、ロックール司祭!」
 ヴィナシスの身体が青白く輝き、錆の侵食が緩やかになる。
「電撃による防錆効果か……! ってロメロ拳ストップ! 感電して死ぬぞ!?」
「おおっと!?」
 シルバとヴィナシスのやり取りに構わず拳を足にぶつけていたロメロが、慌てて腕を引っ込める。
 その頭上で、ノインが小さく舌打ちをした。
「ちっ!」
「今お前、舌打ちしただろ!? おい、俺が死んでもいいって思っただろ!?」
「っさいな! 今はそれどころじゃないだろ!」
「あと、そっちの魔力弾も効いてないから、撃つだけ勿体ないぞ」
 シルバの助言を受け、ノインも魔力弾の撃ち込みをやめる。
「そ、そういう事は早くいいなよ!?」
「……だから今、言ったんだよ。大体いつの間にロメロとその父さんが協力してるんだ。カナリー、きついだろうけど雷撃付与をロメロとヒイロに頼む」
「了解」
「させません!」
 ロメロやノインを無視して、雷光を放つ鉄の天使、ヴィナシスがシルバに襲いかかる。
「タイラン!」
「は、はい!」
 シルバは後ろに下がり、入れ替わりにタイランが前に出た。
 もっとも、タイランが盾役になる必要はなかった。
「{崩壁/シルダン}!!」
 ジョージアの祝福魔術が発動し、ヴィナシスの身体が腰まで地面に沈む。
「な――っ!?」
「さすが超重量級、効果は抜群だ。……それと、術掛けた本人が驚くのはどうかと思うんですが」
 隣で呆然としているジョージア司祭を、シルバは見た。
「……いえ、その、こういう効果があるとは思わなかったので」
「出来れば次は{飛翔/フライン}をお願いします。息子さんみたいに、味方まで沈むんで」
「あ、は、はい! ロ、ロメロ、しっかりしなさい!」
「お、おう!」
 ジョージアが『浮遊』を掛けると、膝下まで地面に埋まっていたロメロの身体が浮き上がる。
 ちなみに、キキョウ達の方では、神官兵達が何人か同じように巻き込まれていた。
「んじゃ、行くよーっ!!」
 十数セントメルト、空中に浮遊した状態で、ヒイロは甲冑とブーツを脱いだ。
 身軽になったヒイロが、いつもの数割増しの速度でヴィナシスに突進する。
「硬いぞ、コイツ!」
「しょーちの、うえっ!!」
 ロメロに応えて、拳を握る。
「させません!」
 ヴィナシスは身体を地面に沈めたまま、夜空に向かって手をかざした。
 夜空に舞う鉄の羽達が、ヒイロに向かって殺到する。
 例え赤錆に侵されていても、ヴィナシス本体とは違い単純な造りだからだろう、その速度はほとんど鈍っていない。
 だが。
「遅いよ!!」
 ヒイロはそれらを次々に、獣のような素早い動きで回避していく。赤錆に覆われた鉄片は地面に突き刺さったかと思うと、そのまま全部沈んでしまっていた。
「犬……いや、狼……?」
 横を通り抜けていくヒイロに、ロメロが呟く。
 そんな彼に構わず、ヒイロは雷撃と強風を纏った拳を振りかぶった。
「これでもくらえ――烈風拳っ!!」
 重い一撃がヴィナシスの腹部に打ち込まれ、森の木々全体が揺らぎ、地面が震えた。同時に、大きな鐘を突くような音が森に響き渡る。
「ぐうっ……!?」
 ヴィナシスはこの戦いで初めて受けた、強烈な痛みに苦悶に歪めた。
 たまらず両手を地面に突き、その手も土の中に沈んでしまう。
 ヒイロが腕を引くと、拳を打ち込んだ部分が粉末状になって散っていく。
 逆にヴィナシスの拳は、動きも鈍り、ヒイロは難なく回避してしまう。
「……シルバ、ヒイロは何をしたんだい?」
「シーラの攻撃と原理的には同じ事。ただし、打ち込んだのは衝撃波じゃなくて気って奴だけど」
 ヒイロが姉であるスオウから習得した、気の放出の応用だ。
 あれをゼロ距離から打ち込む事で、対象の内部にダメージを与えたのだ。
「しかしそれだけで、あのダメージは説明が付かないと思うんだけど……」
「……それは戦いながら出力を調整してた、シーラの成果。何でも物質は、特定の震動に弱いって話があるらしいじゃないか。造ったばかりの吊り橋が上を歩く軍隊の歩調が原因で落ちたり、建物が風が原因で崩壊したりっつー……後半は、ネイトの受け売りだけど」
 カナリーがパチンと指を鳴らす。
「そうか、共鳴現象」
 ちなみに当のネイトは、地の底にいるシーラに状況を聞きに行っており、不在状態にある。
 その間も、ヒイロの拳は次々にヴィナシスに叩き込まれ、ダメージを蓄積していった。
 徐々にヴィナシスの力は弱まりつつあるのか、再びその身体や羽からは赤い錆が広がり始めていた。
 さて、とシルバは考える。
 このまま終わらせると、おそらくヴィナシスは消滅する。
 しかしそうすると、残ったサイレン司祭長は御使いと交わした『約束』を無視して攻撃してくる可能性が高い。
 それでは困るのだ。
 ベストなのは、ヴィナシス自らに敗北を認めさせる事。
 飛び交う羽は、今の速度ならノインの魔力弾で撃墜出来る。
 電撃の方は……。
「……この身体では……どうやら勝てそうにありませんね……」
 御使いヴィナシスの呟きに、シルバはハッと己の思考から抜け出した。
 やっぱり来るか。
「ヒイロ、ロメロ、距離を取れ! 縮むぞ!」
 シルバの予想通り、錆で赤茶けた御使いの姿は徐々に縮まり、最初に顕われた時と同じ、人の大きさへと変化していく。


 キキョウは刀と短刀を茂みの中に投げ捨てた。
「どうした獣人。勝負を諦めたのかね」
「まさか。必要があって、行なったまで」
 言って、腰を落とし、右手を前に構えた。
「それに某、素手での心得もそれなりにあるのでな」
 その言葉に、槍と鎧で武装した神官兵達も、改めて身構える。


 突然地面が小さく爆発したかと思うと、夜空に向かって金棒が勢いよく舞い上がっていった。
 くるくると回転しながらその金棒もまた、森の茂みに突き刺さる。
 黒く変色した金棒には、瘤のような幾つもの石がへばりついていた。
 土まみれになったシーラがモグラよろしく地面から現れたのは、それから少し経ってからの事だった。
 周囲をゆっくりと見渡し、シルバの姿を認めると口を開く。
「主の読み通りだった」
「ご苦労。あったか?」
「充分すぎるほど」


「シルバ、魔力ポーションこれが最後だ」
「了解。アリエッタ、質問がある」
 シルバは札に魔力を注ぎつつ、魔力ポーションで喉を潤した。
「ななな何でしょうか」
「森でロメロとはぐれたっていう話だけど、やっぱりこれが原因か?」
 懐から出した『それ』を見て、アリエッタはぶんぶんと首を縦に振った。
「そそそそうですこれが全然役に立たなくていやロメロから聞いてはいたんですけどまさか飛んで探す訳にもいかず」
 ふむ、とカナリーは弱い雷撃呪文を唱えると、小さな火花を指先に集めた。
 微量の粉が指先に集束する。
 術を解くと、その粉はヴィナシスの方へと漂っていく。
「……やろうか、シルバ」
「よし」
 シルバは腰の荷物袋から地図を取り出した。
「シーラはロメロと交代。ジョージア司祭とノインは、こっちへ来てくれ。決着をつける」


 御使いヴィナシスの姿が変化する。
 人の大きさに戻ったそれは、恐るべき力を発揮する。
 膂力は巨体のままでありながら速度は数倍増しとなっている。それでいながら、身が硬く物理的な攻撃は酷く通じにくいのは変わらない。
 否、それ以前に戦士達を遠ざける不可視の力が発動される。
 身が縮んだ分、雷撃は範囲こそ狭まったモノの、鋭さは逆に増し、威力も高まっている。
 更に巨体の時には使えなかった、空中への飛翔が可能となるのが大きい。
 唯一の問題があるとするならば、酷く魔力を食う為、召喚者の負担が大きく長時間の顕現が出来ない点にあった。


「申し訳ありませんが、最終手段を出させて頂きます」
 地面から浮き上がった御使いヴィナシスの赤錆びた身体は、青白い火花を放出する。
「うぉ……っ!?」
 その眩しさに、シルバ・ロックールが一瞬目を逸らした。
 ヴィナシスは、低い唸り声にも似た音が放った。
 途端、地面に落ちていた神官兵達の槍が勢いよく森の方へと吹き飛ばされてしまう。
「――『封鉄領域』。金属の防具武器を持った者は全て弾き飛ばしま……」
 そのヴィナシス目がけて、何かが飛んでくる。
 巨大な二つの塊――鋼の手であった。
「!?」
「ロケットナックル!!」
 それは、いつの間にかシルバの前に立っていた重甲冑の両手だった。
 ワイヤーで繋がれたそれが、ヴィナシスの身体をガッシリと捕らえる。
「ど、どうして!?」
「ぜ、絶魔コーティングです!!」
 その名は、ヴィナシスも聞いた事があった。
 あらゆる魔術効果を打ち消す、人が作った魔力遮断の技術。
 もちろんヴィナシスの『封鉄領域』もその例外ではない。
 本来ならば、あらゆる武器防具を近づけさせないその術は、目前の重甲冑にはまったく効き目がないようだった。
「……あと、味方の方が巻き込まれてるぞ?」
 そう、シルバ・ロックールが言い、ヴィナシスの背後を指差した。
 首を向けると、森の茂みに神官兵のほとんどが吹き飛ばされていた。
「うぅ……御使い様、どうして……」
 彼らは鉄の槍と防具で身を固めていたので、吹き飛ばされるのは当たり前の話である。
「だ、大丈夫ですか!?」
「……まあ、手出し無用って話なのにどさくさ紛れに戦闘に入ったから自業自得っちゃー、そうなんだけど」


 もちろん無事だった者もいる。
 後方支援の術者達はほとんど金属製品を身に着けていなかったので、吹き飛ばされてはいない。
 もっとも、まともに戦える者はほとんどいない。『神拳』にしても、魔力ポーションを盗まれている時点で、後数発撃てるかどうか怪しいモノだった。
 激昂したのはその内の一人、サイレン司祭長であった。
「おのれ、邪悪なる者め! よくも狡猾な罠を仕掛けてくれたな!」
「術を発動させた天使に言ってんのか、それは?」
 よくもまあ、これだけ悪びれずに人のせいに出来るなと半ば呆れながら、シルバは訊ねた。
「そんな訳があるか!」
「そして、一気に手駒は減ったようであるな」
 サイレン司祭長を、キキョウらが取り囲む。
 先にシルバから、金属類の武装を外すよう言われていたので、彼女達も無事だったのだ。
「一人を相手に多勢で掛かってくるとは卑怯な!」
 それでもほとんど怯まないのは、大したモノなのかもしれない。
「に……さっきまで、リフ達の方が数、すくなかった」
「勝負に卑怯はない。素手での戦闘は元々、わたしの分野」
「じゃあ、こっちはこっちで始めよっか。手を出したのはそっちが先なんだよね?」
 キキョウらは一斉に、サイレン司祭長に襲いかかった。


 後方の戦闘も気になったが、とにかくヴィナシスは自分の脱出を優先しなければならなかった。
「くっ……こ、この程度の拘束……すぐに抜け出して……」
 膂力は維持されているのだ。
 その気になれば脱出など……と考えているヴィナシスに、何やら滑るモノが横から纏わり付いてきた。
「あ……っ!?」
 見ると、それは赤く太い触手だった。
「キュル……」
 ヴィナシスが触手の伸びてきた方向に顔をやると、森の奥に丸い頭をした軟体の中型モンスター・ハッポンアシが潜んでいた。
「来たねハッちゃん。いいよ、そのまま捕まえてて!」
 シルバの傍にいたノインがハッポンアシに命じると、モンスターは小さく鳴いてヴィナシスの身体を締め付けてくる。
「あ、あれは……我々を襲ったモンスター……」
 倒れていた神官兵の一人が声を上げた。
「は、離しなさい!!」
 ヴィナシスは暴れるが、ただでさえ重甲冑の手で捕まえられ、おまけにヌルヌルとした触手は金属の肌とはすこぶる相性が悪い。とにかく滑るのだ。
「無駄無駄。その子に電撃の類は通用しないよ。全部吸収しちまうから」
「……っ!!」
 ノインの言葉通り、魔力が吸収されてしまっている。
 電撃を放とうにも、それすら吸われてしまう。
 まだ残っていた羽を放ってみたが、赤茶けたそれの切れ味は恐ろしく鈍っていた。
 ハッポンアシの身体に突き刺さったが、ゴムのようなその身体はあっさりと羽を弾き飛ばしている。
 軟体モンスターは、斬撃ならともかく、打撃の攻撃効果は薄いのだ。
 魔力を吸い取られ、ヴィナシスの身体は明滅を繰り返しながら、更に錆びていく。


「大詰めだ……」
 シルバが札に魔力を込めると、宙に浮いていた御使いヴィナシスの身体がググッと地面に下がっていく。
「その札は……うあぁっ!?」
 シルバは地図から作り出した『世界』の札に魔力を注ぎ込み続ける。
 シルバだけではない。
 ロメロやジョージアといった、魔力を持つ者全員が、その札に同じように『世界』の札に力を与えていた。
 そして、その『世界』の効果とはこの場合。
「――磁界操作。その金属の身体で空を飛ぶ理屈は分かっているつもりだ。電流を応用して、磁力で浮いているんだろ」
「……っ!?」
 見抜かれていた事に、ヴィナシスは動揺する。
 シルバの横で、カナリーが少し呆れた顔をしていた。
「シルバ、よくそんな技術知ってたね」
「……軍って、色々変な人がいるんだよ。あとクロップの爺さん」
 この地面の下には、磁力を帯びた鉱石が大量に埋まっている。
 それが原因で、アリエッタは方位磁石が役に立たず、道に迷ったのだ。
 もっとも、シルバがこれに気付いたのは、まったく違う出来事にあった。
「そもそも最初に地面から御使いが登場した時、浮いてきただろ。背中の羽を羽ばたかせもせず、どうやって浮いたんだろって疑問に思ってたんだ」
 もしかすると、自分自身と地下の鉱石の磁力を操って、浮いたのでは……。
 その時点ではあくまで推測だったが、地下に潜ったシーラが自身の武器である金棒で、磁力を帯びた鉱石が存在する事を確認をした。
「……アレは僕、何かの演出かと思ってたんだけど。それと、僕が宙に浮く事には何の疑問も持たないのかい?」
「うん? 吸血鬼が空を飛ぶのは普通じゃないか」
 カナリーは少し困った顔をし、話を変えた。
「……とにかく、この磁力の維持は結構きついモノがあるね。『力』の札じゃ駄目だったのか?」
「多分、狙ってる効果は一緒だし、ついでに新しい札の力も確認したかったんだ」
 酷い動機であった。
「ちょっとシルバ、君この状況でよくそんなチャレンジ精神が発揮出来るね!?」
「はっはっは、褒めるなよ」
「別に褒めた覚えは一度もない!」
「まあ実際……! 御使いを動けなくするぐらい強力な磁力の発揮には、これぐらいの人数が必要なんだよ。実際今やってるんだから、分かるだろ……!」
「それは同感だけど……今回一番の被害者は、間違いなく彼らだろうね」
 うん、とシルバは地面に横たわる神官兵達を見た。
 金属の武器と防具で武装した彼らは地面下の磁力によって、横たわるというより最早埋没していると言ってもいい。
「ぐ、う……!」
 そして、ヴィナシスにも限界が来た。
 地面の防御力を下げる『崩壁』は、同じ術者であるジョージア司祭の『鉄壁』によって元の固さに戻されている。
 にも関わらず、タイランとハッポンアシに拘束された御使いの身体は、徐々に地面に埋まりつつあった。
「ヴィナシス様!!」
 キキョウ達を相手取っていたサイレン司祭長が、悲鳴にも似た声を上げる。
「余所見をしている場合か、司祭長!」
「ぐう……っ! わ、私にもっと力があれば……!」
 その司祭長ももはや魔力の限界なのか、キキョウの貫手を胸に受けて、その場に膝を屈する。
「勝負あり……ですね」
 同時に、ヴィナシスの身体も、その存在が薄れつつあった。
 シルバ達の操る磁力に抵抗すればするほど司祭長の魔力は大きく消費され、その身体の維持が不可能になっていたのだ。
 その宣言を聞き、シルバは『世界』の札から魔力を切った。
 カナリーらは元より、キキョウや神官兵達といった、その場にいたほぼ全員がホッと安堵する。


 ――膝をついていたサイレン司祭長が、足のバネを使ってシルバに向かって大きく跳躍したのは、その直後の事だった。


 それまでジッと待機していたちびネイトが、ひょいとシルバの肩に出現する。
「シルバ来たぞ!」
「やっぱりな!」
 ネイトに警戒させていたお陰で、シルバは動揺しなかった。
 手に持っていた『世界』の札を腰に吊していた金袋に突っ込むと、開いた口から大量のコインが噴水のように溢れ出した。
「がふっ!?」
 コインの奔流を顎に喰らい、サイレン司祭長は派手に吹っ飛ぶ。
 やがて、コインの放出も収まり、周囲に硬貨をばらまいた中で、サイレン司祭長は大の字になって倒れてしまった。
 目を回す司祭長を、ネイトはつまらなそうに見た。
「……何という読み通りの展開。仕事のし甲斐がなくて困る。もうちょっと意外性が欲しい所だ」
「そんなモノ求めてどーする」
「例えば求愛行動に走るとか」
「全力でお断りする」
「うむ、やはり私の抱擁を求めているのだな」
 言って、ネイトはシルバの耳にしがみついた。
「いつ求めたか!?」
「……そ、それより拾わなくてもいいんですか、コイン?」
 おずおずとタイランに言われ、シルバは我に返った。
「あー……そういや、結構散らばっちまったな。とりあえず皆さん、近くにあるコインは回収。あとこれはこっちに預けとく」
 仲間達が地面に落ちた硬貨を拾う中、シルバは何枚かのコインを御使いヴィナシスに渡した。
「何ですか、これは?」
 ヴィナシスは不思議そうに、精緻な刻印が施されたそのコインを眺めた。
「司祭長が使ってたコイン。召喚やら転移の術が使えるらしいんだけど、『砲術』とかにまた使われても困るし」
「……それなら、彼の傍に散らばっているコインも回収する必要があると思うのですが」
「しまった!?」
 言われてみれば、そうである。
 別に普通の硬貨でもそこらの小石でも、『砲術』は可能なのだ。
「……心配しなくても、これ以上の無法は私が許しませんよ。その手の攻撃はしばらく、一切を禁止します」
「助かります。んで、ノインとやら」
 ホッと安堵したシルバは、退屈そうにシルバの様子を眺めていた魔族の方を向いた。
「何さ?」
「そっちのハッちゃんに頼んで、司祭長の魔力回復頼める?」
 中型モンスターは自分が呼ばれたのに気付いたのか、何故か頭にリフを乗せながら「きゅ?」と短く鳴いた。
「やだよ!? 何であんな奴を助けなきゃならないのさ!?」
 当然、ノインは反対した。
 シルバは頭を掻きながら、恋人の身を案じるロメロを見る。
 そして、声を潜めた。
「ロメロ……は、どうでもいいんだっけか。でもアリエッタの為でもある」
「本当か?」
「神に誓って本当だ。つーかあっちの魔力が完全に枯れると、御使いがこの世界で姿を維持出来なくなるんだよ。そうするとこれからする事が色々面倒くさくてな」
「アンタの信仰する神なんてどうでもいいけど、まあいいや。……借りが出来てるし、一応は協力しとく」
「おう」
 ノインはハッポンアシに近づき、触手を伸ばすよう命じる。
 その背中を眺めてから、自分と同じようにロメロとアリエッタを眺める痩せた司祭に気がついた。
 向こうも、こちらに気がついたようだ。
 目が合うと、ぺこりと頭を下げてきた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。ジョージア司祭も、ご苦労様です」
「いえ……それからロメロ」
 ジョージアが声を掛けると、ロメロは父親の方を向いた。
「何だよ、親父」
「私はこの土地から離れる事は出来ません……が、場所が定まりましたら、便りの一つぐらいは送って下さい。貴方とその妻、そして生まれてくる子に、神の祝福を」
 ジョージアは、息子とその隣にいる嫁に印を切った。
「お義父さん……」
「アリエッタさん。乱暴な所もある息子ですが、どうぞよろしくお願いします」
「は、はいありがとうございますこちらこそこれまで色々お世話になりましたロクにその恩も返せず去る事をお許し下さいお便り必ず書きますから」
 すごい勢いで、アリエッタは頭を下げまくっていた。
「うむうむ、良い光景だ。しかしてシルバ殿、サフィーンは少し遠いと思うのだが」
 キキョウが、拾ったコインを持ってきた。
「うん。だから南の方を紹介しようと思う」
 シルバは金袋の口を開け、そのコインを受け取った。
 もっとも地面にはまだまだ、硬貨が落ちている。土剥き出しの所はまだしも、草むらに落ちたのを拾うのは厄介そうだ。
 ジョージアが『回復』を神官兵達にもまとめて掛けたお陰で、彼らも拾うのに協力していた。
 さすがに天使の前で、これ以上戦うつもりはないらしい。
「南……というと、ドラマリン森林領か?」
 キキョウの問いに、シルバは頭の中で地図を描いた。
 このまま南下すれば、数日で国境に到着する。
「ん。国境抜けて……アリエッタが身重だし、徒歩だとちょっときついか。使うなら馬車か飛鳥便だな。ウチの村ならまーまず産むのも大丈夫だろうと思う。サフィーンに比べりゃ、まだずっと近いし」
「なるほど……」
「てな訳で、約束は守ってもらうよ、御使い」
「当然です」
 御使いが頷く。
 その直後、後ろから怒声が響いた。
「納得いきません!」
 緩みつつあった森の空気が、しんと静まり返る。
 神官兵達も、どうしていいか困っているようだった。
 その中で、上半身裸のサイレン司祭長だけが鼻息荒かった。
 幸い、ハッポンアシとノインは司祭長から離れた後だったようで、いきなりの戦闘にはならないで済んでいるようだった。もっとも、ノインは既に殺気むき出しのようだが。
「……ま、そうくると思ったけどね」
 シルバは溜め息をつき、やれやれと首を振った。
 その後ろにいる御使いに向かって、サイレン司祭長は訴える。
「彼らは邪悪なるモノです! 長らく村に素性を隠して潜み、前途ある若者を堕落に導いたその罪は大きい!」
 シルバはサイレン司祭長から、彼を警戒するロメロとジョージア、その背中に守られるアリエッタに視線を移し、再び司祭長の方を向いた。
「合意の上だよ? 本人らが納得してるんだし、親だって理解してる。大体、あの娘が何をしたって言うのさ。他に実害は?」
「あの軟体生物やそこの魔族により、私の部下が何人も被害にあった!」
 すると、神官兵達の視線を浴びたノインは、憮然とした表情で言い返す。
「そりゃ、問答無用で襲われて話し合いも通じないんじゃ、こっちだってやるしかないでしょ。それに、誰も死んでないはずだよ。こっちゃ手加減したんだから」
 言葉自体はサフィーンのモノだが、例によってネイトが『通訳』を行なっているお陰で、その場にいる全員にノインの話している事は伝わっていた。
「というかさ――」
 シルバは懐から手帳を取り出し、それを開いた。
 あるページに目を通すと、サイレン司祭長を見据えた。
「――実害が出ないと色々困るのかな、司祭長?」


「……それはどういう事かな、ロックール司祭」
 サイレン司祭長も、ジッとシルバを見つめ返す。
 シルバは怯まず、話を続けた。
「スターレイの街で四年前にモンスターが現れたそうじゃないですか。異国の言葉を使う手負いのライカンスロープ……いわゆる人狼ですね。人の世に潜んでいたソイツは、しばらくして無事、サイレン司祭長とその部下の手によって退治された」
 そこで「ん?」と首を傾げた二人がいた。
「……あのー先輩、その話、妙に引っ掛かるんだけど」
「……うむ、偶然だな。某もだ。退治されたという事は、おそらく『彼』を人狼に変えた加害者の方なのだろうな」
「とりあえず今は、シルバに任せておいてくれないか、ヒイロ君もキキョウ君も」
 ちびネイトがふわふわと漂い、二人の言葉を止める。
 その間も、シルバは話を休めない。
「――結果、当時選挙で不利だったサイレン司祭長は、圧倒的票数を得て町長の地位を得た」
「それで話は終わりかな?」
「そして今、同じ選挙期間中に魔物が出現した。奇しくも人の中に紛れ込むタイプのモンスターだ」
 今度反応したのは、ロメロとノインだった。
「アリエッタがモンスターだとう!?」
「それはアタシに対する挑戦と見た!」
 シルバに掴みかかろうとする二人の首に、グッと両腕を絡めたのはカナリーだった。
「はいはい、とりあえず便宜上そう呼んでるだけだから。今、真面目な話の最中だからしばらく静かにしてようねー」
「こ、子供扱いするな!」
「一発殴らせろー!」
「はいはいはいはい」
 ロメロとノインは、ズルズルと後ろへと引きずられていく。
 シルバは手帳をめくった。
 ダンディリオンの記した内容を読み上げていく。
「スターレイの現状での票数は、マール・フェリーとほぼ五分と五分。ここで魔族を倒せば、相当な票の見込みがあるでしょうね」
「自分が何を言っているか、分かっているのかな、ロックール司祭。それではまるで、私がこの土地に魔族を放ったような物言いだぞ?」
 口調こそ冷静なモノの、サイレン司祭長の額には明らかに怒りの血管が浮かび上がっていた。
 シルバは振り返り、アリエッタを見た。
「アリエッタは、サフィーンから掠われたと聞く。その話を信じるなら、動機があるって話ですよ」
「魔族の言葉に耳を傾けるのか、君は?」
「魔族だって人間っすよ、広義の意味で。まつろわぬ者は全て敵、なんて教義はゴドー聖教にはないですよ」
「証言が本当だという証拠は!」
「証言が嘘だという証拠もない! そして証人もいる!」
 シルバはノインを指差した。
 これ以上は無駄だと思ったのか、サイレンは首を振る。
「なるほど、理由にはなっているようだ。で、仮にそうだとして」
 周囲の神官兵達の不安そうな瞳に囲まれながら、サイレンは肩を竦めた。
「私がどうやって、それを行なうというのだ? 彼女がこの地に現れたのは半年ほど前という話だが、サフィーンは相当な遠方。ここ数年、私はこの地から離れた事はない。私が、彼女を使って、そのような事をしたと、どうやって証明する」
「それなんですがね――」
 うん、とシルバは真面目な顔で頷いた。
「――出来ません」
「「うぉいっ!?」」
「お、落ち着きなさい、ロメロ、ええとノインさん」
 今度二人を止めたのは、ジョージア司祭だった。
 一方、シルバは困ったような笑みを浮かべて、髪を掻き上げた。
「いやぁ、どうやったのか皆目検討もつかないんですよ」
「で、でもシルバさんって戦う前……」
「にぅ……」
 タイランとリフが顔を見合わせ、シーラは頭を振った。
「静かに。まだ話は終わっていない」
 そしてサイレン司祭長は、短く笑っていた。
「……つまり、君は根も葉もない主張で、私をただ侮辱したという事かな? それも御使いの前で」
「ああ、そうなりますね」
 司祭長は笑いを引っ込めると、声を張り上げた。
「全身整列! 話は終わりだ!」
 神官兵達の訓練は行き届いているらしく、彼らは一斉にシルバ達を取り囲んだ。
 それを見て、『金』の御使いヴィナシスが制止の声を上げる。
「いけません。約束ですから手出しはさせません」
「ええ、そちらの魔族は退散させます。しかし彼は逃がしません。魔物を逃がした罪で捕らえます」
 言って、サイレン司祭長も拳を構えた。
 呼応するように、シルバを中心にキキョウらも集まり始めた。
「まあ、そりゃ確かに約束には入ってないな」
 十数本の槍に囲まれながらも、シルバはさして慌てていなかった。
「オーケー。捕まる事には異存はない。ただその前に一つだけ頼みがある」
「何だ」
「落ちたコインの回収。財を放置しておく事は出来ないんで」
 仲間達が拾い集めたものの、地面にはまだ何枚か、星の光を反射して輝く硬貨が残っていた。
「……よろしい。ただし、妙な真似をしたら、すぐに拘束する」
 わずかに構えを緩めて、サイレン司祭長は許可を出した。
「しないって」
 シルバは『金貨』の札を構えた。
 サイレン司祭長の注意は、その札に向けられる。
「その札……どこで手に入れた?」
「さて、どこだったかな」
 シルバはすっとぼけ、札に魔力を込めた。
 地面に落ちた硬貨が浮き上がり、シルバの周囲に集まった。
 それを数え、シルバは眉をしかめる。
「……少ない」
「何?」
 怪訝な顔をするサイレン司祭長に、シルバは答える。
「確実に、硬貨が足りない。地面に落ちているモノは全て回収済みなのに」
「それは、つまり?」
 考えられる事は一つだった。
 シルバは、周りを見渡した。
「この中に、落ちた硬貨を拾った人がいて……誰かが懐に収めてる?」
 振り返ると、ノインが大きく首を振っていた。
 もちろん容疑者は彼女だけではない。
 正面では、神官兵達が互いの顔を見合わせ、ざわめきが徐々に大きくなっていく。
「馬鹿な! そんな不届き者が、この中にいるはずがない!」
 サイレン司祭長が、胸を張って断言した。
「待て待て待て! そんな事言ったら、名乗り出ようって人も出て来ないだろ! 出来心ってのは誰にだってある!」
 シルバは周囲の動揺を押しとどめながら、高らかに宣言した。
「今なら誰も責めません! 名乗り出て下さい!」
 森がしんと静まり返る。
 だが、名乗り出るモノはいない。
 互いが互いを監視し合い、まさしく出るに出られなくなっているかのようだ。
 しょうがなく、シルバは切り札を出した。
「……神に誓えますか?」
 効果は絶大だった。
 何人かの神官兵が畏れるように懐に手をやり、おずおずと隠し持っていた硬貨を取り出した。
「お、お前達……」
 サイレン司祭長は愕然としていたが、シルバはさして驚かなかった。
「無理もないっすよ。聖職者って言っても、人間なんだから欲だってある。水晶通信局開局記念クリスタル硬貨、パル帝国現皇帝陛下在位50年記念金貨、第一次魔王戦役戦勝記念銀貨、モース霊山保護基金銀貨等々、レア物ですからね……おや、まだ足りない」
 コインを回収したシルバは、不思議そうに呟いた。
 さすがに司祭長も我慢の限界だった。
「まだなのか!? 貴様! 時間稼ぎのつもりではないだろうな!」
「神に誓って嘘偽りは言ってませんよ。確実にあと一枚足りない」
 右手を挙げて断言するシルバに、後ろにいた御使いヴィナシスが名乗り出た。
「……ロックール司祭。よければ私が力を貸しましょう。『金』の御使いであるこの私ならば、失せ物探しは難しくありません」
「そう言ってもらえると助かります」
 そしてシルバは、穏やかに声を張り上げた。
「これが最終通告です。今ならまだ恥をかかないで済みます。素直に、名乗り出て下さい」
 だが、出て来る者はいなかった。
「これが済めば、大人しく捕まるのだな」
「そうっすね。それじゃヴィナシス様、やっちゃって下さい」
 シルバは振り返り、ヴィナシスに頷いた。
「はい――『占探金脈』」
 ヴィナシスの右手が持ち上がり、二本揃えた指先が光輝く。
 直後、シルバの周囲の硬貨も虹色に輝いた。
 そしてもう一点。
「ば」
 その光の点を見下ろして、サイレン司祭長が絶句する。
「馬鹿な! これは、何かの罠だ!」
 光は、司祭長のズボンのポケットから放たれていた。
 信じられないといった顔をする神官兵達の視線を浴びながら、サイレン司祭長は慌ててポケットの中の『それ』を取り出す。
「どういう事だ……」
 手の中にある硬貨。
 それは書物の刻印がされた硬貨だった。
 だが、いや、そんなはずはない。
 だってこのコインは……。
「これは一体どういう事だ、ロックール司祭!!」
 混乱し、サイレン司祭長が顔を上げて叫ぶ。
 ボリボリと頭を掻いていたシルバは、不敵な笑みを浮かべた。
「……そりゃむしろ、こっちの台詞なんだけどな。どういう事なんだ、サイレン司祭長?」


「どうして俺のコインを貴方が隠し持っていたのか、説明を求めたい」
 シルバの詰問に、サイレン司祭長は必死に頭を回転させた。
 そう、私は落ちていたトゥスケルのコインを拾った。
 何故なら自分のモノだからだ。
 これの存在を知られる訳にはいかなかった。
 四年前の人狼事件は、本当に私の与り知る事ではなかった。ただ純粋に、人を害する魔物を退治しようと動いたに過ぎない。
 そしてその結果、街の人間の圧倒的な支持を得て、自分は今、この地位にいる。
 今回の選挙は、正直不利だった。
 四年間の、人間族に対する優遇政策の推進に、何故か亜人種族が不満を持っていたからだ。
 マール・フェリー。そもそもあの女が悪い。
 吸血鬼の情婦風情が政治に口出しをし、人気取りの為に人間と亜人は手を取り合って協力していきましょうなどと綺麗事を言う。
 あの笑顔と言葉に愚民共はコロッと騙されたのだ。
 人間が最も優れているのだから、人間を優遇するのは当たり前の話ではないか。それが何故分からないのか。
 それでも、私を支持してくれる者は多かった。当然だ。スターレイは人間の街なのだから。
 しかし、支持率で不利になりつつある現実は認めざるを得ない。
 何か、大きな成果を上げて、人気を回復するしかない。
 四年前のような事が起こってくれれば……などという、不謹慎な考えがあったのは確かだ。
 だが、実行に移そうなどとは考えもしなかった。
 何故なら私は為政者としてこの土地を動けない。いや、動けるなら実行したという意味ではないが。
 そう、私は清廉潔白であり、そんな事をしようなどとは思わなかった。
 しかしこのままでは、この街は亜人種に乗っ取られてしまう。神は彼らの存在をお許しになったが、導くのは人間でなければならない。神は自分の姿に似せて我々を作った。という事は我々が最も優れているのは道理ではないか。
 そんな危機感を持っていた時に、トゥスケルの者が現れた。
 ラグドール・ベイカー。
 己の知的好奇心を満たすというその一点で協力し合っているという、変わり者の集団だ。
 そうだ。彼女が悪いのだ。
 四年前の再現。
 彼女のその時の目的は『人々の疑心暗鬼の様子の観測』であり、人の中に潜む魔族を街に放ってみたいという申し出だった。
 時期が来てそれを私が直々に倒せば、私の支持率は大幅に上がるのは間違いないと彼女は囁いた。
 もちろん私は断った。
 街の人間は私の財産だからだ。
 だから、少し離れた村で行なう事を許可した。
 出来るだけ弱い魔族で、人々の被害も少なくて済むように。そう注文を付けて。
 お陰で、安いとは言えない額の報酬を、裏金から払う事になったが、今後四年間の街の安定の為には仕方のない犠牲と言えた。
 転送機能のある遺跡が近くにあるといい、その応用でラグドールは遠くサフィーンの方から魔族を連れてきた。
 加えてトゥスケルの研究成果という、その転送装置の力を応用したコインをもらったのも、その時だ。なるほど、術式をコインに刻み、先に魔力を込めておくという方法は考えもしなかった。モニターというのが少々気に入らなかったが、有効なのでもらっておいた。見様見真似で召喚用のコインも作成させてもらった。
 計算違いがあったとすれば、ラグドールが村の近くに放った、アリエッタというその魔族が弱すぎたという点にあった。
 村に潜んでからも被害者は一向に現れる気配がなかったのだ。
 それでも、時々森の中で本性を解放する事があったらしく、その目撃例で村人達は充分に怯えていたようだ。ラグドールも一応成果に満足はしてるようだった。
 彼女が去り、私は討伐に乗り出した。
 例え限りなく無害だったとしても、相手は危険な魔族である。
 万全の態勢で、アリエッタを倒しに乗り出したのだが……。
 ロメロという若者が堕落し、聖職者の端くれであるにも関わらず、魔族を逃がしたのだ。
 そして私は今、こうして危地に立たされている。
 あの生意気な司祭の小細工によって。
 よく考えればおかしかったのだ。
 少なくともこんな場所でコインを落としたはずはない。
 ありえるとすれば、スターレイから村までの道程のどこかなのだ。
 だが、拾わない訳にはいかなかった。
 だって、もしもあの少年司祭の持つ得体の知れない札で、トゥスケルのコインまで集められてしまったら困る。
 彼の見覚えのないコインの素性を突き詰められたら、自分と秘密結社の繋がりにまで辿り着いてしまうかもしれないではないか。
 御使いが私を欺き、彼のモノではないコインにまで光を照らしたというのか。
 否、それはない。
 御使いが私を欺くはずがない。
 となれば、この手の中のコインは間違いなく、あの生意気な司祭のモノなのだ。そして彼はトゥスケルを知っている。
 ……彼は、私のコインを握っている! どこかで拾ったのだ!
 だからこそ、私の前に、同じコインを置いた。
 毒を、盛る為に……っ!
 事ここに至れば、もはやトゥスケルの事を隠し通す事も難しい。私が言わなければ、彼が話すだろう。
 ならば、話の主導権を私が握り、彼に罪を押しつけるしかない。


「は……」
 サイレン司祭長は、短く笑い声を上げた。
「なるほどなるほど、そういう事か」
 そして、シルバに指を突きつけた。
「何という卑劣な罠! ロックール司祭! 君は自分のコインを私のポケットに仕込んだのだ! あの、硬貨を操る札で!」
「…………」
 シルバが口を開きかけると、司祭長は手でそれを遮った。
「待て! 私の話はまだ終わっていない。皆聞きたまえ。彼が私を罠に嵌めようとした、この書物のレリーフの刻まれたコイン! これはトゥスケルという秘密結社のモノだ! そう! その組織の事は私も聞いた事がある! 知的好奇心を満たす事が目的という奇妙な集まりであり、場合によっては犯罪行為にも手を染めるのだ! 例えば……魔族を掠い、適当な人里に放ち、どういう反応が発生するかを観測したり……」
 神官兵の一人が、おずおずと疑問を口にした。
「し、司祭長。その輩共は、そんな事をして、どうするのですか?」
「まさしく、その、行った行為の結果を知りたいというそれだけなのだ。言っただろう? 己の知的好奇心を満たすのが、目的の集団なのだと」
 そしてサイレン司祭長は、シルバを指差した。
「そしてロックール司祭は、その集団と接触がある。このコインが何よりの証拠! このコインは、トゥスケルとの取引の用いられる符丁なのだ」
「……よく、知ってるな」
 どこか抑揚のない声で、シルバが言う。
「私も色々伝手や情報網を持っていてね。何か言い分はあるかね?」
「あるよ」
 小さく溜め息をつき、シルバは頭を掻いた。
「……実は、色々パターンは考えてたんだ。トゥスケルの事を完全にすっとぼけられるケースとかも。けど、まあ、先に全部言われちまったから説明は不要だな」
 向こうが言わなければ、こちらが話すだけの事だ。
 おそらく主導権を握りたかったのだろうが、無駄な事だ。
 何よりトゥスケルの件は、自分が話すよりも、司祭長が語った方が説得力がある。
 知的好奇心を満たす為の集団なんて与太話をいきなりしても、神官兵達に信じてもらえるかどうか怪しいモノだ。
 司祭長自身の口から出る事で、それを部下達に信じさせる事が出来る。
 すっとぼけられたときの為、念のためトゥスケルという単語を極力封じていたが、どうやらこれは無駄に終わったらしい。
 まだ司祭長は混乱しているのだろう。
 墓穴を掘ったその事に、司祭長は気付いていないようだった。その勝ち誇った顔が何よりの証拠だ。
「言い逃れをするつもりはないと」
「違うよ。今の司祭長の話には大きな見落としが一つあるんだ」
「何?」
「もしも、俺が司祭長を陥れたいんなら、この場合、御使いの助力は借りないでしょ。明らかに俺のコインだって、御使いによって証明されているんだから。全然罠になってないじゃん」
「む……?」
「本気で、『そういう事』にしたいんなら、御使いの力は借りず、身体検査にしてるって話。んで、手の中にこっそり仕込んでたコインを、司祭長のポケットから出す……とかにするだろ?」
「何を……言っている?」
 司祭長の顔に、戸惑いが浮かぶ。
「前提が間違っているんだよ。俺は、札の力を使ってポケットにコインを入れたりなんてしていない。それは、司祭長自身が一番分かっているはずだろ?」
 ざわ……と、神官兵達の間にどよめきが生まれる。
「皆、静粛に!」
 額から汗をかいたサイレン司祭長が、部下達を鎮める。
 その彼に、今度はシルバが指を突きつけた。
「見てたよ。アンタ、自分で拾ってた。そのコインをこっそり手に握り、ポケットに入れてた」
「は……」
 サイレン司祭長は、顔を引きつらせた。
「はははは、何を言い出すかと思えば! ロックール司祭! 見苦しいぞ! そのような戯言を、誰が信じるというのだ!」
 もちろん、シルバがそう主張した所で、誰も納得させる事は出来ない。
 平等な第三者の目、それも説得力のある人物の証言が必要だった。
「……サイレン司祭長」
 静かに、御使いヴィナシスが口を挟んだ。
 キョトンとした顔で、司祭長は彼女を見た。
「は、何でしょうか」
「嘘はいけません」
「は、は、はい!?」
「私も、ロックール司祭と同じモノを見ていました。貴方はコインを慌てた様子で一枚拾い、それをポケットに隠しました。……自分から名乗り出るまで待っていたのですが、残念です」
 神官兵達のどよめきが大きくなる。
「え? って事は……」
「嘘をついているのは、司祭長様の方……?」
 ざわざわと周囲が騒ぐ中、司祭長の顔は青ざめていた。
「ど、どうしてそのような事……を……」
「貴方の周囲には、幾つものコインが散らばっていました。貴方が『砲術』を使う可能性があるとロックール司祭と話し合い、撃たせない為に見張っていたのですよ」
 御使いの証言となると、神官兵達は信じるしかない。
 サイレン司祭長に、不信の視線が集中し始めていた。
「み、皆、聞きなさい! このコインがロックール司祭のモノである事は、紛れもない事実! それは御使い自身が証明されています! そしてこれがトゥスケルとの符丁である事も事実なのです!」
「うん、そこは間違いない」
 シルバも否定しなかった。
 確かにそれは……と、司祭長の部下達の中からも、声が上がり始める。
「ならば、やはり君がトゥスケルと手を組んで、悪事を働いたのだ!」
 得意げな顔を作り、司祭長はシルバを糾弾した。
「それに関しては異論大ありなんだけど、とりあえず後回しにしよう。一つだけ聞きたいんだ。コインを握り込んだ事は認めるんだな」
「ぐ……そ、それは認めざるを得ない。だが! それは君の罪を暴く為であり……」
「だからさ、そこがおかしいんだって。トゥスケルの事を知っているんだろ? そして俺がそいつらと手を組んだとして……何で拾った直後に言わなかったんだ?」
 一瞬、森の中が静まり返った。
「え?」
 司祭長が訊ね返す。
「だってそうじゃないか。さっきの話で俺は貴方に、アリエッタを掠ったのは貴方じゃないかという疑いを掛けた。それを皆の前で晴らす絶好の機会だったのに、拾った時点でどうして言わなかったんだ? 何でコインを隠してたんだ?」
 その場にいた全員の強い視線が、サイレン司祭長に集中する。
 司祭長は全身から脂汗をかきながら、弁明を試みた。
「そ、それは、その時に話すべきではないと思ったからだ。タイミングなど、人それぞれではないか! 問題なのは、あの魔族を逃がそうとしている君の処遇。トゥスケルの事は、後回しでいいと判断したのだ」
「だったら今度は別の疑問が。何で、自分のポケットにコインがあった事にあんなに驚いたのさ」
「私は驚いてなどいなかった!」
 耐えきれなくなって、司祭長は叫んだ。
「……いくら何でも、そりゃ苦しいって司祭長。部下達も、不安になってる」
 苦笑するシルバ。
 司祭長は、周りの神官兵達を見渡した。
 最早その視線のほとんどが、冷ややかになっていた。
「わ、私を信じたまえ! 私は神の僕であり、この周辺の教会の長という立場もある! あのような若輩者の戯言に耳を傾けてはならない!」
 司祭長の大きな声を、シルバが遮る。
「みんな聞いてくれ。この、どうにも辻褄が合わない司祭長の話を、俺は説明する事が出来るんだ」
「君は黙りたまえ!」
 司祭長がシルバに迫ろうとする。
 おそらく、自分が司祭長のコインを持っている事にも気付いているのだろう。
 このドサクサに、奪うつもりか。
 シルバがわずかに後ろに下がると、御使いヴィナシスが二人の間に割って入った。
「待つのです、サイレン司祭長」
「ヴィナシス様……!」
 御使いの前には、さすがにサイレンの足も止まってしまう。
 ヴィナシスは、シルバの方を向いた。
「私も知りたいのです。これは一体、どういう事なのですか?」
 シルバも、彼女に詳しい話はしていなかった。
 そこで、種明かしをする事にした。
「だから、すごく簡単な事なんだ。司祭長は地面にあのコインが落ちているのを見つけた時、それは自分のモノだと思ったんだよ」
「待て……!」
 サイレン司祭長が遮ろうとするが、シルバは言葉を続けた。
「だから、ポケットに入れても堂々としてたんだ。だって自分のコインなんだ。俺がコインが足りないって言っても、まさか自分がポケットに入れたそれだなんて、思いもしなかったって訳。だから、全然慌てなかった。ところがどっこい、そのコインは実はまったく同じ種類の俺のモノだった。結果、コインは御使いの力で光輝き、サイレン司祭長は驚いた、とこういう事なんだ」
「な、なるほど……」
 ヴィナシスは納得したようだった。
 シルバは金袋から、トゥスケルのコインを一枚取り出した。
「ちなみにそのコインはね、俺達がアーミゼストで手に入れたモノで二枚持ってる。トゥスケルから密輸した霊獣を、高出力魔高炉の燃料にしようとしていた錬金術師から一枚、盗み出された『魂の座』っていうアイテムで悪魔の召喚を行い、自分達の願いを叶えようとした冒険者達から一枚、手に入れた。都市に行けば、司教と冒険者ギルドでそれはちゃんと確認出来る。俺に、後ろ暗い事は何もない」
 ちなみに司祭長のコインは用心の為、カナリーに預けていた。シルバを襲っても、取り戻す事は出来ない。
 神官兵の一人が、おずおずと手を上げた。
「でも……それで、結局、何がどうなるんです? これで何が証明されたって言うんですかい?」
 うん、とシルバは頷いた。
「サイレン司祭長は、件のトゥスケルと繋がってるって事。だってそうだろ。もし本当にそいつらと無関係なら、司祭長の性格から考えると、やっぱり拾ってすぐ俺を糾弾すると思うんだ。違う? 俺よりあの人と付き合いの長いみんななら、分かると思うけど」
 ああ……とどこか納得した声が、神官兵達の間から漏れる。
「本当なら司祭長、トゥスケルの事も言いたくなかったはずなんだよ。でも、コインは御使いの力で俺のモノだって証明されている。俺の口からトゥスケルの事を話すよりはと、司祭長は先に全部ぶちまけたんだろう」
「ぜ」
 司祭長はブルブルと拳を振るわせていた。
「全部、デタラメだ! 皆、この者の戯言を聞いてはならない! 第一、これ見よがしに目の前にコインを落として拾わせるなど、卑怯ではないか!」
「そうは言うけど、他にもいっぱいコインは落ちてたはずだよ? 何でアレだけ拾ったのさ」
「だ、だから目立つから……」
 司祭長が怯む。
 シルバは小さく首を振った。
「……司祭長。言いたくなかった事なんだが、実は俺、一つだけ嘘ついたんだ」
「は、やはりな! このような虚言使いの言う事など!」
「アンタがショックを受けるからさ……でもしょうがないや。そこまで言われちゃ、こっちも黙っちゃいられない。俺がついた嘘って言うのはな、実は足りないコインは一枚じゃなくて二枚だったって事なんだ」
 二枚?
 ヴィナシスも驚いて、シルバを振り返る。
 サイレン司祭長も分からないようだ。
「? そ、それがどうしたというのかね? 第一、他のどこからも光は――」
「もう一枚は、そこにある」
 シルバは、サイレン司祭長――の足下を指差した。
「司祭長の足の下。俺は気付いてたけど、靴の下敷きになってて光が漏れなかったんだ」
 司祭長が右足をゆっくり持ち上げる。
 虹色の光が、そこから漏れていた。
 そのコインの正体がよく分からず、サイレン司祭長はそれをつまみ上げた。
 眩い光が消え、代わりに星の光がそのコインを照らし出した。
「……っ!?」
 司祭長が、愕然とする。
 青ざめ、その場に跪いた。
「ルベラントのゴドー神再臨記念銀貨。……分かるよな、それ。ゴドー神のレリーフが刻まれてる」
 司祭長に聞こえているのかいないのか、構わずシルバは言葉を続けた。
「それだけ輝いてたら、アホでも分かる。聖職者なら真っ先に回収すべき硬貨であり、踏みつけるなんてもっての他。すぐ傍にそれがあったのに、司祭長にはトゥスケルのコインしか目に入ってなかったんだよな」
「わ、私は何という事を……」
 銀貨を握りしめたまま、司祭長は身体を丸めた。
 シルバは彼に近付き、見下ろした。
「地面に落ちていたコインが自分のモノと確信して拾ったのなら、それは貴方がトゥスケルと関わりがあるという証拠となる」
 そして、と言葉を繋ぐ。
「俺のコインだと思って拾ったのなら、コインが足りなかった時に名乗り出なかった事、その後驚いた事の説明がつかない」
 シルバは小さく息を吐いた。
「最後に聞く」
 軽く右手を上げ、尋ねた。
「貴方はトゥスケル、そして魔族アリエッタの拐かしと何一つ関わりがないと、神に誓って宣言出来るか。神に対して胸を張ってそう言えるのなら、俺はもう何も言う事はない」
 丸まり、身体を震わせていた司祭長が自白したのは、それから一分後の事だった。


 翌日早朝、シルバ達一行はロメロらを連れ、森を抜けた丘陵を南下していた。
「ぬぅー、やっぱりよく分かんない。どうしてコインをすり替えたら、あのオッチャン自白しちゃったの?」
 頭を抱えるヒイロに、カナリーは眠たげに目を擦りながら、辛抱強く説明を試みていた。
「……もう何度目の説明になるんだ。だからねヒイロ、あれでシルバは司祭長の行動の裏を取ったんだよ。普通に本人のコインを渡しただけじゃ、言い逃れられるからさ……」
「むううぅぅ……」
「と言うか僕も、詳しく説明する気力がないというか……ああ、太陽が眩しい眠い……いや、その前にこの服も何とかしなくては……」
 わずかな休憩しかしていない為、身体も清めていないのであった。
 それでもカナリーは後方からの支援だったので、マントや服の一部が焦げただけで、比較的マシな方だ。
「確かに服はボロボロだもんねぇ」
「ヒイロはそうでもない」
 ボロボロのメイド服を着たシーラが言う。
 なるほど、同じくらい激戦を繰り広げていた割に、ヒイロの服は多少ほつれているだけにしか見えない。
「うん、とりあえず休憩中に縫っといたからね」
「…………」
 ヒイロの言葉に、シーラは自分の手を見つめて、ワキワキさせた。
 カナリーが小さく溜め息をつく。
「……つくづく、ウチのパーティーには家庭的な技能の持ち主がいないな」
「他に裁縫が出来る人は」
 シーラの問いに、カナリーは前を歩くシルバを見た。
「……多分、シルバだけだ」
「要勉強」


 その少し前をリフは歩いていた。
 リスやウサギ、狸に小鳥、大きいモノでは鹿など、この辺りの小動物がチラホラと姿を現わしたかと思うと、リフについて来る。
「にぅ……みんなは連れていけない」
 一人アニマルランドと化したリフは、困った顔で言う。
「これだけで一大パーティーというか、動物軍が作れそうであるなぁ」
 ノロノロと歩きながら、キキョウはただそれを眺めていた。
 というか、自分の眠気と戦うのでいっぱいいっぱいだったのだ。
「ううむ、確かにカナリーの言う通り、眠たくなりそうだ……」


「ま、寝るとしたら、見送りが終わってからだな……ふああぁぁ」
 大きなアクビをし、シルバは目を擦った。
「ごごごご迷惑おかけします」
 ペコペコと、アリエッタが頭を下げる。
「何、すぐそこまでだからさ」
 このまま行けば、街道にたどり着ける。
 そこで、シルバ達は彼女らと別れるつもりだった。
 そのまま更に南下すれば、国境の村ギブスにつくはずである。
「わざわざ、世話してもらえる場所まで用意してくれるとは、感謝しきれねえぜ」
「別にタダって訳じゃないぞ。出世払いだからな」
 一応礼を言うロメロに、シルバは釘をさす。
「分ぁってるよ」
「それにこっちも成果がなかった訳じゃないしな」
 シルバの手の中で硬い音を鳴らすのは、サイレン司祭長の転移術コインだった。
 全部で7枚。
 司祭長が持っていたのはこれより更に多いのだが、ひとまずパーティーの人数分だけジョージア司祭が「旅の助けにして下さい」と分けてくれたのだ。
「二度あることは三度あります。いずれトゥスケルとまた関わりになった時、役に立つかもしれません」
 そう言って、手渡された。
「私には使えませんけど……」
 おずおずと、隣を歩いていたタイランが言う。
 確かに、絶魔コーティングされた甲冑自体は、転移は出来ないかもしれない。
 けれど、少し考え方を変えれば、充分役に立つのだ。
「タイラン、そりゃ違う。タイランが使えなくても、例えば『中』だけ飛ばすとか、逆にそっちに送るとかやりようはあるだろ」
「あ……そ、そういう使い方もあるんですね」
「それに、色んな場所への侵入にも役に立つしな……くくく」
「シ、シルバさん、何か悪い顔になってます! 何だか司祭長さんみたいです」
「おっと……」
 シルバは邪悪な笑顔を元に戻した。
「そ、そういえば、司祭長さんはどうされたんですか?」
「うん、まー、あれから完全に抜け殻になったし、そのまま全部自白した。アリエッタを掠ったのはトゥスケルだけど、完全に共犯だからな。さすがに司祭長なんて地位にいられるはずがない」
 おそらく精神的なモノが原因だろう。
 司祭長は祝福魔術を完全に使えなくなっているらしい。
「で、でもそうすると、スターレイの街も大変ですよね」
「……うん。だから教会の方はジョージア司祭がとりあえず管理する事になるっぽい」
「あ、だから、見送りに来られなかったんですか」
「そゆ事。サイレン司さ……サイレン氏はとりあえず、司教である先生んトコに送られると思う。総本山に移送になるか文書で通達になるかは知らないけど、ま、何らかの処分はそっからだろ」
「となるとスターレイの街の町長は……」
「対立候補が立たなきゃ、多分マールさん」
 そういう事になる。
 なるのだが……しばし、二人は無言で歩いた。
「……それはそれで、不安ですね」
「……ああ。条例にお茶目な文書混ぜそうで怖い」
 もっとも、硬貨の類はこれで全部だ。
「結局聖獣の召喚コインは無しか」
 ひょい、とシルバの肩に、ちびネイトが出現する。
「あれは、サイレン司祭長のモノだからなぁ。もらったって召喚出来るかどうか。ま、こっちを手に入れたしいいさ」
 シルバの右の人差し指には、複雑な刻印が施された銀色の指輪がはめられていた。
 御使いヴィナシスが消滅する前にくれたモノだ。
 初歩的な『金』の属性魔術……つまり、物質の金属化と雷撃を放つ事が出来るという。
「ふむ。私の左の薬指にも一つ欲しいのだが」
「いや、何でだよ」
「それを聞くのか。シルバはとことん野暮だな。まあいい。自前で何とか調達しよう」
「どうやって調達するのかも気になるけど、そもそも俺がはめてるのは右の人差し指だよな? お前が意図するモノと全然違うよな?」
「指輪は確か天使の数と神を合わせて10種類。全部集めればいつかは」
 グッと、拳を作るネイトであった。
「全部の指輪を集めるとかどれだけ壮大なんだよ!?」
 ちなみにそれらを得る為には、九人の天使と神と縁を結ばなければならない。
 ぶっちゃけ魔王討伐軍の英雄達ですら、成し遂げた者などいない。
「同じ指に二つはめるのなら、話は別だが」
「話を聞けよ!? 既に集める事を既定事項にするな!!」
 などとやりとりをしていると、隣から小さく溜め息が聞こえた。
 のそのそと進むハッポンアシの頭上に仰向けになっているサキュバス、ノインであった。
「騒々しいね。アンタら、いつもそうなの?」
「……だ、大体、こんな感じです」
 タイランが見上げ、肯定する。
「そいやー、アンタはどうするんだ? このままアリエッタらについていくのか?」
 シルバの素朴な疑問に、ノインは東の方を指差した。
「そうしたい所だけど、カモ姉やナイアルが心配してるだろうからね。ハッちゃんと一緒に、そっちの報告が先決だね」
「なるほど……ん?」
 丘陵を下った先は広い草原だ。
 その薄緑の中にポツンと一台の馬車と、帽子を被った作業着服の若者が立っていた。
「おいおい、用意がいいな」
 ロメロが驚き、シルバを見る。
「いや、俺が用意した訳じゃないんだが……敵意はなさそうだけど、タイラン、念のため警戒」
「は、はい」
 タイランが武器を握りしめる。
 二十歳そこそこのその青年は、シルバと目が合うと、営業スマイルを浮かべて近付いてきた。
「その司祭服。シルバ・ロックールさんですか?」
「俺?」
「はい。サウンザー運送っす。馬車とお手紙お届けに参りました。こちらにサインお願いしやす」
 言って、運送業者の青年は、ペンとサイン帳を差し出した。
「は、はぁ……どちらから?」
 サインを書きながら、シルバは尋ねる。
「ドラマリン森林領のオパル村、クォツ・ロックールさんっす。いやー、本当に来るとはビックリっすよ。こんな届け先がこんな草原のど真ん中なんて、滅多にないっすからねー」
「ロックール? そ、それってシルバさんの……」
 驚くタイランに、シルバは答えた。
「……妹だ」
 ああなるほど、アイツならありえるなと考えながら。


「それは興味があるな」
「奇遇だね、キキョウ。僕もだ」
 封を解いた巻き手紙を開こうとするシルバに、ズズイとキキョウとカナリーが迫る。
「いやいや、そんな寄ってくるな! とりあえず目を通させろ!」
 そのシルバの肩から、ネイトも手紙を覗き込もうとする。
「ふむ、向こうも空気を読んだようだな。あの妹御達なら大量の手紙の束を送ってくるかとも思ったのだが」
「……旅の途中にそれはすごい迷惑だよな」
「にしても、どうしてそのシルバの妹御は、このような場所に馬車を用意出来るのだ?」
 キキョウがごく真っ当な疑問を口にした。
「妹の一人、差出人のクォツは占い師なんだよ。芸名は何かあったような気がするけど忘れた。多分、アイツの知覚範囲内に入ってたんだろうな」
 シルバは南の空を眺めた。
「クォツ……?」
 はて、とヒイロが首を捻るのを尻目に、シルバは開いた手紙に目を通した。

 ――その通り、私の知覚範囲内です。

「手紙で返事を返すなよ!?」
 一文目から、シルバはツッコミを入れざるを得なかった。

 ――気にしないで下さい。元気なのは分かっていますので、それも尋ねません。

「……ことごとく、手紙のセオリーを無視しやがる」
 震える手で、もうこの手紙破いてやろうか、とシルバは考えそうになっていた。

 ――そんな事よりも、そちらにいる二人の世話はこちらで行ないますので、送った馬車を使って下さい。

 この場合の二人とは、もちろんロメロとアリエッタの事だろう。
「という訳でその馬車は、ウチの家の者が用意してくれたモノらしい。使ってくれていいぞ」
「お、おう……」
「あああありがとうございます」
 馬車の荷台にあった一抱えはありそうな積み荷はシルバ達用らしいので、それは降ろした。
 クォツからの手紙の文章は、まだ続いていた。
「『――もちろん、馬車台は働いて返してもらうつもりでいますので、別に感謝してもらう必要はありません』ってあるぞ」
「……すごいな、アンタの妹」
 しっかり者という意味では、ロメロの評価はまったく正しい。
「うん、俺もそう思う。オモチャにされないように気を付けてくれ」
「オモチャ?」
 女系家族だからなぁ……とシルバは自分の家族に思いを馳せた。
「思いっきりこき使われると思うんだ。覚悟しとけ」
「わ、分かった」
 頷き、ロメロは御者台に、アリエッタは馬車の中に乗り込んだ。
「そそそ、それじゃお世話になりました」
 窓から、アリエッタが何度も頭を下げる。
 ロメロが手綱を捌くと、馬車はゆっくりと走り始めた。
「うむ、達者でな」
「カモ姉達に知らせたら、アタシもすぐそっちに行くからな! 大人しく、待ってるんだよ!」
 キキョウが頷き、ノインは両手を口に当てて叫ぶ。
「う、うん、分かった待ってるノインお姉ちゃんもハッちゃんも帰り道気を付けて」
「きゅるきゅる♪」
 ハッポンアシは小さく鳴いて、触手を振った。
「それじゃ、アタシらもいこうか、ハッちゃん」
「きゅる……」
 ノイン達は東の方に向かう。
「それじゃアッシはこれで! 失礼しやっす!」
 帽子の鍔に指を添え、運送業者も馬車の走り去った方向へ歩き始めた。


 そして残ったのは、シルバ達だけとなった。
「静かになったな」
「静かになりましたね……」
 シルバの感想に、タイランが同意を示した。
「では、手紙の続きといこうではないか、シルバ殿」
「キキョウの言う通りだ。ささ、早く読もう」
 迫るキキョウとカナリーに、シルバは思わず一歩退く。
「何でそんなにやる気なんだよ、みんな!? 眠気は一体どこに行ったんだ!?」
「……ま、まあ、興味がないと言えば嘘になるんじゃないかと思います」
 割と控えめなタイランですら、そんな意見であった。
「睡眠欲にはもう少しだけ我慢してもらう事にした。あと、内容が気になって眠れそうにない」
「んー……まあいいや。主目的は達したし、えーと……?」
 シルバは積み荷を解いた。
 中には、大きなトランクケースがあった。
 開き、最初に目についたのは、白を基調としたメイド服だった。
 手紙の続きに目を通す。

 ――兄さんの着替えです。

「うぉい!?」
 危うく、投げ捨てそうになった。

 ――冗談ですよ。書き手交代して、わたし、ルチルからの贈り物です。何でもメイドさんがいるとかいう話なので、作ってみました。

「……ま、そうだろうな。シーラ、お前にだって」
 一安心して、シルバはそれをシーラに手渡した。
「……わたし?」

 ――それにしても、メイドさんと一緒なんてお兄ちゃんは一体どういう冒険をしているのでしょう。興味津々なので、帰ってきたら是非お話しして下さい。

「……説明に困る」
 元々、シーラはメイドではなかったはずだ。
 どうしてこんな事になったのだったか、何とかシルバは思い出そうとする。
「シルバ殿。出来れば、手紙の書き手がどういう妹御なのかも説明が欲しいのだが……」
 なるほど、シルバだけ分かっていても、みんなは戸惑うだけか。
 そう思い、シルバはルチルの説明を頭の中でまとめた。
「んー、ルチルは俺と一番近い歳の妹で、ウチの四女。もう結婚してるはず。森妖精の家に嫁いでるんだけど、多分ウチん中じゃ三本の指に入る家庭的な奴だ」
「……してる、はず?」
 カナリーが首を傾げた。
「ちょっとこっちが手離せなくて、結婚式には出られなかったんだ。まあ、祝福の手紙は送っといたけど」
「というか三本の指という表現も珍しいと思うのだが」
 キキョウの疑問も、分からないでもない。
 普通は五本の指だろう。
「じゃあ、トップスリー。ちなみに親父、俺、ルチルな訳だが」
「は、母上殿は?」
「……親父は、家事が得意なんだ」
 それ以上聞くな、と暗に仄めかすと、キキョウは首を縦に振った。
「……分かった。聞くまい」
「お針子の仕事もしててなぁ……こっちのコートと帽子はリフにだと」
 トランクケースから取り出した、緑色をした軽い布地のそれをリフに渡す。
「にぅ……妖精族の素材。けはい消しやすい」
 前の戦いでボロボロになっていた帽子とコートを脱ぎ、いそいそと新しいコートを着た。どうやら尻尾用の穴も既に開いているようだった。
「そ、そ、某達には何か無いのであろうか!?」
 草原の小動物達とクルクル踊るリフを見て、キキョウが不安げにシルバを振り返る。


 ――慌てないで下さい。物事には順序があります。

「だから手紙で返事するなと。えーと次、五女のジェットか。これをカナリーにだと」
 シルバはトランクの中にあった巻物を、カナリーに渡した。
「うん?」

 ――高回復薬と魔力ハイポーションの精製法よ。クォツから錬金術師がいるって聞いて。既に知ってるなら捨てていい。

「いや、捨てないし! 僕は他の魔術やタイランの調整とか、色々やってるからこっち方面はまだ習得してないから助かる!」

 ――直接薬を送ってもよかったけどかさばるし、峡谷までの途中に薬草の生えてる山があるので、そっちで直接作って。繁殖場所なんかはそっちに詳しい子がいるって聞いてるから、そっちに任せるわ。以上。

「……相変わらず素っ気ない」
 無愛想な文章に、シルバは溜め息をついた。詳しい子というのはリフの事だろう。
「に。でもいい人」
「うむ、文章は淡々としているが、親切ではないか」
 踊るリフとキキョウが、シルバを慰めた。
 ジェットの文章はまだ続いていた。

 ――追記。同梱したバクハツダケの胞子は、甲冑の人に錬金術師さんが組み込んで。やり方は任せる。

 見るとトランクに、ベルトで固定された瓶があった。
 バクハツダケ――そのキノコと、中に詰められている黒い胞子は、炎で爆発する性質がある。
 引火性のそれは採取が非常に危険であり、貴重とされている。
「……いい人だ」
 カナリーはありがたく、それを受け取った。
「……いい人ですね。でも、バクハツダケとか、プラントハンターさんとかなんでしょうか? そういう仕事があるって聞いた事はありますけど」
 タイランの質問に、シルバは首を振った。
「いや、錬金術師で、本業は花火職人」
「花火職人!?」
「ジェントの職人が近くの大きな街に住んでてな。そっちで弟子になってるんだ」
「おおおお、ジェントの花火とは懐かしい。アレはよいモノだ」

 ――それと、鎧の人には防水加工をしっかり施しておく事推奨。

「っていう話だ、カナリー」
「防水加工? よく分からないけど、了解。……うーん、キノコも薬室に組み込めば、砲弾を自動精製に出来るかな……?」
「先が色々分かってるのなら、教えてくれてもいいのに」
 ヒイロが至極もっともな事を呟くのに対し、シルバは小さく首を振った。
「運命っていうのは、先が見えるのはあまりよくないらしいんだ。例えばヒイロに悪い運命が先にあるって分かってたら、抗おうとするだろ。それはそれで個人として正しいんだけど、大きな流れで言えば本来の運命を歪ませる事になる」
「んんー……何となく、分かるような」
「まあ、だから占いとかも、必要な時だけにしとけって事なんだと」
 自分でも難しい事を言っているなと自覚のあるシルバは、要約して締めくくった。
「ま、まだ手紙は続くのか、シルバ殿」
「んー、これがキキョウにルリから」
 七女のルリは、六女であるクォツの双子の妹である。
 木彫りのそれをキキョウに手渡した。
「おお! 某にもあるのか! ……ぬ、う……こ、これは?」
「お面だな」
「……うむ、それは分かるのだが」
 キキョウの手にあるのは、木製のやや立体的なお面だった。
 黒地に白の複雑な縁取りがされ、一見するとカブキの隈取りのように見える。
 ただ、そのお面は魚を模していた。
 どことなくユーモラスな表情を持つそれは、丸い瞳とその下に二本の長く伸びた髭、顎下部にも短い髭が二本垂れている。
「変わった魚だね、キキョウ」
「ナマズだ」
 覗き込むカナリーに、キキョウは応えた。
 そして戸惑いながら、シルバの方を見た。
「こ、これは、この仮面を被って、敵の笑いを誘えという事であろうか?」
「妙なギミックが仕込まれているような……何だろう、これ」
 カナリーは目敏く、仮面の切れ目に気がついた。
 何らかの変形機巧があるようだ。
「組木細工のようであるな。下手に弄らない方がいいと思うのだ。壊れても困る」
「気を付けろよ。呪いのアイテムの可能性がある」
「は?」
 シルバの注意に、キキョウハは目を丸くした。
「いや、クォツの双子の妹で呪術師見習いでな。変なマジックアイテムを作る事があるんで」
「マ、マッドサイエンティストの類か!?」
「……ああ、近いかも知れない」
 シルバは遠い目をした。
 ふむ、とカナリーが感心した唸り声を上げる。
「占い師と呪術師の双子か。大したモノだ……」
「な、何かこのアイテムについて説明はないのか?」
「アイツ、リフやシーラより無口だからなぁ」
 キキョウにせがまれ、シルバは手紙の続きに目を通した。

 ――代筆、クォツ。面の使い方は任せる。兄さんの持つ札と同じように使えばいいとのこと。

 札、と言うのは、野菜の村で手に入れたカードの事に相違ない。
「旧約魔術とな?」
 しかし、ナマズのお面がどう旧約魔術と繋がるのか分からないのだろう、キキョウはお面をジッと見つめていた。
 もちろん、答えが返ってくるはずもない。
「……相変わらず、よく分からないモノを作るなアイツ。このタイミングで何でこんなモン、送ってくるんだよ」
「い、いや、せっかくの妹御からの贈り物だ。ありがたく使わせてもらう」
 やや困ったような笑顔を浮かべ、キキョウは仮面を顔に着けた。
 なるほど、確かに少し笑いを誘えるお面である。
 しばらく動きを止めていたキキョウだったが、おもむろに自分の顔からその面を外した。
「ぶはっ!?」
「ど、どうしたキキョウ!? 大丈夫か!?」
「こ、この面は何故か呼吸が出来ぬようになっている……」
 キキョウは赤い顔をして、荒い息を吐いた。
 カナリーが、その疑問について推測する。
「魚のお面だから、水の中で使えるって事じゃないかな?」
「な、なるほど、よく見ればエラっぽいモノもあるし、試してみよう。……なんにせよ、これは着けるのに勇気がいる」
 確かに、この仮面を着けての戦闘は、相当にシュールと言えよう。
「しかしシルバ、妹さんが呪術師なら、その腕の呪いを解く手掛かりも掴めるんじゃないかい?」
 カナリーの問いに、シルバは手を軽く振って否定した。
「まだまだ見習いだって。アーミゼストで見てもらった呪術師達だって、それなりに腕は立ってたんだぞ」
「なるほど」
「……どっちかっていうとアイツの場合、もう一つの能力の方が問題なんだけどな」
 ぼやくシルバに、仮面を側頭部にはめたキキョウが尋ねる。
「そう言えばシルバ殿には、姉君も三人いたはずだが」
「んー。姉ちゃんらはバラバラに郷を出たからなぁ。ガー姉ちゃんは司祭やってて今はルベラント。サフィ姉は軍人で内海近くの戦地のどっか、エミ姉は旅芸人の座長やってるそもそもどこにいるのか分からない、と」
「ワ、ワールドワイドなお姉さん達だね……」
 ヒクッと、カナリーの顔が引きつる。
「……俺もそう思う。おっと、お袋がヒイロにだって」
「ふみ? ボクに?」
 退屈していたヒイロに、シルバは丸まったベルト状のモノをトランクから取り出して、投げ渡した。
「らしい。あれ、知り合いだったっけ?」
「先輩のお母さんの名前は?」
「ルビィ・ロックール」
 シルバが言うも、ヒイロには心当たりがないらしい。
「んんー? 巡回司祭のルビィ・ユーロック先生なら知ってるけど、名字が違うよね? ウチの郷の私塾の先生」
 シルバは、たはぁ、と深く溜め息をついた。
「……それ、仕事用に使ってるお袋の旧姓」
「え!?」
「そっちの名字の方が、武術教えるのに好都合だからだって前言ってた」
 ポン、と聞いていたキキョウが手を打つ。
「なるほど、高名な道場と同じ名字ならば、門下生も増やしやすいという事であるな。よくある手である」
 シルバは、手紙の続きに目を通した。

 ――うちの息子を婿に欲しければ、あたしに勝てるぐらい強くなってかえってきな。

「……お袋ぉ」
 何て事を書きやがる。
「そ、そそ、それはつまり、シルバ殿のご母堂に勝てばシルバ殿をもらえるという事なのか!?」
「落ち着くんだキキョウ。この文章にはシルバの自由意志がない。ところで急に、魔導書で猛勉強したくなってきたんだが、そろそろ戻らないかシルバ」
「お前も落ち着けカナリー!?」
「に。お兄のママ、つよい?」
 いつの間にか、リフまで近くに来ていた。
「……強いぞー。以前、地震を拳骨一発で鎮めた事がある」
「ウチの父ちゃんと互角に殴り合えるって時点で、割と規格外だと思う」
 ヒイロが腕組みしながら深く言うと、タイランがおずおずと口を挟んだ。
「えっと、確か以前聞いた話だと、すごく大きい人でしたよね、ヒイロのお父さん」
「若い頃、ドラゴンと相撲を取ったという話も聞くな」
 ついでとばかりにネイトも、話に参加した。
「…………」
 シーラは無言で、自分の拳を見つめていた。
「シーラ、興味があるのか!? 今、少しだけ反応しただろ!?」

 ――ともあれ精進するように。骨剣のグリップ用テープを送っておきます。シルバもたまにはこっちに戻ってくるように。

 どうやら、丸まったベルト状のそれはテープだったらしい。
「あー、ちょうどボロボロだったんだよね。さすが先生。お見通しだぁ」
「戻れって言われてもなぁ」
 確かに近くではあるが、今戻る訳にはいかない。
 ただでさえ、寄り道が多いのだ。
「やれやれ、私には何も無しか」
 ネイトが少し残念そうに肩を竦める。
「カード状態のお前に何を送れと。さすがにクォツも困るだろ」
 言って、シルバはトランクの中を改める。
「大体それ言ったら俺だって……っと、これで最後か」
 タオルが数枚、それに大きめの箱と銀色の筒がまだ残っていた。

 ――タオルを用意してある。それと保存箱と魔法瓶に食べ物と飲み物を用意しておいた。何やらあまりよろしくない戦いをしたようだが、身体を清めた後で食べるように。父より。

「相変わらず周到すぎる」
 確かに徹夜明けな上、ほとんど何も食べていなかったので皆、空腹だ。
「執事か何かなのか、シルバ殿のお父上殿は?」
「いや、一介の司祭のはずなんだけどな……うん。こういう所を見習わないと駄目なんだよな、俺……」
 ふぅ、と短く息を吐き、シルバは森の方を振り返った。
「ま、とにかく川の方に戻ってから、飯にするか」


※キキョウのお面はもう一種類考えたけど、迷った末にこっち。
 結局どっちにしても、魚系なのには変わりません。

 父親:アイアン  司祭、家事技能持ち、気が利く
 母親:ルビィ   司祭、格闘術の使い手

 長女:ガーネット 司祭、現在ルベラント
 次女:サファイア 軍人、変な手の持ち主
 三女:エメラルド 旅芸人の座長、金持ち
 長男:シルバ   司祭
 四女:ルチル   主婦、お針子
 五女:ジェット  花火職人兼錬金術師
 六女:クォツ   占い師、千里眼
 七女:ルリ    呪い師、クォツと双子、もう一つ能力アリ


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