窓からは、月が覗いていた。
明かりもない暗く古い洋館の廊下を、タイランの重い駆け足の音が響き渡る。
曲がり角を曲がるが、そこに目当ての人物はいなかった。
「見失った……?」
相手の背中は見えていたのだ。
すぐ近くにいるはずだ。
そう考え、タイランは両手の平に仕込まれている砲口をいつでも放てるように準備しながら、警戒して前を歩く。
「いや――」
声が響き、タイランは足を止めた。
「っ!?」
前にはいない。右か左か。
それとも上か。
「――道は間違ってなかったんだけどね」
背後の扉の隙間からうっすらと霧が溢れ出たかと思うと、それは金髪紅眼の鬼の姿を取った……。
タイランの悲鳴が響いたのはその直後だった。
同時刻別地点。
キキョウは長身銃を手に、廊下を走っていた。
臭いをたどると案の定、目当ての人物が逃げようと背を向けているのを発見した。
骨剣を肩に担いだ栗毛の鬼。
見間違えようがない。
標的だ。
「いた……!」
廊下を駆け抜けながら、キキョウは長身銃を構えた。
「覚悟……っ!!」
鬼の背に向けて、引き金を引く。
慣れない武器だが、その狙いは正確に、相手の正面を捉えていた。
――正面?
「烈――」
いつの間にか、鬼は身を翻し、大きく骨剣を振りかぶっていた。
そのまま力任せのスウィングで、骨剣に纏った大量の気を迸らせる。
「――風剣っ!!」
その衝撃波に、キキョウの放った弾丸――豆は吹き飛ばされてしまう。
そしてキキョウ自身も、罠にはまっていた。
「しまった――」
急ブレーキを駆けるが、数瞬速く立ち止まり足を溜めていたヒイロが間合いを詰めていた。
「遅いっ!!」
ぶぅん、と振るった鬼の骨剣の先端が、キキョウの胸を突く。
「銃なんて使いなれないモノを使うと、ロクな事がないよね……まったく」
薄暗い洋館のホールで、シルバとリフは合流した。
「リフ」
「に!」
お互いの無事に安堵するのも束の間、二人は再び緊張に表情を強張らせる。
「タイランは?」
「にぃ……タイランの悲鳴は聞こえた」
「やっぱり、やられたか……キキョウもやられてたよ。って事は残ったのは俺とお前だけか」
「に……」
シルバは、ボリボリと頭を掻いた。
「せめて、精神共有が使えれば、やりようはあるってのに……術もスキルもアウトなんて、こりゃあんまりすぎるだろ」
「にぅ……」
「今更だけど、こうなったら分散はやめた方がいいな。こっちが飛び道具でも、一対一じゃまず勝ち目はない。二対一なら何とか」
勝ち目はある、とシルバが続けようとした時だった。
「二対――」
「――一ならね」
ホールに、鬼達の声が響いたのだ。
ほぼ同時に、頭上のシャンデリアから小柄な鬼が。
足下の影から、白い手が。
シルバとリフに襲いかかった。
「な……!?」
「にぃ……!」
という訳で、ヒトVS鬼の戦いは、鬼の完勝で幕を閉じた。
ホールに集まったのは、シルバ達に加え、家主であるフィリオの七名。
ホールは今は、シャンデリア精霊光によって明るく照らされている。
「勝ったー」
鬼チームであるヒイロとカナリーは、手を打ち合わせた。
「鬼チームの勝利。ふふふ、即席チームもなかなか悪くないね、ヒイロ」
「だね♪」
一方で、悄然としているのはヒトチーム、つまりシルバ、キキョウ、タイラン、リフだ。
「……いくら何でも、ハンデありすぎだったと思う」
「某も同感だ。再戦を考慮願いたい」
「ううう……せめて、無限軌道だけでも使わせて欲しかったです」
「にぃ……」
ヒトチームの武器は飛び道具である豆をぶつければ勝利。
対する鬼チームは、直接のタッチが勝利の条件。
というハンデはあるが、それ以上にヒトチームは一切のスキルと術を禁じるというのが痛かった。
精神共有はおろか、祝福魔術すら使わせてもらえないのでは、シルバは足手まとい以外の何物でもない。せいぜいが眼鏡と篭手で命中率を上げるのがせいぜいだったが、そもそもその威力を発揮する前に、負けてしまうというていたらくであった。
まあ、それにしても妙な風習もあるモノだな、とシルバは思う。
リフの家族、というかモース霊山に伝わる伝統行事で、節分と言うらしい。
同じ行事はキキョウの国、ジェントでもあるらしいが、本来は『福は内、鬼は外』というかけ声と共に豆をまく風習なのだという。
そんなキキョウは、腕を組んで難しく唸っていた。
「ううむ、これでは福は内鬼も内になってしまうな。節分にならないではないか」
「それよりフィリオさん、お寿司お寿司」
運動後の食欲に取り憑かれているヒイロが、フィリオを急かす。
「む、分かっている。食堂に既に用意してあるので思う存分食うがよい」
「わぁい!」
駆け出すヒイロを追って、シルバ達も食堂に移動することになった。
食堂のテーブルには、太巻きと緑茶、それに豆が積まれていた。
給仕はカナリーの、赤と青の従者が行っている。
「まさか、このような異国で恵方巻を食えるとは思わなかった」
太巻きを食べ終え、感慨深げにキキョウは緑茶を啜る。
「に。ウチでは毎年やってる」
「我が山で修業を積む者の中には、ジェントの者も多いのでな」
リフとフィリオの言葉に、シルバは頭の中で地図を描いた。
「……そういえば、近いもんなぁ」
キキョウの故郷であるジェントは極東にあり、リフ達の故郷モース霊山はその隣国であるサフィーンの北方に存在する。
ある程度は風習が被っていてもおかしくはないか、とシルバは思った。
「某的には、稲荷寿司が恋しいのだが……」
豆を食べながらキキョウが言うと、フィリオもバリボリと豆を囓る。
「作ればよいだろう、娘」
「しかし、材料が……」
「油揚げの原材料は豆であり、大豆ならばここの庭にある。菜種も米もある。油揚げの作り方ぐらいは自分で調べるがよい」
「寛大なお心に感謝する! よろしくお願いいたしまする!」
ものすごい勢いで、キキョウはフィリオに頭を下げた。
「おお……キキョウの尻尾がものすごい勢いで揺れている」
何か残像になっている尻尾に、シルバも驚く。
「に……すごい、気合い」
「これならば、我が野望のきつねうどんも夢ではない……!」
ふふふふふ、と笑うキキョウであった。
もっともフィリオは、キキョウの歓喜はどうでもいいらしい。
「その辺りは好きにすればいい。さて、我は少し山に戻るが……姫に妙なことはするなよ、小僧」
「……妙なことってのはともかく、妙な時期に里帰りですね」
豆をつまみながらシルバが問うと、フィリオは腕組みをし、大きく息を吐き出した。
「うむ、この時期になると女性の冒険者がカコー豆を求めて、我が山に潜り込むのでな」
シルバには聞き覚えのない種類の豆だった。
が、これに反応したのはまたしても、キキョウだった。
「カコー豆! ま、まさか、あの風習まであるのですか、フィリオ殿!?」
どうやら東方にはシルバの知らない特異な文化風習があるらしい。
それはともかく何故、キキョウが尻尾を大きく揺らしながらフィリオと自分を交互に見ているのか、よく分からない。
「うむ……我が山のカコー豆は、かつて妻を獣罠から救ったマギウス製菓の者としか取引せぬ決まりとなっているのだ。おいそれとくれてやる訳にはいかぬ」
「……カコー豆って?」
ヒイロの問いに、カナリーが答える。
「確かチョコレートの原材料だ。マギウス製菓といえば、有名なお菓子のメーカーだね」
「じゅるり」
「ヒ、ヒイロ、涎を拭いて下さい……!」
タイランが、慌ててナプキンを用意する。
「倅どもや山の仲間だけではどうも心許ないのでな。もっともすぐに戻ってくるが……」
フィリオは、チラッと娘を見た。
リフはお茶をふーふー冷ましつつ、頷く。
「に。父上と三人の分は作っとく」
「うむ、うむうむうむ」
「今年は、お兄の分もあるから頑張る」
「むぅ……!?」
ギン! とフィリオの鋭い視線が、シルバを居竦ませる。
「え!? な、何で俺、睨まれてるの!?」
「あー、リフ。もしよければ某の分も少々分けてもらえると……ついでに作り方も」
頬を赤くしながら、キキョウがリフに申し出る。
「に」
やはり頷くリフに、カナリーは首を傾げていた。
「……む、何やら僕達の知らない文化で、ポイント稼ごうとしていないかい、二人とも。これはちょっと調べる必要があるのかな?」
「と、時にシルバ殿は、甘いモノは好きかな?」
「き、嫌いじゃないけど」
シルバの答えに、キキョウとリフが勢いづく。
「うむ! リフ、気合いを入れて作ろう」
「に!」
「むううぅぅ……小僧……!」
そして強まるフィリオの眼光。
「だから何で俺、そんな目で睨まれてるのーっ!?」
そんなこんなで、モース家の節分の夜は更けていくのだった。
※リフ成分が不足してきたので、即興作品。
吸血鬼で洋館で鬼ごっことか、全員何か賞品持って来なきゃ駄目とかそんな話にしたくなったけど、そういうのは型月板でやれと。
他候補として、モース霊山でガチにカコー豆争奪戦(フィリオ+リフ、キキョウ、タイランVS女冒険者)とかも考えましたが、さすがに遠すぎるし話が長くなりそうだったので没りました。
とかどうでもいい話題でしたが、次は普通の更新となります。2010年2月1日。