特にする事の無かったヒイロは、訓練場に留守番待機しているキキョウの許可をもらい、鍼灸院を訪れる事にした。
再出発までの時間を考えると、まあ、マッサージとその他雑用で時間が潰れると判断したのだ。
訓練場への出前の注文も終え、大きな紙袋を抱えたヒイロは小さな整体兼鍼灸院を訪れた。
衝立で区分けされた三つのベッドは、全て埋まっているようだった。
俯せになった傷だらけの戦士の広い背中にお灸を据えていた、黒髪白衣の女医が振り返る。
セーラ・ムワン。
この鍼灸院の院長だ。
「おや、坊主帰ってたのか」
「うん。あ、でもまたすぐ出発するんだけどね」
満杯と判断したヒイロは、壁際の丸椅子に腰を下ろした。
「ふぅむ。マッサージなら一時間待ちって所だな。助手やるならバイト代出すぞ」
「やる!」
荷物を下ろし、立ち上がる。
やった事は何度もあるのだ。助手と言っても、タオルやバケツの水を交換する簡単な仕事である。
「うむ」
セーラの指示で、中央のベッドに向かう。
そこでは、丸いゴーグルにローヴを羽織った小さな鬼族の魔術師が、杖を手に呪文を唱えていた。
ヒイロの顔見知りだった。
「あれ、アク兄ちゃんじゃん」
「おう」
鬼族の魔術師、アクミカベが目を開き、顔を上げる。
鬼族にしては貧相なその身体を、ヒイロは上から下まで眺める。
「……アク兄、マッサージする筋肉、あったっけ?」
「何気に失礼な奴だなお前!? 違ぇよ! 俺もボルケノ老師の手伝いだよ!」
短い杖で、横たわった戦士の背中のツボをグリグリと押さえながら、アクミカベは叫ぶ。
「おい、静かにしろ。仕事中だ」
隣の衝立から、セーラの声と共にスリッパが二つが飛んできた。
「へ、へい!」
「らじゃ」
頭にスリッパを食らった二人は、肩を竦める。
すると、一番左端のベッドから、ヨタヨタと鬼族の老人が近付いてきた。
ふさふさの眉毛と髭で、顔のほとんどが毛で覆われている。
代わりに角の生えた頭部は、毛が全くない禿頭だ。
アクミカベよりも更に小柄な老鬼の名を、ボルケノという。ヒイロの住んでいた集落の、呪術師である。
「久しいのう、ヒイロ……相変わらずちんまいのう……」
「爺ちゃんに言われたくないよ!? この中でボクが一番大きいじゃん!」
「「お前は戦士職だ(じゃ)ろ」」
アクミカベとボルケノに揃って言われ、ヒイロはたじろぐ。
「うぐっ……! こ、小回りが利くって、パーティーの中じゃ定評があるんだい!」
「おい、うるせえっつってんだろが! 殴り殺すぞ!」
ボルケノが診ていた患者が、荒々しい怒鳴り声を上げた。
ヒイロが、どこかで聞き覚えのある声だな、と思っていたら、相手はそのまま衝立をグイッと横にずらして、赤銅色の鍛えられた上半身を起こした姿を現わした。
「っと、ごめんなさい――ってあれ、カーヴ・ハマー?」
「あぁ……? テメエは……あのガキの仲間の小鬼!!」
一瞬記憶を探り、カーヴはヒイロに指を突きつける。
「小鬼じゃないやい! ちゃんとした鬼族だよっ!」
「るせえっ! あの野郎、今、どこにいやがる!」
カーヴはベッドから降り、ヒイロに掴みかかろうとする。
「治療せんでええのかのう……」
「う……」
ボルケノの一言に、ヒイロに腕を伸ばしたまま、カーヴが固まる。
「治療せんでええんなら、儂はもう帰るがのう……」
「ウチで喧嘩は御法度だよ」
衝立の向こうから、セーラが追い打ちを掛けてきた。
「ちぃっ……! さっさと治しやがれ!」
乱暴にベッドに腰掛け、カーヴは叫ぶ。
「定期的に診んと、元に戻ってしまうからのう……」
ふと、ヒイロは思い出す。
カーヴ・ハマー不調の原因は、シルバと同じで、力を封じられた事にある。
シルバが祝福魔法を使えなくなったのと同様、カーヴは敵を傷つける事が出来なくなってしまったという。
その治療に、ボルケノ老師が呼ばれたという事なのだろう。
老いてはいるが、これでボルケノは優秀な呪術師なのである。
その老師は、カーヴの左腕に杖の先をかざし、呪文を唱えている。そのたびに、腕に巻き付いていた複雑な文様のような刺青が、薄れていっていた。
ついでに思い出した。
ボルケノを雇ったのは、カーヴの雇用主、ラグドール・ベイカーだ。
「あ、そうそう。そろそろ上の方から呼び出し掛かるよ」
「何でお前がそんな事、分かるんだよ」
カーヴは仏頂面で、ボルケノの治療を受け続けている。
「れ……れぐふぉるん・るし、るしたるの、だっけ? ああもう呼びにくいなあ。帰ってきてるから」
ラグドールの表の名前(二つも名前があるからややこしい)に、ヒイロは頭を掻きむしった。
一方カーヴはその名を聞くと、いきなり立ち上がった。
「あぁん!? あんにゃろう、こっちに連絡も無しに出掛けやがって! おいジジイ! ソイツをさっさと寄越しやがれ!」
カーヴが指差したのは、古ぼけた荷物袋の傍らに置かれた藁人形だった。
「まだじゃのう……これは未完成じゃ……。また一週間後には来るようになあ……」
「ちっ、くそ、分かったよ! 次来た時には、ちゃんと作っとけよ! おい、姉ちゃん! 姿見はどこだ!」
ジャラリ、と自分の装具品をまとめて掴み、カーヴは出口に向かう。
「本当に騒々しいな。出口前にあるよ。治療費はちゃんともらってるから、そのまま行っていい」
「分かってらぁっ!」
セーラに言われ、カーヴは出口の脇にあった姿見の前に立った。
ヒイロは髪をセットするカーヴを眺めながら、濡れたタオルを絞った。
「治療ねぇ……どういう治療なの、爺ちゃん?」
「そりゃあ……言えんのう……。守秘義務ちゅー奴じゃ……」
駄目っぽい。
「アク兄ちゃん」
「言えねーって」
アクミカベにも断られてしまう。
「もっとも、カーヴ・ハマーと言やあ、第六層の最前線でバリバリ大活躍だっつー話は聞こえてるぜ」
「……そっか。ま、いーや。先輩とかカナリーさんなら、今のでも何か気付くかもしんないし」
諦め、ヒイロはバケツの水を取り替える事にした。
「んで、お前どこ行ってたんだよ。俺ぁ、てっきり里帰りして、奉納祭に参加してるのかと思ってたんだが」
「あー、そっか。そういう時期だね。アク兄ちゃんは出ないの?」
「今から行って間に合う距離じゃねえだろ。第一、魔術師が出られる舞台じゃねえ」
「死ぬね」
「だろ」
ヒイロ達の集落、アグニ族が信仰するのは三女神の一柱、戦神ピンフであり、その奉納祭の形式は推して知るべしだ。
「今回は、何人ぐらい参加するかなぁ」
「いつもと同じなら、三十数人ってトコだろ。お前とは行き違いになったみたいだが、スオウも戻るっつってたぞ。族長や巡回司祭だのが出なきゃ、まあ、平穏だろう」
「出たら出たで、楽しそうなんだけど」
「祭壇が木端微塵になるっつーの。ま、どっちにしたって、見物出来ねーだろ。今回の俺らは」
「はっはー」
それが間に合ってしまうヒイロである。
「何だよ、その笑いは」
「いやいやいや、何でもナイヨー?」
怪鳥イタルラはともかく、浮遊城の事は内緒、とシルバに釘を刺されているヒイロであった。
※あー、ロメロ関係とかまで届かなかった。
次回、キキョウのターンでその辺書きます。
セーラは精霊事件のラスト付近、アクミカベはノワを追う冒険者の一人です。
今章のコンセプトは「何となく懐かしい人達」です。
ボルケノ老師は初出ですが、某妹の師匠さんでもあります。
あと、戦神は同時に賭博神の一面もあります。非常にどうでもいい。名前の由来は、麻雀やってる人ならすぐ分かるかと。