「こ、これ全部飛んでるの? 宮殿丸ごと!?」
ヒイロは席を立つと、宮殿の屋根の縁から身を乗り出した。
そうしている間にも、フォンダンはどんどんと高度を上げ、雲と同じ高さへと達しようとしている。
シルバ達も、気がつけばヒイロと同じように小さくなっていく地面を見下ろしていた。
「見ての通りじゃよ」
落ち着き払っているのは、ナクリーだけであった。
「……なあ、宮殿どころか、庭園と周りの砂漠の一部まで浮いてるぞ」
そう、宮殿と共に、敷地も一緒に浮いているのだ。
それに対し、ナクリーは不思議そうな顔をした。
「庭園がなければ、ガーデニングが出来ぬではないか」
「に、それ重要」
リフが全面的に同意を示す。
「であろう。うむうむ、分かっておるな、お主」
「に!」
「……まあ、森を守護する剣牙虎の霊獣ですからねぇ」
タイランが、力ない笑いを浮かべた。
一方、ナクリーも席を立ち、シルバ達の横に並んだ。
「うむうむ、前回よりも調整が上手くいっておる。思った以上にコンパクトにまとまりおったわ」
「この規模で!? これでコンパクト!?」
シルバが叫び、ヒイロは庭園を見渡す。
「初心者用訓練場ぐらいの広さはあるよねー……」
「城下町とか造れそうだ」
ソーセージをモシャモシャと食べながら、ラグドールも感想を漏らす。
「却下じゃ。それでは、せっかくの景観が台無しになる」
「にぅ!」
「……すっかりナクリーの味方な、リフ」
シルバは、ナクリーに同意するリフの頭を撫でた。
「ま、実際、本来は人が住む事を考慮した上での、この規模だったのじゃがな」
「さっきと言ってる事、違うじゃねーか」
「天空都市ライズフォートの代用地、もしくは避難用空間をイメージしておったのじゃ。そのライズフォートが既に墜落してしまっては、意味がないのじゃよ」
「……つーか、地形変わってんじゃねーか……」
フォンダンがあった砂漠は、その一部が浮かび上がった為、当然その部分にポッカリと黒い穴が空いている。
ここからフォンダンの下部は見えないが、穿たれた穴はかなり深いようだ。
「本来の地形に戻っただけではないか」
「何千年前の話をしてるんだよ!?」
「でもこれって、地上から見てすごく目立たない?」
浮遊城フォンダンの規模を考えると、ヒイロの懸念は当然だった。
「クックック、抜かりはないぞ。今頃、下からカモフラージュ用の雲が噴出しておるはずじゃ。しばらくすれば、フォンダン全体がそれに覆われ、周りからは見えぬようになるのじゃ」
「おぉー」
ヒイロと一緒に、リフも拍手を送った。
ナクリーはすっかりご満悦である。
「クックック! もっと驚くがよい!」
「……子供に受けいいな、ナクリー」
「造るモノ全部が、秘密兵器みたいな人だからな」
シルバの呟きに、肩の上に寝転んでいたちびネイトが小さく頷いていた。
フォンダンは、空中で停止した。
ナクリーは、太陽の方角を見る。
「それで、向かう先は南東でよいのかの? ルベラントとか言ったか」
「あ、あの、でもその前に、ストア先生にも報告した方がいいと思うんですけど……」
タイランに視線を向けられ、シルバは頷いた。
「んん、タイランが言うのなら、俺に異存はないよ」
「ガガ! 我モダ!」
ガション、と音がし、女性型ヤパンを付き添いに階段を登って現れたのは、モンブラン十六号だった。
「と、モンブランも言っている事だし、まずは東に飛んでもらおうか」
「よし、分かった」
浮遊城フォンダンは、東――アーミゼストへと向かう。
周囲に何らかのフィールドでも張られているのか、空を移動しているにも関わらず、強い風は吹かない。
「思ったよりもゆっくりだねぇ……」
食事を取って眠気が襲ってきているのか、ヒイロの瞼は落ちそうになっていた。
それに対して、ナクリーが解説する。
「目に入るモノが、地上から離れている分、小さくなっておるからじゃよ。……ふむ、太陽の大祭壇は今も健在か」
割と大きな石造りの遺跡を見て、ナクリーはそんな事を呟く。
太陽の大祭壇、という名にはシルバも覚えがあった。
ヒイロも忘れていなかったようだ。
「ってもうそんなところまで飛んでるの、これ!? 一時間経ってないよ!?」
「じゃから、言ったじゃろ? 見た目ほど遅くはないのじゃよ。さてさて、墜ちたというライズフォートも見ておきたいが、まずは着陸場所を定めねばの。どこか広い場所はあるかえ?」
ナクリーの質問に、ふとシルバは不安になった。
「……おい、これ、このまま地面に下ろすつもりじゃないだろうな」
「む、駄目か」
「……考えておくべきだった」
まさかやるまい、と思ったが、考え直す。
ナクリー・『クロップ』である。
あれの先祖ならば、本当にこれをそのまま、アーミゼストに降ろしかねない。
「心配せずとも、これを空に置いたまま、地上に戻る方法はいくつかある。近くに転送装置があれば、一番話は早いのじゃが」
「あー……」
シルバは、アーミゼスト最寄りの転送装置が壊れている事を説明した。
というか、だからこそ、遠回りしてこのフォンダン(正確にはガトー)を求めたのだが。
とにかく、ナクリーは驚いた。
「何と! 修理は出来るが、部品があるかどうかが問題じゃな」
「他に方法は?」
「フォンダン搭載のミサイルに皆、入ってじゃな」
「却下!」
「ちゃんとクッションを入れておるから、ショックは少ないはずじゃぞ?」
「そういう問題じゃねえ!」
どう考えても、心臓に優しい着陸方法とは思えない。
「ふむー、贅沢じゃのう。ま、ガトーがあれば一番手っ取り早かったのじゃが、もう一つ方法がないでもない」
ナクリーの言葉に応えるように、大きな鳥の鳴き声が響き渡った。
「うむ」
アーミゼスト郊外にある草原、初心者用訓練場。
ゴドー聖教の助祭である少女、チシャ・ハリーは、信者の人々を率いてボランティアの炊き出しの準備を行なっていた。
アーミゼストの主たる産業、冒険者の支援活動の一環である。
「皆さん、お疲れ様ですー。朝食の用意が出来てますので、順番に並んで下さいねー」
チシャの声に、主に若い男衆の歓声が草原に響き、深皿を持った列が形成され始める。
ボランティアの人達がパンを配り、深皿にスープを注いでいく。
チシャの担当は、列の形成と最後尾の案内だ。
あまり力は必要ないが、時々声を張り上げる必要があるし、たまに荒くれ者が混じっているのでトラブル担当でもある。
今日は大きな混乱はなさそうだ。
青空を見上げると白い雲を突き抜け、大きな鳥が一羽、平和そうに飛んでいた。
「……うん?」
まずチシャが最初に抱いたのは、鳥って雲の高さまで飛ぶんだっけ、という事だった。いや、絶対いないと確信がないからこその疑問だったのだが。
第二に、妙に遠近感が狂っているような気がした。
この距離からあの大きさだとすると……。
「鳥さん……? ……にしては……ちょっと、あれ……え、サイズが……」
鳥の大きさは、鳩やカラスの比ではない。
あれは巨鳥、怪鳥、モンスターの類だ!
それに気付けたのは、彼女が助祭であると同時に、冒険者だったからという事もあるだろう。
それに、この辺りの初心者よりは、多少経験を踏んでいる。
だからこそ、この中で誰よりも早く気付けたし、警告を発する事が出来た。
「み、皆さん退避! 退避して下さい! ここは危険です!」
そうしている間にも、地面を黒い影が覆い始める。
鳥がいよいよ地面に近付いてきたのだ。
強風が吹き荒び、チシャは地面を踏みしめながら、印を切る準備を始めた。
だが、30メルトはあろうかと思われる赤い巨鳥は、冒険者達を襲わなかった。
少し離れた場所でホバリングし、足に下げていた大きな籠のようなモノを地面に下ろす。
それからようやく地面に下り、羽を休め始めた。
「か、籠?」
籠、もしくは釣り鐘だろうか。
スマートな半円球のそれは、周囲を複雑な金の文様が刻まれた茶色い器のような造りになっている。
その一角が不意に長方形に割れたかと思うと、壁が倒れてタラップとなった。
「むぅ、乗心地に検討の余地ありじゃの」
下りてきたのは、白衣を着た妙に古めかしい衣装の眼鏡の子供だった。
手には石板を抱えている。
それに続いて出て来たのは、チシャも見覚えのある人物だった。
「言っちゃ何だが、最悪だ! 何でお前は平気なんだよ!?」
司祭服を着ており、年齢はチシャより少し年上ぐらいの少年だ。
「乗り物に耐性がなければ、立派な学者にはなれんのじゃ」
「騎士にもなれんな」
後ろに赤いマントを羽織った人物を連れて下りてきた少年は……。
「シルバ様!?」
たまらずチシャは声を上げていた。
向こうも、自分に気がついたらしく、軽く手を振ってくる。
「お、おー、チシャ久しぶり。っていうかああ、そうか。炊き出しやってたのか」
「は、はい。あの……これは一体、どういう……?」
「ああ、それは――」
次々と、色んな人が籠から下りてくる。
鬼族のヒイロや、動く鎧のタイラン、獣人のリフに……。
「やれやれ、酷い目に遭った」
「……うぅ、某……吐きそうだ」
吸血貴族のカナリーと狐獣人のキキョウが現れると、周囲の女性冒険者達が歓声を上げた。
「キャー! カナリー様だわ!」
「キキョウ様もいらっしゃるわ! ちょっとアンタどきなさいよ!」
「ぬぉわっ!?」
女性冒険者の集団に突き飛ばされ、シルバは素っ転んだ。
「シ、シルバ様、大丈夫ですか!?」
チシャは慌てて駆け寄り、シルバを助け起こした。
「こ、この展開も久しぶりのような気がする……」
「ずいぶんと、大騒ぎですねぇ」
最初に現れた子供と同じく、古めかしい神官のような装束を身に纏った人物に、女性冒険者達の黄色い悲鳴が再び上がる。
「また新たな美形だわ! ああ、私卒倒してしまいそう!」
「こら、お前達! 儂のモノに手出しするでない! シッ! シッ!」
「な、何よこの子! 邪魔しないでよ!」
白衣の子供が追い払おうとするのに対し、女性冒険者達が険しい目を向けた。
「タイラン、出番だ」
ふよふよと宙を漂っていたネイトが、タイランに囁く。
「で、ですね……あ、ええとその、通行の邪魔はしないようにお願いします。押さないように、み、皆さん、冷静になって下さい」
ゆっくりと、タイランはカナリーらと女性冒険者達の間に立ち、防御壁となる。
巨大な重甲冑の威圧感は相当で、まだまだヒヨッコの冒険者達は、それ以上彼らに近づけない。
そんな騒ぎから少し離れた場所で、シルバは小さく息をついた。
赤い帽子を目深に被り、顔の下半分をマフラーで隠したラグドール・ベイカーが、その肩をつつく。
顔を隠しているのは、素性をあまり知られたくないからだという。
「あたし……私は一旦、自分の館に帰る。待ち合わせ場所は、ここでいいんだな」
「ああ。ただし、カー……アイツは連れて来るなよ」
カーヴ・ハマーが同行となると、間違いなくトラブルの種になる。
「フォンダンを乗っ取る事も考えないではないが、やめておこう」
「考えるなよ!? しかもそれを、奪う対象に言うなよ!?」
「心配するな。今はお前達を利用させてもらう。では、さらばだ」
地面がズルリと盛り上がると、それは馬に形となった。
首から上の部分は霊気に包まれた馬――コシュタ・バワーに跨ると、そのまま去って行った。
「……やれやれ」
シルバは頭を掻き、振り返った。
相変わらず、カナリーやキキョウらの周囲は騒々しい。
なるべく手早く用事を片付けて出発する予定なのに、大丈夫かなと心配になるシルバであった。
※久しぶりにチシャ登場。
アーミゼストを書くと、何か自分まで帰ってきたって妙な気分になります。
寄り道なので、さっさと済ませたいところですが、さて……。