カーテンの向こうはまだ、日も昇っていないようだ。
「んん……」
シルバの朝は、聖職者としての務めが習慣となっており、とても早い。
この日も自然に目覚めた……が、やけに、胸の上に重量があった。
あー、リフが潜り込んだかと、寝ぼけた頭でもある程度予想していたのでシーツをめくってみた。
「くー……」
猫耳の少女が、自分にしがみついてすやすやと眠っていた。
「っ!?」
仔猫タイプだと思っていたシルバには、完全に不意打ちだった。
その動揺が伝わったのか、リフも目を覚まし、寝惚け眼をこすった。
「……に……お兄、おはよ」
「お、お、おう、おはよ。ね、寝床に潜るのはまだいいとして、せめて猫形態で頼む」
「に……わすれてた……ごめん……今度から気をつける……ぬくぬく」
まだ眠いのか、シルバに抱きついたまま、リフは眠りに落ちていきそうになる。
「……ちょっと待て、今度とか今の聞き捨てならないんだが」
とにかく起きないと、と考えていると、扉がノックされた。
扉の向こうから、朝っぱらにも関わらず、割と遠慮のない話し声が聞こえてきた。
「……まだ寝てるのかなー。ねー、タイラン、中、確かめてくれない?」
「ヒ、ヒイロ。寝てるのなら、その……勝手に侵入するのはどうかと思いますよ?」
「鍵、掛かってるみたいだねー」
「ちょ、ヒ、ヒイロ、だ、駄目ですよ……!? 何かノブが軋み上げてますから、そ、それ以上は……!」
「……朝から騒がしいな、おい」
上半身を起こした状態で、シルバは呟いた。
「にぃ……」
一緒の寝床に入ったまま、半分眠っているリフも同意する。
「……あと、この状況はそろそろ目撃されたら洒落にならないから、悪いけど離れてくれると助かる」
「にー……」
……そろそろ東の空が明るくなろうしている。
ブリネル山麓の森に入ったシルバ達一行は、落とし穴や吊し罠といったトラップの作成に余念がなかった。
「嘘ついて、ごめんなさいでした」
自分が女の子である事がバレたヒイロは、地図を広げるシルバに大きく頭を下げた。
「……まー、いいけどさ。大体の理由は分かるし」
「うん。あの時も、結構パーティー断られてたからねー」
ヒイロが頭を上げる。
困ったように笑いながら、頭を掻いた。
「鬼にしては小さいのと、何故か鎧を脱ごうとしない素性の知れないの。……まあ、なかなか組んでもらうのは難しいだろうな」
ヒイロの後ろについてきた重装甲冑のタイランも、申し訳なさそうに頭を下げた。
「す、すみません……私の人見知りも……その、ありまして……」
「いいよいいよ。気にするな」
軽く手を振るシルバ。
そこに空から、やはり地図を持っていたカナリーが、逆さまになって降りてきた。空を飛べるカナリーの仕事は、森の形の把握だ。
「……しかし、余所にバレるとややこしい事態になる。性別に関しては、変わらず伏せておいた方がいいね」
「うん、わかった!」
ヒイロは快活に返事をした。
それを聞いた三人の気持ちはこの時、一つになっていた。
「……不安だ」
「不安だね」
「……ふ、不安です」
一方、縄を編みながら何だか一人苦悩の中にあるキキョウの裾を、誰かが引っ張った。
振り返ると、リフだった。小さな手にはドングリぐらいの茸がいくつかあった。
「……に、キキョウ、これあげる」
「む、むぅ……リフ、これは何だ」
「元気の出るきのこ。この森、いい野草とか、いっぱいある」
「……す、すまぬな」
モース霊山に住む霊獣の娘の薦めならば、安心だろう。
そう考え、キキョウは素直に茸の一つを口に入れた。
すると、何だか胃の辺りが熱くなってくる。確かに効きそうだ。
「うぅ、しかしこうなるといよいよタイミングが……」
どうしたものか……と、キキョウは唸った。元気とはちょっと別問題の悩み事なのだ。
すると、ヒイロとの話が済んだらしいシルバが、キキョウに近付いてきた。
「大丈夫か、キキョウ? これから実戦なんだけど……」
「う、うむ、シルバ殿。その点は問題ない。――本番までには立て直す」
キキョウは頭の中の悩みを強引に隅っこに押しのけ、自身を戦闘モードに切り替える。
凛とした雰囲気に変わったキキョウに、シルバも安心したようだ。
「分かった。頼むぜ」
「うむ!」
緩やかに尻尾を振り、キキョウはシルバと拳を打ち合った。
「お兄」
作業に戻ろうとするシルバに、リフもついてきた。
「ん?」
「ちょっとだけ、試させて」
リフがシルバの手を両手で握った。握手とは違う、まるで手を粘土細工か何かのように確かめてくる。
「ちょ、な、何だリフ? どした?」
「おくすりより効くみたいだから、じっけん」
朝食のサンドウィッチを食べながら、話し合う。
「……頭がいいとは聞いてますけど、ど、どれぐらいなんでしょう」
鎧から出て近くに川から組んできた清水を飲むタイランの問いに、カツサンドをもぐつきながらヒイロは少しずつ青さを増してくる空を見上げた。
「んー、そうだねえ。ボクの知ってる獣だと、勘のいいのは毒入りの餌とかもまず通じないかな」
「に……色々いる。でも、人間よりずるがしこいのはいないと思う」
「手厳しいなぁ」
もしゃもしゃ野菜サンドを食べるリフのコメントに、木の株に腰掛けたシルバは苦笑するしかない。
「にぃ……人間のわな、すごい。父上でも、ほんのたまにだけどだまされる」
「そう言われると、人間すげえ」
タマゴサンドを食べつつ、シルバは人間の可能性に呆れていた。
「まあ、とにかくさっさと片付けてしまおう。こういう泥臭い仕事は、どうも僕には向かない」
高い位置にある木の枝に腰掛けながら、カナリーは温かいトマトスープを飲んでいる。干しぶどうを口に含みながら、キキョウはその枝を見上げた。
「というか、カナリーは一度も土をいじっておらぬではないか」
カナリーは、パーティーのメンバーが休憩中、黙々と給仕に徹する赤と青の従者を指差した。人形族の二人も罠の作成を手伝っている。
「従者達は僕と一心同体。それに、僕だってちゃんと仕事はしているしね……というか、完全に日が昇る前にある程度地理を把握しないと、困る。昼間は僕は飛べないし、タイランは僕以上に、こういう作業はまだ慣れていない」
「す、すみません……」
「何、いいさ。僕だって得意って訳じゃないからね」
カナリーは肩を竦めた。
だが、その分タイランは、その巨体を活かして力作業で頑張っているのだ。非難する事など何もない。
「そういうのが得意なのは」
シルバの促しに、
「はーい」
「に」
ヒイロとリフが手を挙げた。
「山となると、独壇場だなこの二人は」
干しぶどうを食べ終えたキキョウが、何気なく皆に背を向けた。
「…………」
「どうした、キキョウ」
(すまぬ、シルバ殿。……カナリー)
刀の柄に手を当て、わずかに腰を落とす。
それに気付いたのは、シルバと偵察を再開しようと空に浮こうとしていたカナリーだけだ。
(わざわざ念話を使うなんて、一体どうしたんだい?)
(某が動いたら、その先に向けて大きな魔法を頼む。出来れば生け捕りにしたい。相談している余裕は――なさそうだっ!)
強烈な踏み込みに、地面が陥没する。
木々の狭間を駆け抜け、キキョウは前のめりになって徐々に加速する。
青みがかった空に、カナリーは高々と手を掲げた。
「{雷雨/エレイン}!!」
勢いよく振り下ろされた手の平から生じた紫色の雷光が、森の一角に直撃する。
唐突なカナリーの攻撃魔法に、呑気にご飯を食べていたヒイロ達は大いに慌てた。
「うわっ!? ど、どうしたの、カナリー!?」
「キキョウに聞いてくれ! 僕にも分からない!」
濛々と立ち込める白煙と火花が晴れていく。
……カナリーなりに気遣ったのだろう、燃えた木は少ないようだ。これは後で、タイランに頼んで消火してもらえば問題はないだろう。
そして、小さく開けた場所では、二頭の比較的小柄なバレットボアがカナリーを警戒していた。
「偵察とはな……どうやら本当に頭がいいようだ」
まだ抜いていない刀の柄に手をかけ、キキョウはモンスターに向き合う。
「ブル……」
二頭も、後ろ足で土を蹴り始める。
「リフならばおそらく言葉も通じるはず。悪いが生け捕りにさせてもらう!」
一人と二頭は同時に動いた。
一直線に突っ込んできた猪達が、バッと二手に分かれる。
「ブルゥ……!!」
「挟撃か。しかしその程度の速さで――」
左手のバレットボアを斬ろうと白刃を瞬かせ、
「――!?」
足下の違和感に、キキョウは驚愕した。
何の変哲もなかった地面が突然崩壊し、真っ黒い大きな穴が生じたのだ。
「古い、落とし穴だと……っ!?」
尻尾を振るい、空中に生じた架空の足場を大きく踏み込む。二段ジャンプでかろうじて穴の縁に着地する。
「ブルルッ……!!」
バレットボアは、キキョウに目もくれず、森の中へと消えていった。
シルバ達が追いついたのは、それからすぐの事だった。
「キキョウ、大丈夫か?」
キキョウは頭を振った。
「ああ、某自体には何ら問題はない。しかし相手は相当やるようだ。斥候まで用意するとは、ただの猪だと思って舐めてかかると、とんでもない目にあうかもしれぬ」
「……斥候? 猪が?」
「おまけに、既に捨てられた古い罠まで活かし、逃げに徹したあの行動は見事だ。……ああまでされては追いつけぬ。あの動きは、獣というよりむしろ人の野伏や盗賊に近かった」
「それにしても、よく気がついたなぁ」
感心したように言うと、照れたように頭を掻くキキョウの耳と尻尾が小さく揺れた。
「うむ、某もこれでも獣なので、山や森ならば多少の勘は働く。某はこういった事でしか役に立てぬ故、気を張っていただけだ。あとわずかでも近付けば、リフ達でも気付いていただろう」
「いや、そこは威張っていいぞ。そのわずかの差が、結構でかいんだから」
言って、シルバは腕を組んだ。
唸った。
「……それにしても……その連中の動き、頭がいいとかいうレベルか?」
森の中を進む。
長い年月を掛けて踏み固められた道は、大体馬車一台分が通れそうな幅がある。
「……何か、地面が揺れるな」
シルバは地面に目を向けた。
足の裏の振動は、休む事がない。いや、むしろ徐々に強くなってきているような気までする。
「普通の揺れじゃない。これは威嚇だね。敵が近いんだよ」
振り返るヒイロはタイランと並んで、前を歩いていた。特に緊張した感じはなく、いつも通りの雰囲気に見える……が、わずかに殺気だっているのが、シルバには分かった。
「……地面揺らすほどの敵って、どれだけでかいんだ?」
「やりがいがあるねー……っと」
左の茂みが小さく揺れる。パーティーの面々は一瞬緊張したが、直後に出てきたのは鹿や小鳥といった小さな動物たちだった。
一同がホッとしていると、
「に」
リフが茂みに向かって緑色の光を放った。
「ちょ、リフ何でいきなり精霊砲!?」
驚くシルバだったが、すぐに理由が分かった。
「ブモォ!?」
茂みの奥から、鈍い悲鳴が聞こえてきたからだ。
「奇襲。あの子たち、おびえてた」
リフは必死に逃げている鹿達を振り返った。
「…………」
やはり森の中だといつもより頼りになるなぁと思うシルバだった。
一方、戦いはまだ続いていた。
「こっちもお客さんだよ!」
今度は右から、バレットボアが現れた。
それを正面から、重装鎧のタイランが受け止める。
「む、う……っ!」
「タイランナイス!」
足止めされたモンスターを、ヒイロの骨剣が殴り飛ばした。
「ぶもっ!?」
「ど、どういたしまして……!」
ふぅ……とタイランは吐息を漏らす。
「二段仕込みだと……? ええい、どうなっているのだここのモンスター達は……」
左右の敵を仲間に任せ、キキョウは敵の気配を唸りながら探っていた。
その耳に、何やら珍しい音が届いた。
何か、というより、どこから、でキキョウはそれが何か気付いた。
「……飛来音?」
空を見上げると、三つほどの茶色い塊がこちらに向かって飛んできている所だった。
それは高速回転しながら急降下してくる、バレットボア達だった。
その時、既にシルバは行動を開始していた。
「ちぃっ! みんな隠れろ」
眼鏡越しに見える土の精霊穴を刺激し、地面を盛り上げ巨大な壁状にする。しかしこれだけでは、ただの土の壁だ。
まだ足りない。
「――{鉄壁/ウオウル}!!」
即席の防壁の硬さを強化した直後、激突音が三つ響いた。
壁は大きく揺れたが、倒れる事はなかった。
「で、出ます!」
タイラン達前衛が壁を回り込む。
「ああ!」
シルバ達後衛も、その後を追った。
どうやら、飛んできたバレットボア達は気絶しなかったらしく、前衛三人との戦いを繰り広げていた。
「ていやあっ!」
「詠静流――月光!!」
ヒイロの骨剣が唸りを上げて振るわれ、キキョウの剣閃がモンスターの一匹を貫く。
しかし、そのバレットボア達ですらまだ先兵にすぎなかったらしい。
新たな猪モンスターがさらに二頭、茂みの中から突進してきた。
「何てデタラメなんだ――{紫電/エレクト}! ヴァーミィ、セルシア、手伝うんだ!」
後衛に迫る敵を、カナリーの雷魔法と赤と青の従者が迎撃する。
波のように押し寄せてくる猪達を迎撃している内に、シルバ達のパーティーはいつしか開けた場所に出ていた。
相当に広い。
まるで闘技場のようだな、とシルバは天然の円形広場を眺めて思った。
「に……」
シルバの傍らで、リフが緊張した。
「リフ?」
「来るよ本命!」
不意に、シルバ達を巨大な影が包み込んだ。
生存本能が、考えるより早くシルバ達の身体を動かしていた。
「うわあっ!?」
影から逃れるように、シルバ達は跳躍した。
直後、これまでのバレットボアとは比べモノにならない大きさの大猪が、シルバ達がついさっきまでいた位置に落下してきた。
大きく揺れる地面、巻き起こる土煙。
尻餅をつくシルバ達どころか、何体かのバレットボアもひっくり返っていた。
のそり、と緩慢な動きで起き上がり、相手はシルバ達をにらみつける。
見上げなければ全身の見えないその巨体は、リフの父親フィリオほどもあろうか。
そして彼の周囲に、バレットボア達が集まる。バレットボア一体も、相当な大きさのはずなのだが、それでも中央のボスと比較すると小柄に見えてしまうのが不思議だ。
キャノンボアの登場だった。
ひとまず、シルバ達はキャノンボア達とジリジリと距離を取った。
このまま乱戦になると、シルバ達後衛が危険だからだ。この辺はいつもの戦闘と変わらない。
幸い、大猪達も動く様子がないので、数十メルトの間合いを取るのは容易だった。
「……んぅ?」
そのキャノンボアを見上げていたヒイロが眉をひそめているのに、シルバは気付いた。
「どうした、ヒイロ?」
「や……何か……いや、いいや。難しいこと考えるのは後回し! まずはやっつけちゃおう!」
少し悩んでいた風なヒイロだったが、首を振った。
「だな……だけど、コイツは一筋縄じゃいかなさそうだぞ」
「それはここまでの相手の攻撃を見れば、大体分かるが……」
少なくとも、普通の獣の攻め方じゃないのは確かだと、キキョウも同意見のようだ。
「どう考えても、まともじゃないね、彼らは。山の奥に知恵の実でも生い茂っているのかな」
カナリーが肩を竦めていると、リフが小さく首を振った。
「……にぃ。この土質だと多分生えない」
「冗談だよ、リフ」
「あ、相手は、30数体といった所ですか」
猪達の数を数えていたタイランの言葉に、ふとカナリーの動きが止まった。
「30?」
「は、はい。カナリーさん、それが何か……?」
「いや……」
何だか妙に覚えのある数字なんだけど……とカナリーは思い出そうとする。
しかしそれより早く、シルバが叫んだ。
「……! 前衛動け!」
「ど、どうしたシルバ殿!」
疑問を口にするが、それでも誰よりも速く、キキョウは駆け出していた。タイランも足裏の無限軌道を起動させ、それを追う。ヒイロはそのタイランの腕にしがみつき、移動は横着する。
バレットボアの何頭かは、キキョウ達の動きにビクッと反応を示したが、全体としてはほとんど微動だにしない。
それが獣としては不自然であり、最もシルバを警戒させていた。だが、実際シルバの考えを説明している余裕はなかった。
「話は後だ! あっちに態勢を整えさせるな! 特にヒイロ油断するな!」
「よく分からないけど了解!」
「タイラン、ヒイロのサポートを頼む! 俺も術で援護するから!」
「は、はい!」
「カナリー」
キキョウ達前衛の背中を睨みながら、シルバが言う。
「う、うん?」
「ヴァーミィとセルシアも使わせてくれ。全力でいかないとまずい」
「ど、どうしたんだ、シルバ。そんなに焦って」
カナリーは従者二人も前衛に向かわせつつ、疑問を口にする。
シルバは焦っていた。
自分の指示は、推測とも言えない。根拠と呼べるほどのモノもないので、これは予測にすぎない。
しかし、もし自分の考えが当たっているならば、このまま手をこまねいていたら、このパーティーは確実に全滅する……!
「……昨日、飯食ってるときにイス達の話してくれたろ? それもあって思い出した。以前、『プラチナ・クロス』にいた頃に今と似たような目に遭った事がある」
「モンスターによる待ち伏せ?」
「違う。これは――」
「に! お兄大変!」
リフの声に、シルバは絶句した。
バレットボア達を、青白い魔法光が包み込んだのだ。
もちろん猪達は呪文を唱えられない。
だが、それでも魔法を使う方法はあるのだ。
例えば、魔力を秘めたアイテムの使用。
例えば、指の印を徹底的に突き詰めて、詠唱の代用とする方法。
例えば、石に刻んだ記号から魔方陣のような大がかりなモノまで含めた、文様による発動。
「じ、『陣形』による魔法効果だって……!?」
カナリーが頭を抱えた。
「{豪拳/コングル}! それに{飛翔/フライン}!」
相手の魔法が、シルバには正確に分かった。自分自身がよく使う支援魔法だからだ。
「シルバ殿、コイツら硬い!」
バレットボアに斬りかかったキキョウが、たまらず声を上げる。
「遅かったか……陣形を整えられた! タイランと同じだ。アイツらは頑丈な壁役。そして本命は……っ!!」
「ブモオオオオオオオオオオオ!!」
これまでとは比べモノにならない大猪の雄叫びが上がった。
轟、と大地が揺れ、わずかに地面を宙に浮かせた超巨大な猪が突撃を開始する。
目標は――タイランとヒイロ。
「ひうあああっ!?」
「うわああああっ!? あ、危なーーーーーっ!?」
咄嗟に二人は二手に分かれた。
唸りと突風を撒き散らしながら、キャノンボアが彼方へと飛んでいく。森の木々を押し倒しながら、遠くで地響きが鳴った。
「ああ、さすがのヒイロでも受けきれないか」
シルバ達後衛は、既に真後ろから斜め後ろに移動していた。何となく、嫌な予感はしていたのだ。
「いくら何でも死んじゃうよ!? 飛んでるんだよ、アレ!?」
メキメキ……と気の軋む音を鳴らしながら、再びキャノンボアが姿を現わす。
ヒイロは慌てて、骨剣を構えた。
「ボクだって毎回突っ込んでる訳じゃないんだから。格下じゃないなら、避けて隙を見つけるの。それが狩りの基本でしょ」
「普段でもそれをやってくれれば、生傷がもう少し減るだろうに……」
「ま、ま、まあ細かい事は言いっこ無しで。っていうか、言ってる暇もなさそうだし!」
「ブモオオオオォォォッ!!」
巨大な牙二つを突き上げ、キャノンボアが再び雄叫びを上げる。
「よっしゃこい!!」
正面からの殴り合いと判断したのか、ヒイロはキャノンボア目がけて突撃していった。
「ヒイロ」
「何、先輩!?」
「ソイツは任せられるか?」
「予定通りでしょ? タイランも」
「は、はい!」
タイランは、ヒイロの後を追っていた。
「――手伝ってくれるしね!」
「ブモオオオッ!」
「お、お、おっかないですけどね……!」
大物はヒイロとタイランに任せておく事にした。
もちろん支援や回復等、油断は出来ないが、基本的にあちらの戦いは{単純/シンプル}だ。
要は強い方が勝つ。
しかし、バレットボアの群れの方が、シルバにとっては厄介な存在だった。
「リフ」
シルバの意を汲んでくれていたのか、リフは既に猪達の生態を読んでいた。
「にぃ……分かってる。みんな、ちゃんと『猪』。『普通』のバレットボアとキャノンボア」
つまり、そういう意味では遠慮は要らない訳だ、とシルバはホッとした。特に昨日の晩ご飯の事を考えると、それが大きい不安でもあったのだ。
「あ、あの規格外のがかい?」
カナリーが疑わしげにリフを見る。こちらはまだ少し勘違いしているようだ。
「おおきさの話じゃない」
「ああ」
一方前衛では、バレットボア達がスクラムを組み、また蠢き始めていた。
キキョウやカナリーの従者達も攻めているのだが、盾役と突撃役の二種類のバレットボアの攻めに難儀していて、他の猪達の動きを制する事が出来ない。
後方からの雷撃魔法や精霊砲も、何体かのバレットボアが身体ごと盾になって防いでしまう。
「シ、シルバ殿、また何やら始めたぞ」
「……俺には分からん。あの文様は何だ、カナリー」
キキョウ達に回復の祝福を与えつつ、シルバはカナリーに尋ねる。
「いや、僕にも分からない。魔法にはない文様だ」
カナリーは器用なモノで、彼らの動きから文様を推測していた。
切った指から垂れた血が、地面にその文様を描き出す。
しかし、それはシルバもキキョウも知らない文様だった。
「……契約精霊のしょうかん」
答えたのは、リフだった。
「リ、リフ、今なんて?」
「ぞくせいは火。対象は……じぶんたち自身!」
ぼうっ……!
とバレットボア達が、火に包まれる。
後衛三人の顔が引きつった。
「……猪が、火を纏った」
「……自分から、焼き豚になったね、シルバ」
「にぃ……あまり、おいしそうじゃない」
「これはまさか……!」
キキョウは、彼らの狙いを察したようだ。
が。
「キキョウは目の前の戦いに徹しろ! こっちはこっちで何とかする!」
言って、シルバとカナリーは後ろに下がった。
残ったのは帽子と大きなコートに身を包んだ、リフ一人。
「リフ、悪いな。サポートはするから」
「にぃ。これもおしごと」
リフのコートをまくり上げた両腕から、鋭い刃が出現する。
剣牙虎の霊獣の強力な武器、二本の牙だ。
「豚が……飛んだ」
予想通り、飛翔の魔法で何頭かのバレットボアが、キキョウ達前衛の頭上を突破した。
炎の尾を作りながら、放物線を描くバレットボア達の姿は、相当にシュールなモノだった。
「……ウチの救いは後衛の攻撃力が高いのがいる点だ。でなきゃ本気でまずかった。迎撃するぞ、二人とも!」
「当然!」
「にぃ!」
シルバは豪拳をカナリーに唱えつつ、リフの足下の霊脈に針を突き刺した。
前衛1、後衛2で炎のバレットボアを倒していく。
リフの近接攻撃とカナリーのグループ用雷魔法のお陰で何とかなってはいるが、シルバとしてはヒイロ達やキキョウ達も見なければならない。
相当に忙しかったが、まずここさえ乗り切れば何とかなると、シルバは踏んでいた。
「シルバ、連中回復まで使い始めたぞ! 君にはこれにも心当たりがあるのか?」
「何の話だよ!?」
カナリーの怒鳴り声に近い問いに、シルバもやや乱暴に尋ね返した。
「さっき言っただろう!? 前のパーティーの時に似たような目に遭った事があるって! こんな酷い目に遭った事があるのかい!?」
「そうじゃない。俺もようやく気がついたんだが……コイツらが、ただの猪モンスターじゃないとしたら?」
「ただの猪が魔法を使う訳ないだろう、シルバ!?」
リフの刃とカナリーの雷撃が、ようやく自分達を襲った炎に包まれたバレットボアの最後の一体を倒した。
一息つく。
このままだと、また新たなバレットボア達が飛んでくる。
そうなる前に、自分達も前衛と距離を詰めるしかない。そちらの方がまだ、楽なはずだ。
そう考えながら、シルバはカナリーの疑問に答えてやる事にした。
確かに『ただの猪モンスター』が魔法を使う事はない。ボア系のモンスターが、そんな事をするなんて聞いた事もない。
だが。
「そうじゃなくて。考え方が根本から違うんだよ。コイツらの戦い方は明らかに、動物離れしてる。でも俺達はこういう戦い方を知っている。俺達自身がいつもやっている事だ。敵を調べ、隙を伺い、機会があれば襲い、陣形を整え、各々の役割をこなす」
「シルバ……つまり君が言いたいのは」
「ああ」
シルバの言葉に、ようやくキキョウも気付いたようだ。
これはもはや、狩りじゃない。むしろ狩られているのは自分達の方であり……。
「――コイツら、間違いなく冒険者だ」
キャノンボアが口から放った青い息吹が、タイランの巨体を青空高くに舞い上げた。
「ヒ、ヒイロ……! 不思議な事があるんですけど……」
「ブモォ……!!」
キャノンボアは口から大量に吐き出した呼気を整える為、深く息を吸い込む。
そして脇から急襲してきたヒイロに気づくと、頭をふるってその牙で退けようとした。
「何!?」
何とか巨大な牙の一撃を、ヒイロは骨剣で何とか受け止められた。
しかし完全に衝撃は殺しきれなかったらしく、軽量級のヒイロは結局、弾き飛ばされてしまう。
「ど、どうして、絶魔コーティングされてる私が、精霊砲で吹き飛ばされているんでしょう……?」
ドガチャッと無様に地面に落下したタイランとほぼ同時に、ヒイロは二本の足で着地した。しかしダメージはあったのか、ガクッと膝をついてしまう。
それでもヒイロは目の前のキャノンボアからは、目を離さなかった。
「多分、気合い」
「気合い!?」
キャノンボアは再び突進を開始する気なのだろう、後ろ足で大量の土を削り始める。
ヒイロも骨剣を構え直す。
「じゃなきゃ、威力と一緒についてきた風圧の方じゃないかな」
タイランですら吹き飛ばされるとなると、反魔コーティングされたブーツは使えない。逆にバランスを崩した所をぶっ飛ばされるのがオチだ。
「ま、まだそっちの方が、納得がいきます……というか精霊砲を使う猪なんて初めて見ました……」
タイランも、よろよろと起き上がった。
ヒイロもタイランも生傷だらけでボロボロだ。
「さっきのは精霊砲じゃないよ。似てるけどちょっと違う」
「? ど、どういう事でしょう」
「多分気合い」
「だから気合いって何ですか!?」
そんな二人のやりとりを無視して、キャノンボアが巨大な土埃を上げながら突進してきた。わずかに浮いた身体が強烈な回転を開始し、巨大な砲弾と化していく。
「喋ってる暇が……ないっ!」
「ですね!」
二人は同時に左右に別れた。だが、キャノンボアの通り過ぎた後も強烈な衝撃波が生じ、大量の土の塊がヒイロとタイランの身体に叩きつけられる。
もっとも、あの突進が直撃するよりはマシですね、というのがタイランの見解だ。
背後で爆発にも似た衝撃音が響き、どうやらキャノンボアが森の奥で停止したらしい。……もっともすぐ復活して、こちらに現れるのだろうが。
キャノンボアが通り過ぎた跡の地面が、大きく抉れているのを見て、タイランはぞっとした。
「……というか、す、すごくおっかないんですけど。いやあの、ヒイロ? な、何をしているんですか……?」
「こうやって……こうで……」
ヒイロはというと、骨剣を槍のように構えては突き出すという奇妙な動作を繰り返していた。わずかに剣風が巻き起こるが、とてもキャノンボアの精霊砲とは比べものにならない。
「あ、うん。あれ、ボクも出せないかなって思って」
「あ、あれって精霊砲ですか!? 無茶言わないでくださいよ!? そんな思いつきでポンポン技が出せたら、キキョウさんなんてとっくに剣聖級ですよ!?」
「や、思いつきじゃないんだけど」
「ど、どういう……うはぁっ!?」
威力よりも速さを重視したのだろう。
森の中から出現した、キャノンボアの巨体がタイランを直撃した。
再び、タイランの身体が宙を舞う。
「タイラン!?」
鈍い金属音を立て、タイランの身体は地面に叩きつけられた。
「だ、大丈夫です……! 頑丈さだけが取り柄ですから……!」
「ちなみに今の技はこう――」
まだ身体を反転し切れていないキャノンボア目掛けて、ヒイロはダッシュした。
槍のように構えた骨剣がヒイロの手の中で回転し、螺旋状の気を生じていく。ドリルのようになった骨剣を、ヒイロはキャノンボアの後ろ足に叩きつけた。
「ブモオオオォォォ!!」
キャノンボアが、たまらず悲鳴を上げる。
「よし、これはいける……!」
一矢報いたヒイロは、高らかに跳躍した。狙いは反転しつつあるキャノンボアの脳天だ。
「ヒ、ヒイロ、不用意にジャンプしたらまた……!」
ギラリ、とキャノンボアの目が凶暴に光った。
血の流れる後ろ足を踏ん張り、キャノンボアも身体を回転させながら跳躍する。
「うはぁっ!?」
あっさり迎撃され、ヒイロは墜落してしまう。
「ヒ、ヒイロ!」
「平気!」
悲鳴を上げるタイランの予想に反して、あっさりヒイロは立ち上がった。
……全身を重い甲冑に身を包んでいるタイランと、タフさではほぼ互角のようだ。
「技を盗むにはまず、身体で覚える! ウチの里だとそれが常識だからね!」
「そんな常識、身体が持ちませんよ!?」
そもそも、モンスターから技を学んでどうするのか。
これは、狩猟だったのではないのか。
しかし、そんな細かい事は、ヒイロはすっかり忘れているようだった。
「うん、うんうんうん、よし。大分覚えた」
唇の端についた血を拭うと、むしろ嬉しそうに、ぶるんぶるんと骨剣を振り回す。
「お、覚えるのはいいですけど、傷だらけですよヒイロ……」
「いやあ、昔を思い出すね」
「……本当ですよ、もう」
シルバ達とパーティーを組むまでは、短い期間ではあったが共にコンビを組んでいた二人である。
キャノンボアは足が痛むのか、さっきよりはやや動きが鈍い。
それでも、並の獣とは比べものにならない速さと強さを兼ね備えている。
ドドド……と地響きを上げながら、今度はまっすぐにヒイロとタイランに襲いかかってきた。
「それにしても……これ絶対に、ただの猪モンスターじゃないですよね!?」
足裏の無限軌道をフル駆使し、何とかキャノンボアの頭突きを受け止める。その動きが止まった隙をついて、ヒイロの骨剣がキャノンボアの脳天をかち割った。
「うん。間違いなくスオウ姉ちゃんだ」
「…………」
頭を大きく振る敵から、二人は距離を取った。
「……ヒイロ、今、何と?」
「だから、ボクの――」
「ブルアァァァァア!!」
頭から血を流しながらも、キャノンボアが鋭い牙を突き上げる。突き刺さればタダではすまないそれを、ヒイロは必死に回避した。
「――くっ、機動力は何とか落としたものの、やっぱりこの牙が厄介だね。タイラン、次は牙を狙おうか!?」
「そ、それはいいんですけど……! いいんですけど、さっき、聞き捨てならない事を言いませんでしたか、ヒイロ!?」
「何だっけ?」
ずお……っと不意にキャノンボアの身体が浮いた。
「あ、あれがヒイロのお姉さんとか……きゃああああ!?」
恐ろしい重量の落下攻撃に、タイランはたまらず悲鳴を上げた。タイランはロケットアームを使って遠くの木を掴まえると、牽引力で緊急回避を試みる。
重い地響きを上がる……が間一髪、キャノンボア脅威のプレス攻撃は不発に終わった。
「あ、それ。先輩からの念話だと、化けて出た訳じゃなさそうだけどね。でも強さといい技といい、まず間違いないね」
もちろん敵の隙を見過ごすヒイロではなく、起き上がろうとするキャノンボアに二撃、三撃を加えていく。
しかし硬い毛皮と鍛え上げられた筋肉に守られたキャノンボアの肉体には、なかなかダメージが蓄積しにくい。それでも、少しずつ傷は増えつつあった。
森の端に避難していたタイランも、無限軌道を使って急いで戻って来る。
「しゃ、喋った訳でもないのにどうして確信出来るんですか……?」
「鬼族は言葉より、拳の方が通じ合う事が出来るんだよ」
復帰したキャノンボアも、度重なる負傷に、身体のあちこちから血が流れ始めている。
それを見て、やはり同じように傷だらけになっているヒイロも、好戦的に笑いながら武器を構えた。
「どうしてこんな事になったのか知らないけど、面白い」
その笑いに、何となくタイランは鬼という種族の本質を見たような気がした。
「い、いえ、そこは普通躊躇う所じゃないんでしょうか……身内……ですよね?」
「どうして? ボクは一度もスオウ姉ちゃんに勝てた事がないんだよ。それがまああんな姿になって……ますます強くなっていてくれた」
足に力を込め、ヒイロは何度目になるか分からない突撃を開始する。
「戦う動機には十分すぎる!」
「ブモォ!!」
ヒイロの骨剣とキャノンボアの牙がぶつかり合い、周囲に衝撃波が走る。
「は、入り込む余地がなくなってきています……」
タイランは鎧のスロットから回復薬を取り出した。ここはもう、回復役に徹するべきかも知れないと判断した為だ。
「うん、ごめんタイラン。コレはボク一人に仕留めさせて」
弾き飛ばされ戻ってきたヒイロに、タイランは回復薬の中身を頭からぶっかけた。
「……止めても無駄なのは、経験上知ってます。しかしどうするんですか? 彼……いえ、彼女には隙がありません。特にあの三つの技が厄介です」
「ないなら……作ればいいよ!」
腰を落とし、ヒイロは再び骨剣を真っ直ぐに構えた。
「って、そ、その構え! また突進じゃないですか!」
「鬼同士の戦いは常に真っ向勝負」
キャノンボアは猛烈に息を吸い込み始めた。
「……向こうも、同じつもりでいてくれるみたいだしね。スオウ姉ちゃん一番の得意技、『烈風剣』……いや、『烈風波』になるのかな、これは」
「お、鬼族の誇り……という奴ですか?」
「そんな大層なモンじゃないよ。ま……習慣だねっ!!」
ヒイロが駆け出した。
「精霊砲の反応、来ます!!」
「だから精霊砲じゃなくて、アレは気合いだって」
「ど、どっちでもいいですよ……ああ、本当に真正面から! そんな事したら……え?」
ヒイロは剣を逆手に持ち、左手で峰をサポート。
巨大な骨剣を盾にして、キャノンボアの猛烈な呼気を左右に割り、そのまま突き進む。
「気合いには、気合いで勝負……っ!」
「ブルゥ……!!」
キャノンボアの呼気が尽きた時、ヒイロは既に間合いに入っていた。
「取った!」
「いえ……遅いです!」
間髪入れず突き上げられた牙が、ヒイロの腹に突き刺さった。
「ヒイロ……!」
腹を刺され、高らかに宙に浮いたまま、ヒイロは笑った。
「れ……」
口元から血を吐きながら、手の中にある骨剣にヒイロの気合いが集中する。
風を纏う骨剣を両手で握りしめ、渾身の力を込めて振り下ろした。
「烈風剣っ!!」
どごん!!
と、巨大な鉄槌で肉を叩くような音が響き、キャノンボアの額が陥没した。
「ブモァ……!?」
短い悲鳴を上げ、キャノンボアの身体がビクリッと電流を流したかのように痙攣する。
……直後、全身が脱力し、巨大な猪モンスターは、大地に崩れ落ちた。
「ふぃ……死ぬかと思った……痛ちち」
ヒイロは自分に突き刺さったままの牙を、後ずさりしながら引き抜いていく。
「む、無茶しすぎですよぉ、ヒイロ……急所は外しているんでしょうね?」
「多分ね。ま、とにかくこっちは終わったし、次は向こうに合流しよう。この傷も、先輩に治してもらわないと」
ようやく牙が抜けた傷跡からは、当然ながらドクドクと血が流れ出していた。
「う、動いちゃ駄目です……! 私が運びますから!」
慌ててタイランは回復薬の残りをヒイロにぶっかけ、その身体を背負った。
「へへー、勝った勝った。やっと勝てたー」
「はいはい……もう、背中ではしゃがないでくださいね……?」
ようやく後衛への攻めが一段落したお陰で、説得の時間が出来た。
リフとカナリーが見守る中、シルバは大真面目な顔でタイランを見上げる。
「タイラン、頼む! お前にしか頼めない事なんだ!」
「は、はい……な、何でしょう? 私で出来る事でしたら……」
「俺と……一つになってくれ!」
「は、はい……え? は? えええぇぇーーーーー!?」
――などという事態になった理由を語るには、五分ほど前に遡る。
状況は極めて厳しかった。
「とにかく炎が厄介だ」
「に」
回転しながら猛烈な勢いで飛来してくる炎のバレットボアを迎撃しつつ、シルバが言う。精神共有もオープンにしているものの、この距離だと直接離した方が手っ取り早い。
「前衛も攻め難く、後衛はお前やカナリーが頑張ってくれてるけど」
「にぃ……熱いの苦手」
「木属性だからね、無理もない。下手をすると燃えてしまうかも知れない。僕の雷撃魔法も炎とはあまり相性がよくない」
おまけにバレットボアは一度に二、三頭で攻めてくる。
一頭を相手にするのと複数を相手にするのでは、労力が段違いだ。今でこそ何とかなってはいるものの、このままでは押し切られてしまう。
「そして次に連中の陣形。特にあの肉の壁状態を何とかしないとどうにもならない」
残っている炎のバレットボア達は仕切りに蠢き、新たな陣形を描いて魔法を展開する。何がキツイといって{鉄壁/ウオウル}に加え、{大盾/ラシルド}まで使うという点だ。
……シルバにとってはまるで鏡を見ているような相手の戦い振りだが、いざ自分が相手をするとなると、面倒な事この上ない。
こちらが{崩壁/シルダン}を使った所で、すぐにまた向こうが{鉄壁/ウオウル}を張り直すのは目に見えているので、手が出せないのだ。
キキョウやカナリーの従者達が奮闘してくれているけれど、攻めあぐねているのは明らかだった。
「アレを突破したとしてその先は?」
カナリーの問いに、シルバは考えを進める。
「俺の見た所、連中は獣だが明らかに戦い方は冒険者、もしくは軍のそれだ。となると必ず指揮官がいる。おそらく精霊使いのな。そいつを倒せばいい。だが、前提としてやはりあの壁は崩さないと駄目だ。それにあの壁も決して弱点がない訳じゃない」
「というと?」
「ブモオオ!!」
カナリーに向かって猛突進してきたバレットボアを、リフの腕から飛び出ている刃の一閃が仕留める。
軽く息を切らせるリフを、シルバの{回復/ヒルタン}の青白い聖光が包み込んだ。
「今回の戦いで分かった事がある。俺達のパーティーのメンバーに、敵が執着している奴が二人いる」
シルバはカナリーと、遠くにいるキキョウを指差した。
「お前とキキョウだ」
(某か!?)
前衛に立ち、炎の猪達を相手取っていたキキョウが驚愕したのが、念話越しに伝わってきた。
「……猪に恨まれる覚えはないんだけどね」
カナリーもぼやく。
「説明は後でするけど、そこは二人に何とかしてもらう。後は、キキョウが抜けてから正面突破が可能な戦力が整えば……」
いくら炎がなくなり陣形が崩れた所で、バレットボア達はただ単独でも脅威だ。強い攻撃力が必要だ。
その時、やや離れた場所からヒイロの念話が飛んできた。
(こっち終わったー! 今から合流するよー)
「ジャスト・タイミング」
これで、作戦に必要な駒は揃った。
熱と戦いの疲労で汗だくになっていたキキョウとバレットボアの間に、小柄な鬼が割り込んできた。
「どっかーん!!」
勢いよく、炎の猪を骨剣で殴りつけたのはヒイロだ。
「ヒイロ、連戦ご苦労!」
「キキョウさんこそ大丈夫? ずいぶん服焦げてるみたいだけど」
「ああ、それが厄介でな! まずはこの炎をシルバ殿に消してもらう。話はそれからだ!」
「了解! じゃ、せいぜいヤケドしないように頑張るとしましょーか!」
「うむ……!」
バレットボア達が、ヒイロに敵意の視線を向ける。
「むぅ……?」
その目つきに、キキョウは何だか妙に見覚えがあるような気がしていた。
そして時間は戻る。
タイランは後衛のポジションに戻されていた。
「ど、どういう事なのでしょうか……?」
「時間がないから簡潔に説明するぞ。炎には水で対抗だ。これは単純で俺が何が言いたいかは分かってもらえると思う」
「……わ、私が出ていいんでしょうか……?」
タイランは諸事情で、現在の重甲冑から出る事が出来ない。それはパーティーのみんなも分かっている事だ。
「いいんだ。その方法も考えた」
シルバは地面に木の枝で書いた文様を示した。
「この文様は?」
「敵が使ってた炎の精霊との契約文様の応用。正式なモノじゃなくて、俺とカナリーが自分達なりにアレンジして作った非常にヤバイモノだけど、リフのオーケーが出たから大丈夫なはずだ。あとはお前の了承があれば簡易ながら契約は成立する」
タイランは、炎に包まれ突進を繰り返す、前衛のバレットボア達を見た。
改めて、シルバを見直す。
「……つ、つまり、私とシルバさんが一つにって、そういう意味ですか?」
「ああ。ちょうどアイツらと同じような感じになる」
タイランの問題は力を使うと不安定になり、混成属性になるという点にある。これが察知されると困った事情になるのだ。
それを解決するのがこの手段、つまりシルバの身体に憑依していれば、水の精霊として安定するというのがリフの話だった。
基本的にタイランはシルバに憑依する以外何もしない。水の精霊としての力を行使するのは、シルバの限界までだ。
「……なるほど、理には適いますけど……シルバさんのお身体は大丈夫なんですか? そんなぶっつけ本番の実験みたいな真似」
「俺だからいいんだよ」
シルバは懐から、狐の面を覗かせた。
「何せ俺は一回やってる」
「……分かりました。じゃあ、よろしくお願いします」
「ああ。んじゃいくぞ」
「は、はい……」
タイランは重装甲の前面を展開し、青い燐光を放つ精霊としての本体を出現させた。
地面に描いた文様を挟んで、二人は呪文を紡ぎ始める。
「水の精霊よ。我が肉体に宿り、悪しき元素に立ち向かう力を与えたまえ……!」
「我が名タイラン・ハーベスタの真名をもて、この者に望む力を与えます。その力を一つに……融け合わせましょう」
二人の手の平が重なり合う。
眩い青光が発せられたかと思うと、タイラン本体の姿は消えていた。
「…………」
シルバはと言えば、青白い燐光に包まれていた。
肌や瞳の白目部分も青みがかり、どことなく耳も尖っている。
(せ、成功ですか……?)
「ああ、うまくいった」
(ですけど……まだ問題は残っています。この距離からだと、全力でもちょっと火を消すには……それにシルバさんの魔力量も……)
「その点も考えてある」
シルバは、ほぅと感心しているカナリーと、前衛に精霊砲を飛ばしているリフに声を掛けた。
「それじゃ、合図をしたら作戦開始だ」
「了解。しっかりね、シルラン」
酷いカナリーの言いようだった。
「混ぜるなっての」
作戦開始だ。
「じゃあ、行くぞ」
シルバは懐から針を出し、霊道の入り口に刺した。
(あ……)
「気がついたか、タイラン。そういう事だ」
それからふと思い出し、シルバは自分の掛けていた精霊眼鏡を、カナリーに渡した。
「貸しとく。今の俺には必要なさそうだし」
「うん? そうかい。せっかくだし、お言葉に甘えよう」
カナリーは眼鏡を受け取った。
「にぃ……」
なんだか、リフは羨ましそうだったので、カナリーは苦笑した。
「あとでリフにも貸してあげるよ。もっとも、君には本来必要ない物なんだけどね」
気がつくと、シルバは消えていた。
霊道を使って、シルバは敵の真上に立った。
「ブモッ!?」
気がついたバレットボア達の目が、驚愕に見開かれる。
シルバはタイランの精霊の力を駆使して、空中での位置を保持。
そのまま、高らかに片手を青空に掲げた。
「天候の女神ムカナタよ! 汝の巫女サリカ・ウィンディンの名を知りし我が祈りを捧げます! 大地を灼く炎の群れの鎮めを助け給えっ!!」
サリカ・ウィンディンという名前が出た途端、それまでの晴れた空が一転、雷の火花を覗かせる黒雲に包まれた。
名前を借りただけではあくまでこれが限界だ。
だが、それで充分だった。
「全力で行くぞ、タイラン!!」
(は、はい……せーの!!)
「({急雨/スコウル})!!」
シルバの腕が下がると同時に、豪雨が降り注いだ。
「ブ、ブモオオオオオ……!?」
眼下のバレットボア達が動揺する。
木桶をひっくり返したような雨量が相手では、さすがに火の精霊も敵わない。
必死に陣形を整えては見たものの、火の精霊の再出はなかった。
「よし、上手くいった……!」
ずぶ濡れになりながら、空中でガッツポーズを作るシルバ。
(あ、あの……シルバさん)
不意に自分の中から、タイランの声が響いてきた。
「何だ、タイラン」
(サリカ・ウィンディンさんってどなたなんでしょう……?)
「まあ、それはおいおい」
それより今は戦いに集中するときだ。
「火が消えた!」
シルバと同じく、ヒイロやキキョウもずぶ濡れになっていた。
「では、後は任せたぞヒイロ」
「あ、うん。キキョウさんもしっかりね」
キキョウは髪の雫を手で払うと、大急ぎで右手へと駆け出した。
うっかりするとぬかるんだ地面で転びそうになるが、さすがにそんなヘマをするキキョウではない。
「本当に上手くいくのだろうな、これは……!」
振り返ると、自分とは真逆、左手へカナリーが飛翔していた。
昼間のカナリーは吸血鬼としての性能がかなり落ちているはずなので、おそらくは頭上にいるシルバの支援だろう。使ったのは、{飛翔/フライン}と{加速/スパーダ}といったところか。
そのカナリーから念話が飛んできた。
(別も僕の事は信じなくてもいいよ。でも、シルバの頼みでもあるんだ)
「……な、ならば、全力で応えるのみだ」
自分とは正反対の方向に駆けていくキキョウを眺め、カナリーは苦笑した。
「扱いやすいねえどうも……ま」
それから真面目な表情に戻った。
「……私も逆の立場なら同じ穴の貉だから、人の事は言えないけど」
照れた顔で金色の髪を弄りながら、バレットボアの群れから充分な距離を取れたのを見計らい、彼女は叫んだ。
「「敵はこっちだぞ、猪達!!」」
キキョウと声が重なりその途端、バレットボアの陣形が何故か一気に崩壊した。
猪達の多くが左右に分かれ、カナリーとキキョウを猛烈な勢いで追い始めたのだ。
「すごい! ホントにひらいた!」
ヒイロの快哉がカナリーの耳に届く。
もっともカナリーはこれからひたすら逃走だ。十頭近いバレットボアの群れを相手にするほど、カナリーは無謀ではない。シルバの支援と集団用の魔法があると言っても、追いつかれたらアウトなのだ。
その一方で、猪達の目つきにようやくカナリーは得心がいった。
「……なるほどね、そういう事か」
てっきりこれまで、何らかの恨みで猪達が自分を狙っているのだと思っていたが、とんだ勘違いだ。
道理で覚えのある目つきだと思った。アレはいつも街中や学習院で女性達から受ける視線とそっくりなのだ。
――彼ら、いや、『彼女達』が自分に向けているのは、好意の視線だ。
黒雲は既に下がり、徐々に再び青空を見せ始めている。
「うし、それじゃ正面突破!!」
左右にばらけるバレットボアとほぼ同時に、ヒイロは動き出していた。
バレットボアの陣形は完全に崩れていた。
そのすぐ脇を、カナリーの従者であるヴァーミィとセルシアが並走する。
頭上からは弓なりに、リフの精霊砲が掩護射撃に入ってくれていた。
「ありがと、リフちゃん!」
「に!」
彼女達の頭上からシルバの声が響く。
「ヒイロ、リフ、そのまままっすぐ! 正面の相手を倒したその先にボスがいる!」
「らじゃ!」
「に!」
ヒイロは目の前のバレットボア目がけて、勢いよく骨剣を振り下ろした。
「ブ、ブルルルル……」
仲間のバレットボアに囲まれていた一頭は、唸りながら蹄で地面を引っ掻いていた。
やがて地面に不格好な文様が刻み終わると、たった一頭だけその猪は火の精霊に包まれる。
しかしその直後。
「ブモッ!?」
真上から大量の水をぶっかけられ、火の精霊は散ってしまった。
「させるかよ」
青白い燐光に包まれた司祭服の少年が、自分を見下ろしていた。
彼はバレットボアから視線を外し、彼方を見た。
「ヒイロ! 最後の{豪拳/コングル}だ!」
「あいさーっ!!」
直後、彼、いや『彼女』を守っていたバレットボア達が、遠くからの精霊砲の砲撃で倒され、赤と青のドレスの女に蹴り上げられ、おまけに巨大な骨剣を抱えた小柄な鬼が突っ込んできた。
強烈な風が吹いたかと思うと、とてつもない衝撃が『彼女』の身体を吹っ飛ばしていた。
「ブモオオオオオオォォォ……!?」
戦いが終わり、シルバはようやく着陸した。
その場に尻餅をつく。
完全に魔力切れだ。特に空中には浮遊を維持するので精一杯だった。
ボスがいなくなると、残っていたバレットボア達も次々と意識を失い、倒れていったようだ。
「これにて、決着」
「めでたしめでたし」
ヒイロは、追いついてきたリフとハイタッチを決めていた。赤と青の従者はどこか笑みに似た無表情で、そんな二人に拍手を送る。
一方、左右を見渡すと、シルバと同じように、カナリーとキキョウもへたり込んでいた。
「し、死ぬかと思った……いや、むしろ怖かった」
「……う、うむ、同感」
タイランと分かれると、改めて疲労がドッと来た。
地面は濡れているので、適当な大岩にみんなで腰掛けた。
「身体は大丈夫か、シルバ殿」
泥だらけの着物のあちこちに焦げ目を付けながら、キキョウが心配そうにシルバを見ていた。
「あ、へーきへーき。前みたいな無茶はしてないし。ただ、ちょっと魔力は完全に尽きてるから、ポーションは欲しいかな……っと」
すると、首筋に何やら冷たい感触が触れたかと思うと、妙に性感を刺激されるエネルギーが流れ込んできた。
「こっちの方が手っ取り早い。奪い取れる相手ならそこいらにいるしね」
言って、首筋から魔力を流し込んでいるのは、カナリーだった。
一方タイランは、再び重装甲冑の中に戻っていた。
「そ、それで彼らの正体は一体何だったのでしょう」
「猪達は、本来は野生のモノだった……らしい。それに何かが取り憑いてたって感じみたいだな。リフの話だと」
「に」
シルバの言葉に、リフが頷く。
「死霊使いが似たような技を使うし、陣形魔法や精霊と一体化するなんて高等技術を使ってた所から考えると、多分精霊使いの軍人かそれに近い者がボスだったんじゃないかと思う。本来の群れのボスはキャノンボアだったんだろうけどな」
「しかし……この数はさすがに食べきれないだろう」
キキョウは呆れたように広場を眺め回した。
まさしく死屍累累といった感じで、バレットボア達が倒れている。幾つか焼けているのは、炎に包まれたまま倒されたモノだろう。
水に濡らしたのはもったいなかったかも知れないと、シルバは思った。
「だったらボクが全部――」
ヒイロが何が言いたいのか、最後まで聞くまでもなかった。
「お前なら出来るかも知れないけど、食物連鎖ってのもあるんだよ。やり過ぎはよくない。ま、仕留めた分だけは回収して後は放置でいいと思う。徒党を組んでたから脅威なんだし、今まで通りに戻るなら村の人達も納得してくれるだろ」
「に……お兄、奥にまだ何かありそう」
「黒幕かね」
「にぃ……たぶん」
「じゃ、ちょっと休憩してから行ってみるか」
シルバの言葉に、全員が頷いた。
※という訳で戦闘パート終了。
普段の倍増でお送りしました(それでも量は大した事ありませんが)。いや、切れる所がなくて……。
次回からは通常更新にしたいところ。
前回不評だったので今回はちょっと気をつけて書いてみました……まあ、あんまり変わらないかも知れませんが。
「サリカ・ウィンディンって誰?」って方は、番外編の『補給部隊がいく』をご覧下さい。