港町であるシェルギスに到着したのは、すでに日が暮れ、青い闇があたりを包み始めたころだった。
陽のあるうちには辿りつけなかったので、もちろん、街壁の大門は固く閉ざされている。
なので、街壁から少し離れた木陰に馬車をつなぎ、いつものように野営をしていた。周囲では他にも何人もの旅人が同じようにテントを張ったり、馬車の中でくつろいだりしている。
時間が時間であるためか、そこここで煮炊きをしている為、おいしそうな匂いが漂っていてアルフィナは軽い空腹を覚えた。
シェルギスはかなり大きな街らしく、旅人をあてこんでの屋台もたくさん出ている。特に多いのは食べ物や飲み物を商う屋台だった。
(スープとかをどうやって売るのかしら?スープ皿ごと?ううん、それじゃあ皿が足りなくなちゃうわ)
よく見ているとスープの屋台に近づく旅人は自身の木のボウルを手にしていたり、鍋を手にしている。
(なるほど、お鍋とかを自分で持っていくんだ)
城壁の外にはちょっとした小さな町ができていて、アルフィナには見るもの聞くものすべてが珍しい。思わずじーっと見つめてしまうこともしばしばだ。
「にぎやかですね」
「そうか?少し数が減ってるように思えるぞ」
イシュラが、野営の準備をする手を止めてぐるりと周囲を見回す。以前は関所の壁に沿ってぎっしりあった屋台だが、端の方はまばらになっている。
「せんそうのえいきょうがあるのだろう。……たしょうはなれていようとも、けっきょくはすべておなじたいりくでのことだからな」
「そうですね」
道中に聞いた話では、イシュラとシェスティリエの祖国である帝国は、未だ戦の最中にある。
「当分続くだろうな」
「……おそらくブラウツェンベルグがほろぶまでな」
「ブラウツェンベルグが負けるんですか?」
ルドクが驚きの声をあげる。
「……ま、最後に勝つのは帝国だろうな」
イシュラはシェスティリエの言葉にうなづいた。
別にシェスティリエの言葉だから、というわけではない。ちゃんとイシュラにはうなづくだけの根拠がある。
「どうしてですか?お二人の祖国であることはお聞きしましたが……」
アルフィナもあまりにも自信たっぷりにうなづくイシュラに疑問を覚えた。
「帝国にはまだ切り札がある」
「切り札?」
「……『帝国の剣』」
言葉少なくイシュラは言うのを、シェスティリエはそうだというようにうなづく。
「わかりやすく言うのなら、帝国の皇子と彼らが率いる騎士団のことだ。ゴクラクチョウのバカ皇子はどうしょうもねえが、あそこは副官が帝国有数の騎士だし、騎士団としては特に問題ない」
帝国はまだ一本もその剣を抜いていない、とイシュラは言う。
「確か、皇子様は五人ですよね?」
屋敷の奥深くで暮らしていたとはいえ、アルフィナは貴族の娘だ。周辺国家の帝室の家系図くらいはさっと頭の中に描ける。
「そうだ。でも、第三皇子は婿にいってるから数に入らない。で、第五皇子はまだ幼児だ。騎士団が結成されるのは皇子が成人する15歳前後だから、今あるのは三団だな。どの騎士団も強いが……何といっても、王太子ラスティア=レーディスと黒騎士団の強さは大陸最強といってもいいだろう」
帝国の武人だったからこそ、末席とはいえ軍籍に身を置いていたイシュラだからこそ、その強さを知っている。そして、だからこそラシュガークが救援されなかったことが腹だたしい。
「そもそものこくりょくがちがうのだ。たかだか200ねんていどしかへておらぬくにと、1000ねんていこくとよばれるていこくとでは、そこぢからがちがう。まあ、その1000ねんていこくもふはいがすすんでおるが……ブラウツェンベルグにまけるほどではない」
シェスティリエは言う。それは別に愛国心からというわけではない。ただの事実だった。
「いくさがあと2ねんつづいたら、ブラウツェンベルグはおわりだ」
「どうしてですか?」
「戦争っつーのは金がかかるのさ。ブラウツェンベルグに2年も戦争をし続けるだけの金はないな」
イシュラは口の端だけで笑ってみせる。その笑みにはどこか冷ややかさがあるとルドクは思う。
基本的に貴族やら国の偉い人間やら、彼らが為すことというものをイシュラは嫌っている。だからこの手の話になるとその語調にはごく自然に皮肉げな響きが混じる。
「帝国には……」
「ある。帝国は豊かな国だからな」
イシュラはきっぱりと言い切った。
「『とみ』のちくせきがだんちがいなのだ」
国が長く続くということはそういうことだ、と幼い声は付け加えた。
「だからこそ、ブラウツェンベルグは帝国を……正確には、帝国の西方領土の一部を欲して事を起したのだろう。帝国有数の穀倉地帯であるエゾールか、それがダメでも国境の商業都市フェルシアくらいはってとこだろうな」
「でも、それはかなわない?」
「無論だ。帝国が帝国として成立してより、その領土を割譲したことは一度もない」
「え、でも、ファース銅山は、スティフィア大公国に譲渡されたのでは?」
思わずアルフィナは口を挟んだ。外に出られなかった分、アルフィナは同年代の貴族の少女に比べて知識が豊富だ。彼女の叔父は彼女にいろいろなことを教えてくれていた。
特に、周辺国家の近代の歴史については、伯爵家が外交に携わる家柄だった為にかなり詳しい。
これまでは役に立つと思ったことなど一度もなかったが、こうして話しているとそれも決して無駄なことではなかったのだと思える。
「違うな。あれは、大公妃となられたフェルレイナ皇女の化粧料だ。皇女が生きている間はスティフィアのものだが、皇女が死んだら帝国領に戻る。帝国は、他国に婿や嫁に出す皇子、皇女の化粧料をつけるが、その子供たちに相続は認めない。割譲というよりは貸与というべきだろう」
「……そうなんですか」
話に加わっていないイリは、まったく興味がないのだろう。彼らの話に耳を傾ける様子もなく、シェスティリエの座りやすいようにクッションを並べ、いそいそとシェスティリエの好きなお茶の準備をはじめる。
イリにとって、シェスティリエに関わらないことはすべてどうでもいいことに分類される。お茶の準備のほうがよほど大事だった。
途中でそれに気づいたアルフィナも準備を手伝って、湿っ気ないように厳重にしまっていたクッキーを皿に並べる。
そして、お茶の準備が整っていることに気づいたシェスティリエは、当たり前のようにしつらえられた自分の席に座った。
基本、シェスティリエは何でも自分でできるが、仕えられることにも慣れている。
「それが原因で戦になったこともあったんじゃねえの?」
「そうだな。……むしろ、すぐにへんかんしないことをりゆうにいくさをふっかけて、いつもていこくがじこくのりょうどをふやしていたな」
「……美人局?」
「にたようなものだ」
イリは、魔法瓶のお湯を使って柔らかなトゥーラという白い小さな花の香りのするお茶を1人分だけいれた。清々しいまでにシェスティリエ中心だった。
その後をついで、アルフィナがイリや自分の分も含めた四人分をいれる。
「あー、茶くらいじゃ足らねえだろ。ルドク、何かメシになりそうなんもん調達してきてくれや」
「あ、そうですね。その間はお茶で我慢していてくださいね」
いつものことながら苦笑を禁じえないイシュラが、ルドクに言う。
この一行の財布を預かっているのはルドクだ。よく気がつき、交渉に慣れているルドクは買い物が上手い。この旅の道中に更にその能力には磨きがかかったようだった。
シェスティリエは一度任せてしまうとほとんど文句を言わない。それがルドクにはやりにくくもあり、信用されているようでうれしかった。
「これがザワル……薄焼きパンでいろいろな具を巻いたものです。僕のお勧めはこの仔羊の肉と玉ねぎを焼いたものですね。あ、このチーズがとろけているハムのものも捨てがたいです。それから、これがファスカ……この地方にいるドワル鳥のシチューです。多めに買ってきましたから……。あとデザートは少し時期が早いですが冬苺です」
簡易な卓の上に次々と並べられるザワルは10個以上ある。
鍋にたっぷり買ってきたシチューは、イリが暖めなおして簡素な木椀によそう。さすがのイリも食事の時間だけはちゃんと人数分用意する。
そして、目を引くのはつややかな赤い果実だ。まるで紅玉のような鮮やかな赤は食卓を華やかにしてくれる。
シェスティリエは食べ物に不満を漏らすことはないが、果実はかなり好んでいるのをルドクは知っていたので、可能な限り用意するようにしていた。
シェスティリエの表情がほんの少し緩んでいるのを目にすると、ルドクは任務を見事遂行したような満足感と達成感を覚えることができるのだ。
「お、うーまそ。ほい、姫さん」
「ん」
イシュラはシェスティリエが最も好むだろうチーズとハムのものを手渡す。それから、イリとアルフィナが自分の食べたいものを食べたいだけ手にし、ルドクが選ぶ。その残りがイシュラのものだ。
(おいしい)
「ほんと、おいしいです。このちょっと甘いソースが好きです」
「たべやすくてべんりだな」
「喜んでもらえると嬉しいです。いや~、ちょっと目うつりしちゃったんですけど、ザワルの屋台のおじさんがもう店じまいだからまとめて買ってくれるんなら安くしてくれるっていうんで……」
その笑顔はどこまでもにこやかだ。
「……いくら負けさせたんだ?」
「全部まとめて、半額に」
(ルドクさん、すごいんだよ。シチューは鍋一杯なのに3人前で買ったんだって)
「お買い物上手なんですね」
「いやいや、本当は時間があればもう一声お願いしたいところだったんですけどね。あんまりお待たせしてもわるいので」
でも、お得な買い物をすると幸せな気分になれますよね!とルドクはたいそう上機嫌に言った。
「……屋台のおっさんには別の意見がありそうだよな」
「はい?」
何かいいましたか?というように、ルドクは軽く首をかしげる。
それが天然なのか故意なのかイシュラには判別がつかなかった。出会ったばかりのルドクであれば間違いなく前者であるといえたが、旅を続けてきてイシュラやシェスティリエに程よく染まってしまったルドクでは判別が微妙だった。
「いいや、なんでもねぇ」
イシュラは軽く肩をすくめた。結局のところ、それはイシュラにとってたいした問題となりえない。
イシュラにとって大切なのは、シェスティリエがおいしそうに食べていることだった。そして、そういう意味ではイシュラは決してイリを笑えない。本人に自覚はまったくなかったが。
「ここで今夜一晩過ごしたら、明日は船ですね」
(じそうせん!!)
「あー、どうだろうな。正式な国境だし、船にのればそのまま皇国だ。そのまえにいろいろ手続きとか厄介なことがあるだろうな」
「手続き?」
アルフィナの表情が曇る。
これまでは見咎められることなどまったくなかった。けれど、アルフィナは自分の身がとても厄介である自覚があるので、つい不安になる。
「安心して大丈夫ですよ。屋台の人たちにもいろいろ聞きましたが、切符が買えれば、手続き自体はそれほどかからないそうです。旅券の改めと簡単な聞き取りで、巡礼は聞き取りだけらしいですから」
「何を聞かれるんですか?」
「皇国へ渡る目的と現在の健康状況とかそういうのです。まあ、馬車を売ったりとかしなければならないので多少時間はかかると思いますが、急ぐのであれば明日の夕方の便には乗れると思います」
(ばしゃ、うるの?)
馬車を売るということは馬も売ってしまうのだろう。旅の間、馬の世話を熱心にしていたイリにはちょっとだけ辛い。
「ええ。それで、向こうでまた買います。もしくは、馬車を雇うか……それは到着してからの話ですね。馬車ごと渡すことも可能ですけど、それだと高くつくんです」
(にもつはどうするの?)
「身の回りのもの以外は、信頼できる荷運びに大聖堂まで運んでもらいます」
「なくなったりしないんですか?」
「にもつにかんしてはあんずるひつようはない」
『呪』をかけておくからな、と当たり前のように言う。
「たいしたりょうでもない。ふういんして、めじるしをつけておけばいい」
「よくわからねーんですが、それで盗まれないっつーこと?」
「ぬすまれてもあけられないし、とりもどせるということだ」
「なら、いいですね」
姫さんのもんが、誰かの手に渡らなければそれでいい、とイシュラはつぶやく。
「おまえは、わたしちゅうしんにかんがえすぎだ」
「俺は姫さんの騎士ですから」
当たり前だという口調に、ルドクたちも同調するようにうなづく。
(なんか、わたしのまわりは、こういうにんげんばかりなきがする)
現在も、過去も。
そういう星回りの下に生まれたのかもしれないとシェスティリエは小さく溜息をついた。
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2010.10.31 初出
2010.11.15 手直し
13ヶ月ぶりになります。お久しぶりです。
また、読んでいただけると幸いです。
少し短いですが、ここで一区切り。
続きは1週間以内に更新予定です。