「ファナ・シェスティリエと、侍者が三人に、聖従者様がお一人ですね……えーと、こちらがファナでいらっしゃいますか?」
国境の関所の係官は、荷台のアルフィナの上に視線をさまよわせ、そして、御者台のシェスティリエに目を留める。
「そうだ」
関所では、常にシェスティリエの幼さを驚かれる。だが、法衣をまとうシェスティリエの姿は、いかにも聖職者らしく見えるのだろう。不思議な事に、係官は例外なくすぐに納得する。
今回も確認の為のチェックはすぐに済んだ。まったく疑われもしなかった。
「御身の上に、神の導きの光があらんことを」
「そなたのうえに、さいわいがありますように」
決まり文句の挨拶を交わし、シェスティリエが聖印を切る。
係官は、少しだけ嬉しそうな顔をした。
聖職者に聖印をいただくというのは、祈祷を受けたと同じとされる。聖印を受ければ受けただけ、神の加護を受けられると考えられていて、だからこそ、人々は休日礼拝に熱心に通うのだ。
「また、なにもためされなかった」
ちょっとだけがっかりしているのも、最早おなじみの光景だ。
シェスティリエの場合、その幼さが珍しい為に、逆に一度も偽者だと疑われた事がない。
「偽聖職者をでっちあげるにしても、わざわざシェスさまのような幼い子供にやらせないですからね……」
荷台からその様子を見ていたルドクが苦笑する。
「なぜですか?」
アルフィナは首を傾げた。イリはシェスティリエの隣で御者台に座っている。
手綱を握るイシュラの隣がシェスティリエでその隣にイリが座っているというわけだ。スペース的な問題で、さすがにアルフィナまでが御者台に行く事はできなかった。
「シェスさまのサイズでは、法衣も外套もすべてオーダーメイドになります。服屋ではまず買えないサイズですから……コストとして割高です」
「服屋……お店で服が売ってるんですか?」
アルフィナは軽く目を見開く。
「ええ、そうです。アルフィナさんは知らないでしょうけど、服屋っていうのは中古の服を売買しているんです。サイズが合わなかったり着られなくなったり、もういらない服を買い取ってくれて、それを洗濯して、いろいろサイズごとにならべて売っています。店によっては手を加えて最新のデザインに近づけたりしているところもあります」
「誰かがいらなくなった服を、サイズが合う人が買って着るんですね?」
「はい。簡単なサイズなおしならその場でやってくれますよ。服屋とか洋服店と言ったら、普通はそういう店をさします。オーダーメイドができる人は、仕立て屋に行きますから」
自分で服地を買って簡単に仕立てる人もいますけどね、とルドクは説明してくれる。
アルフィナにとって、ルドクは日常生活の先生だ。シェスティリエとイシュラはまったく例にならず、イリはシェスティリエしか目に入らない為、必然的にそうなった。
「初めて知りました」
アルフィナは素直に感心する。彼女の場合、洋服とは仕立てるものだった。
好きな生地を選び、仕立て屋とデザインの打ち合わせをし、手持ちの宝飾品と合わせることを考えながら、いろいろと工夫するのが楽しみだった。
「服屋には、聖職者の法衣は必ず何枚かあるものなんです」
「なぜですか?」
「正式に御役についている聖職者の方は、毎年、法衣が支給されますから……数が多くなれば、古いのは売るということでしょうね」
デザインに規定があるから、流行とかありませんし、とルドクは笑う。
「そうなんですね。……勉強になります」
ありがとう、ルドクさん、と礼を言ったら、ルドクは、どういたしまして、と照れくさそうに笑った。
(毎日、いろいろなことを教えられる……)
一つ一つ知るたびに、新たな驚きと小さな感動がある。
それは、アルフィナにとって、自分が確かに成長しているのだと言う実感だ。
もう、己を卑下して何もできないでいた自分ではない。ちゃんと、前に進んでいるのだと思える。……そのことが、何よりも嬉しい。
(このまま何事もなく皇国へ着けますように……)
祈るように、アルフィナはそう思っていた。
係官の簡単なチェックが終わると、そのまますぐに門に案内された。
リスタのように、関所はあるものの、迷いの森に接している為に壁が無いような場所とは違って、高い壁がぐるりとそびえ立っている。門は、巻き上げ式の巨大なものだった。
表面になされた浮き彫りは、フェルシア王国の建国の起源である一角獣と乙女との物語をつづったものらしい。
「どうぞ、道中、お気をつけください、ファナ」
「旅のご無事をお祈りします、ファナ」
門衛の兵士達からも声がかかる。
「ありがとう」
シェスティリエは、口元にわずかに笑みを浮かべ、軽く手を振った。
(おお、姫さん、ネコかぶりモード発動中だな)
ルドクとイシュラの間では、シェスティリエの状態は素のまま以外に『ネコかぶりモード(ご令嬢モード)』と『お姫様モード』と『女王様モード』の三種類があると確認されている。
ネコかぶりモードというのがやや丁寧口調な時で、それの最上級がお姫様モードだ。そして、女王様モードというのが、あの悪役笑いをする時である。素に一番近いのは女王様モードだろう。
シェスティリエは、それらをごく自然に使い分けている。本人に言わせれば、敬意をはらわねばならない相手ならおのずと丁寧な口調になるものだというが、イシュラはあやしいと思っている。
「……アルフィナ、よくみておくがよい」
御者台から、振り返る。
「はい」
荷台から、小さな声がする。
「とうぶん、かえることのない、そなたのそこくのけしきだ」
目に焼き付けておくが良い、と告げられた言葉に、アルフィナはうなづいた。
「はい」
一生帰ることはない、と言わなかったのはシェスティリエの優しさなのだろう。
(……王妃とやらが生きている限り、難しいからな)
だが、王妃が死んでも、その子供達がいる限り無理かもしれない、とイシュラは考える。
(まあ、オレにはあんまり関係ねえな)
からからと音を立てて、馬車は国境の門を抜ける。
イシュラは安堵の息を吐き、ちらりと荷台を振り返った。
ルドクはほっと息を吐き何やら神妙そうな表情をし、アルフィナは何だか少しだけ笑いたいような……、それでいて、泣きたいような……両者の入り混じった奇妙な顔をしていた。
(ああ、そうか……)
この二人はフェルシアで生まれ育ったのだ、と気付いた。
祖国を離れる感傷……それがどういうものかをイシュラは知らない。単純にわからないのだ。
ローラッドに生まれたイシュラだったが、特別に何かを感じた事はなかったし、国を捨てた今もどうということもない。
「……わたしとおまえは、たぶんれいがいだよ、イシュラ」
まるでイシュラの心の中を読んだかのように、シェスティリエが言う。
私達の中には、たぶん『祖国』という概念があまり根付いていないのだろう、といつもとあわらぬ調子で続けた。
「そうですかね?」
自然、頬が綻ぶ。
「たぶん」
そんな些細な会話が、イシュラを簡単に有頂天にさせる。
良くも悪くも、イシュラの世界はシェスティリエを中心に回っている。
「あー……たぶん、イリもですね」
無言のままのイリは、シェスティリエの服の裾をぎゅっとにぎりしめて、ぼんやりと空を眺めていた。そして、時折、鳥が飛んでいたりすると嬉しそうに目を輝かせる。
「……そうだな。だがそうすると、たすうけつにしたがえば、ここでのれいがいはアルフィナとルドクということになるな」
シェスティリエはおかしげに笑った。
荷台の幌があいている後部から、ゆっくりと遠ざかる関所を眺める。
張り巡らされた高い壁、門の両脇に立つ門衛達が手にする長い斧の刃が、陽光を浴びてギラリときらめいた
書類を片手に馬車や人々の間を回っている係官以外は、全員武装した兵士であるところが、王都の関所との違いだろう。
友好国であるアルネラバとの境であるとはいえ、国境は国境だ。
「思っていた以上に、簡単なものなんですね、国境を越えるのって」
「せいしょくしゃのいっこうだからな」
御者台を降りてきたシェスティリエとイリは、それぞれ自分の場所に座る。イリは甲斐甲斐しく、クッションを集めてシェスティリエが座りやすいように場所をしつらえたり、お茶をすすめたりと甲斐甲斐しい。シェスティリエが相手である限り、イリは侍者として申し分ない気配りを見せた。
「何かあっさりしすぎていて、ちょっと拍子抜けですけど」
これで安心して、聖堂に泊まれますね、とルドクは笑う。
「そうだな。……こんやはむりでも、あすは、ひさしぶりに、やねとかべのあるばしょで、まともなふろにはいりたい」
「最近は寒いですからね」
「でも、野宿でもお風呂に入れるのは嬉しいです」
「ふろというか、まりょくせいぎょのれんしゅうだ」
川べりで、うまく地形を生かしたり、石を積んだりして風呂桶らしきものを作り。そこにシェスティリエが魔力で作った火の玉を叩き込んで水をお湯に変えると、風呂のできあがりだ。天然温泉ではないが、ちょっとした露天風呂気分が味わえる。
風呂好きのシェスティリエは、ほぼ毎日のように風呂を作ることを要求するので、野営続きであっても一行はかなり清潔だった。
「石を積んで囲うのも結構大変なんですよ。シェスさま、火の玉でぶち壊すし……」
「もくそくをあやまったのだ。……そもそも、せいどにかけるから、れんしゅうしているんじゃないか」
「……火の玉、水に叩き込むのが練習ですか?」
「ああ」
「……僕の前髪が焦げたこともありましたよね」
「あんなところにいるとはおもわなかったんだ。くらかったからな。……だいたい、ほんらいあれは、ひとにあのかきゅうをぶつけるこうげきまじゅつなんだぞ」
人に当てるものなんだ、と言い募る。
「え、そうなんですか?」
「危なくないんですか?」
「ルドク、アルフィナ、こうげきまじゅつというのは、きほんてきには、ひとをさっしょうするためのじゅつだ。ふろをわかすまじゅつではない」
ふぅと溜息をつく。
「………もしかして、人を殺すこともできるんですか?」
「あてどころにもよるな」
シェスティリエは、暗に可能であることを示唆する。
「そんな」
アルフィナが口元を両手で押さえた。ルドクの表情もやや非難の色を帯びている。
シェスティリエは、二人の表情をゆっくりと見回し、それから隣でくっついているイリを見る。
イリは首をかしげて尋ねた。
(まじゅつで殺すのは、だめなの?)
イリは純粋に疑問だった。
剣で殺すのは良くて、魔術ではいけないのだろうか?
「べつに、だめじゃない。まじゅつもけんもいっしょだ。つかいかたしだいで、ひとをきずつけることも、ひとをたすけることもできる」
ようは、使い手次第ということだな、と口元だけで笑う。
(じゃあ、何がいけないの?)
シェスティリエは唇を読むことができる、ということに気付いてから、イリは積極的に話かけるようになっていた。
言いたい事を理解してもらえるということは、イリにとって初めての経験だ。ラナ司祭はイリに優しかったが、ただ優しいだけで、声にすることできないイリの言葉をわかってくれるわけではなかったからだ。
その点、言葉が通じるシェスティリエはまったく違う。イリをちゃんと言葉の通じる一個人として扱ってくれる。
「さあ……わたしにはわからないな」
シェスティリエは、軽く首を傾げた。
「……すいません、過剰に反応しました」
「シェスさまが、人に当てると言った訳ではないのに」
二人のやりとりに、ルドクとアルフィナははっとしてすぐに謝罪した。確かにシェスティリエの言う通り、剣も魔術も使い方一つだ。
「いや、しゃざいはいらない。たしかに、ひとにあてるためにれんしゅうしているのだから」
「……………え」
アルフィナは凍りつく。
「あたりまえだろう。わたしはこのおさなさだ。けんなどもてぬし、それほどとくいでもない。せいじんしたおとなにかなうはずがない。だが、まじゅつには、ちょっとばかりさいのうがあるとおもっている。だったら、とくいをのばすひつようがあるじゃないか」
「……人を殺す為に?」
問う声が震えた。
「だれもかれもころしてまわるというわけではない。じえいのためだ。さいていでもじぶんのみをまもれねば、ただのおにもつだ」
「ですが、撃退すれば……」
「このさいだからはっきりさせておくがな、アルフィナ。そなたのおっては、そなたをころしにくるのだ。それをげきたいだけですませる?それは、ただのねごとだ」
彼らはそなただけでなく、私達をも生かしておくつもりはないだろうし、そもそも、撃退したところでまた追ってくるだけだ、と、告げる。
「でも……」
「アルフィナも、ルドクも、ころせないならころせないでもよかろう。そのぎりょうがないことをせめることはしない。だが、わたしはボランティアじゃない。できるかぎりのことはするが、じぶんのいのちをきけんにさらしてまで、おまえたちをまもることはしない。……イシュラとておなじだ。イシュラはわたしのきしなのだからな」
ルドクが視線を向けたイシュラはそのとおりだと言うように笑みを浮かべてうなづく。
「おのれにやいばをむけるものに、じしんでやいばをむけることができないというのは、そのいのちをむだにくれてやるとおなじことだ。それをたにんにまもれというのはむしがよすぎるというものだ」
まっすぐと二人を見据える眼差しには、強い光が宿る。
その光こそが、シェスティリエをシェスティリエたらしめる……彼女がただの子供ではないのだと思い知らされる最大の特徴といえる。
「シェス様……」
「……シェスさま」
「おまえたちがじぶんのいのちをまもるために、てきにたちむかうのならば、それをたすけることにふふくはない」
だが、人を傷つける事はできないとか、人を殺す事は出来ない、とかというどっかのエセ人道主義者みたいな理由で何もしないで突っ立ってるようだったら、さっさと見捨てる、と、シェスティリエは告げた。
「わたしは、おまえたちのためにいのちをかけるわけにはいかぬ。このみは、すでにおおくのいのちをおっているのだ」
口調はあくまでも静かだ。基本的に、シェスティリエは、あまり激昂するということがない。
(けれど……)
ルドクは思う。
(シェスさまには、揺ぎない意志がある……)
耳に優しいことは言わないし、こういうこともまったく言葉を飾らない。
だがそれは、相手がルドクやアルフィナだからだ。
(信頼、されているのだ……)
ちゃんと、ルドクやアルフィナに向き合ってくれているのだと思う。もし、どうでもいいと思えば、きっとシェスティリエは何も言わないだろう。
ルドクは、見切りをつけられて何も言われなくなる事の方が恐ろしい。
「シェス様……」
アルフィナはややショックをうけたような表情をしている。
「むけられたやいばにはたちむかえ、じぶんのいのちがかかっているときにためらうなというだけなのだがな……」
んなに難しいことなのかな、と首を傾げる。
「なっとくするひつようはべつにない。わたしは、わたしのしゅちょうをおしつけるつもりはないから。……ただ、そなたたちにどのようないいぶんがあっても、それをしゅちょうしたいなら、わたしにはかんけいないところでやるのだな」
私の庇護下にある以上、私の方針に文句を言われても困る、とシェスティリエは真面目な顔で言う。
「わたしは、わたしにむけられるやいばにたいし、ためらうことはいっさいない」
だから、せめて一緒に旅をしている間は、最低限、自分の命を守る努力はするようにとシェスティリエは二人に告げた。
「それは勿論です」
「……はい」
アルフィナはどこか強張った表情でうなづいた。
(イシュラさんの言うとおりだ……)
ルドクは、何とはなしにいつぞやのイシュラとの会話を思い出していた。
つまるところ、イシュラが一番良くシェスティリエの性格を呑みこんでいるということなのだろう。
正直なところ、ルドクは人を殺すということについてそれほど禁忌を感じているわけではない。心情的には、シェスティリエの言い分はとてもよくわかる。ただ、自分にそれだけの技量がないだけで。
実際に、イシュラが剣の一振りで山賊の首を落したところも見たことがある。だからといって、同情を覚えたことはなかった。自分を殺そうと襲って来た相手が逆に殺されたからといって同情するほどルドクはお人よしではない。
シェスティリエもそれは、ちゃんとわかっているはずだ。
(……だから、おそらく、さっきの話を実際に聞かせたかったのは、アルフィナさんだ……)
ルドクがショックだったのは、シェスティリエに人を殺させてしまうかもしれない、という可能性だった。
そう。中身はどうあれ未だ幼い……しかも、聖職者であるシェスティリエに。
(僕も護身術くらいは覚えなくてはいけないかもしれない……)
深く溜息をつくルドクの横で、イリがくいくいとシェスティリエの外套の袖をひく。
「なに?」
(……ぼくも、攻撃魔術、覚えられる?)
「イリにそのきがあるのなら、おしえるが……」
(おしえてください。お願いします)
その言葉は聞こえなかったが、ルドクとアルフィナにも、手を合わせているイリがシェスティリエに何を頼んだかわかった。
でも、アルフィナは、どうしていいかわからなかった。
本当だったら、自分もここで自分にも教えてくれるように頼むべきなのだろう。けれど……アルフィナには、人を殺すということがどうにも納得ができない。
自分が助かるために他者の命を奪う、そんなことは許されるのだろうか……。
(……しかも、聖職者になろうという身でありながら……)
答えは、すぐには出そうにもなかった。
2009.09.22 更新
2009.09.28 修正