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No.11414の一覧
[0] 【報告とお礼のみ更新】ログアウト(オリジナル/現実→ネットゲーム世界)[検討中](2011/11/13 15:27)
[1] 第一話 ログイン[検討中](2011/11/12 19:15)
[2] 第二話 クエスト[検討中](2011/11/12 19:15)
[3] 第三話 でたらめな天秤[検討中](2011/11/12 19:16)
[4] 第四話 特別[検討中](2011/11/12 19:16)
[5] 第五話 要らない(上)[検討中](2011/11/12 19:16)
[6] 第六話 要らない(下)[検討中](2011/11/12 19:16)
[7] 第七話 我侭(上)[検討中](2011/11/12 19:16)
[8] 第八話 我侭(下)[検討中](2011/11/12 19:17)
[9] 第九話 飛び立つ理由[検討中](2011/11/12 19:17)
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[11414] 第五話 要らない(上)
Name: 検討中◆36a440a6 ID:111d7f98 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/11/12 19:16
  情けない話だが、自意識過剰もいい所だったという訳だ。
 一人だけだと思いきや実は二人であったとなれば、何処かに三人目四人目が居たとして何がおかしいだろうか。
 自分が特別だなんて発想は妄想もいい所だった。もはや俺に役目なんてものがあるのかどうかすらも疑わしい。
 そして同時に、懸念だけは現実のものになった。
 初めて出会った同郷の人間もまた『ワンダー』のプレイヤーだった。
 それはつまり、同時に呼び出された俺達四人の中で主体となったのは恐らく俺だけだという事だ。
 健一も桂木も麻衣も、あの時たまたま俺の近くに居なければこの世界に連れて来られはしなかったんだ。

「もうこの世界に骨を埋めるしかないのかなーとか思ってさー。でもせめて出来ることはしたかったから、お金貯めて、レベル上げて、何とか情報だけでもって酒場に通って――」

 隣に腰を下ろした俺に、同じ世界から来た冒険者が嬉しげに話しかけてくる。
 気持ちはよくわかる。異世界に放り出された時の不安は同じだろう。初めて同郷の人間を見つけられれば喜ぶのは当然だ。
 しかし安堵した女性とは裏腹に俺は強い後悔と焦燥、自己嫌悪に駆られてろくに話を聞いていなかった。
 健一には話してしまった事だし、隣の彼女もまたネットゲームの世界に居ると自覚している。仲間に説明する事自体は難しくないだろう。
 だが、それは皆は俺に巻き込まれただけだという事実を明確に告げる事でもあるのだ。
 原因は別のところにあって俺もまた被害者の一人なんだと言い訳をしたい気持ちもあった。
 しかしそれ以上に、現実の人間よりもゲームの方を重視していた筈の自分が女の子と親しくなれそうだというだけの理由でほいほい着いて行った事、それこそが本当の原因なんだという後悔が強くあった。
 俺が廃人らしく素直に帰宅の途についていればきっと皆を巻き込むことなんてなかったんだ。


 そして同時に――もしも廃人らしく一人で帰って召喚されていれば、守る物も現実への未練もなかったのなら、この世界で好きなように出来たのに――という浅ましい思いを感じたのも事実だ。
 カーディナルとして得られるであろう地位か、この世界には並ぶ者のないだろう神聖魔法のスキル、もしくは単純に所持している莫大なベルを使えば、現実で願う欲望の大半は叶っただろう。
 その上パソコンの画面越しにプレイするより余程リアルにゲームの世界を楽しめる。
 ああそうだ。ゲームにのめり込んでいた俺にはまさに天国と言える状況の筈だ。
 だがそうはなっていない。お荷物が居たからだ。そして大切なお荷物を守ると決めたからだ。
 面倒事を避けるために、そして愛すべき重荷達から疎まれないために、俺は現実の自分という枠を大きくは超えていない。
 それが残念だった。薄汚いとわかっていながらも悔しかった。
 どでかい家に使用人を抱えて贅沢三昧。高価な貢物や下世話な要求と引き換えに致命傷すら癒す奇跡の男として好き勝手に振舞う。そんな欲望に満ちた選択肢を選んだって良かったんだ。
 だって俺は特別じゃなかった。他にも呼び出された人間は居たんだ。なら俺が持たされた力を使って好き放題して何が悪いって言うんだ。

 
 ――しかし、もはやそんな選択は出来ない。
 俺は巻き込んだ責任として出来るだけ早く皆を送り返す方法を見つけなければならないだろう。今更、という話だ。
 仲間を巻き込んだのが悔しい。皆がついて来てしまったのが勿体ない。そんな類似して相反した思いを抱えている自分に嫌気が差し、それでもやはり惜しいと思ってしまう。
 どちらにせよ逃げ道はもうない。事実を話せば皆はどう受け取るだろうか。俺のせいだとなじるだろうか、あっさりと受け入れるだろうか。
 両方がありそうで予想が出来ない。それでも言う以外には――

「あのー、聞いてる? 聞こえてますかー、大丈夫ですかー?」

「……いや、悪い、色んな事考えてちょっと聞いてなかった。同じ境遇の奴に会うなんて、予想外と言うか期待してなかったと言うか……」

「あはは、あたしも全然期待してなかったんだけど、やっぱり気づいたらそれっぽい人を探しちゃってて。隣に日本人が座ったかもって気づいたらもう舞い上がっちゃったよ」

 何とも軽い様子で彼女が言った。
 しかしその口調とは裏腹に瞳は赤みを帯び、薄っすらと涙が浮かんでいる。

「本当、声かけてよかったー。まあ、まさか無視して帰られそうになるとは思わなかったけどね?」

「いや、前に勝手にクエスト受けさせられて苦労したんだよ。オーガ襲撃クエをNPCと二人で抜けてきたんだ、もう他人に関わるのはお断りの気分でさ」

 うわぁ、と口に手を当てて冒険者がうめいた。
 イベントの事、クエストの事、そのまま口に出しただけで話が通じるのがこんなにもありがたいとは思わなかった。

「あのクエが来たって事は結構レベル低いの……? うん、でもこれからは二人だから何とかなるよね」

「あ、いや、俺は一人じゃ――」

「待って、ここまで簡単に来られたってことは高い側で受けた? どうしよう、あたしあんまりレベル高くなくて……。邪魔になったりするかな。正直今一人で置いて行かれるとどうしようもない感じなんだけど」

「そういうんじゃなくて――」

「あたしパラディンなんだけど、アイテムがほとんど倉庫でお金も首都キャラのままなの。一人じゃ群れてない雑魚狩ってすぐ逃げてくるしかなくて、ここから他の町に行こうにもほら、モンスターの配置が――」

「だからちょっと聞けって――」

 二人、という言い方からして俺と違って彼女は一人だったんだろう。異世界にたった一人。それならば酷く心細かったことは理解できる。 
 しかしそれにしても勢いよく、多分ここに健一や桂木が居ても半分も理解できないだろう事を捲くし立てる彼女――とりあえず職はパラディンらしい 騎士系の中位職だ――を、カウンター越しに渋い声が止めてくれた。

「何だ、知り合いかアクリ。そいつは新顔かと思ったんだがな」

「あ、えっと、出身が同じで……」

「ほう、そうかい。あんた、アクリもまだ新入りだが腕は相当だ。護衛に使うなら損のない買い物じゃないか」

 ほれ、と俺と彼女の前に再度グラスを置いてマスターは去っていった。
 50ベルで飲み放題なんだろうか、サービスなんだろうか、どうにも理解がしがたい。
 とにかく話が止まったのは丁度いい。

「えっと、アクリでいいのか? 俺は一人じゃなくて他に三人と一緒にこっちに来たんだ。そっちは一人だったのか?」

「あ、うん……じゃなくて、違う違う! そんな外国人的な名前じゃなくて、それはほら、キャラ名! こっちに合うから名乗ってただけで、ちゃんと名前はあるの」

「悪い。俺は山田だ。キャラも山田って名前で通してた。それで、アクリはいつ頃ここに来たんだ? 俺達は四日前にカールの森のスタート地点に――」

「やめて、お願い、何かもう本当に恥ずかしい。口に出してアクリとか呼ばれると死にたくなるから。あたし栗原、栗原杏里」

「……そういうもんか?」

 しっかりと頷いて返された。
 ボイスチャットでクラウドさんやセフィロスさん、聖天使猫姫さんなんかと会話をした経験があるとそれほど違和感がなかったが、確かに恥ずかしいかもしれない。
 相手は何となく年下のように見えるが、年上だと言われても多少驚く程度だ。
 女性の年齢を見た目でわかれというのが無茶かもしれないが――栗原さん、ぐらいでいいか。

「じゃあえーと、栗原さんは――」

「でさ、山田君と一緒に来た人ってどんな人? レベル高いの? 魔法使い系の人居ないかな、来た時ポータルゲートっぽいのが見えたからあれで出られるんじゃないかって期待してるんだけど」

「…………」

 言葉を被せられるというより、チャットが遅れて会話に混ざれない感覚が近い。
 どうにも現実で女性と会話をしている気分にならない。ゲーム内で男っぽい女キャラを相手にしているようだ。
 まあどちらにせよ話す事は山のようにある。順番の違いだと割り切って事情を話した。

「……こっちは俺以外『ワンダー』なんてやった事なかったから、レベル1からになってるんだ。多分俺に巻き込まれて連れて来られたんだと思う」

「うわ……それはご愁傷さまって言うか……可哀想って言うか……ちょっと羨ましいって言うか……」

 痛ましい顔、というよりは羨ましげな表情で言われた。
 一人よりは良いと思ったのだろうか。俺は他人を巻き込むよりは一人の方が幾らかマシだと思うのだが。

「俺としてはむしろ申し訳ないな……。とにかく、さっさと帰りたいから教国で神に会って話を聞いてみようって事になってる。そっちは何か情報は?」

「ううん、全然。MOBの配置的に一人じゃこの町から動けなくて、とにかく生活費を稼ぐので精一杯って感じで……そっか、そう言えば神様って居たねー」

 こちらも初めて健一から神の話を聞いた俺のようにうんうんと頷いた。ゲーム的な発想しか出来ないと思いつかない事なんだろう。
 彼女がこの町から動けなかった理由のMOB配置というのは理解できた。
 俺達は出会わなかったが、この町を出たMAPは両方ともボスとは別に少数だけ強力な敵が出現する。
 俺なら回復しながら無理やり倒すのは難しくないのでそのまま進んできたがパラディン単独では少々厳しいだろう。
 街道を進めば出くわす可能性は極々少ないが、多少なりとも死の危険はある。
 ゲーム内なら街中に居る魔法使いに頼んで隣町まで飛ばしてもらえばいいのだがここではそうもいかない。
ふと気づくと、それほど会話をしたつもりはなかったのだが外は大分と暗くなっていた。
健一と桂木に声をかけていいものかは別として、とりあえず麻衣とは合流したい。

「んで……あー、他の仲間と一緒でも良いか? まだゲームの世界だって全員に話してないんだ、説明を手伝って欲しい」

「うん、大歓迎だけど……そのー、結局どんな感じの人? 男ばっかり?」

「俺を入れて男二人女二人だ。男の方には話してあるんだけど……女の子にここはゲームの世界なんだよ、とか言えなくてな」

「それは……まあ、そういう子も居るけど……あたしもほら、女なんだけど……」

 何か的の外れた抗議を受けた。
 確かに目の前の冒険者は女性だ。
 幼めの顔立ちだが愛嬌はある。見目麗しいとは言わなくとも可愛いと言って差し支えはないだろう。
 金やら白やらの髪を町中に見かけるせいか、元の世界では見慣れた茶色がかった短い髪も逆に新鮮に映った。
 服装はゲーム内ではよくある鎧を脱いだナイトの基本衣装だが、部分的に肌を露出しながら体を覆うデザインは現実に見るとなかなか悪くない。
 小柄ではあるがむしろ要所で引き締まった体躯は活動的な彼女の表情ともよく合う。ネットゲームにはまりそうには見えないが……だからレベルが低いのか。
 しかしその割には妙な親近感を感じる。これは一体何と言えばいいのだろうか。健一が俺と絡もうと思った理由はこんな感覚なのかもしれない。
 見た目がどうとか、最初から知っていたから何だとか、女だからこそだとかそういう話とは別の意味で、女扱い自体が違う気がした。
 強いて言うならば――

「――お前はどことなく俺と同じ匂いがするから大丈夫な気がしてさ」

「…………何、その自虐みたいなの」

「自虐だと思う辺りが同じなんだよ。全員宿に居るから続きはそっちでいいか、アクリ」

「栗原です。杏里でも良いです。許して下さい、お願いします」

 わかったよアクリと軽く返して立ち上がった俺のジャケットの首元がしっかりと掴まれた。
出会った瞬間以上の半泣きで首を振る情けないパラディンを杏里と呼び直し、桂木も名前で呼んでみようかと少しだけ思った。


「この宿に泊まってる。ゲームでは使えなかった中央以外の宿も一応泊まれるみたいでさ」

「うーん、宿代安いんだし、もうちょっと高い所でも良いんじゃないの?」

 安くて二部屋という桂木の希望に応えた宿の前に戻ってきた。
 見た目はオンボロとまではいかないが豪華でもない。異様な程安く設定してあるゲーム内の宿代から言えばもっと良い宿を選んでも構わなかったのは確かだろう。

「ゲームの世界だって伝えてないからさ、節約してくれてるんだよ。明日からは多少豪遊できるな」

「お金はあるんだ? 装備じゃわかんないけど、山田君ってやっぱりレベル高いの?」

「……その辺は後にしよう。さっさと入ろうぜ」

 答えを待たずに足を踏み入れた俺の後ろを、はいはい、と軽く続く杏里。
 フロント――と言って良いのだろうか――に居た店主に聞くと、麻衣から部屋の鍵は預かっていないらしかった。
 恐らく既に部屋に戻っているのだろうが、もし麻衣が風呂から上がっていないと健一と桂木の愛の巣をノックする羽目になる。
 それは全力で遠慮したい。居てくれよ、麻衣。

「麻衣、居るか? 入って大丈夫か?」

 軽く扉を叩き、隣に気を使って小さめの声で呼びかけたのだが応答がない。

「寝てるんじゃないの?」

「……かもな」

 そっとノブを回すと扉は音もなく開いた。
 部屋にはランプの明かりが灯っているが麻衣の姿はない。少なくとも暗くなってから一度は部屋に戻ったのだろう。

「飲み物でも買いに行ったかな。とりあえず座ってくれ」

「はーい。うっわー、凄い庶民的な部屋。こういうのもちょっと良いよね」

「……嫌味か?」

 うそうそ、と笑った杏里の前に腰を下ろしたところで、折り良く扉をノックする音が響いた。
 振り返るとまだ水気を帯びた長い髪をタオルで押さえた麻衣が部屋の入り口に姿を見せた所だった。

「ああ麻衣、おかえり」

「先輩、戻ってたんで……すか……」

 言葉を止め、ぽかんとこちら、俺と杏里に視線をさまよわせる麻衣。
 どうしたのかと一瞬考えてしまった。
 昨夜の桂木を思い出したが、あの時のように疑いをもたれるような姿勢ではない。
 そこそこの距離を置いて向かい合って座っていただけだ。
 杏里の服装は幾らか肌を露出しているが取り立てて騒く程でもないだろう。
 いやしかし、冷静に考えると単に知らない人が部屋に居ただけでも十分に驚くか。
 麻衣から見れば、風呂から上がって涼んだ後部屋に戻ったら、一緒に泊まる筈の彼氏が微妙に酒を飲んで見知らぬ女を連れ込んでいた訳で――

 ――状況だけで凄くまずいんじゃないか、これって


「うわっ、違う、そうじゃない麻衣、勘違いだ!」

 思わず立ち上がった俺にビクッと反応し、完全に表情を引きつらせた麻衣が一歩後ずさる。
 状況を飲み込んでいなかったのか同じく唖然としていた杏里も口を開いた。

「ち、違うよ? あたし山田君とはさっき酒場で会った所で、ちゃんとした所で話そうってここに連れて来られただけで……」

「ちょっとは言葉を選べよこの馬鹿っ!」

「ひぃっ!? ご、ごめんっ!」

 どう考えてもわざとだとしか思えない言い訳をされた。
 麻衣の目がこんなにも目を見開かれているのは初めて見た気がする。
 一歩、また一歩と後ずさり、麻衣の全身が完全に部屋の外に出た。
 まずい――いや、大丈夫だ。焦らなければ良いだけだ。
 それが難しいんだが、とにかく、すぐに騒ぎ立てたりしない麻衣の性格が幸いした。

「事情があるんだ。こいつも俺達と同じで日本からこの世界に迷い込んだらしくて、それで連れて来た。それだけだ、他には何もないからな!?」

 それだけでも十分に一大事な訳だが、麻衣は再び目を丸くして――ゆっくりと表情に柔らかさが戻った。

「え……日本から……私達と同じ様に、この世界に……?」

「ああ、それだけだ」

 力強く言い切って頷いて見せる。
 緩んだ麻衣の表情に、緊張していた俺の全身からも硬さが取れた。

「それだけですか……良かったです。私、ビックリしちゃって……」

「俺が悪かったよ。そりゃあ驚くに決まってる。でも、それだけだから大丈夫だ」

 ほっと息をついた麻衣は肩に降りていたタオルを押さえ、ようやく部屋に入り、扉を閉めた。
 こんな事で冗談みたいな修羅場を起こすのは余りにも面倒だ。危ない所だった。

「……それだけ、それだけって……初めて同じ世界の人に会えたのに、それだけ扱いって……」

 良かった良かったと和む俺達を涙目で見つめる杏里の言葉は全く耳に届かなかったのだった。











第五話 要らない(上)











 ともかく、出会えた喜びを三人で分かち合うことができた。

「日本から来たってだけで、たまたま山田君と会っただけの栗原杏里。ただそれだけなんだけど、よろしくね」

「松風麻衣です……あの……ごめんなさい……」

 ――と思ったのだが、杏里はまだ怒っていた。
 怒る相手がいるというのもむしろ幸せだと思って欲しい。そう思ったのでそのまま口に出した。

「まあ不機嫌になる相手が居るってのは良いことだな」

「本人に言われても全然説得力がないから……ああもう、何でこんなに軽いの!? ゲームの中に入り込んだ仲間が初めて出会ったって感動的な場面じゃないの!?」

「ゲームだって確認したら色々とどうでもよくなった。気楽に行こう、気楽に」

「うっわ、あたしが逆に気楽に行こうって言われるの、結構レアだよ!? もういい、適当にいくもん」

 杏里があからさまに怒った顔をしているが、どう見ても楽しそうだった。こういう普通の会話が嬉しいんだろう。
 そして俺の言葉もまた、嘘だった。むしろ空元気の類だ。
 これから話すことに麻衣が怒るかもしれないと、失望するかもしれないと、本当は不安に思っている。
 ただ、どうしてだろうか。別れを告げられてもそれほどは落ち込まない気もしていた。
 彼女についてあれやこれやと悩むのがいい加減に鬱陶しい。
 俺はもともとマメにメールを打って人間関係に気を使うような性質じゃないんだ。
 むしろ振られてしまえば厄介事が減って気が楽になる――


 ――最悪だ。正直麻衣に面倒な所があるのはいい加減気づいているが、それでもこの発想はない。
 しかし素直な気持ちであるのも事実だった。
 リア充は嫌いだ何だと言いながらそういうのに憧れているのが自分だと思っていたのだが、実際には想像以上のダメ人間だったのか。

「あの、ゲームって……」

 それは聞き咎めるだろう。まだ杏里には慣れないのか、麻衣が俺の方を見て聞く。
 表情を改め、しっかりと麻衣に向き直って言った。

「前からそうじゃないかと思ってたんだが、こいつに会って確信が出来た。どうもこの世界はゲームの中らしい」

「ゲームの中……ですか?」

「ああ、剣と魔法とモンスターの世界だ。俺はそれを知ってて、やったことがあった。だから幾らかは魔法みたいな力が使えたらしい」

「…………」

「…………」

「でさ、あたしもそれやってて、それでこっちに呼び出されたみたい。本当、災難だよねー」

 見つめあって深刻に押し黙った俺達の空気を、先程のお株を奪うように気楽な杏里がぶち壊しにする。
 座った状態でさらに腰が砕けそうになるのを堪え、精一杯真面目に続けた。

「健一も桂木もゲームの経験はないみたいだ。でも杏里はゲームをやってたって所から見るに、この世界に呼び出された原因は俺だ。麻衣も、皆も、俺に巻き込まれただけだと思う。本当にすまない」

「あ、いえ、そんな……」

 頭を下げた俺の肩に、まだ理解が追いついていないのだろう麻衣がおろおろと手をかけた。
 暖かい感触に思わず甘えてしまいそうになるが、少なくとも俺が感じている申し訳なさがせめて伝わってくれたらいい。さらに深く頭を垂れる。
 今の関係を面倒くさがっている事への負い目もあったと思う。その癖、無責任に笑い飛ばして嫌われる度胸もない。
 むしろこの話も別の来訪者という現実に出くわさなければ言えないままだったかもしれない。まったく、我ながら本当に情けない話だ。

「あたしも山田君もこのゲームやってたから、松風さんは山田君のついでに引っ張り込まれたのかもしれない……らしいんだけど、別に山田君のせいって訳でもないし。出来れば許してあげて」

「いえ、許すとかそんな……とにかく先輩、もういいですから」

「……すまん」

 上げようとした俺の頭に手を置いて、杏里が言った。

「だよねー、そのぐらいでそんなに怒ったりしないよねー」

 彼女さんだしねー、と杏里が笑う。
 いや怒るだろうと言い返す気も起きない。載せられた手をそのままに身を起こした。
 何だろうか、杏里を連れてきたのは恐ろしく失敗な気がする。事実だけ認識して置いて来れば良かったかもしれない。

「でね、そのゲームっていうのがネットゲームの一種で、同じ世界でみんな同時に遊べるようなゲームなの」

 俺が口を開く前に勝手に杏里が説明を始めた。
 酒場で話していた時と似た感覚。これ以上謝るのは話題に遅れたチャットを打ち込むようで、話に入れない。

「……えっと、ボードゲームみたいなの、ですか?」

「うーん、一万人ぐらい同時にやるボードゲームがあれば、そんな感じかな」

「一万って……この世界に来てる人、そんなにも居るんですか?」

「ううん、それはゲームの話で……いや、ここもゲームの中なんだけど……えーっとね……」

 言いよどんだ杏里が俺の方を見て、不満気に言った。

「ってなんであたしが説明してるの。こういうのは彼氏の仕事だと思うんだけど」

「……いやもう……お前ずっと黙ってろ。俺の妄想じゃないって事だけ請け負ってくれればそれでいいから」

「はーい」

 入り口側のベッドに座った俺と隣に麻衣、奥に杏里という配置だったのだが、杏里は転がって壁の方を向いてしまった。
 お前の寝床じゃない。と言うかこいつは真面目にしたいのか適当にしたいのかどっちなんだ。
 そもそも何の為に来たんだろうか。いや、ゲームの話が俺の妄想ではないと保障してもらう為に呼んだというのは確かなのだが。 
 久しぶりにまともな会話をしてテンションがおかしいんだろうと一応良い方向に考えておくことにした。
 ごほん、と咳払いをして麻衣に向き直る。
 こちらは混乱しているようで、しかし苦笑を浮かべていた。確かにここまで混ぜっ返されると深刻な顔をするのが馬鹿馬鹿しい。

「色々言われて混乱してるだろ、ちょっと落ち着いてくれ」

「はい……大丈夫です」

 すーはーと大きな音をさせたわけではないが、麻衣は素直に深呼吸をした。

「まあ杏里の言ってた通りなんだが……他のプレイヤーは居ないみたいだ。だからゲームの中じゃなくてゲームの設定通りに作られた世界の中になるな。イメージとしては小説の世界が実在して、そこに吸い込まれたようなもんか」

「やっぱりそうなんですか……」

 やっぱりと言われてしまった。
 例えてしまうと結果は麻衣の予想通りになってしまったのだ。何か間違っている気がするのだが。

「でもゲームはゲームだからな。俺やこいつはゲームとしてその世界で遊んでいて、強くなってた。その分が何故か反映されて、麻衣を治したような力が使えるみたいだ」

 クイックスロットからスキルを選択、ヒーリング。ターゲット松風麻衣。
 別にモーションは必要ないのだが、わかりやすいように軽く手を振ると同時。麻衣の全身を緑色の光が包み込み、薄れて消えた。

「あっ……」

「こんな感じだ。予想は出来てたんだけどさ、おかしくなったんじゃないかと思われそうで言えなかったんだ。今まで黙ってて悪い。謝るよ」

 もう一度謝ろうとしたのだが、目の前の麻衣ははっきりとわかる喜色を浮かべていた。

「凄い……! 先輩、これ、好きなように使えるんですか?」

「あ……ああ、ある程度は使いこなせてると思う、けど……」

 自分の力ではなくゲームをする感覚でキャラクターの力を使うイメージだが、それなら7年のキャリアがある。使いこなしていると言ってもおかしくはない。
 しかし、モンスターを倒すとか病気を治すとか、何かしらの事情がある時以外に使って見せたのは初めてだ。
 驚いている様子を見るに麻衣はもっと特別な状況でないと使えない力だと思っていたのかもしれない。

「もっといろんな魔法が使えるんですか? 火を出したりとかは?」

「いや、光を出す以外は傷を治したり元気にするのばっかりだ。悪いな、僧侶で」

 そんな事ないです、凄いです、とテンション高く言われた。
 嫌われると思ったのが逆に大喜びされている。何なんだろうこれ。おかしいのは俺の方なのか。
 もしかすると、一応は安心してもいいんだろうか。
 なんとなく健一は平気そうだから問題は桂木だが……健一と上手くいっていれば絶対に怒らない気がする。
 頑張ってくれ、桂木。

「あ、山田君僧侶系なんだ? あたし前衛だからさ、上手く――」

「黙っててくれ」

「うう、ちょっとぐらい良いじゃん……」

 こちらに向き直っていた杏里を転がして壁に向ける。
 麻衣の方は気にした様子もなく、俺の方に詰め寄ってきた。
 ちょっと距離が近い。いや嬉しいんだが、杏里の背中から微妙にプレッシャーを感じた。イチャついてんじゃねえ、みたいな。
 さっきから杏里が変に絡んだり混ぜ返したりするのはその辺りが起因している気がする。そういう所も俺に似ていた。
 しかし麻衣は本当にテンションが高い。余程ファンタジーに憧れがあったんだろうか。

「私にもそういう魔法、使えるようになるんですか? あ、先輩が昨日言ってた、強くなる方法はあるってこれの事なんですねっ」

「……ああ。昨日会った鳥のモンスターを500匹ぐらい殴り倒せば一つは使えるようになるな」

「…………」

 とりあえず落ち着かせる――へこませる――ことは出来た。
 ベルを出せるようになった時点で現代的に見れば魔法使いみたいなもんだと思うんだが、あれは別枠らしい。

「俺はゲームとしてレベルを上げて、それで最初から力があるから戦えるんだよ。昨日も言ったけど麻衣は無理に何かしようとしなくて良い」

「……ぅぅ……先輩、不公平です」

「……そんなに使いたいのかよ……」

 『いつも通り』のイメージ、インベントリウインドウを開く。
 虚空に開いた光のスクリーンに――オーガの時は目に入っていなかったのか――やはり瞳を輝かせる麻衣。
 いくつか表示された装備品アイテムから杖を一本選んでドロップ、ウインドウからこぼれ落ちたアイテムは即座に実体化された。
 よく考えるとこの時点で既に相当な手品だ。

「ほら、これ持ってみな」

「魔法の、杖……?」

「ああ、正しく魔法の杖だ。ファイアーボールが使える」

「――っ、本当ですか!?」

 これはフリースペルを使用できる特殊なアイテム、炎の杖で、装備するとファイアーボールLv1が使用可能になる。
 しかし初級スキルのファイアーボール、その上使用レベルも1で攻撃力はほとんどない。ただ話のネタに使う為に持っていただけだ。

「えっと、先輩、どうやって使うんですか?」

 背丈の半分にも届こうかという長さの杖を渡された麻衣が嬉しそうに立ち上がった。
 どこに向かって使おうかと考えているのか、辺りを見回している。
 はっきりと言うのが麻衣のためだと思う。それでも、希望を与えて突き落とすようなことは余り好きじゃない。

「使い方、わからないだろ」

「……? は、はい」

「この世界に来て、誰にも説明されなくても……俺は使えたよ」

「…………」

 押し黙る麻衣から杖を取り上げ、片手に持つ。手に持った時点で装備扱いになっているのだろう、装備欄を開くとメイン武器が炎の杖に変わっていた。
 窓を開けて炎の杖を差し出した。ファイアーボールLv1の射程はそれほど長くない。さして近所迷惑でもない筈だ。 
 左手でスキルウインドウを開き、装備した時点で追加されていたファイアーボールのスキルボタンを押す。
 思ったより大きい火の玉が勢いよく噴き出し、宿の外の空気を焦がして、消えた。

「……だから、麻衣。諦めろとは言わないけど、その杖から魔法が出せるぐらいまでは、無茶はしないでいてくれ」

 少し熱を持った炎の杖をもう一度麻衣に手渡した。
 重そうに受け取った麻衣は、少し躊躇った後、ゆっくりと頷いた。

「……イジメだ」

「黙ってなさい」

 ファイアボールのエフェクト音まで聞こえたのだ。流石に寝ても居られないだろう、杏里が起きだして言った。
 また転がそうとしたのだがするりと避けられてしまった。
 立ち上がった杏里の横の虚空に何の前触れもなく光で出来たウインドウが浮かびあがる。
 なるほど、他人がやるのを見るとこれは相当に凄い光景だ。
 杏里は少しこちらを睨んで怒ったように続けた。

「うん、これはイジメだよ。ちゃんと教えてあげないと。松風さん、ちょっとKボタン、押してみて」

「……ボタン、ですか?」

 しげしげと炎の杖を見つめる麻衣。
 手品じゃないんだから、杖にボタンがついてるわけじゃない。
 Kボタンというのはスキルウインドウを開くときのショートカットキーだ。
 杏里はキーボードのキーを押すイメージでウインドウを開いているらしい。

「ううん、杖についてるんじゃなくて、キーボードのKキー、押してみて」

「……キーボード、何処にあるんですか?」

「ないんだけど、あるような気持ちで!」

「…………」

 ううーん、と悩みこむ麻衣に無理やり虚空を指でつかせる杏里。
 この辺この辺、と言っているが、多分無駄だと思う。
 キーボードを押すのはただのとっかかりだ。
 ウインドウを開くイメージが大事なのであって、ボタンを押す行動とゲームを操作する意識が連動していないと意味がないんじゃないか。
 少なくとも俺はもうキーボードを押すつもりでウインドウを開いているわけではない。『いつも通り』というのは言ってみれば反射行動なのだ。

「無理なのかなぁ……」

「ボタンを押させるよりは、このウインドウを開くのを意識したほうが良いんじゃ……いや、無理に出来るようにならなくて良いんだ」

 乗せられて思わずアドバイスをしそうになった。
 一度息を吐き、落ち着いたところで、出来るだけ優しく聞こえるように言った。

「全部話した以上、出来るだけの事はするよ。麻衣は俺が守る。皆を守れる力がある。今までみたいに不安で居る必要はないんだ、信じてくれ」

「……はい」

 少し寂しげだったが、麻衣は微笑んで頷いてくれた。
 炎の杖をしっかりと抱きしめているのがどうにも不安なのだが。この子、絶対に諦めてない。

「――あっまーい! 甘い甘い空気があまーい!」

「うるさい。麻衣はレベル2か3だぞ、守るに決まってるだろ」

 麻衣と二人だけならこんな感じの後はそこそこ良い空気になるのだが、今日は杏里が混ぜ返しにかかった。
 邪魔者の筈なんだが――逆に考えると、毎回こうして甘めの雰囲気にごまかされていた気がする。
 麻衣、不公平なのは申し訳ないが、どうせ無理なんだからさっさと諦めてくれないか。
 幾らか魔法を覚えたとしても化け物と戦えるような性格じゃないだろうに。
 いや勿論、口には出さないが。

「あはは、大丈夫、あたしも手伝えるから……あ、でも、山田君のレベルって結局どのぐらいなの?」

「……もうカンストしてる」

「うえっ!?」

 女らしくないうめき声を上げた栗原杏里をターゲット、PTへの加入招待を送るイメージ。
 意外にあっさりと出来た。要請が届いたのだろう、杏里が虚空に指を這わせると同時、PTウインドウにAcriの文字が追加された
 見るとHPは8500程度。パラディンは守性騎士系の前衛職だがまだ中位職クラスだ。頑張ってこんなもんだろう。

「うわ、こんな普通の装備でHPが5万って、もう気持ち悪いの粋だよ、これっ!?」

 同じくPTウインドウを見て失礼なことを言う杏里に釘を刺した。

「……絶対お前にはヒールをかけん」

「ああ、嘘、ごめんごめん。よろしくお願いします山田先生」

 実際問題、そんなに騒ぐようなレベルではない。
 サービス開始から七年を数える『ワンダー』に何百人のレベルカンスト――カウンターストップ、数値的な上限――プレイヤーが居ると思っているんだ。
 杏里はゲームを始めてから余り長くはないんだろう。こちらにもやはり、無理はさせられない。

「実際お前も戦わなくていい。山ほど出てきた時は流石にちょっと頼むが、それ以外は俺任せで大丈夫だ」

「え……やだな、大丈夫だって。これまで一人で戦ってお金稼いでたんだよ? レベル差あるから経験値も稼ぎ放題だし、あたしが前衛で平気平気」

 加入者のレベルが近いとPT内でモンスター撃破経験値が分配されるが、カンストしている俺とレベル一桁が三人、そしてレベル40前後の杏里というPTでは倒した者に全ての経験値が入る。
 最上位僧侶が無償でレベル上げを手伝っているのに近い状況だ。限界レベルの俺が経験値を稼ぐ意味もない。ゲーム内なら正しい理屈だろう。
 しかし――

「やられたら、痛いだろ」

「……大丈夫だって」

 余り大きな声で言ったつもりはなかったが、杏里の返事は幾分トーンを落としたものだった。
 殴られれば痛い。当たり前の理屈だが、これ程にゲームの設定と噛み合わない現実もない。

「殴られて、ヒールかけられて、殴られて、ヒールかけられて……どんな拷問だよ。目の前で見たくないぞ、そんなの」

「あたしもやられたくはないけど……」

 クーミリアの場合は相手が覚悟を決めた騎士団員で、戦闘開始の時点で既に死にかけで、多分NPCで……と余り気にならない条件が揃っていたが、それでも相当痛々しかった。
 普通の人間は痛みを感じれば身をすくませる。本来は倒せる敵が相手でも痛みで動きが止まれば苦戦は免れないだろう。
 そうなれば場合によっては本当に拷問に近い状況になる可能性もあるのだ。
 死ぬような激痛を受けて身動きが取れなくなり、それはすぐさま癒され、また激痛が襲う――
 杏里も一応は普通の女の子、そんな目にあわせるのは御免だ。
 しかしあちらはすぐに意気を取り戻し、さっとウインドウを操作して装備を重厚な鎧に変えた。

「ほら、全身鎧だし、盾とか持ってるし、防ぎながらやるから平気だよ。痛そうに見える、これ?」

「……いやまあ、見えないが」

「……動けるんですか?」

 恐る恐る聞いた麻衣に、余裕余裕、と軽やかに動く杏里。床が抜けそうだから脱げ。
 確かに分厚い装備をした上なら雑魚の攻撃はそれほど痛くはないだろう。
 いざという時の為に戦いなれた人間がもう一人は欲しい気持ちもある。
 『皆』を犠牲にしないのであれば、どうしても妥協する必要があるのなら、その役目は杏里に任せるのが妥当かもしれない。
 俺と同じくプレイヤーで、前衛職だ。敏捷型のクーミリア程ではなくとも、体を使いこなせればその運動力は俺の比ではないだろう。
 本人も孤独に命を懸ける暮らしより随分とマシだと思う。
 そもそも相手が杏里だし、余り気にする必要はないかもしれない。

「じゃあ、雑魚は一緒に頼む。でも無理はさせない……いや、する必要がないんだからな。痛い思いをしてまで前に立たなくて良い。一緒に皆を守ってくれ」

「ん、おっけー」

 返事とともに鎧を纏った杏里の手が中空のウインドウをすべる。鉄の装備品が消え去り、数秒で元の姿に戻った。

「それで、その皆っていうのの残りは何処なの? 外出中?」

「あー……麻衣、二人と会ったか?」

「……いえ」

 ふるふると首を振る麻衣の顔は微妙に赤い。
 どうしたものだろうか、なんとも説明しにくい事情だ。

「……まあとりあえず、夕食、食いに行こうぜ」

「そうですね、はい、そうです。栗原さんもご一緒しますよね?」

「え、うん、行くけど……何なの、放って置いていいの、残りの人?」

 放って置かないと後が怖いんだ。とは口に出せなかった。
 二人で杏里を押しだし、さっさと鍵を閉めた。宿で夕食が出るとは聞いていないので外の店だろう、そのまま宿を出た。

「杏里、この町に住んで長いんなら、美味い店とか知らないか?」

「まだ四日ぐらいなんだけど……まあ一応」

「よし、案内頼む」

「う、うん……あ……ねっ、ちょっとさ、この状況は両手に花だよね、山田君」 

「……強いて言うなら、花と花瓶だ」

「うわー、引き立て役……」

「先輩、そういう言い方は……」

「松風さんちょっと嬉しそうだし……しかも否定しないし……」

「こう見えて麻衣は結構黒いんだ。気をつけてな」

「え、先輩っ?」

 気がかりがなくなったからだろうか、久しぶりに晴れやかな気持ちだ。
 男一人に女一人、その中間が一人、そんな気分で道を歩く。

「あー、何か納得いかない。松風さん風に言うと、不公平!」

 不意に杏里がこちらへ身を寄せた。
 体が触れ合わない程度に俺から少しだけ距離を開けていた麻衣へ、からかうように笑いかけている。
 俺は杏里を押しのけて反対側の麻衣を引き寄せた。少し身じろぎをしたが大人しく傍を歩いてくれた。

「あーあー、お暑いですねー」

 薄闇で町の明かりに照らされて笑う杏里の表情が不意討ちのように感じられた。
 どこか第三者的な目で可愛いと曖昧に考えていたその顔。それは確かに魅力的だった。
 身を寄せた時の思った以上に柔らかい感触、甘い麻衣の匂いとは違う、透き通る柑橘類の香り。
 こんな事をするんなら、杏里には彼氏が居ないんだろうか。そんなどうでもいい事が酷く気になる。
 何故か目をそらして、しかし麻衣の方を向くことも出来ずに、前を向いたままで何でもないように話を続けた。

「ネットゲーマーにリア充が居ないと思うなよ? ……こんな台詞、一週間前の俺が聞いたらぶん殴りそうだけど」

「うわー、死んじゃえばいいのに。世界樹の実が3つあるから3回は死ねるよー?」

「勘弁してくれ、お前相手じゃ殺される方が苦労する」

 歩くのは男一人に女一人、中間が一人。
 出会ったばかりの女性を勝手に区分けして、自分にとっての範囲外だと思い込む。
 会話の内容が理解できないのだろう、麻衣が困っているのがわかるが、わざわざ説明したりもしない。
 さっきから杏里とばかり話している。それをあえて自覚しない。
 本当に楽しい夕食だった。

 気がかりが一つ、増えた。






  日本風だと強硬に主張されればそう思えなくもない。そんな店での夕食を終え、顔合わせは明日の昼にしようと決めて杏里とは別れた。
 麻衣と二人、宿への道を辿る。
 まだ道を覚えきっていないのだろう、隣の彼女は時折不安気に周囲を確認しているようだった。
 片手にはまだ炎の杖を握っている。装備レベルに制限はないのでそれほどの重さは感じていないと思う。
 しかし女性が持つには少し長めなので時折コツンコツンと音を立てていた。

「……Kボタン……」

「いや、別にKキーがどうこうって問題じゃないんだぞ、本当に」

 ぽつりと呟いた麻衣の言葉に思わず突っ込んでしまった。やっぱり諦めていません、この子。
 よほど魔法に憧れているのだろう。見習い魔法使いを目指す魔法使い見習い――といったところだろうか。
 丁度良く周りには人通りがない。さっきまで杏里に構ってばかりだったからだろう。何となくサービスしてみる気になった。
 俺の言葉に反応して、杖を体で隠そうとする彼女に笑いかける。スキルウインドウを表示。
 普段は使わないスキルを選択し、少し前方を狙って発動。


――アルターピース――


 進行方向に神をかたどった大きな光の集合体が現れ、軽い音と共に拡散。小さな天使の様な光の欠片がランダムに周囲を飛び交った。
 足を止めそうになった麻衣の背を押し、そのまま光の中を進んでいく。
 効果は光の中ではHPの自然回復力が上がったり、属性が着いたりする地味な物だが、見た目だけはまさに幻想的な光景だった。
 麻衣は声も上げずに見入ったまま、ふらふらと歩みを進めている。
 光を反射して輝く白いローブ。同じく白い肌は、興奮からだろうか、少し赤みを帯びている。
 明るく照らされた横顔は今にも融けてしまいそうな程に緩んでいて、俺に不思議な満足感をくれた。
 元より効果範囲の狭い魔法だ。すぐに範囲を抜け、光は内部に人が居なくなったことで自動的に効果を失って消えた。
 しばらく無言のままで歩き続ける。
 消えた後もちらちらと後ろを振り返って居た麻衣が俺に向き直って嬉しそうに言った。

「先輩、私、頑張りますね」

 俺が悪い。今のは格好をつけた俺が悪いんだけど、でも、その決意は俺の期待とは方向が違うんだ、麻衣。


 少し考えたのだが結局健一達には声をかけないことにした。二人だけで部屋に戻る。
 時間はまだ早いが前日は一応徹夜だ。抑えている眠気をそのまま感じればすぐに眠れるだろう。
 寝るか、と声をかけると素直に頷いたので、ランプの火を消した。
 寝巻きに使えるような服も買ってはいるのだが、そういう姿を異性に見せるのが少し恥ずかしい。
 俺はそのままの格好でベッドに横になった。
 特に何も言うことなく、麻衣も同様にローブのままで隣のベッドに入っていった。
 着替えるから出て行け、とか。実はちょっと言われてみたかった気もする。

「……麻衣」

「……はい?」

 暗くなった室内で声をかけられた割に緊張した様子も怯えた雰囲気もないのが少し残念な気もしたが、実際そういう話題を出すつもりはない。

「さっきは適当になったけどさ、いや、今もちゃんとしてる訳じゃないけど……麻衣がここに来たのは俺に巻き込まれたせいだと思ってほとんど間違いない。本当に、申し訳ないと思ってる」

 ごまかしたような形になっていたのが気になっていた。もう一度言っておきたかったのだ。

「……それは、良いって言ったじゃないですか。何の話かと思ったのに……もう」

 どういう意味だ、それは。何を意図した台詞なんだ、麻衣。
 一瞬動揺した鼓動を鎮めて、極力何でもないように言った。

「さっきは杏里のせいでちゃんと言えなかったからさ。言っておきたかったんだ。ありがとう」

「…………栗原さん、名前で呼ぶんですよね」

 少しだけ冷えた声だった。
 怒っているとか寂しそうだとか、それほどに感情が込められているわけではなかった。
 隣に視線を向けたが寝具に隠れて麻衣の顔は見えない。

「最初に聞いたのがアクリってキャラ名だったからさ。それに近い名前の方が呼びやすいんだ」

「……そうですか」

 実際にそうなのだが、こんな言い方をされると別の理由があるんじゃないかと自分で疑いそうになる。女性の声にはそういう妙な力があると思う。
 もし杏里が相手なら、妬いたか? と軽く声をかけてやれただろう。
 あいつは何と返事をするだろうか。そんな訳ないと怒るだろうか。妬いて何処が悪いと開き直るだろうか。
 少なくともこの瞬間に口に出せば麻衣の返事は聞くことが出来る。しかしそれに興味がわかない。
 心のどこかで好意的な返事は来ないだろうと身勝手に確信している自分が居た。

「……先輩が……」

「……ん?」

 麻衣の方に視線を戻すと彼女もこちらを見ていた。
 視線が合った瞬間に止まった言葉を、麻衣はゆっくりと繰り返した。

「先輩だけが呼ばれたんなら……きっと私は、先輩を助けるのが役目なんですね」

「……俺の方に役目なんて大層な物があるのかどうか。他にも来た奴が居るんなら、俺だけが特別なんて事はないだろ」

 いじけたつもりはなかったがそんな台詞になってしまった。
 思わず目をそらしてしまった視界の隅で、麻衣が恥ずかしそうに笑うのが見えた。

「それでも、私は先輩の力になりたいです。出来ることなんてないかもしれないですけど、それでも……」

「――――ありがとう」

「……はい」

 昨日言って欲しかった言葉だった。 
 今さっきまで彼女と他の女を比べていた男には勿体無い言葉だ。
 もし昨夜そう言ってくれたなら、きっと俺はこんな気持ちにならなかったのに。
 嬉しいはずなのに、それなのに罪悪感に襲われることなんて、なかった筈だ。
 どうして今になって言ってくれたんだろうかと考えて
 ふと、俺もさっき言わなかった事を言ってみようかと思った。

「麻衣……もしかして、さ」

「……はい?」

 きっと麻衣は興味なさげな返答をすると思った。そんな風に思い込んでいた。
 でも今なら少しだけ、可愛い返事を想像できる気がしたのだ。


「杏里にちょっと妬いたり、したか?」


「………………」


 無言だった。
 マズイ。完全に外した。
 よく考えるまでもなく空気ぶち壊しだ。
 調子に乗って失敗した。何をやってるんだ俺は。

 どうフォローしようかと数秒の間悩んだ。
 そしてその時間はいつかのように、彼女にとっては決意を固める時間になったらしい。

 唐突にばさっと音を立ててシーツを跳ね除け、麻衣が起き上がった。
 普段はこうして目立つ動作で動くタイプじゃない。
 思わずつられて身を起こした俺と視線を合わせ、麻衣は薄闇でもわかるほどにしかめた表情で言った。


「当たり前じゃないですかっ」

 マジギレだった。
 ヤバイ。完全に藪蛇だ。
 しかしどうしてだろうか、怒っているのが不思議と嬉しい気がする。
 それでも初めて見る迫力のある麻衣の姿に、笑いながら返事をしたらこの場でお別れな予感すらした。
 とりあえず表情を引き締め、出来るだけ謝罪の気持ちを込める。

「悪い、初めてゲームの……この世界の事を何でも話せる人に会って、ちょっと調子に乗ってた」

「…………そうですか」

 身を起こしていた麻衣はそのまま寝床を出た。
 こちらに来るのかと思わず身構えた俺を尻目にランプへ近寄ると、マッチを取り出して火をつける。

「……麻衣?」

 薄暗がりから薄明かりに転換した部屋の中、麻衣は俺の対面に座ると、据わった目つきで言った。

「全部話してください」

「……何を?」

「全部です。そのボードゲームの事も、先輩の力のことも、この世界のことも、全部です。全部話してください。今からです」

 身を起こしたまま固まる俺に向かって、逆に身を乗り出すようにまくし立てる。
 テンションの落差についていけない俺を睨み、麻衣は一言で状況を説明した。

「先輩、私、怒ってるんです」

「……ごめんなさい」

 とりあえず、ボードゲームではないということから説明を始めよう。一晩で足りるといいんだけどな。
 余計な事を言ったのか、逆にこれで良かったのか、今の俺には判断がつかなかった。




  流石に全部というのは無理だった。
 二時間程が過ぎた所で俺より先に麻衣が限界を迎え、軽く舟をこぎ始めてしまった。

「麻衣、もう大体の事は話したし休もう。眠いんだろ?」

「大丈夫、です……」

 ゆらゆらと揺れながら言われても説得力がない。
 そもそもこの世界の事や俺に使える力の事は話し終わり、次に話す事と言えば他の職業……魔法使いの話とかになる。
 出来れば聞かせたくない。これ以上やる気になられるとウインドウぐらい開けそうで不安なのだ。
 由来するシステムが違うような気がするのだが、少なくともベルの出し入れは出来るのだし、不可能ではないかもしれない。
 身を乗り出して肩を軽く押すと麻衣はそのまま横倒しに倒れた。
 ちょっと不満そうな顔だったが、素直に寝る姿勢を作ってくれた。子供みたいで少し可愛い。

「明かり消すぞー?」

「はい……」

 返事をする声も眠そうだ。ランプを消して戻ると既に目を閉じて寝息を立てていた。
 抑えているとはいえ俺にも眠気はあったが、何となくベッドに腰掛け、眠る麻衣を見つめる。
 数分か、もしかしたら10分以上かもしれない。俺はそのままの姿勢でいた。

「……案外頑固だよな、麻衣」

「…………」

 勿論返事はない。
 だが、何となく口に出していた。

「……絶対に自分からは言わない気だろ」

「…………」

 好きとか、愛とか、恋人だとか、彼氏彼女だとか。
 そういう台詞を麻衣は絶対に言おうとしない。
 最初から気づいていた。麻衣は受け入れただけで、積極的に俺を求めたのではないと。
 女性に縁の薄かった俺はそれだけでも良かった。
 でも――

「言って欲しいの、わかってるくせに」

「…………」

 経験が少ないから、自信がないから。
 不安になって、わからなくなって、最後には要らなくなる。
 失うのが怖いから、面倒だと嘘をついて投げ出そうとする。
 そうして全部捨ててしまう所だった。
 いやはや、恋愛って、やってみないとわからないもんだな。
 少し冷静に自分を観察できたのは麻衣が歩み寄ってくれたからだと思う。現金と言えば現金だろう。 
 でも麻衣だって随分なもんだ。
 最初に色目を使ったのは自分の癖に後は全部人任せで、大事な部分は許さない。
 その割にキープが外れそうになると怒り、少し近寄って手綱を締める。駆け引きというより自分勝手だ。
 俺も少しぐらい不満を言ったっていいだろう。
 言うだけ言って俺も横になる。そのまま闇を見つめて眠りに入ろうとした。


「……先輩だって、言ってくれないじゃないですか」

「…………」

 眠気の感じられない麻衣の声が響く。
 今度は俺が無言を返した。

「…………ごめんなさい、起きてました」

「ああ、知ってた」

 次の言葉には全く動揺せず即答した。
 また少しだけ無言の時間が流れる。
 お互い身じろぎの音すら立てない。

 不思議と宿の外からも何の音も聞こえてはこなかった。

「……ぷっ」

「……先輩っ!」

 耐えられなくなって思わず噴き出してしまった。
 麻衣もこちらを見て不満気な声を上げている。

「いや、何だろうな、初勝利って感じだ」

「……ぅぅぅ、先輩、ずるいです。不公平です!」

 悔しそうな麻衣に声を上げて笑った。
 ようやく理解した。
 麻衣はちょっと面倒で、その上に面倒な事が好きな子なんだ。
 それに付き合うのもまあ甲斐性なんだろう。
 それなら――

「あんまり頑固な様だと、杏里に乗り換えるからな」

「……先輩、もしかしてそれ、ちょっと本気なんじゃ……」

「どうだろうなー?」

「ぅぅぅぅぅ」

 人を困らせた分、精々悩むと良い。
 それで、出来る事なら俺を好きになってくれれば良いと思う。
 俺も頑張ってみよう。もっと麻衣を好きになれるように。冗談が本気になってしまわないように。
 お休みなさいと怒った様に言う、間違いなく確かな俺の恋人へと返事を返し、今度こそ俺も休む事にした。
 麻衣を相手に散々ゲームの話をしたかもしれない。今日まで感じていたゲームに引き込まれるような違和感はもうなかった。
 でもどうしてだろうか、眠りに沈む直前に脳裏に浮かんだのは、得意気に笑う杏里の姿だった。



 こちらの世界で初めて見た夢の中で俺は『ワンダー』をプレイしていた。
 初めて出会った初心者パラディンと気が合い、ずっとチャットをしていたような気がする。
 眠れた時間は長くはなかったがそれでも気分良く目覚めることが出来た。



「あ、山田」

「どうしたんだよ、早いな、健一」

 気づくと日課のようになっている朝の散歩を終えて宿に戻ると、健一が丁度部屋から出てくるところだった。
 
「まあ、とりあえずお疲れ様。ご愁傷様。お幸せに」

 笑顔で言い捨てて部屋に戻ろうとした俺の首が思いっきり引っ掴まれた。

「何もしてないし、何も起きてない……わかるよね、山田?」

「……いや、別にいいけどな……流石に桂木が可哀想じゃないか?」

 振り返った俺から手を離し、健一はため息をついて宿の壁にもたれかかった。

「本当に何もしてないよ。色々話を聞いて、僕も話をしただけ。後は二人でパンかじって寝たよ」

 嘘を言っている様子ではなかったし、こういう事を恥ずかしがって隠すタイプでもない。本当なんだろう。

「襲われなかったのか。案外純情だな、桂木」

「……すずちゃんは真面目だよ」

 壁にもたれかかったままズルズルと背中を滑らせていく健一。空気椅子一歩手前ぐらいまで姿勢を崩して唸る様に声をもらした。

「だからさ、あんまり仲良くしないようにしてたんだけど……」

「言われちゃったもんはしょうがないだろ。何となく、言ってもらえないよりはマシな気がするしな」

「お、麻衣ちゃんのこと? 聞こうか?」

「……とりあえずはお前の話だ」
 
 こちらの話に逃げようとする健一を押しとどめた。

「振ったのか? ってか、お前今彼女いるんだったか?」

「うーん、彼女じゃないけど、女の子は居たよ。あっちの世界だけどね。……だからまあ、戻ってから返事をするって事で」

 こいつの言う彼女じゃない関係というのは昨日までの俺と麻衣のように可愛らしい曖昧さではなく、もっと悪意と肉欲に満ちている。
 やっぱり桂木に矯正してもらうべきだと思う。間違いない。

「俺は桂木を応援するよ。手が早いくせに無駄に責任感があるお前なら一回で桂木が人生決めてくれそうだ」

「わかってるから、嫌なのに……」

 さらに姿勢を崩してへたり込んだ桂木を軽く蹴飛ばして、昼にそっちに行くからと伝え、俺は部屋に戻った。
 ――戻ったのだが、当然そこにあるのは静かな寝息を立てる彼女の姿だ。
 いやしかし、これから昼までどうしようか。
 寝姿が汚い女性は多いと外でへこんでいる遊び人から聞いたことがあったが、麻衣は寝相も良いし寝顔も可愛い。
 素なのかわざとなのか半端に人を振り回す癖に、結局の所は押しが弱いのが麻衣だ。半ば無理やりに押し倒せば問題はない気がする。
 いや、やらないけどな。うん。
 無駄に高い精神力ステータスをむしろ下げたい気持ちになりながら、皆が使えるアイテムや装備はないかとインベントリのチェックをして時間を潰した。
 チェックの為に実体化していた魔力を帯びた装備品に、目を覚ました麻衣が飛びつき、その一つが彼女の懐に納まった所まである意味で予定通りだ。
 いずれ投資分の利益はしっかりと回収させてもらいたいと思う。


 Acri : そろそろ行くよー? 起きてるー?

「うおわあああああああああ」

「せ、先輩っ!?」

 もうそろそろ正午かという時間、いきなり脳裏に浮かんだ丸文字フォントのチャット文字と杏里の声に、思わず飛び上がってしまった。
ついでに、欲しがる麻衣から守っていた炎属性の攻撃を防ぐ指輪が奪われた。
薄く赤いオーラを放つその指輪は見た目とは裏腹に使い捨ての消費装備で、俺のスキルでも安い材料があれば作れる。
涙目でこちらを見つめる麻衣に精一杯勿体つけて頷いておいた。言わなければわからないのだ、恩に着ておいて欲しい。

「あー……アクリ……杏里から、チャットが来た。いや、意味がわからないと思うけど、チャットが来た」

「……そ、そうなんですか」

 昨夜ネットゲームのシステムの概要は説明したのである程度は理解してくれている筈だ。
 しかし、何故かどの指にもピッタリと合う魔法の指輪に目を丸くする麻衣は聞いているのかいないのか。
 とりあえずチャットウインドウを開こうと頑張り、そこに文字を打つイメージに苦労し、ようやくチャットを送る。
 杏里から返事が帰ってくるのにも5分以上の時間がかかった。向こうも向こうで難儀しているようだ。
 声も自然に入っている事に気づいたのだろう、文頭に『You've Got Mail!』と入っていた。そんな携帯みたいな事をしなくても気づく。 
 ついでに以前見た映画を微妙に思い出した。あれもあれで面倒くさい二人の恋愛物だった気がする。

「これは携帯代わりにはなりそうもないな……。麻衣、向こうの部屋の二人、呼んで来てくれないか。何もなかったらしいから」

「あ、はい」

 結局右手の薬指にはめたらしい。
 嬉しそうにその指輪を見せて、麻衣は部屋を出て行った。
 これは物で釣っていると言えば良いのか、魔法で釣っていると言えば良いのか。
 とにかく、杏里が来る前に健一と桂木にいくらか説明はしておくべきだろう。




「じゃあ、その同じ世界から来た人と会ってる間、僕らを放っておいたと……?」

「気を使ったんだよ、感謝してくれ」

「はい、ありがとうございますっ、先輩!」

 ナイスです、と親指を立てる桂木に、密着状態で抱きつかれている健一がげんなりした表情を見せた。
 ゲームの中なんだと知らなかったのは桂木だけのせいか、誰も動揺しないのを見て桂木もあっさりと事情を受け止めた。

「――つまり、桂木も健一も俺の巻き添えだと思うんだ。本当に申し訳ない」

「それって……先輩もどちらかと言えば巻き込まれた方なんじゃ……」

「だよねぇ……」

 あっさりしている。あっさりし過ぎている。俺がおかしいのか、やっぱり。
 にこにこと微笑む麻衣はこうなるのを予想していた様だった。全く、良い仲間だ。


「そういう訳で俺には妙な魔法が使えるから化け物関係のトラブルはこっちで引き受ける。杏里――昨日会った奴も一応は戦力だから、ここからは大した危険はないだろう」

「その人、杏里さん? 女の子なんだ――痛い、痛いって!」

 反射的なのだろうか、聞いてきた健一の腕を桂木が締め上げる。PTウインドウでHPを確認したくなるのをこらえて気にしないように努めた。

「女は女だけど、ネットゲーマーだしな。そういう雰囲気は期待しない方がいいぞ」

「良かったですねー、健先輩?」

「もう……どうでもいいよ」

 返事は保留した筈なのに、完全に首輪がつけられている。良かったな、桂木。

「…………」

「……ん、麻衣?」

 仲の良い二人に触発されたというよりは、見事な尻に敷きっぷりに心が動いたようで、麻衣も俺の右手を抱いた。
 幾らか力を入れているようだったが、多分麻衣では全力で握っても痛くはないと思う。暖かくて、柔らかい。
 丁度その時、ノックの音が響いた。説明も一段落ついて良いタイミングだ。

「杏里か、入ってくれ」

「はーい、お邪魔しまー…………」

 扉を開けてこちらに顔を覗かせた杏里が一瞬硬直し、そのまま頭を戻して扉を閉めた。

「待て、何やってるんだ、何で逃げる!」

「やだー、こんな甘い空間であたしだけ一人とか無理ー! もういい、ここでNPCと仲良くなって幸せに暮らすから!」

 硬直している他三人は頼れないので一人で追いかけた。しかし言われてみると酷いリア充空間だった気もする。
 俺があんな中に呼ばれたら間違いなく部屋を飛び出していただろう。
 配慮が足りなかったと思う、すまない。口に出すと余計惨めにするので言わなかったが。

「とりあえず帰る目星を付けるまで手伝ってからにしてくれ。あー……FF14が出るまでに帰りたいんだよ、俺は」

「あ……うん、それは確かにそうかも」

 何となく思い出して言ったのだが、取り乱していた杏里が一瞬で正気に戻った。
 来年に開始されるらしい大作オンラインゲーム。それまでに現実に帰れなければネットゲーマーとしては非常に厳しい状況に追い込まれるだろう。
 タイムリミットは年内。二人手を取り合って絶対に帰ると決意を固めた。
 連れ立って部屋に戻り、健一と桂木を引き離して、一人で中央に立っている杏里に自己紹介をさせた。

「というわけで、栗原杏里です。パラディンレベル42、スキルは盾型でステは体力、鎧と剣以外店売り装備だけどスキル使えばある程度頑張れると思うから、よろしくね」

 笑顔で異国語を話す杏里に、健一と桂木がどうしようという目を向けてくる。大丈夫だ、そいつはわざとやってる。

「こっちに来たのは6日前で、カールの森の山側のスタート地点に出たっぽいんだけど気づかなくって。一方通行の川あるでしょ、あれに落ちてこっちに流れてきちゃったんだ。カールの森はプチドラで、山の方はゴブとフェンリルでしょ、もう身動き取れなくなっちゃって。それで困ってたんだー」

 普通は全く理解できないであろうここに居た理由を説明しているが、もはや俺以外の三人は理解をあきらめている節があった。不思議な生き物を見るような目で杏里を見ている。

「川を流されてこっちにきて、近くに危ないモンスターがいるから町から離れられなかったって事だ。杏里、わざとややこしく言うのやめろ」

「あはは、ごめん。そっちは四人だったみたいだけどあたしは一人でこっちに来たからちゃんと人と話すの久しぶりなんだ。いいなー、仲良さそうで」

 まだ引きずっていたらしい。桂木が少し嬉しそうにして、健一がさらにぐったりした。
 ようやく、よろしくお願いします、いえこちらこそ、とやり始めた三人をのんびりと眺められる。
 と、俺が聞いていなかったことを健一が気軽に聞いた。

「杏里ちゃん、失礼かもしれないけど、学生かな? 僕らはみんなA大で、山田と僕が二年、女の子は一年なんだけど」

「うえっ!? ……あ、あたしも大学、一年……なんだけど……そっか、あそこかあ……」

「……何で俺を見るんだよ」

「……見えないなあ……」

「……思いっきり殴ったら何ダメージぐらい出るんだろうな、確認してなかった」

「嘘、嘘! いや嘘じゃないけど、ごめん!」

 別にそんなにレベルの高い大学というわけでもないのだが、杏里は結構ダメな方の子なのかもしれない。

「しかし、一回生か……そのレベルを見るに、『ワンダー』始めて2,3ヶ月……」

「……な、なに? 何が言いたいの、山田君」

「……大学デビュー……ダメだったのか……」

「違うもん、理系なのがわるいんだもんー!」

 うわーんと突っ伏す杏里。
 失敗という意味では麻衣も同じなんだろうが、あきらめずに部活に姿を見せていた麻衣とは逆に、杏里はゲームにのめりこんでしまったのか。

「気持ちはわかる、大丈夫だ。俺なんて7年前からだ。つい一週間前まではリア充死ねとか言ってたぐらい。大丈夫、まだやり直せる」

「廃人に上から目線で現実を慰められた……私って何なんだろう……」

 どんよりと俺の横でへこむ杏里を見て健一がぽつりと言った。

「仲……良いんだね」

 あんまり仲良くすると隣の彼女が怖い。是非お前も仲良くしてやってくれ。いや、口には出せなかったが。










「山田君ー、回復POTと治癒POT、半分ずつでいいー?」

「俺が居るからどちらかと言えば治癒メインで頼む」

「はーい……あ、二年なんだから一応先輩の方がいいの?」

「後輩がそんなに居たら逆に面倒だ。お前は普通にしてくれ」

「ん、おっけー」

 旅支度である。
 レベルがあること、装備があること、魔法やそれに類似した特技があることを話して聞かせた結果、持っていた道具類を抜本的に見直すことになった。

 残念ながら今のレベルでは現状の装備以上の防御力を得るのは難しい。
 そこで回復アイテムの類を買い込んで、それでいざという時は何とかしようという結論だ。
 と言っても回復すれば何とかなるのは杏里ぐらい。健一達にはスタミナ回復のアイテムを持たせて、せめて長く逃げられる様にしたい。
 ちなみに回復POTは即時回復、治癒POTは持続回復。ケアルとリジェネみたいなものだ。

「インベに入れてショートカットから使うと飲まなくても良いんだけど、焦った時使えなかったらぐびっといくしかないんだよね。飲みやすい味のを買おう!」

「……味とかあるのか、ポーション」

 あるある、と力強く頷く杏里。一人で過ごす間、杏里はポーションを使いながら戦っていたらしい。
 それはつまり傷を負ったということか。焦って回復しないといけないような状況に陥ったのか。
 危険を冒さず持ち金で過ごせる限りだらだらと宿に居ても良かっただろうに……まあ、ゲームの中に入れたのにじっと動かないのも耐えられないか。
 しかし焦れば焦るほど反射行動で上手く力を引き出せる俺とは逆に、杏里は焦ると使えなくなるらしい。
 プレイ時間の差がそういう点に出ているんだろうか。

「山田ー、この赤色の薬、イチゴみたいな味がするんだけど、どうかな?」

「回復量は結構あるぞ。二本で全快するだろうからそれでいいんじゃないか」

 了解、と答えて別の棚に向かった健一と桂木が木製の籠に薬を詰め込んでいる。
 命が懸かっている以上妥協はないだろう。むしろこれまでちょっと放置しすぎだったきらいがある。

「先輩、この薬、飲むと魔力が回復するらしいんですけど……」

「少なくとも俺には要らないな。回復量も少ないし、高いし……後、麻衣が飲んでも魔法はつかえない」

「……はい……」

 しゅんとした麻衣が薬を戻しに行った。小脇に抱えた炎の杖がゆらゆら揺れて少し怖い。

「……うん、不公平だよね」

「ん、何がだ?」

 気に入ったらしい。昨日も言ったフレーズで、杏里が言った。

「桂木さん、ちょっと来て来て」

「はいー? 何でしょうー?」

 不慣れだからか、同い年の杏里にも桂木はまだ敬語だ。
 よく考えると男二人が杏里を名前で呼んでいるのに女同士は苗字だ。どう考えても逆だろう。
 疑問符を浮かべる桂木に耳を寄せて、杏里が囁くのが俺にも漏れ聞こえた。

「ちょっとさ、松風さんの装備見てよ、ほら」

「装備って……」

 服装、と受け取ったのだろう。きょろきょろと薬屋を見回す麻衣の姿を、桂木が見つめた。
 基本はいつも通りの白のローブだ。ただ午前中に俺がエンチャントをしたので耐性が幾らか上がり、ぼんやりと白く光っているようにも見える。
 小脇に抱えているのは炎の杖。多少大きいことを別にしても内封した魔力が漏れ出していてまともな杖には見えない。ゲーム内では珍しい品ではないがNPC商店に並んいる訳でもない。この世界なら逸品と言えるレベルだろう。
 頭にかぶった帽子も先日とはデザインが変わっていて、今日渡した――取られた――物だ。純粋に魔法防御力が引き上げられ、微妙にステータスが上がる。こちらも若干妙な力を感じる筈だ。
 指には見慣れない指輪がぼんやりと赤く発光している。どう考えてもただのアクセサリーには見えないし、実際に違う。
 何よりも胸に揺れる白銀のネックレスが素人目にも洒落にならない迫力でオーラを振りまいていた。強く主張しているわけではないので気づき難いが、意識して目を向ければすぐにわかる。
 ひるがえって桂木の姿を見てみた。

 E 布の服

 多分、口にすればこれで済むと思う。
 スタイルを重視した先日の衣装とは違って柔らかな生地で大きめに全身を覆った可愛い服だ。
 間違いなくセンスはあると思うが防御力は普通としか言い様がない。
 俺が両方を見比べたのを見計らってか、ニヤニヤと杏里が迫ってきた。

「不公平だよね? ねえ山田君、どう思う?」

「……あー、いや、すまん……」

「……えっと、健先輩が私には何もくれないなーっていう、話です?」

 方向性としてはそうなのだが、意味的には違う。

「桂木は何て言うか……常識人で無理をしないから、別に装備とか貸さなくても良かったんだよ」

「え、じゃあ麻衣が着けてるの、あれってゲームの装備……なんですか?」

「そうそう、しかも高いよー。全身あわせるとお城ぐらい買えるよ、多分」

「ふぇぇぇ!?」

「買えねえよ。ってかそんなに高くねえよ」

 魔王のネックレス以外は大した金額じゃない。それ以外なら全身あわせても500万ベル程度だ。
 ネックレス自体もそこそこ算出されているので、自力で手に入れていなくても手が出ない値段ではなかった。
 ネットゲームの世界には現実の本物のお金275万円で落札された城つきの島や、毎日プレイして孫の代にようやく入手できるアイテムなどが存在する。
 そういった馬鹿げた品物と比べればそう大したものでもないのだ。
 ゲームを始めて数ヶ月の杏里には高く見えるだろうがそれは単に見方の問題だ。
 七年頑張れば格闘技なら黒帯が取れるだろうし、ほとんどの資格に手が届く。
 平社員なら一端に役職を持ち、生まれたばかりの子供も最後の七五三を迎えるまで育つだろう。
 七年というのはそれだけの時間だ。それだけを捧げたんだから多少の対価はあってもいいと思う。

「高くないらしいですけど」

「山田君の認識がおかしいんだって。ほら、全部売ると今日の宿代で言えば何日分ぐらいになる?」

「……3000万日……ぐらいか」

「ふぇぇぇぇっ、何それー!?」

 宿代が安すぎるのが問題であって、俺のせいではない。多分。

「ユーザーに売れば、だ。店に売ったって金にはならないんだから一緒だろ」

「それはそうだけど、価値で考えればむしろ上がるよ? 魔ネックとか絶対城つきの土地もらえるぐらいの値段になるって」

 算出が0なので確かにレアリティとして言えば上がる。
 価値を理解できる人がこの世界に居ればとんでもない額になるものばかりかもしれない。

「……持たせた方が面倒が起きるかな、あれ」

「……逆に手を出す気にならなさそうだけど……まあほら、今は桂木さんの事」

「あ、はいはい」

 ぼんやりと麻衣を目で追っていた桂木があわててこちらに振り向いた。
 体は硬直しているが、表情は少し緩んでいる。とんでもない額のアイテムを押し付けられるのかと緊張しながら、ちょっと期待しているらしい。

「あたしは手持ちでギリギリなんだけど、山田君もう何もないの?」

「あるにはあるんだけど、全部職装備だな。麻衣にアレを預けてる以上、ボスが出たら全部着けなきゃまずいかもしれないし」

 装備制限レベルがないのは一部の低レベル魔法装備とアクセサリー類に多い。
 しかしレベルに制限がなくとも職業に制限がある事は少なくない。少なくとも手持ちの残りは全て聖職者限定の品だ。
 そもそも雑魚相手でもまともには戦えないので防御を整える意味が薄い。
 一人の時に襲われれば仮に一撃を耐えても数回で死ぬのだから、幾つか譲っておいたところで大した効果がないのだ。
 そして旅の途中で一人になる時と言えば街中か、それこそ手洗いの最中ぐらいだ。それも今後は杏里が居れば問題ない。
 俺と一緒に戦いに行くような特殊な状況でない限りは、戦えば即ち死ぬ。そうでなければそもそも必要ない。この二択になるだろう。
 それでも麻衣に渡しているのは麻衣が俺と一緒に無理をした結果だ。この子は俺と一緒に殴られてくれるのだから仕方がない。
 さらに言えば、贔屓だ。結果だけ言えば無駄だからこそ出来る贔屓だと思う。
 現実のお金を使わずにプレゼントを渡せるのが便利だという気持ちも、正直ある。
 付き合い始めてまだ数日。男の子は格好をつけたいのだ。

「エンチャは?」

「スクロール使い切った」

「強化ポーションとか……」

「持ち歩くかよそんなの」

「あー……困ったね」

「銀行に行けば結構ある。とりあえず教国までならこのままでも問題ないと思うんだけどな」

「えっと……結局私はどうすればいいんでしょー?」

 困った様に笑う桂木に申し訳ない返答をしようとした所で、後ろからひょっこりと健一が姿を見せた。

「忘れてたよ、すずちゃん。はい、これ」

「え……これって、あの時の……」

 健一が鞘に納まった短剣を桂木に手渡した。
 俺と一緒に買ったあの短剣。オーガにトドメを刺した由緒ある物だ。
 普通のナイフだが頑張ればいつかオーガキラーぐらいは名乗れるかもしれない。

「僕は自分の剣があるから、すずちゃんが持ってて。出来れば使わなくて済むようにしたいけど……」

「あ……はいっ! ありがとうございます、健先輩! 大事にします!」

 桂木は完全に満足した様子だ。
 そりゃ俺から高価な物を貰うより、健一から安い物を貰った方が嬉しいだろうさ。
 しかし何だろうか、この脱力感は。
 タイミングと性格から考えて絶対に今の話を聞いてて思いついたくせに、あの男はこれだから困る。
 隣を見ると杏里は俺以上に疲れた様子だった。

「カップル二人の惚気に巻き込まれた感じだよね、あたし」

「……あー、一応言っておくんだが」

 無言のまま濁った目で見返してきた杏里と視線を合わせ、健一を指差して言った。

「あいつ、あの剣はまだ装備制限に届いてないんだ」

「……うわぁ……身を捨てた献身だね……」

 後で俺がもらった方のナイフを渡しておこうと思う。


 夕食は昨日と同じ店を選んだ。
 何となく醤油を思わせる味付けのスープに、何処となく味噌っぽいソースのかかったサラダ。
 すましと言うには濃いし、味噌ダレと言うには薄い。日本風ではあるのだが微妙におかしい。
 メインは魚だが何故か塩釜焼きで、一応ちゃんと食べられはした。少々味が薄い上に一緒に出てきたパンにもほとんど味がなかったのが残念だ。
 店でまともな日本食を食べるのは難しいのかもしれない。うんうん唸りながら食べていた桂木の頑張りに期待したい所である。
 昨日同様、夕食後に杏里とは別れた。
 一通りの準備は終えた。急ぎの旅ではないがさっさと帰りたいのが本音だ。明日の早朝出発することに決めている。
 わざわざ宿を変えるのは面倒なのでそのままもう一泊。面倒なので部屋割りもそのままで、とは桂木談だ。
 山を越えて次の町に着くのは3日後の昼ぐらいだ。何はともあれ体力は温存するべきだろう。
 麻衣と二人の部屋、それでも色気のある会話はなく、すぐに眠ることにした。

「じゃあ、お休み」

「はい、お休みなさい」

 何を期待していたわけでもないがそれでも、二人部屋でベッド同士に距離があるのが何となく残念だった。
 しかし昨日も長くは眠っていないので眠気はある。さっさと眠ってしまおう――


――うわああああああ、すずちゃん、ちょっと、やめ、やめっ……っ!!!!


「…………お休み、麻衣」

「…………はい、先輩、お休みなさい」

 俺たちは何も聞いていない。
 無言のままに確認しあい、そのまま眠りに着いた。
 幸いにもそれ以上の物音が隣から聞こえてくることはなかった。
 健一の抵抗が何処まで続くのか、友人として温かく見守ろう。そう決意した夜だった。




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