「世界に炎の彩りを――――≪紅の絨毯≫」
杖の先についた宝珠が赤く光り、ブラッディウルフへと炎が襲いかかる。≪紅の絨毯≫。炎魔術のわりに威力はないが、広域に攻撃ができ、且つ魔力をあまり必要としない便利な魔術である。炎魔術を使うものなら、まず使えないといけない術の一つだろう。
シオンが果敢に炎の中へ突っ込むのを見て、ミリアスは指示を出す。
「ディオスくんケルムくん、絶対に深追いしないで。確実に二人一組で行動して」
シオンと二人では、あまりに能力に違いがあり過ぎる。彼らでは、数体のブラッディウルフと闘うのも、二人でなければ厳しい。一度ブラッディウルフと闘ったことのあるミリアスは、それを重々承知している。ゆえに彼女は、次の行動を決めかねていた。
中級魔術を使っていいのだろうか。
ミリアスは全てのブラッディウルフを一撃で仕留められるような魔術を、いくつか知っている。そしてそれを使うためには数分の時間が必要だった。Sランクなどの化け物なら二つの魔術を同時に使うこともできるが、Bランクのミリアスではそんなことは到底できない。当然その間、ディオスとケルムを援護することは無理である。
いくらシオンでも、何体かは通してしまうだろう。それを相手にして、ディオスとケルムが生きていられるか、ミリアスには確信がなかった。そして、もう一つ。ミキヤ・フジシロのことが気にかかっていた。
隣に立つ彼は、さきほどから前を向いたまま微動だにしていない。剣を下段で構え、動きやすい姿勢を保ったままである。何を考えているのか、まったく分からない。
もしかしたら、恐怖で身体が動かないのかもしれない。現にディオスとケルムの動きは、緊張でガチガチである。予想外な状況で強者との遭遇。声が出ないぐらい恐怖するには、十分な理由になる。本当のことはどうか知らないが、彼は一度も迷宮に潜ったことがないのだから。
ミリアスにとって、フジシロの存在はディオスやケルムと違う。どうでもいい人ではない。好き――というわけではないが、仲良くなりたいとは思っている。護りたい人なのである。そんな人をここで死なせてしまっては、一生後悔してしまうだろう。
やっぱり、ここは簡易魔術での援護を優先しよう。シオンならなんとかなる。こっちの方が、全員の生存率は上がるだろう。ミリアスはそう決意して指示を出そうとしたとき、ぼそりとフジシロが声を発した。
「やはり、予想的中か。しかしだからってこの状況、おれって運悪いな」
「…………フジシロくん?」
「ん? ああ、ごめん独り言」
ミリアスが戸惑うように言うと、談笑していたときとなんら変わらない口調でフジシロは振り返った。
「広域の中級魔術は使えるよね?」
「う、うん。それは使えるけど…………」
「じゃあお願い。”あれ”のお守はおれがするから」
「……………………お守?」
クイッと親指でディオスとケルムを指すフジシロの言葉を、ミリアスは理解できなかった。ポカンと呆けた顔でたっぷり数秒使い、ミリアスはやっとのことで大声を上げた。
「な、なな何言っているのフジシロくん! そんな無茶なこと。フジシロくん、迷宮に潜るのは初めてなんでしょ。危険だよ」
「学園に来てからはね。その前は潜っていたから、大丈夫」
やっぱりそうなんだ。ミリアスは心中で呟いた。しかし今はそんなことよりも、フジシロを止めることが先決だった。
「それでも! ミキヤくんはそんなあって無いような装備だし、絶対無理だよ!」
「それも、大丈夫」
動揺したミリアスはうっかり名前で注意をしてしまうが、しかしそれでもミキヤは平然と答えた。
「――――強化系魔術は、割と得意だから」
途端、ミキヤの身体がぼんやりと赤く包まれる。炎魔術の肉体強化である。しかし、それは普通の肉体強化と、少し違った。
ぶれがなく、澱みも一切ない。肉体強化とは、身体の奥にある無属性の魔力を変化させ、体外へと放出し肌にとどめる術である。この術の難しいところは、体外に出た途端魔力の扱いが難しくなるところだろう。外に出たがる魔力を無理やり肌に抑えつけるのだから。ゆえに普通、放出のし過ぎで魔力がぶれたり、変化が行き渡らず澱んだりするはずなのである。
しかし、これにはそれがない。完全に安定したまま、肌を包みこんでいる。ここまで完璧な肉体強化を、ミリアスは見たことがなかった。これなら、少ない魔力で大幅に能力を上げることができるだろう。
そのままぼんやりと剣に視線を動かすと、ミリアスはまたもや変化に気付いた。
「……それは……………」
ミキヤの剣が、炎を纏っていた。武装強化かと思い、ミリアスはすぐにかぶりを振った。
……これは、ただの武装強化じゃない。
魔力の濃縮度がけた違いである。シオンのように猛々しく炎が燃え上がらず、剣の刀身が輝きを放っている。よく見ると、薄いガラスのようなものが張っていた。
…………ガラス?
ミリアスは眉根を寄せた。一つだけ、心当たりがあったのである。
「…………もしかして、圧縮強化?」
「よく知っているね」
強化系魔術の最終形、圧縮強化。
物質に限界まで魔力を圧縮し、強化する魔術。成功すると、実体を持たない魔力が物質化され、格段に能力が跳ね上がる。基本的に、肉体強化や武装強化と原理は変わらない。それらを突き詰めれば、圧縮強化になるのである。だがこの魔術は、そんな単純なものではない。天才的な魔力コントロールに、並はずれた集中力、さらにもう一つ――度胸が必要とされる。この魔術は失敗すれば、魔力暴走が起き命にもかかわるのである。
「おれの魔力だと刀身のみが限界だけどさ、多分なんとかなると思う」
「………………」
「どうかした?」
「あ、ううん。そうなんだ。そ、それは残念だねー」
ミリアスはどう反応していいか分からなかった。得意? 刀身が限界? これはそんな風に話せる魔術じゃないのである。そんな――――初級魔術について話すような感じでは、ないはずなのである。そこら辺の攻撃系の上級魔術よりは、よっぽど難易度が高い。武装強化と重ね合わせるとなると、究極魔術並である。
「じゃあ、いいかな?」
「え、何が?」
「いや、だからその……」
「……ああ! うん、任せて。広域に中級魔術だよね」
ミリアスが慌てて返事をすると、ミキヤはほっとしたように微笑した。
「頼むよ。ミスタリアさん……だっけ? 向こうも大変みたいだから」
それだけ言い残し、ミキヤは走り出した。ミリアスはその背中を、茫然と眺めていた。しかしすぐにやることを思い出し、魔術詠唱を始める。
悩んでいる暇はない。話していたせいで、一分以上はロスしてしまった。ミキヤくんが何者かは、今関係ない。そう、今は。これが終わった後に、聞けばいいだけなのだから。
地面を踏み締め、滑るようにミキヤは走る。三体のブラッディウルフが、ディオスとケルムを襲っていた。どうにか二人ともまだ立っているが、危ない状況である。ディオスは腕、ケルムは肩を負傷していた。
「うわわぁぁぁぁ!」
閃くブラッディウルフの爪を、ディオスは悲鳴を上げながら無様に転んで躱す。土で汚れた顔には、恐怖が滲んでいる。ブラッディウルフはその表情を楽しむかのように舌舐めずりし、未だ尻持ちをついたままのディオスにじりじりと近づく。
「死ね、この犬野郎がぁ!」
ケルムは無骨な大剣を振るい、その間に割って入る。重い斬撃は背中に叩きつけられるが、灰色の体毛で包まれた皮膚からは一滴の血さえ流れない。ケルムは躍起になって大剣を振り回す。
「なんで死なねーんだよ!」
「馬鹿! さっさと避けろ」
駆け付けたミキヤは、ケルムを蹴飛ばした。ぐらりと重心が傾くと、その横をブラッディウルフが通過する。
「なっ!? フジシロ!?」
「胴体ばっかり狙いやがって。お前の腕じゃ、それだと無理なんだよ。もっと考えて闘え」
「お、お前…………」
「見せてやるから、少しそこで寝とけ」
一方的に告げると、ミキヤは剣を構えた。突然の乱入者に、三体のブラッディウルフは唸りながら様子を窺っている。どうやら、彼らはミキヤを餌ではなく敵と認めたようである。
さて、やるか。
ブラッディウルフが三体。以前ならば、さして苦労する相手ではない。これくらいの闘いは、いくらでもこなしてきた。しかし、胸の鼓動が納まらない。これが一年のブランクか。ミキヤは心中で自嘲する。
「それでも、負ける気はさらさらしないけどな」
ミキヤは地面を強く蹴った。姿勢を低くして、弾丸のように駆けだす。
「性格の荒いブラッディウルフが相手の場合、もっとも有効なことは機先を制すること」
正面に立っていたブラッディウルフの額に、剣を突き刺す。ブシュッ! ブラッディウルフから血が噴き出し、音もなく倒れる。あれほど厚かったはずの体毛は、一切効力をなしていないようだった。
「攻撃をする場所は比較的体毛の薄い額か足。なお、最も体毛に有効な攻撃の仕方は、斬ることではなく突くことだ。そして一番の弱点は――――」
虚をつかれて止まっていたブラッディウルフの視線が、倒れた仲間に止まる。その瞬間、瞳が激情の赤に染まった。二体は同時に駆けだし、ミキヤの首元に飛びかかった。
「――――仲間を殺されると、知能を失うことだ」
首に喰らいつかれる寸前で、ミキヤは屈んだ。空中において身体は言うことを聞かない。二体のブラッディウルフが、ミキヤの頭上でぶつかり合う。
「まあ、けど――――」
ブラッディウルフがゆっくりと落ちてくる。ミキヤは腰を低くし、右足に重心をかけた。そして、胸の位置でブラッディウルフが重なると、渾身の力で剣を振りぬいた。
「体毛が斬れれば、別にそんなかったるいことは考えなくていいんだがな」
鮮血が宙に舞う。ミキヤはそれを見向きもせず、剣を鞘に納める。尻持ちをついたまま硬直したディオスとケルムに、手を差し伸べる。
「ほら、立てよ」
「あ、あ…………」
二人の瞳は、畏怖と驚愕があった。まるで化け物のようにミキヤを見据え、差し出した手も掴まない。ミキヤは苦笑して、襟首を掴んでディオスとケルムを無理やり立たせた。
「何もお前らを殺したりしねーよ。それより、だいたい闘い方は分かっただろ。後はお前らがやれよ。どうしても危なくなったら、加勢してやるから」
「……………………」
「……なんか言ってくれよ」
「わ、分かった」
「よし」
快活に笑い、ミキヤはシオンに振りかえった。援護に行こうと歩を滑らし、すぐに止まる。
あの様子なら心配ないだろう。ミキヤは次々とブラッディウルフを屠っていくシオンの姿を見て、そう決めつける。それに、自分が闘えるところ見せつけたくないのである。今後の為にも。
それにしても……無茶苦茶だ。
シオンを見ていると、ミキヤは自然とため息がこぼれていた。
あれは絶対おれには不可能闘い方だ。あんなに無駄な魔力の使い方をしているのに、まったく疲れる様子がない。おそらくシオンの魔力量は、おれ分の十倍近くあるだろう。必死に制限して強化魔術を使っていることが、馬鹿のようだ。
剣にしてもそうだ。ともかくでたらめ。一応何処かで習ったことはあるのだろうが、まだまだ未熟だ。明らかな隙を、何度も晒している。しかし、もちまえの反射神経や運動能力でそれをカバーしている。まるで、本能のみで闘っているようだ。
「あーあ…………」
憂鬱な気分になって、ミキヤは目を背けた。あれは、たまにいる天才という奴である。今は未熟だが、いつかは探索者の中でも名を知られるようになるだろう。そんな奴を見ていると、虚しくなってくる。
ミキヤは索敵魔術を展開した。薄く魔力を張り巡らせ、周囲を窺う。地味な魔術であるが、探索者としては必須の魔術である。そして『地味』は、ミキヤの得意分野であった。
十メートル。二十メートル。範囲をどんどん拡大していく。
本来なら、この状況で索敵魔術を展開する理由は、皆無と言っていい。元々生息するはずのない凶暴なブラッディウルフが、ここまで大量に発生したのである。他の魔物は、喰われてしまっているだろう。残っていたとしても、危険はほとんどない。
しかし、嫌な予感がした。これ以上の脅威があるような、そんな――――予感がした。杞憂だったらいい。だが的中だったら、冗談では済まされない。
「…………やっぱり、勘違いか」
索敵が三百メートルを超え、ミキヤはほっと胸を撫で下ろす。目立った反応はない。危険な魔物がいたら、嫌でも気付く。一応、もう少しだけ。ミキヤはさらに索敵を拡げようと意識を遣り――――背筋に凶悪な悪寒が奔った。
まずい。まずい。まずい。まずい。まずい。まずい。
強力な魔力を持った何かが、凄い速さで接近してきていた。このままだと、数十秒もすれば追いつかれる。
呑気にしている暇はないっ!
素早い動作でミキヤは駆けだす。シオンに声をかけようとするが、倒れていたブラッディウルフがよろよろと立ちあがった。ちょうど、シオンの背後である。
あれを殺すのが先か!
ミキヤはシオンに飛びかかったブラッディウルフを、一刀のもとに葬り去る。しかし、そんなことはどうでもいい。ミキヤはシオンの腕を掴んだ。
「逃げるぞ」
「は?」
「早くしろ! 死にたいのか!?」
「ちょ、ちょっと、あんた逃げるって何処に――――」
「ミスタリアさーん!」
どいつもこいつも!
一流の探索者なら、分かるはずなのである。この強烈な殺気を。もうそれが、索敵魔術を展開する必要もないぐらい近くに迫っていることが。
間に合わない。ミキヤは瞬時に判断し、全速力で走る。ディオスとケルムを腕に抱えて、声を上げた。
「伏せろおおぉぉぉぉぉ!!」
そして彼の意識は、暗転した。
主人公本領発揮。しかし、最強というわけではありません。つーか続きじゃなくてごめんなさい。ミリアス&ミキヤ視点です。