突進してくるレッドグレムリンを避け、シオン・ミスタリアはその胴に剣での一撃を入れた。ギィッ!! と悲鳴を上げ、レッドグレムリンは倒れ込む。ぴくぴくと痙攣していたが、やがて動かなくなった。
シオンはため息を吐きながら、剣を鞘に納める。あっさりと魔物を倒したというのに、その表情に喜びはない。ただただ、面倒そうだった。
この迷宮はお遊びでしかないのである。いくら魔物を倒しても、何一つ感慨が湧かないのは当然だった。
合同探索とは、学園側が用意した強制の探索である。パーティーに迷宮、さらには潜る階数までも学園が決め、こちらに選択権は一切ない。
これは一重に、生徒全体のレベルを学園が見極めるためである。探索者はSSからEまでのランク付けがされているとはいえ、学生たちのほとんどはCかD。単純にランクだけの判断では能力に大きなばらつきがある。ゆえに、なるべく全体が均等になるようパーティーを組ませ、能力を測るのである。
この制度は、低能力者に好評を得ている。普段は組めない上位のランカーと探索できることは、そうそうない。自分が強くなったように感じられるのである。
しかし、上位に名を連ねる探索者にとっては、最悪だった。自分より断然格下と迷宮に潜ることなど面白くもなんでもない。しかもその迷宮でさえ、別段行きたくもない所なのである。
シオンはもう一度、倒れた魔物を見据えてから、歩き出した。
ホント嫌! 探索者って自由がモットーじゃないの? ……さっさと終わらせて帰ろう。十六階までで今は十一階だから、一日もあれば……いや、急げば半日で………。
「どうしたの? シオンちゃん」
肩が叩かれる。俯いていたシオンの視界に、一人の少女が映った。
「ミリア…………ううん、早く帰りたいと思って」
「アハハ、まだ言っているの。もう、諦めなよ」
ミリアス・アルステイは、長い金髪を弄りながら人懐こい笑みを浮かべた。
彼女はこの探索において、唯一の当たりであった。学園では数少ないシオンと同じBクラスであり、炎と氷――さらには治癒魔術も使いこなす優秀な魔術師である。同じ地方出身ということで仲が良く、何度か一緒のパーティーを組んだこともある。その祭、シオンはいつの間にかちゃん付けで呼ばれるようになっていた。
身長はシオンの肩より少し上ほどしかなく、小柄な体格をしている。長い金髪が特徴で、いつもゴムで括っている。邪魔ではないかとシオンは思うのだが、どうもミリアにとっては大切らしい。一度進言したら「髪は女の命なんだよ! シオンちゃんはもっと伸ばすべきだよ」と言われた。
笑顔を絶やさずほのぼのとしたイメージを持たせるが意外にしっかりしており、未だどんな魔物に襲われてもミリアスが平静を欠いたところを見たことがない。いついかなる時でも冷静さが求められる後方支援において、その性格は一種の才能である。シオンは彼女のことを高く評価していた。
「無理よ。こんな所で時間を取られるのなんて、もう最低。やることだって沢山あるっていうのに」
「シオンちゃん今度Aクラスになるもんねー。更新手続きとか、大変らしいよ」
「知っているから焦ってるの! ああもう、誰よ。こんなこと考えだしたのは」
「まぁまぁ、休暇だと思えばいいんだよ」
「こんなの休暇って言わない。あんな奴らと一緒じゃあ全然心が休まらないし――――」
「ミスタリアさーん、アルステイさーん」
噂をすれば、とシオンはこっそりと毒づいた。向こうから男が二人、息を切らしながら駆けてきた。
「ミスタリアさんの剣での一撃、凄かったです! まさに会心の一撃! ていう感じでした」
「そう、ありがとう……」
シオンは素っ気なく返事を返しながら、内心であきれ返っていた。
褒めればいいと思っているのだろうか。凄い凄いって馬鹿の一つ覚えみたいに。
ディオスとケルムと言ったか。二人は受付所で集まってからずっとこの調子だった。何をしても手放しで褒め、ずっとペコペコ下手に出ている。そして機会あらば、自分を必死にアピールする。下心が丸見えだった。
二人は、今回の探索でなんとしてでも顔を覚えて貰おうとしているのである。そしてあわよくば、またパーティーに呼んでもらうことを望んでいた。
気持ちは分からなくもないけど…………。
シオンは二人を見遣った。どう見ても冴えない顔。矜持も野望も、何一つなさそうだった。シオンとミリアスは、学園内において高ランクで女性である。さらに二人は、タイプは違うが美少女と分類していいだろう。
シオンは女性にしては背が高い。ミリアスより頭一つ飛び出ている。それでもジャイアントオークなどと直に切りあう前衛の探索者としては、割と小柄な方だが。家紋の入った剣を腰に提げており、鍛え上げられた躍動的な体躯には、魅力と気品が同時に存在している。燃えるような紅い髪は適当に短く切り揃えられ、しかしそれが良く似合っていた。光沢を放つ鋭い瞳が、そうさせているのだろう。
ミリアスはまるで逆、お姫様のようである。小さな体躯に、くっきりとした瞳。長い睫毛は上品に整えられ、頬はほんのりと桜色をしている。長い金髪はシャンプーの匂いを漂わせ、男共を魅了して止まない。
男子の比率が圧倒的に多い探索者の中で、女性の存在は貴重である。むさ苦しい男だけで、何日も迷宮に潜りたくはない。誰だって潤いが欲しいのである。美少女で高ランクとなると、もはや喉から手がでる存在だろう。かの有名なアシリアス・オルマニウスが聖女などと崇められているのには、そういう理由がある。
「アルステイさん炎魔術、凄い威力だったですね!」
「そんなことないよー。わたし近戦闘は無理だから、これぐらいしか取り柄がないんだ」
これぐらいしか取り柄がない……か。
隣で明るく答える少女の言葉を、シオンは反芻した。ミリアスは決して近戦闘が無理なわけじゃない。体格や運動能力の問題から本職みたいにはできないが、それでもディオスとケルム程度ならそう変わらないはずである。
どうして彼女は、こんな分かり切ったお世辞に笑顔を振りまけるのだろう。シオンには不思議でならなかった。
「ほら、シオンちゃんも笑顔」
ディオスとケルムが離れると、ミリアスは小さな声で耳打ちした。
「笑っているじゃない、ほら」
「凄く堅いよ。もっと自然に」
「だいたいミリアが変なのよ。あれに、あんな笑顔を返せるなんて」
「安心して、いつもはこんなに笑わないから。わたしも疲れちゃうし。今回は特別だよー」
「特別? どうして?」
「えとね…………」
ミリアスは用心深く周囲を見渡す。ディオスとケルム、それともう一人の男が声の聞こえない位置にいるのを確認すると、シオンの耳元で言った。
「ほら、今回はフジシロくんがいるからさ」
「…………はぁー?」
シオンは自然と声が漏れていた。
「フジシロくんってあれ? あれのこと? 何、どういう意味?」
「シィー、声が大きいよ、シオンちゃん」
「だって……」
ミキヤ・フジシロ。今回、最後のパーティーメンバーであり、今回一番の貧乏クジである。一度も迷宮に潜らない男、というのは生徒の間でも有名だった。
「あいつ、この時期にまだ一回も迷宮に潜ったことないのよ。装備からしてやる気ないし。学園の制服と最初に支給されるショートソードって、一体どういった了見よ」
「お、落ち着いて。シオンちゃん」
「わたしは落ち着いているよ。それよりミリア、あいつの何がいいの?」
怒鳴るシオンを前に、ミリアスは僅かに頬を赤く染めた。
「まず……外見は悪くないでしょ」
「それは、まあそうかもしれないけど」
シオンは話題の男に目を遣った。
ウィズルム地方では珍しい黒髪に黒い双眸。きっと彼は、ここら辺の出身ではないのだろう。遥か東にあるジレーヌ地方の辺りかもしれない。
特別秀でて容姿がいいわけではないが、雰囲気がディオスとケルムとは違う。どことなく落ち着いており、瞳にも意思が感じられる。姿勢もよく、ただ立っているだけなら様になるかもしれない。
「でも、それだけじゃない。ちょっと見た目いいぐらい、いくらでも転がっているでしょ。あいつ、迷宮に潜らないへたれなんだよ」
迷宮学園には、大体、年に十人そういった者がいる。入ったはいいが、怖くなって潜ろうとしないである。大概にして、すぐに学校自体を辞めてしまうので、未だ留まり続けているミキヤ・フジシロは目立っているのだが。
「うーん、それなんだけどさ。フジシロくん、迷宮潜ったことがあるんじゃないかな……」
「は? どうしてそうなるわけ?」
「だってフジシロくん、落ち着いてない?」
「あーそれはわたしも思ったけど」
初めて迷宮に潜る者は、大なり小なり緊張する。現にシオンがそうだった。実力の半分も出せないで、悔しい思いをした。しかし、彼にはまったくと言っていいほどそれがないのである。平常時と何も変わらない。
「Bランクが二人もついているから、安心しているんじゃない?」
「それでも不意打ちの可能性とかはいくらでもあるよ。あれはどう見ても『慣れてる』って感じがする。あと、それだけじゃないんだ」
「まだあるの?」
「うん、これも多分だけど……フジシロくん、結構強いと思うんだよ」
「いや、ミリア。それはないって」
シオンはきっぱり断言した。反射的な即答である。
「あいつまったく闘ってないじゃない。それは無茶があるから」
「うー……これだって根拠があるんだよ! 話すと長くなるから、今度言うけど」
「でもねー」
ここに降りてくるまで、戦闘は数十回と行われている。しかし、シオンは未だフジシロが闘っているところを見たことがなかった。シオンとミリアスがほとんど片づけてしまうというのもあるが、それでもディオスやケルムはわざとらしく闘うところ見せつけている。どうも、意欲そのものが無いらしい。
そして、彼が身につけているのは、もはや防具とも言わない制服である。武器は入学当初に配られるショートソード。
これで強者というのは、無理があった。
「いいよもう。シオンちゃんの馬鹿。わたしフジシロくんと少し喋ってくる」
「あっミリア!」
ミリアスは頬を膨らましそっぽを向き、フジシロの方へ走っていく。シオンは慌てて追った。
どうしよう、ミリアが悪い男に引っかかった。友達だし、なんか言ったほうがいいのかな……。
内心で戸惑いながら、シオンは二人の後ろに何気なくつける。聞こえてくる会話に、聞き耳を立てた。
「フジシロくん、何しているの?」
「シシトガの実を拾ってさ。家に持って帰ろうかと思って」
「シシトガの実?」
「知らない? 回復薬とかに使われる材料だよ」
「へぇー、それ高くで売れるの?」
「いや、全然。家で回復薬を作ろうと思って」
「フジシロくん回復薬を作れるの!?」
「結構簡単だよ。だれにでもできる」
「凄いなー。今度わたしにも作り方教えてよ」
「人に教えるほどは知らないよ。学園の教授に聞いたらいいんじゃないかな」
「教授はなんかお堅いからさー。お願い、フジシロくん」
「うーん、あんまり期待はしないでくれよ」
……悪い奴ではないかもしれない。
シオンはフジシロの肩を見据えながら呟いた。
ミリアスと話す男は、たいてい嫌らしく鼻の下を伸ばしている。フジシロにはそれが感じられない。せっかくのミリアスのお誘いも、最初はやんわりと断っている。強者云々はどうか知らないが、女を嵌めるような奴には見えなかった。
この探索が終わるまでは、とりあえず放置しとこう。
シオンは色々迷って、そう決めた。悪い奴でないなら、今すぐどうこうする様な問題ではない。探索が終わってもまだ言うなら、改めてその時考えればいい。
シオンはそんな風に、今回の探索を軽視していた。ここで命を落とすことは、絶対にないと。それは、探索者にあってはならない油断だった。しかし、そのことを誰が責めることができるだろう。