それは異様と言って差し支えない光景だった。
無様に胸倉を掴まれ血を流している男は、二メートルはあろうかと思われる巨漢である。毛むくじゃらの身体には、鎧のような筋肉。背中にかけている剣は、幹也の胴と同じぐらい太い。探索者というよりは、山賊の親分と言ったほうが板につくだろう。闘うために生まれてきたような男である。その点少女は、あまりに小さかった。男との身長差は、どう見ても四十センチ以上はある。ローブから伸びる腕は、病的なまでに細い。フードで隠れた顔から時折覗かせる瞳は、蒼く透き通っている。修道女のような真っ白なローブといい、こんな所にいることは場違いのような気がした。
対比すれば、小人と巨人のようなものである。しかし小人は、巨人をボコボコに。いや――半殺しにしていた。
状況から判断すると、この惨劇を起こしたのは少女なのだろう。近くにある椅子や机は無残に壊れ、そこら中に血痕が飛び散っている。どこにそんな力があるのだろうか。今は自分の倍以上体重があるだろう男を、片手で持ちあげていた。周りを円で囲っている探索者に、止める様子はない。少女に圧倒されたのだろうか。被害を受けないよう、安全な距離を取っている。
もちろん幹也にも、さらさら止める気などない。目立ちたくないし、どう考えてもあれは危険である。他人ために身体をはるほど、幹也は善人ではない。死人が出るというなら話はまた変わってくるが、やってる方もそれぐらいの分別はあるだろう。静かに合掌して、そこから立ち去ろうと踵を返し、
「聖女…………アシリアス・オルマニウス」
ぴたりと、足が止まる。その言葉を吐いたのは、隣に立っていた男であった。幹也は嫌な予感がして、振り返る。顔を隠していた少女のフードが、取れていた。
幹也と同じ、上質な炭を思わせるような長い黒髪をしている。この地方では、黒髪は珍しい。ほとんどの者が茶髪で、時折金髪がいるぐらいである。さらに、蒼い瞳なんてものは、もっと珍しい。ゆえに、その外見だけで、彼女は自分自身を証明できる。
アシリアス・オルマニウス。四大貴族、オルマニウス家の直系であり、膨大な魔力と正確無比な治癒能力により史上最年少でSランクを頂戴した天才児。その美しい容貌と、治癒という極めてまれな能力により、今では『聖女』とまで呼ばれている。
幹也は改めてアシリアスを見遣った。ローブに負けないぐらい色白の肌も、幼いが整った目鼻立ちも、何も知らない者が見れば聖女と言ってしまうかもしれない。知らない者がみれば。すなわち知っている者が見れば、その印象はまったく変わってくる。そして幹也は、不幸なことに知っている者だった。それもかなり。
(何やってんだあいつはぁぁぁぁ!)
泣きたくなった。久しぶりに来た受付所で、これはあんまりである。幹也は頭を抱える。怪訝そうに視線が突き刺さるが、もはや気にさえならない。
アシリアスは、加減を知らないのである。彼女は、人間というものはどれだけやっても死なない生き物だと思っているのだろう。確かに、ただの拳での殴り合いならそう簡単には死なない。そこまで脆くはできていない。しかし、致命傷を浴びても完全な状態まで治してしまうほどの魔力量を持つアシリアスが肉体強化を行えば、それはもう拳での殴り合いとは言わない。大男が重量三十キロはある鈍器で痛打するようなものである。本気で肉体強化をすれば、岩でも砕けるだろう。決して彼女は聖女などと可愛いものではない。
大男はすでにぐったりと気を失っていた。このままほっておけば、死ぬ可能性も十分あり得そうである。そしてこれを止められるのは、おそらくこの中では幹也だけだった。Sランクの探索者に口を出す馬鹿など、そうそういないのである。それこそ、同じSかそれ以上、もしくはある程度見知った仲でなければ。
(でも、いいよな……無視しても)
無視してもだれも文句は言わない。皆同罪なのだから。それに、やられてるのは他人である。おれには関係ない、そう幹也は自分に言い聞かせようとして――やっぱり止める。さすがに、知り合いを人殺しにするのは、気がひけた。
いくら様々な権限が認められているSランクとはいえ、人を殺して無罪とまではいかないだろう。国家機関の守護者≪ガーディアン≫に捕まえられ、その後に何日か牢屋に入れられる。あーもうなんでおれが、と幹也はアシリアスに近寄った。
突然円の中心に歩いていく少年は、非常に目立った。ざわざわと騒ぎ声がする。幹也は心を無にして、その声を全て聞き流す。だが、肝心のアシリアスは幹也の存在にまったく気付かない。
「あなたのせいで、わたしの友達は……」
「あーこほん」
「いいですか、世の中というものは……」
わざとらしく咳払いをする幹也を、アシリアスは完全に無視する。
「いや、あのアシリアス?」
「ですからわたしは、あなたという人物を……」
「おいアリア? そろそろ反応してくれないと、泣きそうなんですが。ねえ、アシリアスさん?」
「ああもう! なんですかいったい。わたしは今取り込み中で――――」
苛々と振り返ったアシリアスの声が止まった。大きく目が見開かれる。幹也はぎこちなく微笑みを浮かべた。
「よ、久しぶり。アリア」
「ミキヤさん!?」
瞬間、アシリアスが掴んでいた男が投げ飛ばされた。空いていたテーブルへもろに叩きつけられ、力なく床に横たわる。
「おまっなにしてんだ!?」
「うそっ、こんな所で会うなんて、凄い偶然。ん? こんな所…………そういえばここ、受付所だよね。ということは、ミキヤさんが迷宮に潜る? あのミキヤさんが? 一年前から断固としてそれだけは拒否した、あのミキヤさんが? あれ、ホントにミキヤ……さん?」
焦る幹也を尻目に、アシリアスは完全に自分の世界にトリップする。おかしい、いやでも、と自問自答を繰り返す。その間に幹也は投げられた男を抱き上げる。
「ああ、やばい。泡吹いている。意識もない。担架をここに。いやそれよりも――おいアリア、早く治せ!」
「でもあの声はミキヤさんに違いないし。ううん、もしかしたら全然会ってないからそう感じるだけかもしれない。ああでも……」
「ア・リ・アああぁぁ!」
大声で幹也は肩を揺さぶる。アシリアスの目に、正気が戻った。
「あ、本物のミキヤさんだ」
「おれの偽物なんているか! いいから早く治せ」
「へ? 嫌ですよ。あんな人。ねえそれよりミキヤさん、迷宮に潜るんですか?」
「即答かよ!? おれがどうしてここにいるかは後で教えてやるから、あの人を治癒しろ!」
「もう、ミキヤさんにそこまで頼まれたら、しょうがないですね。貸し一つですよ」
何が貸し一つだ、やったの自分だろ。という言葉はぐっとこらえる。そうでもしないと、男は死にそうだった。アシリアスは軽やかに飛び跳ねると、男の前で膝をつく。一番酷い顔の傷に手を当てると、目を瞑った。
一瞬だった。男の身体が光に包まれる。時間にしたら三秒もないだろう。光が消えさると、あれほどボロボロだった男の身体から一切傷は無くなっていた。すぅーすぅーと穏やかな寝息を立てている。
「はい、終わりましたよ」
こともなげに言うアシリアスを、幹也は改めて見直した。ここまで素早く治癒を行う者が、世界に何人いるだろうか。おそらく、十人もいないだろう、というのが幹也の考えである。一般の治癒師があれだけのことをしようと思ったら、丸一日はかかるだろう。しかも、彼女はそれだけのことをして平気な顔をしている。普通なら疲労困憊で倒れてもおかしくないのだが。
(まったく、反則だよな……まあ、さすがSランクという所か)
「何難しい顔してるんですかミキヤさん。早く教えて下さいよ、どうして受付所にいるんですか?」
「あーそれは――」
と口にしたところで、幹也は押し黙った。周りの視線が明らかに自分へ向いていた。聖女の知り合いに興味があるのだろう。色々と積もる話だってある。大勢に会話を聞かれるのは、あまりよろしくなかった。
ひょい、と幹也はアシリアスの襟首を掴み持ちあげた。その体重は、先ほどまで大男をボコボコにしていたとは思えない程に軽い。幹也はそのまま歩きだす。
「はい? ミキヤさん?」
「黙ってろ」
足早に酒場を離れ、幹也は一直線に受付へ向かう。途中でぶつかりそうになるが、魔法のように上手くかわしていく。
「あの、すいません」
「え、ああはい、何でしょうか?」
声をかけると、受付の女性は虚を突かれたような顔になる。聖女を片手で持ちあげているのが、よっぽどシュールなのだろう。しかし、すぐに冷静さ取り戻し丁寧に対応する。
「個室を三十分ほど借りたいんですが。一番小さな奴でいいです。支払いはこいつがするんで」
「ええ!? ミキヤさん、わたし今手持ちはほとんど……いたっ!?」
反論の声を上げようとするアシリアスの頭に、拳が降り落ちた。
「うっさい。Sランクがけちけちすんな。どうせ稼いでるんだろう」
「痛い……何も殴らなくてもいいのに」
「あの、よろしいでしょうか?」
「すいません。で、個室ありますかね?」
「第三会議室なら空いてます。しかしそこは五人様用で……」
「構いません。お願いします」
「だ、だからミキヤさん。わたし今手持ちが……分かりました! 分かったから痛いのは嫌です!」
「では、向かって左にある扉からお入りください。突き当りの部屋になります」
幹也は小さく頭を下げ、扉を開けた。アシリアスは未だ抱えられたままだった。
「へぇーこんな風になってるのかー」
初めて借りる個室に、幹也は思わずそう口にした。想像していたよりずっと広い。机と椅子が置いてあり、詰めれば十人近くは入りそうである。低金額でこれだけのスペースが確保できるならお得だな、と視線をきょろきょろと動かしながら呟く。
受付所の会議室は、主にパーティーが迷宮に潜るための作戦を練る場所である。自分の情報伝えどういった闘い方をするか、またどのように弱点を補うか。そういう会話をするときは、人気がないところがいい。しかし、大人数が収容でき、なおかつ静かな場所というのは存外あまり多くない。そんな探索者のために、受付所が『会議室』という名前で個室を設けたのである。お手頃の値段で借りられる会議室は、多くの探索者に重宝されている。
「うぅ……酷い」
感心する幹也の後ろで、アシリアスはわざとらしくすすり泣く。
「なんだよ、いいだろちょっとぐらい。Sランクにとって個室の値段なんて塵に等しいだろ」
「違います。いや、それもありますけど! なにも殴らなくてもいいじゃないですか。わたし乙女ですよ。そのやわ肌を、拳骨するなんて信じられません!」
「………………」
「な、なんですか。その冷たい目は? 『お前が乙女?』みたいな目は」
「その乙女もさっき人を殴ってたなーと思って」
「あれは別です。正義の鉄拳という、崇高な目的があるのです」
「正義の鉄拳はそんな簡単に人を殺しかけねーよ」
「え?」
アシリアスが首を傾ける。そして、小さく笑った。
「嫌ですね、ミキヤさん。わたしだってそれぐらいの手加減はしていますよ」
「………………あーごめん、おれの勘違いだった」
「もう、幹也さんったら」
「悪い悪い」
「ほんとに、おっちょこちょいですね」
(こいつ殺してー。でも普通に向かって行ったらあの怪力だし。毒薬は……聖女というぐらいだし、効かなさそうだな。あーなんかいい方法ないかな?)
内心でダークなことを考えつつも、幹也は完璧な笑みを浮かべて見せる。アシリアスもそれに合わせて、表情を緩めた。形だけなら、その対話はとても仲が良さそうに見える。実際は果てしなく微妙だったが。
「まあ、人間だれにでも間違いはありますよ。それよりミキヤさん、迷宮に潜るんですか?」
「黙れくそ野郎。おれがどれだけ苦労したと…………ん? あーともかく座れよ。色々話すこともあるだろ」
思考を打ち切り、幹也は椅子にかけるよう促す。前半部分は聞こえてなかったのか、アシリアスはニコニコしたままそれに従った。幹也も座り、一度呼吸を落ちつけてから口を開いた。
「まず久しぶりだな、アリア。Sランク昇格おめでとう」
「わあ、ミキヤさんがそんな嬉しいこと言ってくれるなんて。明日は世界が滅びます」
「殴るぞボケ。……まあ、いいや。お前、いくつになるっけ?」
「十六ですよ。それがどうかしました?」
幹也は一応今年十九歳になる。三つも下の少女にここまで差をつけられているのは、やはり男として悲しいものがあった。
「なんかすげーなーと思って。お前いつの間にそんな凄くなったんだ?」
「やだなーミキヤさん。大したことないですよ。ちゃんと迷宮潜って受付所で手続きすれば…………ってそんなことよりミキヤさん、迷宮に潜るんですか?」
思い出したようにアシリアスが身を乗り出す。その質問に、幹也は苦い顔をした。
どう説明しようか。本当のことを言ったら、多分この少女は馬鹿にするだろう。それはもう、悪意とか自覚もなしズバズバと酷いことを言ってくるのが、目に見えているのである。しかし、と幹也はここで考え直す。アシリアスは悪い奴ではない。そこまで心配する必要もないのではないか。それにアシリアスも一応学校に――レベルは全然違うが――通っている。学生の苦労も、分かっているだろう。
幹也は大きく深呼吸をして覚悟を決めた。
「単位が…………足りないんだ」
「…………………………は?」
「だから、迷宮に潜らないと学校を卒業できないんだよ」
「え、それは、学校で貰えるあの単位ですか? そんなことが理由なんですか?」
「そんなこと、とはどういう意味だ。おれにとっては死活問題だ」
「だって、わたしのアプローチにも、報酬金百万ガルロンにも靡かなかったミキヤさんが、単位なんてくだらない理由で痛いっ!? ごめんなさい。単位は大切です。だから机の下から脛を蹴らないで下さい!」
「お前を信じたおれが馬鹿だった」
うなだれる幹也。アシリアスは涙目になりながら、脛をさする。しかし片手間のように治癒してしまい、すぐに笑顔へと戻った。
「それで、本当の理由はなんですか?」
「あん? それ以外には――――」
「単位が必要というのも確かにあるかもしれません。でも、それだけじゃないはずです。それぐらいなら、ミキヤさんならどうにかするはずです。何かあるのですよね? あの事件があってからかたくなに避けていた、迷宮に潜らなければならない理由が」
幹也は驚いて目を見開く。アシリアスは笑ったままその視線を受け止める。僅かな沈黙の後、幹也は諦めたようにため息をついた。
「…………お前って、ほんといい性格してるよ」
「あ、分かります? 友達にもよく『アリアって純粋に酷いよね』って言われるんです」
「褒めてねーよ、それ」
そうなんですか、とアシリアスは不思議そうに小首を傾げる。そうだよ、と幹也は投げやりに答え、本題を口にした。
「お前、最近新聞は読んでいるか?」
「えと……一応一面は」
「もっと端っこにある小さい記事だ。最近各地で少しずつだが、異常現象が起きている。ほんのちょっとだけ、魔物が強くなったりな」
「…………それがミキヤさんと関係しているのですか?」
「まあな。じゃ、今日はこれくらいで。ホントはもっと喋る予定だったが、パーティーの顔合わせがあるのを忘れてた」
幹也はそう言うと、席を立った。踵を返し、出口に向かって歩き出す。その背中をアリアは慌てて止める。
「え、ちょっと待って下さい。待って下さいってばミキヤさん。ミキヤさん! 待てって言っているのです、ミキヤ・フジシロ!」
扉に手をかけた所で、幹也の動きが止まった。小さく笑い、視線をアシリアスにやった。
「懐かしいな、それ」
「ねえ、ミキヤさん。あの日迷宮で何があったんですか? 皆は、一体どうなったんですか?」
「死んだよ。言っただろ」
「あの人たちが、そう簡単に死ぬはずがないじゃないですか。わたしには分からないのです。何が起こって、ミキヤさんが何を考えているかが」
「……一つだけ、言えることがある」
幹也は前を向き、扉を開けた。そして、最後に一言だけ呟いた。
「おれは――――最低だ」
どうにか二話です。