藤代幹也はいくつの要因が重なってある意味有名人である。
まず一つに、彼が一切迷宮に潜らない。
これは割と普通のことだ。
たとえば親に無理やり入れられたもの。
探索者という職業は一攫千金職であり、成功すれば莫大な富を得る。それを狙って親が子を無理に学園へ入学させるというのは、それなりに聞く話だ。
たとえば、怖くなったもの。
最初はひと旗挙げようと学園に入ったが、授業で話を聞くうちに恐ろしくなり、逃げ出す。これは何も情けない話ではない。探索者が引退するまで生きられる確率は、半分を切る。まともな神経を持つ者ならば、さっさと逃げ出すべきなのだ。
例に上げられたような人物は、ご都合漏れず、すぐに退学をする。
意味が無いからだ。
クラリース学園の授業は、探索者として生きていく為のものだ。
一般教養もあるにはあるが、それは微々たるものでしかない。親に教えて貰ったほうがまだマシというレベルだ。
だがしかし。
新学期が始まって半年がたつのに、藤代幹也はまだ学園に在籍している。
そこで初めて、“なんでここにいるのお前?”という奇異の視線が向けられた。
しかし実を言うと、これはそこまで珍しい話ではない。
数年に何人か、少なくではあるがそういった例はある。
踏ん切りがつかないとか、親が許さないとか、個々の理由は様々だが、確かにある。
ここまでならばよかった。
問題はここからだ。
ウィズルム地方では、滅多に見かけない黒髪。
これだけで、かなり目立つ。黒髪は学園内において、一割にも満たない。そして残念なことに、彼の見た目は悪くなかった。
年齢にしては落ち着いた端正な顔立ち。
垂直に伸びた背筋。
絶世とまではいかないが普通以上だった。
そしてもっと残念なことに、彼の持つ雰囲気は落ちこぼれにはあまりに不釣り合いだった。
大概において、学園をすぐに辞めていくいわゆる落ちこぼれは冴えない。
おどおどしていたり、必要以上にネガティブだったりする。
その点、藤代幹也は違った。
鋭い双眸。洗練されたまでの立ち振る舞い。
どこか人を寄せ付けない、一流が持つような空気があった。
だからこそ注目された。
迷宮に潜らないくせに、何故か堂々としているから。
さらに彼は探索者という面を除いては優秀だった。
出ている講義はほとんど一番。満点も苦もなく取得する。
学内学力順位では、本人は知らないが毎回トップだったりした。
迷宮に潜らないのに。
以上の点が重なって――実は後一つあるが――学園変人ランキングに名を連ねることになってしまった。
そしてその藤代幹也は、不名誉を挽回しよというわけではないが珍しく迷宮に潜っていた。
しかし、一人で。
迷宮に一人で行くことは自殺行為だ。
という名言があるぐらい、探索者は一人で迷宮に潜ることを嫌う。
死ぬからだ。
探索者が死ぬ理由にもっとも多いのは、油断していたところを一撃で殺されることだ。
英雄みたいに雄々しく闘って――なんてカッコいい死に方は、ほとんどない。
大概は、寝ていたら殺された。後ろから斬られた。
などという情けないものが多い。
だからこそ、探索者はパーティーを組み、全方位に気を配れるようにする。
それが正しい方法。それ以外にない方法。
一人の人間が、四六時中気を張っているなんて無理なのだから。
なら、何故幹也が一人で迷宮に潜っているかというと――それが出来るから。
たとえ背後から近づかれようと、寝ているときに襲われようと、彼は気付く。そういう風に身体ができている。
幹也が生きてきた環境がそうさせた。
(やっぱり、少し身体が軽い……)
イエローラビットの突進を、幹也はぎりぎりで回避する。
誰かが見ていたならば、それを危険な行動と判断するかもしれない。
速さに身体がついていってないかと思うかもしれない。
しかし、違う。
これは紙一重でなければならない。
幹也には才能がない。
なくなった。
昔はあったのだ。五年前までは。
無茶をしたせいで、根こそぎ持って行かれた。
現在幹也の身体は、本来ならばまともに魔物と闘うことすら叶わない。
だがそんなことは関係なかった。
金色の悪魔を倒すために、闘わなければならなかった。
幹也は、闘うための術を模索した。
鉛のように重い身体でもやり合えるように、紙一重で躱せるようにした。
水たまりのように干からびてしまう魔力でも可能な必殺の技を研究した。
それがまともに使用できるまでに、約三年かかった。
そうして、今の藤代幹也は成り立っている。
イエローラビットの魔物としての危険度は、Cランクだ。
強いというには語弊があるが、低ランクの探索者にとっては十分脅威になりうる。
――つまり幹也にとっては実験に持ってこいだ。
背後からの鋭利な角を、髪の毛一本だけ掠らせる。
振り下ろされた爪を、制服に傷がつかないように当てる。
どれもこれも数ミリずれたら致命傷になりかねない。
そんなことを幹也は涼しい顔でやってのける。
「ギィ!」
しびれを切らしたのか、イエローラビットはウサギっぽくない鳴き声で、角に魔力を集中させ始めた。
魔物中では割と小柄なイエローラビットが何故Cランクに位置づけされているかというと、これがあるからだ。
魔力を一点に集中させての、全力突撃。
普通の人間は、これがかすっただけで即致命傷になる。
多少丈夫な鎧ぐらいならば、防具として機能さえしない。
それを確認して、幹也は構えていた剣を下ろす。
(今なら出来るか……)
ゆらりと、地面すれすれで足を移動させる、
全身の力を脱力させ、廃人のような頼りない姿勢。
幹也の得意技、月歩。
しかし、今日いつもと少し違う。
幹也が消える。
否、瞳に映らなくなった。
ぶれたのではなく――完全に映らない。
そして、すぐに現れた。
ただし、二人になって。
今まさに突撃しようとしていたイエローラビットが、たたらを踏む。
左右を見比べるため首を振ろうとして――その首が宙に飛んだ。
「残念、実体は後ろだよ」
イエローラビットが倒れるのを確認して、幹也は持ってきていた学園支給ショートソードを鞘にしまう。
月歩とは、ただ剣をぶれさす技――ではない。
そもそも剣をぶれさすだけならば幻惑系統の魔術を使えばいい。
しかしそれだと、強者相手には通用しない。
確実に見破られる。
しかも、幻惑系統の魔術は見た目の地味さに反して魔力をかなり持っていかれる。
割に合わないのだ。特に一般人よりはるかに魔力が少ない幹也にとって。
その点、月歩は極めれば多様な応用性がきく。
しかも原理が複雑ゆえ、見破られにくい。
問題点を上げるならば、幻惑系統の魔術よりも、はるかに習得が難しいことだろうか。
この技を極めるということは、奥義を得たようなものだ。
その道は想像よりも遥かに過酷。
幹也は月歩を極めている。
極めているが――今は使えない。
動きも、魔術の使い方も理解しているが――身体がついていかない。
運動能力という観点からして、そこに行きつくことができないのだ、
だが、それでも――
幹也は掌を眺める。
――近づいている。
さっきの月歩も、本来の姿には程遠い。
今のままでは、金色の悪魔を倒すことは不可能だ。
前に立つことさえ赦されない。
しかし、近づいている。
ほんの少しだけ。何千、何万と離れた距離の一歩だけだが、前進している。
それが分かったことは、幹也にとって大きなことだった。
(俺は、まだ強くなれる……)
永遠に失われたままだと思えた力が、僅かだが戻ってきた。
まだまだ自分は強くなれる。
幹也は足を踏み出す。
この先に勝利があると信じて。
「うりゃー! 九千百二十四回切りぃぃ!!」
シリアスな空気を台無しにする声が迷宮内に響き渡った。
修練場にて、シオンとミリアスは何故か正座させられていた。
レファルシー・クィンツェッタと名乗った幹也の使いがそうしろと言うからだ。
というのも――
「それでは、わたくしがあなた方に素晴らしい話を聞かせて進ぜましょう。ん? どうしてそんな風に突っ立っているのです。わたくしが話すのです。当然、あなた方は正座でしょう」
ということらしい。
そう言われると、二人としては正座するに他ない。
何しろあれだけ実力差を見せつけられたのだ。
逆らう、という選択肢はなかった。
幸いにして、荒地と化していた修練場も、今は元通りだ。木片が突き刺さったりする心配はない。
これもまたレファルシーが指を鳴らすだけでみるみる直ったのだが、二人はもう驚いたりしなかった。
驚いたら負けのような気がした。
「さて、それではまず先ほどのゲームの感想ですけれど、あなた方、びっくりするほど弱いですわね」
「ぐっ!」
この言葉に分かりやすい反応を見せたのはシオンだった。
俯いたままわなわなと拳振るわせる。
弱いことは知っている。先ほど、嫌と言うほど思い知らされた。同年代の中では強者だと思っていた自尊心も、こなごなに砕け散った。
しかし、この女に言われると腹が立つ。
その顔面を一発殴りたい。
だが、それはやろうとして無理だった。
シオンは必至に自制心を働かせる。
「もう、本当に、ウジ虫のような弱さですわ。ああ、それだとウジ虫に失礼ですわね。まだあれらの方が、価値がありますわね。しかし、それだと何にたとえましょうかしら。ああ、底辺過ぎて、たとえるものがありませんわ」
「ぐぐっ!」
「シオンちゃん、落ち着いて。お願いだから。今キレたら、わたしたち死ぬから。一瞬で」
「…………と、まあこんなどうでもいい話は今は置いといて、本題に入りましょうか」
「さっさと入りなさいよ!」
シオンの怒声に、レファルシーは口に手を当ててほほ笑む。
「いえ、あなた方がわたくしにとって、ウジ虫と大差ないのは本当のことよ。それは理解できて」
「あ、はい」
何となく口調の変わったレファルシーに、二人は呆気に取られ素直に返事してしまう。
「結構。それで、ここからが本題なのだけれど、あなた方は幹也に何を求め、何をしたいのかしら」
「それは……その、強さの秘訣とか教えて貰って、色々と稽古つけて貰って、それで、一緒に迷宮に潜って…………」
「それならば、別に幹也でなくても構わないでしょう。あなた方ならば、自分より強い者に師を仰ぐことも、それほど苦ではないでしょう」
「それは……まあ、ちょっと有名所のギルドに入れば、わたしより強い人達はいるけど……幹也はなんか別格というか、ねえミリア」
「う、うん。なんか普通と違う気がするよね」
「つまり、本能で選んだと。なかなか人間の勘というのも侮れないものですわね」
レファルシーは含み笑いを漏らした後、押し黙った。
二人は沈黙に耐える。
それから数十秒して、レファルシーはやっと口を開いた。
「シオン」
「は、はい!」
シオンは思わず背筋を伸ばした。
初めて名前を呼ばれたからでも、唐突のことに驚いたからでもない。
レファルシーの目がいつになく真剣身を帯びていたからだ。
「あなた、金色の悪魔を倒したいのよね?」
「な、なんで――」
「なんでそれを? などというつまらない返事はなしでお願いしますわ。はいかいいえで答えなさい」
「そうだけど……」
「ミリアスも、それでよろしくて?」
「あ、はい。そうです」
「ふぅー……」
レファルシーは大きくため息をつく。
「あなた方、それがどういうことか分かっていらして?」
「分かってるわよ! あいつが強大なことぐらい」
「わたしも、どれくらい無茶かは承知しているつもりです」
金色の悪魔。
それが確認されたのは、死の三日間と呼ばれる事件の一度きり。
だがそれだけで、多くの人々の心の中に、恐怖の文字を刻みこんだ・
奴が通ったあとは何も残らない。
そんな風にさえ呼ばれている。
シオンもミリアスもその力は十分理解している。
理解しているつもりだった。
「いいえ。分かっていませんわ」
レファルシーは断言する。
「あなた方は、何一つ理解していませんわ。あれがどういう存在で、どういった使命を持つのかも。何故ならあなた方は、この世界の真理をまったく知らないのだから」
二人には、レファルシーの言いたいことが分からなかった。
ただ、彼女のいっていることがただ脅すだけの嘘でないことは、感じとれていた。
「じゃあ、レファルシーさんは、分かっているというの?」
おずおず、ミリアスが質問する。
「ええ。何せ、一度やり合っていますしね」
「…………は?」
「幹也にいたっては二度ね」
「ちょ、ちょっと待ってよ。どういうことよ、それ」
「だから、そういうことですわ。わたくしと幹也は、あいつについてはおよそ誰よりも、知っていますの」
シオンとミリアスは、何も言うことはできなかった。
幹也が凄いことは知っていた。
レファルシーがとんでもない奴だということも、分かっていた。
だけど、それはあくまで自分たちから見ての主観に過ぎなかった。
これより凄い人はまだ沢山いるんだと、勝手に思っていた。
金色の悪魔を倒す、などと言っている自分たちの場違いさが恥ずかしかった。
幹也とレファルシーは、金色の悪魔と向き合ってまだ生きている。
僅か三日間で数万人を大量虐殺した悪魔から。
つまり現実を持って金色の悪魔を倒す可能性のある人間なのだ。
「少しは現状を理解出来たかしら。幹也について行けば、金色の悪魔とめぐり合う可能性はぐっと高くなる。ですが、あなた方は未だスタートラインにすら立ててないのよ」
「……じゃあ、どうすればいいのよ。わたしは、あいつにお父様を殺された。ミリアだって、兄さんを殺された。絶対に敵を取りたいの。今更、何も知らないからって後には引けないのよ!」
「そう、ではゲームをしましょう」
「また、ゲーム、ですか」
ミリアスが訝しげに眉をひそめる。
「ええ、ゲームですわ。この時代――迷宮時代の、真実を知りなさい。あなた方がそれを知っても、まだ先に進めるのか、その覚悟を見さしていただきますわ」