クラリース学園は平凡な学園である。
平均的な生徒の能力は上でもなく下でもない、普通の領域をはみ出さない程度。
教授も別段優れている訳でもないが、合格点は保有している。
何かが凄いということもなく、何かが劣っているわけもない。
だから、この場にいる二人は、学園内においては『特別目立つ』生徒と言って過言でないだろう。
どちらもタイプは違うが、かなりレベルの高い美少女。
学業――と、この場合、言っていいかは微妙だが――においても、相当に優秀。
世間一般でも、探索者としてそこそこ名が知られている。
これだけの条件がそろえば、クラリース学園では十年に一人の逸材と言ってもいい。
だがしかし。
「はぁー…………」
「はあぁぁー……」
肩を落とし、見る者を落胆させるような大きなため息を吐いていると、なんだか色々台無しだった。
「シオンちゃーん。ため息なんてついてると、幸せが逃げていくよー」
「ミリアこそ、人のこといえないじゃん」
「だってねー。」
「ねー」
「はぁぁぁぁ…………」
「はぁぁぁぁ…………」
幸いながら、今現在、ここクラリース学園の修練場にシオンとミリアス以外の人はいない。
普段なら決して大きくもないこの場所は、自主的に訓練に励む生徒でいっぱいになるのだが、どうしてか今日に限っては人が来る気配さえない。二人に遠慮しているかのようだ。
ゆえにこれ幸いと、二人はため息をつきまくっているのだが、代わりにどんどん気持ちが落ち込んできていた。
「でも、このまま何にもしないわけにもいかないし。シオンちゃん、ミキヤくんに仲間になって欲しいんでしょー」
「それはもちろん。でも、だからってどうすることも出来ないし……」
「あんなこと言われちゃった後だしねー」
二人が際限なく落ち込んでいる理由。
それは、つい先日、聖女とよばれる可愛らしい少女から口にされた言葉が原因だった。
「殺します」
聖女と呼ばれる少女は、顔色を一切変えることもなく、そんな物騒な言葉を言ってのけた。
事務的とも言っていいほどあっさりと。
「なっ!?」
シオンは絶句した。
待ち伏せしてまで自分たちと話そうとしたのだ。何かしらの意味があるのだろうとは考えていたが、そこまでとは理解していなかった。
しかし、隣のミリアスは違った。
その言葉を予想していたのだろうか、息をのみ、顔を固くするぐらいだった。
アシリアスは続ける。
「でも、よかったです。その心配もないようで……」
とそこで、アシリアスは緊張している二人に気付き慌てて言葉を付け加える。
「あっ! 勘違いしないでください。別に、お二人が嫌いとか、恨みがあるとか、そういうことじゃないんですよ。ただ、その、なんと言うか……えっと、そう! 優先順位の問題です。ほら、あるじゃないですか。何事においても優先されるべきものって。それが、わたしにとってはミキヤさんなんですよ」
「そのためには、アシリアスちゃんにとって人殺しも構わないって言うの?」
「ええ、そうですね。そのくらいなら、いくらでも。親を殺せと言われても、おそらくなんの躊躇いもなく殺すでしょう。自分の命だって捨てられます」
言いきって、アシリアスは静かにコーヒー飲みほした。
「えへへ、なんか変なこと言っちゃいましたね。大層なことを言いましたが、わたしもミキヤさんの秘密なんてほとんど知らないんです。ただ、それが世間に知られるということが、大変なことになるということぐらいで。……それじゃあ、呼び出しといて申し訳ないんですが、今日はこのくらいで失礼します。この後、少し時間が押していまして」
これで用件は終わりとばかりに、アシリアスは席を立つ。
優雅な足取りで、場を後にする。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
その背中を、シオンは止めた。
「はい。なんでしょう?」
「わたし、ミキヤに自分の作るギルドに入って欲しいの。だから、今回のことを秘密にしても、どうせ近づくことになるんだけど」
刹那、今までずっと張りついていたアシリアスの笑顔が、唐突に崩れた。
緩んでいた空気が抜け落ち、目が細められる。
それだけで、シオンの身体は硬直した。
魔術のような何かが、アシリアスの視線にはあった。
それは、ワイルドルーディーのような荒々しいものではない。
静かな威圧だった。
「ミキヤさんがそれを望むなら――」
アシリアスは言った。
「わたしは止めません。ですが、可能性が無いとは言いませんが、恐らく非常に難しいと思います。それは、ミキヤさんと肩を並べるということなんですから。お二人には、足りないものが多すぎます。実力然り、覚悟然り。あの人と肩を並べるということは、探索者として遥かな高みに行かなければなりません。そして、お二人だけでは、きっとその位置には到達できないでしょう。わたしでも、その位置に到達できるか、未だ見当もつかないのですから」
それだけ言いきって、アシリアスはまた笑顔を浮かべた。
「それでは。失礼します」
踵を返すアシリアスの背中を、シオンは見つめることしかできなかった。
「ホント、ミキヤって何者なんだろう」
「それが分かったら、わたしだってこんな所でのたのたしてないよー」
「だよねー」
あの時、アシリアス・オルマニウスこう言ったのだ。
あなた達では実力が足りないから、諦めなさいと。
自分が何かをしなくても、フジシロ・ミキヤという存在に近づくことは無理だと。
そう言い放ったのだ。
「でも、気になる。聖女にあんなこと言わせるのよ」
「確かに、それはそうだけど」
アシリアスは世界でも、数十人しかいないSランクの探索者だ。
しかも治癒師という極めて希有な人物である。
こと、“癒す”といことに限っては、彼女に勝るものは片手で数える程度だろう。
それゆえに聖女とさえ呼ばれているのだ。
そして、フジシロ・ミキヤはただの学生である。
いくらワイルド・ルーディを倒したからといって、それさえもアシリアスにとっては“その程度“と映ってしまうだろう。
彼女はSランクの探索者なのだから。
単体では無理かも知れないが、パーティーを組めば、倒すことは容易なはずだ。
そこら辺を鑑みるに、シオンの見立てではアシリアスとミキヤの実力はそう変わらない。いや、どう贔屓目に見たってアシリアスの方が上のはずだ。
しかし、アシリアス自身がそれを否定した。
それが更にシオンの中で疑問を生んでいた。
アシリアスがミキヤの為にそう言ったのか。
いや、彼女の性格から、それは無いと言える。
ならば、ミキヤが実力を隠しているのか。
だが、この前ワイルド・ルーディ―と闘ったミキヤは、疲労で三日間寝込むこととなった。
実力を隠すも何も、下手をしていたらあの場で死んでいた。
なら、どうして――
溜まっていくのは疑問ばかりだった。
「でも、それよりも。今大事なのはどうやってミキヤくんを引きこむかだよ」
「それが分からないからこうなってるんじゃない」
「手っ取り早いのは、わたしたちが強くなって、ミキヤくんに認めてもらうことだけど……無理、だよね」
「というか不可能ね」
少しくらい強くなるのならばいつでも可能だ。
しかし、それが聖女以上、となると、話は別だ。
何十年かかるかわからない。
もしかしたら、一生無理かもしれない。
「じゃあ、他になんか案ある?」
「うーん。ごめん、わたし馬鹿だから分からないや」
「そうね。あなたは本当に馬鹿だわ」
「そうそう、わたしは馬鹿って……ちょ、ちょっとミリア、いくらなんでも、そんなはっきり言わないでよ」
「え? ごめんシオンちゃん。考え事して、聞いてなかった」
「はっ? じゃあ、今のはいったい……」
「こんにちわ。馬鹿で愚かな、小娘たち」
シオンが振り返った先――そこに、一人の美女が立っていた。
フリルをふんだんあしらった漆黒のドレス。
そこから時折覗かせる、妖艶なおみ足。
どくどくしいぐらい真っ赤な唇。
神話に出てきそうなぐらい、異質な美女だった。
シオンは反射的に後ろに下がった。
ミリアスも持っていた杖を上に掲げる。
「あらあら、そんな緊張しなくてもいいのよ。しても無駄ですし」
シオンは構えながら、慎重に言葉を選ぶ。
「いつから、ここにいた?」
「最初からいたわよ」
「そう。最初から。あなた達が間抜け面を晒しながらここに入ってくるときから」
「嘘っ!?」
ミリアスが叫ぶ。
それはあり得ない。
シオンも確認した。
いくら修練場が普通の教室より広いからって、障害物ない部屋だ。
少し見渡せば、誰もいないことははっきりと分かる。
それに、今の今まで――およそ二時間はここにいた。
その間、人のいる気配は感じなかった。
「わたくしが下等な人間に嘘をついてどうするの…………一度殺して……いえ、それは置いておきましょう。わたくしがわざわざ人間の姿をしてここに来たのは、そんなどうでもいいことじゃないの」
「…………何、よ?」
「そうね……ミキヤの使いと聞いたら分かるかしら?」
「ミキヤの……使い?」
「もっとも、使いというのは少し語弊があるのだけれど。これはただのわたくしの趣味ですし」
シオンは眉根を寄せる。
さっきまでどうやってもこちらを振り向かせることは出来ないと言っていたのだ。
その人物の使いと言われたら、怪しまないほうがおかしいだろう。
「それで、そのミキヤの使いが、わたし達になんの用ですか?」
「いえねぇ、あなた方、オルマニウスの小娘にズタボロに言われていたでしょう。それからどう動くかと思ったのだけれど、何も進展が無いから、こちらから訪ねてみたの。言うようになったわね、あの小娘も」
「…………そうですか」
何故そのことを知っているのか。
なんの用なのか。
本来ならば聞きたいことは山ほどあるのだが、シオンともかく早くこの会話を打ち切りたかった。
むかつくのだ。
節々の言動から、自分たちを見下していることが見て取れる。こんな性格の悪い奴、本当にミキヤの使いかも怪しい。
少し考えれば、これだけ異質ならば当然そうだと理解できるが、頭に血が昇っている今のシオンにはそれが無理だった。
「それはお疲れ様でした。じゃあ、馬鹿にしに来ただけなら返ってください。わたし達、今忙しいんで」
「あらあら。嫌われてしまったかしら。でも……そうね。わたくしが返ってしまったら、ミキヤを手に入れることは不可能よ」
「そんなの、やってみないとわからないでしょ!」
「分かりますわ。そのくらい。完膚無きまでに。オルマニウスの小娘が言っていることは正しいわ。あなた方には不可能よ」
「どうしてそう言えるんですか?」
今まで黙っていたミリアスが口を開いた。
口調は穏やかだが、目が笑っていない。
こういうときは真剣に怒っているのだと、つき合いの長いシオンには想像できた。
「そんなこと、見てたら分かる…………と言いたいところですが、それではあなた方が納得できないでしょう。なら、そうね――ゲームをしてみましょうか」
「ゲーム、ですって?」
「そう。ゲームよ。ゲーム。チェスとか、おやりにならないの」
「チェスぐらいなら…………」
「それと一緒よ。ルールは簡単。わたくしをここから一歩でも動かしたらあなた達の勝ち。動かせなければわたくしの勝ち。武器あり。魔術あり。時間無制限の何でもあり。ちなみに、わたくしから仕掛けることは絶対にありませんわ」
ふざけるな! シオンは怒鳴りそうになった。
しかし、いきなり口を塞がれ、声が出せなかった。
「分かりました。そのゲーム、受けます」
「ミリア!」
「チャンスだよ、シオンちゃん。これに勝てば、道が開けるかもしれない。……それに、あの余裕面を歪めさせれるし」
黒い笑みを浮かべながら、ミリアスは小声でささやく。
「そちらの赤髪の小娘も、それでいいのかしら?」
「…………いいわ。上等じゃないの。その勝負、受けて立とうじゃないの」
「結構。では始めましょうか。いつでもいいですわよ」
自称ミキヤの使いの美女は、宣言しただけで何もしなかった。
ただ突っ立っているだけ。
しかし、今度ばかりはシオンも腹が立っていきなり襲いかかることはしなかった。
曲がりなりにも、ミキヤの使いを名乗るのだ。
油断はできない。
大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
剣を正眼に構え、すこしだけ傾かせ――――疾走する。
得意の袈裟切り。速度も乗っている。武器も持っていない相手に、この剣戟は止められない。
間合いを詰め、肩へと剣が吸い込まれる。
殺った!
そう確信したと同時に、シオンは地面に顔面から落ちていた。
「…………え?」
間抜けな声を出したのは、何が起きたかまったく理解できていなかったからだ。
どうして自分が地面に這いつくばっているのかも。
どうして必殺の一撃が当たってないのかも。
どうやって体を崩されたのかも。
何一つ、シオンの理解の範疇にはなかった。
遅れて顔を上げると、美女がこちらを見下していた。
「言い忘れていましたね。これはわたしにとってはゲームですけれど、あなた方にはそうではないのです。本気で、殺す気で、二人束になって、精々あがきなさい。そうでないと、死にますわよ、あなた方」