クラリース学園。勇者アルフォリカが百二十年前に建てたとされる、迷宮学校の一つである。学園のレベルは平凡ながらも、歴史ある校舎は威厳を感じさせ、首都に数多くある迷宮学校でもそれなりに有名なほうである。
その二階、第三準備室の椅子に、藤代幹也は腰かけていた。視線がキョロキョロと動く。幹也は第三準備室に入るのが初めてなのである。準備室と名がつくぐらいなので、そこには珍しいものや高価なものが溢れかえっている。
(あれは……ハルバロスの実。あっちは金色ウサギの心臓じゃないか)
どれもこれも、市場で買えば数十万はくだらない。さすが準備室、と幹也が感心したとき、目の前にいる人物が顔を上げた。
「単位が足りません」
数枚の資料を片手にそう告げた女教師――シルディア教授を前に、幹也無言で首を傾げた。言ってる意味が分からない。どうして自分の単位が足りないのか、その理由が皆目見当もつかない。そういうアピールである。全て理解しているが、できれば分からないふりで押し通すつもりなのである。幹也は数秒黙考したあと、口を開いた。
「いやいや、何言ってんすか教授?」
エルフ特有である均整のとれたシルディアの顔が、ため息でくもる。
「だから、何度も言わせないで。単位が足りてないのよ、きみ」
「その理由が分からないんです。知ってます? 先日の『魔物概念』の成績。A+ですよ。おれ学園で一位だったんですよ」
「知ってるわよ、もちろん」
それどころか、シルディアは幹也に関する成績を全て把握している、彼が人一倍真面目に授業へ取り組んでいることも、テストの点数もほとんどが学園トップクラスなことも。だが、それだけじゃここでは駄目なのである。
「でもね――」
シルディアは持っていた資料を正面の机に叩きつけた。いきなりのことに、びくりと幹也は身体を震わす。
「迷宮学園で迷宮に潜らなかったら、意味ないのよ!」
幹也の資料には、一つだけ空欄がある。すなわち“迷宮探索”。その部分だけは、一切手をつけてないのである。シルディアは苛々を露わにしながら、朗々と説明し始めた。
「いいかな、ここは迷宮学園なの。全ての授業が、迷宮に潜ることを職業とする『探索者』を目指すために行われてるの。戦闘訓練しかり、魔物概念しかり。だいたい今時、魔物概念なんて知識が必要なのは探索者以外じゃ軍ぐらいでしょ? それぐらい、分かってるよね?」
「あー……はい」
「そうだよね。きみがそれを理解してくれていて、わたし本当に嬉しいよ。涙が出そう。それで、話を戻すのだけど。ここに、その迷宮学園で迷宮に潜らない生徒がいます、いいと思うかな?」
「…………いいんじゃないでしょうか」
「なんでそうなるの!」
控えめな幹也の発言に、再度机が揺れる。
「いいわけないでしょ! 迷宮学園の生徒が迷宮潜らなかったら何するってのよ! それなのに、きみときたら強制参加の合同探索はさぼる、ましてや自由参加の探索は一回もしない。わたしもここの教授になって数年たつけど、きみのような生徒は初めてだよ!」
一通り言い終えると、シルディアは幹也を睨みつけた。呼吸は荒く、顔は真っ赤になっている。幹也は至って平然と視線を受け止め、ぽりぽりと首筋をかく。
「駄目ですかね? 迷宮に潜らないと」
「駄目に決まってるでしょ! ああもう、いいわ。とりあえずこれ、今度の合同探索のパーティー表。特別優秀な子をつけておいてあげたから、ちゃんと行くのよ。もしまたさぼったら、退学ですからそのつもりで」
さよなら、と冷然に言われて、幹也は言葉を返すより素早く第三準備室から放り出された。廊下には自分一人しかおらず、幹也は渡されたパーティー表を茫然と眺める。中には、幹也を含め五人の名前が書き込まれていた。
「……やっぱりこうなるよな」
半年前この学園に転入して来たとき、幹也はいつかこうなるだろうと思っていた。当り前である。首都の迷宮学園にいて、迷宮に潜らないなどと都合のいいことがあり得るはずがない。シルディアの言っていることは、もっともなのである。
――もっともなのだが、現実を無視して幹也はそれを望んでいた。だから普通の授業を人一倍真面目に受けることで、なんとかカバーしてきた。それに限界がきたのである。
「まあ、仕方ねーよな。退学だと、約束を破ることになるし。合同探索なら、そんな大した所は行かないだろう」
幹也は大きく肩を落とすと、足を踏み出した。歩きながら、パーティー表の下に小さく書いてある文字を眺める。
――二日後の午後一時、ウエスト通りにある受付所の第九会議室にて。
最初に集まる日付と時刻に場所が、そこに記してあった。
迷宮時代が始まってから、五百年以上が経過した。人類は森羅破壊事件から立ち直り、新たな文明を築き上げている。しかし、迷宮に潜ることをいまだ止めようとはしない。
それどころか、探索者という一つの職業として確立されており、その数はおよそ六百万人にまで上る。何故死ぬかも知れない探索者が、ここまで人気があるのだろうか。その理由は人それぞれだろうが、命をかけてもいいほどのメリットがあるのは確かである。
ぶっちゃけ探索者で成功すれば、地位と名誉と金が手に入るのである。事実、クラリース学園を建てたアルフォリカが持っている“勇者”の称号も、魔物を倒して得たものである。彼は迷宮から街を襲いに来たドラゴンを倒したことで、莫大な富と地位を頂戴し、平民から貴族にまでなった。それを元に、探索者を育てるための学園を建てたのである。
こんな話は、探索者ならどこにでも転がっている。一攫千金の職業、とまで呼ばれているのだから。ゆえに、それをサポートする施設や職業も、多く存在する。その一つが、”受付所”である。
受付所とは、その名の通り迷宮に潜る手続きをする所である。勝手に行くというのもできなくはないのだが、それだといくつかの不都合が生まれてしまう。一つ目に、生死の有無が確認できず、行方知れずになる。迷宮で死ぬと死体は魔物に食べられてしまうので、その人物がどうなったかがわからないのである。
潜る迷宮の場所と日付を届けておけば、時間の経過により受付所から探索者に救助願いが提出される。受付で非常時の保険をかけるのである。勿論、無料ではないが、それによって助かることは、日常茶飯事である。そういう場合は、潜ったはいいけど魔物が強すぎて安全地帯に避難していた、などということが多い。
二つ目に、ランクの申請である。探索者はSSからEまでの八つのランクに別けられており、受付所に報告した今までの実績によって上下するのである。迷宮には、入り口から化け物の巣窟みたいな所があり、そんな所へ度胸試しという理由で探索者になったばかりの者が挑むことが過去にはよくあった。こういったことを防ぐため、国が考えだした苦肉の策がこのランク制度である。
~~の迷宮はAランク以上の者以外入ることを禁ずる。~~の迷宮に入る条件は、パーティーに一人はBランク以上がいること。条件付けをすることにより、死者の数を減らそうとしたのである。この企みは、成功に至った。なにせ破ってしまうと、無事に生還できたとしても発覚すれば国から多大な罰金が徴収されてしまうのである。その日暮らしの探索者には、成功するまではそんな大金はない。命をかけて罰金を取られるでは、割に合わなかったのだろう。
他にも、受付所には様々な役割がある。しかしそのどれもが、探索者のために作られたものと言えよう。
――――二日後、幹也は学園から一番近いウエスト通りの受付所を訪れていた。やたら大げさな門を押し、中に入る。久しぶりのそこは、相変わらず混雑していた。受付所は探索者の休憩も兼ねており、酒場も付属されているのである。飲んで騒いで、二十四時間営業なので、静かなことはほとんどない。
しかしこれは、と幹也は辺りを見渡す。
騒がし過ぎる。怒声や悲鳴が聞こえてくる。すると、酒場の左端に人だかりができていた。なにかもめ事かと思い、幹也も歩き始めた。荒っぽい者が多い探索者である。そういった話題はこと欠かない。熟練の探索者が新人を虐めたり。酒の席で喧嘩になったり。
今回もそんな所だろうと、幹也は思ったのである。ある程近づくと、声が聞こえてきた。
「悪かった!許してくれ」
「いいえ、許しません。あなたはもう少し痛めつける必要があります」
ああ、やっぱり、と幹也は呟いた。大方、成り立ての少女が前衛職の戦士にでも絡まれたのだろうと。しかし、そこで思考が止まる。やっている方と、やられている方の声が逆なのである。幹也は自然と歩みを速めた。人を掻き分け、何が起こっているのかをこっそりと覗き込む。
そこには、白いローブを羽織った小柄な少女が、百九十センチはあろうかと思われる巨漢の胸倉を掴み、ボコボコにしている光景があった。
まーとりあえず一話です。導入部分だし短いのはご愛敬。しかし、迷宮に潜るのはいつのことになるのだろうか…………