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No.11192の一覧
[0] 戦国奇譚  転生ネタ[厨芥](2009/11/12 20:04)
[1] 戦国奇譚 長雨のもたらすもの[厨芥](2009/11/12 20:05)
[2] 戦国奇譚 銃後の守り[厨芥](2009/11/12 20:07)
[3] 戦国奇譚 旅立ち[厨芥](2009/11/12 20:08)
[4] 戦国奇譚 木曽川[厨芥](2009/11/16 21:07)
[5] 戦国奇譚 二人の小六[厨芥](2009/11/16 21:09)
[6] 戦国奇譚 蜂須賀[厨芥](2009/11/16 21:10)
[7] 戦国奇譚 縁の糸[厨芥](2009/11/16 21:12)
[8] 戦国奇譚 運命[厨芥](2009/11/22 20:37)
[9] 戦国奇譚 別れと出会い[厨芥](2009/11/22 20:39)
[10] 戦国奇譚 旅は道づれ[厨芥](2009/11/22 20:41)
[11] 戦国奇譚 駿河の冬[厨芥](2009/11/22 20:42)
[12] 戦国奇譚 伊達氏今昔[厨芥](2009/11/22 20:46)
[13] 戦国奇譚 密輸[厨芥](2009/09/14 07:30)
[14] 戦国奇譚 竹林の虎[厨芥](2009/12/12 20:17)
[15] 戦国奇譚 諏訪御寮人[厨芥](2009/12/12 20:18)
[16] 戦国奇譚 壁[厨芥](2009/12/12 20:18)
[17] 戦国奇譚 雨夜の竹細工[厨芥](2009/12/12 20:19)
[18] 戦国奇譚 手に職[厨芥](2009/10/06 09:42)
[19] 戦国奇譚 津島[厨芥](2009/10/14 09:37)
[20] 戦国奇譚 老津浜[厨芥](2009/12/12 20:21)
[21] 戦国奇譚 第一部 完 (上)[厨芥](2009/11/08 20:14)
[22] 戦国奇譚 第一部 完 (下)[厨芥](2009/12/12 20:22)
[23] 裏戦国奇譚 外伝一[厨芥](2009/12/12 20:56)
[24] 裏戦国奇譚 外伝二[厨芥](2009/12/12 20:27)
[25] 戦国奇譚 塞翁が馬[厨芥](2010/01/14 20:50)
[26] 戦国奇譚 馬々馬三昧[厨芥](2010/02/05 20:28)
[27] 戦国奇譚 新しい命[厨芥](2010/02/05 20:25)
[28] 戦国奇譚 彼と彼女と私[厨芥](2010/03/15 07:11)
[29] 戦国奇譚 急がば回れ[厨芥](2010/03/15 07:13)
[30] 戦国奇譚 告解の行方[厨芥](2010/03/31 19:51)
[31] 戦国奇譚 新生活[厨芥](2011/01/31 23:58)
[32] 戦国奇譚 流転 一[厨芥](2010/05/01 15:06)
[33] 戦国奇譚 流転 二[厨芥](2010/05/21 00:21)
[34] 戦国奇譚 流転 閑話[厨芥](2010/06/06 08:41)
[35] 戦国奇譚 流転 三[厨芥](2010/06/23 19:09)
[36] 戦国奇譚 猿売り・謎編[厨芥](2010/07/17 09:46)
[37] 戦国奇譚 猿売り・解答編[厨芥](2010/07/17 09:42)
[38] 戦国奇譚 採用試験[厨芥](2010/08/07 08:25)
[39] 戦国奇譚 嘉兵衛[厨芥](2010/08/22 23:12)
[40] 戦国奇譚 頭陀寺城 面接[厨芥](2011/01/04 08:07)
[41] 戦国奇譚 頭陀寺城 学習[厨芥](2011/01/04 08:06)
[42] 戦国奇譚 頭陀寺城 転機[厨芥](2011/01/04 08:05)
[43] 戦国奇譚 第二部 完 (上)[厨芥](2011/01/04 08:08)
[44] 戦国奇譚 第二部 完 (中)[厨芥](2011/01/31 23:55)
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[11192] 戦国奇譚 頭陀寺城 学習
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:2e069b34 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/01/04 08:06
 私が頭陀寺に来たのは、皐月(さつき)の初め。
現代だったら六月の半ばにあたる頃で、ちょうど梅雨の始まる時期だった。
あれから一ヶ月とちょっと経ち、空はすっかり夏の色に変わった。

 手元の水桶から反射する光のまぶしさに、私は目を細める。
水場の傍だから他よりも涼しいとは思うが、昼も近くになり、陰も短くなってしまった。
作業も一区切りついたところなので、逃げた日陰に移動しようと道具を下ろし、汚れた手を洗う。
固まった背筋を伸ばしていると、背後から誰かが駆けて来る音。
元気のいい足音の持ち主は、振り返らなくてもわかる。

「日吉!」 待つまでもなく、私の小さなご主人様の呼ぶ声がする。



 ――――― 戦国奇譚 頭陀寺城 学習―――――
 


「嘉兵衛さま、お早いですね。
 もう稽古は終わられたのですか?」

「終わった!」

 ここは、屋敷からは少し距離のある周囲の田畑に水を引くための貯水池の傍だ。
嘉兵衛はずっと走ってきたのか、すっかり息が上がってしまっている。

 手の甲で無造作に汗を拭っている少年に、私は日陰に座れるようにと場所を譲った。
が、彼はこっちでいいとばかりに太陽の下で胡坐をかく。
まだ輪郭には幼さの名残があるけれど、日に焼けた顔で大きく息を吐く姿からはたくましさも覗く。
袖をまくりあげ肩上までさらした腕は、細いながらしっかり筋肉で締まっている。
いっぱいの太陽を浴び、空を目指し育つ苗のように、彼は健やかに成長しているようだ。


「何で笑ってるの?
 何かおかしいとこがある?」

「いいえ。
 嘉兵衛さまは今日もお元気だなと思って。
 それよりどうしました?
 屋敷の方で、何か私が呼ばれるような用でもできたのでしょうか?」

「何もないよ。
 ただ稽古が終わったから来ただけ。
 日吉はここで何してるの?
 それって、研ぎもの?」

「草刈り鎌(かま)です。
 研ぐのに水が必要なんですけど、井戸端でやると邪魔になりますから」


 「ふ~ん」と気のない返事とは裏腹に、こちらの手元を覗き込む嘉兵衛の目が興味に光る。
台座のような大きな砥ぎ石は、小刀の手入れなどには使わないものなので珍しいのだろう。
やらせてあげたかったけれど、あいにくこの砥石が必要な作業は終わってしまっていた。
でも彼が「やりたい」と望むなら、もう一本鎌か何かを借りてこようと思いながら説明を続ける。


「こっちの大きい砥石は、荒研ぎ用なのでこれでお仕舞いです。
 錆(さび)を落とすのと、刃こぼれを直すのに使っただけですからね。
 これから使うのは、この小さい奴なんですよ」


 手のひらに収まる大きさの砥石を示し、彼が見やすいように体をずらしてから、実演開始。
砥石の角度を保ったまま、緩やかに弧を描く刃の上を滑らせ、均等に砥いでいくには慣れが要る。
嘉兵衛も多少は武具の手入れを習っているので、やって見せればそれがわかったようだ。
乗り出すように少し前に傾いていた肩を戻し、いつ見ても私を感心させる綺麗な姿勢に座り直す。


「日吉は、やっぱり器用だよね。
 扱えないものなんてなさそうだ」

「それは買いかぶりです。
 武家の方々は、槍や刀についてよく知っておられるでしょう?
 それと同じように、農具は農民にとって大事な仕事の相方なんです。
 私が扱いに慣れている物は、自分で使うやつだけです」

「草刈りなら僕だってするよ。稲刈りだって。
 それに、日吉は武具の手入れも得意じゃないか。
 草摺(くさずり 腰回りを守る鎧)がほつれたのとかも、すぐに直せるし」

「従者も私のお仕事ですから」

「僕も父上のお手伝いをしているけど、日吉ほど上手くない」

「えーと……、源左衛門さまの仕立ての方が大きいですし。
 糸数も多い良いもので、綴りも単純ではありませんし。
 でも練習すれば、嘉兵衛さまならすぐに上手になられますよ」
 
「練習かぁ」

「源左衛門さまの物よりも、飯尾様(松下家上司)の物ならば、たぶんもっと難しいと思います。
 飯尾様よりも上の方々の物ともなれば、糸の綴りもさらに華やかで、複雑になるんじゃないでしょうか。
 嘉兵衛さまが出世なされば、そういう偉い方のお傍仕えになられるかもしれません」

「『備えあれば憂いなし』だっけ?」

「はい」

「わかった、練習する。
 でも、日吉も一緒だぞ」

「私も、ですか?」

「父上には内緒で練習したいんだ。
 ……それに、僕が出世したら、僕の鎧だってきっと難しくなるよ。
 日吉だって、出来るようにならないと」


 私が「はい」と返事をすれば、嘉兵衛は楽しそうに笑う。
親に内緒で特訓する方法をあれこれと挙げて行く様は、悪戯っ子そのものだ。
私は嘉兵衛に計画を任せ、鎌砥ぎを続けた―――。




 私が正式に松下嘉兵衛の小姓として採用されてから、はや一ヶ月。
仕事にもだいぶ慣れ、自分のペースがつかめるようになった。
けれど実はまだ、小姓としては「見習い」。
一ヶ月もたっているのにまだ研修中だなんて、ずいぶん暢気なことだとは思う。
しかし学ぶことがいっぱいで、とても胸を張って「一人前です」と外で明言する自信はない。

 松下家は下級武士。その分家の、嫡子とはいえ元服したての子供の小姓だ。
身分から言えば下の下にもなるのだろうけれど、「傍付き」の肩書が付けば武家の一員とみなされる。
戦などで臨時徴収される者達とは違い、武家としての振る舞いを求められるのだ。
それが出来なければ、仲間として認めてもらえない。私を連れた主に恥をかかせることにもなる。
「百姓上がり」と自分が馬鹿にされるだけならまだしも、主まで侮られてしまう。そんなの悔しいじゃないか。

 でも私にとって、この新しい世界は興味深く新鮮だった。知りたいことでいっぱい。
ありがたいことに、嘉兵衛は私と一緒に勉強することを好んでくれている。
彼は復習にもなるからと、昔習ったことも思い出しては教えてくれる。嘉兵衛さまさまだ。

 けど、知識を得るのは楽しくても、記憶するのは大変。食事一つにしたって、覚えることが多すぎる。

 武士なら多少ワイルド(野性的)でもいいのでは……と思うのは、浅はかすぎるらしい。
箸の上げ下ろしから、椀の持ち方。食材の種類によって、口をつける順番まで決まっている。
酒が出るなら、その注ぎ方に受け方。返杯、呑み方、断り方。魚の食べ方、肉の食べ方、etc。
何が楽しいのか祝宴にまで、一の膳(ぜん)、二の膳、三の膳と形式があり、個別の作法に従う。
もてなす側になった場合はもとより、客になった場合だって席次によりやることが違ったりもする。

 これらの武家の作法は、おそらく上下関係をはっきりさせるために作り上げられてきたのだと思う。
しかしあまりに煩雑すぎて、数度聞いたくらいではとても覚えられる量ではない。
でも覚えなきゃいけない。ならばどうするか?

 こんな時こそ前世知識の活用だ。記憶は体で覚える方が、より定着することが証明されている。
架空の設定を創り、役を割り振ってのロールプレイ。シミュレーションで特訓だ。
嘉兵衛と二人、私達は食事の仕方だけではなく、戦の作法なども同様に設定しやってみた。
戦関連は彼も勉強し始めだったので、指導を受けながらたくさん話し合い協力して作り上げた。

 戦の事前準備は、家ごとに任される割合が高い。他所と共通するのは、集合してからがメインになる。
形式がめんどうなのは出陣式。それから、「攻めてかかれ」や「引き上げ」の合図など。
戦が終わってからの首実験や捕虜の扱いは、必要な勉強だとわかっていてもちょっと嫌な感じだった。
けれど、感状(戦功をあげると貰える賞状)を申請するための手負注文の作成は面白い。
手負注文とは「私や部下がこの戦でこんなにケガをしても頑張りました。だから褒めて」という上司への手紙だ。
ここまでなら許される「ケガのさばの読み方」や、両者暗黙の了解の「大げさな表現」などがある。
その見栄の張り方には、これが武士ならではの様式美なのかと笑ってしまった。

 しっかり覚えるために何度も重ねる訓練だから、飽きないような工夫も凝らす。
演劇風にちょっとばかり派手に登場人物達の背景を創り込めば、嘉兵衛にも楽しんでもらえた。
夢は大きくほうがいい。……天下人ごっこは悪くない。


 傍(はた)から見れば、私達のやっていることは、ままごと遊びのように見えたかもしれない。
実際そう見て、陰口を叩く者たちもいた。
しかし架空の役割を演じながら、私達は真剣に学び、知識と理解を深めていく。
生きて行くために必要なことを学んでいるのだから、楽しんでいたって、そこにふざけた気持ちはない。
本番で失敗すれば負うリスクを、嘉兵衛はもちろん私もよくわかっている。

 知識や情報に貪欲で、手に入る全てを吸収し覚えたいと思う意欲が私の強みだ。
未来は見えない。でもだからこそ、変化を恐れるよりも、何事にも対処できるようにたくさんの手札を揃えたい。

 嘉兵衛は主で、私は従者。けれど優しい少年は、私をちゃんと一人の人間として扱ってくれる。
変化を繰り返してきた今までを思い返せば、彼ともいつまで一緒にいられるのかはわからない。
でも、傍にいる限り彼を大切にし、共に歩んでいきたいと思う気持ちは本物だった。

 と、志は高いのだが、私にもどうしようもない弱点があったりする。

 それは、刀や槍の腕。

 武士といえばまず武術、これが最も肝心なこと。なのに、私はこの「武」に関する才がないようなのだ。
せいぜいいって一般人程度か、体の小ささを差し引くと現状ではそれ以下かもしれない。
現代的なトレーニング方法を多少知っていたって、本番が試合ではなく実戦となると大きなリーチには成り難い。
私だって、全くの初心者というわけでもなく、石川氏の村で師に付き学んだ経験はある。……が。
朝起きて顔を洗い、次いでラジオ体操でもやるように、木刀や素槍を百も二百も振りまわすなんて無理。
彼ら武士の子は幼少期からたゆまず同じ訓練を繰り返してきたから可能なのであって、私には絶対無理。
慣れない素振りを張りきりすぎれば、後に他の仕事を言いつけられても手足が動かず叱られるのがオチ。

 事実、私はそれで一度、大きな失敗している。


 「武士」という身分でわかれていても、この時代の多くの武家は兼業農家。
戦の無い時は刀を鍬(くわ)に持ち替え、領地で田畑の仕事に精を出すのが日常だ。
特に春と秋には大イベントがある。この時ばかりは、主家も分家も使用人も親戚も、とにかく皆総出で農業だ。

 私が頭陀寺に来たのが、その春の最も忙しい時期、「田植え」の直前だった。

 現代なら農業機械の上でハンドルを握っていれば済む作業も、この時代ではまだ全て人力、数任せ。
猫の手も借りたい忙しさだから、若く健康な新人はとても歓迎される。
例えば優秀な田植え機なら一度に苗を八列植えられるし、長時間働かせても効率が下がることもない。
しかし人間は植えるために持つ苗の量にも限度がある。一度に二列植えられないし、疲れれば動けない。
田植えに適した短い時間の中、たくさん働ける元気な人間をどれだけいるかと作業量が正比例するのだ。
しかもそこまで人手を集め、労力をかけ育てても、自然が狂えば全て台無しになる危険とも背中合わせ。
農業に従事した人達を助ける国家補償の制度は、戦国時代には存在しない。

 だから人々は、自然を敬う。
知っているだろうか? 日本人が桜を愛し、花見をするのは実は自然信仰の一環なのだ。
春に「サ(山の神)」の「クラ(御座所)」咲き誇れば、人々は神が降りたこと知り、祝い喜ぶ。
山から下り里で花を咲かせた山の神は、その後、稲(田)の神に変わる。
万葉の時代から連綿と続くお花見は、田に実りをもたらす神を迎え寿ぐ農業の祭りでもあったのだ。

 桜が咲けば籾(もみ 稲の種)を播き、苗に育てて梅雨を待つ。
そして、神に愛される早乙女の手により最初の稲が田に植えられて、本番だ。
その年の結果(実り)が生死を左右すると知っているから、敬虔にすら思える態度で誰もが田畑に臨む。
田植えは、畢竟追い込みに入ればただの修羅場に変わるが、初日は沙庭(さにわ 祭祀場)にも等しい。

 で、その神聖な初日に、だ。
 嘉兵衛の朝稽古に付き合ったからといって、田んぼに撃沈するなどもってのほか。

 たった一回の失敗でも、私の評価は泥まみれ。地を這うどころか、掘り下げて地底湖で溺死だ。
嘉兵衛だけではなく、奥方や大刀自さままでが取り成してくれたので、家から叩きだされずにはかろうじて済んだ。
けれど「罰あたり」と罵られ、「田仕事もろくに出来ない使用人など雇う価値はない」と散々扱き下ろされた。
周囲からの風当たりがさらに強くなったのは、避けようがないことだった。
後日、人の倍働いたって、一度失った信用はそう簡単には取り戻せない。……と、まあそれはさておき。


 その失敗以降、農繁期は過ぎても、私の朝稽古は「他の仕事に支障をきたさない程度」と決まった。
それ以外は、変わらずに一緒にやらせてもらえている。
座学ではそれなりの成果をあげているので、大目に見てもらえているのだろう。

 しかし、朝練は半分、他の時間も仕事優先となれば、私の武術の腕の方はさっぱり上がらない。
未だ基礎から毛が生えた程度。元服も済んだ嘉兵衛と比べれば、足手まといもいいとこだ。
けれど嘉兵衛は、初心者のような私の練習でも、手とり足とり喜々として面倒を見てくれる。
彼の指導は時に集中し過ぎることはあるけれど、概ね性格そのままに丁寧で親切。
その熱心さから考えれば、武道の稽古が他の習いごとよりも好きなではないかとも思う。
早く打ち合いの一つも相手できるようになりたいが、進歩は亀の歩みで、とても申し訳ない。

 だから、

「一緒に練習したいのに、半分なんて少なすぎるよ。
 日吉だって、もっと上手くなりたいよね?
 叔母上も大刀自さまも、縫いものだ何だって、稽古の時はすぐ連れて行っちゃうし。
 ……日吉は僕の家来なのに。

 今朝だって、素振りしてたら……。
 日吉が大刀自さま達と仕事しながら話しをしているの、ちょっと聞こえた。笑い声も。
 日吉の話、僕も聞きたかったのにな」 

 などと寂しそうに言われてしまうと、つい一計を案じてみる気にもなる。


 この嘉兵衛の言葉にもあるように、私は奥方さまにも大刀自さまにもとても可愛がってもらっていた。
どうも私の「語り」が気に入られたらしく、手仕事になると良く呼びだされ、話をねだられている。
私の打ち明け話も、彼女達の中ではどう処理をされたのか、面白いお伽噺と一緒らしい。
『仇に愛された竹林の姫君の話』や『津島の祭礼・舞姫一夜の恋物語』などは、すでに定番だ。
何度繰り返したのかもうわからないくらい話しているが、何度でも聞きたいと頼まれる。
その愛されぶりには、いっそ草紙(本)として出版しても売れるのではないかと思ってしまうほどだ。

 余談だが、この奥方達の関心が伝わったらしく、大旦那さまと松下父の夜の酒席に呼ばれたこともある。
酒の肴代わりに話しを求められ、いくつか披露させてもらった。
ちなみにこちらでは、『戦場で不具となりながらも、主の為に役立つ道を探し再生する青年の話』がとてもウケた。
良い話だと褒美まで頂いたが、他の使用人達からはさらなる悪評を買うことにもなった。……と、これもさておき。


 私は嘉兵衛の望みを叶えるべく、そんな仕事場BGMの立場を利用する。
いつものように針仕事に呼ばれた時に、考えていたとある「提案」をさり気なく話題にのせた。


「涼しげな、良い染めの布ですね。
 これからの季節にあっていて、とても綺麗。
 大刀自さまも奥方さまも、お針上手だし。
 御二人が縫われたこのお召し物、旦那様方、喜ばれるでしょうね。
 
 ……そういえば、これは私の故郷に伝わるお針についての話なんですけれど。
 『千人針』という風習があるんです。
 昔から、心のこもった女性の手仕事には力が宿ると言われていて。
 なので、こんなふうに着物だけではなく、戦に行く男衆のために特別な御守りを作るんです。
 一人だけで縫うのではなく、たくさんの女性に一人一針刺してもらって作るので、『千人針』。
 『勲を挙げ、無事に返ってきますように』と、一針、一針、皆で想いをこめて縫うんですよ」

「素敵なお話ねえ。
 でも、そんなにたくさん縫ってもらうのは難しいのじゃないかしら」

「はい。
 難しいことですけど、でもたくさん刺し目があるほど守りの力が増すと考えられていましたから。
 針を持つのが初めてのような幼い娘でも、誰もが頼まれたら嫌とは言いません。
 皆が何枚ものお守りを、村じゅうぐるぐる回しながら縫うんです。
 それに……、実はとっておきの裏技もあるんです」

「まあ、御守りなのに裏技なんて使ってもいいの?」

「大丈夫です。裏技にも謂れ(いわれ 故事来歴)がちゃんとあります。
 その裏技はですね、『寅年生まれの女性なら、年の数だけ針を刺していい』というものです。
 虎は千里を駆ける強い生き物なのだそうで、それにちなんでのことなのでしょう。
 お年を召した方ほど大人気! モテモテです。
 たくさん刺してもらえますからね」


 軽口のように話を〆れば、静かに聞いていた大刀自さまの口元も微かにほころぶのが見えた。
反応が早く、表情のわかり易い奥方とは違い、彼女は喜びや関心の表現が控えめだ。
それでも何度も話を重ねれば、だんだん細かい違いもわかってくる。掴みは上々らしい。

 もちろんこの話は、今生の物ではなく、前世の第二次世界大戦あたりの実話を脚色したもの。
でもここまではまえ振りにすぎない。本題はここからだ。

 彼女達の意識を引きつけるように、私は声のトーンを変えていく。


「この夏のお召し物(着物)も。
 暑い中、少しでも心地よく過ごされるようにと、大刀自さま奥方さまが選び用意された物。
 心の込めて縫われたのですもの、旦那さま方を守って下さるに違いありません。
 
 暑い時には目にも涼やかな薄手の物を、寒い時には風合の良い厚手の物を。
 相手を気遣い、細やかに心配りされた品には、想いが宿って当然です。

 それは無事を願い用意される、戦の時の装束にも通じる……。
 
 ……ですが、戦は時(季節)や場所を選ばないものでもあります。
 支度にかける時間が万全でなくても、戦場に向かわなければならないこともある。
 これからのような季節ならいいのですが、冬場の敵は人だけではありません。
 敵には背を向けず勇猛に立ち向かわれるお方でも、忍び寄る寒さとは戦えない。
 五体満足ならまだしも、もしも傷を負ったなら、一枚の衣が生死を分けるかもしれない。

 ですが、もしもそういう時に針仕事の心得のあったならば、それは万の味方を得たようなもの。
 自身の身だけではなく、その技が主の御身をお守りすることにもなるやもしれません。
 
 後顧の憂いなく、男が戦に専念できるよう送り出すのは女の仕事です。
 けれど、どうしても届かない場所もあります。
 遠い戦場、過酷な戦場では、女手が満足に揃うとは限りません。
 お傍を離れない従者とて、戦場に絶対はありません。
 不測の起こる場で最後の頼みとなるのは、自身の力、自身の持つ技しかないのです。

 私はまだまだ全てにおいて未熟。武の腕も足りず、嘉兵衛さまに甘えるばかりの至らぬ身です。
 でも少しでもあの方の為になることをと考え、無い知恵を絞りました。
 厚かましい進言とは、重々承知しております。
 ですが、どうか嘉兵衛さまに、大刀自さまや奥方さまの技術をお授け下さいませんか。
 
 備えあれば憂いなし、と申します。
 お二方の用意する衣が、旦那さま方を守られてきたように。
 いつかもしもの時、お二方が伝えられた技が、嘉兵衛さまの助けとなるはずです。
 
 どうかお願いいたします。
 
 …………。
 ……恐ろしい話ですが。
 広く裂けた刀傷を、武士がとっさに自分で縫い合わせ、九死に一生を得たという話を聞いたことがあります」


 最後の最後は、囁くほどの声音でダメ押し。あまりさり気なくではなかったかもしれない。

 でも、こういうおねだりをする場合は、下手に遠回しにするよりも直球が効くこともある。
『大切な御子さまの将来の為に』という謳い文句は、親心を強く揺さぶる最強のカード。
それを、ねだる相手の人柄を知った上で、狙って出したのだから効果は確実だ。

 後日、望みは叶い、大刀自さまから嘉兵衛も裁縫の手ほどきを受けるようにとの知らせが来た。


 彼女達が嘉兵衛の身を案じるのと同じように、私も彼を守りたいという思いがある。
共に学び、一緒に過ごす時間が長くなるほど、彼の良さに気づく。
彼の飾らない優しさや素直さは、接するたびに私を励まし明るくしてくれた。
彼を褒めるのは私だけではない。私以外にも多くの人達が、彼の素質を認めている。

 けれど。真っ直ぐな嘉兵衛の中には、優等生であるが故の歪さもある。

 嘉兵衛は、父親をとても尊敬している。
口癖が似るほど奥方さまにかまわれ、厳しくも温かい目で大刀自さまに見守られている。
母がいなくてもたくさんの愛情を注がれ、彼もそれを素直に受け止めて皆を慕っている。
皆の期待に応えたいというその想いは素晴らしいものだ。

 でもそれが、歪みの原因。嘉兵衛は、頑張りすぎなのだ。

 初めてあった川辺で、彼は私のやることを真似、何でも嫌がらずに手伝ってくれた。
石を積み竈を作るのも、燃えやすいよう枯れ枝を折るのも、汚れる仕事もとても楽しそうに手を出した。
あの時、彼は、私と一緒にやる前は「手伝おうにも何をすればいいのかわからなかった」と言っていた。
でもあれは、嘘ではないけれど正確でもなかったのだと、嘉兵衛をよく知る今ならわかる。

 『松下の跡取り』として、何を『してもいいのか』わからなかった、というのが正解なのだろう。

 自分の背負うものに自覚があるのはいいことだ。成長しようと、背伸びをする姿はほほえましい。
だけど、いつもいつも頑張って、頑張りすぎて動けなくなってしまうことは良くない。
小姓という立場に気負い過ぎ、限界を見極めずバテた私の言えることじゃないかもしれない。
けれど、義理の母や兄弟のことまで背負いこんで、雁字搦めになってしまっているのは見過ごせない。
部下としてだけではなく、一人の人間として、嘉兵衛の友としても、強くそう思う。

 嘉兵衛はそのままでも充分素敵なのだから、もっと自由であっていいはずだ。


 ……私は初手から失敗を重ね、使用人達の間ではいまだに信用が少しも築けていない。
傀儡子一座を離れ、一人でも生きて行く方法を多少は学んだけれど、武家では新人。
いきなり今までとは違う立場を与えられ、やる気はあってもわからないことばかり。
何をすれば評価されるのかも知らず、あれもこれもと闇雲に頑張って反感を買うことも多かった。
でもそんな最初の最初から、私を受け入れ、守ろうとしてくれたのが嘉兵衛だったのだ。

 嘉兵衛が私に与えてくれたものは、たぶん彼が思うよりもずっと多い。

 私は、異性としてではないけれど嘉兵衛のことがとても好きだ。
彼と一緒にいるのは楽しい。一生懸命なその姿を見れば、何かしてあげたいと自然に思える。

 今、嘉兵衛を歪ませているものは、本来は悪いものではない。
皆から寄せられる期待。信頼。責任。私は、彼が背負うものを取りのぞこうとは思わない。
今はまだちょっと重すぎなのかもしれないが、それはいつかきっと嘉兵衛の力になる。

 私は奪わない。でも、ただ見ているだけにする気もない。
彼の存在が私にとって救いになったように、手助けをするつもりだ。
私は、彼の小姓。いつでも傍にいる立場を貰っている。
彼の声を拾い上げ、愚痴も望みも全部、それがどんなに小さなものでも耳を傾けることが出来る。
私が見つけたいのは、彼が押し込めてしまった、少年らしい好奇心。冒険心。反抗心。

 私は嘉兵衛の保護者になりたい訳じゃない。成るとするなら、応援団だ。

 プレッシャーに押しつぶされそうな時は、息抜きを提案しよう。
楽しく勉強できる方法を探し、彼の知らない変わった話をして、新しい遊びも試してみよう。
伸び伸びと、生きることを楽しんでほしい。出来れば一緒に。それは、私の望みでもある。 


 ということで、私は課外授業をばりばり推進する。
武道はさっぱり、教養は生徒でも、雑学なら少しは自信がある。
情報収集は、私の趣味。「好きこそものの上手なれ」というじゃないか。
嘉兵衛も、何でも試してみればいい。経験は世界を広げてくれる。

 私も旅を始めた頃は、名を覚え、前世の記憶にあればそれと比べることくらいしか出来なかった。
でも今なら、話のネタ不足を心配する必要はない。
 
 そう例えば、「あの城、誰が住んでるの?」 と私が尋ねたとしよう。
それで、「岡崎城主は松平様だよ。最近、離婚したんだって」 と答えを貰ったとする。

 これに対して、私が最初に持った感想はこの程度だった。
『危険度の差はあるけど、ゴシップはいつの時代も庶民の娯楽なんだな』 

 しかし今なら同じ答えを貰っても、このくらいまでならすぐ考えられる。
『前妻の実家は水野家だから、勢力圏はあの川を境にここからこのあたりまで。
 水運に影響力のある家だし、もしかしたら前線が移動するかも。
 それにしても縁戚の城主の後ろ盾と敵対していた相手に、突然寝返る理由は何だろう。
 戦力的なもの? それとも商い方面の問題かな?』 

 前世の記憶を持って生れては来たけれど、戦国時代関しては白紙も同然。
スタート時点は、皆と変わらない。でもそこから、情報を集め、自分なりに解釈し、記憶してきた。
「どうしてこうなったのか」、「この時代の人は何を考え、どう反応するのか」。
日常の小さな事柄も意識してとらえ、積み重ねてきたから、必要な時に必要なものが取り出せる。

 大事なのは、考え続けること。

 一見全く関係のないような事柄でも、良く考え知って行くうちに繋がりに気がつく。
そしてその繋がりを手繰り寄せ紡ぎあげれば、現実と重なるもう一つの世界が見えてくる。
複雑に枝を伸ばす大樹、情報で織り上げられたその世界の名は、『歴史』。
このもう一つの視点で物事を見る方法を覚えれば、広さだけではなく、深さを知ることもできるはずだ。

 この「世界」以上に刺激的で面白いものなんて、私は知らない。
未知に触れる喜び。パズルの答えを解くわくわく感。私はそれを、嘉兵衛に知ってほしいと思う。
だから彼が望むなら、私は私の知る限り、どんなことでも教えるつもりだった。


 ……が、しかし人には向き不向きというものもある。

 健全な青少年である嘉兵衛には、情報戦とか、蘊蓄とか、考察とかはあまり興味をそそらないようだ。
それよりも魚釣りや薬草探し、スズメ捕りの罠の仕掛け方などが好評だった。まあ、十二歳だし。
体を動かしたり、成果が目に見えたりするものの方が、達成感を得やすいのはしょうがない。
それにどちらかといえば嘉兵衛は、工作したり考えたりするよりも運動する方が得意なようでもある。
裁縫もやってはみたけどわりとすぐに飽きて、袖つけができるようになった時点でやめていた。
でも袖に布一枚あるだけでも、日本刀は刀の滑りが大きく違うのだから、覚えたことに損はなかったと思う。


 そうこうあって、私は嘉兵衛との関係に、主従と学友プラス悪戯仲間という項目も加えた。
最初は誘いだすのが私の役目だったけれど、だんだん嘉兵衛からも誘ってくれるようになってきている。
基本、生真面目な性格だから、彼が羽目を外し過ぎることはない。だから私は、背を押す係。

 やるべき勉強が終わっても、復習で部屋にこもりきり。
鍛錬をすればそれ一辺倒で、わき見をする余裕もなかった少年は、もういない。
優等生だった若様を悪戯っ子に堕落させたと叱られたって、いまさらだ。
これ以上落ちる評価もないので、私は気にしない。
そんなもの、ノルマが終われば一目散に私めがけて駆けてきてくれる嬉しさには代えられない。
私の仕事を認め、邪魔せずにちゃんと待っていてくれる彼がいれば、私は頑張れる。




 ―――というわけで、鎌を砥いでいる間、嘉兵衛は動きまわらずいい子で待っていた。
私が砥石を置き、近くの草で試し切りを始めると、パッと立ちあがり寄ってくる。


「終わった?」


 副音声で「遊べる?」と聞こえた気がする。

 何か計画を立てたら、二人で検討してから実行に移すのが毎度のパターン。
嘉兵衛もそのつもりだったようで、作業する私の横で幾つか案を挙げていた。
立案から複数の選択肢の準備まで一人でやるなんて、今回はかなり積極的だ。
丸きり遊びの計画ではなく、勉強のことなので、後ろめたさがないから張り切っているのかもしれない。
私の意見を訊きたいのだろう。「早く!」と言いたいのを我慢している様子がかわいらしい。

 私も遊んでしまいたい。けど、無理。
私はこれからもう一仕事しなければならなかった。
残念に思いながら言い訳を口にする。


「すみません。
 これから草刈りしないといけないんです」

「えっ、草刈り?」

「はい。
 屋敷の裏の土塁、もうすっかり緑なんです。
 この暑さだから、雑草もすぐ伸びちゃって。
 堀が草で埋まったら、天然の落とし穴みたいですよね。
 それもちょっと面白いかもしれませんけど。
 でもやっぱりそのままじゃ、外聞、悪いですから」


 ことさら明るくおどけて見せたのに、話すほど嘉兵衛の機嫌は悪くなる。
彼は眉をしかめ、視線を険しくして、きつく唇を引き結ぶ。


「嘉兵衛さま……」

「……」


 怒っているような、辛さをこらえているような、そんな目で彼が睨むのは私の後方。
彼が見ているのは、私が午前中ずっと座って作業していた場所だった。
そこには、日に晒されて白く乾いた土の上を彩る異色の跡がある。
濡れていた時はわからなかったが、砥石を置いていた場所の周囲は、鈍い赤が斑を描く。

 赤の正体は、錆だ。

 きゅっと結ばれた、嘉兵衛の口元。奥歯をかみしめているのかもしれない。
『半日がかりで手直ししなければ使えない鎌と、草むしり』
何も言わない。けれど、その関係を理解してしまったことを、彼の瞳は雄弁に語る。

 気がつかなくてもいいのに、何で気づいちゃうかな。
そう思いながらも、私の優しい御主人様の聡明さを誰かに自慢したくもなる。
彼の不機嫌ささえ、不謹慎にもちょっと嬉しく思えてしまうくらいだ。
私なら大丈夫。……この気持ちを上手く伝える言葉を探して、私は少しだけ目をふせた。


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