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No.11192の一覧
[0] 戦国奇譚  転生ネタ[厨芥](2009/11/12 20:04)
[1] 戦国奇譚 長雨のもたらすもの[厨芥](2009/11/12 20:05)
[2] 戦国奇譚 銃後の守り[厨芥](2009/11/12 20:07)
[3] 戦国奇譚 旅立ち[厨芥](2009/11/12 20:08)
[4] 戦国奇譚 木曽川[厨芥](2009/11/16 21:07)
[5] 戦国奇譚 二人の小六[厨芥](2009/11/16 21:09)
[6] 戦国奇譚 蜂須賀[厨芥](2009/11/16 21:10)
[7] 戦国奇譚 縁の糸[厨芥](2009/11/16 21:12)
[8] 戦国奇譚 運命[厨芥](2009/11/22 20:37)
[9] 戦国奇譚 別れと出会い[厨芥](2009/11/22 20:39)
[10] 戦国奇譚 旅は道づれ[厨芥](2009/11/22 20:41)
[11] 戦国奇譚 駿河の冬[厨芥](2009/11/22 20:42)
[12] 戦国奇譚 伊達氏今昔[厨芥](2009/11/22 20:46)
[13] 戦国奇譚 密輸[厨芥](2009/09/14 07:30)
[14] 戦国奇譚 竹林の虎[厨芥](2009/12/12 20:17)
[15] 戦国奇譚 諏訪御寮人[厨芥](2009/12/12 20:18)
[16] 戦国奇譚 壁[厨芥](2009/12/12 20:18)
[17] 戦国奇譚 雨夜の竹細工[厨芥](2009/12/12 20:19)
[18] 戦国奇譚 手に職[厨芥](2009/10/06 09:42)
[19] 戦国奇譚 津島[厨芥](2009/10/14 09:37)
[20] 戦国奇譚 老津浜[厨芥](2009/12/12 20:21)
[21] 戦国奇譚 第一部 完 (上)[厨芥](2009/11/08 20:14)
[22] 戦国奇譚 第一部 完 (下)[厨芥](2009/12/12 20:22)
[23] 裏戦国奇譚 外伝一[厨芥](2009/12/12 20:56)
[24] 裏戦国奇譚 外伝二[厨芥](2009/12/12 20:27)
[25] 戦国奇譚 塞翁が馬[厨芥](2010/01/14 20:50)
[26] 戦国奇譚 馬々馬三昧[厨芥](2010/02/05 20:28)
[27] 戦国奇譚 新しい命[厨芥](2010/02/05 20:25)
[28] 戦国奇譚 彼と彼女と私[厨芥](2010/03/15 07:11)
[29] 戦国奇譚 急がば回れ[厨芥](2010/03/15 07:13)
[30] 戦国奇譚 告解の行方[厨芥](2010/03/31 19:51)
[31] 戦国奇譚 新生活[厨芥](2011/01/31 23:58)
[32] 戦国奇譚 流転 一[厨芥](2010/05/01 15:06)
[33] 戦国奇譚 流転 二[厨芥](2010/05/21 00:21)
[34] 戦国奇譚 流転 閑話[厨芥](2010/06/06 08:41)
[35] 戦国奇譚 流転 三[厨芥](2010/06/23 19:09)
[36] 戦国奇譚 猿売り・謎編[厨芥](2010/07/17 09:46)
[37] 戦国奇譚 猿売り・解答編[厨芥](2010/07/17 09:42)
[38] 戦国奇譚 採用試験[厨芥](2010/08/07 08:25)
[39] 戦国奇譚 嘉兵衛[厨芥](2010/08/22 23:12)
[40] 戦国奇譚 頭陀寺城 面接[厨芥](2011/01/04 08:07)
[41] 戦国奇譚 頭陀寺城 学習[厨芥](2011/01/04 08:06)
[42] 戦国奇譚 頭陀寺城 転機[厨芥](2011/01/04 08:05)
[43] 戦国奇譚 第二部 完 (上)[厨芥](2011/01/04 08:08)
[44] 戦国奇譚 第二部 完 (中)[厨芥](2011/01/31 23:55)
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[11192] 戦国奇譚 嘉兵衛
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:61dfddd8 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/08/22 23:12

「あっ、沈んだ」

 そう言ったのは、私の右に座る嘉兵衛少年。
ユキとハナは足元近くの定位置で、仲良く毛づくろいをしている。
私達がいるのは水辺から少し離れた比較的乾いた台地。
朝方移動してから真っ先に、浮島のように小山に茂っていた草木を荒く切って作ったベースキャンプだ。

 朝一の作業後は、その場所を中心に散開して本業開始。
私達の眼前では男衆が、集中豪雨の避難時のように腰を紐で繋ぎ、川の浅瀬を行ったり来たりしている。



 ――――― 戦国奇譚 嘉兵衛 ―――――



 いい大人達が泥まみれになって何をしているのかといえば、「浜名湖周辺の河川の調査」。
松下父が言っていた「大事なお役目」とは、これのことだった。

 調査は数人一組。
流れの中に竿(さお)をさして水深を計ったり、木片を流して流れの速さを調べたり。
(……猩々が打たれたのは、この計測用の棒だったらしい)
水があふれ湿地状態になっているところが多く、水の出口を探すのには時間がかかる。
時には、葦の茂みの陰に段差ができていて、そこに水が溜まって天然の落とし穴になっていたりもする。
迂闊(うかつ)に踏み込めば、大人が腰まで沈む場所もあり、作業は容易ではなさそうだった。

 で、そんな危険なフィールドなので、私と嘉兵衛少年は仲良く安全地帯でお留守番。
彼は父親の言を忠実に守りたいらしく、私の様子をこまめに気遣ってくれる。
もしかしたら、これまでの調査期間も見学組で、退屈をため込んでいたのかもしれない。
まだ実年齢は中学生にもならない少年に、長時間「動かずにいろ」と言うのは酷なことだ。
松下父もそれを考え、私を暇つぶしの相手としてあてがうことにしたというのはありそうだった。

 しかし、私は「雇われ人」で、彼は「雇う側」。
構う対象が出来て嬉しいのかもしれないが、立場を越えて甘やかされると周りの目が怖い。

 実は昨夕すでに一つやらかしているだけに、慎重に成らざるを得ない。
まあそのやらかしてしまった一件は後回しにするとして、今はこの見学の場での対処法だ。
「疲れた?」や「お腹すいていない?」などの言葉を丁寧に否定し、彼の意識をお勉強方面へと誘導中。
「知らないことばかりなので教えて下さい」と頭を下げれば、少年の「構いたい欲求」も満足させられる。
これなら誰かに聞かれても言い訳が出来るし、情報収集にもなって一石二鳥だ。

 それで、私は先ほどから、彼にいろいろ質問を重ねている。
気持ちよく応えてもらうため、膝まで泥につかりながら陣頭指揮をしている松下父を褒めることも忘れない。
お仕事中のお父さんのかっこよさが五割増しなのは、現代も戦国時代も変わらないから、その辺は余裕。
事実、泥まみれになりながらも、人任せにせず作業を直に指図している松下父はとても素敵だ。

 測量や地勢の調査は、建築にも絶対欠かせない大切な作業。
こういう縁の下の力持ち的な仕事を真面目にこなす人達がいたからこそ、後世にまで残るものが出来る。
松下父の仕事は建築の為ではないけれど、全ての技術はたくさんの経験の蓄積があってのもの。
私は、陰日向なく働く尊敬に値する人達を褒める言葉はどれほど重ねても惜しいとは思わない。

 でもちょっと趣味の領域に脱線し、熱を込め過ぎた。
褒めすぎて、初心者の嘉兵衛には引かれたかもと恐る恐る窺えば、頬を染め嬉しそうにしている。
彼の「お父さん好き度」を侮っていたようだ。まだまだ大丈夫そう。


 好きなものの話をすれば口は軽くなる。
アイドルを追いかけるファンのように、たわいない「好き」を並べて競いながら会話に誘い込む。
話の火口を掴んだら、否定の言葉は出来るだけ口にせずに流れをつくればいい。
そして調子が上がってきたところで、松下家について少し突っ込んだ質問を入れる。
これはずいぶん多くの人手を使っているから大きな家なのかと思っての、勢力チェックが狙いだった。

 ところが私の推測に反し、嘉兵衛から返ってきた答えは以外なもの。
ここにいる人達は、全員が同じ家の部下というわけではないそうなのだ。
松下家だけではなく、在郷の武士達がこの仕事に駆り出されており、幾組かに分かれ調査にあたっているらしい。
眼前の彼らも、その複合班の中の一つだった。


「……ということは、これは飯尾ぶ、ぜんのもり様の御下命の、」

「豊前守様」

「飯尾豊前守様の、御下命の、お仕事で集まられた方々。
 えっと。でも指揮を取られているのだから、松下様が一番偉いんですよね?」

「父上は、何事も人任せにするのはよくないとお考えになられる方なんだ。
 同格の家なら、代理よりも家長の方が上。
 それで、必然的に父上が指揮をとっておられる。
 後は……。
 毎年のことだから、全部の日程を同行されるのが父上だけだというのもある。
 それから、川の下流に比べて、上流の調査は難しいんだ。
 他の方より一番詳しいから、父上が任されている」

「松下様は、とても誠実な方なのですね」

「うん。
 愚直だと馬鹿にする人もいるけど、僕は父上が正しいと思う」

「私もそう思います」


 真面目すぎて貧乏籤を引いている……のではなく、責任感があるから頼られているのだろう。たぶん。
嘉兵衛と同意の笑みを交わし合い、ここからは松下家の所属する遠江の支配制度の復習だ。

 駿河・遠江は、今現在、今川氏の支配下にある。
大名今川氏の居城は駿府(すんぷ)の今川館。
だが、建武三年に遠江守護、暦応元年に駿河守護になったそうで、遠江を任された方が先なのだそうだ。
そこから九代、二百年にわたり彼の一族はこの両国を統治してきた。

 そんな遠く源氏の血を引き、足利将軍家とのつながりもある老舗の名門今川氏。
支配下武将達を「寄親・寄子(よりおや・よりこ)制度」というのを用いて統制している。

 この制度は、寄親一つにつき寄子を一~数家で組み合わせ、在郷の武士達をまとめたもの。
現代風に言えば、今川本社にフランチャイズ加盟した支店が各地にいっぱい、というところだろうか。
上納金(年貢)を納めさせつつ、各店舗のシェア(領地)は最低限自力で守るのが基本。
規約や経営ノウハウは本社からおりて来るが、支店内の人事や給料などの細かなことは店長の采配が許される。
一番上は大名だけれど、地方はその地元の武士間で主従関係を固められるよう権限が与えられているのだ。
もちろんあまりひどいことをすれば、下剋上されたり反乱されたりするリスクはどこも一緒。
でも寄親が寄子を監督し、それを大名がさらに支配することで、末端まで離さない権力のピラミッドができる。

 で、その土台とも言うべき子にあたる松下家の親が、私達の会話の冒頭にも出てきた引馬城主・飯尾豊前守。
この調査を命じた人であり、今後、猿のハナが貰われていく先でもある。


「血縁による『同名(親族)』と、奏者(寄親)を同じにする『同心(寄子)』、か……。
 良く統制がとれているから、私てっきり全員松下様の御家来衆かと思っていました」

「もしそうだったら、きっと大変だな。
 うちは松下とはいっても、本家筋でもないし。
 こんなにいっぱい人を抱えたら、裏の沼を全部田んぼにでもしなければ、きっと干上がっちゃうよ」

「お父上なら、開墾の指揮も上手く取られると思いますよ。
 ええと、松下の家人はどの方々ですか?」

「さっき沈んでた長助と、あっちで書き物をしている元吉」

「長助さんと、元吉さん」

「あっ、またっ」

「沈みましたね。
 あの辺り、段差が多いのかも。
 草も生えてるし、水が濁っていると足元も全然見えなさそうだし。
 こんなに水があふれてる時だと、危ないですよね。
 もっと測量しやすそうな季節も、あると思うのですけど」

「水の配分が大事だから、毎年今の時期にやるんだ。
 雨が降って湖の水かさが増えると出来る川もある。
 『田に水を入れる直前にこそ正確な水量を調べておかなければならない』と、父上は仰っていた」

「すみません……、考え無しなことを言ってしまいました。
 皆さんがこうして頑張って、水がちゃんと村に届くよう見守って下さっているのですね」

「雨がいっぱい降って、水がある時は問題ないんだ。
 でも水が足りなくなると、村は訴えを領主に持ってくる。
 そんな時、川のことをよく知らなければ正しく裁けないだろう?
 枯れた時も調べるけど、多い時だって知っていなければならない。
 『知らないと思うことが恥』なんだって」

「私も、もとは農家の出だからわかります。
 水が公平に配分されるかどうかは、生きるか死ぬかの問題だから。
 松下様のような考えを持って下さる方が上におられるということが、どんなにありがたいことなのか。
 皆さんのご領地の方も、たくさん感謝していると思います」

「そうだったら、嬉しいなぁ」
 

 現代のように水門が作られ水量を調節できる川や、護岸工事で整備補強された川はほとんどない。
少しは手を入れられているところもあるけれど、大雨や台風が来れば一たまりもないような脆弱なものばかりだ。
雨によって簡単に生まれる小さな川も多く、それらは季節によって大きく左右される。
井戸を掘れば生活用水には出来るけど、田畑に使用するには到底足りるはずがない。
どんなに不安定であっても、川は農業で生きる者の命の綱なのた。

 だから川の権利を巡る争いに、村は必死になる。

 戦の多い時代だ。農村だって自衛をする。兵になることもあるから、自前の武器もある。
村の城を作るなど、農業以外にも工夫を凝らしているところだってある。
そんなポテンシャルを秘めた村が、不公平を理由に争い始めたらどうなるか?
嫁にきたりやったりする交流のある近隣の村との間で流血沙汰になれば、それは一時の傷には収まらない。
遺恨が残らないように、双方同じ数のケガ人死人を出して終わらせたとしても、失われた命は還らない。
身内に被害者と加害者を抱くような悲劇が少しでも回避されるなら、それにこしたことはなかった。

 一たび戦が起これば、武士は村を焼き、青田を刈り、家の戸板や屋根・柱まで持っていってしまう。
戦後補償などあるはずもなく、奪われたら奪われっぱなしで、泣き寝入りするしかない。
年貢は取るし、賦役も取るし、戦となれば人も取る。武士はたいてい理不尽で横暴だ。

 しかしこのように、表にはあまりでなくても還元されているものもあるのだ。
彼らが戦に明け暮れ、領地取りだけに力を注いでいるのではないと目の当たりにできるのは、嬉しいことだった。

 川辺では相変わらず地道な作業が続き、嘉兵衛は父の背中をきらきらした目で追いかけている。
私も傍から見れば、たぶん同じくらい好奇心に目を光らせて、彼らの仕事を眺めているように見えることだろう。

 よく考えたら、私も戦以外の武士の仕事を見るのはこれが初めてだ。
石川氏の村にいた佐吉も、武士といえば武士だったけど、彼は農民と同じような仕事をしていた。
松下家は大きな家ではないそうだから半農かもしれないが、武家らしい暮らしも垣間見られそうな気がする。
それを考えれば、この先の生活にも楽しみを見つけられそうだと、私は胸に期待を宿らせた。



 川の調査は、朝早くから始まるが夕方の終わりも早い。
日の光の残る間に野営の準備や夕食の支度を終えてしまった方が何かと楽だからだ。

 私と嘉兵衛は昼間仕事が無い分、この時は出来る限りのお手伝いをしている。
流木や石を動かし座る場所を整え、煮炊き用の竈(かまど)を作る。
踏み荒らされて濁っている場所を避けて水を汲み、湯を沸かして皆の帰りを待つ。

 嘉兵衛は、今回の調査が初めての参加なのだそうだ。
外での食事の支度なども、見たことはあっても手で触れたのは初めてだとも言っていた。
私が石を拾っていると隣にやってきて自然に手を出すから、慣れているのかと思ったが違ったらしい。
「手伝いたいとはずっと思ってはいたけれど、何をすればいいのかわからなかったんだ」と告白された。
父親に似て生真面目な彼は、働く父を見て尊敬を募らせる半面、自分が何もできないことが辛かったようだ。
私がやることを真似してどんな仕事も厭わずに手を出そうとするのを見るたびに、いい子だなと何度も思う。

 しかし彼を手伝わせることは、最初は「主の息子を働かせるなんて」と怒られるかもしれないとも思った。
が、雑事を率先して手伝う彼を見守る周囲の目はあたたかかった。
あの松下父の子だ。横柄なお坊ちゃんより、働き者の孝行息子の方が好感度が高いのは当然か。
食事も同じものを同じ鍋からだし、注がれる順番が偉い人の方が先ってだけの違いしかない。
武士もピンキリ。何でも部下がやってくれるなんていうのは、大きなお家の子だけということなのだろう。
命令系統ははっきりさせないといけないが、例え武士でも下の方だと生活はそう変わらないのかもしれない。

 嘉兵衛と二人でする夕餉の下準備も、二度目ともなればだいたいの要領はつかめてくる。
お湯が沸く頃には、泥を落とした者達がちょうどよく帰ってきた。
食事を作るのはその日の当番がいるらしいので、私達は一度引きさがる。お手伝いはここまで。



 ……ここまでは順調だ。そう、ここまでは何も問題はない。
思わずふっと吐いてしまったため息に、嘉兵衛が即座に反応し、顔を覗き込んでくる。


「日吉、疲れたの?
 ユキが重いなら、僕が抱いててあげようか?」

「大丈夫です、嘉兵衛様」

「そう?
 疲れたのなら夕餉ができるまで寝ていてもいいよ」

「ほんとに、大丈夫です。
 皆さんお仕事しているのに、私は何も出来なくて申し訳ないぐらいなんですから」

「でも、日吉は小さいし。
 そうだ、お腹はどう? まだ平気?」

「はい」

「遠慮したら駄目だよ。しっかり言わないと。
 皆、僕が言わなければ日吉にちゃんと別けてやらないんだもの、駄目だよね。
 日吉は父上にも認められて、松下の者になったっていうのに……」

「あの時は、ありがとうございました。
 今はしっかり分けてもらえています。
 嘉兵衛様のおかげです」

「……うん」


 簡易の具足をつけてはいるが、この集団は短期の調査の為のもの。
人員も日数も限定で、飛び入り参加の私にまわせるほどの余分な兵糧はなかった。
私も旅の途中だったから数日分の携帯食なら手持ちがあり、猿達のこともあるからどうにかする術はある。
魚とか水辺の野草とか、味を選ばなければ食べられる物を見つけることは可能だった。
戦でもなんでも、参加初日の食糧持参は、一般庶民の基本ルールともいえる。

 正式に就職し、同じ主から碌(ろく 給料)を貰った時点からが同僚。でもそれまでは、半分余所者。
信頼の無い他人同士が一緒にいる場合、相手を不安にさせないための暗黙の了解というものがある。
新規の同行者なら、「焚き火の残り火を使わせてもらえれば良し」というところか。

 例えば夕餉の支度だって、湯を沸かすまで出来るのは嘉兵衛がいるからだ。
もしも手伝うのが私一人だったならば、竈は作っても、火をつけるどころか薪を積むことさえしなかったと思う。

 けれどそういう旅人や下っ端の常識を、経験少ない嘉兵衛少年に求めるのは無理なことだった。

 彼にわかっていたのは、私が父親に認められ「雇われた」ということ。
あとは、「よく面倒見てやるように」と、任されたことぐらいだろう。
紹介もない赤の他人を新人として雇った場合なんて、想像したことさえなかったかもしれない。
大きな戦でもなければ、普通は兵も使用人も縁故や伝手で集めるものだから。

 まあ戦時の例外は置いとくとしても。
途中参加の新参は、転校生じゃないけれど、まずは万事控え目にして観察し以後素早く馴染むのが鉄則。
一座で旅している時も新規の同行者はそうして迎え入れたし、私の経験から言ってもこれが最も無難な方法だ。
今回も、私は出来ればそうしたいなぁと思っていたし、するつもりだった。

 しかし、そんな私の思惑を裏切って、嘉兵衛は初日にひと騒動やらかしてくれた。
私に夕餉が配られていないことに目ざとく気づき、彼は部下を鋭くたしなめたのだ。
 
 私のことを思ってくれているのは嬉しいけど、微妙。
 今後同僚となる兵達との関係と、直近の上司の好意を天秤にかけると、……微妙。

 よけいなことだなどとは絶対に言えない。
けれど、嘉兵衛の威を借りて、足りていないのがわかる食料を貰うわけにもいかない。
「敵」と認識すると即座に反撃を考える負けん気も、このてのアクシデントには役立たず。
悪目立ちして頭は痛いのに、私を守ろうと彼がせいいっぱい頑張ってくれているのはわかってしまう。
わからないのは善意をはねつける方法で、対応しきれず無駄におろおろだ。

 こういうのは、ものすごく困る。
自分が第三者なら仲裁出来ても、当事者になったら何もできない。

 困って困って……、その困窮を隠しきれず、顔にも態度にも出してしまったのだろう。
部下の人達が折れてくれて、騒ぎは私にも夕餉を別けてくれるということで治まった。

 ……でも私のその時の様子から、何を間違ったか「遠慮深い子だ」と思うのは、完全な誤解だ。
私のことを「ひじょうに奥手ないじめられっ子」だと認識するのも、大きな勘違いだ。
すでに世話を焼く気満々なのに、さらに過保護になろうなんて、絶対どうかしている。

 嘉兵衛少年は真面目でいい子なのだけれど、いい子すぎるところがちょっと欠点でもあった。



 初対面では不審者として追いかけっこ、初日の食事時には一悶着。
これだけの経緯があれば言わずともわかるだろうが、私は部下の人達との関係が上手くいっていない。

 しかし、彼らの気持ちは良くわかるから、こちらから強引なアプローチも憚られる。
いざこざから一転すぐに主に認められ、その息子の世話役に大抜擢されるなど面白いはずもない。
主人の息子がのほほんと見学しているのは許せても、新人の同僚がその隣でぼけっと座っているのも嫌だろう。
嘉兵衛とあっさり仲良くなれた反動もあるかもしれない。
あまりに急速に懐かれたのが、上手く取り入ったように見えるのだろうと、自分でも思わなくはないからだ。

 だからそんな状況なので、この「食事の時間」は何よりも一番気まずかった。

 分けてもらう立場は動かしようもなく、申し訳なさが先に立って何も言えない。
見てないようで見ている嘉兵衛少年がいるのでエスケープするわけにもいかず、渋々椀を差し出す。
一番最後に食事を受け取り、兵達とは少し離れたところに腰を下ろすのがせめてもの気遣いだ。
彼らの輪の中に入って行くほど厚顔にはなれない。



 嘉兵衛は父親と食事を取るので、さすがにこの時間までは一緒にはいない。
傍にいるのはユキとハナだけで、これはこれで気楽でいい。
自分の分が必要なくなったので余った携帯食を猿達に与えながら、私は雑穀の粥を啜る。
固形物が見つからないから、粥というよりスープに近い。箸(はし)よりもスプーンが欲しいかもしれない。
ぼんやりと椀の縁をなぞりながら、スプーンを自作すべきか否か考えていると、視界に影が差した。


「嘉兵衛様?
 どうしました?」

「日吉、もう食べ終わったの?」

「え? あっ、はい」

「たくさん食べないと、大きくなれないよ。
 日吉は遠慮が過ぎるから」

「そんなこと、ないです」

「そう?
 ……昨年、父上が駿府に行かれたんだ。
 治部大輔様の和歌の御指南役が出家なされるということで、大きな法要が営まれて。
 それでその時、豊前守さまがお泊りのところにもたくさんお客さんが来られたんだって。
 父上はその接待のお手伝いをしたそうなんだ。
 お客さんは公家の方々で、歌の手ほどきなども快くしてくれたそうなんだけど……。
 食べものに関してはすごく注文が多くて、とても大変だったって。
 それで、『和歌を上手く読まれる方は口も肥やさねばならぬようだ』と父上が言ったら、
 それを聞いた豊前守さまが、『源左衛門は上手いことを言う』と膝を叩いて褒めて下さったそうだよ。

 日吉も父上と競うくらいだもの、食事に関しても煩いのかと思ったのに。何も言わないし。
 奥ゆかし過ぎて、どうしていいかわからない」

「…………。
 ……私は、公家ではないので」

「それはそうだけど。
 日吉は僕に歌の稽古をしてくれるのでしょう?」

「嘉兵衛様に教えられるほど、私は上手ではありません」

「そんなことないよ。
 この辺りには、歌の出来る方はあまりいらっしゃらないんだ。
 駿府に向かわれる方が立ちよられることもあるけれど、長居はして下さらない。
 でも、歌の一つも出来ないと田舎者だと馬鹿にされるから……。
 父上も、何度も教えを請いに遠くまで行かれたんだよ。
 日吉がそんなこと言ったら、僕は……」

「嘉兵衛様っ。
 あの、私は松下様に『出来ることならなんでも』とお約束しましたから。
 上手くはないと思いますけど、お手伝いはいたします。いえ、させて下さい」

「一緒に稽古する?」

「はい。よろしくお願いします」


 「うん」と肯く嘉兵衛の笑顔は、暮れ始めてはいたけれど良く見えた。
今日はいい天気だったし、平地で高い木もないから、星や月の明かりで夜も明るいだろうな……と思う。
ちょっとだけ現実逃避した私の隣では、何が楽しいのか嘉兵衛がにこにこ笑っている。
ずいぶん機嫌が良いようだ。
 
 彼はしたたかなのか、純真なのか。やっぱり箱入りなのだろうか。
私が思うに、松下父の言はあきらかに嫌みだろうけれど、嘉兵衛の解釈では違うっぽい。
素直なのは長所だが、少し不安にもなる。
「言葉を鵜呑みにせずに斜めに見てみる」なんてことは、どうすれば上手く教えられるのかわからない。
下手なアドバイスで彼を傷つけ、歪めてしまうのは怖い。
でも何も知らないまま、彼が誰かの悪意に傷つけられるのも嫌だと思う。
そう思うくらいの好意を、この短い期間でもすでに私は持っていた。

 どうしたものかと思いつつ嘉兵衛を見ると、なんだか彼はふらふらしている。
そういえばこんなふうに夕餉の後に尋ねてくるというのも変だった。


「嘉兵衛様、大丈夫ですか?」

「座ってもいい?」

「はい。
 あの、ほんとに顔も赤くなって……って、あれ?
 この匂い、お酒ですか?」

「うん。
 先ほどね、同心の桑野様が来られたんだ。
 調査が明日までだから、終了の挨拶に。
 明日は下流を調べていた方達とも一度合流して、それから帰途につく。
 日吉には言ってなかったから、伝えておかなきゃと思って」

「ありがとうございます」

「うん。
 それで、お酒を差し入れて下さったので、僕も少しいただいた。
 桑野様と父上はお話があるようだから、御挨拶だけして下がってきたんだ」

「白湯(さゆ)を飲まれますか?
 もらって来ましょうか?」

「へいき」


 平気と言われても、放ってはおけない。
呂律は回っているけれどいつもより饒舌な気もするし、どことなく不安定だ。
ここは安全だけれど、少し外れれば水辺だし危ない。
私がこれまで何度か見たことのある酒は濁り酒で、アルコール度数はそんなに高くなさそうなものばかりだった。
「少し」とも言っていたことだし、嘉兵衛が呑んだのもそういう酒なら待っていればすぐに醒めるかもしれない。

 引きとめようと思った私がそれに取りかかるまでもなく、彼は座りこむとぽつぽつ話し始める。


「日吉は、不思議だね」

「不思議ですか?」

「不思議。

 皆、言うんだ。
 『嘉兵衛様のお父上は、ご立派な方です』って。
 僕もそう思うから、同じって言う。
 そうすると皆最後はこう言うの。
 『ですから嘉兵衛様も頑張らなければ、お父上のようにはなれませんよ』……。

 日吉も父上を褒めるけど。でも、最後が違うんだ。
 日吉は、『嘉兵衛様はとてもお父上を慕っていらっしゃるんですね』って言う」

「嫌でしたか?」

「嫌じゃない。……嫌じゃないよ」

「嘉兵衛様は、お父上によく似ておいでですよ」

「ほんと?」

「はい」
 

 膝を抱え込んで丸くよせられた嘉兵衛の肩は薄い。
元服しているとは言っても、私から見ればまだ守られていてもいい子供に見える。
甘えたければ素直に甘えればいいのにと、慕う気持ちを隠せない彼を見ていると思う。 

 嘉兵衛は、私に話している時は自然に「僕」と言うし、口調もどちらかといえば幼い。
それが父親との会話では「わたくし」を使い、丁寧な言葉で理屈っぽく話そうとする。
あんなにお父さんが好きなくせに、その姿勢はまるで一歩引いているかのようだ。

 彼は私に「遠慮が過ぎる」と言うが、彼自身だって「頑張り過ぎ」なのだと思う。
努力は大事だけど、自分を歪めてまで無理はすることはない。
松下父とはどう見ても両思いなのだから、父の方も甘えられたら嬉しいと思うのだけれど。

 何か進言しようかと言葉を選ぶ私をさえぎって、独り言のような小さな声で嘉兵衛は紡ぐ。


「父上は僕を嫡子と認めてくださっている。
 お婆様(おばあさま)も。
 お婆様の侍女たちも。長助や元吉も。
 それから……、義母上(ははうえ)も。

 ……。
 今年元服の儀の時に、初めて義母上が来られたんだ。
 義母上は、妹を抱いていた。
 最初にあった時、日吉がユキを抱いてたみたいに、胸にぎゅっと仕舞ってたよ。

 ……僕を生んで下さった方は体が弱くて、僕がまだ小さい頃に亡くなられたんだ。
 僕はよく覚えていないけれど、でもお婆様も父上も『立派な方だった』と言って下さる。
 『己が命に代えても無事に松下の跡取りを生んで見せる』と約束されて、その約束をみごと果たされた。
 『武士の妻の鑑(かがみ)』のような素晴らしい女性だったと、お婆様に教えていただいた。

 父上は僕の母上が無くなられた後、次の義母上を娶られたんだけれど。
 お婆様の許しが出なくて、今まで家には上げられなかったんだ。
 僕が元服して嫡子として揺るがなくなったから、ようやく来て下さった。
 でも、すぐにご実家に戻ってしまわれた。……義母上のご実家には、まだ小さい、弟がいるから。

 お婆様は、その弟だけは引き取りたかったんだって。
 それを義母上は嫌がったから、妹しか連れて来られなかったんだって……。
 
 ……素晴らしい父上と、母上。
 僕はそんな父上と母上の息子だから。
 だからお二人が恥ずかしくないような、皆に認められる立派な嫡子になるから。
 そうしたら、……義母上もご実家に帰らずに、ずっといてくださるのかな。
 弟は……、会いに来て、……くれるのかな。

 ……本当の母上も、幼いころは、……僕を、だいて……」


 声はさらに小さくなり、やがて途切れる。
泣き出してしまったかと思ったが、すぅすぅと小さな寝息が聞こえ、眠ってしまったのだと知る。
立てた両膝の間に顔を埋めた姿勢でも眠れるなんて、ほんとに子供だ。
 
 川辺はいつのまにか静かになっていて、聞こえるのは嘉兵衛の寝息と水の音だけ。

 小さな肩。小さな背中。寂しい子供。
心に開いた穴を代わりのもので埋めようとしている、悲しい子供。

 比べたくないから考えないようにしていたのに、よく似たシチュエーションにどうしても思い出してしまう。
初めて遭った時の吉法師も、たぶん今の嘉兵衛と同じくらいの年だった。

 吉法師は、私がいつか主にすると決めた人だ。
 嘉兵衛は、成り行きだけれど今の私の御主人さま。

 でも私は嘉兵衛には、吉法師に思うような気持ちは抱けない。
共通項を見つけても、彼らはあまりにも違う。違いすぎた。

 想い出補正がかかっているのかもしれないが、吉法師には強烈なカリスマがあった。
彼は強い目をしていた。未来を見据えていた。

 嘉兵衛は優しい、いい子だ。お父さんに似て真面目で誠実。
私にも隔たりなく、まるで友達みたいに接してくれるし、とても頑張っている。

 二人の違いは、人としての個性の違い。
どちらの方が優れていると比べられるものではないし、両方の性質とも私は好ましいと思う。
嘉兵衛のことも決して嫌いではない。嫌いではなくて、どちらかといえばまちがいなく好きと言える。
けれど、でも何かが足りない。吉法師に感じたように、「人生を賭けてもいい」とは思えない。
「この人の役に立つ人間になりたい」と生きる指針にするには……、嘉兵衛はあまりにも、弱すぎる。
私が彼に対し感じるのは、「時々危なっかしいこの少年をフォローしてあげたい」という庇護欲にも似た感情。



 私の目の前で、子供は健やかに眠っている。
水を渡る風は涼やかで、子守唄のように柔らかく気持ちがいい。
まだ出逢って二日目だというのに、こんなにも無防備な寝顔を見せるから起こせなくて、私は黙って彼を見ていた。

 志に賛同し、忠義を尽くしたいと思える人をいつか主にするのだと思っていた。
庇護欲なんて雇われ人としては正しいのだろうかと迷う私にも、優しい風はそっと撫でるように通り過ぎて行く。








* 現代は、お酒は二十歳になってからです。


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