「戦略とは、敵の最も嫌う事をやることです」
秀頼の前に一人の男が座り、威厳のある声でそう言った。
彼の名は後藤基次。後藤又兵衛とも呼ばれる男である。
木村重成が密かに連絡を取って、大坂に誘った浪人の一人であり、秀頼から名指しで指名された男でもある。
彼は京で物乞いのような生活を送っていたため、すぐに大坂へと参ずることが出来た。
「この戦、ただ戦い、ただ時を過ごせば万に一つの勝ちもありませぬ。
敵は巨大であり、我らよりあらゆる点で優位に立っています」
大坂城へ入った又兵衛はすぐに秀頼に拝謁した。
そこで秀頼から関東との戦において如何に戦うべきか、忌憚のない意見を述べてくれと声をかけられたのだ。
「まず、関東の戦力において、冷静に判断をする必要があります。私はそれなりに戦場での生活が長かった者。
大方の諸将についてはその手腕を存じております」
普通、秀頼のような身分の者から直接声をかけられ、意見を聞かれる事などない。
取次ぎや側近に対して声を上げて意見を言い、側近がそれを横にいる秀頼に語る、という手順を踏まなければならない。
秀頼は従二位右大臣という官位を持っており、又兵衛は無官である。
直接の拝謁すら、本来の武家のしきたりから言えばありえないことである。
それが直接対面したばかりか、周囲に信頼の置ける者のみを置いた場で意見を求められたのだ。
又兵衛は素直に感動すると共に、一つの感想を持った。
意外と、器量のあるお人かも知れぬ、と。
「関東は全国津々浦々から大名を集め、その物量で押しつぶす事が最も基本的な戦略となりましょう。そしてそれは正しいと言わざるを得ません。
戦の基本は相手より多くの兵を集め、その兵力を集中的かつ効率的に運用することです。相手よりはるか大きい戦力を集める事ができれば、戦の準備段階は成功と言えるでしょう。
そして、残念ながらどう足掻いても関東より多くの兵を集める事はできない・・・そうですな?」
そう言って傍らにいる若き側近、木村重成を見る又兵衛。
その視線を受けて重成が答えた。
「関ヶ原以降、巷に溢れかえった浪人達を集めております。その数はおよそ十万ほどになるでしょう。
しかし、歴とした国持ち大名は一人として参陣することはない・・・というのが我らの予想です」
重成は我らの予想、と言ったが正確には秀頼がそう言ったのである。
重成や他の側近、又は奥の女中や淀君周辺の女どもは「豊臣家が激を飛ばせば世の大名はこぞって参集しよう」と思っていたが、秀頼は史実を知っている。
史実を知らずとも、世間に精通した者は今や巨大な領土、権力、兵力を持つ徳川家に逆らって大坂に参陣するなどという自殺行為を行う大名などいないと分かっている。
豊臣家恩顧の大名達ですら、関ヶ原で徳川についたのだ。絶望的な戦力差のあるこの戦で大坂に着こうという大名など皆無である。
これを聞いた又兵衛は頷いて先を続けた。
「関東はおよそ二十万以上の兵を集めてくるでしょう。倍を有する相手に正面から当たっては敗れるは必定。
さらに関東は総大将を徳川家康殿が、別働隊を現将軍である徳川秀忠殿が率いてくる布陣となりましょう。
各諸将の中には私と同じかあるいはそれ以上の戦歴を持つお方もおられます。例えば北の伊達氏、西では島津氏や毛利氏、私のかつての主君である黒田氏などです」
他にも立花宗茂、井伊直孝、藤堂高虎など挙げればきりがない、と又兵衛は語った。
又兵衛の語り口調は老先生が若き生徒に理論立てて講義をしているようになっていた。
「我ら、つまり大坂方における優位、これはまずなんといってもこの大坂城でありましょう。古今無双の巨城であり、これに十万の軍勢が篭ればそうは落ちませぬ。
しかし、ただ守っているだけではいずれは内部より瓦解しましょう。これは多くの歴史が証明しております。長い篭城は士気を萎えさせ、脱け出る兵や寝返る者が相次ぐでしょう。
そして防衛線は崩壊する。まず、篭城するのであればこれを防ぐ事が第一です。兵糧を多く積み上げ、弾薬と刀槍を充実させ、内部に娯楽も用意する。
さらに守っているだけではなく、勝てるやもしれぬ、という気持ちを士卒に実感させることが必要です。それにはまず、浪人達を統率できる指揮官が必要となるでしょう」
そう言って又兵衛は秀頼を見る。
譜代や側近だけでは集まった浪人達を統制することは出来ない、そこをどうするのか、と問うているのだ。
「お主の他に、一人は明石全登を考えている。既に参陣するためにこちらに向かっている所だ」
秀頼はそう答えた。
わざわざ明石全登の名を出したのは又兵衛なら彼の事を知っているはずだと思ったからである。
案の上、彼は喜色を浮かべて言った。
「ほう、明石殿が来られるのですか。それは心強い。彼ならば万の軍勢を率いて手足のように進退できましょう」
この秀頼の答えに又兵衛は安堵していた。
浪人達の中で能力があり、指揮官として活躍できそうな人物は誰でも取り立てていく、と明言したと解釈したのだ。
「浪人は世に溢れている。浪人だけでなく、関ヶ原で敗軍となり幕府の監視の下、窮屈な生活を送っている者も多い。
それらの人々をここ、大坂城に呼び集める。近い内に幾人かの将が参陣する。又兵衛、お主もよろしく頼むぞ」
秀頼からそう声を掛けたれた又兵衛は、深く頭を下げた。
謁見が終わり、退出した又兵衛は与えられた城内の邸宅へと入った。
蝋燭に火を灯して、薄暗く光る部屋の中で彼は口元に笑みを浮かべていた。
「関東の軍勢二十万、相手にとって不足なし。この上ない花道よ・・・」
その頃の秀頼は。
自室で又兵衛との謁見を思い出していた。
すげぇよ、後藤又兵衛だよ! ホンモンだよ!
京で落ちぶれていたとか本当だったんだな・・・確か、黒田長政と折り合いが悪くて出奔したんだよな。
後世にも戦上手として伝わってる人だ・・・戦略面は任せて大丈夫だろう。
史実では浪人達と譜代の間で確執があったり、淀君・・・つまり俺のお袋様が色々口を出してきて振り回される形になった浪人達が結局奮戦むなしく敗れたが。
すでにお袋様には「表の事には口を出してくるな」と強く言っておいたし実際に浪人との謁見や戦略会議には参加させてないしな。
どうにかしてあの狸親父の軍勢に渡り合って状況を変えないと。俺、死ぬし。
蔵の中で腹斬って焼死とか絶対に勘弁だぞ。
勝てるかどうかとか考える前に、このままじゃ負けるんだ。
和議の後、堀を埋められるとか冗談じゃねぇし。
史実に残るほどの名のある武将達の力で、必ず戦局をひっくり返してやる!
・・・まあ、現実を見るとどうやって勝つのか想像もつかんが。
豊臣家に集った浪人達対徳川家率いる全国の大名・・・だもんな。
普通に考えて・・・というか、俺程度が考えて勝てる戦でないことは確かだ。
幸い、実際に後藤又兵衛に会って意見を聞いたが、何か又兵衛には思案があるようだ。たぶん、史実の又兵衛も何か案を持っていたんだろうな。
実行しようにも出来なかっただけで。
どちらにせよ・・・俺に出来ることは優秀な武将達に指揮を取らせて万に一つの勝機を見出して貰うことだけだ。
そのためにも・・・まだ関東から決定的な手切れになっていない今、先に重要人物をこの大坂城へ呼び寄せているのだ。
きっとどうにかなるはず。いや、どうにかしないと俺が死ぬ!
こうして秀頼は急速に戦準備を行っていく。
どうせ何もしなくても、いつかは家康は豊臣家を滅ぼすために大義名分を掲げて攻めてくる。
それが分かっているから、大急ぎで準備を進めていた。
家康のほうも大坂が露骨に戦準備を進めているので、すぐに反応して全国の大名に動員を行うだろう。
それまでにできる限りの準備を行う。それが今の秀頼に出来る事であった。
後藤又兵衛が大坂城に入城してから十日後。
秀頼が名指しで指名した男の一人が参陣した。
後の世で五人衆と呼ばれる男達の一人。
真田信繁である。