朝の空気はひんやりと冷たく、身体を外部から冷やしてくれる。
外で修練を行っているため、時折吹く風が微かながらも木々の香りを運んでくれた。
バルディア達と初めて飲んでから二日が経過した。あの時はそのまま帰ったが、バルディアの言葉は妙に耳に残っていた。
“なんなら、一度潜ってみるか? サポートぐらいならするぜ”
ありえないだろう、そんなこと。そう自分に言い聞かせるように呟くと首を振る。
「よしっ」
気合を入れなおすと道具袋から白鞘に包まれた相棒を取り出し、にっくき薪を手に取った。
余計なことだと頭から追い出す。たのしい、たのしい――薪割りの時間だ。
身体の内部から発せられる熱はとどまることを知らず、額には大粒の汗が浮かんでいるのを感じる。
薪割りを始めてまだ二日しか経っていないが、身体の動かし方に対する意識が変わった。
今までは剣を振ること自体が目的だったのだが、今ではそこにある何かを斬ることを目的として振るうようになった。
当たる直前に手首によるしなりを加える。刃の入射角、引き斬る為の角度を意識する。
薪割りをしていて気付けたのはそのぐらいだった。だが、それだけを意識するだけで負荷は増大する。
また、身体操作をより意識し始めたからだろうか。身体の異変にも気付いた。
若干ではあるが、身体が重くなっている気がするのだ。
今までは修練の疲労がたまっているせいだと思っていたのだがハーディさんとの修練が行っていない今、以前よりも精神的負担は小さいはずであるし、肉体的疲労は薬湯で回復しているはずである。
それにも関らず剣先の速度が落ちているような感覚があるのだ。これがいわゆるスランプという奴なのだろうか?
だが、その問いに応えてくれるはずの人はいない。また、いたとしても素直に問える気もしなかった。
大きく息を吐き出すと頭を左右に振り、ごちゃごちゃと脳に詰まっている雑念を振り落とす。
再び薪を手に取り、刀を構えた。
朝食とは思えない量と内容を持った食べ物が胃の中で暴れている。
テーブルに突っ伏して何とか耐えているとネスティアさんがお茶を置いた。
「はい、どうぞ」
「……ありがとうございます」
テーブルから起き上がり礼を告げる。
ネスティアさんが食後に入れてくれるお茶は消化促進作用があるのか、飲むと胃が落ち着きやすくなる。今までの経験からそれを知っていたので半ば無理やりそれを飲み干した。
ネスティアさんは空いた湯呑にまたお茶を注ぐ。
「身体も少し大きくなってきたわね」
そう言われて腕を見た。確かに人生においてこれほど太い時期はなかっただろう。さらにあれだけの暴食を行っているにも関わらず、腹筋も未だかつてないほどの凹凸を手に入れていた。
「そうですね。……でも、筋力はレベルで上がるのに、筋肉が必要なんですか?」
「もちろんよ。筋力は筋肉の量とレベルで決まる。どちらか一方よりも両方備えた方が大きな力を発揮できるからね」
ハーディさんに言われるなら分かるが、華奢としか言いようのないネスティアさんに言われると納得しきれないものがある。
「筋力だけで勝敗が決まるわけじゃないけど、無いよりはあった方がいいわ」
「そうですか」
「それに、美味しいもの食べるだけで強くなれるなら願ったりかなったりでしょ?」
それにしても限度があるとは思うのだが。
朝食後、最近の修練場所となっている裏庭へと再びやってきた。昨日は薪に刃が食い込むのは五回に一回あればいい方だった。しかし今日はほぼ五回に一回食い込むようになっている気がする。
ほんの少しの、微々たる成長。それを実感するたびに自主鍛練の場は楽しくなっていった。
何せ、息を切らすことはあっても肉体疲労は薬湯で回復する。もう手にマメを作ることもなくなった。そして今はハーディさんがおらず、精神的疲労も少ない。
このまま帰って――かぶりを振った。
沸きあがってくる黒い感情を眼前にイメージし、刀を振った。
昼食後、いつものようにテーブルへ突っ伏しているとネスティアさんが手紙を差し出してきた。
「シュージ君宛てよ。女の子から」
そう言ってにやりと笑う。
気後れしながらも受け取る。裏を確認すると、期待通り差出人の宛名はアーリアとなっていた。
ネスティアさんからの追及を振り切ってなんとか自室に逃げ込むと、早速手紙の内容を確認する。
シュージさん
お元気そうでなによりです。
村はあの事件以降、元気とは言い難い状況ですが、それでも皆、少しずつ前を向き始めています。
縁剣隊の方からいただいた馬車なども大活躍していますよ。
縁剣隊の方に聞いたのですが、シュージさんが提案してくださったそうで、本当にありがとうございました。
そのおかげで村の皆も何とかやっていけそうです。
シュージさん領主様の秘書をやっているなんてすごいですね。
そんな方の手助けが出来たと思うと誇らしいです。
実は今、仕事の関係でガイスに来ています。ガイスではたくさんの建物が建設中です。
きっとあれが大学になるんでしょうね。シュージさんならきっと素晴らしい先生を集められると思います。
周りの方も貴族ばかりで気苦労が絶えないとは思いますが、頑張ってください。
私たちの方にも色々と変化がありましたが、それはまたの機会に説明しますね。
お体にお気を付けください。お忙しいとは思いますが、お返事待ってます。
アーリア
読み終えて、顔がほころぶのが分かった。
ソニカの村が何とか復興できそうだというのは非常にいいニュースだ。
縁剣隊は、アッサムはしっかりと仕事をしてくれたようだ。
だが、それより何より俺の顔をほころばせているのは最後の一文だった。
“お返事待ってます”
この手紙のやり取りが消えてしまわないことに、心が温まっていくのを感じた。
ルーズリーフとペンを取り出す。前回はどんな風に書きだしたかなと考えた瞬間――
脳裏に前回書いた手紙が寸分たがわず再生された。
あまりの驚きにペンを落としてしまった。床に落ちたペンのカツッと言う音が妙に遠くに感じる。
今の映像は一体何なのか。以前作った下書きがまるで眼前にあるかのように脳内に再生されたのだ。
しかも脳内に再生された映像はその質感すら持っていた。一文字一文字に注目することすらできる。また、意識を集中すると白紙の状況から徐々に文字が埋め尽くされていく所がビデオの早送りのように再生された。
明らかに異常な事態だ。少なくとも以前に経験したことはない。
この世界に来て何度めの驚愕か分からないが、驚愕自体に慣れることはないようだ。だが、理由には容易に至れるようになった。
おそらく、スキルの恩恵だろう。ひょっとしたら新しいスキルが増えているのでは――そんな期待が胸を高鳴らせた。
鞄の中から祝福の結果を取り出す。
そこにあった工物神の名前を見て納得がいった。
すっかり忘れていたが、加護の内容に“素材さえあれば同じものが作れる”があったことを思い出した。
てっきり何かしらのアクションを行えばオートで作成が開始されたりするものかと思っていたが、どうやら脳内に設計図と完成形が浮かび上がるようだ。
だが、同時に疑問もわいてきた。この程度でもスキルの対象となるのなら今までの生活で発動しなかった理由は何なのだろう?
何度も淹れなおした紅茶、一週間近く練習したベッドメイキング。
加護の発動対象となりそうな出来事はたくさんあった。何故、今回なのだ。
手紙を書いた状況とその他の状況を比較する。しかし、いずれの場合も時間が空いているせいで状況を明確に思い出すことはできなかった。しかし、手紙以外にも加護が発動した。紅茶の淹れ方だ。
脳裏には以前使っていたティーセットに注ぎ込まれた紅茶がたたずんでいた。信じられないことに湯気すら出ている。
また、作成の過程を再生して行くと、所々で注釈が入っていることに気付いた。
使用するお湯の温度、蒸らしの時間、カップを先に暖めておくなど……これはおそらく、紅茶を入れる過程で俺が気をつけていたことが自動で書きこまれているのだろう。
だが、肝心の発動条件があやふやだ。これほどの能力、確実にものにしておきたい。
手紙と紅茶の共通点を必死に探す。だが、それらしい点は見つからない。
例が少なすぎて判断を下せそうになかった。
仕方がないので、先にアーリア宛ての手紙に取りかかる。
実際に手紙を書きながら加護の発動条件を探せばよいのだ。半分ほど書くと、“この手紙の内容は”と心の中で呟く。
だが、脳裏には何も浮かんでこなかった。その後も一行書いては加護が発動するか試す。
結局、最後まで書いた後も加護は発動しなかった。今回と前回の手紙、違いは一体何だと言うのか?
手紙の内容を確認する。
アーリア様
無事に村が復興に向かっていると聞いて安心しました。
ここ最近修行が大変だったので、そのような明るいニュースはとても励みになりました。
応援することしかできませんが、頑張ってください。
秘書の仕事と言っても見習いみたいなものだから。やってる仕事も大学の人材獲得だけです。
修行に来ている間に何か学べればいいのですが、中々苦戦しています。
アーリアがガイスに居るというのに驚きました。仕事の関係と書いてありましたが、ランツさんも一緒なのでしょうか?長距離の移動は難しいと言っていたので、少し心配です。
仕事と言えばアーリアは調剤士でしたね。修行中に薬湯のお世話になることが多いのですが、すごい効き目に驚きました。
ソニカの村にはアーリアのおかげで元気に暮らせる人もたくさんいると思います。
お気を付けください。
こちらで友人が出来ました。王都には地下街と呼ばれるダンジョンがあって、そこに潜っているサーチャーなのですが、皆明るく、良いやつらばかりです。
王都に来られた際は紹介しますね。
ランツさんにもよろしく伝えておいてください。
末筆ながら、ご自愛のほどお祈り申し上げます。
それでは
シュージ
……こんなものでいいだろう。しかし、前回の手紙との違いは何なのだろうか? ひょっとして手紙という種類に対して一度しか使えないということなのだろうか? そう考え、もう一度挑戦する。
脳裏につい数瞬前に書き終わった手紙の内容が浮かび上がる。……つまりは加護の発動に成功した。
わけがわからない。
見直しが必要なのか? だが、見直しならベッドメイキングでも行っている。
手紙の見直しを、自身の行動を顧みる。
ベッドメイキングを教えてくれたライカの声が聞こえた気がした。
“ん~……80点。まぁ、ギリギリ合格ラインだよ”
それを聞いた時どう思った。“まだまだだなぁ”と思わなかったか?
紅茶の時はどうだった?
“ふむ、良いでしょう。合格です。五回でコツをつかむとは中々筋が良いですよ”
それを聞いた時どう思った。“これで良いな”と思わなかったか?
もしその違いが加護の発動条件だとしたら?
加護の発動条件は“製作物に満足している”ことになる。
そう考えると、見直しを行った直後に加護が発動するようになったのもうなずけた。
だが、正直これも仮説の域をでない。まだまだ検証が必要だろう。
鞄を手に取り、立ち上がった。
「入館は館章をお持ちでないのでしたら銅貨30枚となります」
「はい」
「ありがとうございます。確かに銅貨30枚確認しました。本を汚さないようにお気を付けください」
「はい、本を読むにはお金がいるのですか?」
「いえ、そんなことはありませんよ」
「分かりました。ありがとうございました」
アーリアへの手紙を出すために代筆屋と配送屋に立ち寄った後、俺は図書館へと来ていた。
ガイスとはずいぶんとシステムが違って驚いたが、どちらかと言うとこちらの方がなじみやすい。
土地は違っても、図書館の空気は静かに澄んでいた。
流石王都と言うだけあって図書館はかなり大きい。ガイスの物も大きかったが、あちらは本棚に隙間が目立っていた。それに比べてこちらの本棚には隙間などほとんどない。
目当ての本を探し、歩きまわる。今回の目的は二冊。
一冊目は簡単に見つかったが、二冊目が中々見つからない。
ひょっとしたら無いのかもしえないが、出来れば書物で確認しておきたいものだ。
そうして目的の本を探していると見覚えのある表紙を見つけた。
“神様大全集”
以前まとめた内容は加護によって引き出すことはできない。
そう言えばあのときはまとめている最中に妨害が入ったのだと思いだした。
先ほどの仮説が真実味を帯びてくる。
神様大全集を手に取り、工物神アランシムの項目に目を通す。目新しい情報はなかったが、創物神の下位に属していたことを思い出した。
その情報を元に再び本を探す。きょろきょろしながら本棚の間を縫って行った。
目当ての物と思しき本を見つけた。“創物神の系譜”。そのタイトルが示す通り創物神に連なる神について詳しく書かれた本のようだ。
パラパラとページをめくると工物神アランシムについて書かれているページを見つけた。自然と顔が本に近付く。
“創造物を愛す神で、その加護は職人の大いなる手助けとなるでしょう。何かを作り出す者を尊び、作られたものを愛でるこの神は加護を与えた人物が作り出した設計図を決して忘れません。職人は自身の作った設計図に、自身の発見に自信を持ちなさい。多くの設計図をささげた人はその存在を創物神へと薦められるでしょう。また……”
具体的なことが書かれているわけではないが、内容的に言って、どうやら俺の仮説は間違ってなさそうだ。“創物神の系譜”を棚に返す。
と言うことは、俺が今考えている案は実現出来そうだ。脇に抱えているひときわ分厚い本が、これ以上ないほど頼もしく思えた。