「さて、それでは修練に入るか」
先ほどの攻防は修練の内には入らなかったのか。ハーディさんの目は真剣そのものだ。木刀を手に立ち上がる。
「今日は初日ということもある。素振り千本でいいぞ」
サディスティックな笑みは目の錯覚ではなかったらしい。
「でだ。鍛える一撃はどうする?うじうじ悩んでも仕方ないだろう?スパッと決めてしまえ」
「……じゃあ横薙ぎで」
「ふむ、理由は?」
「いえ、なんとなく突きよりは応用範囲が広そうだなというだけですが」
「まぁいいだろう。では横薙ぎを左右千回ずつだ」
想像はしていたが、当たってほしくはなかった。左右五百回ずつで済むかと思ったが、やはり修業というだけあって甘くないらしい。
右手に持った木刀を左腰に構え、一気に振りぬく。ブンという空気を裂く音が生まれた。
「腕だけで振らずに身体全体を使え、今はまだ大振りでも構わん」
いきなりの助言にハーディさんの方に向き直る。
「は、はい」
「いちいち止まらなくていい。素振りをしたまま聞け」
「はい」
木刀を左手に持ち直し右腰におく。腰の動きを腕に伝えるように意識しながら左手を振りぬく。空気を裂く音が大きくなった。
「刀を持っている方の足を一歩前に出し、その力を使え」
「はい!」
再び右手に木刀を持ちかえる。腰を落とした状態から左脚で地面をけり、右脚でその勢いを無理やり止める。その慣性の力に各筋肉・関節が生む力を乗せ、腰を通して回転運動へと変換する。
腕が――走る
剣先が――疾走した
より一層大きな音とともに、右腕がびりびりとしびれるのが分かる。空気を切っているという感触があった。
「それでいい。今日のとこはその感触を忘れないように振れ」
そういうとハーディさんは修場から出て行った。未だにしびれが残っている右手を見つめる。
「……これを……千回?」
今日の昼には箸も持てなくなっているかもしれない。
左右合わせて100回目の素振りを数える頃には両手に合わせて五つのマメができ、内4つは早々につぶれていた。
左右合わせて200回目の素振りを数える頃には足の裏にもマメができ、つぶれていた。もはや感覚はマヒしているが、身体は危険信号を出し続けているのかフォームが崩れていくのを自覚する。
左右合わせて256回目の素振りで左腕から木刀が飛んで行った。幸い何もないほうへ行ったので特に器物を破損したということはないが、汗にまみれた左腕は疑いようがないほど震えている。右腕も同じ状態になるのにそう長い時間はかかるまい。太ももは熱を持ち、肘は痛みを訴えている。257回目の横薙ぎをふるうも先ほどまでの風切り音は見る影もなくなっていた。
350回目の横薙ぎをふるった後に、修練場にネスティアさんがいることに気付いた。やかんらしきものとタオルを持っている。今日は着物ではなく青いワンピースを着ていた。
髪をおろしたネスティアさんは活発そうだ。まとめていた髪に引っ張られていたからだろうか。昨日は釣り気味だった目が垂れており、昨日よりもさらに若く見えた。この若さでハーディさんの奥さんとは信じられない。ひょっとしたら未成年ではないかと思うほどだ。
「はい、これ。脱水症状になっちゃいけないから」
そう言って湯呑を渡してくれた。
「あー、ありがとうございます。」
湯呑に入っている液体にかなり心惹かれはしたが、いかんせん腕が震えて上手く飲めない。道場にだいぶこぼしてしまった。それを見たネスティアさんはどこと無くうれしそうだ。
「がんばってるわね」
「初日でこれじゃ先が思いやられますけど……初日ぐらいは耐えたいですからね」
「なるほど……大人しそうな感じの割に、男の子してるのね」
「はは、まぁ迷宮に叩き込まれるよりはましでしょう」
「そっちの方がいいって人のほうが多いわよ?」
こちらの世界の人間はなぜそうも命知らずなのだろう。
「臆病者の薄弱者なんで」
苦笑とともに返事を返す。
「なにそれ」
ネスティアさんも笑っている。その時、身体の震えが治まっていることに気付いた。マメだらけになってしまった掌を握ったり開いたりしながら見ているとネスティアさんが微笑んでいた。
「そろそろ効いてきたかな?」
「その薬缶の中身……普通の水じゃないんですか?」
「うん。うちの道場かかりつけの調剤士お手製、“疲労回復薬:肉体労働の後に”を溶かした水よ。効くでしょ。脱水症状にならないように飲んでね?」
「はい、すごいですね。両手足にできたマメ以外は最初と変わらないぐらいです。ありがとうございます」
そういうとネスティアさんは掌を覗き込む。
「これは……痛そう~。今まであまり武器を振ってなかったの?うちに来る人でここまでマメのできる人はちょっと覚えがないかな」
今日まで自主的に行っていた修練がどれだけ意味のないものだったかを痛感させられた。あんなのは、ままごと以下の代物だ。
「はは……スイマセン。どちらかというと頭脳派だと自負してましたんで」
「……とりあえず足にはこの軟膏を塗っておきなさい。少しは痛みがマシになるはずよ」
そう言って渡されてきた軟膏は毒々しい緑色をしている。恐る恐る塗りつけると信じられないほど染みた。
「~~っ!!」
痛みに震えているとネスティアさんが包帯を差し出してくる。
「これを巻いておきなさい。それよりひどくなったら化膿するわよ。手も貸して」
とりあえず渡された包帯を足に巻く。動きをなるべく阻害しないように巻くのは中々難しい。
包帯を巻き終わるとネスティアさんに有無を言わさず手を取られ、薬缶の水で洗われる。掌を通る水は心地よくもあるが、それよりも傷に染みた。持っていたタオルで掌をたたくように拭かれる。その後、床に落ちてしまった水分をふき取った。先ほどの軟膏を塗られ、包帯を巻かれたが、傷に染みる痛みよりも女性特有のやわらかな掌の感覚に頭が沸騰しそうだった。
「これで良し。軟膏も置いとくから修練終わったらもう一度塗ってね。忘れると明日の修練がもっとひどいことになるよ」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。それじゃがんばってね」
そう微笑みかけると、ネスティアさんは手を振りながら修練場から出て行った。
「……さて、続きをやるか」
誰にともなくそうつぶやくと再び素振りを開始する。崩れていたフォームが直っているような気がした。
定期的に取る薬湯の効果とネスティアさんが巻いてくれた包帯の威力はすさまじく、左右千回の素振りは無事に終わった。いくら薬湯のおかげとはいえ、これだけのことをやってのけた自分に少しだけ自信が持てた。
最後に一度、今日最高の斬撃を目指し、振る。気のせいか疾走する剣先も当初よりずいぶんと速くなったように感じる。それが少しだけ、うれしく、楽しかった。外に出るとハーディさんが縁側に座っていた。
「終わったか?」
「はい。なんとか」
そう言って苦笑を返す。
「よくやった。今日のところはこれでいいからしっかりと休みなさい」
そう言って頭の上にポンと手を置かれる。分厚く、大きく、力強い手は俺に勇気を与えてくれるようだ。
昼食は和食ではなく、ピザだった。非常に大きな生地の上には色とりどりの野菜とざっくりと切った肉が乗っており、醤油で照り焼きにされているそれが放つ香りに涎が止まらない。ハーディさんは席についているが、いつの間にか和服に着替えていたネスティアさんは皿を置いた後どこかに行ってしまった。あれだけ動いて空腹状態の俺にはこの仕打ちは拷問にも等しいのではなかろうか。早く来てくれることを切に願う。願いが通じたのかネスティアさんはすぐに帰ってきた……二人になって。
一人は和服、もう一人は青いワンピースを着ている。混乱に空いた口がふさがらない。こちらの様子を見て和服を着たネスティアさんがもう一人のネスティアさんを叱った。
「ノーディ、あなた自己紹介しなかったわね」
「あー、そういえばしなかったわ。ごめんね、シュージくん」
ワンピースのネスティアさんがそう言って謝ってきた。
「私はノーディリア・インセリアンっていうの。この二人の娘です」
突飛な出来事に対する説明はさらに突飛なものだった。
「……え?娘?」
「うん。そーだよ。私はハーディ・インセリアンとネスティア・インセリアンの娘のノーディリア・インセリアンです。ノーディって呼んでね」
ウインクを放つ活発そうなネスティアさん……ノーディはそういうが、どう見てもノーディの年齢は十六には達しているはずだ。
ということは目の前の二十台にしか見えないネスティアさんは……駄目だ、上手く思考がまとまらない。
「何に対してそんなに驚いているのか知らんが、あとで説明してやる。今は飯を食うぞ」
混乱している俺にハーディさんが助け船を出してくれた。助けになっているかは甚だ疑問ではあったが。
食事も一段落し、みなが満足げにお茶をすすっている。
混乱した状態でも、ネスティアさんが作ってくれた食事は感動的なほどに美味しかった。
目の前に居るネスティアさん、左隣に居るノーディ、斜め前に座っているハーディさんの三人と食事の余韻を楽しんでいる。お茶を飲んで一息ついた今では、先ほどの疑念と混乱にも若干冷静に向き合うことができた。
どのように尋ねたものか悩んでいると、その様子を察したのかハーディさんが口につけていた湯飲みをテーブルに置く。
「さて……実はお前が何に混乱しているのかは分かってないんだが、今朝修練場に差し入れを持っていったのはノーディのほうだ。」
「はぁ……いや、そうじゃなくてですね……」
なんと言ったものだろう?“ノーディの親としては若すぎませんか?”特殊な事情がある可能性もあるのだ。迂闊に口に出していい質問ではない。もっと回りくどく、聞きたいことをぼかす必要があるだろう。
「……実は,あまりに似ているんで双子だと思ったんですよ」
我ながらこの質問は中々のものでは無かろうか。質問に対してはネスティアさんが答えてくれた
「ふふっ、まぁ実の親子で肉体年齢もほとんど離れてないから」
どこか嬉しそうにそう告げてきた。
「肉体年齢が離れてないんですか?」
「そうよ? 今まで周りにレベルの高い人は居なかったのかしら?」
おそらく今まで出会った中ではハーディさんが一番高いだろうが、他の人は特に分からない。何の気なしにハーディさんを見るとなぜか哀愁が漂っている気がする。
「居ませんでしたね」
「じゃあ仕方ないか。ほらあなた、師匠なんでしょう?落ち込んでないでしっかり説明してあげなさい」
そう言って隣のハーディさんをゆする。
「ん……、ああ。……先ほどの話にも通じるところがあるが、レベルが上がる恩恵と言うのは純粋な身体能力の強化だけにとどまらん」
考え事から帰ってきたのだろうか。ハーディさんは湯飲みを手に取り話し出す。
「その中の一つに、……細かい条件は省くが、レベルが上がった者はそれから一年の間は老いが生じないというものがある。その間は病にもかからず、外的要因以外で死ぬことは無いそうだ」
そういうと湯飲みを口に当て、冷めているだろう液体を一気に流し込んだ。
「私の実際の年齢は八十歳だ。肉体年齢はおそらく……二十台半ばと言ったところだと思う。妻にいたっては――」
「あらあら、何を口走ろうとしているのかしら?」
「……永遠の二十歳だ」
この家庭における力関係の一端を垣間見た。だが、それで納得がいく。おそらく二人はノーディが生まれてから肉体的にほとんど年をとってないのだろう。そして、それが意味するところは
「お二方とも相当レベルが高いんですね」
その言葉に今まで口をつぐんでいたノーディが反応する。
「あったり前だよ。二人とも数少ない勇者なんだから!」
「勇者?」
ハーディさんの説明にも出てきた気がする。首をかしげていると続けて説明をしてくれた。
「ホントにどんな田舎から来たの? キミ? 勇者って言うのはね、数多くの試練を勇気を持って乗り越えてきたってことで王様から与えられる称号なの。レベルが百に達しないともらえないんだよ」
「なるほど。ちなみに住んでた所は村から少し離れてまして、あまり交流が無かったんで知識が少ないんですよ」
「う……ごめんなさい」
嬉しそうに話していたノーディが一転して落ち込んだ様子を見せる。
「いっ、いや、良いんですよ? 慣れてますし。実際田舎だったのは間違いないですし」
こちらの世界での故郷とも言えるソニカの村を思い出す。また行くと言ったが、あの村へ帰るのは当分先になりそうだ。
後片付けの手伝いをする。と言っても洗い物の数も少なく、ネスティアさん、ノーディと二人掛かりで行っているため俺にできることと言えばテーブルを拭くことぐらいなのだが。気を使ってくれているのか、手馴れているのか、既にこの二人とは気兼ねなく話すことができるようになっていた。
「そういえばさっきハーディさんがもの悲しそうにしてましたけど、俺なんかまずい事言いましたか?」
そう尋ねると二人は洗い物の手を止め、顔を見合わせる。一拍の後二人してクスクスと笑い始めた。
「実はね、お父さん、あたしがお父さんに似てないことを気にしてるんだって」
この世界では娘が居る家庭の父親は親ばかが標準なのだろうか? どこぞの腹黒領主の顔が思い出された。
「最近はまだ良いんだけど、昔なんか初対面の人に変態扱いされたこともあるらしいよ」
その言葉に隣のネスティアさんがさらに揺れだす。
「はぁ、あの時は面白かったわよ?あの人が珍しく酔いつぶれるまでお酒を飲んでねぇ。起こそうとしたらいきなり泣き出して、俺だってちっちゃい頃はかわいいって言われてたんだとか分けの分からないことを言い出してね」
「は、はぁ」
きっと今の俺の顔は盛大に引きつっていることだろう。
「どうやら”あんたみたいな厳つい人がこの子の親なわけないだろう”みたいなことを言われたらしいのよ」
そういうとネスティアさんはつぼに入っているのかまたクスクスと揺れだした。いきなり師匠としての威厳が消え去る話を暴露されてしまったハーディさんに、憐憫の情を送ることを禁じえなかった。
道具を用いて疲労を吹き飛ばしたとは言え、やはり疲れは溜まっていたのだろう。
食後、たたまれた布団に体重を預け横になっていると、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
まだ日が高いことから、そこまで長い時間ではないことが推測される。だが、睡眠をとったことにより身体が軽くなっていた。掌と足の裏に軟膏を塗りなおし、包帯を巻く。軟膏の効能だろう、マメが潰れた跡には早くも薄皮ができていた。掌を軽く開閉してみるが痛みは感じない。これだけ回復が早いとなると修練の密度を上げることは容易だろう。……根性さえあれば。
今日は軽くと言うことで素振り二千回だった。明日以降の修練が恐ろしくもある。きっと弟子が逃げたのはダンジョンに潜りたかっただけというわけではあるまい。だが、同時に楽しみでもある。
袋から刀を取り出し、その刀身を顕わにする。今日の素振りを思い出し、一振りすると木刀が放つ呻る様な鈍い音とは異なり、刀は小鳥のさえずるような甲高い音を奏でる。
今まではどんなに頑張ってもこんな澄んだ音は聞けなかった。口元がにやけてしまう。強くなる、と言う実感がここまで恍惚的なものだとは思わなかった。
わくわくが止まらない。袋に刀をしまうと障子の向こうから声が聞こえた。
「シュージ君。街に出てみない? 案内するよ」
どうやらノーディらしい。
「ありがとうございます。お願いします」
夕方は閑散としていた通りも昼間は活気に包まれている。ハーディさん宅の面している通りは個人商店が多いらしく様々な店が並んでいた。
「あれが八百屋さんで、あっちが魚屋さん、あっちが武器屋でその隣が鍛冶屋、さらにその隣が……」
ノーディは一つ一つ丁寧に教えてくれるが一度には覚えられそうに無い。追々覚えていけば良いだろう。
「おっ!ノーディちゃんこんにちは。デートか?」
店先で客の呼び込みをしていたおじさんが声をかけてくる。
「ちがうよ~。新しいお弟子さんが来たから街の案内してるの」
「ハーディさんにか、……うむ、中々根性なさそうだ! 持って一週間と見た!」
「そんなこと無いもん! シュージ君はこれでもすごいんだから! そんなこと言ってるとおじさんとこで野菜買わないよ!!」
「いやいや! 冗談だよ冗談。実に根性ありそうだ! いや~これは百年に一度の逸材かもしれないな!!」
彼女は街の人気者なのか行く先々で声をかけられている。似たようなやり取りもこれで三回目だ。
「人気者ですね」
「そうかな? まぁお父さんとお母さんの顔が広いからね」
きっとそれだけじゃないだろう。目の前で頬をかきながらひまわりのような笑顔を浮かべている少女は気づいていないようだが、彼女からは人を元気にさせるようなエネルギーがにじみ出ている。
彼女の人となりからそのエネルギーが生まれるのか、そのエネルギーが彼女に魅力を与えているのかは分からないが、彼女が魅力的というのは事実に変わりはないだろう。
「それだけじゃないと思いますよ」
「ん? 何か言ったかな?」
「……いえ、何でもないです。あそこに見える大きな建物は何ですか?」
「ああ、あれはねぇ……」
日が落ちるまで散策は続いた。