捕り物についていく勇気を絞りだせなかった俺は室内でくつろぐ気にもなれず、隊舎の前に座りデイトリッヒさんたちの帰りを待っていた。
日の光をさえぎっている雲は遠くで雷鳴をとどろかせてはいるものの、雨を降らせてはいない。
雷鳴の音とは似て非なる、馬車の車輪が奏でるごろごろという音に伏せていた顔を上げた。
犯人らしき男と馬車数台を連行して戻ってきたデイトリッヒさんたちには特に変わった様子は見られない。どうやら軍にも縁剣隊にも大きな被害を出すことなく逮捕できたらしい。
こちらとしては犯人が最後の悪あがきに大乱闘でも起こすのではないかと危惧していただけに、この結果には安堵するとともに若干拍子抜けもした。
「ご無事そうでなによりです。アッサムはどうしたんですか?」
「多分もう隊舎に帰ってる頃じゃないかな?」
「その人が今回の主犯ですか?」
猿轡をかまされ、衛兵に連れられ歩く男を一瞥する。
「ああ、そうだよ。ガリウス卿だ。他の兵士は馬車に押し込んでいるけどね」
ガリウス卿はこちらのことなど一瞥もせずにデイトリッヒさんのことを睨み続けている。
「……逮捕するときに何かやったんですか?ものすごく睨んでいますよ?」
ガリウス卿を指さすが、その視線はデイトリッヒさんから動かない。
「犯罪者ってのは自分を捕えた人間に逆恨みするものだよ」
「そうですか、ところで……そいつ一発殴らせてもらっていいですか?」
ガリウス卿が初めてこちらに視線をよこした。目が合う。胸の中に粘着質な熱が生まれたのが分かった。
「命を狙われた恨みかい?」
「いえ、宿屋のご主人夫婦を殺した……まぁこれも逆恨みでしょうが」
「……ふむ、……やめておきたまえ。そんなことをしても喜ぶ人もいないんだからね。労力の無駄さ。あれは君が悪かったわけでもない。悪かったのは巡り合わせだ。どうしようもない」
「それは分かっているのですが、……分かっているつもりなのですが。…………いや、きっと分かってなかったのでしょうね」
「彼らの墓は押収したこいつの財産を使って建てよう。せめてもの供養になるだろう」
「ありがとうございます」
そういうとデイトリッヒさんはガリウス卿を連れて、隊舎の中へと入って行った。
これからどうしたものかと考えていると、どこからかファールデルトがやってきて部屋へと招待してくれた。特に行くあてもなかったことと、一人でいると碌な事を考えそうになかったので、その言葉に甘えることにした。
空からは大粒の雨が降り始めていた。
昨日と同じ部屋に通され、同じような質問を投げかけられる。違うのは付き人の人数が半分以下になっていることだ。おそらく昨日の付き人は大部分が護衛の役割だったのだろう。ファールデルトの質問に、今日は真剣に答えを考え、議論を重ねていく。だからと言って画期的な答えが出るわけでもないのだが。
「せめてこの紙の製法だけでも分かればいいのですけど」
そう言いながら手に持ったルーズリーフをひらひらとはためかせる。だが、知らないものは知らないのである。これが以前知っていて忘れているだけなら思い出すこともあるだろうが、ルーズリーフの製法なんて見たこともない以上出てくるはずがない。況やボールペンをや。
「まぁ祖父の最高傑作の一つでしょうし、そう簡単に判明するものではないのでしょう」
「……そうですね。いずれあなたのおじい様に追いついて見せます」
ファールデルトの瞳には決意の炎が宿っていた。
「ところで、お父様を説得していただける件についてはどうなりました?」
「……いえ、特に何も進んでいませんが」
反応が少し遅れてしまった。まさか全て漏らしてしまったとは言えない。
「そうですか。実は昨日偶然にもお父様から、あまりシュージくんを困らせてはいけないよ、というありがた~いお言葉を頂戴したのですが、何か心当たりはございませんか?」
「いや~、あっ、きっとあれですよ。昨日無理やりダンスにつれださ……れ……た」
「なるほど、そんなに私とのダンスは嫌でしたか」
口を滑らしたと思った時はもう遅かった。これまでにないほど極上の笑みを浮かべるファールデルトの背後にこちらの理解を超える何かを感じる。
「そ、そういうわけじゃなくて、ほら、あれだよ。ファールデルトは奇麗で目立つから、あんまり目立ちたくなかったんだよ!!」
「あ、う……」
顔を真っ赤にするファールデルトにまた口が滑ったことを悟った。意識すると今度はこちらが恥ずかしくなってくる。
「いや……その……」
「う……」
気まずい空気が流れた。打開策を考えねば。だが、茹っている頭では何も妙案が浮かんで来ない。そんな中、響き渡るノックの音はまさに救いだった。
来客はデイトリッヒさんの第一秘書であるクライフさんという方らしい。今後の仕事の環境や住む場所、賃金などの話をしてくれた。
「と、言うわけであなたには今後ここで住み込みで働いてもらいます」
「分かりました。どんな仕事を行う事になるんですか?」
「今のところは特に仕事はないそうです。ただ、しばらくするとやってもらいたいことがあるそうです。なのでそれまでは簡単な雑務を頼む程度だと思われます」
正直、破格の条件だ。良すぎると言っても良い。
「いいんですか? その程度で?」
「まぁ今回活躍した分でチャラということではないでしょうか。その後はしっかり働いてもらいます」
「ありがとうございます」
「今日のところは特に雑務もないでしょうから、しっかり休んでおいてください。それでは」
そう言ってクライフさんは部屋を出て行った。
「できそうな人ですね」
「クライフはすごい有能よ。まさにお父様の右腕だわ」
「そんな感じがします」
ファールデルトの付き人の一人に部屋に案内してもらい、その日はゆっくりと休んだ。
デイトリッヒさんの館に住み始めてもう一週間が経つ。軍はそうでもないが、屋敷で働いている人の顔と名前は大体覚えることができた。この一週間は何も仕事を頼まれることはなかった。まったく何もしないのも気が引けたため、ファールデルトの付き人に掃除やベッドメイキングの方法を教えてもらうなどして過ごしている。
「どう?」
そんな付き人の一人であるライカは、俺がシーツを変えたベッドを見ている。
「ん~……80点。まぁ、ギリギリ合格ラインだよ」
「まだ80点か、道のりは遠いな」
「一週間もしてないんだからこんなもんだよ。次は時間をもっと短くできるようにね」
「了解。早さ以外は問題な――」
その時、ノックの音とともにクライフさんが入ってきた。
「シュージくん、デイトリッヒ様がお呼びですので執政室に来てもらえますか?」
ついに初仕事だろうか?
「はい、分かりました」
執政室に入ると椅子に座り、積まれている書類の山を前にしたデイトリッヒさんが迎えてくれた。
「やぁ、シュージくん。もうこの屋敷での生活には慣れたかな?」
「はい。おかげさまで。ただ、できれば早く何か仕事がほしいのですが。さすがに居候のような生活は気が引けるので」
「丁度いいね。仕事の依頼だよ。これを縁剣隊に持っていってほしいんだ」
そう言って机の上に布の袋を置く。金属音が部屋に響いた。
「それは……?」
「ガリウス卿がため込んでいた財産の一部だよ。どうやら彼が手を染めていたのは奴隷売買だけではなかったようでね。かなりの財を押収できた。縁剣隊にも協力してもらったし、寄付という形になるけど、面識のある君に持って行ってもらいたいんだ」
デイトリッヒさんはそういうと袋から手を離した。じゃらっという金属音が響く。
「なるほど。了解しました。でも、てっきり縁剣隊と折半になると思ったんですが、そうではないんですね」
「……実は縁剣隊が追いつめていたのは別の人間でね。偶々こちらが真犯人を捕まえることができたんだよ」
「ああ、上手く騙せたと思ったところを捕まえられたからガリウス卿はあんなに睨んでたんですかね」
「かもしれないね。まぁ実際のところは彼しか分からないだろうが」
「確かにそうですね。分かりました。では行ってきます」
「ああ、頼んだよ」
縁剣隊の隊舎へ行くと未だに突き刺さるような視線を向けられているように感じる。アッサムはまだ軍に対する誤解を解いていないのだろうか?
「寄付にきたんですけど……アッサム、様に面会できますか?」
様付けで呼ぶのにかなり抵抗があったが、役職的にも敬意を払ってしかるべきだろう。通されたのはアリティアに連れてこられた大広間ではなく、執政室のような部屋だった。
「一週間ぶりだな」
「そうですね。そういえば、これはデイトリッヒさんからの寄付です。そういえば軍への誤解、解いてくれなかったんですか?受付で睨まれたんですけど」
「……その件で言伝を頼まれてほしいのだが」
「?いいですが」
「この借りは受けて置く。前のを含めてまとめて返すから忘れるな。と伝えてくれ」
デイトリッヒさんから施しを受けるのが気に食わないのだろうか。若干むくれているようにも感じた。
「分かりました」
しかしこれが軍への誤解とどんな関係があるのだろうか?おそらくデイトリッヒさんには通じるのだろう。
「では、失礼します」
「ああ、……ファー ――」
「ん?」
「……いや、なんでもない。ご苦労だったな」
「いえ、それでは」
帰り際に、宿屋夫妻のお墓により手を合わせた。墓場には大小さまざまな石が整然と並べられているが、目の前にある石はひときわ黒く、つややかに見える。デイトリッヒさんが自費で建ててくれたらしい。おそらく、ガリウス卿の財産で補填するのだろうが。
供えられている花束は太陽の光を浴び、輝いているようにすら見える。合わせていた手を離し、空を見上げると抜けるような青空に鳥が一匹旋回していた。
空の広さこそ以前のコンクリートジャングルとは異なれど、その青さと深さはあまり違わないように見える。
優しい風は頬をなでるかの様に通り過ぎていき、小さな丘の上にある墓場からは街の様子がよく伺えた。初めてこの街に訪れた時のような疎外感はもう感じない。色々な縁もできた。職にも恵まれた。一方で死にかけたこともあった。郷愁の念を感じないわけではない。だが――
「これから、この世界で生きていくんだな」
不意に口をついた言葉に、憂愁の念を感じることはなかった。