デイトリッヒさんからの尋問の前に俺の良心は砂上の楼閣でしかなく、ダンスの間に行われた会話の全貌を暴く破目になった。
しかし、そのおかげで尋問は長引くことなく、彼はしようがない娘だと言わんばかりのため息を一つつくと、明日もう一度この屋敷を訪れるようにとこちらに言い含め、見送ってくれた。
服は返すと言ったが、どうやら秘書としての制服でもあるらしい。同じものをもう一着渡され、明日も着てくるようにとのことだ。
宿屋に帰ると遅かったためか、ご主人と女将さんの姿はなかった。そのまま部屋へと帰ると今日集めた情報のまとめを行い、四次元袋にアイテムをまとめ入れる。
どうやら刀なども問題なく入るようだ。刀は腰にさしていた方がいざという時も対応できるのだが、袋に入れておけば非常に身軽でもある。どうするべきかなどと考えていると部屋にノックの音がこだました。
「あたしだよ。開けとくれ」
女将さんの声だ。
「どうしたんですか?」
そのままドアに近付き、窓を開けると俺を出迎えたのはこちらに倒れこんでくる、真っ赤に腫らした眼を見開いている女将さんと――左肩に振ってくる鈍色の斜線だった。
反射的に身体をひねるが、斜線の速度の方が速かった。左肩を貫く衝撃によって吹き飛ぶように後ろに倒れると入口に見知らぬ男が立っている。その男が手に持っている剣がこちらに振り下ろされた鈍色の正体らしい。
男は若干驚いたような顔をしている。刀は右手に持っている袋の中だ。左手がまともに動かない今では取り出すことはほぼ不可能。
男は悠々と剣を振りかぶった.
――殺される――
反射的に座り込んでいる体勢から振りかえり、窓へ向かって全力でかける。背中に衝撃を受けたが、それすらも速度に変えて窓から飛び出た。
迫りくる地面からの衝撃をできるだけそらそうと身体をひねるが、あまり効果はなかった。
全身の内臓がひっくりかえるような衝撃に、動きが止まった。悶絶しているとこちらを見下ろしている男と目があった。
暴れまわる内臓を精神力で必死に抑え、体勢を立て直すと男が窓際に足をかけているのが見えた。
熱を持ったように疼く左肩と背中。フラッシュバックする先ほどの痛みと恐怖。
「うわっ!!うわぁぁぁぁぁっ!!」
意図しない悲鳴をあげてしまい、その場から反転すると何処を目指すともなく駆け出す。曲がり角を曲がった途端に足が絡まり思いっきりヘッドスライディングしてしまった。
必死に起き上がろうとするが、さっき動けたこと自体が奇跡のようなものなのだろう。絡まった脚はまるで糸で操られたマリオネットのようにカクカクとしか動かない。後ろから迫ってくる恐怖に対して俺が出来ることはもはや顔を向けることだけだった。
曲がり角から出てくる先ほどの男
悲鳴は誰の注意もひかなかったのだろうか?
なんで誰も外を歩いていないのか?
全てが向こうの都合の良いように動き、男の持つ鈍色は今度こそこちらの命を絶ち切るだろう。
歩いてくる男
民家からの光を受けて煌めく剣
外せない視線
だが、男は気にする風もなくこちらの目の前を過ぎ去っていった。
何が起こっているのか,男は俺の姿が見えていないのだろう。きょろきょろとあたりを見回している.だが,この状況は俺も混乱に陥れていた.今度は見つかるのがおかしい以前とは状況が異なり、見つからないのがおかし――
――新たに身に付けたスキル――
あのスキルには発動条件が二つあった。「相手がこちらに気付いておらず、かつこちらが相手を視認していること」そして「膝と肘を地面につけていること」だ。図らずも今のおれはその条件を満たしている。
そのまま背を向けて歩いてゆく男は、完全に油断している。肘を地面から離さないように道具袋の中へ手を入れた。
このまま後ろから切りかかってやる。
その時、トンッという軽い振動が身体をかけ巡り――続いて雷に打たれたかのような痛みが体中を駆け巡った。
「アガァァッ!!」
視線が男から切れる。
後ろを振り向くと25メートルほど先だろうか?
弓を構えた一人の男がこちらに第二射を構えている所だった。とっさに起き上ると弓の男から離れるように、剣の男に近付くように駆ける。
剣の男はすでにこちらに振り向きその剣を正眼へと構えている。かろうじて道具袋から取り出していた眼つぶし袋を剣の男に投げつける。クラフと同じように剣の男もその袋を切り,中の粉を顔に受けた。だが、火打ち袋は痛む左肩と動きの鈍い左腕のせいで取り出せなかった。
男の脇を通り抜けてひたすら走る。前に門が見えてきた。痛みを訴え続ける背中と左肩。特に背中は一歩踏み出すたびに電気を流されているようだ。どんどん白くなっていく思考、とっさに浮かぶのはアリティアの言葉
「大体そこの門番をしてるか隊舎に居るんで、何かあったらそこにきてくれ」
門は――まだ開いていた――
門の外には好都合にもアリティアが居る。
「たっ、たすっ、けてくれっ!!」
それだけ言ってこちらを向くアリティアを視認すると膝から力が抜け、目の前が白く塗りつぶされて行く。
前のめりに倒れて行くのがわかる。――ああ、もし縁剣隊の仕業なら……俺……死ぬな――暢気にそんなことを考えながら。目の前を染め上げていく白の世界は、こちらを優しく包んでくれるようだった.
白が若干晴れると、そこには見覚えのある景色が現れた。白い雪景色の中、目の前を通る線路の先には無人の駅が見える。
かつては嫌いだったその風景は、少し前に中々風情があるじゃないかと見直し、今ではもはや見ることが叶わなくなったものだ。だが、今感じるのはその景色への郷愁の念ではなく、焦燥感。
駅に黒い機関車が来ている。あの列車に乗らなければ。その強迫観念にも似た思いによって足は駅へと向かう。
記憶の中では、あの駅には機関車なんて通っていない。だが、そんなことはもはや瑣末なことだった。
雪の持つやさしい冷たさや顔にまとわりつく不快感、自分の呼吸が白くなることさえないというのに違和感をもつこともない。
早くしないと駅を出てしまう。
あれに乗らないと次の列車は長いこと来ないだろう。五感はなかった。ただ頭の中の焦燥感に駆られて走る。
その中でよみがえる感覚があった。背中と肩が急激に熱くなる。呼気は出ていないにも関わらず息が苦しくなり胸を押さえる。
熱い、苦しい、早くあの列車に。
地面を蹴る足により一層の力を込めた。
だが、突然前に進めなくなる。
肩口に熱を持っている左腕が前に進まなくなってしまったのだ。
まるで、空間に固定されているようだ。必死にもがくが、それでも腕は動かない。
そうこうしているうちに機関車は力強く蒸気を上げ始める。辺りに響く汽笛の音はもう間に合わないことをこちらに告げているようだ。だが、そんな中動かない左手に今までのものとは異なる感覚があることに気付いた。
それは確かに熱だった。自分の発するもの以外の熱。左肩と背中からあふれ出るものとは異なり、その優しい熱はこちらに安らかなぬくもりを与えてくれる。
列車に乗ることをあきらめ、力を抜き目をつむる。白銀の世界はそれでもまばゆいばかりの白をこちらに与えてくる。
突然その世界が黒く塗りつぶされた。
「う……」
身体が熱い、特に背中と左肩は今までに覚えがないほどの熱を放っているのがわかる。
「……!!」
「……かっ!?」
誰かがこちらに話しかけているということが徐々にわかってくる。
「大丈夫か!?」
俺は――確か――
「!? ……いっってぇ……」
不意に戻ってきた記憶に身体が硬直してしまい、背中に電流が流れたかのような痛みが再び走った。
「大丈夫か!? 痛むのか?」
ようやく声の主がこちらを案じていることに気が回った。
「アリティア……背中が痛い」
こちらの左手を痛いほどに握りしめ、泣きそうな顔で見つめてくる。
「そうか……大丈夫だとは思うがこれはわかるか?」
そう言って足をコツコツと叩いてきた。
「ああ、わかるよ。動かそうとすると背中が痛いけど」
「そうか、よかった。とっさのこととは言え、毒の可能性も捨てきれなかったから傷口を開いて矢じりを抜いたんだ。神経が傷付いてなくてよかった」
そういうとアリティアは握っていた左手を額に当てると祈るように目を閉じた。
「アリティアが応急処置をしてくれたのか、ありがとう」
だいぶ頭が覚醒してきた。
「いいんだ。民を守るのが縁剣隊の使命なんだから。それがたとえ軍の一員でも」
「そう……か」
あれは縁剣隊からの刺客ではなかったのだろうか。ほかに俺が狙われそうな理由がわからない。
いや、そもそも気が動転していたが、俺が縁剣隊に狙われる理由などあるのだろうか。確かに流れから縁剣隊を騙したような形になったがそこはその程度のこと。
俺を殺したところで軍が貴族を取り締まったという形は消えようがないはず。あのキツネが私怨で軽率な行動に出るとも考えられない。
可能性としては俺に何らかの罪を着せ、それをもとに軍を取り締まることだろうが、その程度ならば今までにも、俺を狙う以外にもチャンスがあったはず。縁剣隊でないとするなら「おまえは――」
考えをまとめる前にアリティアが口を開いた。
「シュージは……なんで軍に所属したんだ」
「俺は軍に所属したわけじゃなくて、あくまで第三秘書だよ」
「それはわかってる。でも領主に属するということは軍に属するも同じだろう?」
「そうか?どちらかというと軍に属するということが領主に属するということになるだろうけど?」
「?? ……ええい、とにかく同じようなことだろ!!」
うまく伝わらなかったらしい。細かく教えるようなことでもないのでスルーするが、
「まぁそうだな。それで?」
「なんで、領主に仕えたんだ?」
一応齟齬が生じない程度の言い訳をする必要があるだろう。
「ほかに仕事がなかったってのが第一で、俺が運よく領主様に認めてもらえたってのが二番目かな」
「……じゃあもし縁剣隊に仕えろと言われたら仕えたのか?」
「……仕事の内容によるけど」
縁剣隊どころか第三秘書が何をやる仕事かさえ知らないのだが、無難にそう答えておく。
「……そうか」
一体何が言いたいのだろうか、この間のようにぽろっとこぼしてくれればこちらにも想像がつくのだろうが。
今のところ分かった事といったらアリティアはデイトリッヒさんに仕えることを快く思っていないということぐらいだ。少し、つついてみることにした。
「なんでそんなに軍を嫌うんだ?」
「別に嫌ってなんかいない」
とたんに視線をそらすアリティア。ここまでわかりやすくていいんだろうか?
「そうなのか? 俺はてっきり軍と縁剣隊が幼稚な縄張り争いでもしてるのかと思ったよ」
「!! 我らがそんなくだらないことをするはずないだろう!!」
とたんに激昂するアリティア。これならすぐにこぼしてくれそうだな。
「じゃあなんで仲良く――」
「そこまでだ」
アリティアの怒号が届いたのか、それとも扉の前で機会を窺っていたのか、絶妙なタイミングでキツネが現れた。
「アリティア、君にはその男と過度な話をしない様にと言い含めておいたはずだが?」
「……申し訳ありません」
「少し席をはずしたまえ」
「はっ」
肯定の返事とともにアリティアは部屋の外へと出て行った。扉の閉め際に、こちらへと心配そうな視線を送りながら。
「さて、流亡の薄弱者、シュージ」
椅子に座り、さも当然と言わんばかりに偉そうな態度をとったキツネに若干カチンと来たが、話が進まないので黙っておく。
「我々縁剣隊はバルディア、ハイトス両夫婦を殺害し、君を襲った襲撃者を送り込んだ人物がデイトリッヒ殿ではないかと睨んでいる」
「っ!?」
あまりの内容に何処から驚いて良いのか分からない。いや、そもそもなんでこんな話を俺に――
「根拠は三つ。一つは君がこの街に来てまだ間もなく、ほかに知り合いが極めて少ないこと。あの襲撃者の狙いが君だったことはほぼ間違いなさそうだ。被害者は宿屋の経営者夫婦と部屋にいた君だけで他の人間、貴重品等に特に被害がなかったことからそう推察される。
第二に昨日の奴隷売買貴族に対する対応だ。我々はグレスター卿を泳がせ、奴隷売買に加担していた貴族を一網打尽にする計画だった。だが、奴の手によりそれも阻まれた」
それは、軍の人気を得る……ために。
「そして、バイツと昨日捕えたグレスター卿が殺された。それも軍から人員が送られてきて半日もたたないうちにな。その三つから、デイトリッヒ殿を少なくとも参考人として呼ぶ必要ぐらいは理解していただけると思うが?」
「待て、動機は……動機は何が考えられるんだ?」
俺を殺すつもりだけならあの屋敷でいくらでも可能なはずだ。
「奴隷の売買に奴も一枚咬んでいたということだ。この街へのバイツの出入りは縁剣隊が守っている南門と軍が守っている西門を分けて使っていたと証言が取れた。奴隷がいる場合は西門、そうでない場合は南門という風にな。以前から軍が検問を行っている門から不審な馬車が入ってくるという情報は上がってきていた」
バイツは縁剣隊のいる門を使っていたのでは? それもデイトリッヒさんから出た言葉だったことを思い出す。だが、しかし、それが何故俺を殺すことにつながるのか。
「そしてこれが昨日君の背中に突き刺さっていたものだ」
そう言ってアッサムは一本の矢を取り出した。
「この矢には縁剣隊の紋章が入っている。だが、今朝武器庫を確認させたところ、矢は一本も減っていなかったらしい」
「おそらくシナリオはこうだ。
バイツの口から自分も奴隷売買に関わっていたことが判明するのを恐れたデイトリッヒは公の場で君のことを紹介した。しかも私に向かって。
そしてその場でグレスター卿を逮捕することで自身の潔白を印象付ける。
その後、縁剣隊の矢を背中に刺した君の死体が発見される。君を第三秘書として雇っているデイトリッヒは捜査の主導を握り、罪をこちらになすりつけ、我々をこの街から追放する。
最終的にはこの街の治安組織は奴らだけとなり、奴らは今後好きなようにこの街の治安をコントロールできるようになる。またも貴族を逮捕することになった我々に擁護は少なく、おそらく簡単に放逐されるだろう」
「幸運だったのは君が襲撃者に殺されなかったことと、我々の所へ逃げ込んできてくれたことだ。……最初君がバイツを連れてきたときは軍の陰謀だと思ったが」
「どういうことだ?」
「以前、縁剣隊の上司に当たる、ある貴族のご子息を捕えたことがあった。その時は怒った父親に我々は解散寸前まで追いやられたんだ。今回の奴隷商人の件でも貴族が絡んでるのは容易に想像がついた。縁剣隊が解散に追いやられかねないほどの大物な可能性も十分にあった。以前から見られていた軍の不穏な動きはこのためのものではないかと思ったが、どうやらふたを開けてみれば、向こうにも予定外のことだったらしい」
少なくとも俺が軍なんていう組織を知らなかった以上、向こうに想像がつくはずはない。デイトリッヒさんが縁剣隊を陥れるために策を巡らす。確かにありうる話ではあると思う。だが、釈然としないものを感じるのも事実だ。
何か、川岸から水底を覗きこんでいるような。決して偽物ではないが、本物はそこにないような。
「そこで、だ。君に捕まえるための協力を要請したい。このまま今日デイトリッヒのところへ向かって何らかの証拠を見つけてきてほしい」
それが俺にこんなことを話した理由か。
「君が屋敷から出てきたと同時に、参考人として呼び出す。もし何か見つけられたのならその時に出してくれ。見返りとして、アイテムによるその傷の回復ではどうかね?」
「……分かった。やるよ」
釈然としない思いを抱えながらも、気付けばそう返していた。
衛兵が持ってきた霧吹きの中にある液体は、傷口に一吹きすると熱を持っていた幹部が冷やされ、もう一吹きすると今度は痛みが飛んでいく。どうやらそれなりに高級な品物らしく、衛兵は一吹きするたびに傷口が完治しているか確認してきた。
左肩は五回、背中は八回ほど吹きかけると完治したようだ。動かすのに支障がなくなった。傷口の持っていた熱がなくなると思考がクリアになって行くのがわかる。
先ほどの違和感は時間がたつほど強く感じてしまう。だが、その正体がわからない。一体何がここまで心をざわつかせるのだろうか。
――考えろ、思考を加速しろ――
いま、分岐点に立っているのではないだろうか。そんな他愛もないはずの問いかけがやけに本質を突いているように感じた。
衛兵が一人やってきてアッサムに何か報告を行っている。
「どうやらデイトリッヒはまだ屋敷にいるらしい。いけるか?シュージ」
ここ二、三日の出来事がフラッシュバックする。
縁剣隊の軍への疑い
縁剣隊に対する市民の異なる評価
縁剣隊と軍との関係
買収されている治安維持組織
背後に居るだろう大物貴族
狙われた俺
軍と縁剣隊の目がある中で殺された容疑者
「なぁ、……なんでお前はデイトリッヒさんが黒幕だと思ったんだ?」
「それはさっきも言っただろう?」
「バイツの証言から軍との協力が出てきた。晩餐会の会場でグレスター卿を逮捕させた。軍から人員が送られてきたと同時に容疑者が殺された。知り合いの少ない俺が狙われた」
「そうだ」
「……バイツの証言はともかく、昨日の逮捕劇は市民へのアピールが狙いだと思ったんだが。以前貴族を捕らえ損ねたと言うことで反対感情を持っている市民も居たようだし」
「確かに昨日の時点では私もそう思っていたのだが、晩餐会の最中にバイツからの証言が出ていた。そして軍から人員が送られてきた途端に容疑者が殺害された」
「軍と縁剣隊から一人ずつ出して尋問するんじゃなかったのか? どうやって殺害されたんだ?」
「交代の隙をつかれたらしい。交代のために尋問員が二人とも部屋を出て、新しい尋問員が入ってくるまでのわずかな時間にだ。こんなこと内部から手引きがないと不可能だ」
「……内部からの手引きがあれば可能なのか?」
「どういうことだ?」
「協力者がいると言う前提なら容疑者の殺害が可能なのか? 方法は分かっているのか?」
「……それについては調査中だ」
「……デイトリッヒさんは証拠を隠滅させないために人員を送ったと言っていた」
「だが本当は証拠を隠滅するために人員を送ってきたと言うわけだ。だが、時はすでに遅く、バイツの口は割られていた」
「そして軍と縁剣隊ぐらいとしかかかわっていない俺が狙われた……か」
「それもご丁寧に偽装までしてな」
憤懣やるかたないといった口調でアッサムがこぼす。釈然としない。
顔を合わせた時間は半日にも満たないがデイトリッヒさんがそんな露骨な証拠隠滅・偽装を図るだろうか? そしてそのまま静観するだろうか?
少なくとも俺なら……俺なら策をめぐらすと同時に動くだろう。何かしら手を打つ以上、相手に考える時間を与えないのが基本だ。だが、アッサム曰くデイトリッヒさんはまだ動いていないらしい。
「もしデイトリッヒさんが黒幕だとして、他に協力者あるいは片棒を担いでいる人間と言うのは居ると考えるのが妥当か?」
「どちらかと言えばデイトリッヒが協力者だろうな。でなければやつがこれほど簡単に尻尾を出すとは思えん」
「それはつまりデイトリッヒさん以上の大物が後ろに居るかもしれないと」
「まぁそうだな。だからこそ最初は軍の陰謀かとも思ったわけだ」
デイトリッヒさんは権力に屈したと言う形になるのだろうか。昨日受けた印象とは乖離しているような気もするが。
「そんな大物なら……お前らも……」
天啓が振ってきた。
“お前ら”、“ら”複数人だ。俺は今まで軍と縁剣隊と俺というのは、デイトリッヒさんとアッサムと俺と考えていた。だが、実際はそうではない。軍にも縁剣隊にも、俺の知らない“第三者”がいる――それも大量に。
昨日の、路地裏で話していた軍と縁剣隊の男を思い出した。
今回の事件には大物の貴族が絡んでいる。その大物がデイトリッヒさんを凌ぐ財産を持っていたとしたら? 縁剣隊など歯牙にもかけない権力を持っていたとしたら?
俺の考えている構想を実現するのは容易だ。
「これはあくまで、仮説だ。確証はない。だが、お前がデイトリッヒさんを疑っている案と比べても十分に可能性はあると思う」
「なんだ?」
辺りを見回すが周囲に人はいない。アッサムに顔を寄せ、囁く。
「縁剣隊に密偵がいる可能性がある」
アッサムは一瞬顔を硬直させるが、すぐにそれを解く。
「その可能性は私も調べた。だが、軍に通じていそうなものは皆無だ。これは間違いない」
「まだ、それでは甘かったんだよ。同じように軍にも、もぐりこんでる密偵がいるだろう」
「なっ――我々はそのような卑劣なマネはせん!!」
「違うんだ、その両密偵はおそらく――大貴族が出しているものだ。大貴族なら、その気になれば少なくとも縁剣隊には直接人間を送り込むことだってできるだろう?」
昨日の、軍と縁剣隊の人間に険悪そうな雰囲気は感じられなかった。あの二人が何らかのつながりを持っている可能性は十分に考えられた。
アッサムは今度こそ目を見開いて硬直した。少しすると考え込むように口に手を当てる。
「……可能だ。実際に送り込んできているし軍もそうだろう。……だからこそ、素性を隠して密偵として送り込んでくるなどというようなことは想定していない」
「だろう? たとえ兵士から上がってきているのが偽の情報だとしても、その出所がつながりのまったく見えない二者から上がればだれも疑わない」
アッサムやデイトリッヒが自分で情報を集めるために遁走するというのは考えにくい。
「デ イトリッヒさんと話して、そしてお前と話して疑問に思った事がある。お前たちのような人間が利益になりそうもないいがみ合いを続けている理由だ。ここからは俺の想像なんだが、軍が違法行為を行っているというような不確かな情報がいくつか上がってきているのではないか?」
「……その通りだ。おそらく……その大部分は、」
『偽物』
アッサムと俺の声が重なる。
「軍と縁剣隊、両方にいるそれぞれの密偵は大貴族から直接送り込まれている衛兵と結託して、お互いの間に諍いを起こす。
不確かな情報を錯綜させる中なら実際に奴隷売買を行うことも可能になるし、何よりいがみ合わせることで互いの治安維持能力も減衰させることができる」
「そしていざというときにはその諍いと密偵を利用して自身が逃げる時間を作る……か。どちらがどちらを捕えたところで奴隷売買に関する不都合な情報は互いの密偵がもみ消していくこともできる」
「そしておそらく俺を襲ったのは互いをいがみ合わせるというのもあるが……今後のためを考えると軍と縁剣隊の橋渡しになりそうな存在を放置しておけなかったという可能性もある。どうだ? 仮説だが十分な可能性を秘めてないか?」
しばし考え込んだ後アッサムは懐から昨日のベルを取り出した。音のならないそれを力いっぱい振る。
すぐに部屋のドアが開かれた。ドアの向こうから現れた屈強そうな衛兵たちはこちらをいぶかしげに見た後、一列に整列している。そんな中アッサムの命令が響き渡った。
「今よりただちに六人一組の編隊をくみ、各門の検閲に入れ!! 緊急事態ということを説明して軍担当の西門と北門にも貼り付け!! この街から出ようとする貴族を徹底的に調べ上げろ!! たとえ誰が相手でも中身の確認をさせないものは決し通すな!!!!」
『はっ!!』
威勢の良い返事とともに部屋を出ていく偉丈夫たち。
「シュージ、我々はデイトリッヒ殿のところへ向かうぞ。さっきの説明は君の口からしてくれ」
「分かった」
デイトリッヒさんの屋敷で同じ説明を行う。どうやら俺の仮説に同意のようだ。
「なるほど……十分に可能性のある話だ。少なくともうちにも貴族から直接送られてきた人員はいる」
その時、アッサムが急に振り返った。
「アッサム様、見つかりましたか?」
頭を左右に振りながら何かを確認しているようだ。
「ああ、これは……西門のほうだな」
「犯人が見つかりそうなんですか?」
「ああ、どうやら西門で不審な人物がいたようだ」
「我々はこれからそちらに向かう。君はどうするね?シュージくん」
デイトリッヒさんがこちらに訪ねてくる。脳内に再生されるのは昨日の痛み、殺意。
「いえ、やめておきます。なにかあった場合、邪魔になるでしょうし」
声が震えるのだけは何とか抑えることができた。薄弱者という汚名は返上できそうにない。
「……そうか、ファールデルトの相手でもしてやってくれ」
何も聞いてこない。それはきっとデイトリッヒさんの優しさなのだろう。
「分かりました。スイマセン」
「何を謝る必要がある?荒事は専門の集団に任せておけばいい。そのための我々縁剣隊とガイス軍だ」
アッサムもこちらに笑みを向けてくる。いつものニヒルで生意気な笑みではない。精悍な中にも少年の幼さが残るそれは、年相応のきれいな笑みだった。
「では、またあとでね」
「はい、ご武運を」
なんと声をかけるべきか分からなかったが、そう的外れでもなさそうだ。男くさい笑みを浮かべたデイトリッヒさんは、右手を軽くあげるとアッサムを連れ部屋から出て行った。