~ 章前 ~目の前に映るのは、かつての師。まだ、僕が、俺が純粋に長門であった頃の先生。だけど、今や交わせる言葉もない。長門は疾く消え、そして去り、今はもう何処にもいない。だから、何者でも無くなった、俺となって、僕と成って、我と成って語るしかなくなる。輪廻の眼の奥に刻まれた、魂の記憶を。あの日長門が長門で無くなった、六道が廻り世界が混沌と化した、十尾が顕現した夜の事を。視線が合わさる。先生の白髪が雨に濡れていた。どうやら逃げる様子はないようだ。先程の言葉が気になっているらしい。だから、僕は、俺は、私は、俺は。しんしんと、雨が降りしきる霧の中。輪廻の眼にかつての記憶を篭めて、かつての誰かに想いを送る。かつて、輪廻眼をうまく使いこなせなかった頃ならば、不可能だった所業。だけど、今は可能だ。皮肉にも、今ならば可能なのだ。眼と眼が会う。自来也先生の視界が歪む。自来也の意識が霞む。同時、俺の意識も薄くなった。世界が、歪んでいく―――――~~ざあざあという音が聞こえる。それは無数の雨粒が何もかもを叩きつける音だった。何時もなら聞こえる筈の鳥の声も、雨粒の音に覆い隠されているのか、はたまたそんな元気も無くなってしまったのか、今日は聞こえなかった。ただ、聞こえるのは雨の音だけ。あの時と同じ、雨の音だけだった。「………長門?」「ん……なんだい、小南」「いえ、夕ごはん出来たから、お皿を並べるの手伝って欲しいんだけど………」「ああ、ごめん、すぐに手伝うから」「それは、いいんだけれど………それより、どうしたの?」「………ちょっと、ね。たいしたことないから。それより、弥彦を呼んでくるよ」「ええ、ごめんなさい」今も雨が振っている。無数の雨音、無数の雑音に囲まれて、俺は今も生きている。「さあ、食おうぜ!」「うん、いただきます………でも弥彦、今日はこんなに豪盛な料理を………いいの?」「景気付けだ。いいさ。明日からはいよいよ、本格的に夢に向かって動きだすんだ………腹が減っては戦はできないって言うしな!」「うん、僕もそう思う。自来也先生も………そう言ってたしね」「そうそう。それに、ゆっくり3人で食べられるのは………今日で、最後になるかもしれないからな」「そ、んな、ことは………」「そんな顔すんなよ、小南。大丈夫、危険はあるだろうけど、俺達3人が揃えばきっと何でも出来るって!」「そうだよ。それに、小南の料理もあるしね」「もう、弥彦も長門も………」「ははは。いいじゃん、俺達らしくて………じゃあ、いっただっきまーす!」「「いただきます」」色褪せた光景。白黒の映像。でも、二人の声だけは心に響いて――――「力ではなく、話し合いで?」「そうだ。忍者だって人間さ。きっと、きちんと話しあえば分かってくれる!」「戦えば、きっと誰かが死ぬ。そして人は誰かを失えば、その原因を憎む………だから私たちは話し合いで――――人死を出さすに、問題と争いを解決していきたいの」「………本当に、それが出来ると思っているのか?」「出来るさ。いいや、やるんだ。確かに今は無理かもしれないが、俺はそれが出来るまで諦めない………それが、俺の忍道だからだ」「………」「………」「………くっ、負けたよ。わかった、俺も仲間に入れてくれ」「いいのか?」「ああ。お前の眼をみているとな………俺も、お前と同じ夢を見たくなったよ。それに何だかお前、危なっかしくて見ていられねえし」「………俺、そんなに危なっかしいか?」「ああ。自覚なかったのか?」「………小南、俺危なっかし――――なんで顔を背けるんだ? って長門もかよ!?」「ふふ、ごめんごめん。でも弥彦はそれでいいんだよ。僕たちを引っ張っていけるのは弥彦だけだから」「うん。それに、背中は私………達が、守るから。だから、心配は無用さ」「ええと、イマイチ釈然としないんだが………っていうか、それじゃあ俺まるで馬鹿みたいなんじゃ!?」「ううん、馬鹿じゃないよ、弥彦だよ」「お、おう?」「それよりも………用事も終わったことだし。騒ぎを聞いた誰かに見つかる前に、基地に戻りましょ?」「それもそうだな。よし、それじゃあ急ぎ基地に戻るぞ!」「ええ!」「うん………ん、どうしたの?」「………赤毛の………長門、と言ったか。お前たちはいつもこんな感じなのか?」「いつも、といえばいつもなのかなあ………何か変なところが?」「―――いや、面白えって思っただけだ」馬鹿をやって。仲間も増えて。俺達の考えについていけなくて、途中で抜ける奴もいた。起きてしまった戦いの中で、死なせてしまった奴も。だけど俺達は諦めず、功績を上げ続けたことで次第に有名となった。気づけば、雨隠れの半蔵――――忍びの世界で、その名の知らないものはいない程の大物――――でも無視できない程に、名のある組織になっていた。第三次忍界大戦の真っ只中だったのも大きい。戦場で貧する人々、戦火に脅かされている人々の援助や、山賊、盗賊などといった食うにあぶれた農民達との、話し合いでの解決。右に左に活躍する俺達に対する民の名声は高かった。里の防衛にばかり専念していて自国の農村などに防衛戦力を割り振らない半蔵よりも、名声だけでいえば高かったのだと思う。気づけなかったのは、若さか。――――あるいは、盲信か。戦争は激化していった。俺達も次第に疲弊していく。そんなある日、半蔵は俺達の組織に提案してきた。半蔵の手の者は言った。「一緒に、木の葉、岩、砂との平和交渉―――雨隠れの周囲にある三大国との、停戦交渉の仲裁人となるつもりはないか」一も二もなく頷いた。俺達も限界に近づいていたからだ。それに、木の葉の裏の、更に裏―――忍び闇と言われるかのダンゾウも協力してくれるという。「戦により各里は疲弊している。このままでは共倒れになるから、その前に表と裏―――両方から、停戦の交渉をしよう」そう、言ってきたのだ。相手の言い分に、確かなる理があった。それに、戦争は本当に酷い状況だったのだ。だから、思った。“この悲惨な戦争―――それを止めようとしたいのは、誰も一緒なんだ“、と。まさか、裏切るまいと――――そう、信じていた。忍びも人だ。戦う事は忌むべきことで、戦い殺す事を好き好んで行う奴はいない、と思っていた。相手も人間。同じ人間なんだから、きっと俺達と同じ事を思っていると、信じていた。事実、その事を聞いた皆は、歓喜に打ち震えていた。嘘などとは思ってもみなかった。皆、つかれていたのだ。地獄とくぐり抜けて、ついに、ようやくここまで来たんだと、泣いている奴もいた。戦場の中、死んでいった仲間。寒い、と繰り返しながら冷たくなっていく仲間。目の前で消えていった、幼い命達。母の名を呼びながら、次第に冷たくなっていく少年。失った仲間と、助けられなかった人達の屍を越えて、それでも諦めなかった――――その甲斐が在ったと、そう想えたからだ。疲労の極地にあった皆を休ませ、自来也先生の教えを受け、その中でも余裕が残っていた俺達――――中核の3人で出向くと、決まった。そうして、交渉の前日。俺達は久しぶりに3人で食事をしていた。皆は泥のように眠っている。起きている奴もいたが、そいつらは俺達3人に気を利かせてくれたのか、自分の部屋に引っ込んでいった。「ほんとうに、長かったね………」「ええ………だけど、これでひとまず戦争は終わる………」「そうだな。逝っちまったあいつらに、顔向けが出来るってもんだ」明日は交渉の場なので、酒は飲まなかった。ただの水で乾杯をする。俺の輪廻眼、小南の紙による偵察術と頭脳。そして何より弥彦の持つカリスマ性。その3つの、どれが欠けても俺達はここまでこれなかっただろう、と笑い合った。あの日より、俺達は3人で一つだった。血の池の中で結ばれた絆は酷、血を分けた家族よりも確かにつながれていた。ちいん、とグラスの重なる音がする。戦いが終わる鐘の音かもしれないね、と小南は言った。弥彦は笑った。僕も笑った。懐から、手紙を取り出す。僕たちの悲願が達成された、その証を。そこに書かれた文字を見る。“明日の夜。×××の森で、平和の為に話しあおう”「そういえば明日は中秋の名月―――お月見だね」小南が呟いた。「そうだったかなあ………戦いが続いたせいで、時間の感覚が分からねえよ」「そういえば、もう秋だったんだよね………」「うん。だから、明日の交渉が終わったら、組織のみんなで団子を食べようよ」せめてもの贅沢だ、と小南が笑う。きっと一人一個、だとかそんな数しかないのだろうけど、それはそれで望む所だった。串についた三つの団子を皆で分け合うのも、悪くないと思ったからだ。(でも、僕はやめておこう)むしろこの二人を冷やかそう、と思っていた。弥彦が一つ、小南が一つ。あとの一つは二人で半分に、という悪戯を仕掛けようとしているのだ。皆も満場一致で賛成してくれた。二人をからかうことも、凄惨な戦場を乗り切る元気を娯楽の一つだった。弥彦が誰を好きか。小南が誰を好きか。そんなことは皆分かっていた。弥彦と小南。僕と出会う前に、出会っていた二人。僕と同じで雨の中、壊滅した村の中で二人は出会ったらしい。両親の墓の前で動かない小南を、弥彦が無理やり引きずっていったらしい。いつかの、本格的な戦争が始まる少し前。酒の席で、酔って顔を赤くした小南が、その時にあったことをぽつり零すように話してくれた。『なんで、ないているんだ?』『だって、おとうさんとおかあさんが………』『………しんだのか』『うう………』『でも、ここに居たらお前も死ぬぞ。だから、あっち………雨の当たらないところに行こうぜ』『………いや! ここで私も死ぬ!』『な、なんでそんなことをいうんだよ! お前はばかか!?』『だって! おとうさんも、おかあさんが、ここに………!』『もう、しんだんだよ! 二度と会えないんだ!』「って言いながらね。ほっぺたを殴るのよ。あの拳はほんとうに痛かったわ………」酔いが回ったのか、頬を赤に染ながら小南がやけくそ気味に呟く。「って、ええ!? あの弥彦が、女の子を殴ったの!?」「………その時は私の事を男の子だ、って思ってたらしいわよ」その時も喧嘩になったけど、と小南が目を座らせる。鈍感、とかニブチン、とかつぶやいている。「そ、それで、続きは?」「ええ………少し経った後、また私の所に戻ってきてね。どこで拾ってきたのか………傘を持って。墓の前で泣き続ける私の横に立つのよ」「………弥彦らしいね」「そうね………そして、こう言われたわ。“お前が死ぬと、お前と同じように………死んだお父さんとお母さんも泣いちまうぞ”って」そう呟き、小南は遠い目をする。それはいつも無茶をする弥彦――――その背中を見つめる目と同質で、同じ意味を含んでいた。そしてそれは、食事の用意をしている小南の背中を見つめる弥彦の目と同じだ。正に“一目”瞭然だと、組織の皆で笑いあった。少しの蟠りはあった。ずっと一緒にいた二人が、と少し寂しい気持ちもあるにはあったが、それよりも喜びが勝った。きっと、明日が終われば、俺達の中の何かが変わって、また新しい何かが始まる。そういう予感があった。――――それは、別の意味で正しかったのだけれど。~~「赤毛の小僧………この娘の命が惜しければ、お前たちの頭を――――弥彦を殺せ」奇襲だった。不意打ちだった。状況はよく覚えてはいない。気づけば小南は敵に捕まっていた。翻る白刃。高台の上で、雨隠れの半蔵が哂う。―――――そこから先は、良く覚えていない。ただ、皆が僕を呼んでいた事を覚えている。「駄目! ………長門、弥彦と一緒に逃げて!」「っそんなこと出来るか! 長門、俺を殺せ!」「っ弥彦!」「早くしろ!」「長門!」―――――そこから先は、良く覚えていない。ただ、クナイが人の肉に刺さる感触だけは覚えている。「小南と一緒に………逃げろ」「弥彦ぉ!」「かかったな、やれ!」起爆札が四方八方から殺到する。―――――そこから先は、良く覚えていない。ただ、僕に覆いかぶさる小南の身体の温もりだけは覚えている。「こな、ん?」「長門………逃げ、て。や、ひこと………」「小南!?」―――――そこから先は、良く覚えていない。ただ何事か、絶望の言葉を聞かされたのは覚えている。「お前たちの仲間も、今頃は………」何事か、高台にいるゴミが高々と何事かを宣言している。また一つ、殻が割れる。決定的な、罅が入る。そこから先は、良く覚えていない。―――――ただ、見上げる月が綺麗だったのは、それだけは、今でも忘れられない。傍らに横たわっている弥彦の身体からは、血が流れ続けていた。俺を庇った小南の背中は、焼け爛れ雨にうたれるままにいた。二人とも虫の息だ。あと数分と持つまい。俺も、爆発の衝撃で脳が揺さぶられている。覆いかぶさる小南の息が弱々しくなっていく。弥彦の息が細くなっていく。弥彦が死ぬ。小南が死ぬ。皆が死ぬ。全部死ぬ。でも、目の前のこいつらは哂っていた。高台からゆうゆうと俺達を見下し、愚かだとか、若造だとか言っていた。仕方の無いことだ、よくある若さ故の愚行だ、忍びの世界には力が、仕方ないこともある、綺麗事だけでは。演説は妙に長かったが、要約すればそんなくだらないことでしかなかった。全部承知している。承知してなお、俺達はこの道を選んだのだから。だが、そいつらはそれを愚かだという。間違っていると断定する。――――そう。つまりは、こいつらは、人を殺し、奪う事を肯定している。自らの力、チャクラ、忍術を使い、人々から大切なものを奪うことを、否としていない。実際、忍びというものは動く度に、破壊の爪をが振るわれる。自国では敵を倒す英雄だがどうだかしらないが、他国ではただの破壊者でしかない。その影で非道を働く者もいる。戦場は人を狂わせる故、それは避けられないことなのかもしれない。結果、抗う力がある大国ならば報復を。立ち向かう力も無い小国ならば、泣き寝入りを。呪いあい、殺しあう。そしてまた、新たな呪いが生まれて、人の間を巡り往く。呪いあい、壊し合う人達。その巻き添えにあい、顔も知らぬ誰かを呪ったまま死んで行く人達を大勢見てきた。小国が故に、大国に蹂躙された人達だ。何をした訳でもなく、何も悪くないのに、理不尽を受けた人達。虫けらのように殺されていった人達。血の赤さを覚えている。体温が奪われて行く絶望を、覚えている。“おかあさん”とだけ残して死ぬ子供、そのつぶらな瞳に映った空虚を、覚えている。それを止めるために、皆で戦った。道中、志を共としようと、同じ目的地を目指そうと、腕を組んだ仲間達もいた。一般人を守るため、志半ばで死んで行った戦友達もいる。そして、誰よりも大切な二人。守りたいと願った、二人との日々。誰もが願っている筈だ。止めたいと、思っている筈。そう、信じていた。―――――だけどどうやら、それは間違いだったようだ。俺はこの時、確信した。もう、どうしようもないんだと。頭の中が空っぽになる。代わりに、黒い溶岩が内を満たす。何かが壊れる音がして、俺はそっとその上に蓋をした。「もう、いい」月が綺麗だった。月が綺麗だった。月が綺麗だった。月が―――――綺麗だった。その中にある“黒”が見える程に。その中にいる、“誰か”と繋がる程に。月が、綺麗だった。「もう、どうでもいい」気づけば、印を組んでいた。倒れながら親指の肉を少し食い千切る。でも、痛みは無い。黒と繋がる。記憶が流れ込む。魂に罅が入る音。誰かの魂の欠片が隙間に入り込む。目の前のこいつら――――痛みを感じる他者。そんなものは存在しない。俺もそうだ。もう忘れてしまった。いや、 “忘れてしまえ”。「お前たちなんか、どうでもいい…………どうなろうと、構うものか」これは太古の記憶だろうか。長門であった俺と、六道であった誰かと、“黒い何か”の破片が入り乱れる。見たことの無い光景が思い浮かぶ。でもそんなことはどうでもいい。今ここにある確信は一つだ。3人全員が、同じ結論に達していた。「――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!!」声にならない叫びが、大気を震わす。無音の爆裂が周囲を包み込む。相手が怯えていたのか、逃げようとしていたのか、覚えていない。覚える価値もない。その前に、“見て”もいない。ただ思うがままに、動く肉塊を動かない肉塊に変えて行くだけだ。この胸に残っている、最早意味もわからなくなった痛みを、相手に叩き込むことだけ。黒いものを媒介とし、脳裏に浮かんでは消える森の叫びを。そして大地の叫びを、大気の叫びを両手に込めて、叩き込み、肉塊をつぶし、大地に還していく。もう、痛みを知って相手を思いやる気持ちを育めなどとは言わない。話しあって解決しようとも思わない。――――ただ、痛みを知り、抱きそのまま死んで行け。救いなどは与えない。ただ、死ね。絶望に塗れて、居なくなれ。お前たちはこの世界に必要無い。戦うことでしか存在意義を見いだせないお前たちなど、妖魔が消えたこの世界では不要となる存在だ。だから、俺が殺す。弥彦や、小南、仲間達と同じように。この手で、殺してやる。力いっぱい壊してやる。だから、全部死ね。忍びに連なるもの全て―――――この世から消し去ってくれる。そうして、始まりは終わり、終わりが始まった。~~記憶同調の後。気づけば、先生は泣いていた。戦う意志も無くなっているようだ。いや、戦う気力すら、奪われてしまったかのようだ。雨の中、泣いている。静かに、泣いていた。だけど俺にとっては、それすらもう―――――どうでもよかった。ただ俺は、目的に向かって走り続ける。例え神と罵られようとも。例え人を辞めようとも。終着に向かって、這いずりまわると決めた。誰でも無くなった、俺として。あの日の温もりを篝火として、突き進む。今、ここから――――最後の終わりを、始まるために。