「ふう、今日もいい天気じゃ」紫苑は布団から出た後、顔を洗うと、まだ眠気が残る頭を覚ますために、外に出ていた。陽の光を浴びて眼を覚ますためだ。「イタチがおらんようじゃが………何処に言ったのかの?」気配が感じられない、と紫苑は首をかしげた。奇妙な縁。一年以上前に同居するようになった、あの不器用な男、うちはイタチ。イタチ自信は紫苑や菊夜に対し、その素性について詳しくは語らなかった。だがうちは一族は有名だ。数少ない生き残りであるうちはイタチの名も有名で、二人はイタチのことについて、大体のところは知っていた。初めて会った時に感じたのは、果たしてこの目の前の男は本当に生きているのだろうかということ。それほどまでにイタチは死に囚われていた。まるで自分がこの世界に存在してはいけないのだと、そう思っているようだった。その瞳からは将来の展望も何もない。夢もなく、希望もないように思えた。ただ最後の役目を待っている老犬のようだった。だから紫苑は悪戯をした。赤い実を食べさせたり、寝ている間その顔に落書きをしようとしたり。死しか望まないイタチに、自分はまだ生きているのだということを、思い出させたかった。「少しはマシになったようじゃが………」最初に一言、次にふた言。最近になってようやくまともに会話できるようになった。時折、弟の話もしてくれるようになった。一緒に修行をしようとせがむ、弟の話。おにぎりの話。おかかのおにぎりだけ妙に上手く作れたわけは、そこにあったのだと、初めて知った時は腹をよじらせて笑った。時間は人を変える。人と触れ合えば、人は変わる。その両方を経て、イタチの心の中はほんの少しだが和らいだように見えた。しかし、自分の終わり方は既に選んでいるようだ。自らの果たすべき最後の役目を終え、その全てを弟に託し死ぬという意志は―――変えていなかったように思えた。そんな事を考えている時だった。道の向こうから、足音がした。「帰ったか、イタチ…………?」しかし紫苑はそこで足を止める。足音は複数あり、イタチ以外のどれもが聞いたことのない足音。ひとつは分からない、ひとつはイタチによく似ていた。そして最後、残るひとつの足音。どこかで聞いたような音だ。紫苑はその人物がいる方向に顔を向け、たずねる。「お主は…………誰じゃ?」頭が痛い。頭が痛い。イタチの後を走っているのだが、先程から頭痛が収まらない。サスケと多由也の大丈夫かと心配してくれる声にも、言葉を返せないでいた。(記憶が戻ろうとしているのか)しきりに痛む頭を叩き、奮起して走る速度を上げる。やがて、たどり着く。獣道を登った先、そこにあるのは家だった。木造の家で、随分整えられた作りをしている。そこらにある山小屋ではなく、しっかりと作られた住家。別荘、というのが正しいのか。「…………!」そこで、俺は人影を見つけた。玄関で伸びをする少女の姿を。髪は象牙。背丈は俺より頭ひとつぶんは小さい。だがその顔には見覚えがあった。沈黙を保ったまま、その少女へと近づく。あたりの状況は耳には入ってこない。視界には、ただ少女だけが映っている。やがてその少女は俺の存在に気づいたのか、こちらを見る。変わらない、紫の瞳。美しい、宝石のような眼。だが―――――違和感を感じた。警鐘が鳴る。頭の奥で、鐘が鳴っている。「―――――――」紫苑。そう言おうとしたが、言葉にはならなかった。代わりに、少女はこちらを見ながら、言った。「お主は、誰じゃ?」衝撃。巨大な金槌で頭をぶん殴られたような。こちらを見つつ、分かっていない。いや、それだけではない。その視線は、微妙の俺の方向から外れている。つまりは―――――眼が見えていないのだ。何故と。どうしてと叫びたかった。しかしそれは言葉にならず、口の中で消えた。紫苑が光を失った原因を、俺は未だ知らなかったからだ。いや、知っているのかもしれない。ただ忘れているだけなのかもしれない。そう思った俺は、紫苑に近づいていく。触れることで何かを思い出せるかもしれないと考えたからだ紫苑は近づく俺の気配を感じたのか、息を止めてその場に立ちすくんでいた。一歩前まで近寄る。幼かったあの日の面影そのままに、美しく成長した少女の前に立つ。「久しぶりだな、紫苑」考えた言葉ではなかった。咄嗟に出たことば、再会を示す言葉だ。あれからもう7年だ。当時紫苑は7歳。あの日までに生きた時間を、倍する時間が経過したのだ。どれほど長かったのだろうか。言葉を向けられた紫苑。俺が誰だか分かったのだろうか。息を飲み、そして――――笑った。「久しぶりじゃの、ナルト」俺と同じ返事。ただ、こめられている感情が違った。歓喜に打ち震えているかのような、喩えようの無い悲しみを知ったかのような声。その笑顔も何処かもの哀しい。そしてその顔には見覚えがある。(そうだ、あの時もこうして――――っ!?)悲しみを含んだ笑顔で、俺を見ていた。――そこまで考えた瞬間、俺の頭の中で何かが弾けた。(…………っ!)頭痛の度合いが一瞬だけ強くなり、徐々に収まってゆく。あれほど痛かった頭の痛みは嘘のように消えた。残ったのは静寂。波打っていた頭痛の名残は全て消え、残ったのは凪の海だ。だが、実際…………頭の中で起きた変化は、劇的といっていいものだった。(これは…………)記憶の中、思い出せなかった光景にかかっていた、もやのようなものが消えていく。やがて溢れてくる記憶の本流。あの時、封じ込められた記憶が、次々に頭の中に戻っていく。去来するのは過去。忘れ“させられた”過去の話。そうして、俺は思い出した。あの後………鬼の国の戦闘が終わった、その後に起きた出来事を。「知らない天井だ…………つっ!」目覚めた俺はお約束をかましつつ、全身に走る激痛で顔をしかめる。見れば俺の身体のいたるところに包帯が巻かれていた。誰かが手当をしてくれたのだろう。だが、筋肉と骨に刻みつけられた傷まではどうすることもできなかったようで、気絶する前と変わらない、痛覚による鐘の音が俺の頭の奥を叩いている。気絶………そう、気絶していたのだろう。最後にあの部隊長を殺したのは覚えているから、敵はもういないはず。(殺した………そうだな、殺したんだ)呟きながら、考える。後腐れのない、最適な方法で敵を排除できた今、誰かに襲われる心配もないだろうが………ここは一体どこなのか。身体を動かそうとするが、あちこちが痛むので諦めた。どうやら首しか動かせないようだ。俺は寝転びながら首だけを動かし、部屋の中を見回す。誰もいないようだが………ここは何処だろうか。「…………どこかの家の中、か?」木造の家。この世界では標準的な、いや少し広いか。何の変哲もない、普通の家であった。ちょっと前にみた病院のように、医療をする所でもないようだ。また豪華絢爛な装飾もなく、至って普通の民家と言える。(と、いうことは城の中ではないか)そして、町の中でもないらしい。窓の外からは鳥の鳴き声が聞こえてくるし、かすかに嗅覚訴えるこの匂いは、深い森で香るそれだ。「………目覚めたか!」その時、紫苑が部屋の中に入ってきた。布団で寝ている俺のもとに急いで駆けつけ、心配そうな顔でのぞきこんでくる。大丈夫か、傷は痛むかと聞かれた俺は取り敢えず大丈夫だと返した。死に至る傷でもない。右腕が痛みに痛むが、痛覚があるということは感覚はまだあるということ。再起不能な傷でなければ、俺の中のキューちゃんが傷を癒してくれる。時間はかかるだろうが、じきに傷も治るだろう。説明すると、紫苑は安心したのだろう。ひとつ安堵の息をついて、その場にへたりこんだ。「どうした?」「………腰が抜けたのじゃ」頬を赤くしながら答える紫苑。俺は可笑しくてつい笑ってしまった。すると、今度は別の意味で頬を赤くしながら、怒られた。「そういえば………誰が俺をここまで運んでくれたんだ?」「………菊夜じゃ」何でも、ここは何代か前の巫女が命じ建てさせた、隠れ家。紫苑と菊夜はこの家が建造された理由については知らなかったが、その存在だけは知っていたらしい。俺達の傷を癒すために一時的にここに避難することを選んだ、と言った。「紫苑は、怪我はないのか?」「ない。お主らのおかげで、このとおり………大丈夫じゃ」答える紫苑。本当良かったと笑いかけると、何故か紫苑の顔が赤くなる。「どうして………」「ん?」「いや、何でもない」そういうと、紫苑は顔を横に向けた。俺は不思議に思いつつも、聞きたいことを順番に聞いていく。「真蔵と才蔵………いや、シンとサイ、か? あいつらは大丈夫なのか」「お主ほどの傷は負っておらんし、致命的な傷も無い。取り敢えずは安静じゃが、命に別状はない」「そうか………」どうやら、間に合ったようだ。あと少し遅ければ、殺されていたかもしれない。この世界で出来た、初めての友達の命が無事と知った俺は、天井を見上げながらよかったと呟く。その時、視線を感じた俺は、視線方向………紫苑の方を見る。すると紫苑は、不思議そうな表情でこちらを見つめていた。「シンとサイの素性………お主は知っていたのか?」あの時既に気づいていたのか、と紫苑が聞いてくる。「いや、気づいていなかったよ。不覚にも、ね」気づけたのは、あの敵の正体を知った時だ。“根”にいる兄弟、金髪と黒髪の兄弟。あとは戦災孤児というキーワードと………名前。(………ダンゾウの“ゾウ”を取って組み合わせたのか)“シン”ゾウと“サイ”ゾウ。真蔵と才蔵、というわけだ。そういえばヤマトの暗部名はテンゾウだったような。偽名を名乗るにしても随分と安易だな、と思ったが、そもそもシンもサイも外部に名が売れているわけでもない。どちらかといえば少しの情報を元に、有り得ない知りうるはずがない知識を以てその素性にたどり着いた、俺の方が異端なのだろう。しかしここであの二人に会うとは思わなかった。意図せぬ対面と言えよう。だけど兄弟殺しを防げたことは、嬉しい誤算だとも言える。『兄さんに見せたかった…………』儚く笑うサイの顔は、もう見ることはないだろう。それだけで、戦った価値があるというものだ。あの絵巻物の真実を知った今、余計にそう思う。しかし、あれだけ仲の良い兄弟を殺しあわせる暗部は………マジ外道だ。血霧の里の風習もそうだけど。発端はマダラだろうし、木の葉って意外と黒いなしかし。長い歴史を持つ里ゆえに、裏側の闇も深くなってしまったのだろうか。一度は全ての忍びを従えたと聞く里だし、その知恵と知識の量も半端ないのだろう。(………だけど、今は木の葉よりこっちのことだ)そういえば菊夜さんはどうしたのだろう。あの人も怪我をしてたと思うけど、大丈夫なのか。たずねると、紫苑はまた変な顔をした。「無事じゃが………」複雑そうな顔。俺はなんでそんな顔をするのか、聞くと紫苑からは意外な答えが返ってきた。「あの時、菊夜は………お主を囮に使った。妾がそうさせたに等しい。それを知っているとも言った」「ああ………」厳密にいえば、マダオの推測なのだが。あの時、俺の死体を確認せずに去った暗部と、ラーメンを食べている時の菊夜の仕草、サイの言動から推測したらしい。俺も、十分に有り得る話だし、事実そうかもしれないと思っていた。「妾達はお主を見捨てたに等しい………いや、殺しかけたも同然じゃ。なのに何故…………お主は、ここに来た」紫苑は俯きながら、震える声でそんな事を言った。何故助けに来たのか、分からないという。「紫苑」そんな紫苑に対し、俺は「こっちにきて」と言う。紫苑は涙まじりの眼を潤ませながら、顔を上げ近づく。俺はその顔に手を伸ばし―――――「そいやっ!」「痛っ!?」デコピンをかます。紫苑がデコピンの痛みに、額を抑えながらうずくまる。俺もデコピンをした反動が全身に広がったせいで身体がずきずきと痛むのだが、今は痛みに悶絶している場合じゃない。俺はうずくまる紫苑に対し、あの時暗部の部隊長に言ってやった言葉を、もう一度繰り返す。「だからといって見捨てていい訳にはならないだろう。それに、悪いのは決断させたあいつらだ」生きるために必死だったんだろう。「正直、少し腹が立ったけど………それでも死んで欲しくなかった。それだけじゃ駄目か?」紫苑の肩がびくりと震える。「それにあの時、俺は紫苑との勝負に負けて………あの約束を、したじゃん。負けたからには、賭けの負債は払わないとなー」ハリセンボンはごめんだし、と言いながら、なははと笑う。しかし………あの時はテンションゲージがマックスになっていたせいで分からなかったが、素面で言うと恥ずかしいぞこれ。顔が熱くなっていくのが分かる。『………くささ、最高潮ぉ!』黙れマダオ。起き抜けの一言がそれか。『ふん、よう言うわ………』キューちゃんはなんだか不機嫌なんだだけど………なにゆえ?考えていると、紫苑が顔を上げる気配を感じた。見れば、紫苑は微笑を浮かべていた。嘘のない、本心からの笑顔だ。端正な顔立ちと相まって、非常に可愛らしいと言えよう。「本当に、すまなかった…………いや、ここはこういうべきか」首を横に振って、紫苑は言い直した。「たすけてくれて、ほんとうにありがとう」あどけない少女から繰られた、本心からの礼の言葉と、満面の笑顔。それに対して、俺は顔を逸らすことしかできなかった。その後、やってきた菊夜と真蔵、才蔵と共に色々なことを話した。「あなたが九尾の人柱力だったとはね………しかし、木の葉隠れの里は、あなたにとって味方となるのでは……?」菊夜が聞いてくるが、俺はそんなんじゃないと言った。もとはといえば、暗部に殺されかけたのが全ての発端だし、味方とはとても言えないだろう。「俺も噂で、だけど聞いたことがあるよ。四代目火影の嫡男が九尾の人柱力で………失踪したって言っていたような」「実際は暗部に殺されかけたんだけどね。最後は起爆札でふっとばされて崖下の河に落ちたんだけど」あの時あった出来事に関して説明すると、全員が顔をしかめた。紫苑とシンにいたっては、何故か泣きそうになっている。一体なぜそんなことをするのか、分からないのだろう。「いや、だって………九尾だよ? 木の葉の里の者を大勢殺した……仇だと思ってたんじゃないかな」事実は違うのだけれど。それに、里を滅ぼすに足る力を持った子供がいることに対しての、恐れもあったのだろう。今までこなしてきた網の任務の中でも聞いた。他里の人柱力も、一部の者からは人外の力を使える化物ということで、恐怖の対象になっているらしいし。事実、紫苑達も見たはずだ。あの時の俺の異様なチャクラを。あんな力が使える俺が怖くないのか。面と向かってたずねると、紫苑達はこう答えた。「怖くなかったぞ。いやむしろ…………何でもない、忘れてくれ」紫苑は首を振りながら、また頬を染めていた。これが世に言う吊り橋効果というやつだろうか。「助けられたのです。それに、邪悪なものは感じませんでした」菊夜はそう答えた。心なしか敬語になっているので、本心ではどう思っているか分からないが、感謝の気持ちに嘘はないようだ。「怖くねーよ。むしろあいつらの方がずっと怖い」シンは複雑な表情を浮かべながらそう言った。確かに、俺も他の人柱力よりは裏で下衆なことを企んでいる暗部とか、世界征服を目指している暁の方が怖いが。「兄さんに同じ。むしろ有り難いよ。正直、僕たちだけではどうしようもなかったから」サイはそう言いながら笑う。でも、確たる勝算もなく助けたいという想いだけで決意に振りきれたおまえらの方が凄いと思うのだが。そう言うと、二人は驚いていた。何故驚くのか分からん。「いや、おまえらの奮闘が無かったら正直どうなっていたのか分からんし」森の中、あの場に集まっていたおかげで乱戦に持ち込めた。城の中に陣取られていたら打てる手も限られてくる。シンとサイが何もしなければ、そうなっていたはず。その状況では、勝ち目は薄い。恐らくは負けていただろう。しかし、あの部隊長の強さを知りながら、よく決意できたものだ。そう言うと、シンとサイは笑って答えた。「ほら、前に話で聞かされただろ? ………力のあるものが、チャクラを使える者が忍びではなく………誰かのために戦う心が、忍びだって」サムライとも言うが。そうか、覚えていたのか。そうか………俺が死んだと想い、決断したのか。自分たちの後にはもう何も無いと想い、命を賭けるに至ったのだろう。俺達の、そしてこいつらにとっての良い思い出………束の間であったが、失くしたくないと思えた日常を少しでも取り戻すために。刃の下に心在り、心を以て刃を振るう者………それがこの世界の忍びなのかもしれない。シンとサイはこの世界の忍びの在り方を体現したのだ。この小さな身体で。『………お主も、そうじゃろうに』キューちゃんの声が聞こえたような気がした。その日の夕方、隠れ家に突如客が来訪した。「あんた、ザンゲツ!?」「………生きていたか」ザンゲツは俺の顔を見るなりそう言い、あの後の事………木の葉の“根”に対する処置について述べた。そしてその手際に俺は戦慄させられる。「あの暗部の死体は、三代目………爺さんに信頼されている他の暗部に回収させた」「どうやって………」「うちはイタチのことに関して、少し情報を流してやっただけだ。超特急でやって来た暗部に対し、目撃情報を提供して………そのついでに、こちらで起こっている事を説明した」鬼の国で“根”が暗躍していること。そして………「ゴロウさん、死んだのか」顔見知りが死ぬのはこれが初めてではないが………慣れないな。「ああ。それについての抗議もした」今木の葉は、うちはの事件のせいで里の戦力が大きく減った状態にある。そこに経済の流れの一端を握る“網”に対しての暴挙が、暴露されたのだ。しかも、今回の事件は鬼の国内部で起きたもの。盟約を結んだ国自らの破棄が、他の里に知られればどうなるか。「権威は失墜し、木の葉の発言力は激減………任務も減って、里の収入も少なくなる、か」あるいは代償として、血継限界をいくらかよこせと要求されるかもしれない。泣きっ面に蜂どころの騒ぎではなくなる。ザンゲツはそれらを取引の材料にして、“根”の国外への退去を命じた。「下手人………俺についてのことは?」「言えない、とだけ言った。追求はされるだろうが、まあうまくやるさ」それが俺の仕事らしい。まあ、木の葉には警務部隊を務めていたうちはが壊滅したことで、他に優先しなければならないこともある。まずは警務部隊を代行するに足る部隊を編成しなければならないらしい。つまりは、木の葉側にはこちらにつきっきりになっているような余裕が無いということか。「“根”のダンゾウは?」「三代目の爺さまに抑えてもらっている。初代火影の盟約は、あの爺さまにとって何よりも優先されるべきものだ………いつかの、雨隠れの里の外れで起きた事件もある。 これ以上、何かをすれば、迷いなく処断するだろうな」「雨隠れの外れ………事件? ………ああ、あれに関係あるんですか」少し前、その事件の現場近くにある村民から依頼された、とある奇妙な工事のこと。現場に着いた俺達は驚いた。言われて赴いたその平野には、○めはめ波でも落ちたんじゃねーのか、と言いたくなる程に巨大なクレーターがあったのだ。「あれにも、“根”が絡んでいると?」まじで勘弁してくれ、と俺は頭を抱えた。手持ちの起爆札を使っても、螺旋丸を使ってもあんなことはできない。そんな術を使える者が“根”にいるとか、考えたくも無い。「いや、爺さまもその件に関しては確証は無いらしいが………話が逸れたか」その後は、俺の処遇について。こちらは特に何の問題もないらしい。「しかし、一人であれだけの暗部部隊を壊滅させるとはな………」何で今まではその力を使わなかったのか。ジト目で見てくるが、そんな眼で見られても、どうしようもない。「おかげでご覧の有様ですよ。“八門遁甲の陣”程とは言いませんが、乱発できるような術でもないんで」少し誤魔化し、説明をする。「………まあ、いいか。詮索すると逃げそうだからな………約束もある」そう言って、話を断ち切る。これ以上、余計な詮索はしないという意志表示だろう。「ああ、後………シンとサイ、と言ったか。あの兄弟についてだが、うちで引き取ることにした」「………え、いや、それ………可能なんですか? 根からは何も言ってこないと………いや、そうか」そういえば戦災孤児の登用は、三代目も心を痛ませていたと聞く。それに、根は閉鎖されたはずの部門だ。それがハルという協力者(買収したらしい)を使って、組織の中をかき回したのだ。ゴロウさんのこともある。発覚した今、網に対しての代償として二人を………というわけだろう。「お前の考えている通りだ。ま、うちと“根”との………関係は、最悪となったがな」大体が好かん組織だったし今更別に構わんが、とザンゲツは豪快に笑った。「問題は別にある。鬼の国のことだ」鬼の国と根で交わされた密約、そして紫苑達の立場について説明を受ける。「糞っ垂れが………!」取引の材料? いった何だそれは。俺は胸糞悪い真実に、思いっきりつばを履きたい気分になる。「まだ終わっとらんぞ。その国主だが、今度は別の里に働きかけようとしているらしい」「………はあ!?」「取引材料としての巫女の価値………そこに、眼をつけたのだろうな。再び拉致して、どうにかしようとしているらしい」真意に関しては調査中だ、とザンゲツも顔をしかめながら言う。「下衆が………それで、紫苑達はどうすると?」「………後は、本人から聞け。明日、話してくれるだろう」その夜。暗い部屋の中、俺は天井を見上げながら考えていた。『………眠れないの?』「ああ………」答えながら、立ち上がる。全身が痛むが、今はここに居たくなかった。俺は外に出て夜空の星を見上げながら、あの時のことを思い出す。この手で殺した、あいつらのことを。骨をへし折る感触。肉をえぐる感触。どれもがこの手に残っている。(殺した………殺したんだ)他に方法が無かった。余裕もなかった。だから殺した。力があれば、他に選択できたのだろうが、今の俺にそんな大層な力はない。だけど手に残る感触は、理屈ではなかった。得体の知れない感情が、俺の胸を締め付ける。「…………っ」そのまま俺は地面に左腕をつき、胃の中のものを戻す。昼と夜に食べたものが出尽くし、それでも止まらない。胃液をも地面にぶちまける。「っ、イワオ!?」そこに紫苑が現れた。俺の背中を優しくさすってくれる。そのまま、数分が過ぎる。俺は隠れ家の傍にある樹に、紫苑と二人でもたれかかりながら星空を見上げていた。俺は、余程情けない顔をしていたのだろう。紫苑が俺の手をそっと握ってくれた。途端、俺はより情けない気持ちに襲われる。どうしようもない、弱音に類される言葉を少女に言ってしまう。「殺すしかなかった。取り得る最善だった…………」あの時。最後のやり取りで抱いた憎しみはまだ消えず、胸に残っている。でも、殺したくなかったのも本当だ。立場が違うとはいえ、相対する敵とは言え、どうしようもなかったとはいえ、殺しあうことが正しいとは口に出したくなかった。しかし許せないこともあった。同じようなことをしている人間がいれば、俺はどんな手を使ってもそれを阻止するだろう。例え命を奪うことになっても。「なんで、こうなったんだろうな………」発端は、巫女の死。そこから始まる奪い合い。小国が………“根”が、力を求めたから。外敵に対抗する力を手にいれたかったから。奪われない力を手に入れたくなかったから。戦争は終り、平和な世になったとはいえ、いつ他国と戦争になるかも分からない。だからこその力。しかし、逆にいえば他人を………他国を信用していないとも言える。危地に備えるという、忍びの思考は正鵠を射ている。事実世界は不穏な情勢を携え、今日も大陸に血は流れている。誰も彼もが誰も彼もを信じていないのか………あるいは、理解しようとしていないのかもしれない。もっと他に、力以外で理解し合えるものはあるはずなのに。それは日々の中にあるもの。食事、音楽、芸術。美味しいものを食べる喜び。いい音楽を聞ける喜び。美しいものを見られる喜び。そして、それらを作り出す喜び。創作する喜び。色々とあるのだ。見知らぬ誰かと誰かが理解しあえる機会が、色々とある。断じて殺しあう………究極の否定をしあうために、人は生きているわけではない。「だからお主はあれを………ラーメンを作るのか」「ああ」美味しいものに対する歓喜。作る側と、食べる側。美味しいと言ってもらえる俺も、美味しいと感じた客も、どっちも幸せになれるじゃないか。力でなんて、どうにもならない。つまるところ出来るのは奪うだけ。あるいは、守るために失わないよう、そうなる前に奪うだけ。どちらかしか幸せにならない。そういうのは、俺は嫌いだ。誰も彼もが幸せになるために生きている。俺はそう信じている。間違ども、人が望むものは同じであると思いたいのだ。性善説などではなく、ただそう在って欲しいという願い。“誰も殺しあわない世界を”それが俺の夢だ。本当の殺し合いを経験した今、切に願う。人の汚さを直視した今、心の底から願う。夢に夢をまぜあわせるのだ。ラーメンだけに。「その巨大な力で夢を叶えようとは………思わんの、お主は」「ああ、それに………これは、借り物の力だからね」俺は俺のために生きている。俺は俺のしたい事をする。だから、借り物力を使って舞台に立っても、そこに意味は無いのだ。自衛のために力を振るうことはする。許せないことに対し、断固たる行動にでることもある。だが肝心の夢は俺の持つ俺だけの力で叶える。借り物の力で夢を………秘めた願いを形にしたとして、そこに“俺”がいないのでは、はたしてそれが何になろうか。それにそれは一時凌ぎにしかならない。それでは足りないのだ。唯一、借り物ではない俺だけの力。それがラーメンに対する情熱だ。前の世界の残滓でいだした残滓。くだらない、人によってはとるに足りないと言われるかもしれないが、それがどうした。この想いだけは、誰にも文句はいわせない。本当に美味しいものは、人の心を変える力を持っている。俺は、そう信じている。一度振り上げられた腕、力に対して、言葉は通じまい。自らの腕でしか防げないものだ。そして互いに傷つけあう。それを防ぐためには、そもそも腕を振り上げようとしない心………相手のことを思う、理解しあう力が必要なのだ。振り上げる前に話しあう、そんな世が出来たらいいなと思っている。どだい不可能なことかもしれないし、俺の代だけでは無理だろうが………一度死んだこの身、やってみる価値はある。「変わっておるの、お主は」俺の言葉を聞いた紫苑は、優しく笑いながらそんなことを言った。「………変わっているのは、悪いことじゃない」そうしたいと願ったのだから。嘘はないので恥じる必要もない。「そうじゃの………悪くない。本当に、悪くない………のう?」「ん?」「いつか………いつの日か。妾にも、その究極のラーメンとやらを、食べさせてくれるか?」「勿論さ。まあ、時間はかかるだろうけど」人生は短く、芸術は長し。10年やそこらで完成するとは思えない。それに、短い人生を余計に短くしようとする輩もいることだし、まずはそいつらから身を守らなければ、俺の願いは果たせないだろう。この危険な世界で旅を出来る力………それに対する、代償みたいなものだ。それは、眼を逸らすことはできない事実。「ままならないのう」「ほんとにね………」夢だけ考えて生きたいのだけれど、現実は酷に過ぎる。死ねばそこで終わりだし。今は障害物を乗り越える力を。そして全てが終われば、俺は夢に向かって走り続けるのみ。「ふむ、確かにあのラーメンは旨かった。他にはない味じゃったし………隠し味か何かがあるのか?」「うん、あるよ。いつも考えているし、思いついたことは試すようにしている」修行の合間とか、あとは全国を食べあるきながらネタを集めている。今はあの宿屋に隠している、俺の日誌。あれには、俺の夢そのものが詰まっているのだ。「………でも、今は別に優先することがあるから、夢を最優先するってわけにはいかないんだけど」何しろタマ狙われてるから、と俺は苦笑を返す。「ふむ、そうじゃったの。うずまきナルト、か………そういえばイワオは偽名だったのじゃな」「“網”の任務用のね。ラーメン屋としては別にあるよ?」「ふむ、何というのじゃ?」訪ねられた俺は、口の端を浮かべながら説明をする。「俺の故郷にある漫画に登場する、ラーメンが大好きな人の名字を取って………そして、名前は本名をもじったんだ」――――故に、“小池メンマ”。それが俺のソウルネームだと言った。「ふむ、ということは…………お主が持っているという、その夢への道程が書き記された日誌の名前は………」夢が詰まった、伝えるべ願いを書き記した日誌。究極のラーメンを目指す、俺だけの日誌。「“小池メンマのラーメン日誌”ってところだね」