● ● ● ● 『桃地白』 ● ● ● ● ●――――その時、僕はどこにもいなかった。寄るべき所をこの手で消して、居るべき場所も失ってしまったから。身寄りもなく、ひとり。冷たい橋の上でただ川の流れるままを見つめるだけだった。行き交う雑踏などには目もくれない。誰も僕を見ない。僕を知らないからだ。それはそうだろう。何より、僕が僕を知らないのだから。名前を与えくれた人を殺して、その名前を知る人も居なくなった。ならば僕はどこにも存在しない。伝える気力もなく、このまま雪のように溶けていくのだろうでも、そんなとき、一人だけ。声をかけてくれた人が存在して。「負け犬の眼、だな」そう言う人も、僕と同じ眼をしていて。でも、その人は僕とは決定的に違うものがあった。今はもう、何処にも居ない僕とは違う。その人の目の奥には輝く何かが残っていた。ただ、消えそうになるのを必死に誤魔化そうとしているだけだ。諦らめに支配されそうになっているのは、同じだけど。気づけば、何も考えずに思ったままを告げていた。そこから、いくつかの問答があった。でも、何より覚えているのは二つ。僕に向けて差し出された大きな掌と、"たこ"のせいで表皮が固くなって―――でも、そこに確かにある温もり。そうして、僕は自分の意味と場所を得た。与えられた役割は武器で、居場所は再不斬さんの掌の中だ。武器となるための修行は辛かったけど、父を殺した後に比べればなんてことはなかった。苦痛はあれど、今僕は存在している。それは、何処にも居なくなる苦痛よりはるかにましだ。心を殺し、血継という武器となり、再不斬さんの意志のままに振るわれる。貧しいながらも平和だった、母が生きていた頃には考えもしなかった生活。でも、幸せだった。僕は確かに、必要とされてそこに在ったのだから。その後は本当に波乱万丈で。また僕は、自分を見てくれる人に出逢った。同性の友達も出来た。音で人を癒すという、このご時世に珍しく。なにより素敵な夢を持つ、僕の友達にして戦友。新しく出逢った、メンマさん達と。そして彼女とサスケ君と、何より再不斬さんと伴った隠れ家の日々は僕の宝物だ。この先、何があろうとも僕はあの日々は忘れはしないだろう。そしてまた、予期せぬ出来事が幾度と無く繰り返された。いくつかが、予想の範囲内に。予期せぬ事態に出くわそうとも、乗り越えて、僕は今ここに居る。今は名を、"桃地白"に変えて。あの橋の上での、第二の産声の後、また出逢った第二の居場所を作ってくれた人達に。仲間に、祝ってもらうために。儀式としての婚儀は霧隠れで済ませたが、あれはあくまで形だけのもの。本当の意味でのそれは、決して終っていない。祝って欲しい人達に、祝ってもらう。"認めて"もらう。そして、埒もあかさぬ馬鹿騒ぎと。それは僕のわがままで、でも祝って欲しい人達の望みでもあった。だから僕と再不斬さんはこの"網"の本拠地に来たのだ。最後の、欠けていた人――――地獄のような戦いを生き延びて、ようやく帰ってきた仲間に、一緒に祝ってもらうために。皆は食事の用意をしてくれている。何でも、"イベント"の時間は濃く短くして、その後に皆で飲んで騒ごうというらしい。そして、その濃くて短いイベントのためにと、僕は今多由也さんに連れられ、とある部屋の前に来ていた。立ち止まってこっちを見ている多由也さんは、なにやら悪戯を企んでいる顔をしていた。メンマさんやマダオさんがこういう顔をするのは珍しくないが、彼女がこの表情を見せるのは珍しい。そうして僕は進められるがままに一歩前に出た。不安と期待を半々に扉を開き。「――――これ、は」見せられた光景に、その全てが歓喜へと変転した。そこにあったのは、純白のドレス。レースがそこかしこに添えられた、メンマさんの話に聞いたウエディングドレスそのものだった。「まあ、入れよ」促されるままに入る。見れば、隣には紫苑さんの護衛という菊夜さんが。椅子に座り、髪を整えられて。呆然として、されるがままになる僕。そこで、多由也さんが一言を挟んだ。「マダオ師が、な」頼んでくれたらしい。苦笑しながら、でも彼女は楽しそうに言う。「"僕には娘が四人居る。そして親ならば、愛しき娘のために門出となる花束を贈らざるをえない"………だってよ」「はな、たば?」「ああ。そのまま花はメンマが、そしてマダオ師が用意したのは――――花嫁衣装さ」ああいう、言葉遊びが好きなとこあるよなーと、多由也さんは笑う。「衣服の職人さんと話し込んでメンマも巻き込んでデザイン決めて、それでちょっと前にようやく完成したらしい」「そんな、お金は………?」絹に、これだけ複雑なデザインだ。どう考えても値が張るものに、どうしたのかと聞くと、多由也さんは思い出し笑いをしながら答えてくれた。「マダオ師曰く、"繋がる笑顔が僕の力さ!"らしい。メンマ曰く、"ネタに走った上に漢道をひた走るとは、流石は我が宿敵よ!"らしい」「あの、回答になってないような気が………」「メンマとサスケの二人から"こまけぇことはいいんだよ"、ってハモられた。甲斐性はオトコだけの剣、だとよ。ちなみに再不斬さんは知らんらしいから、後で驚かせてやれ」「僕が最初に驚かされましたが………」でも、細かいことはいいですか。僕はそう思いながら。ただ喜びをかみしめた。話に聞くだけでドキドキした衣装を、この身にまとって。誰より愛しい人に見せることができるのだ。それは、夢にまで見た光景。憧れながらも、叶わぬものと思っていたから、望外の喜びを隠しきれない。今まで生きてきた中で、色々なことがあった。だけど、これ以上の喜びは見当たらない。そう伝えると、多由也さんは素直に喜んどけ、と笑って返してくれた。「苦境の果てに、折角に辿りついた今だ。遠慮なく楽しむのが正しい対応だと思うぞ。なあ、考えたことはないか? ――――もし、"小池メンマ出会わなければ"、ってこと」「そう、ですね………もしかしたら、僕も再不斬さんも、多由也さんもサスケ君も………」僕達の場合は、仲間に誘われなければ。多由也さんの場合は、あの言葉を聞かなければ。今、ここには存在していないかもしれない。ひょっとしなくても、道半ばに果てていた可能性は十分にあった。「でも、生き残った。だから、楽しめばいい。過去を忘れろ、なんて誰も言わない。ただ、楽しむべき時には楽しむべきだぜ。嬉しいならば、素直に嬉しいと感じればいい。それを誤魔化すほうがおかしいんだから」「で、も………」父の事を思い出す。肉の感触は、薄れた。それでも最後に見たあの死面だけは忘れられない。そんな僕の葛藤に気づいたのか、多由也さんは僕の頭をぽんと叩いた。「これ以上は、ウチの口からはな。それに………」言いながら、多由也さんが一歩下がる。そう、話しているうちに、着付けというか、服の調整は終わっていたのだ。「これだけ綺麗な花なんだ。笑わないのは嘘ってもんだぜ?」そうして――――多由也さんに連れられ、下りた先。扉をひらいて、真っ先に見えたのは再不斬さんの顔だった。その視線は僕の方で止まって、全身が硬直しているようだ。ぴくりとも動かず、ただ僕の全身を見ている。「あ、の………?」さっき鏡で見せられたんだけど、おかしい所は無かったように思う。憧れに描いた絵のまんまで、その、こういうのはなんだけどそれなりに可愛いとは思う。でも何も言ってくれないということは、どこかおかしいのか。左右を見回し、上半身だけをひねって背中を見る。どこにも、変なところはない。「えっと、おかしいところは――――っ!?」正面に視線を戻すと、再不斬さんが顔を逸らしていた。顔がかすかに赤い。どうやら怒っているみたいだ。(そん、な………)似合っていると思ったのに、怒るほど気に入らないのか。そう考えてしまうと、眼から涙がにじみ出ていた。とんだ勘違いだ。なんて、道化なんだ。顔を上げることも出来ず、地面を見ながら、途絶え途絶えに言葉を紡ぐ。「あ、の………似あって、ないのなら、気に入らない、のなら、脱ぎますから」「え、いや、ちが――――」慌てたような声。でも気づかず、うつむき下唇を噛み締める。なにやら横に居るサスケ君とメンマさんから不穏な空気が漂ってくるが、そんなことは気にしていられない。きびすを返し、一刻も早く着替えようとして―――――背中を向けた瞬間、後ろから抱きしめられた。きつくではなく、壊れないように優しく。「―――似合ってる。だから、着替えるな」「………え?」「まだ見てえから脱ぐなと言ったんだ。二度同じことを言わせるな」えっと、それは。僕は最初、その言葉の意味が分からなかった。でも脳内で百回は反芻して、ようやく理解した。途端、身体の芯から灼熱が立ち上る。直前とは違う意味での、涙があふれてきた。振り向き、再不斬さんに向き直る。「おま、なぜ泣いて………!?」「う、れしいからですよっ!」思ったままに告げた。顔は笑っているだろう。この喜びを、隠せるはずがあるものか。笑って、泣いて、そして僕は再不斬さんの胸に飛び込んだ。● ● ● ● 『桃地再不斬』 ● ● ● ● ●飛び込んできた白は、ばかに美しかった。白と黒のバランスが――――といった小賢しい理屈抜きに、ただ圧倒された。言葉ではなく理解させられた。問答無用というのは、このことを言うのだろう。根本的に服の作りが違うのだろうが、そんなことはどうでもいい。一言で告げるのなら―――似合っている。きれいで、似合い過ぎている。ほのかに赤い顔もその美事さを助長していた。整っているのは分かっていた。だけど、どうにも見くびっていたようだ。なんせさっきから、動悸がやばすぎる。それでいて、こんな笑みを浮かべやがるからたまったもんじゃない。去年から色々考えてた言葉が消し飛んじまった。だから俺は、飛び込んでくる白を抱きしめた。周りの眼があるが、今は構いやしねえ。―――あの日あの時、橋の上で拾ってから十年以上か。そうだな、一途にぶつけられる想いは………最初は重く感じられた。でもすぐに変わった。優しく、一生懸命で、何より純粋な俺の白。隠そうともしない思慕の念を背中に、戦うことは決して悪くなかった。いや、逆に強くなったように思う。今ならば、メンマの野郎が酒の席でこぼした言葉も分かる。そう、守るべき女を背負うのならば、大刀を握る手にも力が入るってもんだ。深い傷を持つ、少女。自分からは絶対に消そうとはしない黒の思い出と、純粋な未来を想う白の心。アンバランスで、見ていられなくて、武器であれと言って、俺の手の中から放そうとはしなくて。今、俺の胸の中でもそのことを考えているのだろう。だから俺は抱きしめる。言葉では伝えない。今はもう、臆病だった白はいないからだ。武器だった白は、掌の中で収まっていた少女はもう居ない。震えながらも、自らの意志で歩き出せるだけの力を持っている。だから、俺は抱きしめるんだ。消えない黒の刺が少しでも和らぐように。守りたいこの白の体温を自分の身に刻み付けるために。● ● ● ● 『桃地白』 ● ● ● ● ●背中に、額に、ぬくもりが広がる。告げられる言葉は何もなく、ただじっと熱を感じる。耳をすませば、鼓動の音も。(お父さんも、こんなだったのかな)母の血継限界がばれる前までは、穏やかだった父。抱きしめられた記憶は遠く、優しい記憶はもうはるか彼方に消え去っている。きっと、優しかったのだろう。でも――――ごめん、父さん、母さん。忘れはしません。アナタをこの手にかけたことを、絶対に忘れることはしないけど。(それでも僕は、先に行く)過去に囚われるのは、もう止める。思って言葉をかけてくれる人のために。こうして想って、黙って抱きしめてくれる人のために。優しかったアナタが、豹変するほどに――――心に傷があったであろうアナタが嫌った戦争の悲劇を、出来る限り無くすために。それを無くそうとしている人、再不斬さんと一緒に、僕は行くよ。そうして、僕は顔を上げ、今度は再不斬さんの顔に飛び込んだ。頭に手を回し、ぎゅっと抱きしめながら唇を重ねる。応える彼と、溢れる情熱を冷ますことなく。決意と共に、僕は心の中だけで笑った。(往くよ。今度は彼の、掌の中じゃなくて)武器ではなく、道具ではなく。(横に立ち、手を繋ぎ共に歩く伴侶として――――その胸の中を居場所とする、一人の女として)思い出より、これから僕達の手で良くする世界を。今よりもっと良くなる、新しい日々をと。誓い、離れて、笑って手を振る。そうした後に、声が上がった。メンマさんから、九那実さんから、サスケ君から、多由也さんから、紫苑さんから。小雪姫から、照美メイから、食堂のおばちゃんから。拍手が鳴り響いて、喝采の声が上がった。その日のことを、僕は生涯忘れないだろう。素敵な仲間と本当に見事な料理と美味しいお酒と一緒に、これ以上無いってぐらいに騒いで、楽しんだことと。ずっと見ていた起きてみる夢が、叶えられた日のことは。おまけ「えっと、あんたら何で膝をついて苦い茶を飲んでいるんだい? 確かに人目を気にせぬあのいちゃつきっぷりは紅音ちゃんと旦那の魔光景を彷彿とさせるけど」「いや、あんな可愛さ見せられたら足にくるってもんだよおばちゃん。ぶっちゃけると萌え萌えきゅん。でも甘えよ足りねえな青汁もってこい」「よし分かった同意はするが取り敢えず後で爽快コースだメンマ」「了承。くく、独自にあみ出した“攻性結界”の脅威を見せてくれるぞ」「えっと、いや、顔赤い白ってさ。なんだ………遠まわしに言うと、そそるよな?」「よし分かった後で本拠地裏だサスケ」「いやー、あれは仕方ないでしょ。ぶっちゃけ女の私だってクラっと来たよ畜生」「大女優なのにその口は………というか私に彼氏というか、婿はこないのか!」「「「はいはいワロスワロス」」」「ど、同志メイ! なんだか分からんがそれを吹出すのはやめてすごい嫌な予感が!」「………どうでもいいけど、全員涙をふいたらどうだい」