二日なんて物は思っていたよりも長く感じた。
予想ではもっと遽しくなると思っていたのだがどうも世界は悉く俺の事が嫌いのようだ。
所謂、日常というものは存外にしぶとい。
皆は噛み締めているのだ。この日常という極楽を。皆がこの里に来るまでどんな生き方をしていたのかは知らない。知る必要も無ければ知る術もない。
それでも分かる。
音の里は俺等の平穏だ。静かで、とても居心地がいい。
これを守るためならば、そう思えてしまう俺はきっととうの昔に洗脳されているのだろう。
空を仰ぐと白い雲、透明な風、それに揺られる新穂。
それらは全て大蛇丸が作り上げた仮初の幸せの一つだ。
不思議じゃないか?
幸せなんて一つも得られなかった俺に仮初でも幸せの一端を与えてるんだぜ。
涙が出てくる。
大蛇丸はそれだけじゃなく、他にも大切なものを俺等にくれやがった。
大切なもんを守るために戦わせてくれる機会を作ってくれた。
狂った歯車の上で
他に選択肢なんて上等なもんはなかった。そして、その他に成すべき事など存在すらしやしなかった。
守るだけ、と俺は何度も頭の中で繰り返す。それはまるで自分の中の恐怖を打ち倒す為と言うばかりの行動で不意に苦笑してしまう。
会議なんて上等なもんは無かった。ただ、帰って来い。そして打ち上げはいつにするか、などと話し合うだけ。
笑っちまうよ。みんな強いぜ、俺なんかよりもずっとな。
叫ぶだけ叫んで思いの丈を伝えて俺は大蛇丸の部屋から出て行った。もうやることなんてありゃしない。言うだけ言ったんだ。後は結果を残す事だけに集中しなくちゃいけねぇ。
俺は既に静まった家に帰った。日付は既に変わっていた。
夜はコーヒーのように奥が見えない深い黒で、少しだけ怖かった。
答えを見つけられない思考が渦巻いていた。原因は分かっている。
原因は分かっていた。その原因のお嬢様は明かりも燈さずに暗闇の中で息づいていた。
「まだ起きてたんだね」
「……少し、眠れないの」
「僕も、だよ」
アカリは気付いているんだろうな。早くて明日にはこの音の里は戦争に巻き込まれる、ということに。
そして俺がその戦争に関わるってことも。
俺は指先に小さな火を燈しては明かりに火をつけた。煙草を吸うために覚えた術だったのだと今更思い出した。
「火遁…使えたんだね」
アカリの少し驚いた声が寝室に小さく浸透する。
腕を組んだ。意外そうにするアカリの表情に疑問は絶えない。アカリでも出来る初歩の忍術の筈だ。アカリと同じクローンだという設定の俺が出来ても不思議じゃない筈なのにこのアカリの驚きに腑に落ちない。
まるで俺が本当に忍術を使わないことを知っているようだ。俺は印を組む時間があるのなら改造した体で先に相手の首を掻っ切る方だ。
速さは単体で何よりも力を生み確実性を増やす。その結論に辿りつくのに時間は無かった。故に俺は四つか、五つくらいしか忍術は使わない。
まぁ、いいか。
んなこたぁどうでもいい。
そんな疑問を抱えられるような容量なんて残っちゃいないんだ。今だけで一杯で溢れちまいそうだ。
「今度、教えてやろうか?」
「いいよ、私も出来るもん」
呆れるように首を横に振って指先に火を燈してみせるアカリを見て俺は自分が思っている以上にアカリは大人なんだと思った。
アカリは苦笑するように続けて言う。
「それに、私は兄さんみたいに煙草は吸わないもんね」
ドキリ、とした。
消臭はしっかりしていた筈なんだけどね、俺の妹様はご存知のようだ。
「はは、確かに…そりゃそうだ」
笑うしかねぇわ。
「買い置きするのはいいけどさ、ちゃんと隠そうよ。引き出しに入れておくなんて忍びのすることじゃないと思う」
くすくす、とアカリは笑いながらそう言う。
俺もくすくす、と笑い返す。
「禁煙しようと思ってたから丁度いいね」
「え~、結構好きなんだけどな…煙草を吸ってる兄さん」
「そうかい? それならもう少し吸ってみようかな」
「冗談だよ?」
「こっちも冗談だよ」
暖かい夜だった。
きっと他の里だと戦争の前夜は殺伐として息苦しいんだろうな、唐突にそう思った。
俺の横にはアカリがいて、雲に隠れていた月明かりが天窓から溢れんばかりに俺達を照らしてくれる。
暖かく、柔らかい光が俺等を包み込んでくれる。
一人で月を見ることが好きだった。次は太陽を見ることが好きにだった。
今は違う。
『二人』で月を見ることが好きになった。
「戦争、なんでしょ?」
アカリは俺の腕を引っ張りながらそう尋ねる。まるで小動物だ。昔は潰してしまいそうで怖くて触りたくなかったんだよな、と笑えてくる。
「ふざけないで、よ」
「ふざけてないって」そういって俺は笑う。アカリに対してと、俺等を照らしてくれる月に向かって。
アカリは機嫌を直すのに数秒しか使わなかった。賢い妹だ。頭の回転が違うんだなぁ、と思う。
「相手はどれくらいなの?」
やっぱり気付かれてる。俺が戦争に行く事を。
もう嘘を吐く必要が無いんだぁ、と俺は重くなってきた枷が外れた気がした。
「相手は三つの里だしね。総勢力でも千人はいかないよ」
忍びというのは以外に少ないのだ。忍びになれる人数など里の半分もいればその国は強国になれる。その半分の中で戦争に出られるほどに完成された忍びなんてさらにその半分ほどだろう。
大体は不良品のまま戦争に駆り出されるんだろうけどね。なんか笑っちまう。
音の里の八割が忍びだってのに喧嘩売って来た奴等が滑稽に思える。
「ふ~ん」
敵の人数を知ってアカリの反応なんてこんなもんだった。
もう少し心配してくれてもいいんじゃねぇか? などと思っていたがそりゃただの俺の勘違いなんだと気付かされてしまう。
「馬鹿だよね、音の里に喧嘩を売るなんてさ。命は有限ってことを知らないのかな?」
最後の言葉に特別な重みを感じた。
アカリは俺の手を握り締めて少しだけ震えた。
どういう意図なのかにも気付けなかった俺はただ寒かったのだろうと思ってアカリの腕を握り返すだけだった。
「きっと、知らないんだよ。捨ててもいい命は確かに幾らでも存在すると思う。それと同じようになくしちゃいけない命も沢山あるんだよ」
正義の味方が聞いたらきっと拒絶するだろうね。だけど、これが俺が見つけた唯一の真理なんだ。
地球の裏側にいる名前の知らない奴等よりも目の前にいる家族や仲間、そして恩人の方が何億倍も大切なんだよ。
欲張っちゃいけねぇ。人には分相応不相応ってのがある。最初から決められてるんだよ、どれだけの人を守れるのかも、殺せるのかもね。
幸せに出来るかも、ね。
人は自分しか幸せに出来ない。そりゃ自分の失敗の為の免罪符さ。頑張ろうとも思ってない中途半端な奴の言い訳さ。
手助けくらいできるさ。協力だってできるさ。相手の幸せを蹴落とす事ができるのなら、相手の幸せを作っちまうこともできるんじゃねぇか?
きっと、全てが正常に動いていたら。
この呪印はサスケの物で、俺の立場にサスケがいて、俺がサスケの立場にいて、仲間がいることに満足してそれでお仕舞いさ。
それ以上なんて想像もできないね。哀れだよ、そんなナルトは。
もしかしたら大蛇丸がサスケの体に乗り移って、サスケがこの世から消えるかもしれない。そしたらその世界のナルトは素晴らしい忍術を作って過去へ向かうかもしれない。
もしかしたら、の話だけどな。
吐き気がしてくる。不幸を気取っていたら何でも許されるのかね。
先生に手を差し伸べてもらえなかったらと思うと寒気がしてくる。どうせ木ノ葉じゃ俺は騙された頭の可哀相な奴として見られているんだろう。
あぁ、あんまり変わらないか。
「どうしたの、兄さん?」
ククッ、どうやら顔に出して笑っていたみたいだ。
「いいや、ただ面白いことを思い浮かべてたら思ってたよりも面白かったんだ」
どんな話だよ。自分で言っていて笑えてしまう。
「どんなことなの?」
アカリは興味津々のようだ。つまらなかったらどうしようかと本気で悩んでしまった俺はきっと既に中毒者。
「男の子が最後まで考えて取った選択を周りの人は笑うんだよ。なんて頭が悪いんだろう、ってね。男の子は憤慨するんだけどある時に気付くんだ。どっちでもいいか、ってね」
殴られたら殴り返したいさ。蹴られたら蹴り返したいんだよ。それが正常なんだ。
だったら何が悪いってんだ。
「それって――」
きっと逃げだって言うんだろう。俺から見てもそれは逃げだ。昔はそれを勝ちだと言い張っていたな、あの時はリーの前だったから強情だった。リーを追いかけてたんだもんな。それを諦めて直だったから、心が追いつけなかった。
焦っていたんだと思う。余裕なんてとっくに潰されてた。ギリギリの中で虚勢を張ってたんだな。
俺はアカリの言葉を待つ。そして否定されることを待ち望んでいた。
思い違いは唯一つ、俺は勝手にアカリの答えを決め付けていた事だった。
「それって……少しだけ厳しくって、寂しくって…きっと悩んだんだよね」
アカリは振り返って俺を見る。
まだその手は俺の手を握り締めていた。
「不器用で…だけどちょっとだけ優しくて、そんな人なんじゃないかな」
俺を見てそう言ったアカリは確信犯だ。こっちの顔が赤くなっちまうよ。
月は俺等を笑っているのだろうか、それとも祝福しているのだろうか。もう、そんなもんどうでも良かった。
この手で繋がっている絆なんて陳腐なもんを守れるならさ、信じられなかったもんまで信じられそうだ。
「そう…だったんじゃ、ないかなぁ」
もう覚えていない。いや、鮮明に覚えている。鮮明すぎて忘れるには少し骨がいりそうだ。だけど、もう要らない。行動なんてどうでもいい。その時、どう感じたか、どう苦しんだか、どう切り捨てたか。俺にはその想いの方が結果なんかよりも何千倍も大事なんだ。
肯定してもらいたいなんて思っちゃいない。否定してもらいたいとも思っちゃいない。ただ、否定も賛成もせずに俺が居た事やした事に気付いて欲しかったんだ。
俺はちゃんと考えたんだよ。ちゃんと悩んだんだよ。そして、ちゃんと選んだんだよ。それを見て欲しかったんだ。
あーだこーだなんて賛否なんて欲しくない。認識して欲しかった。そして少しでもいい。俺が、本当に頑張ってたんだってね…分かって欲しかった。
アカリはただ俺を見つめるだけだった。
俺の選択肢は君なんだ。俺に悔いなんて必要ない。どれだけ悩んで、どんな結果になったとしても、俺はきっと受け入れる。非難はするさ。愚痴も言うよ。だけど、やり戻したいなんて絶対に想わない。
俺はもう受け入れているんだ。あの時の俺を。
「もう…許してあげよう?」
理論武装で全力で自分を擁護して何が悪い。自分が一番大切さ。だけどね、時には一番の自分よりも他に救いたい人もいるってことに気がついたんだ。
「悲しいよな…悩んだ末に決めたってのにさ、あっさり否定されたら……それはその男の子本人への否定なんだよな」
「うん…だから、許してあげて」
受け入れたって許せないことは沢山ある。納得ができないんだ。これは仕方なかった、だけど他に方法があったんだじゃないのか? そうやっていつも疑心暗鬼。
いい加減に疲れた。
「そう…だよな。きっと、その男の子は頑張ったんだよな? 他の奴等なんて関係ない、自分の為に選べたんだよな?」
救ってくれよ、アカリ。
「大丈夫…私が保証する!」
アカリの眼は力強くって、それなのに濡れていた。
アカリはくしゃって顔を崩して泣いて笑って俺に言うんだ。
「兄さんは、幸せなんでしょ?」
ああ、そうだな。
俺はとっくに救ってもらってるんだったよな。
そうならば、俺はきっと、
「俺がお前の兄ちゃんだ」
アカリが俺の幸せだ。
どんどん本編から離れていく事に危機感を感じながら書いてます。
というか木ノ葉崩しを結構して悪名が知れ渡った筈なのに三年間ほとんど大きい戦が書かれていない原作に不思議です。サスケの登場シーンに沢山の人が倒れてましたけどあれがそうなのだろうか? たった一人の小僧に倒されてちゃいけないのでは? 呪印も使ってないし。 サスケってそんなに強かったっけかなぁ?