気が付くと回りは真っ暗だった。
まるで砂の中にいるようだ。体中が重くて動かない。
だから、少しだけその重みに身を委ねてみた。
少しだけ、安らげた。
狂った歯車の上で
気配に気付いた左近が起爆札付きのクナイを林に向けて放った。
激しい爆発音と共に数人の人影が左近や次郎坊達の前に吹き飛んできた。
シカマルとネジだった。
その顔には焦りが大いに感じさせられた。
「何だァ…戯れに藪をつついてみたら蛇どころか虫二匹かよ」
多油也のその言葉通り、今の二人にはそれが最も的確な表現であった。木の葉の下忍で編成された小隊で最強はネジ、そのネジと同等の実力者が四人。戦力差は火を見るより明らかだった。
もちろん、ただで負ける木の葉ではない。元より勝利条件は敵の殲滅ではない。
「ちょい待ち! 待った!!」
シカマルが焦ったように見せ掛け一歩踏み出そうとしていた次郎坊に止めに入る。
シカマルは演技する。次の一手の為に。
「オレ達は戦いに来たんじゃない! ただ、交渉しに来ただけ……」
「…フン。だったらこりゃ何ぜよ!」
シカマルが次の一手への時間稼ぎを気づいたのかは分からないがそれを途中で止めて鬼童丸が両腕を振るう。
鬼童丸の振るう両腕の先には細いワイヤーが括りつけられていた。
辺りは鬼童丸が張った罠で死角など見当たらない。防御の術に長けた鬼童丸に死角などそれこそ存在しない。
そしてその鬼童丸のワイヤー先には、
「チッ!」
キバとシノとチョウジにリーがいた。しかし、チョウジは腕に締まったワイヤーに痛そうな表情を浮かべている。
最初に飛び込んできたキバの不敵な笑みに左近達は不振な表情を浮かべるが答えが出るよりも幾ばくか早くキバは行動に出た。
キバの右腕には煙玉が握られていた。市販よりも少し大きめの特注物だ。
キバは当然のようにそれを投げた。
この場で有効な術、シノの虫を使った術とシカマルの影真似の術、そして白眼を使った天穴の攻撃だろう。
数年も木の葉に潜伏していたカブトの情報でそうくるだろうと皆が知っていたが埃被っていた知識を引き出すよりも速く一人の男は動いていた。
「……何だ? 体が……」
シカマルが考えた計画に本人が失敗する訳にはいかない。そして今日のシカマルに弱音を吐く余裕など無かった。
「ここまでうまくいくとは思っていなかったぜ…ありがとよ」
シノとネジが構える。シカマルが動きを止めた後に完全に再起不能にする計画は今のところ順調過ぎた。
大丈夫だ、その時シカマルは確信した。
影真似の術に抗える者などそれこそ天と地ほどの差を持つ者だけ、それをシカマルは知っている。中忍試験の際にナルトに強制的に解除されたこと以外今までに一度とさえ抗えた者などいなかった。
影を捕まれたらもう二度と自分の意思で動く事は出来ない。自由がなくなる、翼を失った鳥はもう二度と空へ羽ばたけない。
シカマルがネジに柔拳で攻撃してもらうよう命令しようとしたときシカマルが確信していた勝利が瓦解した。
「まいったな…こんなに早く右近の出番が来るとはな…」
喋る事までは出来る、そう分かっていたシカマルは信じられない物を見た。
突如三枚の手裏剣がシカマル目掛けて飛来してくる。シカマルの影真似の術の効果を知っているだけに他のメンバーも反応出来なかった。
「チッ……ッ! 何でだよッ!」
二枚までは避けられた。それでも最後の一枚がシカマルの肩に刺さった瞬間、影真似の術が解けてしまった。
「無駄な抵抗ごくろうさま」
次郎坊が素早く印を結ぶ。自ら防御のスペシャリストと言うに相応しい手際の良さと印を組む早さだった。
そしてシカマル達が慌てている内に大地が割れ新たに円形に作りかえられていく。
「うわっ!!」
十人もの人数を囲ってしまう土の牢屋は瞬く間にシカマル達を閉じ込めた。
中から騒ぎ声が聞こえる。それを聞いて左近達は馬鹿にした笑みを浮かべてこう言った。
「チャッチャと行くぞ…」
鬼童丸がナルトを入れた棺桶を背負って歩き出したが次郎坊だけは残っていた。
「悪いな…少し腹が減ったから食わせてもらうぞ」
意地の悪い笑みを浮かべながらそう言った次郎坊に多油也が苛立った声をあげた。
「間食ばっかしてっから太るんだよ、デブ!」
「チャクラを食っても太るのか?」
「知るか、デブ」
「帰ったらカブト先生に聞くことにする」
そう言ってまた土のドームへ視線を戻した次郎坊に皆が呆れて音の里の方向へ向かっていった。
「せいッ!」
リーの正拳で壁に大穴が開くがすぐに回復していく。その様子にシカマル達は顔色を悪くしていく。
「どうやらただの土の壁じゃないらしい……」
ネジの常に冷静の声にも多少焦りが含まれていた。
すでに感じているだろう。この虚脱感を、チャクラを吸い上げられていく喪失感を。
「マズイぞ…チャクラがどんどん吸い取られている」
白眼を発動させたネジはそのチャクラの流れを見つけた。しかし、それを防ぐ術は無かった。
「中忍試験じゃ見せなかった手だ…こいつらあん時、手ェ抜いていやがったなッ!」
キバの叫びは厭に響いた。そしてそれを次郎坊も聞いていた。
「貴様らなんぞに本気になる必要がどこにある。下らん奴が揃うと更に下らなくなるな」
次郎坊の嘲笑、木の葉の忍び全てを侮辱する言葉だった。
「お前らの誰が隊長だか知らないがな、どうせ役立たずだろ?」
「テメェ! 言わせておけば調子に乗ってんじゃーーーーッ!?」
キバの叫びは途中で止まってしまった。
それは突然の揺れのせいで、
それは突然の殺気のせいで、
それは突然の友の怒りのせいだった。
目を配ればそこにチョウジがいた。壁に拳を突き出した状態の、チョウジがいた。その壁はリーの正拳よりも粉々に砕かれていた。
「皆が僕の事をどう思っているかは知らない」
チョウジの喋るごとに体中に充満していたチャクラが右腕に収束していく。
「少なくとも、僕は自分が我慢強いと思っていた」
まるで螺旋丸のように、だが回転することなく何重にもなる様にチョウジの右腕を覆っていく。
のけ者にされてもいつかは仲間に入れてくれる、そうチョウジは信じていた。
我慢はいつもしてきた。我慢は慣れている。そう思っていたチョウジは今、簡単に死んだ。
魂を燃やす、そう表現していいほどにチョウジは大量のチャクラを右腕に集中させている。
何かとシカマルは自分を守っていた。幼かったチョウジはそう解釈した。こんな自分といるよりも皆で忍者ごっこをしている方が何倍も楽しいだろう、そう幼かったチョウジは常に考えていた。
同情されている、そうとも考えたチョウジは守られる存在から守れる存在に強く憧れた。
対等に、そう願い皆の見ていないところで強くなろうとしたチョウジはサスケと似ていた。だが、サスケのように名に奢ることなく静か過ぎていた故に誰も気づくことは無かった。
皆がチョウジを認識し認めるようになって対等に扱われるようになってからチョウジの中身は徐々に丸くなっていたが、それは簡単に壊れた。
次郎坊の言葉によって。
「僕の仲間は誰一人も下らなくないッ!」
自分の知っているチョウジの動きじゃない、皆はそう思った。
そう思ってしまうくらいにチョウジが豪快に振るった拳は最も硬い壁を突き抜けてそのまま次郎坊すら吹っ飛ばした。
「ぐおッ!!」
次郎坊の苦悶の声、そして瓦解する次郎坊の土遁結界。
十数メートル吹き飛ばされた次郎坊とそうさせたチョウジを見て呆けるネジ達は恐る恐る外に出た。
「皆、先にナルトを追いかけてて」
少し痩せたチョウジがそういった。誰にも非を唱えさせない重さがあった。
「大丈夫なのか?」
「そっちこそ大丈夫なの?」
ネジの心配すらも逆に問うチョウジ。いつもと違いすぎるチョウジに皆が困惑する。
「どういう意味だ?」
「いつまでも下に見るなよ」
そう言ってチョウジは兵糧丸が入れられた袋をシカマルに放り次郎坊の方へ走り出した。
起き上がろうとしていた次郎坊の顎に痛烈な膝蹴りが入りまた次郎坊は空を舞った。
「僕の仲間には下らない奴なんて一人もいない。そう思っているのは僕だけじゃないよね?」
チョウジが頼ってくれと言ったのに最初に気づいたのはシカマルだった。シカマルはそれと同時に気づいた。今まで頼っていたと思っていたのはただ単に仲良しごっこだったということを。本当に真剣な場でチョウジに頼ったことが一度も無いということも。
「絶対に追いついて来いよ…俺達は待ってねぇからな!」
待つことすら今では使えない。チョウジなら追いつける。自分の力だけで追いつける。シカマルはそう刻んだ。
「チョウジ一人で大丈夫なのか?」
誰かがそう言った。この時、既にシカマルにとって隊長という肩書きは関係なかった。
隊長として部下を見るのではなく友として横から見ていた。
「俺には信じられない仲間なんて一人もいねぇぜ」
笑おう、そしてアイツが戻ってくるのを待っていよう。それがシカマルの友としての全てだった。
「同感だ」
そう言ったのはネジだった。
小さなため息、ネジが今まで感じてきた物の全てがそれで流されていった。
「まったく…後輩に色々と学ばせて貰うとは思っていなかったよ」
彼を追うだけで周りが見えていなかった時期を振り返るネジに待っていたのは久しく感じていなかった温もりだった。
「アンタは頑張り過ぎなんだよ、少しくらい甘えることも覚えな」
ニヤリと笑うシカマルにネジは苦笑した。
「だとよ、リー」
「らしくないと言ったらそうですけど…偶にはいいですね」
リーも満更ではない表情だった。中忍試験の前でも後でもネジの中身を占めていたのはナルトという壁だった。蔑ろにされていたのは同じ班の二人、それが漸く溶けて混ざった。
班とは器、ネジやリー達はその中にいた料理の材料。
一緒にいるだけで混ざり誰をも魅了するような料理になれなかった。やっと混ざり合った。そう時間は経たないだろう、最高の一品(班)になるのに。
「速さはあっちがナルトを連れて行っている分こっちのが速い! 追いつけるぞ!」
「お前…中忍試験では手を抜いていたのか!」
起き上がってきた、確か次郎坊と呼ばれていた男が立ち上がり次第そう言った。
手を抜いていた? そんな訳が無いじゃないか。あの時は全力を出した。
痛いことは嫌いだからね。
「シカマルが負けちゃったからね、あれ以上勝ってても意味が無かったんだ」
結局はこれだ。
僕一人でやっていける自信なんてなかった。いつだって助けてくれる人が必要だった。
自分は弱いです、そう思わせていたんだから。
「ふざけるな! 勝って笑っていた俺を心では笑っていたのか!」
「まさか、チョウジは弱いんだ。常に皆よりも弱くないと駄目なんだ」
ただのチョウジは弱いんだ。誰かに守ってもらわなければならない位に弱いんだよ。
だけど秋道チョウジは違うよ。皆と対等でなきゃいけないんだ。強い、そして仲間を重んじる皆と一緒じゃなきゃいけないんだ。
「だけどお前はシカマルを侮辱したね?」
「それがどうした?」
随分と余裕だ。これは何かあるんだろう。
だけど大丈夫。秋道チョウジは強い。皆と対等じゃなきゃいけないんだ。あの天才であるシカマルや誰よりも努力したリーや同じく天才であるネジとも、そしてナルトとも。
何かをされる前に倒せばいい。大丈夫、秋道チョウジならやれるよ。
「それがどうしたと言っているんだ!」
ああ、無視してたみたいだ。
せっかくカッコつけたんだ。最後までカッコよく行こう。
「喋るな、デブ」
シカマルを侮辱した罪は今の僕には許せそうに無い。