何もできなかった。
アイツを前にして、私は何もできなかったのだ。
この命、捨てる覚悟さえあったというのに、私は舞台に立つことさえ許されず、ただ見ているだけだった。
呪印に支配され、四肢さえろくに動かすことができなくなった体で、私はただ見ている事しかできなかったのだ。
暗部が、仲間が、一人、また一人と殺されていくのを。
………
……
…
(私は夢でも見てるの?)
ありえない現状にそう思わずにはいられなかったのだが、痛む呪印が皮肉にも現実ということを認識させてくれる。
(なら、あれは何だというの?)
アンコの視界に写る二人。
一人は自分のかつての師、大蛇丸。
この状況を、暗部四人の死体を作り上げた張本人だ。
もう一人は自分が死の森まで案内した少年、君麻呂。
彼は、私が動けなくなるとほぼ同時に姿を消したのだが、今はその姿を現している。
その二人から聞こえてくる会話。
信じたくはないが、二人の会話を聞く限り、君麻呂が大蛇丸の部下というのは間違いないだろう。
ただ問題なのは、彼が大蛇丸相手に一歩も引かず話しているという事だ。
そして聞こえてくる二人の笑い声。
(…何なのよいったい)
「アンコ」
唐突に自分の名前を呼ばれ、思考は中断された。
「で、大蛇丸様」
「なにかしら君麻呂」
「俺は、というか俺たち三人は、このまま試験に参加しててもいいんですか?」
「いいわよ」
大蛇丸は迷うことなく、簡潔に一言で答えた。
「いや、でも大蛇丸様の部下って事、アンコさんにばれちゃってるんですけど…」
「その事なら大した問題じゃないわ」
問題ないってどういう事だ? まさかアンコを殺して…
「アンコ」
唐突に名を呼ばれたアンコ。
僅かだが体が動くのが見てとれた。
恐らく、この状況で自分が呼ばれるなんて思ってもいなかったのだろう。
だが、そんなアンコを無視して大蛇丸は続ける。
「あなたを苦しめているその呪印、それと同じの物をさっき、うちはの少年にプレゼントしてきたわ」
「くっ…勝手ね……いくらうちはといえども、死ぬわよその子……」
「そうね、生き残るのは10に1つの確立だけど、あなたと同じで死なないほうに私は賭けるわ」
「えらく気に入ってるのね……」
「まぁね、あなたと違って優秀そうだし、何より、容姿も美しい─」
「それが一番重要なんでしょ…」
ボソッとつぶやくが、大蛇丸には無視された。
「あの子が生きていたとしたら、面白いことになる。くれぐれもこの試験中断させないでね。もし私の楽しみを奪うような事があれば……木ノ葉の里は終わりだと思いなさい」
言い終え、大蛇丸は瞬身の術でこの場を後にしようとするが、
「え、それだけですか?」
俺のこの言葉に反応し、術を中断する大蛇丸。
「警告、これだけで十分だと私は思うけど」
「は? そんな冗談ばっかり……大蛇丸様なら、アンコさんを殺して口封じとか、このまま拉致っちゃうとか、上手い具合にこの時間だけの記憶を消すとか、いや待てよ、でもそれだと暗部の死体が─」
まだ続けるつもりだったが、ふと殺気を感じ止める。
視線を向けると、こっちを半眼で睨んでいる大蛇丸がいた。
「君麻呂、あなたが私の事どう思ってるかよーく分かったわ」
そのままですよ。と言いたかったが何とか踏みとどまる。
「えーと」
返事に困りながら必死にどうすれば良いかを考える。
「…あっ、そういえば大蛇丸様。この試験で貰った巻物持ってません?」
話をそらすことが、考えて出た答えだった。
苦肉の策だったが、以外にも大蛇丸は乗ってきてくれた。
「巻物? 一応あるわよ」
一応という言葉がひっかかるが、まぁ貰えるなら良いとしよう。
上手い具合に話もそらせたし。
「じゃあ、その巻物下さい」
「良いわよ、ちょっと待って頂戴」
そして俺は激しく後悔する事となった。
………
……
…
「受け取りなさい」
言われるが、俺は受け取るのを躊躇していた。
というか、これは誰でも躊躇するだろう。
むしろ絶対に誰も受け取りたくないはずだ。
「ほら早く」
巻物は俺の目の前で揺れている。
問題なのは、大事な巻物が大蛇丸の舌に巻かれているという事。
それだけなら舌が触れてないところを触れば問題ないように思えるが、そうはいかないのが現状だ。
理由は巻物の出てきた経緯にある。
思い出したくもないが、例えるなら……そう、例えるならピッコロ大魔王が卵を産むみたいな感じだ。
胃の辺りが僅かに膨らみ、次いで喉が異様な形となり、そして口から「オエッ」という声とともに出てくる。
こんなの厚手のゴム手袋を三重にしたのがなければ無理だ。
だが、今この場にそんな便利な物はない。
「早くしなさい」
覚悟を決めるしかなかった。
「じ、じゃあ受け取りますよ…」
返事はなく、目の前の巻物が縦に揺れた。
「ほ、本当に受け取っちゃいますよ!!」
「いいから、さっさとしなさい!」
舌を出しながら器用に喋れるな、と感心していたが、目では必死に安全ポイントを探していた。
そして見つけた場所にそーと指を近づけていき、
『ヌチャ』
俺は心の中で泣いた。
何か大事なものを無くしたような気がして……
「さて、アンコ。この試験には君麻呂を含めてウチの里から六人ほどお世話になっている……楽しましてもらうわよ」
その言葉とともに大蛇丸は姿を消した。
残されたのは満足に体を動かせないアンコと、俺の二人。
とりあえず、あの状態のアンコに攻撃されることはまずないのでその点は安心だ。
問題なの巻物─よく見れば、所々溶けてるよう気がするが─これをどう所持するかだ。
まず、このまま手で持っていくのは却下。
長時間指で持っていたら、指が溶けていきそうで怖い。
かといってこのまま懐に仕舞うのは、絶対に嫌だ。
ならどうする?
何かで包む。
何で?
辺りを見渡して使えそうなの……あった。葉っぱだ。それもいい具合に巨大な葉っぱ。
とりあえずこれで包んで、巻物はこれで良いだろう。
後はこの指。
汚れてしまった指。
「クサッ!!」
思わず臭いを嗅いでしまった。
これは不味い。
俺は歩き出しアンコに近づいた。
アンコは怖い目で此方を見ているが、そんなのに臆している場合ではない。
そしてアンコの眼前まで近づき、視線も同じ高さになるように屈んだ。
「…何するつもり…」
「何って…」
改めて見る。
目の前には美女。
しかも自由に体を動かせない。
………
……
…
俺はアンコの服に手をかけた。
「くっ…」
アンコはこれから起こる事を想像してか唇をかみ締めていた。
そんなアンコを見つつ、俺は服にかけた手を擦り付けた。
「…へ?」
間抜けな声をだし、アンコはキョトンとした目でこちらを見ている。
だが、俺は擦り付けるのをやめない。
「ちょ…何してんのよアンタ!?」
「何って、拭いてるの。指と手を」
「…………」
「…………」
拭き終わり、恐る恐る臭いを嗅いでみる。
「…くっさー!! やっぱ水で洗わなきゃ無理か…」
「え、何、何なのよ?」
アンコはよく分かってないようだ。
とりあえず、拭いていた場所付近の布をアンコの鼻へと近づける。
「!? クサーイッ! 何なのよコレ?」
「大蛇丸様の─やっぱ言いたくない……アンコさん、水遁の術使えません?」
「つ、使えないわよ! それよりも大蛇丸のなんなのよーっ!!」
死の森にアンコの絶叫が響き渡り、俺は水をどうしようか必死に考えていた。
「よいしょ……っと」
多由也たちに聞かれれば、『オヤジくさい』と言われそうな事を口にして地面へと腰を下ろした。
静かに耳を澄ませば、風で揺れる木々の声が聞こえる。
ふと見上げれば、揺れる木々の隙間から星の光が見えた。
ここが『死の森』という事すら忘れさせる雰囲気ここにはあったのだ。
「……で、どういうつもりなのかしら?」
隣から発せられた声。
俺はゆっくりと視線を移し、聞き返す。
「どういうって、何が?」
「……何でまだアンタが此処にいて、あまつさえ私の隣に腰を下ろして落ち着いてんのよ」
少しの間を置き、アンコは呆れたように口にした。
「何でって? アンコさんを殺すため」
迷わず告げ、アンコの方へと手を伸ばす。
距離は2メートルも離れてない。
この距離ならば、据わっている状態でも一瞬で殺すことができる。
「呪印のせいで、体まともに動かせないんでしょ?」
「クッ……」
「大蛇丸様はああ言ったけどさ、アンタを生かしておいても邪魔にしかなりそうにないし。何より、俺が大蛇丸様の部下って事、木ノ葉の他の連中に知られたら動きづらくなるからね。まぁ、そういった訳で、悪いけど死んでもらうよ」
「…………」
「…………」
「…なーんちゃって」
「へっ……」
差し向けていた手を下ろすと同時、アンコは間の抜けた声を発した。
ポカーンとした顔で瞬きをする事数回。
その姿に、思わず俺は笑ってしまった。
「その顔鏡で見たら? 結構すごいことになってるよ」
「…ふっ、ふざけないで!!」
「ふざけるね……でもさ、呪印で体が動かないのは本当でしょ?」
図星のことを言われてかアンコは何も言わない。
それを確認して後を続ける。
「さっき俺に聞いたよね。何でまだ此処にいるのか、って」
「えぇ聞いたわ」
「アンコさんを守るためって言ったらどうする?」
「……私を?」
頷くだけの簡単な返事をする。
「守るって一体何から守るって言うのよ。大体ね、今私にとって一番危険なのはアンタなんだから」
「それについてはまぁ否定はしないけど、今の状況考えてみたら? 近くには血を流した四つの死体。ここ、死の森って呼ばれるぐらいだから、血の臭いに誘われてくる獣だっているでしょ?」
先ほどと同じようにアンコは何も答えなかった。
「それを相手に、四肢もろくに動かせない今の状態でどうするつもり?」
「……じゃあ、本当に私を守るために」
「さっきからそう言ってるじゃん」
「…………」
「…………」
沈黙が辺りを支配する。
月明かりが二人を照らし、揺れていた木々も何故か不思議と動きを止めていた。
安いドラマや映画なら此処でキスシーンぐらいまで行くのかもしれない。
「アンコさん」
「…君麻呂」
だが、だが俺は違う。
「ウッソで~す」
直後、真っ赤な顔のアンコから鉄拳が飛んできた。
呪印で体の自由がきかないなんてウソぐらいの威力の拳が。
「アンタって、本当に大蛇丸の部下なの?」
怪訝な視線とともアンコが言う。
「そうですよ」
即答で答えたが、心の中では「残念ながら」という言葉を付け足しておくのを忘れない。
「アンタみたいなのが大蛇丸の部下っての、正直信じられないのよね」
「褒め言葉として受け取っておきますよ」
「褒めてないけどね」
適当に返事を返し、アンコは気になって口を開いた。
「ねぇ。初めて会ったとき、私の事知っていて近づいてきたの?」
「いや、あれはアンコさんが無理やり俺を拉致ッたような…」
「…………」
「…………」
「べ、別の質問をするわね」
その時の事を思い出したんだろう。
コホンと咳払いをして続けた。
「アンタは大蛇丸の下を離れようとは思わないわけ? 大蛇丸がどんな事してるかぐらい分かってるんでしょ?」
「人体実験とかでしょ。そんなのアンコさん以上に知ってるよ」
平静に言う俺が気に入らなかったのか、人体実験という言葉が気に入らなかったのかは分からないが、アンコは表情に怒りを表していた。
「ならなんで!?」
「なんで、ね。 じゃあ逆に聞くけど何でアンコさんは大蛇丸様の下を離れたの?」
「私は─」
「捨てられたからってのは無しだよ。捨てられても追いかければよかっただけの事だから」
遮るように言った言葉に、若干視線が鋭くなる。
「そうね、アンタの言うとおり私は捨てられた。でもそれで良かったと思っている。」
「良かった?」
「アイツの弟子だったとき、私は何もできなかった。伝説の三忍の弟子になれたことで舞い上がっていたのよ。実験の事だって知っていた。けれど、あのときの私は伝説の三忍の一人がする事に間違いなんてないって思い込んでいた」
「それで、大蛇丸から離れて間違いに気づいたと」
「えぇ」
頷いてアンコは地面へと視線を落とす。
「この呪印をつけられたときでさえ、私は大して疑問に思わなかった。本当、あのときの私はどうかしていたわ」
下ろしていた視線を戻し、真っ直ぐとこちらを見て続けた。
「師匠の責任は弟子の責任ってわけじゃないけどね、だから私は─」
「木ノ葉の里の忍びとして戦っていると」
「えぇ。誇りをもってね。 さぁ次はアンタの番よ、大蛇丸の下にいる理由を聞かせてもらえるかしら」
「簡単なことですよ」
先ほどのアンコとは違い、視線を空へと移し続ける。
「アンコさんには、大蛇丸様の下を離れても帰れる家が、木ノ葉の里という家があった。けど、俺にはそれが─」
まだ言い終えてないが、ふと感じた気配に話すのを中断した。
「アンコさん」
「分かってるわ、人の気配じゃないわね」
しばらくし、気配の持ち主である虎が茂みから姿を現した。
注目すべきはその大きさ。
動物園なんかで見た虎よりも、倍以上の大きさがある。
牙をむき出しにし、うなり声とともに此方を威嚇している。
「私がなんとかするから、アンタは逃げなさい」
よろけながらも何とか立ち上がるアンコ。
「って言われてもね、アンコさん、まだろくに体動かせないんでしょ。俺がやるからいいですよ」
「何言ってんの!下忍のアンタじゃ、アレの相手は無理よ!!」
下忍ね……
「まぁいいから、アンコさんはそこで見ててください」
「ちょ、待ちなさい君麻呂!!」
アンコの制止を無視して虎へと近づいていく。
虎も俺を獲物と決めたようだ。うなり声が一層に大きくなった。
「フッ。ネコ科の分際で、この君麻呂様に牙を向けるとは……愚かなり!!」
最後の言葉とともに虎へと殺気を向ける。
一瞬の間を置き大人しくなった虎。野生の動物だけあって、自分と相手のどちらが強いのかすぐさま理解したのだろう。
「…何をしたのよ」
アンコにはまったく理解できなかった。
一瞬で大人しくなった虎、そしてその虎に手を差し出す君麻呂。
「お手」
「…………」
言葉が出なかった。
虎もどうしていいか分からず困っているようだ。多分。
そして、『ガブッ』と音が聞こえてきそうなほど簡単に君麻呂の腕が食べら─
「き、君麻呂!?」
駆け出そうとするが体が自由に動かない。
このままじゃ君麻呂が─
「この馬鹿虎がー!!」
もう片方の手で虎を殴り倒していた。
あの子の事、理解するのは一生無理かもしれない。
「本当に腕大丈夫なの?」
「まぁ鍛えてますから」
本当は食われる直前に骨で腕で包み込んでいたんだが、アンコはその事について知る術はない。
「アンコさんの方こそ、体、ちゃんと動くんですか?」
「え、ええ。まぁ流石に全快という分けには行かないけどね」
「じゃあ、俺行きますね」
そう言い残し、先ほどの虎にまたがりアンコの前から姿を消した。
「…面白い子ね……ってアタシ、あの子の話最後まで聞いてないじゃない!!」