<木の葉白亜邸にて>
「お茶なのですよ」
「おうサンキュー嬢ちゃん」
「ヒグサさんのは青汁が隠し味」
「健康的でえらく苦そうだなおい!」
「……先輩、みっともないので騒がないでください」
悩ましげに吐息を零すくの一。会うとは思わなかった人物の登場。
「けど紅よぉ、青汁はどうかと思うぜ? 七味ならまだしも……蜂蜜でもいいか」
「極辛党かつ極甘党という矛盾嗜好を暴露しないでください。警邏隊の恥です。赤っ恥です!」
「はっはっは、俺の名前も髪も赤いからなぁ! うまいこと言うじゃねぇかおい」
「そんなつもりはこれっぽっちもありませんっ!」
コントなのか漫才なのか、その定義はさて置いとくとして、朝っぱらから珍客二人。
ヒグサはともかく、夕日紅。現在中忍。何でいるんだろうこの人。
とりあえず家に青汁は置いてなかったはずなので、ヒグサの湯飲みを掠め取りさらさらと白い粉を注ぎ、ご返却。
「……刹那。何入れた今、ナニ注いでくれやがった」
「本能を活性化するクスリということで一つ」
「…………薬の発音がおかしかったような気がするぞ」
「(刹那くん刹那くん、それってたしか農家に届ける家畜の繁殖用の余りじゃなかったですか?)」
「(しー、ナズナ黙ってて。地位も力も名誉もある人間がどのようにして社会的立場を失うかの実験だから)」
「全部丸聞こえの上モルモット扱い!? つーかそんなんやりてぇなら自分で飲め! 八歳の身で二次性徴して見やがれこんのサディスト!」
「子供になんてこと言うんですか先輩!」
「こいつは餓鬼であってガキじゃねぇんだよ! 子供扱いしてたら逆に喰われんぞ!」
ぎゃーぎゃー勝手に言い争い始めた上忍と中忍。はい仲違い完了。扱いがどうの言ってるけど、こっちからすると扱いやすくてたまらない。
「久々にお前の恐ろしさを味わった……!」
こちらも勝手に戦慄してるシギ。どうでもいいか。
「それで、何しに来たんですか。夫婦喧嘩なら犬塚でやってくださいよ? 餌にならないって殴られますから、多分」
「今の発言には重大な過失があるため撤回願います、白亜の方。こいつとはただの上司と部下の関係であってええでなければとっくに闇討ちしています」
「うぉい、上司こいつ呼ばわりかよ」
「何のことでしょう先輩。いつの間に耳が老化始めたんですか。いえ、老朽化でしょうか」
バチバチと一方的な敵意が飛んでいる。最後には人扱いやめてるし。
んー……夕日紅ってもうちょっと穏やかな人だった記憶が。……ストレスかな。
ヒグサはヒグサでおちょくってるだけ。まあそんな重要人物じゃないし、心的過労にはしばらく耐えてもらおう。
「今日伺ったのは、昨日の一件についてこちらの対応が決まったからです」
「早いね」
「白亜との、ひいては柏との関係悪化は木の葉としても望むところではありません」
「……今思ったけど何で敬語なの?」
「柏の代表と思って話をせよとのお達しですので」
ふーん。これでも商隊の中じゃ計算係と護衛役ってだけなのに。
装丁の小奇麗な公式文書らしき巻物が取り出されて、テーブル越しに渡される。
めくって見ると、いろんな数字と謝罪文のあれやこれや。
「火影様が直々に足を運ぶとまで仰られたのですが、多忙の身でこちらまで手が回らず……」
「ああ、雲隠れとの外交交渉だね。まあシラを切られたら難航もするかな。……首都の経済と治安が安定してきたのもあっての作戦決行だったんだろうけど、最悪の最悪で木の葉との全面戦争も見越してたかもね」
「……は?」
「実際動いた人員に特上未満はいなかった感じしたから、一応は本気で狙ってたと――……なに?」
「いえ……その」
「よぉ、なんか見てきたように話すじゃねぇか。え? ホントに八歳? 変化じゃなくて? ……ってなところだろ、なぁくれな」
「チェスト」
どぐっ、と鈍い音。
ヒグサの脇に肘鉄を叩き込んだ紅は、机にうずくまる上司に目もくれず咳払い。
ストレスというか、ヒグサの性格に染まってるような。
「何? 雲隠れとなんかあってんの?」
「……シギ、この世には知らなくてもいいことが」
「オーケイ、やばそうだから話すな」
知ったところでホントは何の害もないけれど。
「コホン……話を戻しますね? そこにある通り、木の葉からは賠償金の他、公的な謝罪の場の用意、また赤蔵ヒグサ上忍の謹慎処罰なども用意しており――」
「ん、全部要らない」
轟、と手の中でチャクラが燃え上がり、巻物を灰と散らした。
「……な……」
「不要だよ、こんなの」
愕然とした面持ちの紅に告げる。
「赤蔵上忍が僕を襲った理由はこちら側にある。言うなれば僕の不始末で、自業自得。そこに何ら怨恨も理不尽も覚えていないし、むしろ感謝の念を抱いている。よって木の葉から補償金等を受け取る理由は一切存在しておらず、また赤蔵ヒグサ個人への処罰も再考のほどをお願いする」
「…………………………」
「何か不満が?」
「いっ、いえそうではなく! ……とにかく、上層部へはそうお伝えします」
立ち上がった紅とヒグサを玄関まで見送り、プライスゼロな笑顔で手を振った。
「今度来るときはお酒用意しときますね。ケーキではなく」
扉を閉める間際に言い残し、凝然と振り返った夕日紅にくすくすと笑いかける。
こういう愉しさは、久しぶりだった。
「……私の好き嫌い、話しましたか?」
「いつそんな暇があったよ。あいつと顔合わせるのはこれでやっと三回目だっての」
ならば何故、酒と口にした。お茶菓子なら分かる。それは普通だ。普通の応対だ。
ケーキを用意しないと言った。大抵の女性は甘いケーキを好む。だけど私は嫌い。好きな物は焼酎やウォッカ、趣味は晩酌。
それを。
「何で……知ってるの……っ!」
それに、あの瞬間。
不満なのかと聞いた瞬間。
少年の絶えず浮かべていた笑みが変質した。皮膚や筋肉は微塵も動かなかったにも関わらず、纏う気配が一変した。
それはほんの一秒にも満たない間で、消えてしまったけれど。
鳥肌が立った。
今も、立っている。
十にも満たない少年が放つ、理解不能な圧力に。
「だから言っただろうが。あいつは餓鬼であってガキじゃねぇってな」
いい歳した女性の頭をポンポンするなクソ上司。
「あれでまだ八歳だぜ? 五年後はどうなってんだか想像もしたくねぇ。ありゃぁ天才っつーより一種の人災、天災の類と思った方が分かりやすいな。次勝てるか怪しいしよ」
「? 引き分けだと伺いましたが?」
「ばーか。嬢ちゃんが乱入しなかったら今生きてたか不明なあいつと、そん時もピンピンしてた俺を比べりゃ一目瞭然だろうが。……けどなぁ、お互い加減してたしあの餓鬼不調だったみてぇだからなぁ……」
などとぼやく上司は常日頃から豚の餌にしてやると画策しているのだが、戦闘技能に関してのみ腹立たしいまでに図抜けているので、この発言はちょっと意外。真っ向勝負なら五影にも勝つと豪語する不敬だというのに。
まあ、他はてんでダメなのだが。だから私が付けられたのだが。正直、アカデミー教師でも何でもいいから殺人的に仕事放り投げるこいつと離れたいのだが。
それでも戦闘だけは認めざるを得ない執行上忍が、勝てるか分からないと口にした。
(……なるほど)
あの圧力は単に―――火影やこの男が放つものと同種なのだ。
例えるなら濃密な殺気であり、闘気……あるいは、鬼気。ただそれが、僅か八歳の子供に放たれたせいで、混乱しただけで。
「……カカシ上忍の再来ですか」
「カカシというか――いや、細かいこたぁいいんだよ。六つで中忍だろうが八つで上忍だろうが、要は強ぇか弱ぇかだ。んなことよりよぉ、謹慎解除祝いに飲み行こうぜ? たまにゃ奢ってやらぁ」
「言いましたね? では先に隊舎へ戻ります」
「おう。今回の報告ぐらいは任せろ」
……行った? なら急いで全員に伝えないと。ヒグサ上忍が全員分奢ってくれることを……ね。
ともあれ、白亜というものが油断ならない存在と理解できただけでも、いい経験になったはず。
そして天災呼ばわりされた少年はというと。
「刹那くんっ、室内で物を燃やさないで下さい! お掃除が大変です!」
「あー……ごめんね。手伝う」
「風遁、は余計に散らかるか? ……使い方次第か」
怒られながら雑巾を絞っていた。
<ある夜の群雲な邂逅>
――――意味が分からない。
ではなく、意図が分からない。
適当に金を持っていったのはこちらであるし、それ故に取立屋なり督促状なりが送られてくるのは自明の理。
だが、そこでなぜうちはイタチが出てくるのか。
木の葉隠れから数か月前に行方知れずとなった名門うちはの直系長子が、なぜ。
(……こんがらかってきた)
差し出された督促状らしき紙を前に、シズネは頭を抱えるのだった。
「……さっぱり理解できないな。理解できないことだらけだ、イタチ。お前が木の葉を抜けたこと。五行のトップ、笹草新羅と繋がりがあるらしきこと。そして借金の取り立てなどという瑣末事にお前を遣わしたこと。……何一つとして理解不能だ」
「安心しろ、俺も理解できていない」
「…………何だと?」
「俺は単に、新羅個人へ言伝を届けただけだ。帰るついでにちょっと渡してほしい、大抵の人間じゃ追い返されるだろうから……と、頼まれはしたが」
「……まあ、色々と言いたいことはあるが、それはそれで、お前が瑣事を引き受けたことの方が問題になるな」
綱手の声が、ややトーンを下げた。
「お前の里抜けに、新羅は関係しているのか?」
「……さあな。現役を離れたロートルに何を話しても無駄だろう」
ピシッ、と青筋が走る。
「――そう、新羅が大仰に溜息しながら漏らしていた」
「目に浮かぶようだよあのクソガキィっ!」
さりげなく――でも何でもないが、某くすくす笑いに濡れ衣を着せたイタチは、おもむろにその身体をやや横へとずらす。闇に紛れて飛翔した黒針が、何もない空間を貫き背後へ消えていった。
「気が短いな……まだ話の途中だ」
「本当に話をする気があるなら聞きますけど、雑談にしか聞こえないので」
しれっと言い返すシズネの腕には仕込み針。引き絞った弦を、今一度向ける。
「まあ待て、この紙切れはただの建前だ。実際の用件は別にある。……正しくは、新羅から貴女宛ての、伝言だが」
「伝言?」
「――『貴女が勝利するモノ。それは眼の前にある』」
無言が場に降った。しばらく佇み、変化がないと見るやイタチは闇に紛れた。本当に、ただの使いだったらしい。明細らしき封筒が一枚、ひらりと宙を舞って、シズネがそれを捕まえる。
間違いなく新羅の直筆。写輪眼で筆跡のコピーは可能だが、借金の請求に使ったところで意味がない。仮に偽物だったとしても新羅本人に確認を取れば済む話であり、わざわざ姿を見せて騙すほどの目的は、やはり見当たらない。
「結局、何しに来たんでしょう……。……綱手様?」
「……私が、勝利する――だと?」
振り返ったシズネは、息を呑む。主と仰ぐ綱手の、表情の険しさに。イタチと対峙していた時以上の、緊迫感に。
「目的は金か……? いや、あのクソガキが金なんて物のためにイタチを使うか? 有り得ん……なら何がある。こんな情報を私に寄越して新羅に何の利が――」
低く漏れる言葉が止まった。瞠目した綱手が片手で額を覆う。冷や汗が一筋、こめかみを伝う。
「そういう、ことか? だから、イタチ……なのか?」
「綱手、様? さっきから何を……」
付き人の声も耳に入らぬまま思考に没する。イタチの伝えた新羅の言葉、そこに示される暗喩計三つ。全てを理解した綱手は束の間瞑目し――腹を決めた。
「シズネ、督促状の明細は幾らだ」
「あ、はい。えーと……へっ!? あの、綱手様……」
「何だ、早くしろ」
「いえそれが……借金の請求どころか逆に小切手が」
「はあ!?」
奪うように封筒を改めると、シズネの言う通り小切手が切られている。それもちょっとやそっとの額ではない。
唖然とする綱手の手に、畳まれた別の紙が滑り落ちてくる。
『返済はしてもらいます。いずれまた、別の形で。好い旅を――――笹草新羅』
「……さっきから意味深な言葉ばかりですね。大体、何で旅……?」
「……シズネ」
「はい?」
何も分かってなさそうな付き人の顔目がけて言う。
「宿を引き払う。チェックアウトして来い。それから忍具の新調と医療秘薬の手配。増血丸兵糧丸は忘れるな。それに」
「ま、待ってください綱手様っ! どうしたんですかいきなり? あと一カ月は新羅さんの金で遊ぶって……それに、こんなのまるで戦仕度みたいな……!」
「急げ。多少ふっかけられても、金はある」
静かに付き人は息を呑む。付き人だからこそ主の本気を、その度合いを見て取った。
黙って一礼したシズネの姿が屋根の向こうへ消える。一人になった綱手は、ギリ、と苛立たしげに爪を噛んだ。
「あの蜘蛛め……! ああくそっ、下手に長居したツケが回ってきやがった!」
乱暴な口調で吐き捨て、ただ一文の手紙を握り潰した。
『いずれまた、別の形で』
「クソガキが……私の医療忍術を誰に使わせる気だ!?」
綱手が新羅に支払えるものは武力か知識か、医療の腕だけ。しかし前二つは、その『いずれ』が来た時にはきっと補完されているはずだ。故に――綱手の、医療技術。
謎めいた伝言。確定事項のような文言。それら全て、綱手が理解すること前提の、糸。
張り巡らされた、糸。
蜘蛛の、巣。
――気付いた時には、もう、遅い。
とっくの昔に絡め取られた後。
……そう、分かっていた……はずだった。
「……認めてやる。人の鼻先にエサをぶら下げて、人を操る手管は天才だ。ああ、認めてやる。この私が認めてやる。――貴様は、忌まわしいほどの大策謀家だ!」
一転、伸びきった弦が切れるように、怒気が萎む。
後に残ったのは、儚さにも似た何かだった。
「木の葉の三人と謳われる私を、ただの言葉でハメた奴なんざ、後にも先にもお前だけだろうさ……」
はあ。全身から力が抜けるような吐息。
「……あれで浮いた話の一つでもあれば可愛げがあるだろうに」
肩を竦めて、綱手は街の外へと歩き出し。
伝説とまで呼ばれる女傑は、日が昇る前に付き人を連れ、長く滞在した群雲を離れた。
「くすくす……ふふふ」
深夜の執務室に静かな笑声が木霊する。フードの奥で、赤い唇が薄く歪む。
「やはりイタチの里抜けは大きい……ね。もう何年か先だと思ってたけど……くすくす。手が早い早い」
考えてみると、あの組織に明確な参謀役はいなかったように思う。リーダーの発言がほぼ絶対。無論、総じて優秀な人間の集まりであるため、必要としなかっただけかもしれないが。
求められる役回りは知恵と資金と情報だろう。財布役と言うか、金庫役だ。
「そして重要なのは、僕の頭脳は知っていても血については知らないということ」
イタチの保証付き。そこだけ隠し切れていれば、これほどの機会もない。
椅子から立ち、新羅は背後の窓から月を仰ぐ。
「さて……落ちるか否か。どちらにしても、蛇の毒牙は刹那まで届かない。笹草新羅は、所詮鏡に映した虚像の人間」
ガラスに映る新羅の姿。虚像の、虚像。
「兜は野心が大きすぎるから要らない。五人衆は、骨と音と……あの双子ぐらいか。後は要らない。でもまあ……そうだね」
くす、と笑い。
「音隠れの里を乗っ取るのも、面白そうかな」
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生存報告的に投稿です。
九州なので直接的地震被害は受けませんでしたが……地震が南下しているような印象があるため不安。そしてこの小説の展開具合、続き具合も不安。
取り敢えず、今年もまた忙しくなるので、投稿は極めつきに不定期かつ怪しいとだけあらかじめ謝罪しておきます。
ではまた、いずれ。