昨日は疲れた。……肉体的にも精神的にも。
家に帰り着いた時点で義務的に目を覚まし、待機していた警邏の人と二言三言。主にマンションの修繕の話で、一応外から塞ぐだけは塞いだとのことだ。壁や天井の塗り直しなどはまた後日。木遁秘術をこの目で見られなかったのが、残念と言えば残念だけど。
……無闇に踏み込まれてたら、命の保証ができなかったかも。
火事場泥棒するような人間がいなくてよかったなと思う。貴重品や機密に類する物には封印系のトラップ仕掛けてたから、下手すると死体すら残らない。
「……ふぁー……あ」
大あくび。ちょっと寝過ぎた感じ。でもこれぐらいでいいのかもしれない。
朝の日差しにらしくもない寝ぼけ眼をこする。大きく伸びをしながらベッドから抜け出た。
「……今日、アカデミーあったっけ」
疲労はすっかり取れてるはずなのに、眠い頭はしぶとく労働拒否のストライキ。まだ寝足りてないのだろうか。
この三日食生活が荒んでたせいかも……なんて考えながらリビングへ起き出し、
「………れ?」
部屋の扉を開けた瞬間漂ってきた異臭にまず毒ガスを疑った。何の理由もなく毒ガスかと思う程きつい匂いだった。脳髄を直撃した刺激臭にくらっと倒れかかり、扉の端を掴んでどうにか立ち直る。
(び……BC兵器……?)
ともあれ、寝間着の袖で口と鼻を覆いつつ、眼球にまで刺激してくるため目を細めながら、そろそろと臭いの発生源へと進み、辿り着いた先は―――
「あっ、あっ、焼けちゃう、焼けちゃいます! 刹那くんの朝ごはんが―――っ!」
「……………………」
キッチンにて、食材のなれの果てと悪戦苦闘する幼馴染みの図。
悪戦苦闘も何も、勝手に自滅しまくってるだけな気もするけれど。
刹那は黙って、換気扇のスイッチを押した。
☆ ☆ ☆
有害物質に溢れた空気は換気扇と軽い風遁でまともなそれと入れ替わり、焦げ付いた生ゴミを少々処分したダイニング。キッチンの方角からトントントンっと小気味よいリズムが奏でられるのを、ナズナは床で聞いていた。
「ううぅ……刹那くんごめんなさいです。もう勝手にキッチン使いませんから助けてください……」
「ダメ。しばらくそのまま」
「あぅ……ウソがない分ダイレクトに言葉のトゲがささります……チクチクします」
床に転がったまま嘆くナズナの手足は、さながら前衛芸術のごとき角度で曲がってしまっていた。お仕置きに外された関節を一人で治せないナズナは、だから関節嵌めてと切に訴える。
「がんばったのに、疲れてる刹那くんのために必死で朝ごはん作ろうとしてたのに……!」
しくしくしくしく。さめざめ。
流れた涙が小さな水溜まりを作る頃になって、平皿を両手に持った刹那が横に立った。現金なもので、ナズナはパッと表情を明るくする。
「今朝は、サンドウィッチ」
とても淡々とした口調と表情は、昨日から。色んな嘘で取り繕うことをやめた刹那の、素に最も近い言葉と顔。
とても、綺麗。
だから、嬉しい。しっぽがあったら千切れるぐらい振ってるところ。
偽りなく虚飾なく、ただ心地がいいだけの言葉よりも雄弁に、“近く”なった証拠。
心の距離がずっとずっと、近い。それでもまだ、遠い。
つい最近、遠いだけで平坦だった道のりに、手ごわい障害物も現れたことだし。
ここで満足してはいけないのだ。油断は禁物。いつだったか制作した絶不評の闇鍋の如く、甘い見通しではいけないのだ。
そんな思いも新たに、お皿の上で並ぶサンドウィッチにナズナのお腹がぐぅっと鳴る。そして刹那は片方をテーブルに置き、もう片方をナズナから少し離れた床に置いて、
何故かそのまま椅子に座ってしまう。
「せっ、刹那くん!? あのあの、関節はめてほしいのですよっ?」
「ダメ」
ノータイムで、サンドウィッチをモグモグ。
まるで見せつけるようにごくりと嚥下。
漂ってくる芳醇で新鮮な香りと、普段なら手に届くはずの距離にあるじれったさが、ナズナの食欲中枢を痛打する。
「うん。美味しい」
「あ、あああっ……」
悲痛に呻いたナズナがもぞもぞ動く。お預けを食らったペットの気持ちが今初めて分かった。
「こ、これじゃ食べられないですからはめてください刹那くんっ!」
「…………」
シカト。
香ばしい匂いだけがナズナに届き、お腹がぐぅぐぅ食欲コール。
「おっ、鬼です、キチクです! こんなゴクアクヒドウなまねをするなんて、刹那くんの人でなし―――っ!」
「………」
刹那は取り敢えず口の中の物を呑み込むと、
「人でなしって……うん。よく知ってるけど、それが?」
「っっっ………!!」
事も無げに今さら何を言うのかと不思議そうな顔で肯定され、反論に詰まったナズナを置いて食事は進む。
結局五分ほどで許されたナズナは、再び椅子に着こうと背を向けた刹那に全力で後ろ回し蹴りを叩き込んだ。
勿論、あっさりと躱されたが。お返しとばかりにジャムパンを取られそうになって慌てて防御。隙を突いて卵サンドを奪おうとし、バチッと弾けた小さな雷鳴に全力で手を引っ込める。
微妙に食卓を戦場と化しつつ、朝の空気は和やかに過ぎて行った。
……性質変化のチャクラが飛ぶ食卓を和やかと呼んでいいのかという命題は、横に置いて。
☆ ☆ ☆
「最終的に、ベーコンサンド半分取られたのですよ……!」
ナズナはテーブルを叩きやってきたシギに向かって刹那の非道を切に訴えた。
斜向かいに座りながら、シギは呆れ返った声で返す。
「……昨日の今日だってのに、元気だよなお前ら」
というか、訴えられても困るのだが。自分の命運は刹那に握られまくってるので。
ともあれいつの間にやら元通りの見慣れた光景。ケンカするほど仲がいいという事例をこれまで実践する様子はなかったが、いろいろと心境の変化があったのだろう。
……特に、刹那。
食後のティータイム――にしては少々長いか。ティーカップ片手に、ゆるゆると流れる今という時間を楽しんでいるように見えた。飾り立てた笑顔はなりを潜めほとんど無表情に等しいが、微かに弧を描く口元はたぶん笑っている……のだと思う。
(……自信ないけどな)
意味もなくスプーンで紅い液体をかき回し、口へ運ぶ。相変わらず憎らしいぐらい美味くて眉間にしわを寄せた。お茶の心得はないくせして、何でこの腕なのか訳が分からない。刹那曰く、計算らしいが。
「なあ」
「ん?」
紅茶を口に含んだ対面の刹那に向かって、
「ヒナタと婚約したって聞いたんだが、マジ?」
ぶっ! と赤い液体を噴き出したのは刹那……ではなく、不運にも同じく飲みかけていたナズナだった。被害報告するとテーブルの一部が赤い飛沫に汚染。その様子にもまるで動じず、涙目で咽るナズナをフォローするでもなく、刹那は布巾を差し出す。
「汚い」
「はぅっ……!」
あまつさえ止めを刺す。ナズナの乙女心にぶっとい杭が突き刺さった。
淡々と言葉を飾らない分容赦もないNew刹那である。一瞬で大層なショックを受けた少女が萎れていく様に、シギは冷や汗。あれは己の未来かもしれないので他人ごとでは決してないのだ。
「……な、なんか、ナズナに厳しくなってないかお前」
「自分でいろんな判断を下せるようになったみたいだから、甘やかすのやめた。状況からあの秘薬を持って行くべきと考えたのが決定打。もう下忍じゃない」
刹那の中でナズナを中忍扱いすることが決まったらしい。……そのあたりの判断基準は、えらく高いようだが。今年の卒業生全員が束になっても多分ナズナに勝てないし。
心の中で合掌しながら、シギは昨日の光景を思い出す。
「……無茶苦茶怪しい薬だったよな、あれ」
口移しで……という事実は微妙に睨んでくる少女の手前、言わないでおく。この鳶色おさげ幼馴染キャラは、刹那という腹黒チートに師事してるせいで異様に強い。
転生者という精神年齢おっさんの意地でさすがに負けたことはないが。……負けたら多分枕を濡らしそうで。
「あの薬、効用は確かだけどちょっと問題があってね……」
忍者の秘薬は万能ではない。効果が強いほど副作用も相応に強く、きつい。
抗がん剤を思えば分かりやすいか。しかし絶対とは言えないあれと違って、基本的に秘薬は効果が確実に出るのでいくらか優秀かもしれない。
ソーサーにカップを戻した刹那は憂鬱気に続ける。
「うちの先祖が大昔に偶然作り上げたらしいんだけど……材料が大変なんだ」
材料? と首を捻ると、刹那はゆっくり頷いた。
「薬効はチャクラの劇的な増加と肉体の回復促進。いくらなんでも臓器の全損とかは無理だけど、大抵の致命傷なら八割方蘇生できる。しかも副作用がない」
凄まじい効能だった。というか破格すぎる。
「でもあの薬……いんだ」
「え?」
聞き返すと、刹那は無表情にもどこか沈痛なものを混ぜて、答えた。
「高いんだ、材料費が。一回分作るのに五千万かかる」
「……………………………………うぇえっ!?」
円……なわけなく単位は両だから、日本円で時価五億……!
素っ頓狂な声を出してしまったシギをだれが責められよう。効果が効果なら値段も値段。破格に過ぎて、むしろ原価割れだろおい!
――そう、忍者の秘薬に万能完璧などないのである。
……ちなみにSランク任務の報酬が一回数百万である。
「う……何なのですかその目は」
「いや、豪快だなあと」
正直自分じゃ使いどころに迷って手遅れになりそうな予感。
「ううぅ、分かってます、分かっているのです! ナズナだってできることなら使うのではなく売りたかったです!!」
「おい」
「ですが……刹那くんの命には換えられないのです……」
どこまで本気か分からない言葉の後、悄然と肩を落としたナズナから本音が出てくる。
「俺も刹那に死なれると困るしな……お前今度からもうちょっと自重してくれ頼むから」
「相手がシギくんだったら天地がひっくり返っても使いませんでした……」
「よし、ちょっと表出ろナズナ。見解の相違をそろそろ正そうじゃねえか」
「きゃーだれかたすけてせくはらぼうかんあっきらせつなへたれがー」
「棒読みだからって何言っても許されると思うなよテメェ!?」
バチバチと火花を散らし、互いの存在意義的な何かをぶつけ合おうとしたところで、出し抜けに凄絶な殺気。
「―――僕、今日は動く気分じゃないんだけど?」
風遁のチャクラを練り込んだ千本が、絶対零度の眼差しとともに二人の額を照準していた。
「……はい、すみません」
「ごめんなさいです……」
無条件降伏はきっと世界一正しい選択のはず。
玄関のチャイムが鳴ったのは、そんな時。
☆ ☆ ☆
「っだぁああああああああああああっっっ!!!」
「つ、綱手様、近所迷惑ですよもう真夜中なのに!」
「知るかっ! 酒を買う金もないんだ負けた腹いせに叫ぶぐらいせんで気が晴れるかぁっ!」
肩で風を切るように歩く綱手の後を、オロオロしながらついてくシズネ。
雷の国の首都、群雲においては既に見慣れた光景と化しつつある。
「……どうするんですか。せっかく帳消しになった借金、また雪だるま式に膨らんでるんですけど」
「ちっ……仕方ない。また新羅の奴にたかるか。……ああ、ついでに酒が出るとなおいいな」
「…………あの人綱手様が持っていった額きっちり計算してますよ? 良心的ですけど、利息込みで」
「何だと? あのガキ魅惑香の安全保障をしてやった恩を忘れやがって……!」
「いえ、お代としてそれ以前の借金白紙にしてくれてますけど」
冷静に指摘すると、ふと真顔に戻った主が視線を向けてくる。
「……シズネ、良心的な利息なんて裏情報……誰から聞いた?」
「へぅっ!? そ、そんなことどうだっていいじゃないですか!?」
突然取り乱した付き人に、得心のいった綱手は意地悪な笑みを浮かべた。
「ははぁ……さてはあのツムジとかいう新羅の側近だな? そうかそうか。お前にもやっと春が来たか」
「ちちち違いますよっ! ツムジさんとはそういう関係ではなくてですね、お互い大変な主人を持った気苦労を分かち合う間柄と言いますかっ!」
「ほーぅ、大変な主人ねぇ……」
「っ!? ごごっ、ご誤解です! 今のはほんの言葉の綾で!」
「いいさ。分かってるさ。どうせ私なんか付き人に苦労をかけるしか能のない借金女王さ」
「つ、綱手様ぁ~……」
危うく涙目になるかというところで、綱手は微笑一つ、溜飲を下げる。
と、その目が刃物の如く鋭く光り、闇の奥へと注がれる。一拍遅れて、シズネも気づく。
「誰だ!」
誰何は厳しく、それだけでビリビリと肌が震えるよう。
数瞬の間を置き、警戒の眼差しが向く先で、闇夜から滲むように人影が浮かび上がった。
その面立ちに綱手は目を細める。その赤い双眸にシズネは目を見開く。
「……現役を退いたとは言え、伝説の三忍とまで謳われた私の前に顔を出すとはいい度胸だ。木の葉からもお前の一族からも、手配書が回っているぞ」
――その才、若くして至高の頂に手をかける。
齢十三にして暗部の分隊長へ昇りつめた鬼才。
一族の歴史においても五指に入るだろう天才。
「―――うちはイタチ。木の葉から遠く離れたこの街で、なぜ私の前に姿を現した……?」
「…………」
沈黙したまま、赤い雲の紋が彩る漆黒の衣にイタチは手を差し入れた。
ザッ、と綱手の前に出て、シズネもまた袂に手を忍ばせる。一挙手一動を、綱手は睨み。
今にも弾けそうな緊迫感の中、イタチがそれを取り出した。
「―――督促状だ。新羅から預かってきた」
「「……………………………………はぁ!?」」
ホー、とどこかでふくろうが鳴いた。
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う~ん、落ちがイマイチ。それと私生活が忙しくなったので、今後の投稿が危ぶまれるゆめうつつです。今回少しグダグダな回。タイトルもちょっと思いつかなかった。
はきさん、以前酔っぱらった時シギはいませんでしたよ。ナズナは熟睡中で、目撃したのはアゲハだけです。……チャクラの脳内物質がどうとかですが、この世界、実際に魂があるのでその線はなしということで。精神エネルギーは魂から吸い上げる力という認識で一つ。
シヴァやんさん、やー、幻術は効くと思いますよ? あれは外からの同調操作ですから。それと、ナズナの認識は多分それぐらいで合ってます。
jannquさん、チート気味に書いてみましたよ~。ノーカン議論は気の持ちようとしか言いようがないですよね。
トネさん、……まあ露店で買った劇薬ということで。ヒグサは強めの設定で。
あー、次がいつになるか全くわかりません。あらかじめ宣言しておきます、申し訳ないと。