「よーぅ、嬢ちゃん起きてるかー?」
「……また来たのですか。毎日毎日ヒマそうでうらやましいのですよ。ああ、忍びがヒマというのは世間さまにとって喜ぶべきことでした。つまり仕事がない方が世の中の役に立つのですから早いとこクビになるべきです」
「…………」
何か口が悪くなっていた。一歩下がって距離を置く。
「……なあ、なんで俺こう酷いこと言われなきゃならんわけ? 泊めてあげるよう口添えしたのも俺なんだけどさぁ?」
ヒグサに話題を振られた中忍警邏は無言で職務に取り掛かる。今の今までめくっていた小説を放り捨て、即座に事務仕事へ打ち込む姿勢は優れた対処能力を窺わせる……のかもしれない。
木の葉の里に点在する警邏隊隊舎の一つ。以前はうちは一族が中心となって行われていた警備活動も、ここ何ヶ月かで大幅な見直しが図られている。それもこれも一族そろっての里抜け許可を合法的にむしり取るような真似をされたせいなのだが、
(好きにしろとは言ったけどよぉ……ここまでやるかフツー?)
又聞き程度の知識だが、うちは一族の全滅は正史に記された事実だったはず。それもかなり悪趣味というか、救いのない結末に終わったような。
それを変えるどころか根本的にぶち壊してくれやがったので、主に里内の警備に携わるヒグサとしては面倒極まりない事態。仕事仕事と大わらわ。
……いつものごとく部下に押し付けて巡回中なわけだが、さておき。
「ほいこれ。頼まれてたモン」
「出すのが遅いですけど一応お礼を言ってあげます。感謝するがいいです」
振り返った拍子にぴょこぴょこ揺れる、少女のおさげ。
「……。まあ、いいけどよ」
言葉遣いとか、口調とか。なんかそれっぽいけど無理に作ってる印象があって。しかもプッチンプリン片手に言われたのでは、逆に微笑ましいみたいな。背伸びしてる子供の典型……とは方向性が違うけれども。まあ、そんな感じ。
巡回途中で偶然見つけたはいいが、泣いてばかりで話は要領を得ず、ひとまず近場の隊舎まで連れて帰ったのが三日前。根気よく丸一時間なだめてどうにかこうにか事情を聞いたのだが。
(……聞かなきゃよかったなぁと心から)
日向とか、ヒナタとか。平穏無事がモットーの自分にとってできるだけ避けようランキングトップスリーたる『接触with原作キャラ』に抵触していて、これはまずいと思いつつも時遅く、木の葉の治安を預かる一員として面倒を見ないわけにはいかなくなっていた。
更に悪いことには、帰りたくないとかゴネやがったのだこのお姫様は。家を調べようにも黙秘する上、保護者に連絡みたいな強行措置を取ろうとすれば舌を噛むと脅す。気絶させようかとも思ったが、それも見越したようにカシワ商隊と木の葉の友好関係が云々かんぬん。
お手上げ、とヒグサは諦めた。よく回る舌だった。呆れるほど。誰を見習ったのか知らないが、師匠は余程捻くれた奴に違いない。あ、刹那か。
「……先輩、頼まれてた物とは?」
「あ? ああ、あれな。タイトルは確か【明るく楽しく尋問入門♪】だったっけか。いやー、最近のガキはマセてるねぇ」
「…………それは、マセてるんですかね?」
俺が知るかと手ごろな位置にあった後ろ頭をはたく。現実逃避していたのを思い出させるな。
「つーかさぁ嬢ちゃんよぉ、いつまでいる気? もう三日経つんだが、いい加減帰らねぇ?」
「たいしゃの人たちは親切です」
本に向かって眉根を寄せつつ答えるお姫様。ちなみにこれは比喩でも何でもなく、文字通りの意味だから手に負えない。
「んなっ、何を言っているのですかヒグサ上忍!」
「そうですぞ! 砂漠のオアシスは貴重なのですぞ!?」
「それをあろう事か帰れと言う! くっ……これだからエリートコースは!」
「死んでください」
(……ちょっと、こいつら焼き殺していいかなぁ…………?)
部下も同然の連中が漏らした本音に殺意が湧く。けどまあ、気持ちは分からないでもないので我慢我慢。
男ばかりのむさ苦しい隊舎に突如居座ることとなった少女である。くの一である。それもカワイイ系なのである。何やかやと皆が皆世話を焼く。笑顔でお礼言われる。ああ癒される……みたいな。
悪循環か否かはともかくとして。
これが年頃だったら絶対口説かれているな、とヒグサは一人蚊帳の外で思うわけだが。それもこれもくの一の絶対数が低いせいだ。きっと。
「刹那だっけ? あいつも心配してると思うんだがよぉ……意地張ってないでさっさと顔見せに行った方が――」
「ナズナは要らない子なのです」
ポチャン、と落ちた水滴が波紋を呼ぶように、唐突に言ったその言葉は場に染みた。
頭の後ろで長い三つ編みにした少女はページに目をやったまま、波紋を広げる。
「もちろん、きゅうきょく的なきょくろんのお話ですけど、ナズナは刹那くんにとって、絶対ふかけつな人間ではないのです」
「……………………」
ヒグサの出したハンドシグナルに、黙って従う隊舎の忍びたち。音もなくその場を離れる。
立ち入った話、込み入った話を、聞く権利がある者は限られる。そのあたりの配慮は、時に権力者の護衛もする忍びならではの配慮か。
「刹那くんは勝手なんです。いつもいつもいつも、勝手に全部進めて、ナズナに黙ったまま終わらせて、その結果も教えてくれません」
憤懣を訴える少女の横顔は、けれど本に集中しているとしか思えない静かなもの。
パラ、とページがめくられる。
「幼馴染みの女の子A」
読めない文字に、辞書を取る。
「それ以上でもそれ以下でもないのです」
探し当て、読み進める。
「そばにいたら嬉しいけど、居なくてもいい。……そういう、認識なのです。この間のことで、はっきり分かりました」
『やっぱり、ちょっと気が早いですよ。……僕とヒナタの婚約なんて』
「全然…………早いなんて、思ってないんです……」
「…………」
その言葉が何を意味するのか、ヒグサは知らないし、深くにまで踏み込みたくないと言うのもある。だがそれでも、つくづくこの世界の子供は早熟だと、ヒグサは胸中で嘆息を零した。時に有り得ないほど早く、若く、心が成長期を迎えてしまうのだ。
それは、良いことなのだろう。
それで、命が助かるのなら――だが。
「……で、それが何で勉強に繋がるんだ?」
ヒグサが見る先、隊舎の事務机を不法占拠する少女の前には、ズラッと積み重ねられた書物の山。
三日の間に、読めるだけ読んだ知識の跡。
修行を欠かすことなく、それどころか一層励んでいたのを、仕事の合間に見ていた自分は知っている。
だから、無下には追い出せないでいた。本当に、一生懸命、己を高めようとしていて。
……それとも、不純な己の動機と端を異にするひたむきさに、中てられたか。
背後で僅かな自嘲を唇に刻んだヒグサに気づかず、ナズナは本に目を落としたまま。
「べつに……これまで通りです」
理解できないところにチェックを入れる。
「刹那くんに必要とされるために、がんばるんです」
本当は、少し違うけれど。
必要ではなく、認められるために、愚直に精進する少女は、
「ナズナは、ナズナですから」
理解しがたい子供の理論で、そう締めた。
「…………………………………………そうかい」
踵を返し、ヒグサは隊舎の外へ。集中し始めた少女を置いて、空を見上げる。
「………ふむ。業務外だが、偶には働かんと、あいつから文句言われるしなぁ」
生真面目にすぎる専属部下の顔を思い出しながら、ニィ――と、その唇が吊り上がり。
「そろそろ燻っていたところだからよぉ……ついでだ。まあ悪く思うな、二十歳未満」
影を残して、身は瞬き消える。
その場に緩く、火の粉が散った。
「……刹那と日向の長女との婚約、ねぇ」
ガラゴロと、回る車輪の屋根の上、幌の上を陣取るアゲハは頬に手を当て悩み中。長い水色の髪が、風にそよぐ。
「う~ん、良かれ悪しかれ……困ったわねー」
『……呑気だな。仮にも一応息子の人生かかってるわけだが』
「人生なんて自分で決めてなんぼよ眩魔。それが生涯の伴侶ともなれば尚更。本気で好きなら法も規律も知った事じゃなく勝手にしなさい~……ってね」
かなりどころでなく無茶を言うアゲハに、眩魔は呆れたように白い目を向ける。
『……お前は凄まじく勝手にやったな、そう言えば。それに応えたアイツもアイツだが、おかげでカシワ商隊はあれから一度もあの国に商いできていない』
「……ええと、まあ、元々閉鎖的で行きにくいところだったから別にいいのよ、別に。それこそホント今更なのよ。もっと建設的で機知に富んだ話題を振ってちょうだい」
『んじゃ、刹那後宮物語なんかどうだ』
「?」
疑問符を顔に浮かべたアゲハへ、鏡の中からニヤッととした笑いを送り、
『顔いいし演技できるし話術巧みだしお妾さんなんかいくらでも作り放題! コロッと墜として一夜限りの愛を育み去っていく! しかし女は忘れられず我が子にその面影を見いつの日か再会する日を願う……なんて麗しき人間愛!』
「どこがよ!? 完っ全にプレイボーイな最低男じゃないっ! 大体後宮じゃなくて結婚詐欺よそれは!」
アゲハの激しい突っ込みにもめげず、ハイな眩魔は妄想を垂れ流す。
『ある日ある時目を付けてしまったその娘はお姫様! またある時は資産家令嬢! そしてまたある時は清楚な薄幸の美少女に狙いを定め喰らい去っていく! ……養育費置いて』
「…………」
『…………………………………ま、まあ冗談だが』
「……いいかも」
『うぇっ!?』
まさか肯定されるとは思ってもみない眩魔は逆に面食らった。え、いいの? ケドよく考えてみればそれはそれで面白そう――――と言いかけて軽蔑しきった水色の眼差しに思い留まる。
「――なーんて言うわけないでしょうこの変魔っ!」
『変っ!? だっ、誰がヘンマだ何変換してやがる! この、この阿修羅王の化身がっ!』
「変換じゃないわ合成よ! もしくは省略っ、変態眩魔ですなわち変魔! ……っていうか、誰が阿修羅ですって?」
氷柱の如き視線と声音にヒートアップしていた眩魔の肝が冷える。やば、地雷踏んだ。
生まれ出でた冷え冷えとした沈黙を意にも介さず馬車はガラゴロ進み……やがて氷解した空気を追い出すようにアゲハは嘆息。ふと、思い出したように手鏡を見下ろした。
「馬鹿話は取り敢えず脇に置いて―――婚約はともかく、ナズナちゃんはどうしてる?」
『………………。………………………………ただいま絶賛家出中』
あちゃ、とアゲハは顔を覆った。まさかそこまで大胆な行動に出るなんて。
「直情径行なあの子らしいと言えばあの子らしいけど……」
ほんの僅か、口をつぐみ。
「――刹那は?」
『…………』
沈黙が何よりもその答え。アゲハは天を仰いだ。こんな時分に青空は、少々小憎たらしく思えてしまう。……気分が落ち込むよりはマシとは言え。
「日向の一件は裏目に出たのかしら。……いえ、遅かれ早かれこの事態は織り込み済み。後か先の違いしかなかったのなら、木の葉という安全地帯にいるだけいい。……はずよね」
『最後の一言が余分だぜ?』
「その一言が余分よ。いいから刹那には充分注意を払っておいて。最悪の場合に備えて……ね」
『……ったく、世話が焼ける』
鏡面が細波を打ち、茫漠と漂っていた気配が掻き消える。アゲハは小さく息をついて、幌の上からひょいと中を覗いた。
荷台には巻物が雑多に積み重ねられている。十や二十ではきかない、百を超えようかという巻書に埋もれるかの如く、水色の頭がひょっこり見えた。
「……巻物を布団代わりにするような忍者は、多分貴方だけよ刹那」
鏡像分身で同行することに何の意味があるのかと思っていたが、まさか術の研究時間に充てるためだったとは。極小チャクラじゃ修行することも護衛することもできない、その時間を割り当てるとはアイディア的に感心した。
「あと……一ヶ月」
視線を馬車の進路方向に向けたアゲハは、急な風に乱れた髪をかき上げた。子持ちとは思えない若々しい面差しに憂愁が影を落とす。
もうすぐ一年。約束の期間が過ぎる。すぐ傍に刹那はいたけれど、分身に肉体的な成長は期待できない。どれだけ大きくなったか楽しみで、同時に『今』我が子を助けられないことが歯痒い。
残る木の葉への道程は一ヶ月。ガラゴロとそれを消化する轍の音が、青空に吸い込まれていった。
お茶をすする音が、昼の白亜邸を占領していた。むしろその音しかしない現状にシギは冷や汗。苦手克服用に貸してもらった幻術関係の書物もまるで頭に入らない。
シカマルあたりが好みそうな爺むさい湯飲みを両手に抱えて、向かいの席で刹那はぼーっと中空を眺めている。たまに瞬きとお茶を飲むための動作がなければ、瞼を開けたまま寝ているかと思うくらい、まるで生気がない。
「…………。……なあ、刹那?」
「……」
夢遊病者のごとき表情で刹那が茶をすすった。視線は怖いほど一点を向いたまま揺れない上、目の焦点がどこかおかしい。夜中に人形と目が合ってしまったような不気味さで、さっきから否応もなく鳥肌が立つ。
その時救いの如く鳴ったチャイムにシギは玄関へ走った。瞬身まで使う全速だった。できるだけ同じ空気を吸いたくなかった。狂人と一緒に牢へ押し込まれたらこんな感じかも知れない。とにかく救われた思い。応対の声が上り調子になるのも仕方がないだろう。
「はいはーいどちら様ですか、っと……お?」
玄関先に珍しい顔を見つけ、少し驚く。チャイムを鳴らした少女は予想してなかった人物の応対に慌てた様子で。
「あ……し、シギくん。こっ、こんにちは……! あの、ええっと…………。……ま、また今度来るね!」
「待て引っ込み思案、頼むプリーズ俺を一人にするなーっ!」
何の用で来たのかはともかく、自分だけが犠牲にされてはかなわんと哀れなヒナタを引きずり込むシギだった。
「あーっと……で、刹那? それともナズナに何か用? 悪いけどナズナは留守だし刹那は今使いモンにならないぞ」
無駄に広い白亜邸のそれでも掃除の行き届いている別室で、シギは勝手知ったる風に二人分のお茶を注ぎ羊羹を切った。ちなみに和室で、冬場にはこたつにもなる座卓の向こうでヒナタがちんまり正座している。
「使いもん……って、なにが……?」
「……知らん。つーか理由は俺が知りてえ。ナズナは三日前から行方不明だし」
台詞の後半にお茶を飲みかけていたヒナタが噴いた。げほげほ咽せながら確認を取る。
「……そっ、それ、本当っ?」
「マジだよマジ。おかげさまで刹那の奴折れた苦無より役に立たねえし、何があったのか話そうともしないし」
一昨日まではまあ良かったのだ。だが昨日の朝から見るからに様子がおかしくなり始め、今では悟りを開いた即身仏のごとき有様である。木の葉を丸ごと陥れた神算鬼謀は見る影もない。
「……。アカデミーが休みで良かったね」
「同意。まあ、普通に休み取ってたと思うが」
その三日前からアカデミーは何故か全面休校体制が敷かれていたりする不思議。しかし里抜けした身でありながら未だ木の葉に留まるうちはの情報網は思っていたよりも生きており、下っ端にも含まれないシギでさえいくつかの情報を耳にできた。
曰く、日向で何かがあった。
曰く、それにカシワ商隊が関わっていた。
曰く、雲隠れと警備体制がどうのこうの。
まーた刹那が何かやらかしたのかと息せき切ってきてみれば、当時はまだ健在だった口八丁に流されあれよあれよと今の事態ができあがり。
さすがに自分が不甲斐なく思うシギである。
「……そういやヒナタは日向だったよな。それも宗家の。何か聞いてない?」
「何か、って言うほどは何も知らないけど…………、せ、刹那くんが、父上との仲を取り持ってくれたことくらい……かな」
名前を言おうとしてその顔を思い出してしまい、ヒナタは隠すように顔をうつむけた。日向当主な父親から好感度を上げてこいと送り出されたのが恨めしかった。……ナズナちゃんみたいなアピール……無理です父上。
「…………ヒナタと日向当主の、仲立ち……?」
カクン、とシギの顎が落ちていた。
「うそぉっ!? 日向って昔から家庭事情というか親戚事情が雪の国より冷たい極寒状態って聞いてたのに! ヒナタの親ってヒアシさんだろ? どーやってあの頑固オヤジさんに仲良くしましょうなんて頭下げさせるわけ!? っつーかそれもだけどネジとの確執もどうにかしましたとかまさか言わないよな!?」
「………く、詳しいね、シギくん……」
呆気に取られたヒナタの目が丸くなり、我に返ったシギはげふんげふんと咳払い。
「それはそのあれだ! うちって結構大っきい一族だから色々里の噂とか入ってくるの! そう、何もやましいところはないっ! 絶対!! OK!?」
「え、う、うん。……おーけい?」
「オーケイだ。よし、それでヒナタの用事って何? なあ」
勢いで了解を取りそのまま話題を逸らすシギだった。ほとんど前世知識だから今のは非常に危なかった。ギリでセーフ、と胸を撫で下ろす。
「今までヒナタがここ来たことないから多分知らないと思うけど、俺たち休日の昼間は大抵どっか行ってて留守なんだよ。運がよかったな。いや、悪いか? 刹那に用なんだろ?」
「そ、そう……だけど。えと、私の用事はまたでいいから。でも……そっか、………ナズナちゃんあれから帰ってないんだ」
「……なんか知ってるわけ?」
問われたヒナタはもじもじと。また顔がうつむき、今度はシギも気づいた。微かに髪の間から覗く顔やら耳やら、見えにくいがなんか赤い。
はて? と首を傾ける。
「……い、言わなきゃ、だめ?」
「だって刹那このまま放っておくわけにいかねーし」
できることなら放っておきたいというのが本音。だが刹那にはうちはの一件で大きすぎる借りがある。約束もした。次に助けるのは自分の番だ。
シギに促され、観念したヒナタはますます身を縮こまらせた。刹那に借りがあるのは、自分も同じだったから。
「……その、ね。まだ決まってなくて……だから、返事を待ってる段階で……」
「何の?」
「……………………」
蚊の鳴くような声で囁かれ、シギは身を乗り出す。
「私と刹那くんの……こ…………婚………約………………」
「……………………………………………………………………………………え?」
あれは人生最大の衝撃だった。
と、のちにシギは語る。
そうして。
シギのショックと比例するように白亜邸が揺れたのは、直後だった。
コポコポコポ………。
急須から、お湯を注ぐ。絞りきって出涸らしもない、白湯に等しいお茶を黙ってすする。そう言えばシギがいないな、とすり切れた思考力で思った。
「…………ふぅ」
小さく、吐息。空っぽの湯飲みを見下ろした。
今の自分は、多分これと同じなのだろう。外側だけで虚ろな中身。どれだけ外面が立派でも、内面が伴わなければ無意味だというのに。
体は借り物。心は仮初め。唯一なるは知識のみ。
ふっと浮かび上がった言葉に、自嘲の笑みさえ出てこない。それはそうだ。空っぽなのだから。
空っぽだから、いつも装っていた。けれど、
「…………」
せいぜい一日二日で帰ってくるだろうと、見越していた予測は、甘かったらしい。取り敢えず、眩魔が無事を確認しているそうだが、居場所までは教えてくれなかった。無事ならいいかと、自分も捨て置いた。
三日前の朝。一人分も二人分も料理にかかる労力に大した違いはないと分かった。作り置きした。
二日前の昼。貼り付かせている笑顔を保つ必要がないと気付いた。笑顔を消した。
昨日の早晩。眠らなくとも疲れを取る方法を思い出した。要は脳が休めればいいのだから簡単だった。
そして今朝。不意に思った。
これじゃ、前と一緒だ。
何も望まず、何も思わず、要と不要に切り捨てる。無機質にそれを繰り返す。何が欠けてこうなったのか、と原因を探し求めるまでもなく、はつらつとした少女の顔が浮かぶ。今頃何をしているのか。蕎麦ばかり食べていないかだけが気がかりだ。栄養バランスが悪い。
(……気がかり?)
≒心配、憂慮、心労、懸念、etc. ――つまり、自分はナズナを心配している?
(……なぜ?)
本当にいてほしい人間は世界にたった一人だけ。それ以外はただのおまけ。いてもいいけど、別にいないから困るとは思ってもいない。シギも、我愛羅も、カシワ商隊も、そして当然ナズナも。いつでも切り捨てられる側に置いている。捨てる際の、順番が違うだけで。
役に立つから、捨てないだけで。捨てる必要が、ないだけで。
(という、前提で)
感情のままに突っ走る、少し力がある程度の子供なんか、要るわけがない。それが幼馴染みでも、邪魔にしかならないモノをそばに置いておく価値などない。
不必要、なのだ。
――不必要、なのに。
(心配、している)
矛盾、だ。……矛盾、で。
思考を、打ち切った。
ループ、しないよう。
考えすぎて、脳が焼き切れないよう。
また、吐息。茶葉を入れ替えるべく、席を立ち。
「っ!」
―――視線。
ベランダの窓を振り返った瞬間、赤熱した何かが強化ガラスを溶け破り、その穴から拳大の丸い塊が複数、床に転がる――前に、刹那は隣の部屋へ身を投げ出した。
ヂヂ、と。火花の音が耳に鮮やかく。
一瞬の滞空を挟む間もなく、かつてない威力の火薬が炸裂し、
部屋を、蹂躙した。
「よーぅ、生きてるか十九歳。あ、そろそろ二十歳だったか?」
焼けた空気とガラスや調度の散乱する室内に踏み入り、燃えるように逆立ったその赤い髪の男は、開口一番馴れ馴れしくもそうのたまった。
脈絡のない襲撃と襲撃者に、まるまる数秒思考停止に陥った刹那が、瞠目してその名を口にした。
「ヒグサ……さん?」
呼ばれた長身の男は、答えるように唇を歪ませ。
反射的に、刹那のあるかなしかの生存本能が警鐘を鳴らす。
それは、
とても獰猛で、
とても凶暴で、
とても危険な、
―――狂笑だった。
「個人的にちょいと焼きを入れに来たぜ。遊ぼうや、白亜刹那ぁっ!」
手加減なしの、ただ焼き尽くすためだけの純然たる炎が、
猛然と、刹那目がけて噴き荒んだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
更新、です!申し訳ないですけど前後編。後半は3月までに上げたいなと思っています。
……というか、前回のは少々内容が薄かったようで、つっこみどころもなかったようで、感想がたった二つという哀しさ。……やはり内容が伴わないと感想は貰えないかと猛省です。濃く書けるよう頑張ろうと思います。まあ、その分遅いですけど。
realさん、日向はほとんど終わりました。でもってまたヒナタ出てきました。どこまで原作と離れてしまうかはお楽しみにしていて下さい。
はきさん、ナズナのことに関してはこの回で理解いただけたかと。ヒグサは一発のつもりはないので、これからも出しますよ。
……そういえばリリカルの方が全然進まないですね。内容に詰まりました。……やれやれです。