蕎麦。
ソバの実を原料とした麺類の一種。
ぶっかけ、ざる、つけそば等々、具まで含めれば種類は膨大。
麺の打ち方やつゆの作り方一つで、味は天と地ほども差が生まれる。
今更説明するまでもないナズナの大好物。何がそこまで惹きつけるのか、刹那の頭脳をもってしても解は見出せないのだった。
で、そのナズナだが。
「はう……至福です……!」
――――なんか、溶けてた。
ふにゃぁ、って。
丸い座卓を我が物顔で(人さまの家なのに)占領し、どんぶりを合わせて十ばかり左右に積み上げ、満腹満足そのものな感じでとろけていた。
いつの間にスライム化したんだろうと思う。
「最高です……ヒナタちゃんのお家お抱えの蕎麦職人さん……ぜひナズナとも専属契約を結んでほしいものです……」
「それじゃ、僕の蕎麦はもう要らないね」
ビシッ、と音が聞こえるほどに凍りつく、弥遥ナズナの彫像。否、氷像。
「せ、せ、せ、刹那くんっ!? いえあのそれは別にそういう意味ではありませんなのですよ!?」
「うん、そうだよね。素人が作る蕎麦よりプロのが美味しいのは当たり前だからね」
「そっ、そそそそんなことはっ!」
「いいんだ。別に悔しいとかはらわた煮えくり返ってるとか怒髪天を突くのを必死にこらえてるとか、そんなことは全然ないよ?」
「あううっ? ウソじゃないのに言葉のトゲが鋭すぎますっ!」
「でも、ちょっと哀しいかな―、なんて。……裏切られたのかなー、なんて」
「最後ぼそっとつぶやいたのがとっても怖いのですが!?」
知ったことじゃない。
「って刹那くんどこへ!?」
「取り敢えずヒアシさんのところ。お腹いっぱいで動けないナズナはそこで待っててね?」
「気づかうようで毒吐いてません?! 嫌みですか皮肉ですか罵倒ですかっ!?」
気のせい気のせい。
ともあれ名残惜しくも何ともない一時の別れを告げて、ヒナタの案内の元、当主の待つ部屋へと足を向けた。
「くすくす」
「……た、楽しそうだけど……いいの? ナズナちゃん、あのまま放ってて……」
「半分じゃれ合いだからね。半分僕の遊びだけど」
気遣わしげに振り返ったヒナタに、刹那は軽く応じる。
ヒナタも混ぜて遊んでも良かったけれど、早く帰ろうと思うので部屋の外で待ってもらっていた次第。これぞ時短テクニック。
「嘘だけど」
「え?」
何でもないと片手をひらひら。
「ところで僕が色々隠し事してる件についてだけど」
「あ……うん、その……、す、すっごく、強かったね?」
「できれば秘密にしといてね……騒がれるの嫌いだから」
騒がすのは好きだけど、と言うとヒナタは控えめに笑い、了承してくれた。まあ、本当の理由ではないが。
木造の廊下をしばらく歩き、辿り着いた襖の前でヒナタが形式張った声をかける。
「刹那くんを連れてきました」
「入れ」
低く重い声に従い襖を開けると、
――――なんか白眼がいっぱい居た。
あれが……とか、柏の……とか。
ひそひそ話なら他でやってもらいたい会話がそこここで。
「ご迷惑をおかけしましたこれで失礼します」
「まあ待て」
ヒアシさんに止められる。
厄介ごとの匂いがする。
どうしたものだろうか。
……さりげなくヒナタに袖を掴まれてるのもどうしたものだろうか。
「えーっと……必要事項は火影さんに話したはずですけど」
「そうだな」
「もう明かせる手札も何も残ってないんですけど」
「構わん」
「……用事も特にないのですが」
「こちらにはある。座れ」
「…………」
ヒナタを見る。目を逸らされる。
日向の重役っぽい人たちを見る。値踏みされてる感じ。
ヒアシさんは……良く分からない顔。言葉で形容できない、微妙な表情。
「あー……長くなりそうなので、先に手洗いに行っておきます」
「早めにな」
取り敢えずヒナタに手を離してもらって、教えてもらった道筋から近場のトイレに入り、すぐに印を組んだ。
「――結界構築、と。眩魔?」
『くくっぷ、っひゃっひゃっひゃっひゃっ!』
「……何笑ってるわけ」
『いやいやいやいや……これは笑わずにはいられないねマジで』
はあ?
『まあそう構えるなってことだ。お前にとって悪いことにはならねえ。初代に誓って俺が保証してやるよ!』
甚だ当てにならない。が、眩魔にとって水鏡の初代はそれなりに重いらしく、よって信憑性もそれなり。
「逆に不安になってくるんだけど」
『……お前でも不安を感じたりするのか?』
「目に見えない未来のリスクを数値化してるだけ」
『結局数字かよ』
眩魔はつまらなそうだけど、数字の何が悪い。この世で起こりうる全ての事象は数字で表せるのに。……無論認識できる事象に限るが。
手洗い場の鏡で、何のつもりか逆さまに、こちらを見下ろしながら眩魔は言う。
『とにかくだ。向こうの提案に乗るも反るもお前の自由。どっちにしても先の話だしな。アゲハに聞いても多分同意見だと思うぜ? この果報者!』
そして消える。捨て台詞とは違うが似たようなものを残して。
「今日はもうゆっくりしたいのになー……」
具体的には、帰って寝たい。寝てばっかだけど、明日の朝までぐっすり寝たい気分。気分というか、体調だけど。
とりあえず話があるならさっさと終わらせてほしいなーと思いつつ、さっきの部屋に戻って日向ヒアシその他と相対。……何でヒナタが隣に座るのかが分からない。さっきからなかなか目を合わそうとしないし。
「こちらとしては早く帰って寝たいので、お話は手短にお願いします」
「……ふむ。本来は長く時間をかけるべきものだが、本人がそう言うなら、遠慮は無用か」
これを、と差し出されたのは、金箔で縁取りされたひどく値の張りそうな、少し厚みのある紙。はて、と内心を疑問符で埋めながら手に取り、二つ折りの中を改めた。
「………………」
チラ、とヒナタを横目でみると、すごい勢いでこっちを窺っていた視線をあらぬ方に背けた。髪の毛から覗く耳が、燃えるように赤く赤く、染まって。
「あー……なんて言うか、困ったなー、っていうのが正直な感想ですけど」
「悪い話ではないと思うが? 互いが互いにプラスとなる要素を持っているのだ」
「それでも、ちょっと気が早いし、話も急だと思います」
「そうでもない。元服前の頃より話を通しておくことは、大名家でもよくある。忘れたわけではないな? 我らは日向一族。木の葉最強の名家であるぞ」
……まあ、そうなのだろうが。実際、もしもの時に日向という後ろ盾があるのは心強い。
ただ、木の葉との繋がりが強すぎると、中立を旨とするカシワ商隊の存在意義が崩れる危険性もある。眩魔は無責任なことを言っていたが、少なくとも個人で決定できることではない。お母さんにも相談しないとさすがにまずいし。
長い大戦が終わってようやく五年が過ぎようとしている今、確かに各国で早婚が奨励されているのは事実。どこも失った人材を補充しようと必死。そこで、日向のような名家がより強い力を取り込もうとするのはある意味当然の選択だ。大名なんて存在があるせいか、結婚可能年齢が男女ともに十五歳前後なんて認識になってるし。……そもそも明確に法で決まってなくて適当なんだけど。貴族の特権的に大名が側室娶るせいで一夫一婦制ですらないんだけど。
それにしたって。
「やっぱり、ちょっと気が早いですよ。……僕とヒナタの婚約なんて」
ガッシャン! と陶器の割れる音に全員が目を剥き、襖の向こうで誰かが駆けていく足音に腰を上げようとするのを、刹那は溜息とともに制した。足音だけで、それが誰なのか分かっていた。
こちらを見るヒアシに疲れた視線を向けて。
「ナズナのこともあることですし、ね」
「…………」
「確か、弥遥ナズナと言ったか、あの少女は」
ヒアシから向けられた言葉に、黙ってヒナタは頷く。
襖の向こうに割れた丼と中身の蕎麦が床を汚しているのを見て、刹那は謝罪しつつナズナの後を追っていった。今日の返事はまた後日、母とも相談したのち日を改めてお答えすると言い残して。
「刹那本人にその気はなさそうだったが……こじれると、多少厄介ではあるか」
柏という商隊に属することを除けば、何ら目立つ所のない血筋の少女だったはず。日向ヒアシは、そういう意味で敵にはならぬと踏むが、幼い子供というのは感情が先に立つ。その点、白亜刹那は子憎たらしくも優秀極まり、娘の相手に不足はないのだが。
まあ、それはそれとして。
「積極的でこそないが、さりとて否定もしなかった。この反応、どう見る」
投げかけた問いに、ざわざわと。銘々の返答。古い人間が多く、故に柏の有用性を知る者たち。賛成者が多い。だが破談となった場合に備え、候補の家にそれとなく仄めかしておくべき……か。
「ならばそれで行こう。刹那が柏と連絡を取れるのも数日から一週間はかかる。この件については応答があり次第また席を設けることにする。以上」
そうして、一族の中でも有力な人間が去った広間。
二人きりで居るには広すぎる空間で、親子は再び向かい合った。
「お前はあの子の……ナズナのことを?」
「大体みんな……知ってると、思います。分かりやすくて……告白はしてないらしいです……けど、でも刹那くん自身は、分かってて放ってる節があるみたいで………」
「…………そうか。成程、応える気はない……いや、まだ恋愛に興味がないといったところか」
死ぬかもしれない拳打の最中にあって、尚笑っていられる子供。大人びているのか、達観しているのか。何にせよ、浮ついたところが想像できないのは確か。
「婚約がなされたとして、祝儀を挙げるには早くて五年……六年。柏の流儀に従うならば、嫁に行くのが妥当であろう」
年中諸国を回る行商という立場上、木の葉隠れに縛り付けるのは不可能。
「その時には……分家の者を一人、付き人として出すことも考えておかねば」
「………」
「?」
反応がないのを訝しく、目の前で手をひらひらと振っても焦点が動かず。
……これは、もしや。
「本気で、惚れたか?」
「っっっ……………ち、ちが………そんな……………!!」
「赤い顔で否定されてもな」
う、とヒナタはのどを詰まらせる。両手をやたら複雑に動かして、反論しようと一人百面相して、ついに諦めたのか頬を染めたままうなだれて。
「…………」
成程。これはなかなか。
楽しいかもしれない。何とはなしに、ヒアシは思った。
一方その頃。
「……眩魔、どっち行ったか分かる?」
『シラネ。後始末は自分でするって常識だろー? 若人よ、とりあえず苦労を知れ。真の人間関係はそこから生まれいずる!』
「…………ナズナに土中泳魚教えたの間違いだったかな」
『逃走用に必要だって言ったのはお前だがな。そらどうするこの無責任野郎!』
「土遁適性だったからね……ていうか昼間の件もあるしいい加減その不当な罵声をやめないと、」
『何だ脅迫かぁ? お笑い種だな死なねえ俺に向かってよ!』
「――――鏡の宮殿で酒盛りする」
手鏡の向こうで凍りつく気配が。
『待てやコラーーーっ! テメエ俺に何の恨みがある!?』
「……忍びっていうのはね、恨みがなくても手を汚さなくちゃいけない時があるんだ」
『適当だろ? お前適当に言ってるだろ!? 適当で俺の世界を壊すんじゃねえよ!!』
「僕は真面目なの。馬鹿がつくほど真面目一直線なの」
『ああそうだろうさ知ってるさ馬鹿! クソ真面目にやらねえとふざけることもできない大馬鹿だお前は!!』
「うん。そういうわけで僕は帰る」
『―――』
数秒の沈黙を挟んで。
『ハァ!?』
「ナズナ見つからないし疲れたし寝たいから家に帰って寝る」
『…………なあ、せめて、会話繋げる努力ぐらいはしてくれ。理解が追いつかん』
幾分トーンを落とした声で眩魔は訴えるが、知ったことではない。
『放ってていいのか? 少女ナズナはただいま絶賛傷心中だぞ』
「まあ、ナズナの恋が実ることはなかったと思うよ」
好意を向けられた少年が、欠伸混じりに。
「愛情は分かるけど、恋心なんて不可思議な感情を向けられても、困るだけだからね」
愛と恋は似て非なる。
愛慕と恋慕は似て反す。
愛は一方、恋は双方。
通行ならずして成り立たず。
「もらうことはできる。与えることはできない」
それが今の自分。それが今の限界。輝かしき未来に乞うご期待。
『疲れる奴だよお前は。見てるこっちがヤキモキしてくる』
溜息漏らす鏡を供に、日も落ちて久しい隠れ里。あれだけ晴れ渡っていた空に、ポツリポツリと雲を見る。冬間に生まれる吐息のような、薄く儚い雲の子が。月を覆いて、隠し切れずに朧月。
「僕は僕のことだけで手一杯だからね。ナズナとはまたちゃんと話すけど、頭が冷えた頃にしないと聞いてくれないだろうし」
『……手遅れにならないといいがな』
ん? と呟きに返し、何でもない、と応えを取り。
何か忘れてるような……と眠気をこらえながらの思考に解は出ず。
朧な月が見守る中で、少年の足取りは不自然なほどに軽く。
何ら悩みもなさそうに、家路へ付いた。
そしてナズナは。
「信じられますかおまわりさん! 恐れ多くも五年間想いつづけた乙女の気持ちが分かりますか!? それが、それがぽっと出のじみ狐なんかにぃぃぃぃ~~~!」
「いや……嬢ちゃん、俺の服をハンカチ代わりにしないでくれねえかな?」
「わぁぁぁぁん! ズビィィィッ!」
「うおおおおお!? 俺の、俺の卸したての上忍服が鼻水まみれにっ!?」
「刹那くんのばかぁぁぁ―――っ!!」
「くっそ厄日だ厄日今日は厄日に違いないって刹那だぁ!? そりゃもしかしてカシワの刹那か嬢ちゃん? ……聞いてねえな。泣いてばっかじゃ分かんねっての、あー補導なんかすんじゃなかったぜ面倒くせえ」
男はは泣き喚くナズナに天を仰ぐ。子供に泣きつかれる姿を見て同僚がなんと言うかと溜息しつつ。
「俺の威厳はどこ行ったんだろーなぁ……」
燃えるように逆立つ赤髪が、闇夜においても尚目立つ。
赤蔵ヒグサ、再び登場。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ゆめうつつです。久しぶりに早い更新です。
……何やら、遅い! との苦情が見受けられたので、がんばってみた次第。もうテストがすぐなのでたぶん次は遅いですけど。
大名がどうとか婚姻がどうとかは創作ですがご容赦ください。ていうか、何気に今って忍界大戦が終わって八年しかすぎてないんですよね。だからあり得るかな、と。
空っぽさん、好きとかどうとかよりいきなり婚約まで話が行ってナズナは混乱するという結果でした。暴走もしてますが。あと、句読点の部分は修正しておきます。
シヴァやんさん、あー、そうですね。これでまだ隠してる設定もつけたら凄いことになりますね。
みさん、すいません。改行バランス忘れてました。メモ帳から折り返し設定を解除しないままコピペするとああなるんですよね。
AAAさん、ご希望の通り少しがんばってみましたが、どうでしょ? 応援してくれる人の声は嬉しいものですね。
RENさん、血継限界の重複はありみたいですよ? なんか五代目水影が二つ持ってますし。移植ですけど今ダンゾウが写輪眼と木遁使えてますし。
ニッコウさん、さあどうなるでしょう? 乙女たちの恋模様は雨か晴れか曇天か。
realさん、ヒナタのフラグは分かりやすかったですよね。しかしこれ原作開始まであと何話かかるか想像つかないんですよね……作者なのに。
はきさん、改行については仕様です。ご容赦を。多いは素で間違えました。ありがとうございます。部分口寄せですけど……空間歪曲は空間がずれてるだけで持ち主にくっ付いたままだと思われますが。
jannquさん、センターですか……英語にちょっと苦い思い出が。まあ疲れて半ば眠ってただけなんですけど。で、刹那の目的ですか? ……えー、それは今回のことについてなのか、それとも長期的なものについての疑問なのか分かりかねますが、日向に関しては大した事を企んでない……はずですよ?
みなさんヒナタ好きですね。反響が大きくてゆめうつつは驚いてますよ。