「今日は出血大サービスです」
いきなり現れ、挨拶をすませたかと思えば宣伝文句な子供に火影は瞬き。
「……何をサービスすると?」
「何もしません」
は? と訳が分からない仕草。くわえたパイプから吸い損ねた煙が立ち上る。
「何もしないことが今日のサービスです。これってすごいことですよ。とってもお得なんですよ」
「……。取り敢えず、お主ら『柏』は木の葉の敵か味方か、はっきりさせてくれんかの?」
火影の無理解に、刹那は嘆かわしく手を額に当て空を仰いだ。思いっきり芝居がかっているが、火影としてはどうでもいい。
「敵か味方か、その二元論は無為、無意味、無価値。カシワ商隊は中立無変の旅商い。勢力バランスには誰よりも気を遣っています」
多分、と内心で付け加えたことなど火影は知るよしもない。
「中立、のう。……四面楚歌とどう違うのか分からぬが、ワシ個人の意見は末永い付き合いをと望んでおる」
「一介の護衛者に言われましても」
とぼけた面で嘯く刹那。ふん、と火影は口の端で笑う。
一介の護衛者。立場は確かにそうだろう。だがそこにカラクリがあると火影は睨んでいる。
優秀極まる忍びが、なにゆえ小さな商隊に属し続けるのか。
もっと実入りのよい仕事場などいくらでもある。どこぞの里にでも入ればよい。
なのにそれをしない。ならばそこには金銭で買えないものがある。
ギブアンドテイク。互いが互いの利益に見合った関係。そこにいつしか情が生まれ家族となり、今に至るのだろうと火影は当たりを付け、そしてそれはほぼ真実を突いている。
残りの誤差は、匿われ守られているのが、本当は刹那たちであることか。
「まあ、よい。ヒアシの奴にもいい薬じゃろうて。……しかし、お主の本体は無事なんじゃろうな? ここで致命傷なぞ負えば本末転倒じゃぞ」
「そのことで質問が一つ。母さんか商隊の誰かからお手紙預かってませんか?」
「これのことか?」
「ええ、はい。そうですよほらやっぱりあった昨日から何かおかしいって思ってたんだよ黙ってたなあいつどうしてくれようかホント火刑か電気椅子かどっちか選ばせよううん」
句点も句読点もない言葉の濁流。ちょっと呆気に取られる火影。
受け取った半紙をざっと眺めてさっさと返す。そして今度は本気で頭を抱えて沈痛な溜息。
「ああもう……。遊ぶのはいいけど遊ばれるのはやだ」
この度の事件の全容が載っていたわけではない。そこには、今木の葉の中で日向に狙いを定めた一派が居ると、結びに『柏』と印が押された文章が少々並んでいただけで、決定的なものは何もない。木の葉もこれだけでは捜し得ない。
そこで用意されたのがエサ。つまりヒナタ。疑似餌ではない本物だが、待ち構えていたのはチョウチンアンコウより悪質な罠のオンパレード。
アカデミー生なのは見せ掛けだけな白亜刹那。罠が満載の白亜邸。木の葉の暗部や各有力一族も総出だろう。
決定的な証拠は何もないくせに、木の葉の大部分が動いたのは、それだけ『柏』への信用が大きいということ。これは商隊の一員として喜ぶべき。
だが刹那は素直に喜べない。その原因は二枚目に記されている。
『うちの刹那はそこらの暗部より優秀です。お試し無料キャンペーンは今だけ! 白亜アゲハ』
「親子そろってバーゲンでもしとるのか?」
含み笑いする火影の冗談が耳に痛い。
なんとなく、アゲハにはいつまでたっても勝てないような気がする刹那だった。
親は強しと言うが、これは果たして強いのだろうかと、意味のない疑問に脳味噌を無駄に疲弊させながら思う。
これまで隠しておいた努力はなんだったのだと。
確かに、刹那は血継限界が露呈しなければ問題はないのだ、本来は。木の葉に縛られているわけでもなし。カブトが居ようが居まいがどうせ出ていく刹那には、バレたところで実害など皆無。
ただうちはの里抜けが実現するまでは隠しておく必要があったけれど、それも終わった今では特に意味のないものではあるが、あるのだが、こう、釈然としない。
というか、なんとなく、悔しい。
取りあえず言っておく。
「次は代金を要求しますからね」
「次があれば考えておこう。……ところで、お主の家に忍び込んだ奴はどうした? 暗部からは逃げたという報告をもらったが……日向のほぼ全員を動員した今の警戒網から逃れられるとは思えん。本当のところはどうなのじゃ?」
「殺して、脳から情報を取って、処理しました。もう髪の毛一つ残ってませんよ」
昨夜は、まだ知られていると思わなかったために隠したが、今となっては隠し立てする意味もない。
「……そう、か。何か、証拠となりそうなものは手に入ったかの?」
「それが全然ですよ。ただ……五年前にあった、日向と雲隠れとの因縁については、分かりましたけど」
もちろん嘘であるが。しかしこれからやることの整合性は、情報源も含めて、これで取れたはず。
「母さんが無料って言ってますからお金は取りませんけど、本当のところを教えたんですから、ちょっと協力してください」
「何をじゃ?」
火影の問いに、刹那は笑う。
「親子喧嘩の仲裁ですよ」
ダンッ、と地を割る踏み込み。弾けた空気が遅れて肌を嬲る。
円を描くようにステップ。側方へ回り込み突き手。だが、見もせずに防がれる。いや見えている。
それ故の、白眼。
「――ィッ!!」
豪風。前髪がなびき、その寸前を掌打が打ち抜く。注いだチャクラによっては、一撃必殺の柔拳を紙一重で躱し、続けざまに襲いくる点穴を狙った掌の連打に、たまらず距離を離す。日向ヒアシはしかし、逃さぬとばかりに間を詰める。
当たれば死ぬ、生と死の狭間をまさしく縫いながら、
「くすくす……!」
白亜刹那は笑っていた。ともすれば虚勢のそれを、だがヒアシは笑い飛ばせない。そんな気分状況でないのもあるが、一笑に付すわけにはいかない。
笑う子供は、日向当主の猛攻を受け、今なお健在なのだから。
打てば響くよう、そんな応答がある。
打てば踊るよう、これはそんな動き。
当たらない。本気で当てに行って、当たらない。宙を舞う羽毛程度なら、風より早いその掌が打ち抜く。だがこの子供は、羽毛より軽やかに掌打を避ける。攻めあぐねる。
凄まじい才だ、とヒアシは怒りに駆られながらも無意識な部分で称賛する。
そして攻めあぐねるのは刹那も同じ。躱すだけで手いっぱい。そろそろ表情筋にまわす余裕も裂かれる頃。昨夜から脳の疲労は蓄積する一方だ。
「くすくす……くすくす……くすくす……」
それでも笑う。刹那は笑う。身体で勝てねば心理を圧する。鈍化していく意識が玉のように流れる汗を認識し、こんなに汗をかいたのは、こうも身体を追い詰めたのはいつ以来か、脇にそれる思考を修正、演算計算予測推測。軌道を計り、詭道を謀り、先を先を先を読む。
読まなければ当たる。当たれば死ぬ。
さて。
死とは何だろう?
生命活動の停止か、魂の消滅か。前者は肉体的、後者は精神的な死と言える。
死ねば自分はどうなるのか?
また誰か別の肉体を持って生きることになるのか、それとも単に消えるのか。
転生するならそのシステムは? 憑依するならその仕組みは?
謎は尽きない。疑問は尽きない。そもそもこうして自分が存在することが、既に科学の範疇に含まれない。IFの世界か並行世界かそれとも他人の頭の中か、そんな答えのない問いも答えの出せない問いも多々で多岐で多大で多様で多彩で数多とあって。
たった一つ自分とこの身体とを結び付ける共通点に気づいた時は、少しだけ笑ったが。共通点とも言えないちっぽけな、ただの偶然で片づく矮小な繋がり。
【刹那】
ただそれだけ。【刹那】と言うモノがこじつけに近い唯一の共通点。
ああしかし、そろそろタイムリミットだ。死にたくはないが死ぬことに躊躇いがあるかと言えばそれも微妙で曖昧模糊として。生きるために最大限の努力をし、その結果死ぬのならさしたる忌避もない。今でもこんな考えなのだから前世は言わずもがな。
そもそもが、ある意味自殺であるからして。
それもまた、結果論だが。
……思考を戻そう。
タイムオーバーだ。
――ただし。
日向ヒアシの。
「っっ――――!!」
果敢に途切れることなく攻め立てていたヒアシの腕が、止まる。足が、止まる。
白眼で視たのか、それとも経験で感じ取ったのか。とにかく、その行動は、十全に正しい。
「くすくす……残念。そのまま攻撃してたら、指落としてたのに」
両の手の平で、チャクラが回る。
螺旋丸ではない。それは球ではなく、円。
薄く、丸い、風のチャクラ刀。
「風遁のチャクラ性質は切断力。鉄ぐらいならあっさり切れますから、そのつもりでどうぞ」
どうぞと言いつつ、低い体勢で自分から一気に距離を詰める刹那。当たらないことに苛立ちを見せつつも、余裕のあったヒアシの表情が緊迫する。
柔拳と同じだ。それは触れるだけで大きな傷を残す。円盤状のチャクラ故に、受け止めるのも難しい。
手の平に沿うように、円盤の平面は保たれ回転し、風のチャクラは風を裂きながら振るわれる。
「ち……!」
小さく舌打ちしたヒアシはそれまでの戦法を破棄。密着体勢から手数で攻めていたのに対し、攻防の合間を縫った一撃を狙う。
地面から伸び上がるように、刹那がチャクラ刀を逆袈裟に切り上げる。細心の見切りで躱したヒアシが側方移動。がら空きの右脇に掌を送り、
「ぐっ……!」
血飛沫が舞う。
浅く、それでも皮膚の下に届く程度には切り裂かれた傷口から、多少の血が噴き、ヒアシの表情を歪めた。
チャクラの円刃が、その直径を変じていた。
手の平サイズから、車輪の如く巨大に、一瞬にして姿を変えた。
それこそが傷を作った張本人。小さく“留められていた”チャクラのくびきを解いただけ。遠心力に従い、後は勝手に広く大きく、刃を作る。……その分、切れ味は悪くなるが、人肌相手には誤差の範囲。
見事な見切りだった。刹那は感嘆の意を思い浮かべる。あそこで掌を中断し、後ろへ引かなければ、ゲームオーバー。担架の派遣を依頼しなければならなかったはず。
「……チャクラの決壊が見えましたか?」
シュルシュルと大きさを減じ、また先の掌中に収まる回転刃。肩口から胸にかけて切り裂かれたヒアシは、しかし訝しげな表情。傷を受けたことで、頭が冷やされたか。
「その技……何故、最初から使わなかった? これほど疲弊する前ならば、勝機はより多くあったはずだろう」
「前準備に、結構チャクラ喰いますからね。回避行動で配分狂いましたし」
嘘八百だが。チャクラではなくデータの問題だったのだが。
木の葉最強を名乗る名門日向に、警戒してし過ぎることはない。
ともあれ平均と思われる数値はそろった。普通に戦う分には、恐らく負けはない。
……予測限界を軽々超えてくるのが、熱血マンガの特徴でもあるけど。
だからまあ、筋力や速度の数値など、結局は目安レベル。行動パターンにしても憶測レベル。底の浅い相手でもない熟練者相手に、全ての行動予測が成立するわけもなし。戦法の指針になれば御の字だ。
何だかんだと理由付けつつ、それでも明確な理由たり得ないのは、必殺を狙いながらもヒアシの掌打に幾ばくかの手加減が為されていたから。
頭のどこかで、自分を殺すことで起きる事態を考えている。無意識的に、当主という立場に在る者として。
どれだけ激昂しても本質的に流されない。さすがだと思う。
さすがさすが。
素晴らしく。
向いてない。
「くすくす……くふふ……」
「……何を笑っている」
「おかしくて。……貴方の、姿が」
「この程度の傷、傷の内には入らぬぞ」
ああ、そう取られたか。別にどちらでもいいが……いや、ここは指摘しておこうか。
「木の葉が誇る三大瞳術が一つ、白眼。この眼に限った話じゃないですが、血継限界というのはどこの里も欲しがっているのはご存知の通り。……雨隠れでは多少排斥の方向にありますが、それは例外として……例えば、雲隠れなんかもそうですね」
「……だからどうした。くだらん長話をするのなら、先に懐にあるものを渡せ」
「まあ聞いてください。今回雲隠れはまたしても白眼の入手に失敗したわけですが、同じ手は二度も通用しないと思ったんでしょうね。外交のカードとならないよう、身元不明の抜け忍扱いで木の葉内部に潜伏させた。もちろんただの推測で、証拠なんてどこにもありませんけど、取り敢えずその前提があると仮定しましょう」
白々しいとはこのことだろう。雲隠れの関与は、確信はあっても確証はないのだ。
どちらかと言えば清廉潔白を好む日向ヒアシの眉間にしわが寄る。
「それで、ここからが本題なんですが…………貴方は日向ヒアシさんで間違いありませんね?」
「何を今更……私以外の誰が日向ヒアシだと言うのか」
「あれ、それはおかしいですね。僕はてっきり……日向ヒザシさんかと思ってたのですが?」
くすくす、くすくす……。
嫌らしく木霊するような含み笑いが、
凍りついた日向ヒアシの、喉を干上がらせる。
「きさ……ま……!」
「これ、なんでしょう?」
上着の裏ポケットから取り出した小さな機械に、目を剥いた。
一目で分かる、これはそう、小型の録音機。
「戦闘に気を取られすぎですよ。チャクラ以外も視るべきでしたね」
雲隠れとの裏取引。
公表していないそれを、何故知っているのか。
決まっている。
木の葉でなければ、雲隠れだ。
『柏商隊』
あらゆる『商品』を運ぶ、五大国“黙認”の隊商。
「これでこちらには二つのカードがそろったわけですが、木の葉も大切なお客さんですし、一つ交渉でもしませんか?」
「交渉……だと?」
チャクラの刃も消し、刹那が手に見せるのは、“眼”と書かれた口寄せの紙。
右手に、過去の約定を覆す決定的証拠。
左手に、口寄せの術式が書かれた紙片。
「どちらか一つ、選んでください」
「……何?」
「片方は返しましょう。その代わり、もう片方はもらいます」
「っっっ――――…………!!」
「おっと、下手に動かないでくださいね」
ぐ、と武力に訴え交渉自体を潰そうとしたヒアシを制する。
「動けば………ご息女がどうなるか分かりませんよ?」
その言葉と共に、ナズナが一瞬で、ヒナタの喉元、頸動脈に苦無を添えた。
「えっ……ナ、ナズナちゃん!?」
「少しの間、じっとしていてほしいのですよ。本気なのですよ」
混乱するヒナタの声を背後に――そう、ヒアシがすぐには近寄れぬポジショニングで、刹那は薄く目を側める。唇に、弧を描かせる。嘲笑いを、作る。
「卑劣な……!」
「倫理観念は慮外するとして、それ以外は手段を選ばないのが忍びというものですよ。……身代わりも、同じ事でしょう?」
「っ……」
反論できない過去の事例で口を塞ぎ、刹那は、さあと両手を掲げる。
「どちらにしますか? ヒナタの眼か、それとも貴方の言葉を記録した証拠品か。悩む必要はありませんよね、日向ヒアシさん? 貴方にとって守るべきものは決まっていますよね? 身内を差し出した貴方が、今更自分の娘を、それもただの白眼一つを犠牲にすることに、躊躇うことなんか有り得ませんよね?」
くすくす。くすくす。
笑声は無邪気。笑声は無垢。しかして語る言葉は悪にまみれた毒の棘。
そのアンバランスが精神を乱す。見た目と言葉の差異が怖気を誘う。
日向ヒアシは答えない。砕かんばかりに噛み締めた歯は開かれない。
「さあ答えをどうぞ。それともまさか迷ってるのですか? 白眼一つと木の葉を天秤に掛けてるのですか? ………ご自分では決められないようですね。なら、手伝ってあげましょう」
左手の紙片から煙が上がる。
密閉された小さな容器が現れる。
その中は透明な容器で満たされ―――純白の眼が、一つ。
ぷかぷかと、浮かんでいて。
息を呑んだ日向ヒアシが何を言うより早く、刹那は放る。
放る。ヒナタの眼を、録音した機械を、左右に。
「ガラス製だから、割れますよ?」
いっぱいに開かれる、ヒアシの白眼が、
追う、モノは。
「―――それが、答えですね?」
ヒアシは何も言わない。ただ、ギリギリで、落ちる前に、割れる前に、掬いあげたそれに、安堵する。
身も蓋もなく、真実身を投げ出して、日向ヒアシは娘の瞳を、手にしていた。
「ヒナタは忍びに向いてませんけど、貴方は当主に向いてませんね」
「……」
くすりと笑った刹那が片手を挙げると、ナズナがそっとヒナタを送り出す。え? と目で問うが、ナズナはにこにこと手を振るだけ。戸惑いながら、ヒナタはゆっくりと起き上がりつつある父の元へと歩み。
「……ち……父上………あの」
「…………」
全く口を開くことなく、ヒアシは容器を押し付けるとすぐさまそっぽを向いた。
「え……えと……だから、あの………」
「…………」
「あ…………う……」
「…………」
「…………」
「あーもう鬱陶しい!」
ドゴッ! と業を煮やした刹那の投げた物が、結構危ない音を立てて頑固親父の後ろ頭に命中。
「ぐぉ……っ」
「あああっ、ち、父上!?」
「ヒアシさんもヒアシさんだけど、ヒナタもヒナタでしっかり歩み寄らないとダメ!」
「ひゃっ、ひゃぃっ!」
「舌噛むのもダメ!」
「ひぅ!」
「……刹那くん、それは無理があるのですよ」
「ナズナは黙る!」
「……」
とばっちりです……といじけるナズナを脇に置いて、唸っていたヒアシが自分にぶつけられた物を目に留めた。その眉がひそめられる。
「……。どういうつもりだ、これは」
「なんですか。文句あるならもらって帰りますけど」
「…………初めから、そういう魂胆か」
苦々しく吐き捨て、それを拾い上げるヒアシ。
小さくコンパクトで持ち運びに便利な、マイクの付いた機械を。録音機を。
「元よりそのつもりだったとして……私は、貴様を許さん。返したからといって貴様がヒナタの眼を取ったのは変わらんのだからな」
「え、えと……父上、そのことなんだけど……」
いそいそとヒナタは片目を覆っていたガーゼを外し、そこに現れたものを見て、ヒアシの両目がこぼれんばかりに見開かれ。
「な、……ぁ………ヒナ……タ…………?」
ガーゼの下には、白眼。
傷一つなく、もちろん摘出もされておらず。
両の眼そろって、無事に、在り。
「では……この入れ物に入っているのは」
「模造品ですよ? 当り前じゃないですか。いくら返却を約束するからといって、自分の眼球えぐらせるような馬鹿がどこにいるんですか」
一晩で作ったにしては上出来でした、と清々しく笑う刹那に殺意が湧いたところで仕方がないだろう。
「……謀ったか」
「気づかぬ主も悪い、ヒアシよ」
ザリ、と砂を踏み、姿を見せた火影の後ろで、もう一人の刹那が煙と消える。
「大体最初の時点で何故そうと分からんのか。熱くなりすぎじゃぞ」
「……。面目次第もございませぬ」
「たわけ。頭を下げる相手が違うじゃろうが」
「…………ヒナタ」
「は、はいっ!」
その小さな両肩に、手を置いて。
真正面から、頭を垂れて。
「――すまなかった」
「っ……!」
「私が、悪かった……っ」
「父……上……!」
じわじわと溢れていたものが、決壊する。
ヒナタは、その小さな身体で、小さな腕を回して、力いっぱい父を抱きしめ。
全くこ奴らは、と少し離れた位置で苦笑を口の端に乗せた火影は、ふと、それを見る。
盛大な芝居の片棒を担いだ少女が、何とも言えない表情で、少年の服の裾を握っていた。
どこか達観した大人顔負けの少年もまた、苦笑とも微笑ともつかない複雑な顔で、ひと組の親子を見つめていた。
「……」
ゆるゆると、火影は紫煙を吐き出す。
知性に優れ、才能に溢れ、下手すれば上忍でさえ喰われるような、白亜の少年。
天才と呼ぶも怪物と呼ぶも、それは人の自由だろうが、しかし。
親を慕い親を想う子の気持ちは、誰であれ変わらないに、違いはない。
目が覚めると、暗く、柔らかな布の感触。
「ん……あれ……?」
見覚えのない部屋を見まわし、刹那は何があったのか思い出す。
倒れたのだ。
あの後、ヒナタが泣き止んだあたりで、すぐに。
外傷はない。ただの疲労。というか、過労。算定演武の使い過ぎが、主な原因だろう。
「ふぁ~あ………もうちょっと寝たいかな」
だいぶ回復しているが、それでもまだ十全でない思考機能に欠伸しつつ、しかしお腹がすいたと身を起こす。
「って、和服の寝間着?」
肌襦袢だったか何だったか。洋物しか着ないから知識がないし、必要もない。が、ナズナが祭りで着たいと言った時のために備えておくべきだろうか。
敷かれていた布団の横に洗濯された服と武器などを見つけ、数の確認。ほっと一息。さっさと着替える。
窓から見える月の位置からして、今はせいぜい宵の口か。炊事場まで行けば夕食の余りぐらいもらえるだろう。
「……ま、その必要もないみたいだけど」
そろーり、そろーり。と、おっかなびっくり忍び足で近づく気配。ナズナよりもまだ未熟。
ふすまの前で止まったところを見計らい、さっと開けるとひゃっと声。
「おはよう、ヒナタ」
膳を抱えた日向ヒナタが、汁をこぼさないようあたふたしていた。
「お……おどかさないで」
心臓に悪いから、とヒナタの責める視線に刹那はにこにこ笑うだけ。白米と各種おかずがぱくぱく口に運ばれる。
「善処はしてみる。ところでナズナは?」
「えと……広間の方で、手打ち蕎麦作ってもらってるよ」
「……蕎麦の何が好きなんだろう、ホント。あ、おかわり」
差し出された茶碗におひつから御飯をよそうヒナタ。受け取りお礼を言う刹那。
「っっっ~~………!」
「うん? 顔が赤いけど……どうかした?」
「なん……何でも、何でもないの! 本当に、何でもなくて、えと、だいじょぶでっ!」
「?」
取り敢えず、必死に否定されるので、刹那は食事を続行。挙動不審にヒナタがチラチラと見てくるのも気づかないふりをしておく。
今度は自分でつごうとしゃもじを取れば、何故か奪われ山と盛られ。
「???」
首を傾げても分からないものは分からない。少し考え、まあいいか、と思考放棄。実害はないし、回復しきってない脳を疲れさせる愚は骨の頂。
消費した分のエネルギーを、補給することに専念する。
「…………」
ヒナタの脳裏に、夕食前ヒアシの自室で言われた言葉が甦る。
『ヒナタ。これまで、お前の心を苦しめてきたことについては、ここで改めて、謝罪する。すまなかった』
『父上……』
だが、とヒアシは続け。
『言葉そのものは、撤回せぬ。ハナビと比べ、お前の才はあまりに……儚い』
『……分かって、います』
『ならば何が言いたいかも、分かっているな』
『…………』
それは、名門の血を引く者として、当り前で、自然な未来。
日向宗家、その直系。しかし武門を継げないヒナタは、当主にはなれない。
ならば、その先に待つのは。
『お前を……政争の道具にはしたくなかった』
政略結婚。本人の意思が介在する余地のない、勢力を保ち、強めるためだけの、婚姻。
縁戚関係というのは、それだけ結びつきが強力で、決定的。
だがヒアシは、父としてその道を歩ませたくなかった。だからこそ厳しく当たった。
結果として、ヒナタを傷つけるだけで終わりはしたものの、それは娘を想ってのことで、ヒナタ自身、父の想いは先ほど聞いたばかり。
『……私も、父上の期待に応えたかった』
けれど、それはもう叶わない。教える者と、教わる者。二人が二人して、不可能だと悟ってしまっているから。
少しの間、沈黙が流れる。これまでと、これからを隔てる、見えない壁。
苦しくも、居心地の良い時間は終わった。理想も夢想もその先にはなく、ただ確固とした現実が待ち構える。
沈黙はそのままに、壁は砕かれる。日向ヒアシが、幾枚かの紙を並べたことで。
『婿を取るか、嫁に行くか。そこまではまだ考えずともよい。ただ、候補には目を通してもらう』
彼らのような有力な忍びが結婚を政治として扱う場合、二通りの狙いがある。
数の多い血族だと、同族の間でも派閥が生まれ得る。それを回避するため、またより濃い血を求めて親戚同士が婚姻を結ぶ場合。
もしくは、裕福な大名筋の者や豪族などから支援を受けるために、結ぶ婚姻。
例外はあるにせよ、二つに一つが、一般的。
『………?』
簡単なプロフィールが書かれた紙をめくっていたヒナタの手が止まる。意味が分からないとでも言うように何度か瞬きし、理解した瞬間、爆発せんばかりに顔が紅で染め上げられた。
『あっ、あの、ち、ちちち父上!?』
『どうした。……ああ、そ奴か。あまり本意ではないが、最有力候補だ』
『い、いつ、決めて!?』
『さっきだ。腹立たしい小僧ではあるが、実力も能力も折り紙つき。その上バックには「柏」が居る。それに――』
意味ありげな、笑みを浮かべて。
『別段、嫌いではないのだろう?』
『っっっ………………!!!』
倒れそうなほど頬を染める娘の初々しい姿に、ヒアシはくつくつと楽しげな笑いを漏らしていた。
「……ナタ。ヒナタ。おーい、ヒナタ?」
「えっ? あ、うん、なに?」
「ごちそうさま。美味しかったよ」
にっこりと笑う刹那は、正直な話、クラスではサスケと二分して人気がある。
ただ、いつも傍にいるナズナが彼女と目されているので、アタックする女の子が居ないというだけで。
頭がいいのは前から分かっていた。
実技でサスケに一歩及ばないのはわざとであると、今日知った。
容姿はカッコイイじゃなくて、女子も羨む綺麗な姿。
いささか愉快犯の気はあっても、それは逆に魅力の一つで。
でも、何よりも。
慰めて、くれて。
父との仲を……方法は多少強引だったけど、取り持ってくれて。
ドキドキする。
よく分からない、初めての感情。心地の良い……感覚。
「刹那くん……あの、」
開きかけた唇に、刹那が立てた人差し指を当てて、言葉を封じられる。
「ヒアシさんとは、もう話した?」
触れる指先にどうしようもない熱を覚えながら、頷く。
「それじゃ、名前の由来は聞いた?」
「……?」
「……頑固だね、ヒアシさんは。ここまで来ると尊敬しそう。……ねえ、ヒナタの名前は、漢字で書くとどんな文字になるか知ってる?」
黙って首を振ると、刹那は懐から紙と筆を出して、さらさらと書きつけた。
【日向】
「……え?」
「この文字には読み方が二つあるんだ。日向と、日向」
絶句したままのヒナタに、続ける。
「ヒアシさんは……期待してたんだと思うよ。自分の子供に、一族と同じ名前を付けるぐらい、心から」
「………父、上」
「いいお父さんだね、ヒナタ?」
とっくに尽きたと思っていたのに、今また溢れていたものを拭って、泣き笑いの顔で、ヒナタは頷いた。
「はいっ……!」
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ゆめうつつです。1ヶ月置き程度しか更新できてません。
……他の方々の更新頻度にちょっとどころでなく冷や汗。
期末レポートも近いのに……と、嘆いてみたり。
シヴァやんさん、まあ、そこは親バカと言うことで一つ。
空っぽさん、敢えて分からないような書き方をしてみたり。刹那の口から語られる日を楽しみにお待ち下さい。
ニッコウさん、いえただの影分身でした。そして密約もなし。残念ながら。
はきさん、……無理だと思います。逆に難易度高くてチャクラ喰いそうですし、それならシギ本人を口寄せする方が戦力の向上にもなるかと。
saさん、……ダンゾウの部分は不覚。辻褄合わせは……無理かな? 不可能でもないか。うん。
realさん、「意識をやる」という表現はあります。ここまで読んでくれて感謝です。
ではでは皆様またいずれ。……できるだけ早い再会を祈って。