ここは良い
あそこより良い
人の心に、触れられるから。
翌朝。
「・・・・・・ぜっ・・・・・・はっ・・・・・・ぜっ・・・・・・」
――まずは基礎体力!・・・・・・そう笑顔でのたまってくれた母さんが監視する中、僕は森の中をひたすら走り続けていた。
宿場街の北東に広がっているかなり深い森。成長しすぎた感のある大樹の根がグネグネとのたうつ地面は、不規則過ぎて計算しにくく、体力を大きく削る。
『軽く走ってもらうから』
と言って送り出してくれた母さんだが、3歳児に1時間ぶっ通しで走らせるなどまず無茶である。なんて非常識。・・・・・・僕だからできたけど、普通無理だよ?
――運動エネルギーの効率的運用もそろそろ限界かな・・・・・・
前進するエネルギーを腕に伝え根を乗り越え、飛び降りる際の落下エネルギーを損なうことなく再び前進のエネルギーに変える。・・・・・・前なら完璧にできてたけど、この身体だとまだ少し誤差が出るね。
肉体的には前世と比べて遥かに出来がいいのだけれど、指の末端まで把握するには足りてない。よって少しずつだが疲労は蓄積し、後5分も走れば倒れるところまで来ていた。
というか、いつになったら終わるのだろう?チラリと樹上に見える水色の髪へ視線を向ける。・・・・・・別に倒れるまで走ってもいいけど、まさかそれだけで終わりとか?
そして5分が経ち、いい加減疲れに疲れて思考も極端に鈍くなり半ば夢心地で足を前に出していると、ズルリとこけで足裏を滑らせた。
一瞬の浮遊感。だが、あーまずいかもー、なんて余計な思考が入るぐらい限界だった。
身体は認識に反してまるで動いてくれず、ただただ近づいてくる地面を見つめていた。
――トサッ。
けれど、ギリギリでどこからともなくやってきた母さんが抱き留めてくれて、凄く嬉しくなった。
――が、意識を失う直前に見た母さんの浮かべる満面の笑顔から、倒れるまで走らせるつもりだったことにようやく気づき、見抜けなかった自分に刹那はがっくりと肩を落としたのだった。
・・・・・・お母さん、地味に酷いよ?
・・・・・・信じられないわね。
母の腕に身を預け、多少息は荒いものの一定した呼吸で眠る息子の姿に、アゲハはひっそりと息を呑んでいた。
忍びの血を継ぐとはいえ、まさかこの歳でこれ程の距離を走破できる体力があるとは驚きだ。・・・それも平坦な道ではなく、凶悪とさえ言える悪路を。
白亜の伝統で忍びになると決めた者は例外なくこの試験を受ける。単純に走り方から才能を見極めようとするものだが、無論これだけで全ての才を押し測れる訳ではないため一応の目安として行われている。
――結果、刹那には才能があると言える。それも尋常でないレベルの。
あの手足の動かし方からして、その異常さは窺い知れる。
無駄の一切ない動き・・・・・・それだけなら、勘が良いで済む。それなりに才能があるなら、訓練次第でできる者は多いだろう。
だが、アレは違う。
無駄がないとか、そういう次元ではない。
この子は識っているのだ。力の向きを、流れを。消費する体力を極限まで減らす術を。
――力の、使い方を。
ゾクリ、とアゲハの背に震えが走った。これは恐怖か。それとも・・・・・・・・・・・・歓喜か。
「・・・・・・決まってるじゃないの。ねえ、【眩魔】?」
――知ったことか・・・
どこからか響いた声に、アゲハは愉しげに微笑んだ。
はたと目を覚ませば暮れなずむ夕日が美しかった―――じゃなくて。
・・・・・・何だっけ?
布団から身を起こそうとしたが、上手くいかなかった。・・・疲労で。
ああそう言えば、走りすぎて倒れたなー、と明らかに本調子でない思考を巡らせながら、首を回して周囲を見、縁側で緑茶をすする母さんを発見した。
水色の輝きは、橙赤の世界に在りながらもはっきりと己を誇示し、染まることを決して良しとしない。
同じ髪を、自分も持っている――それが何故だか誇らしく感じて、刹那は戸惑った。
「・・・・・・起きたのね、刹那」
背を向けたままの母さんが、どんな顔をしているのか分からない。だからこそ淡々とした声は、少しだけ怖かった。
・・・その『怖い』という感情自体に、また、戸惑う。
「今日走ってもらったのは、あなたの才能を見るための試験だったの」
「・・・試験?」
え?うそ。
今更焦るという普段なら有り得ない動揺を見せる刹那に、アゲハは視線を向けることなく続ける。
「試験結果を発表します」
「!?」
ちょ、ちょっと待って!まだ心の準備が――
「合格です」
「・・・・・・・・・・・・え?」
「見たところ、成績は非常に優秀と言えるものでした。今後の成長に期待しています」
がんばってね、と言って茶をすすり・・・それで終わりなのか、母さんはそれ以上何も言わなかった。
「・・・・・・」
どのあたりが優秀だったのか、刹那当人にしてみればトンと心当たりがなく首を傾げるも、じわじわと合格したことへの実感が染み込んできて、
――笑った。
笑おうとして笑うのではなく。本当に、自然と。
・・・・・・ああ。
15年――決して短くはない人生の中で、刹那はようやく知ることができた。
・・・・・・これが、『喜び』・・・嬉しいという、感情・・・・・・
気配を察した母さんが振り返ろうとしたので、刹那はとっさに布団へもぐりこんだ。
何故そうしたのかはよく分かっていない。
だがこれまでに得た経験から言うのであれば、
・・・・・・泣いてるとこ見られたくない・・・かな?
感情というのは複雑だなと、しみじみ思う刹那であった。
・・・・・・結局泣いてるのがばれて、怪我でもしたのかと心配し過ぎた母さんが刹那の説得も聞かず医師と薬師を手配しようと半ば暴走したのは、まあ余談だ。
折りよくやってきたナズナの両親がいなければ、どうなっていたことやら。