「――理解も和平も融和も全ては後だ! 現状維持を望む連中の尻を蹴飛ばし、現状打破という抗いの叫びを教えてやれ!」――川上稔『終わりのクロニクル②』より抜粋。目を開くと、薄暗い闇の中、見慣れない天井がその先にあった。真っ先に胸と右足を押さえ付ける感触が気になり、この場がどこなのか、と考えるよりも視線をそちらに向ける。まず胸だ。飛び込んできた色は白であり、はだけた胸元からは包帯で雁字搦めにされた胴体が覗いていた。それだけで、彼――日向ネジは、何が自分の身に起こったのかを思い出す。日向宗家の森で玄之介と組み手を行い、過去にないほどの重傷を負わされたのだ。おそらく今の自分は木ノ葉病院にいるのだろう。カーテン越しに届く街の灯りは控えめで、病室の中はぼんやりと輪郭を浮かび上がらせている。病室のベッドなど特徴的なのから始め、備え付けのクローゼットなどは普通の家庭に置かれていない代物だ。外は雨が降っているのか、微かな雨音がガラスを通して聞こえてきた。身を乗り出してカーテンを開けば、水滴が窓にこびり付いている。はて、とネジは首を傾げる。その際に痺れるような痛みが走り、玄之介にやられた怪我が胸だけではないことを思い出した。右足は勿論として、次に胸。運が悪ければ内臓も傷付いているかもしれない。そして止めとして後頭部へ肘鉄を喰らったはずだが――思わず後頭部をさすってみるも、胸や脚と違い包帯は巻かれていなかった。もしかしたら寸前で止めてくれたのだろうか。ならば申し訳ないな、とネジは溜息を吐く。あの時、玄之介が一撃を入れる度に身体は軋みを上げた。あの威力で後頭部に打撃を与えられたならば、今の自分は土の下にいたかもしれない。「……やはり、普段怒らない者を刺激するのは良くないな」そう、自嘲気味にネジは苦笑する。あの場に玄之介がやってきたのは予想外だったが、心のどこかでは玄之介の逆鱗に触れて本気で戦ってみたい、とも思っていた。尤も、そんなことをしてしまったためにこうして不様な姿を曝しているのだが。ただの喧嘩でこんな大怪我をしてしまい、母親にも玄之介にも申し訳ないと思う。父がいないためにネジの家庭は家計に余裕がない。いくら日向と言っても所詮は分家なのだ。宗家のようにある程度の生活が保障されているわけではない。微かな違和感はあるものの、ほぼ全身の怪我は完治している。普通の治療ではなく医療忍術を使ったのだろう。あの戦闘から何日経ったのかは分からないが、あそこまでの怪我を治すには高額の医療費が必要だったはずだ。自分の浅はかな行動のせいで母親に負担を掛けたのかと思うと、心底申し訳ない気分となった。玄之介もだ。今まで演習場の地形を変えるような模擬戦は何度も行ってきたが、ここまでの大怪我を負わされることもなかった。きっとそれは彼なりの心遣いであり、問題にならない限界の行為だったのだろう。もう母親に心配を掛けることは出来ないだろうし、玄之介も宗主に何かしらの忠告を受けているはずだ。あの場では考えなしに八つ当たりをしてしまったが、こうして頭を冷やせば、自分のやったことがどれだけ馬鹿げていたのか見えてくる。……気は乗らないが、やはり謝るのが筋か。小さく頷き、ネジは時間を作って玄之介に謝罪をしようと決める。その時だ。不意に病室の扉が開け放たれ、電気が灯る。眼を焼く光に顔を顰めながら、ネジは入り口に顔を向けた。徐々に目が明るさになれてゆく中、ネジは呆気にとられたように表情を和らげると、すぐに緩んだ頬を引き締める。病室の扉を開け放ったのは日向宗家の家紋が入った着物を着た男性、日向ヒアシだ。彼はネジが起きているのを確認すると、どこか安堵したように溜息を吐く。そんな行動が癪に障り、彼は奥歯を噛み慣らした。「……宗主」「起きたか、ネジ。どこか具合の悪いところはないか?」「いえ、ありません」「そうか。……医療忍者を手配した甲斐があったというものだ」そんな、なんでもない風に放たれた言葉に、ネジは目を見開いた。どういうことだ。自分を病院に担ぎ込んだのは玄之介ではなく、この男だったのか?憎い仇に施しを受けた事実に、ネジは悔しさから手の平をきつく握り締める。「……そう、ですか。ありがとうございます」「気にするな。 しかし、すまなかったな。 あんなことを言った後だというのに、玄之介がお前に怪我をさせるなど……。 アイツには二度と馬鹿な真似をしないよう言い付けておいた」「……この怪我は自業自得というものです。 俺が玄之介に喧嘩を売って返り討ちにあった。 ……責めるなら、俺を責めてください。アイツを怒るのは筋違いです」「そういうわけにもいかない。 分家とはいえ、奴は日向に名を連ねる者に危害を加えたのだ。 罰せられるのは玄之介であり、お前ではない」……どこまでっ。ネジは思わずヒアシを睨み付けるが、彼は気にした風もなく先を続ける。「ネジよ。何故そこまでして玄之介を目の敵にする。 ――お前が憎いのは、宗家だけではないのか」「それは……」放たれたのはあまりにも真っ直ぐな言葉だ。ヒアシらしからぬ物言いに、ネジは目を見開きつつ彼の表情を凝視する。その時になり、ネジは初めて気がついた。気にした風もなく話しているわけではない。毅然とした態度を崩さない宗主。そんな彼だが、今はただ疲労感だけが浮かんでいる。どういうことだ、と思うも、ネジはただ唇を噛み締めることしか出来ない。こんな状況を作り出した元凶はあなただ。そう言いたくはあったが、心底不思議そうに尋ねてくるヒアシに掛ける言葉が見付からない。「お前が私やヒナタ、ハナビに憎悪を向けるというのならば良いだろう。 だがな……私には、お前が何故玄之介を敵視しているのかが分からない。 何故なのだ、ネジ」それは問い掛けだ。心の底からネジのことが分からなくなっているのだろう。もう自己完結する気力もないように、ヒアシは疲労の滲む表情のまま言葉を紡ぐ。だが、ネジからしてみれば――何故当たり前のことに気付かないと、怒りと同時に苛立ちが浮かんでくる。「……別に俺は、玄之介が憎いわけじゃない。 ただ――父のように宗家に利用される人間が生まれることが我慢できないんだ」その言葉に、ぴくり、とヒアシが反応するも、ネジは先を続ける。「いくら玄之介の奴が自分から日向宗家に来たと言っても、どうせあなた達は自分の立場が危うくなれば奴を生け贄にするなり盾にするなりするんでしょう? 俺は、そうなる前にアイツを宗家から引き剥がしたかった。 ……それだけです」吐き捨てるように言い終え、ネジは握り締めた手に更なる力を込める。食い込んだ爪は皮膚を破り、微かな血が指を伝った。何故自分はこんな本心を、こんな相手に言っているんだ。馬鹿馬鹿しくすら思えてくる。あまりにも簡単なことを聞いてくるヒアシもそうだが、それ以上に、ただ嫌味を言うことでしか当たり散らせない無力な自分に。これで宗主の罪悪感を煽ったつもりか? だとしたら――自分は、なんと小さい人間だろうか。不意に、玄之介が言っていた言葉が脳裏に浮かんでくる。『……失望させてくれたな、ネジ』……嗚呼、そうだ。彼の放った言葉は、今になって深くネジの心に突き刺さっていた。きっと玄之介には、どれだけ自分が哀れな姿を曝しているのか分かっていたのだろう。しかし彼は、そんな自分の姿勢を嫌いではなかったと言ってくれた。だと言うのに――ある意味最も近い位置にいてくれたかもしれない好敵手を、ネジは失望させてしまった。……玄之介を失望させた原因は、こうやって宗主に当たり散らしている自分であり、それでも晴らせなかった憂さをハナビにぶつけていた矮小さだ。だというのに、苛立ちと怒りに混じって、やはり心のどこかでは宗主にしてやったことに対する愉悦があった。ハナビを言いくるめていた時だって、弱者をいたぶる楽しさがあった。怒り、それでも手出しをしてこない薙乃の姿を恐れながらもいい気味だ、とも思った。「……俺は」宗家の者に対する怒りは決して消えない。だが同時に、拘りを捨てきれなかったせいで失望させてしまった玄之介に対し言葉では言い表せないほどの申し訳なさを感じる。「……申し訳ありませんが、出て行ってもらえませんでしょうか」やっとの思いでそれだけ絞り出し、そんなネジにヒアシは小さく頷いた。「病み上がりに済まなかったな。 ……治療費は私が出している気にせずゆっくりと休養すると良い」「……なんだって?」ヒアシが出て行くと安堵した次に込み上げたのは、やはり苛立ちだ。治療費はヒアシが出している。それは、どういう――「余計なことを!」考えがまとまる間もなく、ネジは反射的に言葉を飛ばした。施しのつもりか。また上から見下ろして、慈愛の精神でも見せ付けたつもりか。仇に恩を売られるほどの屈辱はない。それだけが頭を焦がし、ネジはヒアシを睨み付ける。ヒアシはネジの様子に驚き、しかし言葉を向けようとせずに病室を後にする。完全にドアが閉まったのを確認すると、ネジは荒々しく息を吐いた。……反省してすぐに、この有様か。頭で分かってはいても、やはり簡単に納得することはできない。ままならないな、と溜息を吐き、ネジはベッドに倒れ込んだ。暫くの間そうして天井を見上げ、今まで積み上げてきた日々を思い出す。父が宗家へ生け贄として出されてから、ただ宗家を見下せる力を付けるためだけに毎日を走ってきた。他人に教えを乞うことを由とせず、日向ネジは個として宗家を上回っているのだと――そう、知らしめるためだけに少なくないものを切り捨ててきた。それは信頼出来る友人であり、子供らしさであり、年相応の夢など、そういったものだ。失うものなど、ないはずだ。そう格好つけていた節が、どこかにあったかもしれない。しかし――あった。ずっと自覚はしていなかったが、宗家との拘りを捨てることが出来なかったために失った友人がいる。……そうだ。玄之介は友人だった。端から見れば決して仲が良いと言えなかったかもしれないが、心を許して話を出来るのは彼だけだっただろう。彼と仲違いしてしまったことを、惜しい、とは思う。だからと言って宗家への憎悪を捨て去ることも出来ない。本当に、ままならない。いくら考えても仕方のないことだ。状況は既に袋小路となっているし、謝ったところで玄之介が許してくれるとは思えない。「……なんせ、あんな風に怒ったアイツは見たことがなかったからな」きっと玄之介も根に持つタイプだ。自分がそうであるからこそ、良く分かる。なんとなくそんなことを考え、ネジは苦笑した。今さっき上げた声が自分でも掠れて聞こえ、更に喉の渇きを覚えたためにネジは冷水器で水を飲むため、ベッドから下りる。右足は包帯できつく固定されているが、ギプスを巻かれているわけではない。地に足を着けば微かな痛みが湧くも、歩けない程ではなかった。脚を引きずるようにして病室を出ると、夜ということもあって、灯りに照らされた廊下を進む者は皆無だった。消灯時間まではあと僅かか。壁に備え付けられた手すりを伝い、看護婦詰め所の近くにある休憩所へと向かう。思うように動かない自分の脚に苦労しつつも、ネジはようやく廊下を抜ける。そして冷水器の場所まで進もうとした時だ。紙パックのジュース片手にソファーへ座っている少年が目に入った。思わず息を止め、このまま進もうかどうか迷ってしまう。合わす顔がない。なんと声を掛けて良いのか分からない。無意識のうちに後退った脚を恨めしく思いつつも、顔を見せない方が良いだろう、と逃げ腰な考えが浮かんでくる。だが――廊下で立ち竦んでいるネジの姿は目立っていた。他の者が物珍しそうに視線を送ってくるのに釣られたのだろう。少年――玄之介はネジと目を合わし、次いで瞼は怒りを示すように細められた。 in Wonder O/U side:U未開封のパックジュースを軽く握り締めながら、ネジは居心地の悪そうに床に視線を向けていた。ジュースは玄之介が買ったものだ。不機嫌そうな表情のまま、彼はネジに飲み物を投げて寄越してきた。玄之介が何を考えているのか分からず、そしてこのまま病室に戻る気分にもならず、ネジは玄之介と並んで休憩室のソファーに座っている。酷く空気が悪い。黙り込んでいる玄之介もそうだが、様子を探るように周囲から向けられる視線がそれに拍車を掛けていた。……何か言わなければいけない。既に何度もそう思ってはいるのだが、どうしてもネジは口を開くことが出来なかった。手を濡らすのはパックの結露だけではなく、手の平から滲む汗もだ。友人と呼べる者がおらず、それ故に仲違いなど経験したことがなかったため、ネジはどう切り出して良いのかさっぱり分からなかった。……だが、いつまでもこうしているわけにはいかないか。消灯時間までもう時間が残っていない。言うべきことは早めに言わなければ、と小さく頷き、ネジは口を開いた。「……なあ、玄之介」「なんだよ」「その……すまなかった」「何が?」取り敢えず謝ろう、というネジを見透かすように、玄之介は謝った理由を問い掛ける。何故謝ったのか。それは……何故だろう。「それは……俺は、お前を怒らせてしまったし」「別に。それはお前に怪我させたことでトントンだろ。 謝るべきなのはハナビちんと薙乃、それと師匠に、だ。 俺が怒った理由なんて――それこそ、今となってはどうでも良い」「……どうでも良い、って」「どうでも良いさ。他人にどう思われようと、関係ない――お前、そういう奴なんだろ?」どこか突き放した言い方に、重いものが胸に溜まる錯覚を受ける。だが、そんなネジの様子にかまうことなく玄之介は腰を上げた。ネジはただ玄之介を見上げることしか出来ず、何も言い返せない。「ま、元気そうで何よりだ。 ……もう怪我したくないんだったら、宗家にちょっかい掛けるなよ」じゃあな、と手を挙げると、玄之介は出口の方へ向かってゆく。思わず口を開き掛けるも、どんな言葉を向けて良いのかネジには分からない。一分にも満たないやりとりだったが、玄之介が自分を失望しているのが変わっていないことは肌で感じた。やはり埋められない溝を作ってしまったのか。しかし、それは――「――っ、玄之介!」考えがまとまるよりも早く、ネジは声を上げて玄之介の名を呼ぶ。玄之介は振り返ろうとはせず、その場に脚を止めただけだ。しかし、それだけで良い。話を聞いてくれるのならば、それで充分だった。「どうすれば良い。どうすれば……俺は、どうすれば良いんだ?」それは、何も知らない者が聞けば意味のこもっていない言葉だっただろう。しかし、玄之介にとっては違ったのか。彼はネジに背中を向けたまま大仰に溜息を吐くと、僅かに顔を逸らす。「怪我が治ったら宗家に来いよ。……毒にも薬にもならない話を聞かせてやる」それだけ言って、玄之介は休憩所を後にした。……毒にも薬にもならない話。それが自分にとってどのような意味を持っているのかは分からないが、まったく無意味なことを玄之介が言うわけもない。必ず行く、と胸中で呟き、ネジは紙パックを握る手に少しだけ力を込めた。怪我が治り退院が許されたその日、自宅に一旦戻ると、ネジは休憩することなく宗家へと脚を向けた。一体玄之介が聞かせてくれる話とはなんなのか。病室のベッドで寝ている間はそのことばかりが気になり、もやもやとした気持ちが晴れないでいた。宗家の門を叩くと、それに呼応して、まるで待っていたかのようにすぐに女中が現れた。少し待っていて欲しい、と女中は台所へ下がり、再び現れた彼女はお茶菓子を盆に載せていた。話を聞かせてやる、と言われたのだ。これからまた宗主と顔を合わせる羽目になるのかもしれない。鬱屈した想いがふつふつと沸き上がってくるのを自覚しながらも、ネジは女中の後を黙ってついて行く。そして広間のすぐ近くへときた時だ。「少し、ここでお待ち下さい」そう言うと、女中は広間の中へと入っていった。襖を通して聞こえてきたのはヒアシと玄之介の声だ。あの二人が揃っているのか、と微かな疑問が鎌首を持ち上げる。大して時間を掛けずに女中は広間から出てくると、口元に人差し指を当てた。黙っていろ、ということか。そのまま女中は姿を消すが、ネジは黙って廊下に立ち尽くす。一体、どういうことなんだ。俺は広間に入った方が良いのか。思わず襖の取っ手に手を這わせ――「ところで師匠。一つ、教えて欲しいことがあるのですが」そんな玄之介の声が耳に届き、思わず手をびくつかせた。声質は会話をするにしては高く、叫ぶにしては低い。……俺に何かを聞かせたいのか?そうでなければわざわざ声を上げることもないだろうし、女中がネジに指示を出すようなこともしないはずだ。逡巡するも、小さく頷くとその場にしゃがみ込むと気配を消し、ネジは聞き耳を立てることにした。「なんだ、玄之介」「いやぁ、どうにも分からないことがありましてね。 この間宗家と分家の確執がどういうものかは聞きました。 ――けど、不可解な部分がいくつかあるんです」そう言い、咳払いすると、「――ねえ師匠。なんであんた生きてるんだ?」そんなとんでもないことを言い放った。ヒアシも玄之介の発言に驚いているのか、広間から聞こえてくる音が途絶える。玄之介はヒアシからの解答を待つつもりはないのか、あはは、と苦笑すると先を続けた。「結果オーライってことで誰も疑問に思っていないのか、箝口令を敷かれているのか……。 実際どうなのか俺には分かりません。けどね、それでも問わせて貰います。 師匠、雲隠れの忍頭を殺したのはあなたで、その責任を問われて木ノ葉で処刑され、死体を差し出すように言われたはず。 そこまでは良い。そこから先が問題なんです」……どういうことだ、とネジは口の中で呟く。その先に起こった出来事に疑問を挟む余地などないはず。だというのに、玄之介は何を不可解だと言うのだろうか。「ネジ辺りは怒りが先にきて事実だけしか見ませんが、他の人がそうかと問われれば、否でしょうよ。 ねえ師匠、なんで木ノ葉は危ない綱渡りをしたんです? っていうか、外交的に師匠は死んでるんですか? ……本当、分からないんですよね。全面戦争を避けるために日向宗主の遺体を求められ、木ノ葉はその交渉に応じて日向ヒザシの遺体を差し出した。 ……矛盾してません? もし差し出した死体が日向ヒアシではなくヒザシだとバレたら、まあ元々向こうに非があろうと、謝罪と賠償を要求されて更に立場が悪くなる。 うっわ、今更だけど質悪いなぁ。雲隠れ以外にもそういう国知ってるぞ俺」余談は兎も角、と咳払いをし、玄之介は更に先を続ける。「……木ノ葉が綱渡りをするに至った理由が、あるんでしょう? それなりのイレギュラーが発生したとか、そこら辺のが。 いや、言い出したのは木ノ葉よりも日向の存続を優先させた頭の悪い長老衆かもしれなせんが、それ以外にも……。 もしかしたら、ヒザシさんが自分から進んで生け贄になったり……なんて」玄之介の言葉の、最後の部分。それを耳にした時、ネジは視界が真っ赤に染まるような錯覚を受けた。どういうことだ。事の元凶は日向ヒアシだというのに、何故父が自分から死ななければならなかったのだ。ふざけるな、と喚き散らしそうになるも、辛うじて残っている自制心で堪え忍ぶ。……まだ話は終わっていない。玄之介の暴言を言及するのは、その後で良い。「なんだかんだ言って師匠は人が良い。 ネジが真実を知るよりも、ただ憎んでくれた方がアイツにとって楽だろうし―― 俺を宗家に置いてくれているのだって、贖罪のつもりなんじゃないですか? ヒザシさんと俺の両親は同じ班だった。 ……まったく関係ない訳じゃない」「……お前という奴は、余計なお節介で他人の事情に土足で踏み上がりおって」恥を知れ。そう、続くと思われた。いつもの調子ならばそうなるはずだというのに――「まったく、小賢しいのも考えものだな。 ……そうだ。真実は、お前の考えているものとほぼ同じだ」吐き出すようにして捻り出された言葉に、ネジは先程までの怒りが霧散する。頭を占めているのは困惑だ。どういうことだ。玄之介の両親と父が同じ班だったなど聞いたこともないし、それに、贖罪だと?呆然としたネジに耳に、そこから父が死んだ日の真実が語られる。それを右から左へと通さず、しっかりと聞き、ネジは瞳を虚ろとして廊下に視線を落とす。分家として生を受けたヒザシ。勝手に運命を決められ、ただ宗家を恨む毎日を過ごしていたが――それでも最後は自分の意志で死を選んだ。運命などではなく、それだけは自分で選び、日向の分家ではなく日向ヒアシの弟として生涯に幕を下ろしたかった。たとえ籠の中に捕らわれていようとも死に様だけは自分の手で。……そんな過程があったところで、終わってしまった結末は変わりはしない。だが――「……いくら私を恨んでくれても良い。 それで強くなれるのならば、ヒザシの忘れ形見であるネジがヒザシと同じように運命を覆せるようになってくれるなら。 ……そう思って、今まで生きてきた」「師匠は悪役になることを選んだんですね」「そうだ。それが私の義務だからだ」そこで会話は途切れる。この不自然な間は、玄之介が与えてくれた時間なのだろうか。しかし、ネジにはどうすることも出来はしない。今更そんなことを教えられたところで、一体どうすれば良い。今までの日々が全くの無為とは思わない。ただ――宗家を打倒するために鍛え、振るい上げたこの拳を、どこに下ろせば良いと言うのだ。俺は――「……どうもすみませんでした。嫌なことを話させてしまって」「良い。……ただ、この話は胸の内に留めておけ。 ネジにこの話を聞かせるには、些か早いだろう」「あ、それ無理です。ネジー」「……まさか玄之介、貴様?!」唐突に怒号が上がるも、ネジはどうすることも出来ずに立ち竦んでいた。そんな自分を急かすように、広間の襖が開かれる。現れた玄之介の顔には、どこか達観したような笑みがあった。彼はネジの腕を引くと、そのまま広間に引っ張り込む。身体に力を込めることも出来ず、ネジはされるがままに畳の上へ倒れ込んだ。「……あー、じゃあ後は二人でごゆっくり」「待て、待たんか玄之介!」ヒアシが制止の声を上げるも、玄之介は瞬身の術を行使して脱兎の如く姿を消した。広間に残されたのはヒアシとネジだけだ。く、と悔しげな声を上げつつヒアシは溜飲を下るように腰を下ろし、彼は真っ直ぐな瞳をネジに向けてきた。さて、どうなりましたかね。ネジが憎悪を向けている事件の真実。それを明かすことで、事態はどう転がるか。玄之介や朝顔が介入を繰り返した結果、数々の事柄が前倒しとなっている。これもきっとその一つとなるだろう。ただ、結果がどう出るかは分からない。原作よりも二年早い真実の公開だ。まだネジの精神が未熟ならば、それがどうした、と切って捨てるかもしれない。……ただ、玄之介はネジのことを信じてみようと思った。まだ幼く、自分本位な考えしか出来ないのは玄之介も分かっている。ただ――あの病院での言葉。俺はどうすれば良いと、他人に答えを求めた姿で、ネジを信じてみようと思えたのだ。頼られたならば期待には応えよう。ネジの態度は頭にくるし、やったことも今は許す気がない。ただ、やはり同情は出来る。今度は境遇に対してではなく、意図して真実を教えられていないことに。ヒアシだって善かれと思っての行動だろう。ただ、それがネジにとってどういう風に働くかは別だが。今までは、ネジの気持ちを考えなければ、という前提でプラスに働いていた。おそらく、日向ヒザシが願っていたように強い息子として育っていただろう。……だが、力はともかく心が弱すぎる。測る物差しが存在しないため、どの程度まで成長しているのかすら分からないのだ。それ故に、原作でのヒアシは中忍試験での戦い振りで判断を下したはずだ。ある意味これも一種の賭か。どちらに転ぶのか全く分からない状態で玄之介は賽を投げた。当たりが出る根拠も自信もなく、あるのはただ信じるに値する、という直感のみなのだから。ま、やるだけのことはやった。俺も俺で危ない橋を渡ったしね。そんなことを内心で呟きつつ、玄之介は犬塚宅へと向かっていた。二時間後。キバの家で時間を潰した玄之介は、日向邸へと戻ることにした。遊ぶにしては中途半端な時間だったことにキバは不満げな声を上げていたが、なんとかやり過ごして犬塚宅を後にする。空は茜色に染まっており、通りを行く者にはちらほらと忍の姿も見える。どれも家路についているのだろう。なんとなく顔を合わせ辛いために玄之介はこんな時間までキバの家で時間を潰していた。きっともうそろそろネジも自宅へ戻るだろう、と。しかし、ネジがいなくともヒアシの説教は必ず待っているはずだ。それだけが頭痛の種なんだよなぁ、と溜息を吐き、角を曲がって日向邸の門がある通りへと出る。夕日が照らすあぜ道。その向こうに人影があり、玄之介は目を細めつつ影を凝視し、眉を顰めた。直接見なくとも分かる。影絵となって伸びた形は、特徴的な長髪だ。ネジか、と溜息を吐くと、玄之介は躊躇することなく門へ向かって歩き出す。そしてお互いの姿が見える距離となった時だ。「……玄之介」「よう」どこか遠慮するように声を掛けてきたネジに、玄之介は手を挙げて応えた。脚を止め、ネジと対峙する。ネジは何かを言おうとしているようだが、口はゆったりと開け閉めを繰り返すだけで言葉は出てこない。まあ、まだ早いか。じゃあな、と別れを告げて門に入ろうとし――「その……すまなかった」つっかえながらも、そう、ネジは玄之介に言葉を向ける。「前も言ったろ? 別に俺に謝る必要はないって」「いや、ある。……悪かった。俺の八つ当たりに付き合わせてしまって」「気にしてないって言っただろ? 俺よりも先に謝る相手が――」「ハナビ様と薙乃さんには、既に謝った。だから、今度こそお前に謝罪がしたいんだ」不意に上がってきた二人の名前に、玄之介は目を見開いた。玄之介がネジを許さない理由。それは、至極当たり前で簡単だが、見落としがちな事だった。あの場で玄之介が怒りを露わにしたのは、ハナビと薙乃にネジが八つ当たりをしたからだ。故に、謝るならば彼女達の方に、と思っていたのだが――「なら良いさ。許してやる。……大変だっただろ」そう言って薄く笑うと、玄之介はネジと向き合った。その時になって、ようやくネジの顔にも笑みが灯る。最初は気まずそうに視線を逸らしていたが、まるで自分に渇を入れるように玄之介を見据えた。「まったくだ。 ……ハナビ様はやはり俺を怖がっているし、薙乃さんは言葉だけで、ちゃんと許して貰った気がしない」「そりゃそうだ。あの二人は根に持つからなー、俺と違って」「……いや、お前もかなり根に持つだろう?」「ご冗談を。このジェントリーを捕まえてそんな」おどけた風に紡がれた言葉で、吹き出すように二人は破顔する。ネジはどこか控えめな笑い方だが、それが彼の笑みなのだろう。そんな表情に、そういえば、と玄之介は声を上げる。「ネジが笑ったの初めて見たかもなぁ」「……俺だって、悪戯めいたものではなく、お前のちゃんとした笑い顔は初めて見たぞ」「あー……まあ、変な確執があったしな、お互い。それで、どうよ?」「まあ、ぼちぼち、といったところだ」特に何が、と言ったわけではないが、ネジには伝わったのだろう。彼は唇を湿らすと、深呼吸をして玄之介の疑問に応える。「……まだ完全に許せたとは言えないし、父さんが死んだ事実も変わらない。 だが――それにいつまでも拘っていたら、父さんが俺に残してくれた居場所を汚すことになる。 ……いつか全てを許せる気になったら、今度は俺が頭を下げる番だろうな」「そうか」「ああ」どうやら、出た賽の目は悪くはなかったらしい。宗家を完全に許すことは出来ないが、いずれは。そして、その時には和解しようと――そう思えるだけで、大きな進歩と言えるだろう。「……なあ、玄之介」「なんだよ」「また俺と戦ってくれるか? 今度は八つ当たりなどではなく――純粋な勝負として」「かまわないよ。……まあ、どうせ俺が勝つし」「ほざけ」浮かべるのは二人とも苦笑いだ。しかし、以前では有り得ないほど穏やかな雰囲気が両者の間に流れている。また明日。そう言い、玄之介とネジは別れると、お互いの家へと戻った。