「だいたい、いつまでも少年のままで、なんてのは我が儘勝手な男の既得権を守りたいって意味でしかないのよ。いわば、おじんの証明よ」「本当の少年は、早く大人に――もっと大人になりたいと思っているもの」――榛野なな恵『PaPa told me』より抜粋。薙乃に抱きかかえられた状態で、キバは森の中を突き進んでいた。妖魔とは言え薙乃は女性だ。それも姉に歳の近い人。身体を密着させることに、どうにも気恥ずかしさを感じてしまう。それが平時だったら、の場合だが。赤丸は振り落とされないよう、キバの腕に噛み付いた状態で腕の中に収まっている。キバはキバで、猛烈な勢いで流れる風景に酔いそうだった。「な、薙乃さん……速度を落としてもらえると……」「不可能です。もう一度聞きますが、賊の数は一人なのですね?」「あ、ああ。森の中には俺たち以外に一つの臭いがあった」分かりました、と応え、薙乃は速度を更に上げる。と言っても、一人で駆けるよりは速度が数段落ちていた。当たり前だ。人一人抱えて普段と変わらぬ速度など出せるわけがないのだから。焦りや自らに対する怒りを感じつつ、薙乃は玄之介の元へ急ぐ。断罪も贖罪も、ことが終わってからだ。全てはハナビを救出してからでなければいけないのだから。自らの装備を思い出しつつ、玄之介は眼前を見据えて駆けていた。忍具ホルダーには苦無、手裏剣が共に三つ。手甲は置いてきたため、たたら翁の忍具はない。当てになるのは自らの肉体だけだ。ここ数日ガイとの組み手を行っていないため、体力はそれなりに残っている。そのお陰で全力を尽くせるとは、どんな皮肉だろう。軽く口の端を吊り上げ、玄之介はホルダーから苦無を取り出し、右手に持った。いた。見つけた。追い付くまでには僅かに時間が掛かるだろうが、玄之介の先にはハナビを脇に抱えた忍がいる。その姿を見つつ、玄之介は軽く眉を持ち上げる。それは、賊の格好が木の葉のものだったからだ。中忍が着ることを許されたベスト。変装して紛れ込んだのか、それとも裏切り者か。僅かに思考し、どうでも良い、と切って捨てる。重要なことは、ハナビを攫ったことのみだ。故に、あれは敵である。気絶させられたのだろうか。ハナビは抱えられたまま動かない。血臭は漂ってこないため傷付けられてはいないのだろうが、安心することは出来ない。血継限界の肉体は、死体からでも情報を得ることが出来る。ヒアシの死体を要求してきたのがいい証拠だろう。気絶しているように見えるハナビがもし殺されているのだとしたら。その時、俺はどうするのだろうか。そんな風に自問し、答えることが出来なかった。頭を軽く振り、雑念を追い払う。そう、雑念だ。殺す殺さないよりも、重要なのはハナビを取り戻すこと。そのために必用なのは、戦闘に対する集中だ。敵の行動を予測し、着地のタイミングを読む。流石に玄之介が追い付いたことに気付いているのだろう。直線的な軌道だった動きは変化し、ジグザグと緩い弧を描いて忍は移動を開始している。ならば、と玄之介は苦無を持つ手に力を込める。狙うは相手が着地するタイミングだ。僅かだが、足に力を込める瞬間、どうしても動きを止めるだろう。投擲技術に自信があるわけではない。だが、それでも――やるしかないだろ、と自身を鼓舞する。左手で印を組み、右手に持つ苦無に込めすぎない程度に力を入れ、神経を研ぎ澄ます。敵が着地し、力を込めて跳躍する。その刹那だ。玄之介は忍の着地地点をおおまかに予想し、苦無を投擲する。凶器が真っ直ぐに向かう先に忍はいるが、狙いは僅かに逸れていた。タイミングを逃すことなく、玄之介は風遁・操風の術を発動。まるでマグナム弾のように苦無の周りを風が覆い、微かに軌道を修正。纏った風に押し出され、忍具は一直線に忍のふくらはぎへ突き刺さった。忍装束は防刃機能を持っているのか、苦無は肉を深く抉ることない。だが、足止めとしては有効だった。忍はバランスこそ崩さないが、速度を一気に落として玄之介の方を向く。その隙に瞬身の術を発動。玄之介は間合いを詰め、ホルダーから全ての手裏剣を取り出し指の合間に挟んだ。瞬身が切れる瞬間にハナビを抱きかかえていない左半身に向けて投擲し、姿勢を低くして再び瞬身。投げられた忍具と平行に移動し、短く息を吐いた。敵の忍だが、流石にハナビを誘拐しようと思っただけはあったようだ。軽傷とは言え不意に負った傷にかまわず、サイドステップで迫る手裏剣を全て避けた。そんな忍の行動に、玄之介は唇を歪ませる。払うか、右に避けるか、左に避けるか。それだけの選択肢がある中で、敵は右への回避を選んだ。そうなるよう手裏剣を投げた訳だが、なんにしたって運が良かった。そう思いつつ――――木の葉旋風。忍の回避が完全に終わる前に跳躍し、ガイから教えて貰った剛の拳を繰り出す。まずは上段回し蹴り。空中での行使故に威力はない。軽く首を引くだけで避けられ、玄之介の脚は空振りする。だが、それは承知の上だ。一撃目は見せ技。肝心なのは、二撃目を確実に当てること。操風の術を発動し、無理矢理身体を地面に降ろす。その課程で身体を捻り、鞭のように鋭い蹴りで足払いを放つ。果たして、木の葉旋風は成功した。砕くには至らないが、確実な手応えを感じる。相手が怯んでいる隙にハナビを。そう思考し、身を跳ねようとしたのだが――至近距離から放たれた苦無をバックステップで避けたため、それは不可能だった。一拍置いて、忍は不様に転倒する。その際、ハナビが下敷きになったことで、玄之介は頭に血が上るのを自覚した。右頬に微かな痛みを感じ、続いて生暖かい液体が伝う感触。切り傷。ここ暫く負うことのなかった怪我だ。あの状態から忍具を投擲する辺り、咄嗟の判断力は悪くないのだろう。もし体術を駆使してきたのならばハナビを抱えたでまま取っ組み合いになったはずだ。それを見越して殺傷能力のある忍具を使ってきたのは、偶然ではないはず。わざわざ自らの拳を使わず、忍具を取り出して投げるという面倒な行動を選んだのだから。手練れだな、と内心で呟き、弾みそうになる息を落ち着かせる。敵の忍は覆面で顔を覆っている。まあ、所詮顔が分かったとしても、玄之介は木の葉の忍を把握していないので意味はないのだが。ベストを着ていることから、少なくとも中忍。悪くて特別上忍。最悪、上忍級だと覚悟しないとだろうが――「……お前は、如月玄之介」「……へえ、知っているのか」不意に名を呼ばれたことに微かな驚きを抱きつつ、玄之介は素の口調で言葉を返す。忍はそんな玄之介の態度をどう思ったのか。覆面が僅かに動いたことで表情を変えたことだけは分かった。「失せろ。それなら、命だけは助けてやる」「冗談。退けるわけがないだろ。 それに――お姫様を助けるのはナイトの役目さ」軽薄な言葉だが、それに忍が反応することはない。忍は脇に抱えているハナビを一瞥すると、真っ直ぐに玄之介を見据えてくる。「一つ、聞くが」「なんだよ」「そんなにこの娘が大切か?」「当たり前だ」下らない問いだ、とばかりに玄之介は吐き捨てた。外から見たらどうなっているのかは分からないが、玄之介にとってハナビは妹のようなものだ。それも、目に入れても痛くない類の。そんな彼女を大切かどうかなど、彼にとっては愚問だった。「……まあいい。お前も血継限界だったな。持ち帰れば――」「黙りやがれ」持ち帰る。即ち物扱いされているというわけだ。自分も、ハナビも。それだけで怒りが沸点に達し、玄之介は唐突に声を荒げた。「その子がいなくなっても人が悲しまないと思っているのか、この野郎。そんなわけないだろうが!」言い、握り締めた拳を眼前に据え、必ず救うと、意志を堅く固める。「覚悟しやがれ、この悪党!」 in Wonder O/U side:U玄之介の宣言に応じた、というわけではないだろうが、忍はハナビを地面に降ろすとホルスターから苦無を取り出した。久々の実戦だ。勘が鈍っていなければ良いが、と目を細め、玄之介は両掌にチャクラを集中する。忘れてはいけないのが、この戦いの最優先はハナビの救出という点だ。敵を叩きのめすよりもハナビを助ける方が重要である。その課程で忍を倒さなければならないのなら躊躇はしないが、理想はハナビを連れて離脱、薙乃と合流して二対一に持ち込むことだろう。目的のある戦いなど、今まで行ってこなかった。だというのに初めて意義のある戦いが絶対に負けられないだなんて、どんな因果か。薄く笑い、玄之介は忍を見据える。ハナビがすぐ近くにいるため、火遁とカマイタチは絶対に使えない。それ以外となると相手に打撃を与える忍術は持っていない。故に――瞬身で一気に間合いを詰め、玄之介は掌を構えた。迎撃で放たれる苦無を、全て掌で払い落とす。通常時ならば出来ない芸当だが、チャクラを張った柔拳ならば可能。このまま柔拳を叩き込み、敵を怯ませる。それを目的として近付いたのだが――敵が背中から取り出した巨大手裏剣が飛んできた瞬間、舌打ちしつつ身を屈める。が、そのアクションを取った刹那、玄之介は目を見開いた。巨大手裏剣の下には、もう一枚の巨大手裏剣が存在している。影手裏剣の術。基礎の応用だが、このサイズでそれをやられるとは思ってもみなかった。更に身体を屈め、地面に左手を着きつつ右手で二枚の手裏剣を弾く。つっかえ棒のように手を出してしまったせいで、手首からは鈍い痛みが返ってきた。玄之介が動きを止めたのを好機と取ったのか、雨の如く苦無が頭上から殺到する。携帯するには量が多い。口寄せか、と判断しつつ、地面に這うような体勢で玄之介は両手を開いた。――偽・八卦十六掌。見様見真似の日向流柔拳。急所に迫る苦無だけを弾き飛ばし、頭部に向かうものは首を傾げて回避する。それでも三本の苦無を通してしまい、右胸、右腿、左肩に苦無が突き刺さった。灼熱感にも似た衝撃が脳を突くが、それでも玄之介は動きを止めない。この状況で動きを止めるのは、相手に隙を作ってやるようなもの。凶器の第二波が来る前に、敵の懐へ入らなければ。苦無を取り出して順手に持ち、反動を付けて身体を跳ねる。ハナビから忍を遠ざけなければ。その一心で、玄之介はハナビの方に伸びている忍の腕目掛けて苦無を投擲する。次いで、瞬身の術を発動。右腕を捻子り、低い体勢のまま忍を自らの間合いへと引き込んだ。焔捻子。しかし、フェイントも何もない一撃は完全に見切られる。身を翻して回避すると、忍は巨大手裏剣を手に持ったまま玄之介へと叩き付けた。だが、手裏剣の穂先が捉えたのは玄之介のジャケットだけ。忍が変わり身の術だと気付いた瞬間には、玄之介はハナビを拾い上げて距離を離していた。このまま逃げる。それだけが玄之介の脳裏にあったが、その考えは一瞬で却下された。足止めで忍が放つ忍具は、命中精度が玄之介の放つ苦無と段違いだった。ハナビを抱えている状態では彼女に当てるかもしれない。ごめん、と胸中で呟き、玄之介は木陰にハナビを放り投げた。同時に、風遁・大旋風の術を行使。腕を振るうと同時に風を発生させ、殺到する忍具を薙ぎ払う。着地し、後ろ向きにスライディングしつつ右手で印を。火遁・豪火球。大旋風の残った風を吸収して火球は肥大し、玄之介と忍の間を埋める。着弾し、爆炎が上がる刹那。これをどう生かすか。それに思考を這わせながら、玄之介は戦闘を続行した。衝撃と、額に鈍い痛み。それで、日向ハナビは目を覚ました。彼女を出迎えたのは、心地の良い朝の空気でも暖かな挨拶でもない。地面が爆砕する轟音と、視力を奪わんばかりの閃光だ。思わず悲鳴を上げるも、声は爆音に攫われて誰の耳にも届かない。そしてそれが止むと同時に晴れた視界。急に現れた光景を目にして、ハナビは息を呑んだ。そこにあったのは、戦場だ。覆面で顔を覆った忍と、ハナビにとって身近な存在である如月玄之介が、見たこともない形相で体術と忍具での応酬をしていた。なんでこんな、と考えると同時に、意識を失う直前の出来事を思い出す。遊んでいる最中に白眼の範囲へ人が入ってきた。単純な好奇心に負けて近付いたら、鳩尾に拳を入れられ気絶したのだ。思わず胸を撫で、忘れていた痛みがぶり返してくる。一体なんだったのか。いや、おそらく――「……攫われそうになったんだ」そして、玄之介があんな表情で戦っているのは、自分を助けるため。自覚すると同時に、申し訳なさが込み上げてくる。だが、それは些細なことだ。申し訳なさよりも大きな感情が、胸の中に息づいている。そんな気持ちを口に出したい、と思うも、不様に誘拐されそうになった自分が言ってもいいのかと迷ってしまった。しかし、そんな躊躇も玄之介が戦っている事実で吹き飛んでしまう。木陰から身を乗り出し、腕を振るってカマイタチで忍具を吹き飛ばしている玄之介を見据える。「げ、玄之介……」そこまで言い、息を吸い、「――負けないで!」鳩尾が痛むのにも構わず、ハナビは声援を送った。「――負けないで!」唐突に耳へ届いた言葉に、思わず動きを止めそうになる。だが玄之介はチャクラを練り上げるのを止めず、苦笑するだけでそれに応えた。正直なところ、この戦いは玄之介の不利だった。実力自体は総合的に見て互角ぐらいだろう。万全な準備をして来ただけあって、武装の面で相手が上回っているかもしれない。だが、逐一ハナビの方へ余波が及ばないように配らなければならないし、その上、明らかな実戦経験の差が敵とはあった。決定打を狙おうとせず、淡々とこちらの戦力を削ぎにくる忍。どこか機械じみた戦闘方法から、熟練した相手なのだと察することが出来る。故に、無理をせず、なんとか薙乃が来るまで持ち堪えれば、と考えていたのだが――「……お姫様にああ言われちゃ、格好悪い所は見せられないな」そうだ、と自分自身で呟きに応える。覚悟しろと言ったのは自分自身だ。なのに、この防戦一方な戦い方はどうなのか。いや、決して間違ってはいない。救援を待つというのは正しい戦法だ。だが、それでも。攻めに転じることを由としない今の状況がいつまで保つのかなど、誰にも分からない。ならば、「――往くぞ」風遁・大旋風の術。生み出した風を右肩に集中し、右腕を構える。腰を落とした体勢でスライディングしつつ忍へと接近する。その間、回避は大旋風で無理矢理に身体の体勢を変えるのみだ。まるっきり出鱈目で、速度もそれほど速くない移動法。しかし、それは確かに忍の虚を突いた。僅かに忍具の弾幕が薄くなる。その隙を突き、玄之介は忍へ向かって瞬身の術を行使した。苦無が身体を抉るのも顧みず懐へと入り、咆吼と共に右拳を叩き込む。それで忍は身体を浮かせ、絞り出すように息を吐いた。敵の動きが完全に止まったのを察し、玄之介は顔を上げる。そして、「焔――」バック転するように上体を逸らし、爪先を跳ね上げ、「――閻魔」忍の顎を確実に蹴り上げたのを確認し、体制を整えつつ右腕を螺子り、「焔――」体制を整えつつ右腕を螺子り、「――螺子」叩き込んだ掌を引き戻し、手刀を作った左腕を螺子り、「焔――」手刀を作った左腕を螺子り、「――錐」突き出した手刀を肋骨の隙間に突き込んで肺を強打し、「焔――」重い吐息と共に投げ出された右腕を左手で取り、右肘を準備しつつ背後に回り、「――槌」後頭部へトドメの一撃をお見舞いする。昏倒必至の連続技だ。しかし、やはり流石と言うべきか。忍は身体をふらつかせながらも、しっかりと地に足を着いていた。「この、クソガキが――!!」怒声と共に、忍は巨大手裏剣を喚び出して投擲する。ハナビの方へと。舌打ちすると同時に、玄之介はハナビの前へと回り込んだ。錯乱しての行動だろうが、玄之介にとって最も効果のある攻撃だ。ハナビを守るために戦っている玄之介が、この状況で守りに入らないはずがないのだから。巨大手裏剣を前に、玄之介は世界がスローモーションになるような錯覚を受ける。死に直面した場合、こういった現象が起きると聞くが、まさか体験する羽目になるとは。どうする、と流れ落ちる刻の中で思考する。刹那の中で術を行使するのは不可能だ。チャクラを集中するだけで精一杯。大切なのはハナビを守ること。ならば、自分が盾になれば良いのだが――そうしたら、彼女はどんな顔をする?問い掛け、それは行動へと結び付く。絶対に、自分もハナビも死ぬわけにはいかず、死なせてしまうわけにもいかないのだ。チャクラを両掌へと集中。可能な限り疾く、正確に。そして玄之介は両手を眼前に構えると、あろうことか高速で回転する巨大手裏剣の刃の内一つを、受け止めた。チャクラで覆われていると言っても、急ごしらえの守りだ。簡単に突き破られ、冷たい鋼は手の平へと食い込む。だが、それだけだ。巨大手裏剣の真剣白刃取り。全くもって馬鹿げたことを、彼はやり遂げた。今更になって冷や汗が背中を伝い、歯の根が下手なドラムを打つ。馬鹿じゃないか、と自分自身を罵り、玄之介は巨大手裏剣を投げ捨てた。しかし、急に集中を解いたせいなのだろう。玄之介は接近する忍に気付くことが出来ず、不意に放たれた蹴りで弾き飛ばされる。回転する視界の中で焦りが頭を焦がすも、今の彼は受け身を取ることしか出来ない。そして口の中に鉄の味を舐めつつ顔を上げると、玄之介は飛び込んできた光景に凍り付いた。「来るな!」覆面から唯一覗いている目を見開きつつ、忍は苦無を首筋へと当てていた。腕に抱きかかえた、ハナビの首筋へと。下手を打った、と眉根を寄せ、身を起こす。だがそれも刺激にしかならなかったのか、忍は声を荒げてハナビの首筋へと苦無をより強く押し付ける。「来るな、来るな、来るな! なんだその強さは……。 お前はアカデミーの生徒……それも、ロクに授業へ出ない落ち零れだろう?! なのに、その出鱈目な力はなんだ!!」ついさっき玄之介が行った焔連撃と、真剣白刃取り。それは忍を刺激する材料となってしまったのか。彼は錯乱した様子で叫び続け、震える手をハナビへと押し付ける。そして限界を超えたのか、ハナビの肌に一筋の血が伝った。「この娘を殺すぞ……そこを動くな!」言われ、玄之介は動きを止める。どうやってこの場を打破するか。それだけに思考を傾け――視界の隅に現れたものを見て、覚悟を決めた。血に濡れた右掌に視線を落とし、チャクラを集中する。渦を巻くチャクラ。それは溢れ出す血を巻き込み、鉄錆色の螺旋を描く。「何をやっている! 動くなと言っているだろうが!!」「……玄之介」ハナビは玄之介の放とうとしている術を分かっている。螺旋丸。しかし、その準備段階で、間違いなく彼女は殺されるだろう。しかし、「いいよ。信じてる」恐怖を微塵も顔に表さず、笑みさえ浮かべ、ハナビは玄之介を見詰めた。「ありがとう」それだけ言い、玄之介はチャクラの回転数を更に上げる。そして球状に収束を始め――「この、馬鹿が――!」忍は、苦無を持っている腕を震わせた。だが、それはハナビの喉を切り裂いたからではない。忍の死角となっている真上から放たれた苦無によって、だ。短い悲鳴を上げ、忍は体勢を崩す。その隙にハナビは腕から抜け出し、白眼を発動させた。彼女が点穴を見切っているのかどうかなど分からないが、チャクラを集中した掌を忍の鳩尾へと叩き込む。そしてバックステップで距離を取った。残されたのは、内蔵破壊の拳を受けた忍のみだ。玄之介がこの局面で螺旋丸を選んだのは、会得している術の中で最もハッタリが利く術だったからだ。普通の忍ならば見たこともない奥義。そんなものを目にし、しかも見ただけで尋常じゃない量のチャクラを高密度で圧縮していることが分かる。どんな忍だろうと、間違いなく気を引かれるだろう。それ故に真上に潜んでいる援軍にも気付かず、次いで起こったアクシデントに対応出来ないほど狼狽した。――さて、決着を付けよう。「乾かず、飢えず、無に還れ――」呟き、チャクラの形質変化を完全に行い、「――螺旋丸!」本来ならば青色だが、血が混じったせいで紫色となった螺旋の球を、掬い上げるようにして忍へと叩き込んだ。螺旋丸とは真っ直ぐに敵へぶち込み、障害物との衝突で殺戮せしめる技である。しかし、それを下から上への軌道で行ったらどうなるか。「――昇華!」掛け声と共に、轟音と吹き荒れる風を引き連れて、忍は青空へと吹き飛んだ。文字通り、星になる、とでも言うのだろうか。ドップラー効果で悲鳴は遠離りつつ、忍の姿は虚空へと消えた。消え去った忍を見届け、玄之介はその場へ崩れ落ちる。直ぐ傍にいたハナビが悲鳴を上げて駆け寄るも、それに応える余力は残っていない。気付けば、紺色のアンダーウェアは鈍い光と共に重くなっていた。全て血だ。匂いをかげば、血臭しか漂ってこない。おまけに忍術を極度の緊張状態で行使し続けたためにチャクラも底を尽き掛けている。まったく、なんて不様。だが――「……お姫様を助けられたから、良しとしますか」徐々に掠れる視界に映ったハナビの泣き顔を見て、そんなことを呟いた。