1.
任務受付所。
古風というよりも古びたといったほうが正しいほどの家屋の中、それはあった。
『任務受付はこちらまで』と書かれた幕を下げているカウンターには受付の忍――受付管理忍(かんりにん)が着座しており、受け付けた依頼をA~Dの難易度に振り分けて、任務に適した忍者たちを指名していく。
管理忍たちの中で、一際目立つ笠を被った老人がおり、ナルトたち七班の任務をどれにしようかと頭を悩ませている。笠のせいで陰となり、顔は見えないが、その手は長い年月を生きてきた大樹のように、年輪が重なっている。細く、薄く、力の感じられない老人は――しかし、頼りなさとは無縁の存在。
この老人こそ、木の葉の里における最高権力者。現火影の猿飛その人であった。
火影はパイプを咥えて、煙を吹かし、七班の任務履歴を見ていた。
「さて! カカシ隊第七班の次の任務は……と、ふむ、前回からCランク任務につき始めたのか?」
目に止まったのはソレだ。
まだ下忍になって間もないというのに、Cランク任務でも危険な部類に入る『敵地への潜入任務』をこなしている。しかも、人質の奪還も同時にこなさなければならない。その任務をほとんど上忍の手を借りずに達成してしまっている。
「えぇ、こいつらDランク任務だと俺がいなくても任務こなしちゃうんで……。Cランクくらいじゃないと俺としてもやることないんですよ」
アカデミー時代、落ちこぼれと謗られていたナルトが、任務で活躍したと書いている。仲間とも上手くやっているようだ。
「ほらほら、私のこと褒めてるわよ」
「はいはい、さすがはサクラ様だな。我らがリーダー! サクラ様!」
「正面突破で囮を務めたのは俺だ」
「な、何よう!」
「いい加減にしとけ、コラ」
「はーい」
子供が三人並んで茶化しあう。それを先生に咎められる。
ありふれた光景ではあるが、ナルトにとってはそんな日常すら手に入れがたいものだったことを、火影は知っている。それなのに――手に入れたのか。
歳を経たせいか、涙もろくなりつつあることを自覚しつつ、火影は慎重に任務を選ぶ。
手元にある数多くの中から任務を選ぶのはそれなりに難しい。だが、慣れた手つきで素早く資料を展開し、入念にチェックしていく。
これだ。
そう思えるものが目に止まった。
「では、次もCランクの任務をやってもらう……ある人物の護衛任務だ」
護衛任務。
潜入任務よりは幾分か楽ではあるが、それでも下忍にとっては難易度の高い任務だ。
依頼人を四六時中守らなければならない。敵はどこにいるかわからない。極限状態に追い込まれる。
いつ来るかわからない脅威による圧力に負けない忍耐力と急な騒動に対しても落ち着いて対処できる精神力、判断力が必要になってくる。
「へぇ? 連続でCランク任務か。俺たちついてるな」
「連続でしんどいのについてる?」
「俺たちの実力が認められてるってことだろ? 出世頭じゃねぇか」
「そうなのかなぁ?」
サクラが疑問を持つが、ナルトは断言する。
子守や買い物のお使いなどの退屈で死にそうになる任務よりは、いくらか危険のあるCランク任務のほうがマシだ。んー、と微妙な顔をしながら細い首を傾げる。
「で、どんな奴の護衛なんだ?」
サスケが火影に鋭い視線を向ける。
そわそわしているのが見て取れる。護衛任務という響きに身体が疼いているのだろう。
火影はにこやかに笑い、依頼人との仲介を担当する仲介忍を呼び寄せる。
「そう慌てるな。今から紹介する。入って来てもらえ」
任務受付所の隣にある急な依頼を持ち込んできた人を待たせるための部屋。
木造の分厚い扉が床と擦れる不愉快な音を立てて、開いた。
「なんだァ? 超ガキばっかじゃねーかよ!」
出てきたのはうさんくさい爺さんだった。
すぼめられた双眸は七班を見下ろしており、吐く息はとても、臭い。片手には一升瓶が携えられていて、大きな背嚢を担いでいる。一見して物乞いに見えないこともない。
ぷっはぁ。
一息に酒を飲み干すと、思い切りゲップを放つ。下品極まりないその動作に、サクラは思わず顔を顰めてしまう。ナルトやサスケも同様だ。
これを守らなきゃいけないのか。
考えるだけで、少し切なくなる少年少女たち。
そんな態度を見破っているのだろう。爺さんはだんだんと不愉快な感情を顕にしていく。
「とくに……そこの一番ちっこい目つきの悪いクソガキ。お前、それ本当に忍者かぁ!? お前ェ!」
誰のことだろう、とナルトは一瞬考え込んで、両隣を見る。
サスケとサクラは少し高い位置からナルトのことを見下ろしていた。
つまり、
「……あぁ、俺のことか。忍者か? って聞かれてもな。忍者に依頼する場所に普通のガキがいるはずがないだろ?」
今日は上下ともにお気に入りの迷彩服だ。センスがズレているのかな、とナルトは思案する。
確かに迷彩服はおかしいのかもしれない。しかし、ウチハの絵をプリントしているサスケよりは幾分かセンスがマシだという自負もあるし、つい先日は「格好いい服着てるわね」とサクラに褒められたばかりなのだ。
いや、逆にこうは考えられないだろうか。ダサいとかではなく、忍者らしくないということかもしれない。
ならば、どんな服装が忍者らしいのだろう?
ナルトの思考は完全に迷走していた。
そんな困った子を放置して、依頼の話が進んでいく。
ぶつぶつと呟くナルトを呆れるようにサクラとサスケは見守るが、放っておく。後で説明すればいいことなのだから。
「フン! わしは橋作りの超名人、タズナというもんじゃわい。わしが国に帰って橋を完成させるまでの間、命をかけて超護衛してもらう!」
「すぐに出発するそうだ。荷造りが終わり次第、任務開始だ」
付け加えるように火影が補足する。
「わかった」
七班のメンバーは声を揃えて返事をした。
◆
木の葉の里と外界を遮る天高く聳える門扉。
地響きが起こったかのような大地を揺るがす騒音を立てながら、開かれた。
「これが外か」
呟き――ナルトは一歩、踏み出した。
そこには世界がある。
硬く閉ざされた籠の中ではなく、外。視界いっぱいに広がる道は果てが見えず、林立した木々の数も数えきることができないだろう。
天を仰ぎ、大きく息を吸う。
いつだってご機嫌な太陽が、今日は自分を祝福するかのようにいつも以上に輝いているように見えた。
浮き立つ心は抑えられず、思わず口笛を奏でてしまう。
日頃からどこか冷めているナルトらしくなく、楽しげに振舞う姿に違和感を覚える。
「珍しく浮ついてるわね」
「外に出るのが初めてだからな。ちょっとだけ楽しみにしてる」
サクラの言葉に機嫌よく答える姿は、どこか幼さを残しているように見えた。
大人びた言動が目立つナルトだからこそ、微笑ましく感じる。そう言えばこいつって同い年なのよね、と変なところで納得するサクラがいた。
にやにやと頬を綻ばせている姿は、少し不気味だ。屈託なく笑いながら、ナルトはサスケににじり寄っていく。
「なぁサスケ。お前何持ってきたんだ?」
「何って?」
妙に浮かれているナルトの言動の意味をわかりかねて、サスケは問い返す。
「おやつだよ。おやつ。何か持ってきたんだろ?」
「……コアラのマーチだ」
「へぇ、俺はポッキー持ってきたんだ。後で分けようぜ」
「あ、私も入れて。ほら、バナナ。バナナ持ってきたの」
遠足気分だ。
小さな背嚢を担いでいる。その中にはお菓子も含まれているのだろう。
どうしたもんだろう、とカカシは三人を見下ろすが、まぁいっか、と帰結する。無駄に緊張されるより、適度にリラックスしている今のほうが余程良い。
だが、依頼人のタズナからすれば不安で仕方なくなる。
「おい! 本当にこんなガキで大丈夫なのかよォ!」とつい口が出てしまうのも仕方ないだろう。殺伐とした雰囲気を予想していたのに、和気藹藹とした子供たち。命を狙われる立場としてはもう少しシャキっとしてほしいと願うのはとても普通だ。
そして、依頼人を宥めるのは年長者の仕事だ。
「ハハ……上忍の私がついています。そう心配いりませんよ」
「そうだぜ。無駄に緊張しても結果がついてくることはない。疲れるだけだ。大きく構えてろよ」
「ガキが生意気なことを言う……」
ポッキーを齧りながらそんなことを言うナルトを、タズナは睨みつける。
仮にも命のやり取りをしたことがあるナルトは、一般人の怒気など軽く受け流し、お菓子をつまんでいた。
浮かれているのはわかるけれど、態度が悪すぎる。おそらくだけど、依頼人に馬鹿にされたことを根に持っているのだろう。
怒り心頭でイライラとし始めたタズナ。サクラはぎくしゃくとした空気を敏感に察知する。
ガキね。
子供っぽいナルトの姿に苦笑しつつ、サクラは空気をやわらげるためにタズナに話を振ることにした。
「ねぇ、タズナさん……タズナさんの国って"波の国"でしょ?」
「それがどうした」
不機嫌な声色。
機嫌を治すことは容易ではないことを確認し、サクラはカカシを話に巻き込むことに決めた。目が合った瞬間に、俺は嫌だよ、と言わんばかりに首を振ったことなど無視だ。
「ねぇ、カカシ先生……その国にも忍者っているの?」
「いや、波の国に忍者はいない。だけど、たいていの他の国には文化や風習こそ違うが、隠れ里が存在し、忍者がいる。その中でも"木の葉"、"霧"、"雲"、"砂"、"岩"は"忍び大国"とも呼ばれてる。
で、里の長が"影"の名を語れるのもその五カ国だけでね。その"火影"、"水影"、"雷影"、"風影"、"土影"の――いわゆる五影は全世界各国何万の忍者の頂点に君臨する忍者たちだ」
七班の三人は少しだけ考え込み、疑問を持つ。
ナルトの口角は引き攣り、サスケは鼻息を鳴らし、サクラは、
(あのショボイジジイがそんなにスゴイのかなぁ……なんか胡散臭いわね)
などとかなり失礼なことを考えながら、そんなことはおくびにも出さず「へー、火影様ってスゴイんだぁ!」と感嘆してみる。
「……お前ら、火影様のこと疑ったろ?」
バレバレであった。
特にサクラは顕著で、びくりと身体を震わせる。愛想笑いに近い作り笑いは凍りついてしまった。
やっぱりね、とカカシは嘆息する。普段の火影の姿を見ていてそこまで凄いと思えないのはカカシも同感だ。目の前で実力を見たことがないと、あれは信じられないだろう。
「ま……安心しろ! Cランクの任務で忍者対決なんてしやしないよ」
「じゃあ外国の忍者と接触する危険はないんだァ」
「もちろんだよ、アハハハ!」
カカシとサクラの談笑を聞いているタズナの顔色が、変わった。
罪悪感の滲む――罪人のような不吉な色。
ナルトとサスケは気づき、違和感を持つ。だが、とくに追求すべきことはないので、勘違いか、と勝手に結論する。
何より、もっと気を払わなければならないものが出てきたのだから。
水溜り。
延々と続く交易路は整備された土の道なのだから、水溜りがあること自体はおかしくない。
だが、ここ数日、雨など降っていないのだ。
七班の三人は笑いながらも視線で確認し合い、頷く。
水溜りを通り過ぎたときに、それは起こった。
水たまりから、大きな鉤爪が目立つ、歪な人影が二つ現れたのだ。
「なに!?」
カカシはその二人の鉤爪を繋ぐ鎖に絡めとられて、身動きがとれなくなる。
それは一瞬の出来事だった。
「一匹目」
斬殺。
いや、それは正しくないかもしれない。より的確に表現するならば、細切れにされたというべきだろう。
肉片になるほどに鉤爪で切り裂かれたカカシは、間抜けな表情のまま、地面へと倒れ伏した。
だからこそ、おかしい。
「サスケくん! ナルト! 卍の陣よ。タズナさんを守るわ!」
「オッケー」
「了解」
敵から見れば一番手強いと思われる忍者を殺したのに、残るガキどもは焦る様子すらなく、むしろ冷静に事に当たっている。
タズナを中心に、ナルトたち三人は防御の構えをとる。中央にいる依頼人を敵の攻撃から守る防壁陣。
関係なく、敵二人は襲い掛かってくるわけだが。
よく修練をされたことがわかる俊敏な動き。鉤爪からは何かが滴っており、おそらく毒物だろうことも容易に見て取れる。
そして、狙いは――
「二匹目」
タズナへ向かう敵が二人、サスケとナルトがが蹴り飛ばす。
逆方向に蹴り飛ばされた二人は即座に体勢を立て直すが――
「サスケくん! 突っ込まないでっ!」
「……そんなこと言ってられるか」
サクラの制止も聞かず、サスケは自分が蹴り飛ばした敵へ向かって疾走する。
敵も速かった。
しかし、サスケのほうが数段速い。
鉤爪を振り下ろす――サスケからすれば止まって見えた。
踏み込み、距離を一瞬で潰す。
そこからはただの作業だ。
肩へと苦無を突き刺して、相手の攻撃を妨害。そして、空いている手で再び苦無を取り出して、首を掻っ切る。
血飛沫。
鮮烈な紅色で染められる景色は壮観だ。
敵からすれば仲間の死亡。
何の感慨も湧かないのか。冷徹なまでに表情を動かさず、敵はタズナへと向かっていく。
「ナルト!」
「全く……サクラ様は人使いが荒い」
「うっさい! さっさとやる!!」
サクラの命令に、渋々と言ったようにナルトは印を切る。
敵は印を切るナルトに警戒したのか、逡巡する。全く慌てる素振りのない七班に対し、ここで初めて脅威を抱く。
それが、穴となる。
勝負を終えたサスケのことを忘れていたのが敗因だ。
「バーカ、俺は囮だよ」
そんな声。
そう、気づけば敵は身体の自由を封じられていた。
一瞬の迷いを覚えたときに身体が硬直した。その隙を狙ってのサスケの放った苦無に巻き付けられたワイヤーに身体の自由を奪われていたのだ。
大きく口を、開く。舌を、伸ばす。
それの意味することは……
「あんたにまで死なれたら聞きたいことも聞けないじゃない。死なれたら困るのよ」
冷徹に言い放たれる言葉。
そして、口に入れられた異物。
それはナルトの拳で。
「幻術・奈落見の術」
敵は、夢に堕ちた。
圧倒的な戦力差。
死に果てた敵と、悪夢にうなされる敵――どちらも共通していることがある。
霧隠れの忍者がつける額当てをつけていたのだ。
吐き出された吐息は誰のものか。
敵の忍者に噛みつかれた唾液塗れの拳をハンカチで拭きながら、ナルトは言葉を漏らす。
「で、忍者と戦闘はないって……誰が言ってたんだ?」
「さぁな。記憶力には自信がなくて、いまいち覚えてない」
ナルトとサスケのやり取り。
それは嫌味だ。静観していた――見方によってはサボっていた上忍への当てつけ。
「誰も俺の心配してくれないのね……」
答えたのはカカシだ。
肉片のように見えたのは変わり身に使われた丸太の残骸。
生きていたと知って驚いたのはタズナだけであり、七班のメンバーは顔色一つ変えない。
「私たちが三人がかりであれだけ罠にかけようとしても引っかからないんだもん。これくらいで死ぬなんて思えないわよ……」
「演技が下手すぎる」
「同感だ」
「……へこむよ?」
ある意味では信頼とも呼べるものなのだが、カカシは素直に悲しくなった。
胸に去来するこの想いは何なのだろう……。
最初はあれだけ可愛かった三人が――あれ? 可愛かった姿を思い出せない。よくよく考えれば最初からこんなものだった。
夢に見ていた先生生活。それは案外、世知辛いものなのかもしれない。
「で、先生……話が違うみたいだけど。忍者との接触はないって言ってませんでした?」
現実の厳しさに悟りを開きそうになっていたカカシを現世へ戻したのはサクラだった。
ぼんやりと空を見上げていたことから一転して、急に真面目な顔へと豹変する。
「それは俺も聞きたくてね。タズナさん」
「何じゃ!」
間。
相手の心を読むかのように、カカシはタズナの瞳をじっと見つめて――
「ちょっとお話があります」
反論は許さない、との意味を込めて、語調を強く、言った。
◆
公道の両端に生い茂る木々に、さきほどの敵の片割れは縛りつけられていた。
自害する気も失せたのか、項垂れるようにしている姿は哀れを誘う。
しかし、ナルトたちからすれば命を狙ってきた敵である。同情の余地はない。全員で囲み、万が一にでも逃亡を許さないという意志を持って、尋問を行っていた。
「こいつら霧隠れの中忍ってとこか……いかなる犠牲を払っても戦い続けることで知られる忍だ」
「何故、我々の動きを見切れた?」
それがわからない。
完璧に水溜りに変化していたはずだ。見た目でバレたとは思えない。
だが、それこそが見つかった原因なのだ。
「数日雨も降っていない今日みたいな晴れの日に、水たまりなんてないでしょ」
うんうん、とナルトやサスケ、サクラも頷く。
全員に発覚している不意打ちなど不意打ちではない。罠へと飛び込むようなものだ。
気づいていなかったのはタズナだけ。
「あんた、それ知ってて何でガキにやらせた?」
タズナの疑問ももっともだ。
もし、仮に――ナルトたちがあっさりと敵に負けたら? 最終的に被害に合うのは自分の命。守るべき対象を放置して、自分の部下に事を当たらせる。それはとても危険なことであり、依頼人であるタズナからすれば不愉快なことであるには違いない。
だが、
「私がその気になればこいつらくらい瞬殺できます。ですが、知る必要があったのですよ……この敵のターゲットが誰であるのかをね」
「どういうことだ?」
「狙われているのはあなたなのか。それとも、我々忍のうちの誰かなのか……ということです」
つまりは、こういうことだ。
「我々はあなたが忍に狙われているなんて話は聞いていない。依頼内容はギャングや盗賊など、ただの武装集団からの護衛だったはず……。
忍者が襲ってくるとなると、Bランク以上の任務だ。依頼は橋を作るまでとの支援護衛という名目だったはずです。
敵が忍者であるならば、迷わず高額なBランク任務に設定されたはずです。なにか訳ありみたいですが、依頼で嘘をつかれると困ります。これだと我々の任務外ってことになりますね」
お前のことは信用できない、とカカシは言っている。
当然だ。
情報は命を左右する。それを意図的に隠す。許されることではない。
そのせいで危険に陥るのは依頼人だけではなく、真実を知らされていなかった忍者も同様だ。
「任務のランクなんかどうでもいい。気にいらないのは依頼人が嘘を吐いているという一点だ」
ナルトも、カカシと同意見だ。
「あんた……まだ何か嘘ついてるんじゃないだろうな?」
吐き捨てるような言葉には多量の毒が含まれていた。
致命的なのは、依頼人との信頼関係が結べないということ。一度でも嘘をつかれたら、自然と思ってしまう。
まだ何か隠していることがあるんじゃないだろうか?
そうなると、もうダメだ。命を賭けて守れなくなる。
「そうね。依頼人との信頼関係すらまともに構築できないような任務は危ないわ。サスケくんはどう思う?」
「――他国の忍者との戦闘に興味はある」
「バトルジャンキーかよ」
「お前だって同じのはずだ。見てたぞ」
サスケは、確かに見ていた。
わざと囮になるという危険な役を、ナルトは――
「――笑ってただろ?」
「さて、ね」
言葉を濁す。
他国の忍者との戦闘に興味がないと言えば嘘になる。
だが、ナルトにはそれ以上に大切なものがあった。
「……先生さんよ。話したいことがある。依頼の内容についてじゃ」
三人の会話を黙って見ていたカカシは、タズナに意識を向ける。
「あんたの言う通り、おそらくこの仕事はあんたらの任務外じゃろう。実はわしは超恐ろしい男に命を狙われている」
「超恐ろしい男――誰です?」
ふてぶてしいという他ないほどに面の皮が篤そうなタズナが、心底怯えた表情を見せる。
脂汗が滲み出る渋面は、恐ろしい男がしでかしたことでも思い出しているのか。恐怖の色が濃く浮き上がっていた。
「あんたらも名前くらいは聞いたことがあるじゃろう……海運会社の大富豪、ガトーという男だ!」
その言葉に、聞き覚えはある。
「あのガトーカンパニーの!? 世界有数の大金持ちと言われる……」
「そう……表向きは海運会社として活動しとるが、裏ではギャングや忍を使い、麻薬や禁制品の密売、果ては企業や国の乗っ取りといった悪どい商売を生業としている男じゃ……。
一年ほど前じゃ……そんな奴が波の国に目をつけたのは……財力と暴力をタテに入り込んできた奴はあっという間に島の全ての海上交通・運搬を牛耳ってしまったのじゃ!
島国国家の要である交通を独占し、今や富の全てを独占するガトー……そんなガトーが唯一恐れているのがかねてから建設中のあの橋の完成なのじゃ!」
「……なるほど。で、橋を作ってるオジサンが邪魔になったってわけね」
「じゃあ、その忍者たちはガトーの手の者……?」
サクラとサスケも頷く。
だが、この時点で不思議に思う事がある。
ガトーは波の国からすれば害毒だと言ってもいいだろう。ならば大名などの支配層からも忌み嫌われている。
それならば、お金を出し渋るということが考えられない。ガトーがいるほうがよほどに損をすることになるのだから。
「波の国は超貧しい国での……大名ですら金を持ってない。もちろんワシらにもそんな金はない。高額なBランク以上の依頼をするような……」
それが、現実。
出し渋り理由は簡単だった。
懐に金がない。それ以上に明快な答えはないだろう。
そして。
「まぁ、お前らが任務をやめればワシは確実に殺されるじゃろう。だが、なーに! お前らが気にすることはない。ワシが死んでも、十歳になるカワイイ孫が一日中泣くだけじゃ!」
タズナは笑いながら、言った。
「あっ! それにわしの娘も木の葉の忍者を一生恨んで寂しく生きていくだけじゃ! いや、なにお前らのせいじゃない!」
相手の同情を引くために、あえて軽快に笑ってみせた。
サクラやサスケ、カカシなどの表情が曇っていく。
だが、一人だけ絶対零度の如き冷たい視線をタズナに向けている奴がいる。
「あぁ、俺たちのせいじゃないな。お前たちが無力なせいだ。それに、恨むならガトーを恨め。筋違いだ。先生、帰ろうぜ」
ナルトは静かに怒っていた。
タズナの言葉は、ナルトの逆鱗に触れていたのだ。
「……ナルト?」と急に機嫌が悪くなったナルトに話しかけるサクラだが、そんなものを相手にせず、タズナを睨みつける。
「なんで俺が命を賭けなきゃいけないんだ? こんな見ず知らずの爺さんのために、なんで命を張らなきゃいけないんだ。あまつさえ見たこともない、聞いたこともない娘や孫に恨まれるなどと言う……何の駆け引きだ? 下らない。虫唾が走る」
「ちょっと! ナルト、言い過ぎよ!」
サクラの制止も意味はなく、怒りは冷めることはない。
紺碧の双眸は泣きそうな色を浮かべながら、サクラの姿を捉えている。
ドキリ、と胸が高鳴ったのは何故だろうか。
「言い過ぎなのか? サクラ、俺たちはこの爺さんのせいで一度死に掛けてるんだぞ? 下手をすれば、さっきの霧隠れに殺されてるんだぞ? それをわかっていて、言っているのか?」
「……それも、そうだけど」
ナルトの言葉は、正論だ。
否定することはできない、
何より――
「俺は、反対だ。こんな胸糞悪い爺さんのために使う命はないし、何より――俺の大切な友人がこんな爺さんのために死ぬかもしれないと思うだけでぞっとする」
反対する理由は友達を想ってのこと。
自分の命を使うのも嫌だし、友達の命を使うのも嫌だ。
その感情を理論武装し、正論を言っている。
ナルトは怖いのだ。
自分たちを騙す、信頼できない依頼人のせいで命を危険に晒すのが。晒されるのが。とてつもなく恐いのだ。
誠意が、感じられない。
言っている意味を正しく理解できるサクラは――
「サスケくんはどう思ってるの……?」
「俺は自分の力を試したい。そこの爺さんなんてどうでもいい」
悩む。
サスケはどちらでもいいと言う。
しかし、サクラは――助けてやりたいと思ってしまった。
「サクラは、どうなんだ?」
「私は……」
言葉にできず、言い淀む。
きゅっと唇を引き結び、視線を泳がせる。
そのときだ。
黙って話を聞いていたタズナが、地面に膝を着いた。
「……確かに、わしの態度が悪かった。すまん。訂正させてくれ」
額を、地に擦りつける。
「わしを……わしの家族を……わしの国を……助けてはくれんか。頼む」
さきほどまでとは違う。心からの懇願。
ナルトは唾を吐き捨てる。
相手が謝罪し、赦しを請うてきた。これ以上責めることはできず、しかし、心の中に怒りは消えることはない。
どうすればいい。どうしたらいい。わからなくなる。
むかむかした気持ちは顔に表れ、人相が悪くなっていく。
「ナルト、お前らしくもなく熱くなりすぎだ。頭を冷やせ」
ぽふん、と大きな手が頭に下ろされた。
「ま! 仕方ないですね。乗りかかった船ですし、国へ帰る間だけでも護衛を続けましょう」
ぱぁっ、とサクラの表情が明るくなる。サスケは戦いに飛び込めることを喜び、ナルトは舌打ちをする。
膨れ上がった感情を持っていける場所がない。
「……恩に、着る」
感謝の言葉。
反して、ナルトの心はささくれ立っていた。