1.
星屑を散りばめた夜空には真円の月が鎮座している。
宝石のような輝きを放つ宙を見上げているのは我愛羅だ。
中忍選抜の第二の試験を通過したものに宛がわれる宿舎の屋根で目元にくっきりと浮かぶ隅を鬱陶しそうに揉みながら、苛立ち紛れに舌打を鳴らし、新たに現れた人影に殺意の混じる視線を向けた。
「……何の用だ?」
「そう睨み付けないでくれないか。一応、僕たちは仲間なわけだろう?」
何の感慨も込められていない軽薄な言葉を放ちながら、君麻呂は我愛羅の方へと歩み寄る。
我愛羅の剥き出しの殺気を感じていないかのような足取りに恐怖はなく、無表情な美貌はまるで人形のように温度がなかった。
「満月には……あいつの血が騒ぐ」
対する我愛羅の顔には激情が浮かぶ。
烈火の如く猛る闘志は静謐な夜には似つかわしくない。そこだけ他の場所から切り取られているのか、戦場の空気で満たされていた。
だが、君麻呂は向けられる戦意を肩で竦めるだけで受け流すと、
「さすがは年中寝不足の一尾の人柱力。自分の力すらコントロールできないらしい」
呆れたように呟いた。
「随分な歓迎だけど、僕は君に指令を伝えるために来ただけなんだ。矛を収めてくれないかな?」
「修羅は血を好む」
「悪鬼羅刹に堕するには、君はまだまだ若すぎる」
君麻呂の言葉を聞かず、我愛羅はぐっと手を伸ばした。
砂は闇の隙間を縫うように君麻呂へと忍び寄り、
「砂縛柩」
無数の手となって、君麻呂の身体を束縛する。
万力で絞めあげられるような感触を覚えながら、それでも君麻呂は無表情を保っていた。つまらない、と言いたげに嘆息すらしている。その仕草が我愛羅にとってはとても不愉快で、「いっそ殺してしまおうか」と騒ぐ血潮が囁いてくる。
我愛羅は悪魔の誘惑に身を委ねた。
ぐっと拳を握りしめ、
「砂瀑送葬ッ!」
砂の掌握が君麻呂の身体を包み込み、逃げ道を奪った後、押し潰す。
これを受けて生きていたものはおらず、人であるならば確実に死ぬだろう必殺の技。
たとえ岩であっても削り喰らう。
しかし、どういうことだろうか。
球体になるまで圧縮した砂から、鋭利な白骨が突き出てくる。
切り裂かれた砂の端々からは中身が見え、そこには――
「生憎とそういう技は効かない体質でね」
無傷の君麻呂がいた。
弾かれた砂は我愛羅の瓢箪の中に戻っていく。その様を無感動に君麻呂は見つめていた。
死なないという確信があったから、あえて避けなかった。当たり前のことが当たり前の結果を出した。君麻呂からすればそれだけの話だ。
こほん、と咳を鳴らすと、
「さて、君に伝えなきゃいけないことがある」
いよいよ持って、我愛羅と視線が交錯する。
侮りがたい敵を前にして舌舐めずりしている我愛羅が話を聞いてくれるかどうかという懸念はあったが、君麻呂の目的は伝言だ。まずは話を聞いてもらわないと意味がない。理解させるのはその次だ。
「うずまきナルトとの戦闘――もしも一尾が目覚めそうになったら、棄権してくれないかな? 木の葉崩しを優先してほしい」
しかし、そんな言葉を聞いてもらえるはずがなく――
「消えろ……」
「上からの命令だよ?」
我愛羅は鼻息を鳴らすと、屋根から飛び降り、姿を消した。
◆
我愛羅と君麻呂の邂逅を対岸に覗く二つの影があった。
月光を遮る木々の下には砂の忍の額当てをつけた如何にも強者といった風体の男――バキと、木の葉の忍びの額当てをつけた柔和とすら言える優男――薬師カブトである。
「凄いですね。あれが彼の実力ですか……」
「そちらの手駒も優秀なようだな」
「君麻呂は特別ですから」
どちらも笑ってはいるが、それは感情の籠らない冷めた笑みだった。腹の探り合いで如何に相手から有益な情報を得るかという心理戦。どちらも面の皮が非常に厚いようで、均衡を保っているままだが。
ところで、とバキは疑問符を浮かべる。
「しかし、いいのか? サスケとかいうやつの当て駒に使うと考えていたのだが、あれでは実力の差がありすぎるだろう?」
写輪眼の正統血統の唯一の生き残り――うちはサスケ。
バキの部下であるカンクロウが【死の森】で戦った話を聞く限り、確かに下忍離れをした強さを持っているのだろうが、我愛羅に勝てるとは思えない。故に、我愛羅の一撃で手傷すら負わない君麻呂に勝てるとも思えない。
実力を試すどころではなく、殺してしまうのではないだろうか。
そんな二人の会合を、月光ハヤテは物陰から盗み聞きしていた。
(薬師カブト……何故、彼が砂と?)
薬師カブトは【死の森】を通過することができなかった木の葉の下忍。
任務成績は極めて平凡。可もなく不可もなくといったものだ。
それなのに、砂の担当上忍であるバキと"対等"に会話している。砂の忍は実力主義であることから、雑魚にタメ口を許すとは思えない。
いや、何よりも――何故、木の葉の下忍である彼が親しげに砂の忍などと会話をしているのだ? 目的は何だ? 不穏な推測が泡沫のように浮かんでは消える。
ハヤテの心情はよそに、二人の会談は続く。
「そんなこともないみたいでね。うちはの血統も特別ですから」
「写輪眼……ね。これほどの危険を冒してまで手に入れる必要があるのかどうか……疑問が残るところだ」
「ふふ、そこらはうちの首領の趣味でしょうね。コレクターなものですから」
「俺たちに被害が来ないのならどうでもいいがな。命令には従うだけだ」
「面倒な趣味なんですよ。苦労するのはいつだって下っ端です」と苦笑紛れにカブトは呟く。
優しさを前面に押し出したかのような朗らかな笑みを浮かべるカブトを胡散臭いものを見るかのようにバキは見つめると、声をトーンを下げて、問うた。
「木の葉崩し――ぬかりはないんだろうな?」
カブトの目が細まる。
優しさは消え、醜悪さすら覗く好戦的な笑みはバキの背筋をぞくりと震わせる程度には威圧感のあるものであり、嫌悪感を催すものであった。
(大蛇丸の部下……か)
口には出さないが、所詮は似たもの同士だな、と思う。性格が悪く、腹黒く、目的のためには手段を選ばないであろう思考は実にそっくりだ。忍らしい、とも言えるが……。
バキの感情など興味の外なのか、カウトはぎらぎらとした眼光をバキに向ける。
「えぇ、後はそちらの我愛羅くんの暴れっぷりに期待するだけですね。他に穴はありません」
お前のところこそ大丈夫なのか? と揶揄されたことにバキは一抹の不快感を覚える。
部下の三人は、いろいろと性格や嗜好に問題はあるが、バキの自慢の教え子だ。
ゆえに、自信ありげに深く頷いた。
「侮るな。砂の忍は任務を貫徹することを重んじる。例外はない」
ふっ、とカブトは嗤うと、ウェストポーチから巻物を取り出し、バキに差しだした。
「これが音側の決行計画書です。頼みますよ」
「あぁ……」
「では、私はこれで……」
言うなり、カブトは踵を返す。
その姿をハヤテはこっそりと覗きながら、しかし、内心に余裕は全くなかった。
(同盟国の砂隠れが……既に音と繋がっていただなんて! とにかく、早くこのことを火影様に……)
木の葉崩し――要するに、木の葉隠れへの里の急襲だろう。わざわざ中忍選抜試験を選んでのことなのだから、周囲の大名などが集まる第三次試験に事が起こるに違いない。早急に対策を立てる必要がある。
ハヤテは音もなくその場を去ろうと試みたが、背中を何かで抉られたかのような感覚を覚えた。
おそるおそる触れてみても、傷はない。
つまり、
「ああ、あと……雑草は私が処理しておきます。どの程度の奴が動いているのか気になっていたところですしね」
「作戦がバレているのか?」
「いえ、内訳は漏れていませんよ。けど、三忍の自来也が動いていますからね。どこまで尻尾を掴まれているか……」
「初耳だが?」
「おっと、それはすいませんね」
射るような視線がハヤテに向けられていた。
蛇に睨まれた蛙の如く、足が竦む。
下忍でしかないカブトに睨まれた程度で身動きできないようになるはずがないとハヤテは思うが、もしかしたら、そう――カブトは実力を隠していたのかもしれない。
早期からのスパイ。内情は筒抜けだと考えてもいいだろう。
里を守らなければならないという使命感がハヤテの心を満たし、一歩歩くことを許した。
そこからは早く、疾風の如き速度で駆ける。
「まぁいい……では、ここは私がやっておこう。砂としても同志のために人肌脱ぐくらいせんとな。それに……鼠はたった一匹。軽いもんだ」
だが、一瞬で回り込まれた。
開けた場所でバキが前に立ち塞がり、後ろにはカブトが佇んでいる。
前門の虎、後門の狼と言ったところか。
「これはこれは……試験官様。お一人でどうされました?」
わざとらしい問いは憎たらしいものだ。
ハヤテは嘆息し、腰に差した刀を抜き放ち、覚悟を決めた。
「やるしかないようですね」
目にも止まらぬ速度で印を組む。
【影分身の術】を行使し、ハヤテは二人の肉体ある分身を二つ生み出し、バキに向かって駆け出した。
散開し、右と左から斬りを放ち、残った一人は跳躍する。
ほう、とバキは感心したように口笛を吹くが、二つの斬撃はあっさりと指にはさみ込まれて受け止められた。
夜空に浮かぶ月光を浴びた太刀が、跳躍したハヤテによって斬り下ろされる。
会心のタイミング。両手はふさがっていて、確実な一撃だ。
ハヤテは剣技に絶対の自信を持っている。一太刀で人間を縦に切り裂くことくらい容易にこなすほどの絶技は、しかし――
「同志のために人肌脱がなくちゃいけないんだっけ!?」
「えぇ、その通りですね」
刀は蛇に絡め取られ、バキの肌に触れるぎりぎりのところで止められた。
首元には指先から伸ばされたチャクラのメスを突き付けられ、身動き一つ許されない。
蛇がどんどんと伸びてきて、ハヤテの腕に巻きつく、骨が軋み、砕けるほどの圧力を加える。
ハヤテは激痛に顔を引き攣らせると、刀を手放した。からん、と硬質な音が地面と刀で奏でられる。
痛みで歪む視界の中、ハヤテにとっては信じたくない光景が目に飛び込んできた。
「アンコさん……!?」
「あら、さん付けだなんて悲しいわ。アンコって愛を込めて呼んでくれてもいいのよ?」
いつものようにからからと笑う姿はみたらしアンコそのものだ。
しかし、腕から伸びる蛇は確かにハヤテの腕を粉砕したし、アンコが出てきたことをハヤテとバキが驚く素振りすら見せない。
「そうすれば冥土の土産にキスの一つでもしてあげるわ?」
月明かりの夜に妖しげに浮かぶ朱色の唇を舌舐めずりする。劣情を催すほどに魅惑的な動作だが、ハヤテは何の感慨も湧かない。
「あなたも裏切っていたんですか……」
つまり、仲間ということか……。
仲間に裏切られるという耐えがたい苦痛で萎える心を更に抉りとるかのように、アンコはハヤテの頭を思い切り笑いながらぽんぽんと叩くと、不意に冷たい視線をよこした。
「ノンノン、裏切ったわけじゃないわ。私は最初からスパイだったわけよ。そう、大蛇丸様の下で下忍を過ごした頃からね」
「……あなたって人は!」
「おっと、大きな声は出さないでください」
チャクラのメスが肉体を傷つけず、ハヤテの喉だけを切り裂いた。
勢いよく内出血するせいで、ハヤテは息をすることすらできず、咳込む。吐息は血に塗れていた。
そんな様をバキは呆れたように見下ろし、次にアンコを見た。
「余計なことをしないでほしいものだ」
放っておいてくれても勝つ自信があった。バキからすれば玩具をとられたような感覚だ。
「ごめんなさいね? ほら、私だって頑張らなきゃいけないじゃない? 実際、まだ何もやってないわけだしさー。あー、かたっくるしい試験官とかやるもんじゃないわ」
しかし、アンコは悪びれることなく言いきる。
ここまではっきりと言われると、バキの毒気も抜かれるというものだ。こいつには何を言っても無駄なのだろう、という諦観でしかないが。
「アンコさんは試験官って柄じゃないですもんね」
「本当その通りよ。だから、これは憂さ晴らし兼口封じ」
「ばいばい、天国で会えたらキスしてあげる」
酸欠で唇が紫色になり、顔中血塗れでのたうち回っていたハヤテの頭を鷲掴みにし、
「……!」
思い切り地面に叩きつけた。
頭蓋の砕ける耳障りな音が響き、バキは顔を顰めるが、アンコは恍惚とした表情を浮かべ、股ぐらに手を添えている。はぁ、と熱い吐息を漏らすのは性癖なのだろうか……。
くそったれな奴らだ、とバキは思う。こんな奴らと組まなければならない自分がとてつもなく嫌で、こんな奴らに頼らなければならない砂隠れの現状を考えると涙すら出そうになる。選択肢は他にはなかった。
「じゃあ、同志? 仲良く木の葉を潰しましょ?」
「あぁ……」
選ぶ道はこれしかないのだ。
自分に言い聞かせるように、バキは何度も何度も反芻する。
◆
宿舎の中、バキの話を聞いた砂の下忍の三人は沈鬱とした空気を放っていた。特に酷いのはテマリで、露骨に顔を顰めたまま、バキが出て行った扉をじっと見つめている。納得できていないことがわかる。心情的には「絶対に嫌」と言いたいところなのだろうが、立場がそれを許さない。それに、【木の葉崩し】をしなければ砂隠れの忍の仕事が少ないままで、いつか潰れてしまうことだろうことを予測できる。雁字搦めな自分がたまらなく惨めだった。
項垂れると、布団にもたれ掛って呟いた。
「また……戦争か。犠牲の上に成り立つ平和は実に脆いものだ。本当に、脆い」
カンクロウも諦めたような口調で「けど、上が決めたことじゃんよ……」と呟く。明晰な頭脳が、己の思考を押し潰す。やらなければならないという事実を突き付けてくる。
正義という言葉は、場所によってころころと変わるものだ。里の正義は二人の正義よりも重い。遥かに、重い。
はぁ、とテマリは深く吐息を漏らした。
「忍が道具だということはわかってる。名前すら知らない人を何人も殺したよ。けど、気持ちの良いものじゃないな」
今回だってそうだ。何人殺さなければならないのだろう、と考えるだけで鬱屈とする。スイッチを切り替えればこんな感情もすぐに消えて無くなるが、今はどうしても切り替える気にならなかった。忍になりきれていなかった。
「次はどれほど死ぬんだろう」
誰にともなく言った言葉。返事があった。
「死ぬわけではない。殺すんだ」
愉悦の滲み出る表情を浮かべながら、我愛羅は突き出している手を、握った。
押し潰されたのは蚊。
掌に血痕が残る。
「……我愛羅、お前は殺人が楽しいのか?」
そんな我愛羅を、テマリは悲しげに見つめる。
「生を実感できる唯一の行為だ」
返答は実に冷たいもので、テマリは顔を伏せた。
「俺たちと一緒にいるだけじゃ、生きている実感は湧かないか」
「乾くんだ……渇きは血でしか癒せない!! 守鶴が殺せと、もっと殺せと囁く。だから、俺は殺す! 殺さないと、俺は夜も眠れない」
「我愛羅……」
小さな叫びが部屋を木霊する。
亀裂の入った絆は、修復の余地はないのだろうか。
そう言えば、我愛羅に「兄」と呼ばれたことがないな、とカンクロウは思う。これからもないのだろうか。そう考えるだけで、とても虚しい気持ちになった。
「……せめて、生きて帰ろうね。みんな無事にね」
「自分の命に興味はない。皆殺しにすることこそに意味がある」
何かを睨みつけるかのように顔を歪ませ、我愛羅は窓から外へ出た。
か細い声で言い捨てた言葉は、まるで助けを求めるかのようだ。
「代償行為……なんだろうね」
生きる実感がないから、何かを奪う。そんな人生を弟に歩ませたくない、とテマリとカンクロウは心から思えた。
だが、救うには力が足りず、何もできない。
無力は、罪だ。
【アトガキ】
ぬおお、会社が決算時期なので毎日投稿が厳しい。
だが、待ってほしい。それは再来週までのことなんだ。
まぁ税務署は敵。