11.
塔の周辺で隠れていた雨隠れの下忍が潜伏していた。
罠を張り巡らせた場所は幻術結界により迷いの森と化しており、通常のやり方では見抜くことすらできないものになっているのだが、気付けば、自分たちが幻術にかけられていた。
「なんで、なんでこんな……!」
戦慄する。
自分たちが狩人だったはずだ。
大樹から伸びた骨太の枝から隠れて見下ろしていた獲物たちは、馬鹿みたいに同じところをぐるぐると回っていたはずなのだ。無様を晒す木の葉の額当てをつけた下忍たちを馬鹿にしながら、のんびりと見下ろして、距離を一定に保っていた。
油断はなかったはずだ。
【幻術・狐狸心中の術】――幻術結界の名称だ。
同じところをぐるぐると回ることになるこの忍術は、単純ゆえに強力だ。
雨隠れの下忍の三人がかりの幻術であり、よほど幻術に精通していない限り、安易に解術することはできないはずなのだが――それどころか、幻術返しをされたのだ。
気付けば、彼ら三人は、幻術の基点となっている巨大ムカデの前で立ちつくしていた。
「どうなってんだ!?」
「アンラッキー! こんなの聞いていない!」
「くそっ! 今年の中忍試験は化物ばかりか……っ! ろくなやつがいねぇっ!」
森がざわつく。
狩る立場から、狩られる立場へと変化していた。
空気を裂く音が耳に届く。
「うおっ!」
頬を掠めた一条の光は苦無。
地面に突き立った黒塗りの刃の先端には赤い液体がついており、被っていたマスクの切れ端も繋がっている。
「……警戒しろ、強敵だ」
「わかってるけど……けどよぉ!」
暴風雨の如く吹き荒れる苦無の弾幕。
数も軌道も出鱈目なそれを回避するだけで体力が削られていく。精神力が凄まじい勢いで減っていき、かすり傷から流れ出る血液もかなりの量になる。
ときおり目にも止まらない速度で苦無の群れの中を疾駆する金と黒の影。
その影は的確に急所を狙って一撃を繰り出すと、苦無の餌食にならないようにすっと身を引く。
実力が違いすぎた。
「やめて……やめてくれぇっ!」
「降参する! 助けてくれっ!」
ぴたり、と攻撃が止み、草陰から三つの人影が現れる。
金と黒の桃の髪をした、先ほどまで雨隠れの三人が追っていた木の葉の下忍たちだ。
談笑しながら近づいてくる三人に対し、雨隠れの下忍は苛立ちが募る。
見れば十三歳程度のガキだ。アカデミーを卒業したばかりの奴らなのだろう。こんな奴らに負けたなど、恥だ。
忍者は、勝てばいい。
ぎりりと歯を噛み締めながら、巧妙に隠した暗器を手に、隙を窺う。
「巻物を出せ」
金色の髪の下忍が無造作に近づき、手を伸ばしてきた。
今だ! 確信し、雨隠れの一人が千本を手に突き刺して――煙となって消えた。
後ろにいた木の葉の二人も苦笑すると、煙となって消えた。
「幻術……?」
意味がわからない。
まだ幻にとらわれたままなのだろうか。
だが。
「知らないのか? 分身の術って言うんだぞ」
上から降ってきた衝撃に、三人は思い切り前のめりに倒れた。
首を捻って背後に圧し掛かる奴らを見ると、それは木の葉の下忍――ナルト、サスケ、サクラだった。
「こんな奴ら、わざわざ引っ掛ける必要もなかっただろ」
「念のためだよ。死の森に入ってから俺たちの運気は最悪だしな。また次も化物だったら、いつでも逃げられるように距離をとっておくのは当たり前だろ」
ナルトの言葉にサスケは渋々頷いた。
死の森には嫌な思い出が多すぎる。
その間に「ぐぇっ」と蛙の潰れたような悲鳴をあげて、誰かが倒れた。誰だろうとナルトとサスケが振り返ると、一番後ろでサクラが雨隠れの下忍の首を絞めあげて気絶させていたのだ。ごそごそと所持品を漁り、そして――
「ん、あったわ。天の書よ。はぁ、最後の最後で合格ね……」
サクラはほっと胸を撫で下ろす。
「サクラ、こいつらはどうする。殺すのか?」
一応のリーダーであるサクラにサスケは問う。「た、助けてくれ」と涙混じりに懇願する雨隠れの下忍たちではあるが、ナルトもサスケも「お前らの生死なんてどうでもいい」といった無慈悲な眼光を向けている。本当に興味がないのだろう。首元に突き付けた苦無をいつ動かしてもおかしくないほどに、何の感情も浮かんでいなかった。
決定権を握るサクラに雨隠れの意識がある二人は必死に目で訴える。
「んー、無駄な殺生は良くないって誰かが言っていたわ」
同情したわけではなく、殺す理由が見つからなかっただけだ。
心底安堵したのか。雨隠れの二人はほっと息を吐くが――
「んじゃま、身包み引っ剥がすか。起爆札とか手裏剣とか、いろいろあるだろ。あ、服も破れてるから新しいの欲しかったんだよな」
ナルトの言葉に硬直した。
こんな森の中で素っ裸にされたら生きていけるはずがない。毒虫に刺されまくって死んでしまう。
「強盗じゃないんだから、置いておきましょ。んじゃ、そいつらの視線こっちに固定して」
サクラは呆れたように笑う。
そして、顔を思い切り固定されて、サクラはそいつらの視線を合わせる。
「幻術・奈落見の術」
雨隠れの三人は、夢の中へ堕ちていった。
◆
「呆気ないほどに弱かったな……」
塔の内部に入り込んだサスケの第一声がこれだった。
中忍選抜試験に参加してから遭遇した忍たちの実力と、塔付近での待ち伏せしていた雨隠れとの差があまりにもありすぎたのだ。
サクラも「そうね……正直、びっくりしたわ」と呟くほどである。
「まぁ、楽なほうがいいんじゃないか? 散々ひどい目にあったしさ」
ナルトが締めくくり、周囲を見回した。
中忍選抜試験の死の森での終着点はここだったはずだ。それにしては随分と殺風景な造りであり、人っ子一人いないのも気になるところだ。
奥には壁があり、そこには何か字が記されていた。
「ねぇ、アレ見て」
サクラも気付いたのか、それに注意を向ける。
「"天"無くば――ね。"地"とかも書いてるし……」
「字が抜けているところがあやしいな」
「多分、巻物のことよ。さっさと開いちゃいましょ」
誰が考えても巻物の中に答えが開かれているであろうことは容易にわかる。
「サスケ、いっせーので開くぞ」
「お、おう……」
こくりと頷き合うと、二人は巻物を手にとって――せーの! で一気に巻物を開いた。
「人?」
巻物の中には何かの術式と、"人"と大きく書かれているだけ。
何だろう、とナルトが首を傾げていると、
「……口寄せの術式? ナルト、放せッ!」
「わかった!」
サスケの注意を受け、巻物を一気に放り投げる。
そこからは煙とともに何かが出てきた。
「……!?」
「あんたは……!」
見慣れた人影。
アカデミーを卒業するまでは毎日顔を会わせていたそいつは――
「よっ! 久しぶりだな」
海野イルカだった。
どうやら巻物を開くとイルカが来るようになっていたらしい。
しかし、ナルトたち三人の興味はイルカに向けられることはなかった。
「なるほど。人も口寄せで呼べるのか?」
「これは応用できるわね。先生、やり方教えてください」
「担任なんだし、当然教えてくれるはずだ」
口寄せで人を呼べる。その事実はとても大きい。
何故なら、侵入任務が仮にあったとする。その場合に、ナルトの影分身に目的地まで行かせて、そこで口寄せをさせたほうが効率がいいからだ。まぁ、敵に巻物を奪われた場合のリスクを考えると多用できるものではないが……。
そんな三人を見て、イルカは苦笑する。相も変わらずこの三人はマイペースなようだ。良い事なのか、悪い事なのか、どちらとも言えないイルカであった。
「……お前ら、けっこう余裕だね。なんで出てきたのかとか聞かないのか?」
「合否判定のための伝令役でしょ? さすがにわかるわよ」
気楽に笑っている三人の内、サクラがにこりと微笑んだ。
「……ま! 聡い奴らならわかるんだけどね。そうだ。三人とも、試験突破おめでとう!」
反応なし。
「で、さ。先生、その口寄せの方法教えてくれよっ!」
「えぇ、そっちのほうが気になるわ」
「……あんまり喜ばないんだね」
「この塔に入ったら合格決定なんだから、今更だろ……」
サスケの言葉に「なるほど」とイルカは納得する。それもそうだ。
そして、「だから、俺たちが塔に入るまでに巻物を開いてたらどうなってたのかってのは説明はいらない」との言葉に困惑の色を濃くする。三人とも笑ったままだが、全員気付いているようだ。
「はぁ……筒抜けか」
イルカは溜め息を漏らす。気を使われているのは自分だったようだ。
「で、お前らはあそこに書いている壁に文章に興味はないのか?」
「別にないな」とサスケが呟き、他のものも深く頷く。よほど興味がないらしい。
「うん、正直……ね。そんなことより医者だわ、医者。サスケくんが危ないの!」
「そこまでひどくない。ちょっ! 持ち上げるな!!」
「んじゃ、先生。俺ら急いでっからー!」
「またねーっ!」
ナルトとサクラがサスケをひょいと持ち上げると、凄まじい速度で駆け出した。随分と元気なようだ。死の森を越えてきたばかりとは思えない。
「落ち着きのない奴らだな……」
知らない内に随分とタフになった元教え子たちを見て、一人ごちる。
◆
闘技場。
そう形容する他ない造りの――まさにコロッセオというような建物の中、死の森を突破した下忍たちはざわざわとお喋りをしながら待機していた。
ここにいるのは、木の葉の新人が全員、リーのいる班、砂の忍の三人、そして、ナルトたちとぶつかった音の忍たちだ。
当然合格するよなぁと内心ナルトたちは思いながら、しかし、サスケは一人疑問に思っていることがあった。
(あいつはいないのか……?)
大蛇丸と名乗った男。
サスケが全力で戦い、捨て身の攻撃をしてもなお、傷一つ与えられなかったほどの強者。
それが試験会場に合格者としていないということがおかしいと思う。
だが、そんなことを考えても仕方ないので、思考の隅に放り捨てた。
「治療は話が終わるまで受けれない……ね。なんであんな干乾びた爺の話聞かなきゃいけないんだよ」
「こら、ナルト。聞こえたらどうするの」
「……知らん振りしてやるよ」
ぷい、とそっぽを向くナルトに対し、サクラは肩を竦める。
「もう、サスケくんも言ってやってよ」
「どうでもいい」
「協調性がないっ!」
男二人がどちらも味方をしてくれない現状を嘆いていると「そこ、うるさいっ!」と教官の一人から注意が来た。
「す、すみません……」とがっくりと項垂れ、サクラは世の理不尽さについて思索していた。将来は山の中に引き籠って哲学者になってやる、などという意味のわからない思考が迷走する。
「ばーか」
「ウスラトンカチ」
と前後から聞こえた暴言のせいで、広大な面積を誇るサクラの額に青筋が浮かぶ。
乙女の怒りを察した男二人はさっと目を背けると、下手な口笛を吹きながら、全身全霊をかけて場を濁そうと努力していた。
「……後で覚えてなさいよ」
びくり、と震える。
サクラが本気になったら、座学の時間で恐ろしいほどの鬼教官と化して、応用問題を解かせようとしてくるのだ。
ナルトはそれなりに問題を解けるからまだいいが、サスケはほとんど全部解けない。地獄のレッスンが始まることに恐怖を覚えながら、サスケは首筋に浮かぶ紋様をさすっていた。
時間が過ぎ、次第に教官の顔ぶれも増えてくる。ナルトたちの担当教官であるカカシも、ナルトたちににこりと微笑んで手を振ってきていた。当のナルトたちから返ってくるのは本気の殺意を込めた鋭い眼光なので、カカシとしても首を傾げざるを得ない。何か悪い事やったかな? という感じだ。実際はただの八つ当たりなのであるが。
「それでは、これから火影様より"第三の試験"の説明がある! 心して聞くように!」
合格した下忍たちを見下ろせる闘技場の観客席から、火影が顔を出した。
目深に笠を被ったご老体。
こいつは本当に強いのか? と疑問を持ってしまうほどに好々爺然としているが、間違いなく木の葉でも最強と名乗れるほどの実力を持っている。だから、火影と名乗れているのだろう。
「では、火影様――お願いします!」
ごほん、と一つ咳を吐くと、火影はじっくりと時間をかけて、合格者たちの顔ぶれを確認していく。
「では、"第三の試験"を始める前に、お前たちにはっきりと告げておきたいことがある。この試験の真の目的についてじゃ……」
何を話しだすんだ、と下忍たちの間にざわめきが走る。
「この試験は同盟国家間の戦争の縮図じゃ!
成績優秀な者を持つ国は依頼が増え、逆に成績が低いものばかりの国は依頼は減る!
その判断をするのは"第三の試験"に招く有力な君主などの来賓たちだ。
つまり、これは政治的圧力をかけることにも繋がる」
要するに、仕事の奪い合いのためだけに下忍たちは命を賭けて戦っていた、ということになる。
異論があると言わんばかりにキバは手をあげると「だからって何で! 命がけで戦う必要があんだよ!」と問う。そんなことのために俺たちは闘わされていたのか!? と。
だが、
「国の力は里の力。里の力は忍の力。
そして忍の本当の力とは、命がけの戦いの中でしか生まれてこぬ!」
ふむ、とナルトは自分なりの解釈をしていた。
(つまり、これはゲームだ。いくらでも取り換えのきく下忍を使って、里の上位者である火の国に「私たちはこんなに優秀なんですよ。仕事ください。お金ください」と言ったアピールをするためのものか)
そして、ついでに思う。
「……情報収集や潜伏が得意な奴はどうなるんだろうな? 忍術開発の研究者なんか命がけの戦いする必要ないだろ」
知れず、口から漏れていたのか――「ナルト、また怒られるわよっ!」と小声でサクラに注意をされる。どちらかというとサクラの声のほうが大きかったりする。
「ごほん!」
と咳払いをしながら、火影は怒気の混じった視線をサクラに向けていた。
「うわっ、見られてるわ」
「俺のせいじゃないからな」
「ウスラトンカチどもが……」
サスケはげんなりとしながら吐き捨てた。
「では、これより"第三の試験"の説明をする。その前に……」
「この中からくじ引いてね」
下忍たちの前に第二の試験の担当官であったアンコが進み出て、手に持った箱からくじを引かせていく。
何のことだろうか、と思いながら下忍たちは素直にくじを引いていき――
「では、イビキ……組み合わせを前へ」
イビキがくじを確認していき、ホワイトボードへ書き連ねていった。
『サスケvs君麻呂』
『ネジvsヒナタ』
『テンテンvsテマリ』
『カンクロウvsキバ』
『ナルトvs我愛羅』
『サクラvsリー』
『シノvsチョウジ』
『鬼童丸vsイノ』
『シカマルvs多由也』
第三の試験は勝ち上がり形式のトーナメントだ。
組み合わせを見て、ナルトたち三人は露骨に顔を顰めた。
「いきなりアイツかよ。勘弁してくれ……」
「君麻呂って名前だったのか……にしても、いきなりか」
「あ、あぁ……もっと弱い人いないのー!?」
砂を自由自在に操る我愛羅、骨の血継限界を持つ君麻呂、下忍を越えているとしか思えない体術の極みであるリー。
七班は戦う予定の敵のことを思い浮かべると、がっくりと肩を落として項垂れた。勝ち目がない。
「では、それぞれ対策を練るなり、休むなり、自由にするがよい。
これで解散にするが、質問があるものはいるか?」
「あ、じゃあちょっといいっすか?」
シカマルが火影の言葉に手をあげる。
「トーナメントってことは優勝者は一人だけってことでしょう? そいつだけが中忍になれるんスか?
シード扱いもいるみたいだから、不公平だと思うんスけど……」
「いや! これは別に基準みたいなものがあっての……審査員といて幾人かがいるので、わしも含め、そやつらが採点することとなる。
例え一回戦負けでも中忍になることができる」
ふぅん、とシカマルは微妙な顔を浮かべながら納得する。
「これでいいかのぉ?」
「わかりました」
他に質問はあるか、と火影は下忍たちを見回すが、どうやらいないらしい。
ごほん、と咳払いをすると。
「では、ご苦労じゃった! 一月後まで解散じゃっ!」
第二の試験は終了した。