4.
『中忍選抜第二の試験』――要項、その1.各班に与えられた【天の書】もしくは【地の書】を奪い合え。
二つ揃ったら死の森の中心にある塔へ来られたし。以上!
◆
死の森と呼ばれる所以――あらゆる毒素を持つ巨蟲や動物が生息し、手練の忍であっても死の危険が常に付き纏う。ゆえに、死の森と呼称されることとなった。
二十メートルを越えるであろう大樹が林立しており、森の中は常に薄暗い。太陽の光がまともに降らないほどに張り巡らされた木の葉は視界を遮り、身を隠すのには優位になるが、索敵は楽とは言えない。つまり、いつ奇襲されてもおかしくないような立地条件の中、砂の忍である三人は腐葉の敷き詰められた大地を疾走していた。
顔には歌舞伎役者のような化粧をしており、のっぺりとした能面面は表情を読ませない。身体は三人に中で一番大きく漆黒の忍装束を着ている。背中には包帯でぐるぐる巻きにされている大きな何かを担いでいる男の名はカンクロウ。
彼が先頭に立ち、ほかの二人を引き連れている。
「さっそく天の巻物を手に入れたじゃん。幸先良いじゃん!?」
「このまま塔に向かえば一番乗りだね」
喜色を浮かべるカンクロウに答えたのは蜂蜜色の髪を後ろで結った少女――テマリ。気の強そうな顔立ちは、それでいて気品がある。身に纏うのは帷子。その上に膝ほどまである真っ白なレザーコートを羽織っている。背中には身の丈を越えるほどの扇を担いでおり、それを難なく持ち運んでいることから身体能力は優れているのだろう。
「……黙れ」
小さく呻くように吐き捨てたのは、三人の中では頭一つ分小さな少年――我愛羅だ。
額の端に『愛』を刺青をしているのか。服は漆黒の忍装束で、肩には袈裟を引っさげている。
何よりも目を引くのが背中に担いでいる瓢箪だろうか。我愛羅の矮躯ではとてもではないが持ち上げられそうにないものを、担いでいる。
この三人は全員が武器となる何かを背中に担いでいるようで、それだけが唯一の共通点か。
「我愛羅、兄貴に対してその口答えは……!」
「……死にたいのか?」
「カンクロウ、やめなって。我愛羅も、ね!? お姉ちゃんが謝るからさ!!」
共通点はあった。この三人は兄弟らしい。
仲はあまり良くないのか、テマリが間から仲を取り持とうとするが、我愛羅は舌打ちを鳴らす。
雰囲気は険悪。
【天の書】も【地の書】も手に入れたというのに、最大の難関は一番の弟である我愛羅の機嫌を取ることであったらしい。テマリはげんなりとしてタメ息を吐いた。
そのときだ。
大地を疾走する傍ら、何かに引っかかったような感触を覚える。
ぶちっ。
小さな音だが、確かに耳に届いたそれは――
「ん? 何か千切れる音がしたような……」
視界の端に不吉な影が見え隠れする。
数を数えることすら億劫になるほどの瀑布の如き苦無が、全てテマリたちに向かって放たれる。
罠か!
叫ぶ暇すらなく、全方位から向かい来る苦無は、小さく固まったテマリたちへと襲い掛かる。
着弾する音が鳴り響く。
狙いすましているのかと勘繰りたくなるほどの正確無比な苦無は、余すことなく標的へと突き刺さる。舞い散る土埃がもくもくと湧き上がる。
木々の隙間から風が吹いた。
「我愛羅の砂がなければ死んでたわね……」
風が吹き飛ばされた土埃の中から薄っすらと見えてくる輪郭は現実を疑わせるような光景だった。
三人は、無傷。
我愛羅の瓢箪から出てきた砂で形成される防御壁により、全ての苦無は無力化されていた。
カラン、と音を立てて苦無が地面へと落ちる。
「……出て来い」
ぽつりと呟かれた言葉には力が込められており、拒否を許さぬ王の威風を感じさせるもの。
だが、生憎と罠を張り巡らせた奴らは「わかりました」と答えるほどに人格形成がされておらず、反抗期真っ盛りの餓鬼であった。
すると――一陣の風が吹いた。
その風は肉体活性を施しているサスケであり――最もガタイの良いカンクロウを狙って疾走している。
腹を抉る一撃を加えるとともに、そのまま引きずって走り去っていく。
「カンクロウ!?」
驚きの声をあげるテマリであるが――
「アンタの相手は私……よ!!」
女の子特有の耳心地良い高音とともに、身体の自由が奪われたことを感じる。
自然と宙に身体が浮き、投げ飛ばされた。
「しくじるんじゃないわよ、ナルト!!」
「へーい」とやる気なさげに答えるのは薄暗い死の森で尚、金色に輝く髪を風になびかせる少年――ナルトであった。
腕を組み、胡乱な視線を我愛羅に向けている。
普通に考えれば、我愛羅はとてつもなくピンチだ。これ以上ない危険に晒されている。
急襲され、仲間から孤立させられて、待ち伏せされていることからも、場のアドバンテージもナルトたちにある。それなのに、余裕の表情のまま、冷や汗一つ滴らせることなく、ナルトと対峙している。
気に食わなかった。
「残りものには福があるーってか。俺は一番ちっこい奴相手になるわけだな。ってかさ。少しはびびれよ。仲間がいきなり連れさらわれたんだぜ?」
「ク……ククク……ちょうど物足りないと思っていたところなんだよ」
戦闘狂ね――とナルトは気持ち悪いものを見るような眼差しを放ちながら、吐き捨てる。
「――意思疎通は不可能だな。まぁ、いいや。話し合う気なんてないし。さっさとあの世へ逝ってくれ」
殺気に満ち溢れた我愛羅に対し、飄々とした態度で――指を鳴らした。
ずぼっ、と音を立てながら、地面から三人のナルトが出現する。
全員が手に起爆札を持ち、『ジジジ――』と起爆寸前であることを表す音を奏でさせながら、我愛羅に飛びついた。
轟音。
轟音。
轟音。
耳を劈き、目が焼けるほどの爆発を起こした起爆札は、地面を抉るほどだ。
「わざわざ相手するのもめんどいし、これで死んだだろ」
そう思ったのだが、爆風と爆煙が消え去ったところには、砂で覆われた我愛羅がぽつんと立っていた。
無傷。
にやりと口角を歪めながら「それだけか?」と挑発してくる。
完璧に決まったと思ったのに防がれた、挙句馬鹿にされた。
かちん、と来たのだ。
「なわけねーだろ。たっぷり楽しませてやるよ」
「期待……している」
準備運動は終わり、いよいよナルトと我愛羅は邂逅する。
「ほんじゃま、殺しあいますか」
瞬間、ナルトの姿が疾風となった。
◆
木々の間から死角を縫って襲い掛かる苦無に、テマリは辟易としていた。
術者の姿は見えず、どこから攻撃されるのか、それはどういった手順で繰り出されているのか。分析しようにも、的確に隠蔽されたそれはあまりにも情報が少なすぎた。
背中に向かって苦無が飛び掛ってくる。
「くっ、鬱陶しい!!」
身の丈を越える扇を振りかぶると、風を巻き起こす。
【風遁・カマイタチ】――扇から大気にチャクラを浸透させ、カマイタチを巻き起こすそれは苦無を全て振り払う。
だが、勢いの失った苦無はどこかへと消えていき、また攻撃に加わってくるのだ。カマイタチで刃の欠けたことを確認した苦無も襲ってくるのだから、手に負えない。相手の武器の数が無くなるまでやる、という選択肢は消えた。
さらには、身体の一部の自由を封じてくる攻撃だ。
テマリは、おそらくは糸だろうと分析している束縛してくるものは不可視であるが故にやり辛い。どこから糸が放射されているのかが推測できないのだ。
しかし、わかってきたこともある。
つまり、術者が隠れる場所を失うほどに周囲を破壊すればいいのだ。
そうとわかれば話は早い。
膨大なチャクラ量を扇に詰め込んで、目標を届く範囲すべてを指定。
放たれるものは――
「風遁・大カマイタチの術!!」
林立する木々は成人男性が六人ほど腕を広げないと抱え込めないであろう太さを誇る。なのにも関わらず、生み出された風の刃は幾本もの大樹を伐採していく。
そこに何もいないことを確認すると再び違う木を切り裂き続けている。
そのときだ。
「またそれ? 馬鹿の一つ覚えね。頭悪そうな顔してるだけあるわ」
桃色の髪の乙女――サクラは森林伐採を防ぐため、というよりも、まぐれで自分のいる場所を切り裂かれるのを恐れて、テマリの視界に現れた。場所は天高く聳える木の枝の上だ。
皮肉に笑い、極めて性格が悪そうに見えるように、イノの物真似をしながらの挑発。非常に似通っていた。親友と名乗るだけのことはあるだろう。
「……何?」とテマリは顔を引き攣らせてしまう。いきなり罵声を浴びせられるとは思っていなかったのだ。
反応に気を良くしたサクラは、胸を張ると、腐葉土に立つテマリを見下ろす。
「あ、気にしてたの? ごっめーん! 私ってつい思ったことを言っちゃうのよね。素直なのも考えものだわ」
「薄い胸だな」
的確にサクラの胸――ではなく、心を抉る言葉を言うテマリ。「なんですってー!?」とサクラが身を乗り出して怒るのを見て、効果的な挑発をできたことにほくそ笑む。
だが、
「……クッ!」
テマリがいた場所に死角から苦無が降り注いだ。その数、七本。
「まぁ、期待してなかったけど、引っかかるわけないわよね」と残念そうに呟くサクラを見て、怒っていたのは演技だと知る。
(何だ、あいつ……のんびりとした木の葉の忍にしてはやけに戦いなれている……?)
さらに苦無が飛来する音が耳朶を打つ。
回避しようと横に飛びのくために足に力を込めるが、飛ぼうとしても動かない。足が地面に縫い付けられていた。
「しまっ……!」
「恨みはないし、殺すつもりもないけど、行動不能にはなってもらうわよ」
冷たい声は、勝利を確信しているものか。
テマリは渋々といった体で扇を振りかぶると、莫大なチャクラを練りこんだ。
「使わせられることになるとはな……口寄せ・斬り斬り舞!!」
召喚されたのは妖怪・鎌鼬。飯綱とも呼ばれるそれは小動物のイタチのような格好をしており、唯一違う点を挙げるとすれば、二本の前足が鎌になっていることだろう。
「キ、キキキキ――ッ!」と金属がぶつかったときのような耳障りな鳴き声とともに、二本の鎌は振り払われた。
糸で操っていた苦無は原型を留めないほどに切り裂かれ、二度と使えない状態になる。修繕できないこともないだろうが、修繕するくらいなら融解して、鋳造し直したほうが早いだろうな、とサクラはのんびり考える。
苦無――高かったのに。
「やれ……っ!」
鎌鼬はギィンギィンと二本の鎌を擦り合わせながら、空を飛ぶことができるようで、木の枝の上にいるサクラにじりじりと寄ってくる。
サクラは深く嘆息した。ふんだんに諦念が込められている。
「うん、勝ち目ないわ、これ。あー、人選ミスよねー。私に一対一やらせるってのが間違いなのよ」
すっと加速した鎌鼬の一閃を回避し、【瞬身の術】で一気に距離を離す。加速に耐え切れない身体が悲鳴を上げるが、無視だ。
ウェストポーチの中に入っている巻物を一つ取り出すと、親指の先を噛み千切り、血で染める。
ぽい、と天高く投げられた巻物は口寄せのためのもので――サクラは印を切った。
「口寄せ・大量の水」
巻物があった場所からは湖を一つそのまま持ってきたかのような滝が流れ落ち――
「水遁・霧隠れの術」
素早く印を切って、水のほとんどが気化して、霧となる。
手馴れた作業を思わせるそれを見て、テマリは呆気に取られていた。
「じゃーねー!!」
潔さすら感じられる退きの早さは感心する部分がある。
勝てない、とは思っていないだろう。だが、確実に勝てるとも思っていないのだろう。だから、退く。戦略的撤退か。
「手強いな……」
呆然と見送った後、現状を思い出し、我愛羅たちを探そうとテマリは動き出すが――再び背中から殺気を感じて振り向くと、鎌鼬が雨のような苦無を霧ごと吹き飛ばす姿が見えた。
舌打ちが聞こえる。
「実に厄介だ……」
苦手なタイプだ、と呟きながら、今度こそ遠くへと消えていく気配を感じ、テマリを移動をし始めた。
◆
場は荒れに荒れていた。
地面からは隆起した土の残骸が立ち並んでおり、砂で切り崩された木々も見える。
だが、そこに立つ二人の少年はどちらも無傷である。
ナルトは息を乱しながら、光の宿した瞳を我愛羅に向けている。対する我愛羅は、全く息を乱しておらず、淀んだ瞳をナルトに向けていた。
「……お前、強いな」
「そりゃどうも……」
内心、ナルトは焦っていた。
どうやら敵には本気を出さなければ傷を与えることすらできないらしい。
奥の手である【首斬り包丁】はあまり使いたくない。だが、このまま逃げるのもプライドが許さない。一撃くらいは喰らわせたいところである。
実際は、何度も攻撃を当てているのだ。ただ、問題がある。
(あの砂の防御壁……やり辛いな)
おそらくは自動展開されているのであろう砂の防壁は実に優秀である。
死角からの攻撃にすら対応し、地面からの攻撃も砂ですり潰して防ぐという、羨ましいを通り越して嫉妬してしまいそうなほどに使い勝手の良い術だ。俺にくれよ、と言いたくなる。
何より、この敵の相手しづらい理由は――
「砂時雨」
印もなしで、砂を操るという点だ。
予想すらつかせない不意を打った攻撃は速く、今も、雨のように降り注ぐ砂の群れを腕を動かすだけで操作している。
ナルトは横に飛びのいて、砂の雨を回避する。もといた場所は地面を穿たれ、絶大な破壊力の爪痕を教えてくれる。
そして、わかったことがある。
土も砂の中に取り込まれ、だんだんと操る砂の量が増えていっているのだ。
ナルトからすれば「勘弁しろよ」である。
「連弾・砂時雨」
「土遁・土流壁ッ!!」
逃げながら組んでいた印は完成し、地面から壁が突出する。
砂の塊は壁となった土に阻まれるが、じわじわと周囲を取り囲んできて、ナルトの逃げ道を塞いでいく。
そして――
「捕まえたぞ……」
逃げ道を失ったナルトは、小さな砂ではあるが、腕を絡めとられた。そこからは早く、周囲に浮かぶ砂がナルトを捻り潰さんと飛来してくる。
にぃ、と我愛羅は口元に弧を描いた。
「砂縛柩」
「グッ……!」
全身を砂に囲まれて苦痛の声を漏らす。
「砂瀑送葬!」
肉の潰れる音が、砂の中から聞こえた。
我愛羅は満面の笑みを零すが、しかし、瓢箪へと戻ろうとする砂の中には死体がなかった。
標的は影分身へと入れ替わっていた。
ぼんっ、と何かが口寄せされた音が我愛羅の頭上から聞こえる。
仰ぎ見ると【首斬り包丁】を天高く振り上げたナルトの姿があった。
「……風遁・飛燕ッ!!」
風の性質を持つチャクラを纏わせて、格段に切れ味を向上された【首斬り包丁】。
正しく我愛羅の振り下ろされ、それは――砂の壁に止められた。
ぎりぎりと歯を噛み締めて、ナルトは決して諦めない。
腕の筋肉を全力で肉体活性をさせて、筋力を底上げする。さらにチャクラを【首斬り包丁】に注ぎ込み、ますます威力を向上させる。
果たしてそれは、砂の壁を切り裂いた。
「死に果てろ――ッッ!!」
轟ッ!
砂の壁は爆散し、風の刃は我愛羅を縦に切り裂いた。
だが、
「すげぇな……確実に殺したと思ったんだけどよ」
とんっ、と軽い音を立てて我愛羅は後ろに跳躍する。
ぱらぱらと剥がれ落ちているのは砂の鎧とでも言えばいいのか。壁だけではなく、身を守る砂の鎧すら完備されているらしい。ナルトとしても「無傷かよ。やってらんねぇな」と愚痴を言いたくなっても仕方ない。それほどに会心の一撃だったのだ。
にぃと我愛羅は好戦的に笑う。指先でナルトを指す。
げんなりとした感情に脳髄を刺激されながら、ナルトは【首斬り包丁】を引きずりながら、必死に避け続けた。
肉体活性のやりすぎで身体の感覚がおかしくなりつつあり、そろそろ限界を迎えるだろう。
ナルトは奥の手の奥の手を曝け出すことを決めた。心底、嫌そうに。
向かい来る砂の雨に対峙すると、印を組む。先ほどの術と同じ土遁の印。
「土遁・土流壁!」
印を組んでいる時点で我愛羅も気づき、壁が隆起すると同時に周囲から砂が襲い掛かる。
逃げ道などなく――いや、逃げ道はある。
「土遁・土中映魚の術……」
土流壁に穴を開けて、ナルトは我愛羅の眼前に躍り出た。
――一気に決める!
足の裏に溜め込んだチャクラを解放し、爆発的な速度をもって我愛羅へと迫る。
そして、飛翔。
「……俺のありったけだ!!」
我愛羅は反応することすらできず、呆然とナルトを見上げている。
【首斬り包丁】にどんどんとチャクラが込められていき、暴風がむりやり詰め込まれていくような――暴圧的な威圧を周囲に与える。
轟々と吹き荒ぶ嵐を一点に集約するこの術は、ナルトの奥義。仲間にすら教えていない本当の奥の手だ。
身体が重力にしたがって落ち始める。
狙いは一つ。
我愛羅の眉間。
「喰らえっ! 風遁・水乱烈風ッ!!」
暴風が凝縮された剣で断ち切る。
砂の壁も、砂の鎧も、もろともに切り裂いたと思われたそれは、実際はそこまでダメージはいっていないようだ。
ぱらぱらと剥がれ落ちていく砂の鎧の隙間から見えるのは、軽傷としかいえないような浅い切り傷。
「……たまんねぇな」
一応は奥の手である【風遁・水乱烈風】を披露したにも関わらず、戦果は上々とは言えない。
正直なところ、勝ち目が浮かばない。
どうやって逃げるかなー、とナルトは我愛羅を警戒しながら、頭の片隅で仲間との合流方法を模索し始めていた。
「血だ。俺の……血……う……」
低く響く声は我愛羅のものか。
怨念のこびりついたようなそれは、聞くものに悪寒を走らせるものがある。ナルトは平然としているが。
「たかが切り傷くらいでわめくなよ。それでも忍者か、お前」
馬鹿か、と吐き捨てると、我愛羅は――
「うがあああああああああ!!」
慟哭をあげながら、濃密は殺気を撒き散らす。
操っていた砂が我愛羅の身体を覆い隠し――だんだんと変異していくものが見えた。
太く、大きく、変異していくそれは人とは言えず。小さなときの絵物語などで見た地獄に住まう鬼のように見えた。
「……マジ?」
そんな術をナルトは知らず、見るからにチャクラの量が増大しているそれは【変化の術】のような見てくれだけを変化させるようなものではないらしい。
しかも、本能が囁いてくる。相手したら死ぬぞ、と実にわかりやすく、だ。親切にもほどがある。我が本能。
「ナルト! 勝負は終わって……ないようね」
ナルトの隣に飛び降りてきたサクラも現実を疑いたくなるような光景を見て、理解した。
ふぅ、とナルトは嘆息して、目の端でサクラの姿を確認する。
「サスケはどっちだ」
「糸はあっちに繋がってる!!」
「全速力だ。ついていくぞ……っと、その前に……」
七班はサクラの生み出した糸で繋がっている。糸を見れないナルトだけが場所を把握できないという実に不便な仕様だ。
サクラの後をついて走り出そうとするが――振り向く。
【首斬り包丁】にチャクラを流し込み、思い切り振りかぶる。
「風遁・大カマイタチィ!!」
おそらくは木々を一気に伐採するであろう威力を込めた真空の刃は、元・我愛羅。現在は鬼としかいえない容貌のそれにあっさりと弾かれた。邪魔なものが飛んできたから腕を振った。まさに鬱陶しい蚊を叩き落したような仕草だ。ナルトの自信は地に堕ちる。
「うん、無理」
「無理ね」
「逃げるぞ!」
「う、うんっ!!」
二人はそうして逃げ出した。勝ち目がないと見るや、七班は即座に逃げる。
あまりプライドを重視しない奴らであった。
◆
闇色の染められた森の中、二つの影が交じり合う。
跳躍からの踵落し。下段払い蹴り。上段蹴りへと繋ぎ、体勢が崩れたところで鳩尾に拳を減り込ませる。
急所に対する連撃は休む間すら与えず、カンクロウに襲い掛かるが――
「こいつ……やるじゃん!」
息つく暇すら与えていない。その程度の確信はある。それなのに、あまりダメージを与えられていないようだ。
肉体活性を施したサスケの身体能力は優に下忍を超えており、中忍での武闘派にすら負けない自信がある。
違和感。
肉に拳を埋めるたびに、歪な感触がこびりつく。
硬く、乾いた音が響くのだ。肉を殴ったときの粘着質な音がせず、異様に軽い。
もしかして――サスケは思考の果てに結論を得た。
「でも、そんなの関係なく、俺の勝ちじゃん!?」
能面ような顔は正しく生気を失うと、人ではありえないほどに口を大きく開いた。
本来なら口蓋垂がある場所が見え、そこから放たれるのは――凶悪な鋭さを持つ一本の針。
違和感を感じ取ってから発動している写輪眼で軌道を見切ると、肌一枚だけの距離を離して回避し、人間を辞めているソレの腹を思い切り蹴り飛ばす。俗に言うヤクザキックだ。十六文キックとも言う。
すたっと着地すると木の葉が舞い散る。
背中に抱えていた包帯がするすると脱げていき、そこからは術者であるカンクロウが姿を現した。
「やはり、傀儡師か。自分で戦うことを恐れる臆病者だ」
「……けっこう言うじゃん? 臆病者の強さ、見せてやるじゃんよ」
人間のフリをしていた傀儡はカタカタと関節を鳴らすと、人ならざる動きでサスケに忍び寄る。先読みのし辛い動き。そして、口からは粘液を垂らしている。
「歯に毒……か」
呟き、息を吐く。
だらりと腕を下げているサスケに傀儡は噛み付こうと突進し、サスケの身体を羽交い絞めにした。
「もらったじゃんよ!」
噛み付く。
だが、
「何をだ?」
不気味なその動きは常人ならば戸惑うだろう。だが、写輪眼を持つサスケからすれば意味はない。止まって見える。
そして、写輪眼の持つ特性の一つ――催眠眼からすれば、カンクロウにちょっとした幻覚を見せることなど容易い。だからこそ、これほどまで簡単に背後へと移動できたのだ。
(幻覚じゃん……!?)
驚愕は即座に打ち消し、背後に佇むサスケに対し、腕に仕込んだ隠し刃で振り向きざまになぎ払う。結果としては、するりと回避され、頭蓋を砕かんばかりの上段蹴りをカウンターでもらうことになるが。
「チンケだな」
地面へと叩きつけられたカンクロウの腕に、踵を踏み下ろす。
だが、それは飛び掛ってきた傀儡によって防がれるが、ばちばちと明滅する右手によって傀儡の右腕を弾き飛ばされ、次いで、身体を引き裂かれていた。
嘲笑。
「こんなものか」
蔑むように笑うサスケは、カンクロウの勘に障る。ただでは返さない、と硬く決意すると、カンクロウは離れた場所で、巻物を掲げる。
「舐めてるじゃん? お前、俺のこと舐めてるじゃん……!?」
「舐めてるんじゃない。実力の差を正確に把握しているだけだ。お前は弱い。俺よりもな。潔く巻物を渡せば生かしておいてやる」
「俺は持ってないじゃん!」
事実、カンクロウは持っていなかった。
へぇ、とサスケは興味なさそうに呟くと。
「じゃあ、誰が持っているんだ?」
「教えるわけないじゃんよ?」
「……死ぬ覚悟はできているみたいだな」
明滅する右手を見せ付ける。
頑丈にできた傀儡をあっさりと引き裂いたそれはまさに必殺と言えるほどの威力を秘めている。
仮に自分が喰らえば、死ぬだろうな。
カンクロウは冷静に分析するが、それでも、意地がある。
親指の先を引き千切り、開いた巻物に血を垂らす。それは口寄せの巻物だった。
「お前こそできてるじゃん? この戦術人形【カラス】に殺される覚悟を!!」
印を組んだ後に出てきたのは先ほどとは一味違う、カンクロウが本気を出すときに使う傀儡【カラス】である。
パカリと右腕の関節を外すと、何かを発射するための装置が見える。
そこから――大きな弾丸が撃ち出された。
直線の軌道を描くそれは至極読みやすく、サスケは一歩動くだけで回避するが、自分に当たる前にそれは爆発した。
薄紫の煙を撒き散らすそれは質の悪いチャクラが込められていて、写輪眼が成分を正しく教えてくれる。
(毒煙か? 厄介だな)
無呼吸を維持しながら周囲を探るが、煙のせいでいまいち把握できない。
感心する。
(で、術者は身を隠す……と。わかりやすいが理に適っている。ナルトが好みそうな戦術だ)
このまま煙から抜け出すか、それとも、敵の攻撃を待ち伏せるか。
考える間もなく、【カラス】はカタカタと駆動音を響かせながら攻撃してきた。
背後からの攻撃に一瞬反応が遅れるが、すかさず前に飛び込んで回避して、回転しながら立ち上がる。
攻撃をしてきたのは手から伸びる爪。
こんなところで傷口を作れば、そこから毒が染みこんでいくだろう。一撃たりとも喰らうことができないし、息が切れれば負けは確定。
ぞくぞくする。
遊びはいつだって楽しいものだ。危険であればあるほどいい。そして、最後に自分が勝つとわかっているのなら尚更だ。
口元が弧を描く。
勝利に行き着くまでの戦術は構築した。後は、実行するだけ。
(奥の手は残しておくべき、ね。けど、見た奴を殺せばいいわけだろ?)
【カラス】が再び迫り来る。
サスケからすれば遅い攻撃ではあるが、動けば動くほどに体力が消耗することから、ひたすらに攻撃をしてくるのはある意味では正解だ。
攻める相手が写輪眼を持っていなければの話だが。
写輪眼はチャクラを視る。
つまり、術者と傀儡を繋ぐ【傀儡の糸】はサスケからすれば丸見えであり、カンクロウの居場所など簡単にわかってしまう。
【傀儡の糸】を掴んだ。
肉体活性に使っているチャクラを右手に集約し、雷の性質へと変化させる。
放電。
ぎゃっ! と情けない声が耳に届き、【カラス】も糸が切れた人形のようにくずおれる。いや、糸が切れた人形なので、比喩するのは間違いか。
「もう一度だけチャンスをやる。このまま死ぬか、潔く巻物の場所を教えるか。選べ」
サスケは高圧電流を流されたせいで痺れた体が動かなくなっているカンクロウに一足飛びで近づく。
手には苦無を持ち、サスケは不様に這い蹲るカンクロウを冷たく見下ろしていた。
個の実力でサスケに勝てる下忍などほとんどおらず、カンクロウも例に漏れず、サスケの足元で這い蹲るしか出来ない。
勝負は詰み、ここから変化する要素はない。
勝ちだ。
「教えるわけないじゃん……?」
震えながらカンクロウはサスケを見上げて、唾を吐き捨てる。
「なら、死んでおけ」
そして、苦無を振り上げたとき――
「……お前、油断したじゃん?」
【カラス】はサスケに背後に迫っており、腹を大きく開いていた。
がぶり、とサスケの身体に噛み付くと、胴体の中で収納する。腹の中には毒が詰まっており、後は時間が経つだけで死ぬ。
笑いが止まらない。カンクロウは勝ちを確信した。
だが。
『チッチッチッチッ』とまるで千の鳥が鳴いているのかと思うような囀り声が【カラス】の体内から漏れ出てきて、雷色の指先が、するりと突き出された。
「――油断なんてするわけないだろ?」
引き裂く。
【千鳥】を纏った右手は【カラス】を塵となるまで焼き尽くすと、中から漆黒の髪を揺らす少年が現れた。
「人形共々、死んでいけ」
バヂィッ! と一際甲高い音が鳴り、サスケの手が振り上げられる。
それは死神の鎌のようにも見えた。
「サスケェ!! 逃げるぞ!! そんな奴放っておけ!!」
「そうよ! 早く逃げるわよ!!」
「あァ?」
振り下ろされることなく、事態は終息することになるわけだが。
◆
サスケも合流した瞬間、追ってくるソレを見て、すぐに逃げることに同意した。
カンクロウの息の根を止めずに、チャクラに足を込めて逃げ続ける七班は、本当に必死だ。木の枝を飛び移りながら、周囲の索敵を最低限だけ行いつつ逃走劇を続ける。
「何だよ! おい、ナルトッ!! 後ろのでかい奴は何だよ!!」
「知るか。俺に聞くな。いきなり変化――ってか、変身したんだよ!!」
サスケは露骨に顔を顰めると、
「責任取ってお前が一人でやれ!!」
「俺に死ねと言うのか!?」
やいのやいのと言い合いをしながら、ちゃっかりと助け合いつつ逃げ続ける二人を見て、サクラは苦笑する。
手に持つ苦無に起爆札を結びつけて、我愛羅に貼り付けた糸を収縮させて、反動を利用して投擲する。手首のスナップだけで投げられるよりも威力の高いそれは我愛羅の身体に突き刺さると、爆発する。
だが、無傷のようだ。
「ねぇ、全く効かないんだけど……」
「化物だな」
「怪物だな」
答えは一致する。
つまり、闘いたくない。
「――どうしよ? なんか相手がどんどん近づいて来てるんだけど……」
「俺に期待するなよ。手持ちの術で最大威力のものですらかすり傷で終わったんだからな」
「千鳥撃てってのか? 嫌だぞ。俺はあんなの相手にしたくない」
でかい図体のくせに七班より速度の速いそれは追いつくと、即座にナルトに飛び掛る。
【首斬り包丁】を振りかぶり、分厚い腹で受け止めるが――ナルトは踏ん張りの利かない枝の上だったせいか、衝撃を吸収しきれずに吹き飛ばされる。
「チィッ!!」
サスケはナルトが大丈夫なことを確認すると、印を組んで【千鳥】を発動する。逃げ道はないらししと腹を決めたのだ。
目配せし、サクラも頷くと、収縮性を無視した、頑丈さだけが取柄のチャクラの糸を編み出すと我愛羅の身体に巻きつける。
『チッチッチッチッ』と鳴り響く右腕をサスケは――
「……どうだっ!!」
突き刺した――と思われたが、それは我愛羅に受け止められていた。
絶望色に染まる瞳は、しかし、写輪眼の特性のおかげで追撃を読みきり、空いた左手にチャクラを集約し、右腕を掴んでいるそれを切り払うが、飛びのこうと足に力を込めた一瞬をついて、我愛羅は尻尾でサスケを貫こうと攻撃する。
だが、
「まじで効いたぁ……!」
痛みに顔を歪めながら、ナルトは尻尾の一撃を薙ぎ払っていた。
膠着状態。
我愛羅は多少は七班の実力を認めたのか、距離を離す。
「千鳥は後一回が限度だぞ……」
「私の手持ちの術じゃ攻撃に参加しても意味がないわ……」
「どうしろってんだよ」
実際、勝ち目が薄い。
そんなときだ。森の木々を引き倒しながら、「冗談だろ?」と笑いたくなるような大きさの蛇が横から現れたのだ。
七班一堂、冷や汗が止まらない。中忍選抜試験を甘く見ていたと思い知る。
「どうしろってんだよ……」
「知らないわよ!!」
三竦み。
いよいよもって、ナルトたちは動けなくなった。