3.
教壇の上に、煙とともに多くの忍が現れた。
一人だけ黒っぽい衣を羽織っており、他のものたちは中忍になると支給されるジャケットを着ていることから、中忍なのだろう。おそらくはこの試験のための人員なのであろうが、推測の域を出ない。
どのような試験になるのだろうか、ナルトはひそかに心を踊らせていた。
「試験官の森乃イビキだ」
全身黒っぽい衣で包み込み、頭部も帽子を被り、手も手袋で隠している。肌を露出することを禁じているのかと勘ぐるほどだ。
イカツイ顔立ちが物々しい雰囲気を露呈しており、タダものではないと思わせられる。
発せられる声は重低音のそれで、小さなものが聞けばそれだけで委縮する類のものだ。
ナルトの隣に座るサクラは「苦手なのよね、ああいうタイプ……」とぼやいている。しかめっ面からして、本気で嫌がっているようだ。
「では、これから中忍選抜第一の試験を始める。志願書を順に提出して、代わりにこの座席番号の札を受け取り、その指定通りの席に着け。
その後、筆記試験の用紙を配る」
筆記試験――思考力や記憶力を比べるためのものだ。
ナルトとサクラは、サスケのことをちらりと窺う。不安という成分をふんだんに含まれた濃密な視線。
「筆記試験か」
「何で俺を見る?」
「いや、別に……ねぇ?」
「サスケが不合格にならないか心配していたわけじゃないぞ」
「どういう意味だ!?」
この中で一番勉強のできない子はサスケであった……。
◆
配られた用紙を裏に向けて置いたまま、ナルトは指定の席に着いた。
サスケは自分よりも前で、サクラは後ろ――都合が悪い席順だが、仕方ない。どうやってサスケに答えを教えるものか、とナルトは頭を悩ませていた。
「ナルト君……」
緊張気味の声が隣から聞こえてくる。そこにいたのはよく見知った女の子――ヒナタであり、髪を指で弄びながら、ちらちらと盗み見るかのようにナルトに視線をよこしていた。
「あぁ、ヒナタか。隣になったみたいだな」
「お、お互い頑張ろうね……?」
「おう。まぁ、筆記試験なら問題ないだろうけどな。俺そういうの得意だし」
「そ、そうだね……」
ナルトは座学が得意であることを知るヒナタは同意する。
皆が席に着くまでの間、至極穏やかな時間が過ぎていた。だが、それも終わる。
教室の壁側と窓側に中忍たちが座っており、手にはチェックボードが持たれている。
ただの筆記試験を逸脱している堅牢な防壁。いったいこれは何なのだろうか。
イビキが教壇の机を手荒に叩くと、硬質な音が響いた。
「テストのルールを説明する。
採点方式は減点式となっている。そして、合格点数は班全員の合計点数で決まる!
そして、もっとも重要なルールだが……ククク……『カンニング及びそれに順ずる行為を行った』と判断された場合、その行為一回につき二点ずつ減点させてもらう」
ナルトは首を傾げた。
(随分と手ぬるいな。不合格にはならないのか。何かおかしいな……)
ナルトは木の葉隠れの里の外に何度も出たことがあるから知っているが、入試試験などでカンニングをすれば一発不合格になる上に、他の学校の受験資格すら剥奪されるはずだ。それにしてはあまりにも罰が軽すぎる。
違和感が付き纏う。
「つまり! この試験中に点数を吐き出して退場してもらうものも出るだろう!」
「いつでもチェックしてやるぜ」
イビキの言葉に反応し、中忍の一人が偉そうに座りながら皮肉に笑う。
「不様なカンニングなど行ったものは自滅していくと心得てもらおう。仮にも中忍を目指す者……忍びなら……立派な忍らしくすることだ。
そして、最後のルール。この試験終了時までに持ち点を全て失ったもの……および正解数0だったものの所属する班は三名全て道連れ不合格とする!」
えー! と中忍試験志願者たちは抗議の声をあげるが、イビキの一睨みで沈黙する。
時計の針が四時半を指した。
「試験時間は一時間だ。始めろ!!」
一斉に用紙がめくられる音が流れる。
ナルトもその一人であり、まずは筆記試験の問題の難易度を探るために全問に目を通してみたが――実に困った。
「……半分くらいしかわからん」
力学や暗号、特殊条件下における最適な行動を論理的に解説する、などなど――アカデミーでは習わないほどの高等問題を見て、溜め息を吐いた。
後ろの方に座っているサクラにしても、問題を見て、叫び声を上げたくなった。
(こんなのあの二人に解けるわけないじゃない!! ……私は解けるけど)
前のほうに座るサスケも問題を見た瞬間に、冷たく笑うと、一滴の冷や汗を流した。
(こんなの一問たりともわかんねぇよ……)
そうなのである。わからないのだ。
一応勉強に関しては時間を割いてきたつもりではあるが、どちらかというと体術や忍術に偏重していたきらいのある七班である。サクラを除く二人はこの問題に関しては『全問正解は無理』という解答を弾きだしていた。諦めの早い奴らである。
どうするかな、とサスケは無意識に鉛筆をくるくると回しながら周囲を探る。にやにやと笑う中忍たちが目についた。
(にしても、この念の入り様……俺たちがカンニングするってまるで決め込んでいるようなやり口だな。嫌な奴らだぜ……)
一方、ナルトは――
「さて、カンニングするか」
ばれなきゃいいわけだろ? というあっさりとした結論に達し、カンニングすることに決めていた。どうせ解けないのだから考えるだけ無駄である。実に爽やかに笑いながら悪に手を染めることに躊躇しないその姿は、一種の清々しさすら醸し出していた。
印を組むと、机の上にはゴキブリ二匹が現れる。隣に座るヒナタが「……ゴ、ゴキ!?」と驚いて卒倒しかけているが、無視だ。これはゴキブリではなく、ナルトの影分身が変化の術でゴキブリンになっているだけである。何故ゴキブリなのかは本人にもわかっておらず、ただ、何となくというだけだ。
ゴキブリを手に取ると、背中に大きく"ナ"と書き、筆記試験の用紙の角の方を小さく千切って、文書をしたためたものを咥えさせる。もう一匹には"サ"と書いておいた。
「サクラのとこに行け」
ゴキブリ二匹はケツを振って頷くと、ビチビチと茶羽を動かしながら華麗に地面へと着地し、サクラのほうへと滑走していった。なんというか――あまりに精神的によろしくない光景である。ヒナタに至っては未だに目を見開いたままだ。
ゴキ――ナルトの影分身はサクラの席に辿りつくと、サクラの健脚を伝って上へと登り始める。
不気味な感触にサクラは視線を下げてみると、ゴキブリが自分に向かって疾走してくるのだ。しかも、物凄い勢いで。よく鍛えられたゴキ――ナルトは容赦なくサクラに襲い掛かる。
「……ん、何よ……ゴキブリィ!?」
驚愕し、立ち上がってしまう。
だが、試験官であるイビキに見据えられ「テスト中に私語を許した覚えはないが?」と、注意された。
謝り、腰を下ろす。
「あ、すみません。ちょっと驚いちゃって……」
少し冷静さを取り戻し、ゴキブリを凝視しつつ、気付いたことがある。
(背中に大きく『ナ』なんて書いているゴキブリなんていないわよね。ナルトか……何、紙咥えてる?)
ゴキブリ二匹が元気一杯にテスト用紙の上で暴れ狂うのを気分悪く見つめながら、ゴキブリの唾液がしたたる紙を摘みあげ、中身を読む。
『問題解けそうにない。俺の影分身に糸つけて糸電話みたいな感じに答え教えろ。サスケもどうせわかんねーだろうから、そのためにゴキ……俺を二人用意した。頼んだぞ』
堂々と問題解けない発言をし、挙句の果てに精神的苦痛になるであろうゴキブリを送ってくるあたり、性格の悪さが窺える。
サクラはかつてないほどまでに自制心を発揮させて怒りを鎮めようと努力するが、無理そうだった。殺意が込み上げてくる。
(なんでゴキブリなのよぉー! 私にこれに触れってこと……!?)
糸電話。つまり、不可視であるチャクラの糸を使って意思疎通をしようという発想には拍手を送りたくなるが、しかし、影分身とはわかっていてもゴキブリに触らなければいけないのか。
きらきらと輝いていると勘違いさせられるほどつぶらな瞳を向けてくるゴキブリがとても鬱陶しい。
悩む。
試験合格か、乙女の黒歴史か――悩みに悩んでいるときのことだ。
「あの~これだけ教えて欲しいんですが、いったい上位何チームが合格なんですか?」
隣に座る少女が立ち上がり、質問をした。
「知ってどうなるわけでもないだろ。それとも、お前……失格にされてーのか?」
「す、すいません!」
全員の視線はそちらに奪われている。
まさに、チャンス。
目を閉じるとチャクラの糸を伸ばし、ゴキブリの背中にくっつける。ぶにょっとした感触が指先に広がった。気持ち悪い!!
(うひー! もうヤケよっ! 今の内に……行けっ!)
感謝の意を表現しているのか。ゴキブリ二匹は猛烈にケツを振ってサクラのことを見つめているが、苛立つ以外の効果はない。まさに挑発だった。
「後で殺す……っ!!」と小さく呟いた言葉に反応し、ゴキブリたちは反転し、急いでサクラから離れて行った。濃厚な死の気配を感じ取ったのだ。
サスケはと言うと、問題を解くのを諦めてたところだ。
一人の中忍がチェックボードに何かを記入しているのを見て取り。
(誰かカンニングをやったな……なるほど、これはカンニングをばれないようにできるかチェックするためのテストか)
筆記試験の要を掴んでいた。
カンニングするための対象を探していた――そのとき、机の上にゴキブリが乱入して来た。
アグレッシブなダンスを披露するゴキブリは何故か異様にテンションが高く、二足歩行をしていた。こけたが。
(用紙の上で暴れるゴキブリなんかいないよな……しかも、背中に"サ"ね。視てみるか)
写輪眼で確認してみると、ゴキブリの中にはチャクラが渦巻いており、普通のゴキブリではないことが手に取るようにわかる。そして、背中には――
(糸……ね。なるほど)
糸をもぎ取り、手に取る。
すると、
『聞こえる?』
糸を伝ってサクラの声が聞こえてきた。
こういう使い方もあるのか、と感心させられる。
『あぁ、こっちは聞こえてる。サスケにはもう届いたか?』
『オッケーだ。お前らはもう気づいていたわけか』
『当然だろ。こんな難しい問題を解るやつが早々いるはずがねぇ。カンニング推奨だぞ、これは』
ナルトの言葉に『私はわかるけど……』とサクラは被せる。そのための糸電話だ。『俺たちは幸運だな。運動音痴だけど、勉強だけは出来る奴がいる』とサスケは皮肉を言ってしまった。いつものノリだ。
『そ、それなりに運動もできるようになってきたじゃない!?』
『カンニング扱いにされるぞ。声は小さくしろ』
『う、うざい……しかも、ゴキブリなんか渡して……後で覚えてなさいよ』
げっ、とナルトは苦しい声を上げるが、スルーすることに決め込んだのか、返答はしない。
『ところで、サスケは問題わかったか?』
『一問もわからん』
『俺は半分は解けそうなんだが、頭疲れるからサクラに丸投げする。後は頼んだ』
『おい、こら! ちょっと待て!!』
ナルトの言葉にサクラは反論するが、
『サクラはわかるのか?』
『え、うん……一応全部解けるわよ』
『さすがはサクラだな。頼む。俺にはわからん』
『……頑張るわ!!』
とサスケにあっさり懐柔される。
サクラは班内であまり褒められることはないので、褒めるとわりと素直に言う事を聞いてくれるという事実があった。やるぞー! と無駄に元気になっているのが微笑ましく、頭は良いのに馬鹿だなぁ、と二人に思われていることに気付いていない。
くすくすとナルトは笑っていると、
「ナルトくん……さっきからどうしたの?」
「ん、内緒。こればっかりはな」
「そ、そう……」
ヒナタに声をかけられた。
心配そうな声音であることから、ナルトがどうにかなったとでも思われたのだろうか。心外である。
適当に話を逸らすことにする。
「お前は問題解けたのか?」
「う、うん……一応……」
「試験合格するといいな」
「うん!」
後はサクラから答えを聞いて書き写すだけ。
だが、気になることはある。
最後の十問目が、試験終了十五分前に問題を提示すると書いている。
どういう意味だろう? と考えるが、答えは出てこなかった。
◆
山中イノはアカデミー卒業生である女子の中ではトップの成績だ。
体術・忍術・座学、全てにおいて好成績を修めていた彼女ではあるが、唯一トップをとれなかった科目がある。座学だ。
「ふふ、どうやらサクラの手が止まったみたいねー! じゃ、そろそろやらせてもらおーっと!」
筆記試験の問題を見ても、全く解けそうにない。だいたいはわかるが、それでも正解であるという確証が持てないのだ。だからこそ、念には念を入れる。
(サクラ……アンタのデコの広さと頭の良さだけはスッゴーイ! って認めてんのよ……だから、感謝しなさーい)
らんらんと光る蒼色の双眸はサクラの背中を見据えている。
問題が解き終わったのだろう。グッと伸びをして緊張を緩めているようだ。
狙いは今!
「心転身の術!」
サクラの身体がビクンと大きく揺れる。そして、サクラらしくない、勝気な笑みを浮かべた。
心転身の術――山中家に伝わる秘伝忍術の一つであり、相手に自分の精神を直接ぶつけ相手の精神を乗っ取る術だ。これは諜報活動などで真価を発揮する。つまり、今のようにカンニングするときなど大活躍だ。
だが、どんなときでもアクシデントは付き纏うものだ。
『ん、糸が一気に揺れたぞ。サクラ、どうした?』
何かを伝って聞こえてくる声がある。
(な、何よ。いきなり誰かに喋りかけられてる。声からして、ナルト……?)
意味がわからず、黙していると、ナルトに疑われるのはわかるが、どうやって返答すればいいのかわからない。
それに、机の上にある茶色い物体を見つけて背筋が凍った。
「あ、え、ちょ、待って! って、ゴキブリィ!?」
その声で疑いは確信に変わる。
『サスケ、サクラが誰かに操られてる。電気流しちまえ』
『わかってる』
チャクラの糸は見えない。そして、イノにはない知識であり、想像することすらできない。
どうやって解除すればいいのか、どうやってゴキブリを排除すればいいのか、どうやって疑いを晴らせばいいのか――考えることは多々あるが、混乱をしていた一瞬の時間。不意打ち攻撃が食らわせられる。
不可視の糸を伝う雷の性質に変換されたチャクラが流れてくる。
ビクン! と身体が跳ねる。
「い、痛だだだだだだだだ!!! やってらんないわよ! なんなのこれ!!」
「騒ぐな! 失格にするぞ!」
すぐに心転身の術を解くと、サクラの意識が戻る。
サクラからすれば、意味がわからない。意識を奪われている間の記憶はないのだから。
何故怒られているのか、そして――
「……へ? 痛でででで!」
何で拷問の如き電流攻撃を受けているのか、理解できない。
『やめてよっ!! 痛いじゃないの!?』
『サクラが戻ったみたいだ。何かされてたみたいだな』
『危なかった』
『何の話……?』
最後まで何がどうなってこうなったのかわからないサクラであるが、一番不運なのはイノであろう。
(ど、どうしろってのよ……デコリンめ……いったいどんな術使ってるわけ!?)
心転身の術は無意味に終わった。
◆
時間が経ち、カンニングがバレて幾人もの受験者が姿を消していっているとき、時計の針が終了十五分前を指した。
「よし! これから第十問目を出題する!」
全員の目がイビキに向く。
やっとか、といった表情をしているものと、もうか、と諦めの混じった表情をしているものと様々だが、皆一様に真剣な眼差しをしていた。
「と、その前に一つ最終問題についての……ちょっとしたルールの追加をさせてもらう。
では、説明しよう。これは絶望的なルールだ」
どういう意味なのだろう、とサクラは訝しむ。
「まず……お前らにはこの第十問目の試験を"受けるか""受けないか"のどちらかを選んでもらう。
"受けない"を選べばその時点で失格。班員も道連れだ」
「ど、どういうことだ! そんなの"受ける"に決まっているじゃないか!!」
当然の反応をする受験生の一人を無視し、イビキは説明を続ける。
その目は「黙って聞け」と雄弁に語っていた。
「そして、もう一つのルールだ。
"受ける"を選んで正解できなかった場合、その者については罰を与える……」
「罰……?」
誰かが漏らしたその言葉に、イビキはにやりと笑って返す。
おさえられない狂気を見せつけるかのような、不気味な笑みだ。教室の温度が、何度か下がったような気がする。
「こうなるってことだよ……」
イビキは右手の手袋を外す。
背筋が凍る。
そこには指が切断されていて、無骨な義指の生える手があった。
付け根にはぐちゃぐちゃにされた跡が見えており、どのようなことがあったのか想像するのは難くない。
「指を切断してもらう。何、生活には困らん。俺だって生きていけてる。楽な罰だろう?」
無茶苦茶だ。受験生たちは青くなる。
「そ……そんな馬鹿なルールがあるかあ!! いくら何でも……!!」
立ち上がり、文句を言ったのはキバだ。
微妙に身体が震えていることから、怯えているのだろう。指が無くなるとは、つまり――忍者生命を終えるということなのだから。
ささやかな反抗すらも楽しいのか、抑えきれない愉悦がこみあげてきているイビキは腹を抱えて笑っている。幸せそうに、狂った笑みを浮かべている。間違いなくサドだ。嗜虐的な行為に酔い痴れているのがわかる。
「ク……ククク……フ……ハハハッハ!!! 餓鬼の喚き声はいつ聞いてもいいものだ。最高に心地良い……お前ら、運が悪かったんだよ。俺が担当になった時点でこうなることは決まっていた。
志願書に書いていただろ……? 死ぬ可能性すらあると……指一本を失うだけだ。楽なものだろうが!?」
そのような注意書きは書かれていた。
志願者の全員がそれを読み、納得した上で試験を受けているのは暗黙の了解だ。
(確かにそうだな。けど、指を失ったら印を組めなくなる……前線に立つ忍としては生きていけなくなるな)
ナルトは考える。
おそらく自分は指が無くなれば戦えないだろう。忍術主体なのだから。
イビキはさらに話を続ける。
「しかも、引き返す道も与えてるじゃねーか。俺の優しさに涙しろ。最大級の感謝を込めてな!」
机をしたたかに打ち据えた。
ビクンと身体を震わせるものは多く、目を閉じて泣いているものもいる。恐怖のあまり、口を開くことすら許されない。
「自信のない奴は大人しく"受けない"を選んで、次の試験では甘い担当官になることを祈ればいい……クク……次も俺じゃなければいいなぁ?」
沈黙。
静まり返った教室の中では、立ち上がって反抗する勇気のあるものはもういなかった。
鬼のような形相で全員を見下すイビキが怖いというのもあるし、実際に指のなくなった手を見せられたのだ。本当にやられる、と確信させるには十分すぎる。
「では、始めよう……この第十問目……"受けない"ものは手を挙げろ」
一転し、イビキは優しく微笑みながら語りかける。
すると――
「お、俺は……やめるッ! 受けない!! すまない。源内……イナホ……」
「130番。111番。道連れだ」
一人の志願者は棄権した。それからは恐怖の連鎖で辞退者が続く。
「ちくしょう……!」
「俺もだ……!」
「わ……私も!」
「す、すまない、みんな!!」
次々と教室から姿を消していく辞退者たちを、うすら笑いで見送るイビキ。
突然、教室の床を踏み砕く勢いで足を振り下ろした。
「辞めた奴らは懸命な判断だ! おい、刀を用意しろ!! できるだけ切れ味の悪いものをな!!」
「はっ!!」
持ってこられたのは刃毀れの酷い、すこぶる切れ味の悪そうな刀であった。
あれで切られたら神経も細胞もずたずたになり、縫合すら不可能であることは誰にでもわかること。
イビキは刀をぺろりと舐めると、志願者たちを笑いながら見下ろした。加虐的な笑みだった。
「……久しぶりだなぁ。戦争がなくなって数年……久しく人を斬っていない。あぁ、指か。まぁどちらでもいい。どっちも人間だ。楽しみだなぁ……」
心の底から楽しみにしているような――感動に打ち震える声音は恐怖心を煽る。
「や、やめます!!」
「俺もやめる!!」
「わ、わたしも……!」
再び席を立つ辞退者たちに「おいおい、これ以上逃げられたら斬れる相手が減るだろ? やめるなよ、なぁ?」とイビキは語りかけるが、それは辞退者を増やすことになるだけだった。
そんな中、ナルトたちはまだ席についており、糸で会話をしていた。
『止めまくりだな。俺は受けるけど、お前らはどうする?』
問いかけは小さく、耳に届く。
『ナルトは受けるのよね……? なんで……?』
『決まってんだろ。サクラはどんな問題でも解ける。仮にサクラが解けない問題なんて出たらさ。ここにいる奴ら全員が不合格だ。ありえないだろ?』
『なるほど、それもそうだな……。俺も、受ける』
『みんな……』
信頼の言葉が紡がれて、サクラはぎゅっと拳を握りしめる。
どのような問題を出されても解ける自信はある。だが、万が一もある。
しかし。
『プレッシャーかもしんねーけど、お前のことは信用してる。俺の指、預けるぜ』
『間違ったら承知しないぞ』
仲間の二人が自分に命運を賭けるという。ここで逃げたら仲間とは言えない気がする。
『女の子に言う台詞じゃないわよね。けど、ま……やる気出たわ。私も受ける……!!』
だから、必ず解けると自分に言い聞かせて、受けることを決断した。
「もう、いないかのか? やめるのなら今の内だぞ?」
イビキの脅迫的な言葉にも心は揺れず、決意に満ちた視線を向けている。来るなら来い。どんな問題でも解いてやる! そんな目だ。
「良い"決意"だ。お前らは指が無くなるのが怖くないわけだな?」
いよいよ最後の問題だ。ごくりと喉が鳴らしたのは誰だろうか。
「では、ここに残った全員に……"第一の試験"合格を申し渡す……!!」
よし、解くぞ――! と耳を傾けていた者たちは正気を疑った。
「はぁ!?」である。
◆
この筆記試験の真意をイビキは語る。
「……つまり、このテストはカンニングを前提としていた。
そのためカンニングのターゲットとして全ての回答を知る中忍を二名ほどあらかじめお前らの中にもぐりこませておいた。
しかし、気づけない愚かものたちには失格となってもらったがな。何故なら……」
帽子を脱ぐと、そこには螺子を打ちこまれたような傷跡、焼き鏝で熱せられたような傷跡など、拷問の跡が見えていた。
つまり――
「情報とはその時々において命よりも重い価値を発し、任務や戦場では常に命がけで奪い合われるものだからだ!
しかし、この十問目こそが、この第一の試験の本題だったんだよ」
情報がいかに重要か、ということを目的としたテストだったのだ。
「いったいどういうことですか?」と質問する者がおり、イビキは笑う。先程までとは違う、ごく普通の笑みだった。
「説明しよう。
言うまでもなく、苦痛を強いられる選択だ。
"受けない"ものは班員共々失格。"受ける"を選び、答えられなかったものは"指を切る"。つまり、忍者生命を失うといってもいい。
実に不誠実極まりない問題だ」
頷く者が多数いて、イビキは苦笑する。
「じゃあ、こんな問題はどうかな?
任務内容は秘密文書の奪取。敵方の人数・能力・その他一切の軍備の有無一切不明。
さらには敵の張り巡らした罠という名の落とし穴があるかもしれない。
さぁ、"受ける"か"受けない"か」
それは、つまり――
「命が惜しいから……仲間が危険に晒されるから……危険な任務は避けて通るのか?
答えはNOだ!! どんなに危険な賭けであっても、おりることのできない任務はある。
ここ一番で仲間に勇気を示し、苦境を突破していく能力。これが中忍という部隊長に求められる資質だ!!
いざというときに自分の運命を賭けられない者、"来年があるさ"と不確定な未来に心を揺るがせ、チャンスを諦めていく者……
そんな密度の薄い決意しか持たない愚図に、中忍になどなる資格はないと俺は考える!」
自分の未来を賭けることすらできないものに、里の財産である忍を指揮する権利はない。
下忍のときとは違う圧倒的な重圧に耐えられる人材として、この程度の問題で迷う者は必要ない、と断じたのだ。
「"受ける"を選んだ君たちは難解な"第十問"の正解者だと言っていい。
これから出会うであろう困難にも立ち向かっていけるだろう……入り口は突破した。
『中忍選抜第一の試験』は終了だ。君たちの健闘を祈る!!」
試験は終了し、緩んだ空気が教室を満たす。
そのときである。
鎖帷子の下から桃色の乳首が見え隠れしている破廉恥な姿の、熟れた女性が窓をぶち破り、乱入して来たのだ。付き従う仮面を被った忍たちが第二試験官みたらしアンコ登場という幕を伸ばしている。
何だこれは? と訝しむ志願者多数だ。
「アンタたち! 喜んでる場合じゃないわよ! 私は第二試験官、みたらしアンコ! 次行くわよ、次ィ! ついてらっしゃい!」
唐突に叫んだのは第二試験官らしい。
「空気の読めない女が出てきたぞ……」
「あれは嫁の貰い手がなさそうだな」
「……同じ女として否定してあげたいけど、ちょっと無理だわ」
七班の辛辣な評価は幸運にもアンコの耳に届くことはなかった。
「って……五十七人!? 残りすぎでしょ!」
「今回は優秀な者が多くてな」
「フン! まあいいわ。次の『第二の試験』で半分以下にしてやるわよ。あーゾクゾクする!!」
アンコとイビキのやり取りから察するに、アンコはイビキ以上にアレなのだろう。
「変態だ……」とナルトは呟き、サスケとサクラも強く頷いた。
「詳しい説明は場所を移してからやるから、ついてらっしゃい!」
休む間もなく、次の試験へと移ることとなる。
試験官は空気の読めない変態。どんな熾烈な試験が向かいくるのか……想像しただけでげんなりする七班であった。