轟っ!
瀑布となった黒刃が大気を切り裂き、水面をも裂く。
刀身を包むチャクラは淡い色を放ちながら、長大な亀裂を刻み込み、破裂した。
強い衝撃を与えられた大河は衝撃を飲み込むかわりに大量の水を吐き出した。津波の如き飛沫である。
水面に悠然と佇むのは、光に祝福されているかのような黄金色の髪と、すべてを冷ややかに見つめる蒼氷の瞳を持つ、小柄な少年であった。
明るい頭部とは違って、全身黒尽くめの衣服を纏っている。黒いジャンパーに黒いジーンズ、ウェストポーチも太腿につけたホルスターも全て黒。
中でも最も目を引くのは背丈の倍はあろうかというほどの剣だった。
いや、これは剣と呼んでもいいのだろうか。確かに、剣のような形状をしている。形そのものはそうなのだが、それはあまりにも大きかった。大きすぎたと言ってもいい。常人が振るうことを前提として作られているとは思えない、奇怪な剣であった。
銘は【首斬り包丁】――人に実際に当てれば、自重だけでも胴体を切り裂いてしまう、実に謙虚な名前を持つ剣である。
【首斬り包丁】を肩に担ぐ。
どれほどの筋力を持っているのか。ほとんど無造作に行われたその行為だけで膂力の凄まじさが窺えるというものだ。
首を傾けて、ごきりと音を鳴らせる
そして、ナルトは盛大にタメ息を吐いた。
「どうせ避けたんだろ。出てこいよ」
言葉に反応したのか、小さな波とともに、水の中から一人の少年が飛び上がってきた。
黒髪黒目の冷たい顔立ちの少年の名はサスケ。
群青色のタートルネックのシャツとハーフパンツ――どちらも見事にびしょ濡れであり、肌に纏わりつくのを至極嫌そうに振舞いながらナルトと対峙している。
顔に浮かぶ表情はまさに悪戯がバレたときの子供のようなもの。隠れているつもりだったのだ。
「上手いタイミングで避けたと思ったんだけどな」
「ばればれなんだよ」
「……じゃ、行くぜ?」
サスケはナルトの返事を待たず、駆け出しながら印を組む。
一歩足を踏み出す毎に、水面から水飛沫が舞う。チャクラコントロールが疎かになっている証拠だ。
ナルトは【首斬り包丁】を腰溜めに構えると、前傾姿勢でサスケを待つ。
疾走しながらサスケは大きく息を吸うと、吐いた。
吐息の変わりに顕現したのは背丈の倍はあろうかというほどの灼熱の業火。
「しゃらくせぇぇぇぇっ!!!」
水の中に刀身の一部を突き刺し、【首斬り包丁】にチャクラを浸透させる。
通常の武器ならばチャクラ伝導率が極めて低いのだが、【首斬り包丁】は違う。
仮にも【霧の忍刀七人衆】という名の知れたものたちにのみ受け継がれる武器なのだ。特殊な能力が付随している。
おかげで、少しのチャクラを込めただけでも多くの恩恵が与えられる。
それは――
「爆ぜろっ!!」
水中で解放されたチャクラは、爆発する。
水の壁。
そう形容する他ないほどの現象が起こった。
高波となった濁流は火炎球を飲み込むばかりではなく、サスケをも葬らんと牙を剥く。
サスケは垂直に跳躍し、おそらく身長の四倍はあろうかという距離を飛翔して回避したが、ひそかに舌打ちをしていることから、このような防衛方法をとられるとは思っていなかったのだろう。悔しそうだ。
水壁に阻まれてお互いを視認することができない。
しかし、このとき――サスケは確かに感じた。圧倒的な暴力が襲い掛かるであろうと。
漆黒の瞳に車輪の紋様が三つ浮かぶ。
写輪眼と呼ばれる血継限界は、あらゆる忍・体・幻を見破る瞳のこと。うちはの一族でも極一部しか受け継がれないそれをサスケは使いこなし始めていた。
視る。
襲い掛かるであろう威圧の片鱗を確認したとき、悲鳴をあげることだけは何とか防げた。
視認できたのはチャクラの塊。真空の刃。
それは水の壁を容易く切り裂くと、サスケへと飛来する。
「ふざけんなッ! 殺す気かよ!」
写輪眼で攻撃の性質を見切り、自分に当たるまでの時間を計測する。
0.5秒。
ぎりぎりで間に合う。
指が縺れそうになるほどのかつてない速度で印を組み上げる。
「火遁・豪火球の術!」
吐き出された業火の吐息が、大気を断絶する刃を飲み込み、喰らい尽くす。
それが、仇となった。
「俺の勝ちー!」
声が聞こえたのは頭上。
仰ぎ見ると、太陽の光に目が眩み、相手の姿を明確には確認できない。
だが、わかっていることがある。
自分は術を使ったせいで無防備であり、挙句の果てに上をとられ、さらには武器を振り上げられている。
負けた。
鉄板にもなれるであろう剣の腹で頭を思い切りどつかれて、水面に激突し――衝撃のあまり気を失った。
◆
『終末の谷』と呼ばれるそこは大きな滝を囲むように木が林立する場所であった。
あらゆる自然環境が揃っているので修行には最適と思い、七班一堂はここでキャンプを取り、修行の日々を送っている。
ちなみにカカシは食料調達係として連れてこられていた。
「絶対に行かないからな!」
と頑なに修行への同伴を拒んでいた彼は、「えー、先生のせいで俺死に掛けたのにそんなこと言うんですか?」というナルトの思いやり溢れる温かい言葉に感涙し、喜んで付いて来たのだ。今などは盛大に舌打ちをしながら片手に『イチャイチャパラダイス』を持ち、鉄鍋の中で美味しくできているカレーを温めている。おさんどんのようだった。
鍋を囲むように座っているのはナルトとサスケとサクラである。
お互いの戦闘方法の指摘のし合いである。いわゆる反省会だ。
話題は先ほどのナルトとサスケの戦闘について。
「さっきの真空刃みたいなのは何だったの? 観戦しててびっくりしたんだけど」
「【風遁・大カマイタチ】――剣にチャクラを溜め込んで大気に浸透させて刃と化す。
使いやすいんだけど、武器にある程度の大きさが求められるからこの剣がないと俺は使えないな」
「へぇ……けど、便利ね」
サクラは羨ましそうに【首斬り包丁】を見て、ナルトの許しを得て手に取ったが……重すぎて持ち上げられなかった。
くすくすと笑うナルトの姿が鬱陶しくて、首斬り包丁を手荒く地面に落とした。
土埃を舞い上げながら、地中へと埋まる【首斬り包丁】。重すぎる。
ナルトは片手で拾い上げて膝の上に置くと、こびりついた土を払う。
「でも、一度見られてからはサスケに効かなかったわけだけど……写輪眼ずるいぞ」
「凶悪な武器使っててよくそんなことが言えるな……。当たらないとわかってても、耳元を通り過ぎる轟音と剣風だけで背筋が凍るぞ」
「写輪眼があっても怖いのなら、普通ならもっと怖いわけか。何か気になる点とかはなかったか?」
「ある程度使いこなせているとは思うけど……やっぱり遅くなっているかもね。移動するときも疲れるだろうし、その場合の持ち運び方法はどうするの?」
「口寄せの契約をしようと思ってる。これはあくまで奥の手として温存したいからな。振るうたびに腕が軋むから、あまり長時間使えないんだよ」
「なるほどね……」
【口寄せの術】――本来は獣を従えて、召還するための術なのだが、道具にも転用することができる。
ナルトはそれを使って【首斬り包丁】を収納するつもりだ。持ち歩くつもりなどさらさらない。しんどいから。
それからは戦術論の話になり、あの状況でこうすればよかった、などの反省点を交し合っていると、「できたぞ」とのカカシの言葉に反応し、議題は止まる。飯優先だ。
炊き立ての白米の上にカレーをぶっかける豪快な料理にサラダがついている。
ナルトとサスケはサラダを嫌そうに見て、こっそりと脇にどけた。嫌いなのだ。
がつがつと男二人は食を進める中、サクラだけが憂鬱に顔を伏せている。
「それにしても、二人とも凄く強くなっちゃって……総当たり戦で全部負けると流石にへこむわ」
全員が三回ずつ勝負をする。
ナルトとサスケは一勝二敗。ナルトとサクラは三勝零敗。サスケとサクラも三勝零敗。
ボロ負けである。
理由はわかっている。
「サクラは持ち札が少なすぎるんだ。だから、読みやすい」
「身体も貧弱だしな」
ナルトとサスケの言葉が突き刺さる。
術のバリエーションが少なくて、対処がしやすい。そして、体術もこの中では一番弱いので、真正面からでも勝ち目がない。
つまり、何か秀でているものがないのだ。
ナルトならばどの距離でもある程度戦えるバランスの良さと、新しく手に入れた近距離用の武器。
サスケならば圧倒的な速度で動ける点と、近距離における体術の強さ。
どちらも得意なものがあるのだ。
だが、サクラだって意地がある。
「うるさいわね!! 一応開発している技があるのよ!」
息せき切って立ち上がり、思い切り叫んでみるが「どんなの?」というナルトの言葉により少しだけどもる。
「……まだ未完成なんだけど、これよ」と手を合わせ――チャクラを練りこむ。
波の国の頃とは比べ物にならないほどに洗練されたチャクラの糸が生み出された。
「チャクラの糸? そんなのどう使うんだ?」
そうなのだ。
まだ使用法が確立できていないばかりか、これから付随させる特性について思い悩んでいる。
しかも、戦闘中に糸を操れるほどにチャクラコントロールが上手くできていない。
七班が終末の谷で演習を積んでいるのは、水上で戦うことにより、チャクラコントロールをしながら動き回ることができるようになるという練習も兼ねている。さらに糸まで加わると酷いことになるのだ。
小首をかしげて腕を組み、可愛らしく思考に埋没するサクラはとことん悩みつくしている。
「うーん、それが困っててね。どうしようかなぁって」
「フン、何を覚えようとサクラに負けることはなさそうだな」
「サスケくんに勝てる気はしないわ……」
そのときだ。
「……提案だ」
サラダを食べていたカカシが突然立ち上がった。
「先生?」とナルトが呼びかけてみるが、反応はない。ただ、サクラのほうをじっと見据えている。
「俺がサクラを鍛える。ま! 自惚れているサスケなんて余裕で倒せるくらいに鍛えられるよ。その糸があればね」
「え?」
「何?」
「先生、何考えてるんだ?」
瞳には熱い炎が宿っている。
この男――燃えている!
「サクラったら面白いもの開発しちゃって……俺としても料理係なんて暇で仕方なかったんだよね。ナルト、料理番は任せた」
「いいけどよ……」
「じゃあ、サクラ――ついてこい。お前の【チャクラの糸】の使い方を伝授してやろう!」
カカシはガッツポーズをしながら、サクラの襟元をむんずと掴み上げる。戸惑うサクラなど無視だ。
「え? え? ちょっと……!」と凄い動揺している。
ナルトとサスケに向ける視線は打ち捨てられた子犬のような揺れる瞳。
二人は即座に目を逸らした。
裏切りの背徳感が二人の背中に圧し掛かる。
「勝ったほうが相手に言うことを何でも聞かせられるってことで! じゃあな! フゥー!!」
「いやあああああああああああああ!!」
山彦の如くエコーする悲鳴がだんだんと小さくなっていくのを感じながら、二人は決してサクラの後を追うことはなかった。
「……先生、何であんなにテンション高いんだろうな?」
「暇だったんだろ……」
正直なところ、今のカカシに関わりあいたくないのだ。
なんか、怖い。
正直な気持ちである。
「で、本気でサクラのことを弱いと思ってるのか?」
「まぁな。戦闘面に関しては最弱だろ」
「そんなこと言ってたら足元掬われるぜ? お前が思っているほどに写輪眼は万能じゃないからな」
「……わかってる。お前に散々弱点を突かれているからな」
思い出すのは太陽を利用しての一撃。
目潰しを喰らえば写輪眼と言えども効果を発揮することはできない。
頭を思い切りどつかれて、痛みとともに刻み込まれた記憶だ。忘れることなどできない。
「そっか……ならいいんだ。それにしても面白くなってきたな」
「当事者の俺は面白くねーよ」
「まっ! 頑張れ!」
「戦う日取はいつなんだろう?」
「さぁ?」
それは誰も知らない。
◆
大きな滝が流れ落ちるそこは、大量の水飛沫が巻き起こり、屈折を余儀なくされた陽光によって大きな虹がかかっている。
終末の谷から少し離れたところ、『終末の滝』と呼ばれるそこに、サクラとカカシはいた。
いや、サクラがいる場所は少々違う。
滝の近くにある木に抱きついて、カカシに対して必死に抵抗しているのだ。
「登れ」
確かにそう言われた。
見上げただけで絶句するほどの激流に、チャクラを利用して登れと言われたのだ。胸が空くような思いになったのは言うまでもない。
サクラの後ろ襟を掴み、カカシが「登れ」と低い声で囁いてくるのが恐ろしい。
「無理です! 無理ですって! 死にますって!」
木を登るのとは訳が違う。
水面に立つのとも訳が違う。
滝は動いている。激しく流れている。さらには上から下に落ちている。
死ぬ。
もし失敗したら死ぬ。
怖くてできるものか!
だが、カカシはいっそ清清しいほど爽やかな笑みを浮かべながら、言うのだ。
「俺は……サクラならできる。そう信じているよ」
「やだ! やだ! いやだ!!」
抵抗は終わらない。
だが、そのときだ。
「できる! できる! やればできる!」
カカシの熱い言葉が耳を打つ。
抵抗する力が少しだけ弱まった。
「何でやろうともしないで諦めるんだよ!! 諦めんなよ!!
出来ないからやらない? 違うな。お前はな、やればできるんだよ。出来るのにやらないだけなんだよお前は!!」
サクラの可能性を信じているカカシ。
できる!
言い切られたのだ。
自分はできると確信されているのだ。
ぺたりと地面に座り込み……視線を落とす。
「で、できるのかな……私でも、できるのかな」
「まずは滝登りだ!」
「はいっ!!」
それから始まるのは青春の日々。
昼夜関係なしに、サクラは滝へと挑戦し続ける。
辛いこともあるだろう。悲しいこともあるだろう。悔しいこともあるだろう。苦しいこともあるだろう。
だが、カカシの熱い言葉と、心の奥底から湧き上がる無限大のパゥワーにより、サクラは見事修練を続けていた。
「ぐっ……はぁ……ん……」
最後の一歩。
あと少しというところでサクラは滝の流れに負けて落ちそうになった……そのときだ。
「立ち止まるのか? お前はそこで終わる人間なのか? 違うだろ!」
熱い言葉が蘇る。
「がんばれ! がんばれ! できる! できる! 絶対できる! がんばれ! もっとやれるって!!
やれる! 気持ちの問題だ! がんばれ! がんばれそこだ! そこで諦めんな! 絶対にがんばれ! 積極的にポジティブにがんばれ!
もっと! 熱くなれよおおおおお!!」
「先生!? わ、私……私!! やりますっ! 熱くなります!!」
足を激しく動かして、負けじ魂を踏みしめながら、サクラは滝の流れに逆らった。
あと少し。あとほんの少し。
ここまで来るのに一週間ほど。
休むことなく続けられた修練により身体はぼろぼろ、痛くないところなどありえない。睡眠不足で死にそうだ。
それでも! 魂が折れることはない!
「うわぁぁぁぁっっっ!」
叫び声を上げながら登っていると、下からカカシの声が聞こえてくる。
いつ落ちても大丈夫なように、サクラの下で待機してくれているのだ。
「ネバーギブアップ!!」
「はいっ! 私、私……」
師の恩義に報いるために……
「もっと……」
「――熱くなれよぉぉぉぉぉ!!!!!」
サクラは咆哮し、最後の一歩を踏み出した。
◆
サクラが旅立って十日目のことだ。
燦燦と降り注ぐ太陽の下、ナルトとサスケは水面の上で【推手】を行っていた。
【推手】とはお互いにゆっくりと攻撃と防御を行うものだ。ゆっくり動くからこそ、相手の動きがよく見えて、対応策を考える時間が与えられる。
だが、実力が伯仲していないと長く続けることはできず、すぐに勝負がついてしまうものだ。
二人は一時間ほど休まずに動きを確認しながら続けていたのだが――不穏な空気が流れて、中止した。
むわっとしたむせ返るような獣臭が場を満たしたのだ。
「……待たせたわね」
獣臭の源はサクラ。
臭い――というわけではなく、闘気と言えばいいのだろうか。命を賭して闘うもの特有のオーラを発散していた。
強くなっている。
一目でわかる事実だが、かつてのサクラとは全く違う。別人のような鋭い視線はまさに百戦錬磨と言えよう。
だが――
「サクラか……って、何でお前そんなにボロボロなんだ!?」
身体中傷だらけだ。
擦り傷、切り傷などの軽傷ばかりだが、全身に至っていることを考えれば戦闘などできるはずもない。
即座に中止して治療すべきだと考えたナルトはサクラに駆け寄るが……
「私には熱さが足りなかった。そのせいよ」
意味不明な言葉を吐くサクラが手を翳した。
それだけのことで、ナルトは自由を奪われる。
激しく動揺して身悶えするが。
「邪魔よ」
「うおっ!?」
サクラが何かを投げるように手を動かした。
すると、ナルトが大きく弧を描いて木に激突したのだ。
辛うじて受身を取り、足から着地したナルトではあるが、予想外の攻撃に驚く。
どんな攻撃方法だったのか、全く見えなかった。
おそらくは【チャクラの糸】を巻きつけたのだろうが、どれほどの修練を行ったらここまで鮮やかに行使できるのだろうか。血の滲むような修行をしたことが容易に見て取れる。
「私は生まれ変わったの。熱く、強く、気高くね」
湖面に佇むサスケの眼前へと移動し、ほう、と熱いタメ息を吐きながらサクラは呟く。
サスケは心配そうに「……頭は大丈夫か?」と、とても失礼なことを発言するが、サクラは――
「すっきり爽快。実に晴れやかな気分だわ……今にも空へと飛び立ちそう」
「おい! こいつ完全にラリってるぞ! どうなってるんだ……!?」
大丈夫じゃなかった。明らかにおかしい。
そのときだ。
「説明しよう!」
カカシが突然空から降りてきた。
かなりハイになっている。
「サクラは滝登りの行をこなし、更なる高みへと登ったのだ。もはや俺ですらその力を測ることはできん……」
「カカシもおかしい! 何かおかしいぞ!」
「あ、あぁ……おそらく、これが原因か」
「何だ?」
ナルトは木の下に生えている何かを手にとって、掲げる。
それは毒々しいほどに真っ赤なキノコだった……。
「バーニング・ブラッド・マッシュルーム――食したものは果てしなくテンションが上がり、活動限界を迎えるまで全力で突っ走るという……これがサラダの中に入ってたみたいだ」
「俺とナルトはサラダ食べなかったから無事なわけか……」
つまり、二人とも毒キノコを喰べてしまったせいでこんなことになっているのだ。
まさに悲劇と言うしかないだろう。
当事者の一人であるサスケはすでにやる気がなくなっていて、腕をだらりと下ろしたまま、困惑気味にサクラのことを見ている。
やる気満々だ。サクラは凄くやる気満々だ。
「フフ、さぁ――尋常に……勝負ッ!」
言うなり、サクラの姿が掻き消える。
肉体の限界を超えたその速度は突風。
どこに行ったのか肉眼で捉えることすらできない。
渋々とサスケは写輪眼を浮かべるが……
「これが修行の成果よ!」
サクラは高速移動を繰り返しながら、迸るチャクラを纏う苦無を投げつけてくる。
その数は十本。
バカ正直なまでに真正面から飛来する苦無はまさに神速と言っていいほどの領域に達しているが、サスケには届かない。
「写輪眼の前で真っ正直な攻撃が当たるかよっ!」
叩き落す。
しかし、全て叩き落したはずなのに苦無が飛ぶ音がかすかに聞こえる。
上を向くと――苦無が歪な軌道を走りながらサスケに飛来していた。
チャクラを足の裏に溜め込み、爆発。
凄まじい速度で加速するが、多くの苦無がサスケを追いかけ――見ると、苦無からチャクラが伸びていた。
それは糸。
糸の先を見ると、それは自分が向かう先に続いており――
即座に停止し、飛翔する。
舌打ちが聞こえた。
音の発信源を見ると、そこには自分の移動する位置を完璧に予測していたサクラが待ち伏せをしていたのだ。
「くそ……トリッキーな攻撃ばっかしやがって!」
予想外。
視界の外からの攻撃を繰り返すサクラには、完璧に自分の死角を見切られている。
分析は終わっていたのだ。
「サスケくん……貴方には、努力根性愛情友情悲哀激情――そして、何より……熱さが足りない!」
「暑苦しいんだよっ!!」
空を舞うサスケに対する言葉が酷く苛立たしい。
いつものいじり甲斐のあるサクラはどこへ行ったのか。全然可愛くない。
気づく。
攻撃は終わっていなかった。
目を凝らすと、何やら細長いものが自分の背後に伸びていることに。
振り向くと、苦無が飛来してきた。
「うおっ!?」
驚きの声をあげるとともに、サスケは襲い掛かる苦無を辛うじて捌ききる。
気づかなければ背中に穴が開いていただろう。容赦がなさすぎる。
そして、くっついた糸の数はまだまだある。
下を見ると……膨大な数の苦無がこちらを向いていた。
喰らえば死ぬなぁ、とぼんやりと想う。
「これが私の必殺技――【コズミック・バーニングブレイズストリングス】よ!!」
サクラは咆哮する。
だが。
「……サクラ、お前はかつてないほどに熱い。そのせいで俺に負けるんだ」
「え?」
熱くなりすぎである。
数からして、ほとんどのチャクラを攻撃に傾けていることは理解できる。
印を組む。
その術はナルトが使っていたものをコピーしただけの、本当にそれだけの術。
「風遁・大突破の術」
口から吐き出された突風が苦無を散り散りに追いやり、サスケはゆったりと地面へと落ちる。
ぽちゃん。
自分のチャクラを使い尽くしたサクラは棒立ちしている。
加速。
背後に回り、首筋に手刀を落とす。
それだけの行為で、サクラの意識は闇へと落ちた。
「俺の勝ちだ」
「悲しい勝利だな」
相槌を打つナルトの言葉が酷く悲しい。
そして、ナルトの方を見ると、カカシに何をしたのか、気絶しているカカシがいた。
踏みつけている。
「あぁ……凄く虚しい」
激しく同意するサスケであった。
◆
木陰。
ひんやりと涼しい風が吹くそこで、サスケはサクラの頭を膝に乗せながら、ぼんやりと座っていた。ナルトも同じく隣でぼけっとしており、たまに巻物を取り出しては読書をしている。
暇だ。
何気なしに「カカシの方はどうなった?」と問いかけると「木に縛り付けておいた」という返事が返ってくる。見ると、カカシは木に思い切り縛り付けられていた。縄抜けするのが非情に困難なそれは嫌がらせの類だろう。
タメ息が出そうになる。
そもそもカカシが毒キノコなどをサラダに混入させたせいでこんなことになったのだ。
解毒薬をナルトが急いで作り上げ――簡単なものでよかったのだ――気絶したサクラに優しく飲ませた。やや睡眠効果のあるそれのせいでサクラはぐっすりと寝付いていたのだ。まぁ、ほとんど眠らずに修行をしていたせいもあるだろうが……疲労困憊すぎた。
桃色の髪が少しだけ動く。
視線を下ろすと、サクラの瞳がかすかに開かれていた。
「あれ、私……」
「気がついたみたいだぞ」
サスケの膝に頭を乗せていることも気づかずに、サクラは起き上がろうとするが……
「……あれ?」
動かない。
「身体の限界超えて酷使したみたいだからな。あまり動かないほうがいい」
酷く困惑した表情でナルトとサスケの顔を見上げるが、急に顔が真っ赤になる。茹蛸のようだ。いろいろと恥ずかしいことを思い出しているのだろう。
あえて触れないようにナルトは話しかける。
「それにしても凄かったな。あの糸使いっぷり。自分で考えたのか?」
「え、えぇ」
そして、地に落とす。
「で、何したか覚えてるか?」
無論、覚えている。
だが、それとこれとが繋がらない。
「……うん、覚えてるけど……何で私は縛られているの?」
「コズミック・バーニングなんだっけ」
「……うるさい!」
実はサクラの手足も縛られている。
分厚い注連縄によって束縛され、縄抜けができない特殊な手法で束縛されているのだ。
動かそうとしても手足が痛むだけで、サクラの自由は完全に奪われている。
にぃ、と口角を吊り上げて、少年二人は笑った。
「ん、暴れられたら困るから」
「カカシは放置で帰ろうぜ」
反応し、サクラはあたりを見回した。
でかいタンコブをこさえたカカシが木に縛られて、項垂れている。生命の息吹は感じられない。
何があったのか、予測すらさせない非道の仕打ち。
汗が流れる。
これから何をされるのだろうかと思うと、サクラは生きた心地がしなかった。
いや、確かにサクラが悪い。
わけもわからず攻撃を加えて、苦無を散々投げつけた。しかも、死角から狙って、下手をしたら死ぬような攻撃も加えた。
けれど、仕方ない。不可抗力だ。全てはキノコのせいなのだ。
バーニング・ブラッド・マッシュルームを睨みつける。ここは群生地のようで、いっぱい生殖している。
こいつらのせいで……!
サクラの怒りは人知れず頂点へと達していた。
「そうだな。よし、サクラ――俺が負ぶってやるからな。安心して背中に乗れ」
しかし、怒りは露へと消える。
サスケの言葉が予想外過ぎたからだ。
負ぶる……? 背負うということだろうか。
だが、手足を縛られている状況で背負われても、いつ落ちるか怖いだけだ。掴めないのだから。
だから、言ってやったのだ。
「え、あの……縛られてて乗るも何も」
当たり前のことを言ったつもりだった。
とりあえず手足を自由にしろ。自分で歩くから。そう言ったつもりだった。
ナルトとサスケにはそんなこと関係なかったのだが。
「サスケ、サクラ姫はお姫様抱っこがご所望らしい」
「何? それなら言ってくれないと伝わらないぞ。よし、わかった。お姫様抱っこだ」
「待って!? 何でそうなるわけ!?」
ひょいと身体を持ち上げられる。
顔が熱くなるのを抑えられない。
アカデミー時代から好きだったサスケにお姫様抱っこ。確かに嬉しいが、嬉しいのだが……状況的に素直に喜べない。
明らかに嫌がらせのつもりでやられているのだから。
それでも、優しくしているつもりなのか、サスケはサクラに震動がいかないように丁寧に走っている。
まぁいいか、と思ってしまうのも無理はない。
油断。
気を抜いたのが敗因だった。
「そうそう、勝者は敗者に何でも言うことを聞かせられるんだったよな」
木々の間を縫うように走りながら、思いついたようにサスケは言う。
「知らない。そんなの知らない!」とサクラは思い切り抵抗するが……そんなのはカカシが言い出したことなのだから。
約束はした覚えがない。
だが、関係ないのだ。そんなことはどうでもいいのだ。
そもそも、二人がサクラの意見を取り入れられた試しははほとんどない。
「ナルト――何かいいものはないか?」
「身体はぼろぼろみたいだし、罰ゲームの筋トレはかわいそうだな」
「あんたらのせいで腹筋が薄っすら割れてきてるのよ!? もう筋トレは嫌だから! 金輪際しないから!」
「じゃあさ。今度サクラの家に行かせてもらおうぜ。俺たちの家で勉強してばっかだろ」
「そうだな。それがいいな」
「あの……家には両親がいるんですけど」
サクラの言葉に沈黙が落ちる。
そういえば二人とも親がいないので――地雷だ。
いらないことを言ったか、とサクラはとても落ち込みかけるが……
「何か問題があるのか?」
ナルトとサスケは同時に言った。
考え込んでいただけのようだ。
かくりと首が折れる。
「家に男の子連れていくと家族が盛り上がっちゃって……!」
「何でだ?」
「わからん。俺親いないし」
「……あんたらぁぁぁ!」
「行くか。このまま向かうぞ」
「娘さんが縛られてお姫様抱っこで連れられてくる。どんな顔をするんだろう」
「楽しみだな」
「下手すれば殴られるぞ」
「なるほど。まぁ善は急げだ。全力で走るぞ」
「オッケー」
「待って!! いやぁぁぁぁ!?」
ナルトとサスケはさらに速度を上げる。
終末の谷から木の葉の里へはいくら急いでも半日はかかる。
疲れ切った二人は里に着くなり自分の家へと帰っていったのは別のお話。